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鹿野 靖明

しかの・やすあき
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす


・1959.12.26札幌市生 p.47 筋ジストロフィー
・1972   国立療養所八雲病院に入院 15歳まで
・     北海道立真駒内養護学校(札幌市)高等部卒業(p.144)
・     身体障害者職業訓練校経理事務科入学 1年間簿記、珠算、タイプなどを学ぶ。
・1979.04. 北海道リハビリテーション・センターに訓練生として入所 施設に併設される寮の4人部屋で暮らす(p.144)
・1982?  札幌いちご会に入会アパートで自立
・1983.09.23施設を出る(p.179)
・1984   札幌市白石区のアパートに入居(p.180)
・1986   ケア付住宅に入居 (補欠1位→繰り上げ) 
・1987.06. 結婚
・1992   離婚
・1995   人工呼吸器装着 
・1995.06.18「介助ノート」始まる 2002.08.10まで95冊 (p.439)
・2002.08.12逝去


 
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■言及

◆立岩真也 『現代思想』→立岩[2018]

 「あらためてあるいは初めて、二〇~三〇年以上前の文章にあたってみると、私がなんとなく思っていたのと異なり、その人の生年が私(一九六〇年生)とさほど変わらないことに気づく。そのことを最初に思ったのは後出の『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺[2003])の主人公・鹿野靖明が五九年の生まれであることをその本で知った時だ。私は八〇年代の後半、つまり約三〇年前にその人の文章を読んではいた。だが年が一つしか違わないことに気づかなかった。そして鹿野はわりあい長く生きたが、そうでない人たちもいる。とくに八〇年代初頭の文章がだいぶあり、それらを私が読む機会を得たことには当時の障害者政策・運動に関わる事情があることは後述するが、その時私が「大人」だと思って読んだその人たちの多くは、大学院生だった私とたいして年の変わらない人だった。山田三兄弟に加え、例えば次のような人たち――以下一年異なる可能性がある、わかりしだい訂正する。
 渡辺正直(一九五四~二〇一二・五九歳)、石川正一(一九五五~・一九七八・二三歳)、阿部恭嗣(一九五五~二〇〇八・五三歳)、高野岳志(一九五七~一九八四・二七歳)、福嶋あき江(一九五八~八九年・二九歳)、鹿野靖明(一九五九~二〇〇二・四二歳)、轟木敏秀(一九六二~一九九八・三六歳)。これらの人たちの書いたものと行動について次回以降紹介していく。
 ちなみに渡辺、高野、福嶋は千葉県の下志津病院、鹿野は北海道の八雲病院、轟木は鹿児島県の南九州病院――いずれも国立療養所(現在は独立行政法人国立病院機構◯◯病院)――に入院し、ある時期に退院した、あるいは死ぬまでを暮らしてた。」

◆立岩真也 『現代思想』→立岩[2018]

 「筋ジストロフィーの人であった鹿野靖明(一九五九~二〇〇二)のことを書いた、今は文庫版で買える名作『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史[2003])は鹿野が亡くなった翌年に出た。その本の紹介の文章を最初に書いたのは多分私で(立岩[2003])、その文章にも書いたが、鹿野が生きている時だったらそのままのかたちで出せただろうかと思うところもある。こうして、死の前後に事情が変わって、かえって書けることが出てくることもある。ただ、すくなくとも生きている人自身は生きている間にしか書いたり語ったりすることができない。」

■2005/12/03土
 ぴあねっと21障害者週間講演 於:松本市
 『こんな夜更けにバナナかよ』著者が語る、故・鹿野靖明さんの人生

 
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■2004/10/16
Date: Wed, 08 Sep 2004 11:43:26 +0900
From: 圓山里子
Subject: [jsds:9750] 【ご案内】よるバナ講演会in新潟(上越市、新潟市)

皆さん、こんにちは。圓山(まるやま)です。

"[jsds:9746] 夜バナ著者インタビュー"[2004/09/06(月) 10:11]において、
赤松 昭 <[略]>さんは書きました:
> 新聞の番組欄を眺めてたら、今夜8時からNHK教育の福祉ネットワークで
>「こんな夜更けにバナナかよ▽傑作ルポ誕生秘話」を放映するようです。

新潟でも、「よるバナ」の講演会を致します。
ご近所の方(・・・日本海側、とか)でも、遠い方でも、関心のある方、ご都合のつく
方、ぜひお越しください。秋の越後は、美味しいものがいろいろとありますよ。
よろしくお願い致します。


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    「ワガママな障害者」の遺したもの
   『こんな夜更けにバナナかよ』の世界
     - 講演とトークセッション -
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 第35回大宅壮一ノンフィクション賞、第25回講談社ノンフィクション賞をダブル受賞
した『こんな夜更けにバナナかよ~筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』の著者、渡
辺一史氏が来県します。
 施設ではなく地域で暮らしたい。そんなフツーのことが、24時間の介助が必要となる
と、様々な人たちが入れ替わり立ち替わり日常生活に関わってきます。
 障害者の自立生活―――そこからは、少しわずらわしいけれど、だからこそ豊かな人
間関係がみえてくる・・・のかも、しれません。


<<上越市>>
■ 日時 2004年10月16日(土) 15:30~17:30
■ 場所 新潟県立看護大学(第一ホール・第二ホール)
■ 渡辺一史氏の講演
■ 参加費 500円
■ 主催 快適住まい環境研究会
■ 共催 にいがた自立生活研究会、自立生活センター新潟


<<新潟市>>
★☆★ 第5回にいがた自立生活研究会シンポジウム ★☆★
★ 日時 2004年10月17日(日) 13:30~16:00
★ 場所 新潟ユニゾンプラザ 大研修室
★ 内容
 ◇ 渡辺一史氏の講演
 ◇ トークセッション
  渡辺一史
  篠田恵(障害者の立場から)
  長谷川あや子(介助者の立場から)
  コーディネーター・遁所直樹(CIL新潟)
★ 参加費 500円
★ 手話通訳、要約筆記があります。
★ 参加自由です。事前の申し込みは不要です。
★ 主催 にいがた自立生活研究会
★ 共催 快適住まい環境研究会、自立生活センター新潟

※この講演会は、県民たすけあい基金助成事業の助成を得て実施しています。

『こんな夜更けにバナナかよ』
http://www.aurora-net.or.jp/doshin/book/tachiyomi/konnayofukenibananakayo/
○立花隆氏:丹念な取材と省察によって、見かけ上の現実の下のまた下にある深層部の
心的リアリティに迫っていった、最近出色の独創的ルポである(講談社ノンフィクショ
ン賞・選評から)。
○立岩真也氏:(介助と介助者の世界が)これだけの分量、広がり・厚みで書かれたの
はこの本がまったく最初だ。

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【問合せ先】 にいがた自立生活研究会(自立生活センター新潟、内)
TEL&FAX:025-232-7247
〒950-2063 新潟市寺尾台1-3-22
maruyama.satoko@nifty.com (圓山、まるやま)
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◆2003/12/27 障害学研究会関西部会第20回研究会
 『こんな夜更けにバナナかよ』の世界

◆2003/10/26

Date: Fri, 17 Oct 2003 02:51:22 +0900
From: 渡辺一史
Subject: [jsds:8479] 「よるバナ」VS「障害学」トークセッション

みなさまへ

 ごぶさたしております。
 『こんな夜更けにバナナかよ』(通称「よるバナ」)の渡辺一史です。

 突然ですが、東大先端研特任助教授で、このほど「障害学会」設立の発起人として
ご活躍の長瀬修さんと、以下の日程でトークセッションを行わせていただくことにな
りました。

 テーマ:「こんな夜更けにバナナかよ――〈障害学〉入門」
 日時:10月26日(日)午後3時~
 場所:ジュンク堂池袋本店 4Fカフェです。

 参加費は1,000円(ドリンク付)と、けっこうお高いですが、興味がおありの方は
ぜひご参加くださいませ。

http://www.junkudo.co.jp/evtalk.html#banana

 


◆渡辺 一史 20030331 『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』,北海道新聞社,463p. ISBN:4-89453-247-6 1890 [amazon][kinokuniya] ※


 

■文章

◆『自立生活 ETCETRA』:141-143
◆『「ケア付住宅」研究集会』(報告者)
◆鹿野 靖明 19871010 「ケア付住宅の住みごこち」
 『はげみ』196(1987-10・11):22-24
◆鹿野 靖明 19901110 「くらしのありようはそれぞれ」
 『いちご通信』086:08-11
◆鹿野 靖明 19910910 「自立生活基金ニュース」
 『いちご通信』091:023-024
鹿野 靖明 20011101 「コミュニケーションの重要性」
 『難病と在宅ケア』07-08(2001-11):55-58 [B]

◆荒川 麻弥子 20030501 「人工呼吸器を装着し「単身在宅生活」の奇跡を実現――筋ジスと闘い生き抜いた鹿野靖明さんを看取って」,『難病と在宅ケア』09-02(2003-05):04-06


■言及

◆[〇]鹿野靖明は一九五九年生まれの筋ジストロフィーの人で、七二年から一五歳までを国立療養所八雲病院で過ごす。それは筋ジストロフィーの子どもたちが集められた病院だった。彼はそこで多くの口に出されることのない死を感じて過ごす。その後様々あったの後、一九九五年に筋医協札幌西区病院で呼吸器をつける。「「このまま天井の穴の数をかぞえながら、ぼくは死んでいくんだろうか」[…]病室の天井は、小さな穴がたくさん開いたよくある白いボード板の天井だった。それは少年時代を過ごした国立療養所八雲病院とまったく同じだともいった。/「ここにいると、ぼくは死んでしまう」(渡辺[2003:252])

◆[〇]鹿野靖明[〇]は一九九五年に人工呼吸器をつける。主治医はキーボードを押して音声を出す装置を紹介したが、鹿野はキーボードを押せず使えなかった。「パソコンやワープロを重度身体障害者用の意志伝達装置して「生活用具を給付する」公的制度があるのを知ったのは、退院してから二年も経った頃のことでした。[…]/トーキングエイドのキーボードは押せませんでしたが、パソコンのマウスは自由に操ることができました。もっと早い段階で制度を知っていて、この方法が病院に持ち込まれていたら、人工呼吸器を装着した直後の苦しみは間違いなく半減しただけではなく、周囲の負担も大きく違ったことでしょう。」(鹿野[2001:56])

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社

立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙 立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙