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『無党派運動の思想――[共産主義と暴力]再考』

天野 恵一 19990130 インパクト出版会,252p.

last update: 20110624


■天野 恵一 19990130 『無党派運動の思想――[共産主義と暴力]再考』 インパクト出版会,252p. ISBN-10: 4755400864 ISBN-13: 978-4755400865 \2100 [amazon][kinokuniya]  o01 sm02 m04

■内容

歩く思索者・天野恵一による、共産主義と暴力をめぐる思想。広松渉の「東亜の新体制」論、山谷における権力と右翼(ヤクザ)の暴力、沖縄の反基地闘争、連合赤軍などについてまとめる。(「MARC」データベースより)


■目次

「無党派」ということ―――まえがきにかえて
共産主義と「東亜の新体制」―――「最期の廣松渉」をめぐって
十年後の「山谷―――やられたらやりかえせ」―――権力と右翼(ヤクザ)の暴力の記憶
 資料 書評『寄せ場に開かれた空間を』
 資料 十年の後に―――佐藤満夫虐殺10年の集いのために
 資料 十年後の山岡強一
沖縄の反基地闘争と基地の「記憶」―――私たちと沖縄を結ぶもの
 資料 敗戦「五一年」に向かって―――「五〇年連」運動がめざしたもの
 資料 運動そのもののオルタナティブを
 資料 書評『アメリカが知らないアメリカ』
「連合赤軍」という問題―――〈全共闘経験〉をめぐって
あとがき


■引用


■沖縄の反基地闘争と基地の「記憶」―――私たちと沖縄を結ぶもの

「「復帰・返還」運動を反戦闘争としてより急進化しようという路線であれ、「復帰・返還」という日本ナショナリズムの枠組み全体を批判し、沖縄の解放・自立あるいは独立を主張した路線であれ、「日帝打倒」の革命戦略が前提であった。いくつもにわかれ相互に激しく対立した政治党派の主張も、その点は共通していた。沖縄の人々の反基地・反安保のエネルギーは、そうした革命戦略の下に位置づけられており、その沖縄の闘争それ自体を具体的かつ内在的に知り、それと連帯する通路をつくりつづける努力はそこにはなかった。もちろん、現地の人々との交流は、それぞれにいくつもつくられたが、その政治革命主義的体質ゆえに、沖縄の闘いのエネルギーの外在的「利用」以上の結果は、やはりつくりだせなかった。沖縄の人々の闘いの歴史が本当はよくみえていなかったのだ。復帰運動にストレートに加担した方も、批判的に介入した方も、その点は同じだった。(・・・)表面的にはあれだけ大衆的な暴力的に突出したエネルギーに満ち満ちたこの時代の沖縄闘争の貧しさは、「本土の沖縄化」(ヤマトの核・基地強化)に反対するなどという主張はあったが、七〇年代に米軍基地が「本土」からさらに縮小され、反対に沖縄は米軍戦闘基地として徹底強化されていったプロセスに、まったく反撃できていない事実に端的に示されている。自衛隊が送られるだけでなく、沖縄の米軍基地が縮小されるどころか、さらに強化されていくことに大衆的な抗議の声は、運動的につくりだされることはなかったのだ。八〇年代のヤマトの反安保運動も、沖縄と、ほとんど切れたところで、少数派に追い込まれつつ政治的には空転した(もちろん、そこには多様な切り口からの様々な運動が蓄積されており、別のベクトルからすれば積極的に評価されるべきものも多いことは前提である)。」(p.150-152)

「清水は、「基地のイザコザは被賤に見えるだろう。しかし、これを全国民的規模に発展させることを除いて、平和の大道はないと思う」と語り、「ヤンキー・ゴー・ホーム」の反米・反安保・基地撤去へ向って「日本人のエネルギー」を結集すべきことを訴えて、この文章を結んでいる。(・・・)教師のレポートも清水の文章も、売春を強いられる生活に入っている女性への蔑みの感情ばかりで、彼女たちも、いや彼女たちこそ「基地・軍隊」の被害者であるという視点がほとんどない。この時代の“ゴセイケツ”な「聖職」者意識あるいは学者・作家(『人間の壁』)の石川にも共通している」意識は、基地の街に生きている人々の具体的な日常の内側をよくくぐっていない。」(p.172)

「高里鈴代の『沖縄の女たち』の中の文章であるが、基地の街であり続けている沖縄に生きつづけている彼女(たち)は女性の人権という視点から、はるかに深く「基地」社会の構造を批判している。
 また、『基地日本』に収められている文章は、反基地・反安保の「日本人のエネルギー」を反米ナショナリズムにまとめていこうというトーンが支配的であるが、高里(ら)の視点は、生活の内側から基地・軍隊の存在そのものを根源的に否定していく作業の持続に支えられた平和・反戦思想という性格が強烈で、ナショナリズム(日本ナショナリズムだけでなく沖縄ナショナリズム)のアジテーションに流される傾向は、ほぼない。」(p.173)

「「土地を取り返すための闘いを続ける中で、わしらはいろいろなことを学び、考えました。米軍の中にもいい人もおる。赤ちゃんにミルク飲ますやさしい人もおる。それなのに、なぜわしらの土地を強奪するというひどいことをするのか。これは戦争があるからである。戦争が人を変えてしまう。そして基地は、その戦争を準備するためのものだ。基地が撤去されるまでは、戦争のことを忘れてしまうことはできない。わしらの土地を守る闘いは、戦争をやめさせ平和をつくることにつながる、またつながらなければならない。そう確信するようになった」(『命こそ宝―――沖縄反戦の心』)
 単純で素朴な信念(思想)であるが、体験に裏づけられた・切実さがそこにあり、思弁的なロジックではつかみきれない真実が、そこにある。日本の五〇年代の「平和と民主主義」イデオロギーに枠づけられた反基地・反安保論とは、かなりことなる思想が、沖縄で歴史的に蓄積され続けてきていたのだ(また、六〇年安保闘争で大衆的に突出した新左翼の反戦・平和理念は、「平和と民主主義」の「革命的急進化」以上のものではなかった。あの復帰運動のうねりの中にも、この「絶対平和」のおもいも強烈に流れていたのだ。私は自分の少年時代の米軍基地体験をこの間の反安保・沖縄闘争のなかで想起することで、こうした問題を、あらためて発見したのである。)(p.175-176)

「戦後革新(社会党・共産党中心)の「平和と民主主義」イデオロギーはズッポリとナショナリズムにはまりこんだ主張にすぎず、「返還―復帰」運動は、まるごとそうしたナショナリズム運動にすぎない。こうした主張である。
 それは、ヤマトでいえば、森秀人、吉本隆明的視点、沖縄でいえば新川明的視点といってよかった。もちろん、三者相互はかなり違った主張ではあるが、「復帰―返還」ナショナリズム批判という点では、共通していた。基本的な視点として、私は今でもそれが誤っていたとは考えていない。しかし、具体的な点についてはずいぶん見落としがあったとは思うのだ。
 この反「復帰―返還」思想には、沖縄の人々の土地・基地を軸にした運動、そこではぐくまれている思想についての、いきとどいた認識が欠落している。」(p.176-177)


■書評・紹介

■言及



*作成:大野 光明
UP: 20110634
沖縄 社会運動/社会運動史  ◇「マイノリティ関連文献・資料」(主に関西) 身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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