今日は2004年12月16日、木曜日午前9時14分。
先週末開かれた「バリアフリーの東京大学」に参加して、二日市安さんに関わる話を聞くことができた。しばらくお会いしていない。連絡を取ってみようと思う。
「専門家支配」ということばがある。このことばに関わってくるような具体的な場面を思い浮かべていると、専門にしていない分野でも「答え」を求められる「専門家」はかわいそう、という気にもなる。しかし「支配」ということばが「依らしむべし、知らしむべからず」の意味で使われている現状があることも事実だ。昨年、4人の協力を受け、「国際エイズ治療体制構築サミット最終報告書」を翻訳した。この報告書は、「専門家支配」とは何か、どのように実践的に乗り越えていくのかを考える上で役に立つのではないかと考える。
今日は2004年12月3日、金曜日午後5時57分。
アマゾンのアソシエイト・フィーで「リハビリテーション国際協力入門」を買った。良くできた本だが、発行数が少ないのだろうか、ちょっと高い(3150円)。明後日、日曜日の午後に著者の一人・久野さんを囲んで障害学研究会関東部会が開かれる。僕自身は、国際シンポジウム 『HIV/AIDSとともに生きる在日外国人の 支援と共生のあり方を考える』に参加することになっている。興味を持った方は、直接、会場に来てもらえるとうれしい。
先日、京都へ行った際に著者から買ってきた「ALS:不動の身体と息する機械」を読んだ。528の引用で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と向かい合いながら生き抜いてきた人々の声、支える動きを伝えている。発病し呼吸困難な状態に陥っても、人工呼吸器をつけて生きればいい、というメッセージは、ALS患者だけに向けられたものではない。449pの本でなければ伝えられない想いも情報も込められている。
今日は2004年8月27日、金曜日午後6時51分。
この5月いっぱいで20年勤めた解放書店を辞めた。業績不振で赤字が資本金を上回ってしまい、とてもじゃないが3人雇用は無理、という状態だった。
で、職安に通いながら、合間を見て、AJFの作業をしたりしている。2度、職安から紹介状を出してもらって、履歴書・職務経歴書を送ったが、どちらもダメだった。この2件は、かろうじて月収25万円を超えそうだった。
アマゾンのレポートを見て、びっくりした。「スミルノフ高等数学教程」なんてものがまだ売られていたんだ!
商品リストには、グールドの本も何冊も入っているし、以前、グールドの本を何冊も買ってくれた人なんだろうなぁ、きっと。ありがたいことだ。
今日は2004年4月9日、金曜日午後4時25分。
年度末進行に追われて、ずっと更新していなかった。
先日、アマゾンからアソシエイト契約の件で案内が来たので、トラフィック・レポート、売り上げレポートを見た。2月に5点注文した分が入っているなと思っていたところ、3月に、僕のページを経由してグールドの本を何冊も買った人がいたので、紹介料が1000円を超えていた。
4月に入ってすぐ"Global Prescriptions Gendering Health and Human Rights"を注文した人もいた。
1990年代の国連・国際機関の政策模索と女性運動の関係を実証的に紹介し、成果と課題をコンパクトに解説したこの本には、現在のHIV/AIDSをめぐる動きの中でゲイ・リベレーション運動の切り開いてきた地平と併せて踏まえておくべき女性運動の到達点が鮮明に記されていて、非常におもしろい。
今、読んでいる第4章では、世界銀行の模索(昨年、世銀は障害者インターナショナルの元代表を顧問として迎えている)を他の国際金融機関(IMFほか)を比較しながら解説している。
第3章のHIV/AIDSがなぜ女性の問題となってきたのか、ますますなっていくのか、という報告は、ぜひ一読して欲しい。
今日は2004年2月20日、金曜日午後1時15分。
今朝、職場にルーターを設置したので、やっとブロードバンド環境になった。
ヨドバシカメラで、「ルーターとハブの間に使うケーブルはクロスじゃないのか?」と質問したのに、「ストレートで大丈夫です」というので、ルーターだけ買ってきたところ、やはりクロスケーブルが必要にだった。
最近のルーターはストレートだけで全部構築できるみたいだが、組んで5年になるネットワークではまだまだクロスケーブルが必要だ。
ダイヤルアップしなくてすむようになって、気分も楽だ。
今日は2004年2月19日、木曜日午前11時15分。
今日は新聞発送の日。昨日届いた雑誌が2号分(3月号と増刊号)、今朝届いた新聞、職場で山になっている。
福島さんの選挙グッズも届いたが、肝心のリーフレットは増刷中とかで、シールしか入っていない!!身の回りのものにシールをペシペシ貼っていくしかない。
一昨日、職場内の電話工事が終わり、ヤフーBBが使えるようになったはずだったが、なかなかつながらなかった。昨日の夕方、やっと安定して接続するようになった。とはいえ、接続する機械を限定するモデムでは不便なので、ルーターを買ってきて設置しなくてはならない。
この間の日曜日、久しぶりに3時間余り歩いたので、今週はずっと足が重い。
AJFの方では、先週来、世界エイズ・結核・マラリア対策基金の活動レポート日本語版の配布作業に取り組んでいる。シェアのMLを見て、欲しいと連絡をくれる人が多い。興味を持った人は、AJF事務局あてにメール(mailto:info@arsvivendi.comajf.gr.jp)を下さい。
今日は2004年2月14日、土曜日午前9時20分。
昨夜、一ヶ月ぶりに自転車で帰ってきた。
ずっと職場と上野の事務所の間を行き来するするだけで、職場に置いていたのだった。
帰り道、お腹がすいたので、上野駅の唐辛子ラーメン発祥の店「一蘭」でラーメンを食べた。
この店は24時間営業だという。となりのイタリア料理屋は午前4時ラストオーダーという案内が出ている。
上野駅の周辺で、深夜お腹がすくとビビンパハウスでビビンパを食べるか、キムチとご飯を食べるかしかなかったころのことを、思い出してしまった。
今日は2004年2月12日、木曜日午後1時30分。
昨日、参加した集会で、26年ぶりで友人と会った。大学時代、同じ運動部にいて、進学した学部も一緒だったし、共通の仲間がいた友人だ。埼玉県の教師になったと聞いていたが、今年までは教職員組合の専従をしていて、この春から学校に戻る、と言っていた。
昨夜、友達の本棚にささっていた干刈あがたのエッセイ集で確認したところ、彼女は1943年の生まれだった(すぐ下の2月9日の書き込みを見てください)。
今日は2004年2月9日、月曜日午後5時35分。
「HOW LIKE A LEAF」でインタビューに答えているハラウェイは1944年生まれ、昨年秋に読んでハンチントン病に関する部分よりも著者の生きてきた軌跡が印象に残った「ウェクスラー家の選択 」(新潮社刊)を書いたアリス・ウェスクラーは1942年生まれ。そういえば、もう死んで10年くらいになる干刈あがたが同年代の人だろうか? 干刈あがた著「ウォーク・イン・チャーコールグレー」を思い出してしまった。
この辺で、忘れないうちに今年に入って読んだ本。
立岩真也著「私的所有論」を、要約・コメント・質疑というスタイルで半年かけて再読したことは、すごく良かった。『猿と女とサイボーグ』("Simians, Cyborgs and Women")も、あんなやって読んでみたいものだ。
今日は2004年2月3日、火曜日午後1時15分。
今頃、テレビ朝日では『徹子の部屋』が始まって、福島智・光成沢美のご両人と指点字通訳者が登場していることと思いながら、職場でパソコンに向かっている。
Donna J. Harawayへのインタビュー「HOW LIKE A LEAF」Routledgeを読み出したら面白いので、久しぶりに高橋さきのさんに電話をかけた。
僕が最初に買った「HOW LIKE A LEAF」は、ちょうどその頃「Simians, Cyborgs and Women」(『猿と女とサイボーグ』というタイトルで、青土社から刊行)の翻訳の詰めに入っていた彼女に譲ったのだった。すでに4年以上前のことだ。
『猿と女とサイボーグ』が売れているのかどうか気になっていたので聞いたら、「ボチボチ出てるみたい」とのことだった。
「ハラウェイのハの字も出さずに、解説っぽいことを藤原書店の『環』に書いた。その文章を、友達がHPに掲載している」というので、検索をかけてみた。
「生命科学とジェンダー」という文章だ。僕が、ハラウェイのことを書こうとしても、まだうまく書けないので、ぜひさきのさんの文章を読んでほしい。
今日は2004年2月2日、月曜日午後1時40分。
年末、部屋の中を片づけた際に出てきて読み始めた「Captain Swing」をやっと読み終えた。1830年秋から冬にかけて、イングランド東部・南部の農村で展開された農業労働者の運動の背景・事態の進展・その後を論じた本だ。
19世紀の前半、この農業労働者の運動が起きた頃には、前世紀来のエンクロージャーによって、イングランドでは全耕作地の七分の四を4000家族が所有するようになっていた、という。で、農村には、地主は不在で、その地主から農地を借り農業労働者を使って農場経営をする農民(というより農場経営者)、農場で働いて賃稼ぎをする労働者そして聖職者、村に住む大工や鍛冶屋などの職人とInn ownerが暮らしていた。
この農村風景は、同時代のフランス(前世紀末のフランス大革命で土地を得た自作農の住む農村)とも、第二次世界大戦後の土地改革(農地解放)で小作農の多くが自作農になった頃の日本とも違う、と思いながら読んでいた。
うれしいメールがいくつか
今日は2004年1月7日、水曜日午後5時50分。
インターネットで、しばらく会っていない友だちの名前で検索をかけたら、本人かどうか判らないが、在籍する大学の研究室の電話番号やメール・アドレスが出てきた。専攻分野を見ても、多分、友だちだと思うのだが、さてどうなんだろう?
というようなことを書いていたら、高校時代以来の友だちから電話がかかってきた。
年賀状を送ったのに、返ってくる、という電話だった。
2年前に、転職して東京へやってきた際に、会って飲んだこと、もっとさかのぼって、渋谷駅近くの公園でバッタリ出会したことなどを思い出す。
お正月に、熊本で中学の教員をやっている友だちのところへ行った。
3年ぶりくらいのことかと思っていたが、ホームページに載せている日記を読むと、2002年の正月に行っている。
以前、行った時に車が変わっていたこと(その前に乗っていた車は、エンジンが火を噴いたというのだ)、音声入力を一時期使っていたがやめた、という話をしていたこと、などを思い出した。
今日は2004年1月6日、火曜日午後4時15分。
年末年始を熊本の親の家で過ごし、昨夜、自分の部屋へ戻った。
去年の夏から、スカイネットアジア航空(SNA)が熊本便を飛ばし始めた。SNAの普通運賃は、ANA・JASに比べて一万円安い。なので昨年10月末に12月30日の熊本行きの便を予約しておいた。
ところが、搭乗日に浜松町駅で乗り継ぎ切符が自動改札から出てこなくて、搭乗手続き締め切りに5分遅れてしまった。で、「もう、乗れません」と言われてしまった。
仕方がないので、空席があるかどうかだけでもANAもしくはJASのカウンターで確認することにした。出発ロビーをウロウロしていたらJASのカウンターが目に入り、「今日、この後の便は?」と聞いてみた。午後7時15分発の最終便には空きがあるという。予定より高くついたが、何はともあれ、この日に熊本まで行けることが確認できて、ホッと安心した。
実際に乗ってみると、ずいぶんと空席があった。僕の乗ったJASより少し早く飛んだANAの最終便にも空席があったようだ。
昨秋、母親が両足を手術したので、どんなふうにしているのかな? という年末・年始だった。
母親は、人工関節を入れて、足が真っ直ぐに伸びるようになった、10月に手術した右ひざはまだ腫れているが、楽になった、と言っていた。
熊本市は、超低床市電を走らせていることで有名なので乗ってみた。
3本に1本位の割合で走っている超低床市電は、低床都バスに比べても室内が広く、電動車いすでも乗り込めそうだ。
ところが、電停が狭くて車いすが上がっていけない、これじゃバリアフリーとは言えないよ。
以前、郷土本コーナーでおもしろい本を4点(1点は新書版で12冊の一の宮町史)見つけたことがあったので、けっこう期待して本屋に行った。
山川出版社の県別歴史書シリーズのうち、宮崎・佐賀・長崎・福岡の巻が並んでいたので手に取ってみた。最初に手に取った「宮崎県の歴史」のはしがきが思わず笑ってしまうほどおもしろかったので、他の巻はどうかと見ていったところ、著編者の違いがそれぞれに現れていてどれも興味深いものだった。
1870年代の廃藩置県の時、まず四つの県が置かれた現在の宮崎県は、一度は鹿児島県に吸収されてしまった後で、1883年になって宮崎県として新設されたこと、福岡という県名が、幕藩期に福岡に本拠を置いた黒田家ゆかりの地、備前の福岡にちなんでいること、などを知った。
昨日は、空港へ向かう前に、ハンセン病療養所・菊地恵楓園の自治会を訪ねた。
昨年12月、部落解放同盟東京都連の書記局員で、いつも顔をあわせている浦本君の名前で、恵楓園自治会にいやがらせ手紙が送られていることが判ったからだ。
この件については、12月24・25日に、各地の新聞(「東京新聞」や「熊本日日新聞」)が報道しており、熊本日日新聞のWebsiteで記事を見ることができる。
熊本日日新聞2003年12月25日朝刊を見て欲しい。
僕のお薦めリンクはこちらです。
僕がこれまで書いてきたことは
近況(2020年11月13日更新)
近況2019年
近況2018年
近況2017年
近況2016年
近況2015年
近況2014年
近況2013年
近況2012年
近況2011年
近況2010年
近況2009年
近況2008年
近況2007年
近況2006年
近況2005年
近況2004年
近況2003年
日々のすぎる中で 2002年
日々のすぎる中で 2001年
日々のすぎる中で 2000年
日々のすぎる中で
グギとエメチェタのこと
あれこれ
よろしく。
読書ノ-ト です。
昨年、亡くなったスティ-ブン・J・グ-ルドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きました。