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『現代思想』相模原殺傷事件特集・03

「身体の現代」計画補足・217

立岩 真也 2016/09/27
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1781003122166667

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『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件・表紙    『現代思想』2016年8月号 特集:<広島>の思想――いくつもの戦後・表紙    『現代思想』2016年3月号 特集:3・11以後の社会運動・表紙    On Private Property, English Version
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

昨日発売の『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件に載っている「七・二六殺傷事件後に 2」
http://www.arsvi.com/ts/20160031.htm
をこまぎれに、きれぎれに、の3。出てくる文献等へは↑からどうぞ。
 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162217.htm
にもある。『現代思想』2016年3月号(特集:3・11以後の社会運動)そして『現代思想』2016年8月号(特集:<広島>の思想――いくつもの戦後)の紹介頁にも行ける。

 昨日、「相模原障害者殺傷事件の犠牲者を追悼し、想いを語る会」&行進
http://www.arsvi.com/2010/20160926.htm
 あてられて少し話しました。文字化できたら掲載します。


 「■一九六二年・『しののめ』安楽死特集
 後で見る花田の文章で言及されているのはまず、「不具の子に安楽死を<fィングリー氏の爆弾声明 英国中が沸きかえる」という見出しの『毎日新聞』一九五五年四月二一日の記事だ。その記事では、英国の精神身体障害王立委員会の席上「肉体的精神的不具者として生まれつき、全治の希望の全くない赤ん坊に法律で安楽死を適用」することを提案した病院運営委員長で精神病理協会長の市会議員ウォルター・ディングリーの発言とそれが捲き起こした論争が伝えられた(大谷[2005b])★04。
 そして一九六〇年代前半に多くの言論が現れる。その時期、小児まひ(ポリオ)の(日本では最後の方の)流行があった。またサリドマイド児が現れた。他の障害例えば脳性小児まひ――ポリオとは別のものだ――の人たちの生存率・出現率が医療技術が進んだために上がったといった事情があったかもしれない。実際このことはこれから挙げる文章で頻繁に言われている。それを受けて新生児を殺すこと、また生まれた子たちを生かすための動きが起こる。本誌連載(第一二六回・二〇一六年八月)にもいくらか記したように、六四年に所謂「重症心身障害児」、そして筋ジストロフィーの親の会が結成され、結核の後の入所者を求めていた国立療養所が場となり、対策が始まる。筋ジストロフィーの子たちは、生まれてから時間が経ってから発症し状態が重くなっていってその時期には多く十代で亡くなった。さすがにその子たちを殺そうということにはなりにくい。だが生まれた時に障害をもっていることがわかる人たちもいる。
 六一年七月一三日、「重身障者をもつ父として」『朝日新聞』東京夕刊、投稿「声」欄。親が子を殺した事件への言及から始まる。

 「わが家の四歳になる女児は重い脳性マヒで、人間としてこれ以上、奪われる何物もないぐらいあらゆる能力を失っている子供です。[…]「この子は医療の対象ではなくして、社会福祉の対象です」とか「欧米ではこんな子供は生後すぐに処置してしまうのですがね」とか、いまでも痛烈に鮮明に残っている医師の言葉の数々や、それではと不自由児の施設をたずねても、治療のみ込みのない子供は簡単に断わられる始末。[…]このような廃児が何のために生きているのか、なぜ生きていなければならないのか、この問題をとことんまで考えるとき、もし国家に施策なく医学にも力なく、社会的にも価値なきものならば、出生の直後に考慮してやるのが病児のため、家族のため、広くは社会のため最良の方法ではないかと思うことも、しばしばあります。」(石井[1961])

 また九月にはラジオドラマで脳性マヒの子供を生かすか殺すかという問題が取り上げられたという。そして同月、聴覚障害者の夫婦を描く映画『名もなく貧しく美しく』を撮った、そして今年の九月に亡くなった松山善三の「小児マヒと闘う人々」が『婦人公論』に載る。「日本全国の子を持つ母親たちを恐怖のどん底におとし入れた」六〇年のポリオの流行に言及し、米国で取材しその国では病院に金が使われワクチンによってほぼ発生がなくなったことを書く。さらに「小児マヒよりもっと恐ろしい病気」として脳性小児マヒがとりあげられる。「小児マヒが発生してから、急激に肢体不自由児に対する関心が高まり、施設の不備を云云する人が多くなった」、各国とも施設は足りておらず日本にも整肢療護園があってそう遅れているわけではない、ただ理学療法師と職能療法師(作業療法士)が足りていないという当時整肢療護園の副園長小池文英◇(→本誌連載一二四・二〇一六年三月号)の言葉を引く。さらに『しののめ』で安楽死が議論されていることを花田春兆の言葉を引いて紹介。もう一度話は米国に戻り、障害児を外に連れ出すことにためらいがないこと、それは羨ましいと語る花田の母親の言葉を紹介する。そして「ニューヨークのラスク研究所の所長のドクター・ラスクは「不幸にして肢体のマヒに襲われたなら、マヒによって失われたのは何かを考えなくてはならない。自分にはあと何が残されているかを考えて生きることが人間の偉大さを立証するものだ」といっている。/CPの花田氏も「CPの治療は、自分でそれを克服するより他にない。使えるところをどんどん使えば、その部分は、その部分の能力以上の働きをしてくれる」といっている。[…]/生産にたずさわるプライドと喜びを、一日も早く彼らのものにしてあげたい。整肢療護園はもちろん、全国、どこの施設でもよい。そこを訪ねた人々は、異様な感動を持ちかえるだろう。施設の中に脈々と波うつものは、偉大な人間の意志そのものである。小児マヒやCPは、たしかに恐ろしい。しかし、どんな恐ろしい病気も人間の心までむしばむことはできない。一日も早く、社会へ、家庭へ復帰しようと努力する姿は、感動なくして見ることはできない。しかしこうした感動とは、一日も早く無縁でありたい。衆知をあつめてこの問題にあたることが、人間の、人間としての勝利を永久なものとするだろう」と終わる(松山[1961])。
 これらを受けて脳性まひの人たちによる文芸同人誌『しののめ』が六二年四月三〇日付の第四七号で「安楽死をめぐって」という特集を組む。[…]」

「★04 その人の書いた見開き二頁の文章がネット上で販売されていた(Dingley[1955])。どの雑誌に載ったものかは広告の写真からはわからない。私は購入していない。以下記す時期・場所について荒井裕樹◇、大谷いづみ◇、廣野俊輔◇他の研究があり各々重要。ただ紙数の関係でまったく紹介できない。」


UP:201609 REV:
7.26障害者殺傷事件  ◇『現代思想』2016  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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