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『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』

渡辺 一史 20030331 北海道新聞社,463p.
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす


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■渡辺 一史 20030331 『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』,北海道新聞社,463p. ISBN:4-89453-247-6 1890 [amazon][kinokuniya]→20130710 文春文庫,558p. ISBN-10: 4167838702 ISBN-13: 978-4167838706 760+ [amazon][kinokuniya] ※
 *文庫版解説:山田太一

◆2019/06/01 対談:渡辺一史×立岩真也,於:西宮市

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・内容説明(bk1)
人工呼吸器を着けながらも自由を貫いた重度身体障害者と、生きる手ごたえを求めて介助に通う主婦や学生ボランティア。02年8月死亡した筋ジス患者・鹿野氏と24時間体制で自立生活を支えたボランティア達の心の葛藤を描く。

■著者

・著者紹介(bk1)
1968年愛知県生まれ。北海道大学文学部中退。フリーライター。北海道内の市町村、郷土関係の出版物に共同執筆作がある。著書に「銀の海峡魚の城下町らうす物語」など。
◆2004/04 大宅壮一ノンフィクション賞受賞
 http://www.bunshun.co.jp/award/ohya/index.htm

■引用・言及

◆立岩 真也 2003/05/25 「『こんな夜更けにバナナかよ』」(医療と社会ブックガイド・27),『看護教育』44-05(2003-05):(医学書院)

◆立岩 真也 2003/06/25 「『こんな夜更けにバナナかよ』・2」(医療と社会ブックガイド・28),『看護教育』44-06(2003-06):(医学書院)

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya] ※

◇[〇]鹿野靖明は一九五九年生まれの筋ジストロフィーの人で、七二年から一五歳までを国立療養所八雲病院で過ごす。それは筋ジストロフィーの子どもたちが集められた病院だった。彼はそこで多くの口に出されることのない死を感じて過ごす。その後様々あったの後、一九九五年に筋医協札幌西区病院で呼吸器をつける。「「このまま天井の穴の数をかぞえながら、ぼくは死んでいくんだろうか」[…]病室の天井は、小さな穴がたくさん開いたよくある白いボード板の天井だった。それは少年時代を過ごした国立療養所八雲病院とまったく同じだともいった。/「ここにいると、ぼくは死んでしまう」([2003:252])

◇[〇]鹿野靖明[〇]は一九九五年に人工呼吸器をつける。主治医はキーボードを押して音声を出す装置を紹介したが、鹿野はキーボードを押せず使えなかった。「パソコンやワープロを重度身体障害者用の意志伝達装置して「生活用具を給付する」公的制度があるのを知ったのは、退院してから二年も経った頃のことでした。[…]/トーキングエイドのキーボードは押せませんでしたが、パソコンのマウスは自由に操ることができました。もっと早い段階で制度を知っていて、この方法が病院に持ち込まれていたら、人工呼吸器を装着した直後の苦しみは間違いなく半減しただけではなく、周囲の負担も大きく違ったことでしょう。」(鹿野[2001:56])

◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 [amazon][kinokuniya] ※

◆立岩真也 2014- 「身体の現代のために」,『現代思想』 文献表

◆立岩真也 2015/12 「病者障害者運動研究――生の現代のために・6 連載 118」,『現代思想』

 「誰の精神鑑定についての本であるか〔宅間守の精神鑑定についての本であること〕を明らかにした本は、予想されうる反応を考えると出しにくいかもしれず、この二冊は岡江が自らの「さき」のことを見越してこの年に出したのかもしれない。こんなことも時にある。筋ジストロフィーの人であった鹿野靖明(一九五九〜二〇〇二)のことを書いた、今は文庫版で買える名作『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史[2003])は鹿野が亡くなった翌年に出た。その本の紹介の文章を最初に書いたのは多分私で(立岩[2003])、その文章にも書いたが、鹿野が生きている時だったらそのままのかたちで出せただろうかと思うところもある。こうして、死の前後に事情が変わって、かえって書けることが出てくることもある。ただ、すくなくとも生きている人自身は生きている間にしか書いたり語ったりすることができない。」

◆立岩真也 20160201 「国立療養所/筋ジストロフィー 生の現代のために・9 連載・120」,『現代思想』2016-2

 「あらためてあるいは初めて、二〇〜三〇年以上前の文章にあたってみると、私がなんとなく思っていたのと異なり、その人の生年が私(一九六〇年生)とさほど変わらないことに気づく。そのことを最初に思ったのは後出の『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺[2003])の主人公・鹿野靖明が五九年の生まれであることをその本で知った時だ。私は八〇年代の後半、つまり約三〇年前にその人の文章を読んではいた。だが年が一つしか違わないことに気づかなかった。そして鹿野はわりあい長く生きたが、そうでない人たちもいる。とくに八〇年代初頭の文章がだいぶあり、それらを私が読む機会を得たことには当時の障害者政策・運動に関わる事情があることは後述するが、その時私が「大人」だと思って読んだその人たちの多くは、大学院生だった私とたいして年の変わらない人だった。山田三兄弟に加え、例えば次のような人たち――以下一年異なる可能性がある、わかりしだい訂正する。
 渡辺正直(一九五四〜二〇一二・五九歳)、石川正一(一九五五〜・一九七八・二三歳)、阿部恭嗣(一九五五〜二〇〇八・五三歳)、高野岳志(一九五七〜一九八四・二七歳)、福嶋あき江(一九五八〜八九年・二九歳)、鹿野靖明(一九五九〜二〇〇二・四二歳)、轟木敏秀(一九六二〜一九九八・三六歳)。これらの人たちの書いたものと行動について次回以降紹介していく。」

◆立岩 真也 2016/03/01 「生の現代のために・10(予告) 連載 121」『現代思想』44-(2016-3):-

 「ライターが筋ジストロフィーの人を取材した、多くの研究者のものよりよほど優れた著作に『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史[2003])があるが、その本に出てくる鹿野も、周囲の人たちが亡くなっていく病院での経験を語っていた。そして連載一二〇回・一二六回で紹介した伊藤佳世子の書いたものがある。伊藤は筋ジストロフィーの人たちがいる施設で働き、その処遇への違和感・反感があって研究することにし、書くようになった。さらに続きを書いてくれると私は思ったがそれはかなわず、結局今のところ私が書いているという次第だ。」

◆立岩 真也 2016/07/20 「ケア場:『こんな夜更けにバナナかよ』…――「身体の現代」計画補足・181」

◆20180130 立岩→古込和宏氏インタビュー 聞き手:立岩 於:金沢市 cf.20180129-31

 「古込 持って来た情報はそれだけだったんで。十何時間までは、今まであったし、金沢が出せる〔介助者派遣の〕時間の(って)せいぜいそれぐらいだから、それ以外のところはボランティアでつなぐしかないというのが相談員の言ったこと。それを聞いたらさすがに、『夜バナ』を読んでるんで、あれを想像したら無理やと思って。
立岩 そうか、『夜バナ』のボランティアの生活。まぁそうでしょうね。
古込 そうそう、それで無理やと思って。連絡取っとけばよかったけど、どんどん連絡のスピードが遅くなっていったんですよね。」

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社

立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙 立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「あらためてあるいは初めて、二〇〜三〇年以上前の文章にあたってみると、私がなんとなく思っていたのと異なり、その人の生年が私(一九六〇年生)とさほど変わらないことに気づく。そのことを最初に思ったのは後出の『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺[2003])の主人公・鹿野靖明が五九年の生まれであることをその本で知った時だ。私は八〇年代の後半、つまり約三〇年前にその人の文章を読んではいた。だが年が一つしか違わないことに気づかなかった。そして鹿野はわりあい長く生きたが、そうでない人たちもいる。とくに八〇年代初頭の文章がだいぶあり、それらを私が読む機会を得たことには当時の障害者政策・運動に関わる事情があることは後述するが、その時私が「大人」だと思って読んだその人たちの多くは、大学院生だった私とたいして年の変わらない人だった。山田三兄弟に加え、例えば次のような人たち(渡辺について死去の年の年齢が一年異なる可能性がある)。  渡辺正直(一九五四〜二〇一二・五八歳、渡辺[1988][1999-2000])、石川正一(一九五五〜・一九七八・二三歳)、阿部恭嗣(一九五五〜二〇〇八・五三歳、阿部[2007-2008][2010])、高野岳志(一九五七〜一九八四・二七歳)、福嶋あき江(一九五七〜一九八七年・二九歳)、鹿野靖明(一九五九〜二〇〇二・四二歳、鹿野[1987]、荒川麻弥子[2003]、渡辺一史[2003])、轟木敏秀(一九六二〜一九九八・三六歳、轟木[1993][1995]、清水哲男[2004])。第5章で、高野、福嶋、そしていくらか山田富也が書いたものを読んでいく。ちなみに渡辺、高野、福嶋は千葉県の下志津病院、鹿野は北海道の八雲病院、轟木は鹿児島県の南九州病院――いずれも国立療養所(現在は独立行政法人国立病院機構◯◯病院)――に入院し、ある時期に退院した、あるいは死ぬまでを暮らした。」(p.70)

 「そして北海道・札幌では小山内らの「札幌いちご会」が動いた。この運動を中心になって進めた小山内は入居の抽選にもれて、入れなかった。筋ジストロフィーの人であった鹿野靖明(一九五九〜二〇〇二)は、七二年から一五歳までを国立療養所八雲病院、そこを出てケア付住宅の運動に関わり、補欠ではあったが入居できた。しかしその生活は満足のゆくものでなく(鹿野[1987])、結局そこから出て暮らした――その生活を追ったのが『夜バナ』(渡辺[2003])、他に鹿野を看取った人の文章に荒川[2003]。△370」(p.370)

 「他では進んだと言えるか。できたところはある。ただ、東京でも神奈川でも、長い検討期間を経て、できたのは一つだけだった。それは仙台のありのまま舎についても、鹿野靖明(『夜バナ』)が関わった札幌についてもそうだった。そのことをもってそれは失敗だったと言いたいのではない。誤解されたくないのだが、集まって住むこと自体が誤っていると言いたいのでもない。
 ただ[…]」(p.375)

 「『夜バナ』(渡辺一史[2003])は読んだという。ただそれを読んで、古込はこんなのはやってられないと思う。おもしろい話・本であることと、そうして生きていける、生きていくことに役立つこととは違う。古込の反応はまったく当然の反応だ。」(p.386)

 「ライターが筋ジストロフィーの人を取材した、多くの研究者の書いたものよりよほど優れた著作に『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史[2003]、その紹介として[200305])があるが、その本に出てくる鹿野も、周囲の人たちが亡くなっていく病院での経験を語っていた。」(p.452)


UP: REV:20130111, 0904, 20180424, 1219
渡辺 一史  ◇鹿野 靖明  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇筋ジストロフィー  ◇BOOK 
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