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「村田実さんという人」

文:田中 礼子/掲載:斉藤 龍一郎(さいとう りょういちろう) 19991025.
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アフリカ日本協議会(AJF)
「村田実さんという人」
(再録元ページURL:http://www.asahi-net.or.jp/~LS9R-SITU/murata/reiko.html)
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*この頁は故斉藤龍一郎さんが遺されたホームページを再録させていただいているものです。

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last update: 20210128


■村田実さん遺稿集より、田中 礼子「村田実さんという人」

 村田実さんとの「くされ縁」とも言うべきおつき合いの始まりは、「自立(律)生活」に入ってまだホヤホヤの頃、金山町時代に始まりました。それ以前の苦労時代のことは詳しくは知りません。きっかけはと言えば、友人からの紹介によるものでした。冬の季節などは隙間風と底冷えで寒さの厳しい木造で借家の一軒家。そこには村田さんの数少ない大切な家財道具が整然と置かれていた。それだけを見ても、村田さんの「自立生活」に対する熱望と決意のようなものが漲っていたように私には思えました。同時に私にとってもこれから始まる未知の世界への踏み出し。ちょっとオーバーかもしれませんが、「関わり始めたら(介護に入るからには)後には引けないナ」という覚悟にも似たある種緊張感と不安感、一方では「ごく自然体で肩肘張らずにつき合えれば……」といったような思いとが絡まり合って複雑な気持ちだったことは、今でもはっきり記憶しています。そんなド素人の私をすんなり受け入れてくれたのは、やっぱり村田さんの心の広さだったような気がします。今だから言えますが、特に私が人知れず悩みに悩み抜いたことはトイレ介護(後に女性介護者は増えていった)。当初、介護者の数も心許なく、ローテ表には特定のメンバーが懸命にうめていた、というような状況だったと思います。そんななかでは、介護に入ったからには私もあるがまま自然に任せることしかできませんでした。それは、トイレ=命に直結、ということは苦しいほどに解っていましたから……。トイレ介護の度にグチグチ文句を言われる村田さん側にとってはさぞかし不快だったことでしょう。この私の悩みの種(異性介護)は私自身の問題として後々にまで緒を引いてしまったように思います。
 いろいろありすぎるくらいあったなかで、私にとって印象深い思い出のひとつといえば、ある時、〃美食家〃の村田さんから「生活クラブ生活協同組合の支部を清瀬の地で創りなさい!」というアドバイス。そして、支部ができて班をつくったら、なんてことはないチャッカリ私の班に越境加入(後年は東久留米市の班に転入)。それからというもの私は自転車の荷台にダンボール箱を積んでは30分~40分ほどのキョリを介護のかたわらせっせと消費材を運び続けた、というわけです。時には車で我が家に取りに来て、団地の三階まで上がってきてコーヒーを一杯なんてこともありましたが……。コーヒーについてはチョットうるさく、ここでもウンチクを傾けていました。そんな関係は神宝町のアパートに移ってからもずっーと続き、ますます料理の腕に磨きをかけていったようでした。この頃、口癖のように語っていた、「若い仲間や、学生の介護者に美味しいものを腹いっぱい喰わせてあげたいんだ…」。そんなひとこまを見ても、村田さんの溢れるような生きるエネルギーと、とぎすまされた「思想」から学んだことは数知れなくあったような気がします。それから、思い出をあげれば本当に語り切れないのですが、隣近所(地域)への気配り、仲間に対しての面倒見の良さなどには頭が下がる思いでした。それだけ地域に根を張って生きることへの『こだわり』が強かったのかもしれません。村田さんだからこそなせた「ワザ」の数々だったのではないかと今にして思えばそんなふうに感じます。
 そんなこんなで、その当時の我が家の生活はと言えば、日常的に村田さんとの関係にトップリつかっていたような気がします。電話のない日は何か物足りないといったような感じで、まず、村田さんのことを中心に据えて、生活スタイルが成り立っていたと言っても言い過ぎではないかもしれません。知らない人が聞けば、少しオーバーに聞こえるかもしれませんが、もしかしたらそういった意味では、あのころの私は、村田さんによって『生かされていた』と言えるのかもしれません。
 後に、徐々にではありますが、介護の比重はむしろつれあいや息子のほうへと移ってはいったものの、村田さんとの出会いによって、そして様々な出来事を通してその後の私の生きる上での確信みたいなものといったらよいのか、道筋のようなものを、つくってくれたのではないかナ、とも思っています。とにかく中味の濃い生き方をされた人、それが村田実さんではなかったのかナと思います。
 私も遺稿集の編集のお手伝いをさせていただきながら、あらためて村田さんの文章にふれるたびに、汲めども尽きないほどの思い出がよみがえってきて、つくづく惜しい人を亡くしてしまったんだなという感慨がこみあげてきます。


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by 斉藤 龍一郎




*作成:斉藤 龍一郎/保存用ページ作成:岩﨑 弘泰
UP: 20210128 REV:
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