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『知られざる沖縄の米兵――米軍基地15年の取材メモから』

高嶺 朝一 19840515 高文研,262p.

last update: 20110627


■高嶺 朝一(たかみね・ともかず) 19840515 『知られざる沖縄の米兵――米軍基地15年の取材メモから』 高文研,262p. ASIN: B000J6WREW [amazon] o01 sm02 m04

■内容


■目次

わが原初の風景
T 基地の街・コザ
U コザ反米騒動
V 基地を追って
W 太平洋を渡って来た反戦オルグたち
X 軍に反逆した米兵たち
Y 軍隊のなかのブラック・パワー
Z あの反戦活動家たちは、いま
あとがき


■引用


■T 基地の街・コザ
「六九年四月までに米軍の戦死者は朝鮮戦争のそれを上回り、三万三千六百四十人に達した。米本土では黒人指導者マーチン・ルーサー・キング牧師らの呼びかけで、ベトナム戦争反対の大集会が開かれ、反戦の気運は急速に高まっていた。
 米軍敗退の徴候は、ベトナム戦争と直結した沖縄の米軍基地周辺の街の風俗にも、いちはやく表れた。
 嘉手納空軍基地に隣接したコザのGIタウンには、いつの間にか、髪や髭を伸ばし、インディアンのようにリボンの髪飾りを結んだり、襞のついた皮のジャケットを着たGIの姿が数多く見られるようになった。
 当初、この風俗は、反戦もしくは厭戦気分の、軍隊内ではグズだとみなされていた一部の兵士にだけ流行していた。
 しかし、七〇年代の初頭には、若い兵士の一般的な風俗となった。」(高嶺、1984:38)

「ベトナム戦争の泥沼の中で、GIたちは彼ら自身も知らないうちに、戦う機械から考える人間に変わっていった。「米国の国益を守り、共産主義の脅威から世界の自由を守るための戦争」という大義名分の下にアジアの戦場に送り出された彼らは、アジアの民衆と接触するうちに、ワシントンのオエラ方が声高に主張する大義名分がウソだというのが、わかったのだ。
 “長髪族”の反抗は、偉大なるアメリカ合衆国の最初の敗戦の徴候だった。それは、米兵たちの人間回復の兆しでもあった。」(高嶺、1984:42)

◇人間回復としての主体の変態化。アジアの人びととの接触がきっかけである。軍隊内であり、沖縄における、「ここ」の戦争への小さな勝利としての長髪と髭。「人間回復」の欲求は軍隊にも、「沖縄人」にも、ベ平連にも、スチューデントパワーにとっても、共通している時代。呼びかけに振り向かない悪しき主体の怒涛のような発生。


■U コザ反米騒動
「群集はあたりかまわず、イェロー・ナンバーの車を引っくり返して、火をつけていた。近くの外人相手のホテルの駐車場からも、イェロー・ナンバーの車が次々に引き出され、燃やされていた。ホテルの従業員も「よいしょ、よいしょ」と掛け声をかけながら、車を道路に押し出すのをてつだっていた。ウェートレスらも、そばで笑いながら手をたたいている。まるで祭りのようだ。」(高嶺、1984:53−54)


■V 基地を追って
「反戦GI運動の友人たちは、軍当局から罰せられることを恐れず、軍の機密に属する貴重な情報を提供してくれた。[…]コザ、金武、辺野古(名護市)の外人相手のバー、クラブのホステス、兵隊のハーニー(恋人)たちも、私の重要なニュース・ソースだった。」(高嶺、1984:90)


■W 太平洋を渡って来た反戦オルグたち
「一九六九年から七〇年にかけて、米本国でベトナム戦争反対の運動が高まっていったのに呼応して、沖縄の反戦GI運動もしだいに政治性をおび、公然と、沖縄の民衆の運動と連帯を求めてきた。
 それ以前にも、沖縄基地では、戦闘地域への出動拒否、部隊からの逃亡など兵士の反抗が自然発生的に起こっていた。しかし、沖縄返還に向かって怒涛のように高まってきた沖縄の民衆の反戦・反基地闘争との結び付きはまったくなかった。
 一九六九年に、嘉手納空軍基地の黒人航空兵士グループが、“DEMAND FOR FREEDOM”(自由の要求)というアングラ新聞を発行した。この新聞は、基地内の兵士の待遇改善を要求していた。それだけでなく、ベトナム戦の即時中止、沖縄基地の返還を主張していた。
 一九七〇年十二月二十日の反米騒動の直後、黒人航空兵グループはコザ市内に反戦ビラを配布した。そのビラで彼らは、「米軍支配下で沖縄住民は不当な取り扱いを受けている。われわれ黒人も軍隊の中で差別されている。『ブラック・イズ・ビューティフル』(黒は美しい)と同じように、コザ反米暴動も沖縄の民衆のビューティフルな行動である」と支持を表明した。
 ビラには、次のような沖縄の民衆への連帯のメッセージが書かれていた。
 「黒人はオキナワ人同様、強制的に外国との戦争に駆り出された。しかし、代償は何一つ与えられてない。黒人は米国社会で少数民族であるのにもかかわらず、海外に派兵される人口比率では、白人よりはるかに多い。しかも軍隊の中では差別され、抑圧されている。軍刑務所に収容されている黒人の半数以上が、正式な裁判さえ受けられずにほうり込まれている。黒人はオキナワ人と同じ状況、同じ困難な問題をかかえているといえる。黒人は同じ抑圧に苦しむ米軍支配下の沖縄の民衆と話し合い、友好関係を結びたい。
  黒人兵は沖縄の人々と共に世の中の矛盾を解決していきたい。黒人はコザの暴動が起こった背景と過程をよく知っている。暴動はまったく正当であったし、それ以外にヤツらをやっつける方法はなかった。」(一九七〇年十二月二十二日)」(高嶺、1984:133−134)


■書評・紹介

■言及



*作成:大野 光明
UP: 20110627
沖縄 社会運動/社会運動史  ◇「マイノリティ関連文献・資料」(主に関西) 身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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