※以下の電子書籍に関連する他の文章とともに、誤字を訂正したうえで、再録されています。
◆立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』,Kyoto Books
■言及
◆立岩 真也 2017/03/01 「施設/脱施設/病院/脱病院 生の現代のために・19 連載・131」,『現代思想』45-(2017-3):-
(再録は『身障問題の出発』より。頁(△)もこの本での頁。)
「アメリカより日本の方がゼイタク。そんなこと考えられますか?。それも、療育施設が日本の方がゼイタクだということが」
「それは驚きだね。考えられもしない」
「ところがアメリカに行ったら、あちらの人にそれを言われてね。ビックリですよ。彼らの言うのはこうなんだ。日本の施設は個々それぞれに、堂々たる医者がいてレントゲン投備まである。そんな稀れにしか用のないものを個々にかかえこんでいるのは最大のゼイタク。アメリカではそれだけ整っているのは少ない。用が出来た時に、それらの備えのある場所へ人を運んで行って用をすませばいいじゃないか。備えるだけの費用があるなら、その分で看護婦や助手を増やし、ベッドを増すのが常道だ、というんだな」
「なるほど、それでゼイタクか。あちらの方が合理的は合理的だろうな。ただ、性格的とか習慣的なものでもありそうだな。例えば書籍。あちらの人が日本へ来た場合、どの家庭へ行っても、本や書棚があるのがひどくゼイタクに見えるらしいね。あちらは極端に言えば、本なんて図書館にあればいい、という観念らしいからね」△033
「手もとにおいておかなければ、心もとないという気持ちはある」
「性格的なものもあるだろうけれど、それを生み、それを支えている社会環境を忘れられないと思うな。つまり、手近に、何時でも誰にでも利用出来る公共の設備があればこそなんだ。社会全体のゼイタクがあるから、個々には必要ではなくなる。日本では公共のものが育ちおくれているから、貧しい個々が個々に備えなければならない。ますます苦しくなるわけさ」
「全く。だが日本があちらよリゼイタクなんて愉快でもあるね。不合理さに腹は立つけれど……。ところでこのゼイタクの見本のような施設について腹の立つスクープがあるけれど、それは最後のお楽しみにして、厚生省の重度身障害者(児)用のコロニー建設計画なるものから始めましょうか」
「作らないよりはいい。この事実と現段階での必要性の強いのは認めるね。だがどうせ作るのなら、キチンとしたスケールとビジョンを持ったものでなくてはならない筈だ。だから文句をつけておくんだがね。第一、作る動機だよ。また有名人のチカラ一つで左右されている事実。どうも後味が悪い」
「水上・秋山・伴の三氏らに突上げられた橋本官房長官の鶴の一声で具体化への運びになつたらしいが、本当に必要性があるものなら無名人の陳情によってだって作らなければならない筈だし、予算がないものなら誰が言おうが出来ない答だよ」
「それがすぐ出て来るから不思議さ。それにあの三氏は熱心かもしれないが、身障者自△034 身でもなければ、この問題のエキスパートでもない。まして橋本長官においておやだ。にも関わらず長官の指示に対して、専門職であるべき筈の厚生省の係官が、何故、こちらにはこちらでこうしたプランで一貫させたいものがありこちらのテンポでやるのだ、というだけのものを持っていなかったか不思議でもあリダラシがないと思うね」
「言われたからやる、というのでは余りにも一貫性がなさすぎるんじゃないか」
「第二に重症心身障害という語の曖昧さと不合理だな。[…]」
以下略。↓をご覧ください。
◆立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』,Kyoto Books
◆立岩 真也 2018/07/01 「七〇年体制へ・上――連載・147」,『現代思想』46-(2018-07):-
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◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社
再録:立岩 真也