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「Development Update南部アフリカのエイズ問題特集
編集者序文」

斉藤 龍一郎(さいとう りょういちろう) 斉藤さんによる最終更新日:不明.
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アフリカ日本協議会(AJF)
「Development Update南部アフリカのエイズ問題特集 編集者序文」
(再録元ページ:http://www.asahi-net.or.jp/~LS9R-SITU/Development_Update/preface.html)
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*この頁は故斉藤龍一郎さんが遺されたホームページを再録させていただいているものです。

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last update: 20201225


昨年9月段階で執筆されたこの序文には、アフリカのエイズ問題解決のための取り組みが直面している課題が簡明にまとめられています。



■編集者序文

本巻は、南部アフリカにおけるHIV/AIDS問題を特集している。このことは、エイズが、いまや2カ国を除く全てのSADC各国の生活や開発のあらゆる領域において、エイズ危機とも言うべき、大きな影響を及ぼしていることを考えれば、特段驚くことではないだろう。8年前の1997年、国連開発計画(UNDP)は、エイズがこれまでの開発の成果を台無しにするであろうと予測した。さらに、HIVをサハラ以南アフリカ諸国にとって、貧困削減の成果を覆し、経済や社会面での崩壊と貧困を際立たせる新たな脅威としたのである。現在、UNDPは毎年出版している人間開発報告書の中で、自らの予測が正しかったことを明らかにしている。例えば、2004年7月に出版されたUNDP発行の「チョイス」誌増刊号の中で、当時のUNDP総裁マーク・マロック・ブラウン氏は次のように語っている。

HIV/AIDSは、アフリカにおける最も深刻な問題といえます。特に、南部アフリカ諸国では、7人に1人の成人がHIVに感染しているのです。HIV/AIDSがこれらの社会に与える影響は、その規模、深刻度、インパクトからいって、政府や地域社会が適切に機能する能力を破壊しています。

ブラウン氏はさらに続けて、次のように警告している。

世界がミレニアム開発目標のうち、HIV/AIDSに関する項目を達成しない限り、全てのプロジェクト目標に係わる2015年までに極度の貧困と飢餓をなくすという項目をはじめ、普遍的初等教育の達成、ジェンダーの平等の推進、幼児および妊産婦死亡率の削減、環境の持続可能性確保といった、残りの7項目が達成される見込みはまずないと言えます。なぜなら、HIV/AIDSの影響は、全ての項目に関わってくる問題だからです。

本号の最初に、マリー・オグラディ(Mary O'Grady)は、UNDP、国連合同エイズ計画(UNAIDS)他が明らかにしてきたことをもとに、南部アフリカ諸国のHIV感染に関する統計に対して、徹底的な分析を行っている。不幸なことに、その数値があまりにも想像を絶して、信じがたいがために、統計そのものが、HIVに対処する際の障害の一つとなっている。南部アフリカ諸国で、HIV/AIDSへの対応が複雑化している原因は、南アフリカ共和国大統領がHIVに関する統計に疑問を投げかけ、さらには、病気そのものを疑いだしたことにある。このような状況が数年にわたって続き、その結果、南アでは、統計に重きを置く国でありながら、HIV感染率という統計のみ無視されるという異常な事態に陥ったのである。例えば、2004年9月に公表された2003年の妊婦検診に関する統計に対して、政府から論評が出されることはなかった。その一方で、同じ月に公表された犯罪統計に対しては、政府から詳細な論評が出され、毎週更新されているアフリカ国民会議(ANC)のウェブ・サイトニュース=「ANC Today」で、大統領自らがその内容を強調している。2004年10月1日、ムベキ大統領は次のように書いている。

犯罪を防ぎ、そして犯罪に立ち向かうために、この犯罪統計を活用していかなければならない。これらの統計を注意深く分析し、私たちの社会を特徴付ける他の要因と関連付けていく必要がある。

たった一つの願いは、政府から発表されるにしろ、あるいは統計学者から発表されるにしろ、HIVに関する統計についても、政府が同様の扱いをしてくれることだ。統計の結果に疑義をさしはさむ声がある中で、読者の注意を促したいのは、オグラディは、乳幼児死亡率や成人死亡者の平均年齢といった「わかりやすい」数値を含む、広範囲なデータを活用していることである。これらのデータを基に、オグラディの分析を読み進めると、すでに飢えと貧困に悩まされている南部アフリカを、エイズ危機がさらに苛んでいる様子が浮かび上がってくるのである。スワジランドでは、2002年までに幼児死亡率が1000人中149人にまで増加した。より簡単に表現すれば、10人のうち一人以上の幼児が5歳の誕生日を迎える前に亡くなっていることであり、10家族のうちの1家族が、子供の幼い死を悼んでいるということである。一方で、ベルギーでの幼児死亡率は1000人中6人である。この衝撃的な事実の前では、「全ての人は、平等に尊厳と権利を有して生まれてくる」とする世界人権宣言の文言がむなしいものに響く。そして、さらにいらだたしいのは、HIVが、貧しくて権利を剥奪されている人たちから、自分たちが生きている間に生活を改善したいとする希望すら奪い取ってしまっていることである。オグラディがここで書いているように、UNDPによれば、幼児死亡率を3分の2削減するというミレニアム開発目標の第4項目の達成は、サハラ以南アフリカ諸国では、101年先の話なのだ。私たちは今前例のない人類の危機に瀕しているというのに、HIVについて知られていること、語られていること、そして書かれていることと、実際になされていることがあまりにも乖離しているのである。

この点から言えば、HIVは私たちの地域の良い統治に対する歴史的な挑戦であり、アフリカ連合が口にする野望の試金石でもある。HIVはNEPADの優先項目の一つである保健の分野での行動を緊急に求めるものである。NEPADの保健戦略はこの点を理解していて、「アフリカの開発努力を阻む壁は、HIV/AIDS、結核、マラリアをはじめとする感染症の感染拡大が止まらないことである。これらの疾病の感染拡大に対処しない限り、開発を成功させることなどかなわぬ夢のままである。」( http://www.nepad.org/Priority areas/Health Strategy

アフリカのこの地域で、HIV/AIDSに対する模範的な対処に端緒をつけたのは、紙の上の話ではあるけれども、南部アフリカ開発共同体(SADC)である。1996年、ヨーロッパ連合(EU)とSADCはマラウイでHIV/AIDSについての共同会議を開催し、HIV/AIDSに対するSADC行動計画を作成した。その計画書は、人間開発を所掌する各国担当相に、そしてさらには1997年のSADC閣僚級会議に提出される予定であった。これらが実施されることはなかったが、それ以来、この件についての、ワークショップが開催され、規約、ガイドライン、声明が発表された。その動きは、2003年7月、各国首脳によるHIV/AIDSのSADCマセル宣言で頂点に達することになる。この宣言では、以下のような深い懸念が表明されている。

HIV/AIDSは、私たちが過去何十年にも亘って積み上げてきた開発の成果を覆すとともに、地域における持続性ある開発に対して多大な脅威を与えている。経済のあらゆる分野で最も働き盛りの人たちが失われていっている。生産性は落ち込み、少ない資源は、HIVに感染したり、HIV/AIDSの影響を受けていたりする人たちのケアや、各分野でHIV/AIDSの影響を緩和しようとするためにつぎ込まれている。その結果、孤児が増加し、家族は崩壊に追い込まれている。

NEPAD保健戦略やSADC戦略計画(2003-2007)が作成されているにもかかわらず、これらは、いまだSADC各国で、共通の目的として共有されているわけでも、また財政的に裏打ちされているわけでもない。本巻の各論考にあるように、エイズは地域全体に影響を及ぼしている危機である。しかし、SADCはこの事態に対応するための地域的な「戦闘計画」を策定していない。各国の対処方法は互いに調和しないものとなっているのである。(「倫理、法律とHIV」ボツワナ・ネットワークのクリスチャン・ステグリングの記事にあるように)一つの例は、ボツワナだ。ボツワナは、HIVを無視しようとする政治的流れに抵抗し、現在2万人に及ぶ患者の治療を行っている。さらに、重要なことは、国家が策定したビジョン2016にHIVとの戦いを取り込まなければならないと公に認めている。その一方で、レソトのような国もある。レソトは、最近、HIV克服のための政治的決意を表明したが、それにもかかわらず、もし、HIVが克服されなかったら、自らが作成した国家ビジョン2020の達成が大きく脅かされるとの認識を示してはいない。SADCが今しなければならないのは、全ての国々がボツワナと同様の認識を持つよう促し、その緊急性を認めさせ、より大がかりな取り組みを行うよう導いていくことにある。



状況はどうなっているのか?

元UNAIDSスタッフのハイン・マレーが、最近著わした一文の中で、この5年間のエイズ・アドボカシーの成果を祝福しつつ、「問題とすべき傾向」について以下のように書いている。

 いくつかの点で、何について確実なのかという理解を誤らせるような一連の決まり文句が使われ始めている。そして、その結果、効果的な方向で制度的な対応がなされない、という事態まで生じ始めている。加えて、エイズに関わる人々・取り組みの中に、疫学的・社会学的調査の豊穣の中からアドボカシーに有益な材料をつかみ取ることを困難にし、エイズと立ち向かうのあたって絶対に必要とされる一つのディシプリンに留まらない取り組みの萌芽を摘み取ってしまいかねない、やっかいな裂け目が広がりつつある。(Isandla, 2004)

マレーの指摘は時宜を得ている。開発に関わるさまざまなテーマの場合と同様に、エイズ危機による被害の軽減に寄与することを謳いつつ、エイズ対策の拡大に寄食する人々の動きを産み出してきた(当初の計画では、この巻に、しばしば、政府に対しては熱心にアカウンタビリティを求める一方で、自らのアカウンタビリティについては別の基準を設けているNGOのアカウンタビリティを検証する考察も掲載することとなっていた)。いつもどこかで会議が開かれているという状況の中で、エイズ危機の克服に向けたアジェンダだけはいくつも出されてきたが、実際の活動強化につながっていない。その結果生じたエイズ危機(そして開発課題)の政治的な無視が、国際的な援助協調の努力や対象とされるコミュニティを理解しようともしない二国間援助アジェンダが入り込む隙間を作り出してきた。援助国、研究者、「アクティビスト」そして全てのHIV陽性者を代表しているかのようにふるまう少数のHIV陽性者たちが合体して、HIV陽性者・エイズの影響を受けた人々の大多数とは無縁な、活動のあり方や成果について相互批判を行わないある種のコミュニティを作っているのだ。こんなことが起きてはいけなかった。米国におけるエイズ危機発生の頃から、HIV陽性者はエイズ対策の策定・実行の全てのレベルに参加するだけでなく問題を暴き適切な運営・実行を保障することを求められてきた。しかし、エイズ危機の影響を最も深刻に受けているにもかかわらず、南部アフリカには、HIV陽性者たちを統合する運動が未だに生まれていない。

従って、紛れもなく英雄的なHIV陽性者自身による活動があるけれど、大きな危険性をはらんだ状況が続いている。「真実」や「発見」が自明視されてしまっていく中では、疑問や批判が封じられていくだけでなく誤った認識が常識化されてしまいかねない。エイズ危機の中でのこうした状況によって、銃弾によるようなあからさまなものではないが、結果として人々は殺され、ひどく傷つけられてしまっている。法律用語で言うdolus eventualis(災禍の発生を予期しつつ事態を放置した罪)が問われているのである。エイズに立ち向かうにあたって、実効性を目指す相互批判と現状分析に基づくパートナーシップがなぜ重要なのか、エイズに対する社会のさまざまなレベルでの対応に潜む問題を見逃すことがなぜ悲劇なのか、理解してもらえたと思う。そうして、各国政府がエイズ政策の失敗に対する批判を受けるのは当然のことだが、誰も高みに立って攻めることはできないし、またすべきではない。なぜならHIV/AIDSの歴史は政策の失敗の歴史であるだけでなく、社会的な対応の失敗の歴史でもあるからだ。

私達自身のエイズ危機への対応が錯綜している状況の中で、この巻の編集を要請された時、私はまず断ろうと考えた。これ以上、(勝手なことを書いた)エッセイ集を出す必要はない、それもドナーへの献辞が刷り込まれた本など不要だ、と考えたのだ。そして、現在もそう考えている。それでも、この巻の編集を担当することが、一連の「古びた問題」を新たな方法で考察し調査を行うきっかけになり、改めて適切な対処法を追求することにつながると考え、引き受けることとした。

2004年9月に依頼を受けた著者たちは、この巻に掲載された論考をあわただしく同月中に執筆した。ペリス・ジョーンズの論考「贈与と返礼:援助機関による支援の政治なそして実際上の欠如を超えて」が主張していることからすれば皮肉なことに、援助資金を得て同年12月までにこの巻を発行するのか、それとも支援を受ける機会を逃すのかという選択によって締め切りが決められたのだった。その結果、どの論考も十分に練り上げられているとは言えないだろう。しかし、これらの論考は、HIV/AIDSに関するいくつかの「常識」を問題にし、エイズに関する公的な言説からはしばしば排除ないしは無視されている真実を明示し、分析しそして言明しようとする、歯に衣着せぬ未完の荒削りの試みに違いない。

掲載した論考は、おおまかに言って、現状分析、「常識」の再検討、困難な条件の中でのARV治療実施の試みと課題、という三つのグループに分類できる。オグラディ(O'Grady)、ムシマン(Msimang)、エカムバラム(Ekambaram)そしてハチョンダ(Hachonda)は、さまざまなことが錯綜しながら変わりつつある現状を分析している。これらの論考を概観すると、エイズ危機は数百年来の課題が現在もあることを浮き彫りにしていることが判る。すなわち、エイズ危機の把握と克服には、病気の状況把握と医学的介入が必要なだけでなく、政治的諸要因の理解と社会的介入が必要なのである。執筆者たちは現状を分析しただけでなく、課題提起もしている。ムシマンとエカムバラムは、伝統的な女性運動がなぜ女性へのエイズ感染拡大に対する取り組みを組織できなかったのかを明らかにしようと試みている。実際、研究においても政治においても以前にもましてジェンダーギャップが広がっている中で、一部の知識人だけがジェンダー平等を求める闘いを挑んでおり、多くは旧来のやり方から脱していない。また、彼女らは、女性の尊厳を傷つける公的・非公的なHIV対策、とりわけ「処女検査」が広く受け入れられていることに対して、警告を発している。バーガー同様、彼女らも女性のHIV感染が比率以上に多いことを女性が男性の欲望の前に無力な犠牲者であると言う見方を否定している。その一方で、慣習、宗教、失業そして貧困があいまって、女性たちから自らの性をコントロールし得る社会経済的な条件を奪い、一方で女性の性をいくらかの安全と救済をもたらし得る商品に仕立てていることを、指摘している。

アデュダー(Aduda)とハチョンダによる論考は、人権を守り育てることがHIV感染予防と治療を包括する取り組みにとってなぜ重要かを論じている。1990年代初めに作られた、十分な情報開示を受けての自発的なHIV抗体検査受検と秘密保持の重要性に基づく「人権モデル」が、改めて注目を浴びている現在にタイムリーな論考である。また、人権とHIVというこの巻の主要なテーマの一つをくっきりと浮き彫りにしてもいる。HIV/AIDSに関わる取り組みは、常に再評価と戦略の見直しが求められる取り組みであり、昨日までは真実であったかもしれないが今日は間違っていることにしがみつくようなものであってはならない。たとえば、HIV抗体検査に関するリスク対便益計算も10年経てば大きく変わっている。HIV抗体検査は、かつて感染者と非感染者を振り分けるアパルトヘイトを強化するものとして使われてきた。その結果、今日では、多くの国々に差別から人々を守ろうとする法が設けられ政策が実施されている。10年前、HIVに感染していることを知っても可能な治療はごく限られたものでしかなかった。今日、HIV感染を知ることは、ケア・プログラムを受けられるということであり、また、ARV治療を視野に入れるということである。こうした状況の中で、ボツワナで採用されたようなルーティンHIV抗体検査の推進を主張する人々がいる。

しかし、この間の変化を確認し、人権とHIVに関するアプローチの中で重視すべき点が移っていることを受け入れたとしても、カウンセリング抜きのHIV抗体検査への道を開き、人々のプライバシー保持の権利を脅かす動きを後押しするような「新しいやり方」を推進しないことは重要である。たとえば、オーストラリアのミカエル・キルビー判事は、エイズ危機の巨大さを見据えながら、広く以下のように問うている。

途上国、とりわけアフリカ諸国におけるエイズ危機がいかに巨大で、緊急の対応を要しており、また手強く、スティグマと差別による苦しみを引き起こしているからと言って、個々人が納得いくまで説明を受けることを軽視するようなルーティンHIV抗体検査が導入されるべきなのか?

キルビー判事の問いに答える中で、変わったこともたくさんあるが、一方では変わっていないこともたくさんあることを、改めて確認しなければならない。UNAIDSのエイズ現況報告2004年版によれば、途上国においてARV治療を受けることができているのは、必要とする人の7.5%にすぎない。HIV感染予防プログラムでさえ20%をカバーしているに過ぎない。コンドームは必要数の4%しか確保されておらず、HIV母子感染防止プログラムを受けることができる女性も10%にとどまっている。こうした中で、「人権原則の内容を柔軟に考えるべきだ」とされ、また、リスクも時には正当化される、と受けとめられているのであれば、我々は、人権を守る取り組みが弱まることで数十万の人々が大きな災厄に苦しむと言う可能性について常に目を見開いていなければならない。



「常識」を疑う

この巻では、以下の5つの「常識」について検討を加えている。

  1. 女性は、持って生まれた欲望やセクシュアリティによる選択やリスクのためではなく、おもに「無力さ」のために、HIV感染に関するバルネラビリティ(感染につながる可能性が高い状況におかれること)が高い。
    ジョナサン・バーガーは、論考のなかで、「女性のバルネラビリティ」は、女性や少女たちのHIV感染率がより高いことへの「不完全な」説明であると反論している。彼は、性(ジェンダー)の不平等、暴力、社会経済的依存が感染リスクを決定する主要要素であると反論しているのではない。しかし、彼は、性欲についてあまり言及することや受け入れることを好まない人々の口から、よりたやすく吐き出されるこの説明が、その他のリスク要因を閉め出してしまっているということについて論じているのである。それは、女性の性欲や性の喜びを含んだ、人の性行動について、これまでの研究が私たちに教えてきたことを見落とさせてしまうということである。事実を無視すること(あるいは質問をしないこと)によって、(男の欲望に屈してというのではなく、時には性欲によって左右されている)性が予防という言説から除外されてしまうので、HIV感染予防に影響を与え、そして人々(特に女性や少女)に、彼女らが必要としている以上のリスクを押し付けている。バーガーは、HIV感染予防は、人々が安全にセックスを楽しめることと両立するものでなくてはならないし、また男女ともに抑制を強いるものであってはならないと論じている。「処女検査」の実施や世界最大の援助国であるアメリカが意図的政策的に「禁欲(abstinence-only)」プログラムに焦点をあてている現在、このメッセージはきわめて適切である。しかし、このメッセージは極端なケースのみに対応したものではない。というのも、現在の主流派そのものが、女性や男性や性については断片的な誤った記述に陥っているのである。

  2. 異性愛の人々に焦点を当てたHIV予防のプログラムは、正確に概念化され、構築されている。
    論考「HIV危機を再び性の観点から見る(Re-sexualising the Epidemic)」において、バーガーは、南部アフリカ諸国のHIV感染予防プログラムが、いくつものグループ、特に最もHIV感染につながりやすい性行動をとるグループを対象としていないことを問題にしている。獄中者やゲイ、セックスワーカーといった人々が、国家による抑圧と援助国・機関や国連による無視があらゆる人々に生存のための情報を提供することを拒んでいることによって、第一の犠牲者とされているのである。このことについて、途上国では主に異性間性交渉によってHIV感染が拡大しているということが、理論的根拠とされている。しかし、バーガーは、「『汚れた人々』のセックスは、そうではない(汚れていない)私たちの性とは切り離されうるものである」という、口には出されない考えに対し的確な警告を発している。性活動に第一に影響を与える性欲という観点に立ち戻った時、感染予防プログラムが想定する以上に、「汚れた」セックスと「受け入れられる」セックスとは入り交じっており、ごく一般的であると彼は指摘する。多くの既婚男性が他の男性ともセックスしているし、異性愛の男性の多くもアナルセックスをしている。実際には、エイズへのメッセージを発している上品な社会が想定している以上に、より多くの人がセックスワーカーを利用しているのである。

  3. 政府と市民社会との間のパートナーシップは、うまく構築されており、本来的な問題を抱えてはいない。
    現実の社会分析よりも願望が、公的保健プログラムのみならずエイズ予防を支配しているとすれば重大な問題である。長い年月にわたる植民地主義やその後のポストコロニアリズムが政策決定から大多数の市民を締め出してきたけれども、幸運にもアフリカン・ルネッサンスの旗手たちに励まされて、ほとんどのSADCの国々(スワジランド、コンゴ民主共和国、ジンバブエなど)は、現在、活発に民主主義へとコミットし始めている。しかし、SADCのほとんどの国々では、このデモクラシーがまだ断続的に投票権を行使するにとどまっており、HIVとエイズにまつわる関係を含んだ、あらゆる公的な関係を覆う原理を持つというところにまで至っていない。この巻では、 NGOメンバーやエイズ・アクティビストたちがHIV/AIDSの感染予防計画、治療計画の立案から事実上切り離されていることが、ボツワナや南アフリカに関しては詳細に、アンゴラ、ザンビア、ジンバブエについては簡略に、多くの論考で記述されている。これらの論考の目的は、パートナーシップという概念をす攻撃することではなく、パートナーシップの名の下で取られている「平凡な」アプローチを問題にすることである。パートナーシップを築き、維持することの困難さを曲解するという危険性の一つの例が、GFATM(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)の資金拠出の方法である。GFATMにおいては、提案がCCMs (Country Co-ordinating Mechanisms)と呼ばれるパートナーシップを通じてのみ行われている。多くのCCMsは本物のパートナーシップではないので、NGOが資金拠出を申請し受け取ることを目指した世界でもまれなメカニズムが、実質的にはNGOに対して閉ざされているのである。

  4. 全ての援助機関・国の援助はよいものである。
    開発への援助機関・国の援助は諸刃の剣であると長い間認識されてきた。同じことがHIV/AIDSにも当てはまる。ペリス・ジョンズは、善意を強調し悪意を見せない独自のアジェンダを持つ二国間援助の提供国によって形成される困難性と危険性について調査し、論考で立証している。しかし、ここでの目的はHIV/AIDSに関わる取り組みへの援助機関・国の援助を拒否することではない。その逆である!実際にサブサハラアフリカはイラクへの戦費やEUの農夫たちに支払われる補助金と同じだけの資金を必要としている。しかし、援助機関・国の援助は、援助機関・国と受取側の政府の間で調整し信頼関係を築くこと、さらにWHOのような機関が公的保健とその改良に貢献するものであると認めたプログラムに、正確にかつ透明に、援助がある程度まで使われるということが条件付けられることが必要である。

  5. HIVやエイズについてのあらゆる研究は正当化される。
    HIV感染は、おそらく医学史上もっとも研究されている医療状況である。基礎科学や臨床研究は、比較的短期間でエイズを引き起こすウィルスの病原体の特性を発見し、論文等に書き表された。20年弱前に効果的で安全な治療が可能になった。ただし、治療が受けられるというわけではなかったが。
    HIV感染のリスクや貧困、ジェンダー、年齢の間のつながりについての研究は山のようにある。しかし、ゴフィー・セットは論考のなかで、エイズの研究が自己目的的な(self-perpetuating)モンスターになって、HIVに対してバルネラブルなコミュニティのためにではなく、次の会議あるいは刊行物までに研究の成果を出そうといったように、研究者自身の思い通りに研究を行うようになる危険性があると、暗に警告を発している。研究への理想的な応答として、この巻で述べているように、研究の成果を検証することよりも、研究から得られた知識の効果的な活用を確かなものにすることに、より多くの注意が払われるべきであろう。すでに存在している知識の実用を具体化することや、HIVワクチンや殺菌剤のように、我々が未だ得ることができていない、いくつかの科学の分野により焦点をあてて、熱心にそして資源を集中させるための調査を行う領域において、研究継続の根拠があると言えるだろう。

これらの5つの「常識」を調査する目的は、HIVについての私たちの理解を壊すことではなく再構築することである。ここで取り上げた論考の著者たちは、誰も、私たちが知っているHIVについて、その感染しやすさや、その人間の免疫システムへの影響、そして、そこからもたらされる人間社会への影響について科学的に実証された知識から逸脱していない。逆のタイプの調査の影響は、私が著した論考の中で書かれており、その中で、私は南アフリカでの「エイズ否定主義(AIDS denialism)」の歴史を辿ろうと試みている。この論考は人々を怒らせるものともなるであろう。人々を怒らせるような論考は不当であり、そうすることは共同して取り組むことにダメージを与え、遅らせる結果となるであろうとの論難もある。そのようにならないようにすべきである。南アフリカにおいては、エイズの否定が悲劇と止まらない感染を生む結果となったのは事実であり、その過程が書き留められ、二度と繰り返されないということは絶対的に必要なことである。有名なオーウェルの名言を誤用すると、エイズの感染の歴史について書き記すことに関して、私たちは次のことを言えるであろう。「すべての人に罪があるが、しかし、その中でも他の人々よりも、より罪深い人々がいるのである。」



治療はどこまで実現したのか?

幸運なことに、SADC地域において、南アフリカ政府は政治経済的に卓越しているが、HIVやその治療についての見解はSADC地域に移転されなかった。さらに、ボツワナのような国々は全く逆の道を選び、2002年からエイズとともに生きる人々に希望を与える治療プログラムを開始した。これらの介入の重要さにも拘らず治療プログラムの実際の実施について書かれていることがかなり限られていることから、この巻の重要な部分は抗レトロウィルス治療の実施状況に焦点があてられている。アディラ・ハッシムによる地域概観は、WHOの3by5キャンペーンが与えた刺激に助けられて、抗レトロウィルス薬を使ったHIV治療プログラムが今、南部アフリカのほとんどの国で開始されているということが、明らかにしている。

HIVに感染した人々を治療することは、もはや我々の良心において、世界が背を向けてはならない、倫理的かつ社会的な責務である。治療の遅れは、防ぐことができた多くの人々の死をすでに現実のものとしてきた。しかし、今は治療がはじめられており、治療の需要を高める助けをしてきた北のエイズ・アクティビストのコミュニティは、正直に、治療へのアクセスの拡大は、これまでにない規模と複雑さをもった開発と医療のプログラムであるということを受け入れなければならない。このような困難な状況において、これほど希望を与えることが医学史上において今までにあっただろうか。SADCの全ての国において、このプログラムの中期的かつ長期的な持続可能性は、保健システムの急速な発展や社会的インフラの改善、および貧困の緩和に左右されるだろう。そのためには、第一世界のエイズ・アクティビスト・グループは、その活動を開発関連の組織や債務免除のキャンペーン、第一世界(および我々の国)の民主的なガバナンスと統合する必要があり、とりわけ、第一世界の普通の人々に、世界的な不平等という不公正とその事実に心を痛め、そしてそのことに関わって活動する必要があること、とりわけ、HIVが世界の最優先事項であることを説得力をもって訴え始めなければならない。

ベリンダ・ベレスフォードとクリスティーヌ・ステグリング、ファリード・アブドゥラの3つの論考は、治療が、南アフリカの地方部、都市部、資源に恵まれない地域においても、提供されうることを証明している。南アフリカ・西ケープ州のエイズ・プログラム責任者であるアブドゥラは、次のように見積もっている。6000人が現在治療を受けており、2005年の間に、ARVを必要としているほとんどの人が公的保健サービスを通じて、薬にアクセスできるであろう。南アフリカの東ケープ州のルシキシキの村では、現在350人が治療を受けており、2004年末までに1000人の大人と100人の子どもに治療を提供することが目標である。ボツワナの首都のガボロネのプリンセス・マリーナ病院から8300人が治療を受けている。これらの論考は、エイズを発症した数万人の人の生活がこうした治療へのアクセスによって改善されつつあることを示している。また重要なことは、これらの論考は、治療実施の必要性を訴える声に対して、過去にはHIV感染予防の強化と保健サービスの改善が必要との理由で否定的であった多くの人々によってなされたさまざまなクレームから真理を明らかにしつつある。

これらのいくつかの例は、人々を治療するための私たちの地域の貧弱かつ抑制された努力でさえも、より広く効果が表れうるということについての教訓や知識をすでに生み出しているということを示している。

しかし、収録した論考はまた、治療プログラムの確立に関わり直面している課題や潜在的な落とし穴があることも明らかにしている。

この巻の論考から導き出され得る結論が一つだけある。それは、私たちが目の前で知っていることや、ここでこれまでに何度も述べられていることであるが、SADC地域の政府の指導者やビジネスのリーダーそして市民社会は、細部への主張を超えて活動する義務がある。HIVへの反応は、アフリカン・ルネッサンスへの自らのコミットメントを測るテストでもある。南アフリカでのHIVの著しい広がりは、コロニアリズムとアパルトヘイトによって形成された土壌と大きく関係がある。しかし、その解決策は私たちとともにあるものである。 HIVは開発の災害となっているが、それは、開発の機会ともなりうる。現時点までのところ、SADC諸国とそれぞれへの個別の援助機関は、エイズ危機に対する表面的な対応以上のものを提供することも、また、彼ら自身によるよくできた一連の解決策を実行に移すこともできないでいる。

しかし、人々の声の連帯によって、社会サービスにおける投資計画を具体化するための債務免除と、途上国による保健へのより大規模な投資を要求するためのWHOのマクロ経済と保健についての委員会の勧告を利用することと、保健システムに資源を引き出すためのWHOの3by5キャンペーンを用いること、これらをつなげるという機会が今は存在している。

※文中の用語のいくつかについては、AJFのウェブサイト( http://www.ajf.gr.jp)に解説があります。


目次


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資料集『 貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ』目次

南アフリカ共和国におけるHIV陽性者自身の闘いについては、以下の本もご覧ください。

Witness to AIDS by Edwin Cameron(南ア最高裁判事)



■斉藤さんの近況、リンク等

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日々のすぎる中で
グギとエメチェタのこと
あれこれ
よろしく。

読書ノ-ト です。




昨年、亡くなったスティ-ブン・J・グ-ルドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きました。


by 斉藤 龍一郎




*作成:斉藤 龍一郎/保存用ページ作成:岩﨑 弘泰
UP: 20201225 REV:
アフリカ日本協議会(AJF) 斉藤 龍一郎 
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