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1962『しののめ』安楽死特集(10月号・04)

「身体の現代」計画補足・218

立岩 真也 2016/09/28
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1781365095463803

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荒井裕樹『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』・表紙    『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件・表紙    On Private Property, English Version
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』10月号に載る「七・二六殺傷事件後に 2」
http://www.arsvi.com/ts/20160031.htm
をこまぎれに、きれぎれに、の4。この文章で参照を求めているのは
◇立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』,Kyoto Books
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm
これはいくらか関心ある人、とくに社会福祉学などの教員などしてて、人にものを教えている人には、へんなことを教えてもらいたくないから、持ってもらいたいと思う。
 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162218.htm
にもある。

 「■一九六二年・『しののめ』安楽死特集
 […]
 これらを受けて脳性まひの人たちによる文芸同人誌『しののめ』が六二年四月三〇日付の第四七号で「安楽死をめぐって」という特集を組む。巻頭にあるのはこの雑誌の中心にいた花田春兆◇の「現代のヒルコ達――小林提樹先生へ」(花田[1962/04])。花田は五五年の新聞記事、六一年の新聞投書、ラジオドラマ、松山の文章にふれ、この特集の由来を述べるのだが、日本で初めての重症心身障害児施設島田療育園の設立に関わった医師小林提樹◇が講演の後の座談で、小林から『古事記』に出てくるイザナギ・イサナミ両神の第一子ヒルコ(水姪子)を知っているかと問われたという挿話が最初に置かれる。後年、花田はこのヒルコは死なずにエビス(蛭子)になったという話を肯定的にすることになるのだが(花田[2008:118-119]等)、ここでは、そんな話もあると言いつつその筋には無理があるとしている。そして将来の絶望を知らされない方がよいというなら安楽死という方法があるではないかと言い(言いたくなったと言い)、また家族の「絶望的な負担の重さ」を言う。松山の記事では花田は安楽死に反対だとされているが、花田自身の文章は様々なところに話が行き、小林への問いかけになって終わる。
 それへの返信を書かねばならないことになった小林は、面倒なことを頼まれた、といささか思っているような文章を書いている。そのヒルコも含め当人にとっては安楽死というよりは苦難死といったものではないかと述べている(小林[1962])。
 そして山北厚◇、金沢恂といった初期の青い芝の会◇の役員を務めた人たちのものを含め同人たちの文章がある。葉書アンケートもある。はっきりと反対だという人もいるが、よくないことだとわかっているがいざそうなったらそんなこともありうるといった筋のものが多い。そうした心情もわかるがやはりよくないという順番のものも、もちろんある。なかで変わっているものでは、茨城県の自分の寺に「マハ・ラバ(「大きな叫び」の意)村」という場を作り後出の人たちを煽動した大仏空(おさらぎ・あきら)◇と、後に茨城の青い芝の会で活動する折本昭子◇の往復書簡「安楽死賛成論」。

 「弱く意気地のない生き損ないで結構じやないですか!/がしかし残念なことに、これでは現実の社会で通用いたしません。そこで私達は、安楽死や自殺や精神異常によつて、社会とその政治に挑戦し、盛大に現代文明の血祭りを開催しなければ不可ないと思います。」(折本・大仏[33-34]、大仏)

 大仏という人はそんな感じの人だった。それに対して折本は「御リツパな論理だと思いました。ですが、遠くでトドロク雷の音の様で、実感がありません。今、目の前で私に安楽死を願つてる人がある様な切実な言葉に感じられないのはどう云う訳でしよう?」(折本・大仏[33-34])と返している★05。
 この特集号は大きな反響を呼んだという。小さな同人誌だからそのメンバーだけが知るものであったということではなかった。『朝日新聞』は「おそろしい質問」「ただただ厳粛な気持で、言葉がノドにつかえてしまう」と書き、『新週刊』は「安楽死≠真剣に考える人びと」と伝え、問い合わせが殺到し、この号は再版・増刷になった(花田[1974:173]、荒木[2011:134-136])★06。
 七月九日『女性自身』に「私を殺してほしい」という仮名の投稿が載る。これは実は花田自身が書いたものだった。『しののめ』同人に子宮摘出をした脳性まひの女性が二人いた(花田[2008:88-89]、荒井[2011:134-135])。「死はおそろしい。それなのに、若い人たちが、真剣に安楽死を考えている。ある身体障害者の人たちだ。これは、その一人が本誌に寄せた絶望の手記である」と始まる。

 「私が困ったのは、月々のものの処置に、他人をわずらわさなければならないことだった。これから先のことを思うと前から医者や亡き母にすすめられていたように、女であることを捨てるしかないように思われた。どうせ結婚もできないのだからと、断崖からとびおりるような気持ちで子宮摘出にふみきった。
 そんなときに、また新しい“しののめ”がとどけられた。この号では「安楽死」の問題をとりあげていた。私自身、なんとなく考えていたことなので、むさぼるように読んだ。/激しい苦痛で死期をのぞんでいるときに、楽に死なせてやるのが安楽死だが、法律では許されていない。その問題をあえてとりあげたのは、国から見放されている患者たちの悲痛な訴えなのだ。」(土屋[1962])

 これに対して、同年七月一〇日の『朝日新聞』に「「女性自身」に抗議 西宮市肢体障害者協会身障者をべっ視=vという記事がでる。障害者の置かれている状況を暗く捉えていてよくないというのだった。それに対して花田は『しののめ』四八号に「ケンカする気じゃあないけれど」を書く。つまり、花田が書いた文章に対する反応に対し、その文章が花田によるものであることは明かさず、花田が反論しているということになる。暗いものは暗いのだから、それを言ってはならないというのはおかしいと述べている(花田[1962/09]、荒井[2011:136-137]◇)。これらが六二年に起こった。

★05 もう一つおもしろいのは「働かざるものは喰うべからず、という社会理念はなにも共産主義の社会ばかりではない。[…]/特に青い芝の人達、即ち脳性小児マヒ症の人達は[…]大部分に残された頭脳の働らきから、社会生産に寄与したい意慾に燃えて居るのである。それが、肉体的な障害のために意慾的な希望も果たせないでいるのである。この点は、働く意慾も自覚しない精神障害者は素より犯罪者、怠惰者、狡猾者などの非社会的存在とは全く異なつて居る」といったことが書いてある野崎[1962]。
★06 『しののめ』について荒井[2011]が最も詳しい。六〇年代と七〇年代の違いについての荒井の理解は荒井[2011:135-138]◇。」


UP:201609 REV:
障害者殺し  ◇7.26障害者殺傷事件  ◇『現代思想』2016  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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