HOME >

「社会復帰」



■このページは、「社会復帰」に関連する様々な情報を集積しています。

<目次>
関連書籍
新聞記事


cf
 ◆精神障害/精神障害者
 ◆施設/脱施設/社会的入院

 ◇三野 宏治 2009/09/26-27
  「精神障害当事者と支援者による障害者施設における対等性についての研究
   ――クラブハウスモデル研究を通して支援関係の変換の試み 」
 障害学会第6回大会・報告 


>TOP

■関連書籍

以下、作成:阿部 あかね

■谷中輝雄 『<読者欄> 精神障害者の“里”をめざして』(「社会福祉研究」No,11、1972年10月号)

p46,右列2行
 現行の医療制度では、これら社会復帰活動の推進力たるソーシアルワーカーやサイコロジストのパラメディカルは点数化されていないサービス業務であり、スタッフを増員することはその分だけ人件費の増大でしかない。民間の病院としてはその必要性は認めるも、限度があるとの結論であった。

p46,右列25行
 やどかりの里の訓練費の額をどのように決めるかで、スタッフ一同もめにもめた。入院費に比較して同等のケアをするので5〜6万円、患者の支払能力から3万円等々と。結局3万円に落ち着いた。部屋代(一戸建ての家を借りたため)、食費等必要経費を差し引くと、残りが指導費として約1万円。1日300円少々。現在、入寮生5名中まともに支払い能力のあるもの2名。家族的なグループとして10名を限度としている。常勤のスタッフ2名を必要とする。この宿舎提供をひとつの働きとして、ほかにデイケア部門、レクレーション部門、友の会(患者クラブ)、研究部門等数多くのスタッフを必要とし、現在常勤を除いては無給。地域の中に精神医療を広げ、「治療社会」をつくっていこうとしている。そんなのは理想的でそろばんを度外視したロマンティズムだと人は言うかもしれない。

■大原重雄 『精神障害者処遇における社会福祉の課題』(「社会福祉研究」No,11、1972年10月号)

p50,右列12行
分裂病者は普通以上に他人の扱いに不平等を感じたり、特定の人に被害的妄念をいだく。不釣合いな怒り発散させる衝動行為や、自ら病的世界に沈殿してゆく逃避行為に走る“疾患プロセスによる平等意識喪失”は一時的なものである。それに、医師の診断決定と隔離措置によって二次的な“社会的規定による平等意識喪失”が加重され、最終的には病人が平等権利を放棄して復権を希望しなくなるのである。

p50,右列29行
たとえ、医学的に“精神分裂病”という明確な診断がなされようとも、その病人に残された自我能力の正常部分に働きかけて、“二次的な平等意識喪失”いわば、“社会的疾患規定による心理的後退”を減少させるために、できるだけ入院を防止し、またその期間を短縮することが必要とされる。従来精神障害者は、強制的に与えられる施設医療の中で、医療保護的な接触によって病人意識と従属的態度だけを体得したが、地域内の対等接触を増強することにより、平等な意識を保持させ、病弱な自我を強化する治療過程が得られるのである。
 平等権利や抗争の激しい現代では、労働力の不足や生活の多様化などから、精神障害者、身体障害者に相応した権利を容認しようとする実利的・功利的風潮が顕著である。特に、表面的な感覚からだけで他人を判断する高度消費社会では、外見から評価しがたい精神障害者は、外見の悪い進退障害者と違って、対等に扱われる特典がある。心理的に平等意識から疎外されている精神病者は、心を見透かされると思いながらも、対等に処遇されることによって病的な意識の分裂を統合することができるのである。

p51、右列35行
各個人の病弱な意志と集団社会の強制的な処遇により孤立、依存の両価性葛藤が促進され、“疎外される孤立依存的環境”を渇望する正常者と、一般社会から“閉鎖される医療施設”に逃避する病者を差別する習慣が成立したのである。

■林 徹郎  19720925 「管理社会と精神医療」,精神科医全国共闘会議編[1972]*
*精神科医全国共闘会議 編 19720925 『国家と狂気』,田畑書店,270p. ASIN: B000J9OSW8 [amazon] ※ m

p83,13行
「…烏山共闘会議は、これまで私的精神病院のモデルであった烏山病院が、実は資本制社会に疎外された患者を一層貧しく差べつし、治療(作業療法や生活指導)の名の下に管理し、抑圧しつつ、可能な限り労働力として再生産しようとする、新たな隔離収容の病院でしかないことを徹底的に明らかにした。」

p84,1行
「また五条山病院闘争は〜…つまり市民社会が医療の名の下に精神病院の存在を必要とし、さらに地域管理社会として精神病者と自己を隔離していることを地域家族会と学生・市民による精神医療研究会の積極的な組織化によって提起してきた。」

p84,14行
「50年の精神衛生法の登場は、戦前の精神病院監護法や精神病院法による私宅監置から、はじめて医療の対象として精神病者をみようとした画期的なものということになっている。しかし、その後の61年の精神衛生法一部改正、64年のライシャワー事件、それをうけての65年の精神衛生法改正が物語るのは、精神衛生法第29条による措置入院の強化の歴史であり、私宅監置から実は病院という社会的施設への監置でしかなかった。
 表1は端的に、医療との名目とは別で精神病者の収容、はっきりいえば精神病者つくりが進行していったことを示している。まず表2にみるように、厚生省の全国精神障害者実態調査では、精神障害者がこの10年間急に増加したとは決して示されていないのに、表1の(1)精神科ベッド数の増加は、55年の4万ベッドに比して15年で6倍を超えて、25万ベッドになっており、(2)人口万対ベッド数も5倍近く、23ベッド、しかも、(3)ベッド利用率は100%を常に超えている。これは他科のベッド利用率やベッド増に比べると驚くべき増加である。」

p84,16行
 「しかも、向精神薬の登場により治療が進んだと精神科医がいうにも関わらず、(4)個々の患者の在院日数は確実に伸び続け、ちょっと古い病院にいけば、10年や20年収容されたままになっている患者が多数いるのである。55年の287日に比して、69年には459日になっている。この平均在院日数は併設精神科を含むのであり、単科の精神病院では506日という数字がでている。しかし一方では、表3の向精神薬の生産状況にあるように、低医療費をカバーするため着実に、大量の鎮静剤が患者に投与されている。
 また(5)措置入院は61年をさかいにして急増し、60年の12,3%から突然に30%台になっている。60年代に入って、いわゆる「自傷他害のおそれ」のある措置症状が急に増え、精神病者が急に凶暴になったというのだろうか。いや、けっしてそうではなく、医療とは別の要因によって、「精神医療」がつくられてきたにすぎない。61年、精神衛生法一部改正が行われ、強制入院による国の医療費負担率が二分の一から十分の八に引き上げられた。この改正に当たって厚生省施行通達は、
 「措置入院費に対する国庫負担率の引き上げ等により、自身を傷つけ、また他人に害を及ぼすおそれのある精神障害者は、できるだけ措置入院させることによって、社会不安を積極的に除去することを意図したものである。」
とのべ、続いて63年5月の厚生省公衆衛生局長通知の「精神障害者措置入院制度の強化について」は、
 「精神病院に入院中の患者で、措置症状のある者は病院長に措置の申請を行わせる。生活保護法の医療扶助のうち、措置症状のある患者は、すべて精神衛生法29条の適用患者とする。精神傷害事件の発生の事前防止のために、第23条による診察及び保護の申請に関する周知徹底、第42条による訪問指導の強化を関係機関と連携のうえ計画的に行うこと」
と、なにはともあれ措置入院をすすめている。(これを経済措置などと、肯定するすてきな医師がいる)このようにして、たとえば70年の精神衛生関係予算360億円のうち措置入院費用が97パーセントをしめるにいたるのである。」
 cf.薬について

p99、2行
 明治33年、戦前の精神医療を特徴付けてきた法律、精神病者監護法ができる。それは警視庁布告の延長上に、「不法監禁防止と公安維持」(帝国議会の政府答弁)を明言し、その第一条に、「精神病者ハ其ノ後見人配偶者親等内ノ親族又ハ戸主ニ於テ之ヲ監護スルノ義務ヲ負フ」と決めたのである。つまり精神病者は家族の責任であり、それを治安的に管理するのは警察であるとしたのである。この時より、国家にとって不用者=精神病者は、家族の手によって消去させる「精神医療」が確立する。

p103、15行(70年代精神医療の動向―地域管理体制の進行―)
資料1 「精神衛生特別都市対策要綱」昭和45年5月6日 厚生省

1、目的
 人口の過密な都市その他特定地域において、在宅精神障害者の指導相談、精神衛生思想の事業を保健諸活動として行い、都市における精神衛生施設の増進を図り、もって公衆衛生の向上を期することを目的とする。
2、実施主体
 各都道府県および政令市を実施主体とし、実施機関は保健所とする。
3、実施保健所の選定
 この対策は、管内人口25万人以上を有する保健所または、精神衛生特別都市対策に積極的な事業計画を有する保健所が実施する。
4、事業内容
(1)在宅精神障害者の実態の把握
 市(区)役所、学校、職場、病院、民主委員等の協力を得て、できうるかぎり管内の精神障害者の実態を把握する。個人カードに、障害者の指導、相談等必要な事項を記録し、医療、保護の資料とする。個人カードの保管は、個人の秘密保持の面より、厳重に行い、特別都市対策の目的以外に使用してはならない。
(2)在宅精神障害者の訪問指導、相談
ア、巡回指導班による訪問指導相談
 医師、心理技術者、ソシアルワーカー、精神衛生相談員、保健婦、精神衛生担当者等による巡回指導班を編成し、在宅精神障害者及び其の家族に対し、訪問指導、相談を定期的に行う。
イ、巡回精神衛生相談所の開設
 前記指導班をもって、保健所に定期的に相談所を開設する。保健所以外の場所においても必要に応じて巡回相談所を開設する。
ウ、必要に応じて医師、精神衛生相談員による訪問活動を随時行う。
(3)医療、保護の促進とくに通院医療制度の活用普及
 要医療対象者に対し、受療の徹底を図る。とくに通院医療の公費負担該当者と認められるものに対しては、その趣旨の徹底を図る。
(4)精神障害者の協力組織との連絡、協調
ア、精神障害者の保護のため、家族会、学校、精神衛生協会、精神病院協会、および市(区)役所、職場等関係諸団体と連絡を密にし、精神衛生対策に協力を求める。
イ、精神衛生協力組織として、患者家族会、地域精神衛生協会、精神病院協会等の未結成の地域にあっては、結成の促進を図る。
(5)思想普及
ア、患者、患者家族、学校、職場、関係団体、一般住民に対し、パンフレット、リーフレット、講演会、映画会、見学会、講習会、指導者用必携等を利用して正しい精神衛生知識の普及と衛生教育を活発に行う。
イ、保健所の実施する三歳児検診における精神発達の診査には、できれば心理テスト等精神衛生に関係するテスト等を行い、その結果にもとづいて、必要な指導、相談、思想普及、衛生教育等を行う。

…つまり、@個人カードの作成、A行政の指導のもとでの官制家族会の組織作り、B学校、精神病院、行政、地域ボス集団当が一体となった精神衛生協議会の結成を明文化したものである。

p110
 このような地域精神衛生網は、精神医療情勢の項でみた精神病院のベッド増を阻止し、地域が病者をうけいれていくのではなく、実はその逆に、さらなる患者摘発であると同時に、精神医療が狭義の精神病者を対象とすることから拡大し、地域や企業の不適応者、反体制部分を積極的に排除、飼育する手段に発展していくことに他ならない。権力のいう“心の健康”とは、私たちの存在だけでなく、その内部の意識や欲望をも権力が支配していくことである。このようにして、地域住民の手により精神病者狩りが行われ、それを行う住民個々の精神状況もまた国家によって既成品化されていくのが、70年代精神医療の全人民的拡大の姿である。

■小澤勲(『反精神医学への道標』1974年5月1日、めるくまーる社)

p25、10行
 「入院期間が5年、10年、あるいはそれ以上になった患者は、社会復帰がきわめて困難であるという意味から、従来、精神病院の医者は彼らを「沈殿」患者とよんできた。そして、病院内では症状が認めがたく、開放病棟で生活し、あるいは外勤療法という名のもとに病院から病院外の企業体に勤務を続けながら、なお、退院するに当たっては種々の困難な壁があるために入院生活を続けている患者の存在が指摘されだしたのは最近のことである。」(小澤[1974:25])

p116、16行
 「まず、入院を拒否して治療していくという姿勢で私もやっている。というのは、精神病院は市民社会の秩序を維持するために「精神障害者」を地域から家族から、職場、学校から排除する機能を押し付けられている。そして、いかなる「良心的治療」も相対としてはその構造を打ち破りきれていない。それどころか、「良心的」であればあるほど、その構造の担い手をすらなっている。このように考えれば「入院は悪である」とする他ない。ですから、いかに入院を拒否してやれるのかをギリギリまで追及しようとします(しかし、そのことが市民社会内での生活規制に終わるのでは、入院と本質的に異なりません。)しかし、このような闘いに敗北し入院という結果になった患者さんに対しては、どんなにしてでも一日も早く退院させようとは思いません。患者さんが、逆に社会の中にどうやって撃って出るのかをともに考えるのです。つまり、どんな手段を使っても一日も早くとは思わないわけです。社会に対して、言いたいことも言えないような状態に治した方が、早く退院しやすい場合もある。たとえば、低賃金で我慢する状態にした方が出やすいかもしれない。そんなかたちで一日も早く退院とは思わないのです。
 病院の中でも同じことが言えます。すなわち、自分の言いたいことを言い、やりたいことを院内でもやったら、病状が不安定になることがあります。客観的には、その結果入院生活が長くなることもあるでしょうが、そのようななかで私自身に突きつけられた問題もできるだけ引き受けていこうと考えているわけです。ですから入院生活を早く切り上げ津古と自体を否定しているわけではありません。ただ、入院を拒否するという方向性と同時に、病院を「ウラミ、ツラミをはらすべき、社会へ撃って出る拠点」へと内部的に変革する必要性に、われわれは迫られているわけです。このような立場からして、できるだけ短期間に労働力を回復せしめ、従順な低賃金労働者として社会に送り出せばよいとする意味での「早期退院論」には私は与しないということなのです。」(小澤[1974:116])

p128、4行
 「このように方針をたてたとき最初にぶつかった問題は看護職員の戸惑いもさることながら、社会復帰病棟患者としてのエリート意識であった。患者同士で他を侮辱し、排斥するさいの言葉として「閉鎖病棟へおりろ」「あんたはここにあがってこられる患者と違う」ということが言われる。社会復帰病棟にいる患者は「いい患者」、閉鎖の患者は「わるい」患者なのである。ここでいう「いい」「わるい」は、単に病状が「いい」「わるい」というにとどまらず、患者の人間の価値を決定するコトバとして使用される。[…]
 ここで猛然と私は反論する。世の中から「気ちがい」として差別され、排斥されてきた患者が社会復帰病棟にあがってくると、今度は逆に患者の中の「気ちがい」を病棟から閉鎖病棟へ排斥し自らの安寧・秩序を守ろうとする。どうも、どこか間違っている。このような過程でなおっていっても、世の中に出たとき、偏見と差別に満ちた眼に抗して生き抜けないのではないか。」(小澤[1974:128])


■友の会 編 19740801 『鉄格子の中から――精神医療はこれでいいのか』,海潮社,254p. ASIN: B000J9OWUQ [amazon] m

p159、14行
 「《河原さんの住居と職探しに協力
 東京郊外の病院で十年近くも(以前の入院歴も含めて)療養された川原さんは59歳。7月、退院許可が下りたので住居と職探しの援助を求めて会へ来られた。本人の希望は、病気療養中の姉と二人で公営アパートを借り(家族があれば入居費用が福祉課から出るという)、病院の派出婦、賄のような仕事をしたいという。会合後会員の一人が病院に問い合わせ、姉さんにも会って詳しい事情を聞いたところ、姉さんはまだ退院できる状態ではないらしい。河原さん自身も現在の病院で準職員のような形で他患者の手伝いをしている方が気楽でいいという気持ちも強く、周囲の、姉さんを待たずに早く自立すべきだという声をよそに、去就に迷っている》
 入院が長期化すれば社会復帰が困難になるのは当然で、本人の側にも社会へでることの不安が増し、たとえ復帰し得ても社会に溶け込めず、違和感が生ずることは十分予想される。河原さんの、迷いは、在院日数が長期化し、病院というより施設、ホームの色彩を濃くしてしまった病院のあり方に疑問を投げかけるものではなかろうか。病院也、家族会なり福祉行政なりは、他にもたくさんいる河原さんの救済にのり出さないのだろうか」

p199、6行
 「私入院しているわけですが、現在置かれている状況から未来を展望してみると、非常に難しいなと思った。何とか出来そうなものというと、例えば入院中であれば、生活保護のお金なんか今のインフレに合わせてもっと出してくださいとか、病院の中での開放化は、うちの病院では2割くらいのもんだと思うんですが、7割くらいにしたらどうか、とか、タバコは開放病棟の人は自由だけど、生活保護の人は10本くらいだから、あれをもっと増やしたらどうか、とか、近い問題は考えられるんだけど、今度とおい未来について考えると、いったいどういうことなのか。いろいろ考えたんですが、現在の入院万能主義の方法から通院治療の方向へもっと努力がされないのか、考えるわけです。ぼくは今、開放の50数人の中で生活しているんですけども、病院をパラダイスにはならんだろうけれども、非常に住みやすい、非常に良い生活を与えても、やはり社会へ出すべきじゃないか、という考え方もあるし、といってもうひとつ考えてみますと、病院の中でしかやっぱり生きられない人もるということです。どんなに病院をパラダイス化し、生活を良くしてもやはりそこは病院内での限界があるから、社会へ出すべきだという意見を、ぼくはもっていたんですけど、社会へ出ても生活能力が無いというか、自分で食っていく能力なり意欲のない人が老人とかにかなりある。そういう人たちのために病院を住み良くするべきだと思う。その上でやはり通院治療、これを出来るだけ拡大してほしいということですね。外面的には建物なんか非常に良くなったことは良くなった。ただそれで事足りた気でいるという面もあるんじゃないかと思うんです。新築し、きれいなところに住むわけだけども、鍵を閉めて閉鎖になっているから、広い中を1日うろうろ、うろうろ熊のように動いてる。何故もっと開放化出来ないのかという事です。長期的にはわれわれに対する差別の問題。これはものすごく強いものだ。われわれがいろいろな面で努力してどうしても闘いとっていかなくてはならない。」

■「鍵と鉄格子」,緑ヶ丘労働組合と共に闘う会,1976年9月20日発刊

p34、13行
 「「病院医療、入院中心主義」を批判する人々が必ず言って来るのは、「目の前」にいる患者をどうするのか、という論立てであり、これは先の「構造的欠陥」に対してある一つの限定された側面からの一つのやり方にすぎないものにしがみついて、「現実的」効果をはかるというものであり、またその成果が「まじめな」人々によって行なわれているために、「病院の原理的欠陥」にふれることもなく、「中間施設」に真っ向から論をはることも無く、ひたすらに「幻」の地域医療を実践して事たれリ、とするからです。
 精神病院の入院中心主義を廃し、外来中心にし、保健婦等のコミュニティサービスでやっていけば、成果があがるのはむしろ当然ですが、なた社会復帰のために共同住居等の「はしご概念」「飛び石概念」(はしごとか飛び石とかは、社会復帰のために考えられた諸段階、又は諸方策)の一つでも工夫考案すれば成果があがるのも当然であり、その実践からこそ、厚生省等案の中間施設をどう考えるのか、を論ずるべきなのであす。こういうふうに言うのは、「緑ヶ丘病院では、中間施設が建てられているんですよ」という私たちの立場からの問いかけなのです。〜…「患者」は目の前にいるけれども、家族も困っているけれども、従事者も思案深げにタメ息をついているけれども、目の前の患者よりも、「病院の構造的欠陥」「障害者差別」の問題が本質的なのです。」

p77、4行
 「緑ヶ丘病院に入院し退院後、病院の臨時職員となった労働者の処遇
 私たちは当時、この方々を「退院」労働者というコトバで呼んでいたわけではありません。病院側の採用の仕方、処遇の条件に著しい違いがあるということで、組合が特別の要求として別項を設ける必要があって仮にこの言葉を選んだのでした。
 さて退院後、職員としての条件はどんなものだったのでしょうか。まず第一に、「見習い」として半年もしくは一年の期間、全くの無給料の期間がありました。ある例では、「当直見習い」と称して、これも無給料で当直をさせる、というようなことがありました。第二に、賃金決定の基準が無く、個々の人々を病院長の好き勝手な尺度で評価し、極端な低賃金の下で働かせております。例えば昭和48年の例では、月給1万円という人もおりました。これは労働基準法の無視、就業規則の枠を外れた勤務条件、最低賃金保障の考え方の無視、を意味するものです。」


■今野幸生 (『開放運動と医療労働者』,「解放運動の軌跡」1980年発刊,「精神医療」Vol6,No3 初出,1977年9月)

p93、23行
 くりかえして言えば、院内処遇の改善とは、患者が病前に持っていた彼自身の生活の正しいサイクルが、療養生活においても維持され、その延長上に社会復帰の展望が切り開かれるような、そんな院内処遇がなされることが肝心なことだと思う。

■今野幸生 (『生活のある病棟に』,「解放運動の軌跡」1980年発刊,「さけび」5号、1977年11月初出)

p107、8行
 またあの、いわゆる生活療法といわれたものには、病棟という器に適応させるものはあったとしても、真に社会復帰に役立つ「生活」の存在は希薄だったと反省する。
 

■今野幸生 (『器物損失と拘禁』,「解放運動の軌跡」1980年発刊,1978年)

p89、11行
 しかし開放化の進展とともに療養生活は豊かに拡大充実してきたことも事実である。社会復帰を大きくかかげ、それを実践していけば当然の帰結として病棟生活そのものが、一般市民生活に近づいていかなければならないのは必至である。そうした実際的生活の中で問題点を明確にして、破綻した、喪失した生活を再構築していかなければならないと考える。

■今野幸生 (『解放の後に』,「解放運動の軌跡」1980年発刊,「中与精神医療」10月号初出,1979年6月)

p51、10行
 具体的に言えば、鍵と鉄格子をとりはずし、処遇を改善し、さらにヒエラルキー構造を解体してもなおかつ依然としてそこにあったもの、それは在院日数の不変である。
「少し不満はあるんだけど、病院はいごこちがいいんですよ。」と患者は笑う。
「働きますよ、できれば今すぐ退院したいです。でも・・・退院しても働くところがありますかね。」
 こんなことを言われて手をこまねいているわけにはいかない。

■今野幸生 (『患者を中心に据えて』,「解放運動の軌跡」1980年発刊,1979年10月)

p43,8行
 現在私の勤務する病棟(社会復帰病棟)に入院している患者にとっていま必要なことは三つあると考える。
 一つは生活を身につけること。社会生活がスムーズに出来ることである。些細なこと、例えば洗面、食事、あいさつ、身だしなみ、会話、バスの乗車等々〜・・・次に必要なのは、或る困難な状況なり場面に遭遇したとき、行きづまらずになんとか打開、処理して順応できるすべを会得するくと。〜・・・そして三つ目は、生活力を獲得すること。〜・・・社会の中で生きよう、自分自身の人生を生きたい。いわゆる自己実現しようとする意思を強く持つこと。「行きたい」という気持ち、それらを含めて「生活力」といいたいのである。

p44,13行
 精神病院にはたしかに医療と保護の二つの役割が課せられている。けれど現実的に私どもが当面している課題はリハビリテーションである。退院を阻害しているものを一つ一つ排除することである。社会復帰活動には医療点数がともなわないから増収にはならないけれど、医療者としてやらねばならないものである。

■今野幸生 (『開放化運動と上山病院』,「解放運動の軌跡」1980年発刊,1979年12月初出,精神科セミナー(東京))

p23,21行
 価値体系の紊乱のあとに、新しい真の精神科医療のあり方が模索された。これまで何が欠落しておったのか。何がいま必要なのか。明らかなのは「開放放置」である。勿論それまでも手をこまねいて放置していたわけではない。昭和48年に始められた精神科医療労働者交流会はその後も続けられ、50年には「患者の院内処遇はどうあるべきか」また「患者の社会復帰をめぐって」が話し合われた。翌51年には、患者の生活と生活療法をめぐってというテーマで「作業療法の再検討」「開放化にともなう諸問題」「生活者としての患者にいかにかかわるか」が討議された。
 この集会では、患者を生活者としてとらえる視点がうちだされた。入院患者にははたして本当の生活があるのか。長い入院生活によって患者の生活は喪失されてしまって、病気は治っているのに、生活を喪失した患者はいかにして社会に出て行けるのかが、新たな問題としてとらえられた。

p24,23行
…そしていつの間にか精神病患者は一般社会人とは違った生活であってもしかたの無いことであり、精神病棟で市民生活を望むのはぜいたくなことのようにさえ思われるような風潮があった。これはあきらかに偏見と差別の構造である。
 だから、開放化運動は偏見と差別からの解放運動でもあった。
 病棟に、病院に生活を、社会生活を、市民生活をとりもどさなければならない。市民生活と落差や断絶のない、療養生活のサイクルがそのまま市民生活に連続するようなそんな生活を病棟につくる必要がある。そうした病棟でこそはじめて長い入院生活で喪失した生活の再構築が可能になる。

■長田正義 序文 (『精神医療』特集 社会復帰,Vol9,No2 通巻35 1980年5月25日号)

p2,1行
 「…私論ですが、薬物の出現により精神療法を始めとする諸所の治療的諸活動が可能になったとするこれまでの通説は本当にそうなのでしょうか。薬物の登場後、精神科病床数の急増とともに、平均在院日数はかえって延長し、退院が遅れるという現象を招いています。この現象の中に「社会復帰」の問題があるのだと思われます。すなわち、疾病の性質から慢性となって長期在院化をもたらしたのか、それとも他の要因により、平均在院日数の延長がもたらされているのか、はっきりせねばならない問題です。
 精神科においては、どうして「退院」という言葉より「社会復帰」という言葉が幅をきかせているのだろうか。
 「社会復帰」とは、現在的に承認されている理解のされ方は長期在院ないし慢性患者の特別な配慮を要した退院の一呼称であるといえよう。この通説の中にこれまでの精神医療の持つ意味が凝縮されているといえよう。
 …長期在院者の多くは、本人をとりまく家族や病院の思惑の中で、いつか何を直す為に入院しているのか、本人も治療者もわからなくなっているのが実情ではないだろうか。
 そのようにして、生きた人間から生活を奪い、人為的に別の「入院生活」を強いてきた人たちを社会へ復帰さすにはどうしたらよいのか、頭の痛いことである。このようにして頭を悩まし、あれこれ試みることが、すなわち「社会復帰活動」なのだろう。長期在院化の要因を探り、入院医療の点検を行い、個別医療、個別看護を求め、「社会復帰」活動なんかが不要となるような精神医療状況の実現へ向けて現状を切り拓いていきたいものである。」

■仲野実(浅香山病院)(『退院して病院周辺のアパートに住んでいる人たちについての報告』,「精神医療」特集 社会復帰,Vol9,No2 通巻35 1980年5月25日号)

p3,左列2行
 私が勤務する浅香山病院の周辺には家賃の比較的安いアパートが多い。昭和47年頃より、入院が長期にわたりそのため家族との関係も切れてしまっていた人たちの中から、これらのアパートへ退院していく人たちが増えはじめ、現在100名を越す人数になっている。この動きは今後ますます増加してゆく傾向にあり、また開放を進めている各地の病院においてもこうした退院の形態が見られはじめていると聞く。

p4,左17行
 病院周辺には家賃の比較的安いアパートが、スーパーや飲食店や銭湯などとあわせて多数あるという地域性が、まずは「アパート退院」を進めた第一の理由であろう。

p4,左26行
 「アパート退院」が増えてきた第二の理由としては、求人が減り、就職が困難になってきたという時代性がある。いわゆる高度成長の頃には、浅香山病院でも60名を越す人たちが、外勤作業療法として毎日院外の工場に出ていた。そのうち何人もの人たちが、自転車部品工場やおしぼり工場やクリーニング工場や給食会社の寮へ「住み込み退院」していった。また何人もの人たちが、病院敷地内にある中間施設(あけぼの寮)へ退院し、そこから外の会社へ働きに出ていた。ところが昭和47、48年頃から、就職口がなくなり、会社の寮に住み込んでいた人たちさえもが首を切られて次々と病院へ帰ってきた。そうした時代的状況の中で、病院近くのアパートへ退院してゆく発想が出てきても極めて当然のことであろう。

p4,右列6行
…退院者の増加は病院の開放化と時を同じくしていると思われる。すなわち病院の開放化がアパート退院を進めた第三の理由と考えられる。

p5,左列4行
 第四の理由として、治療者側の考え方の変化がある。すなわち「作業療法を経ての退院」「働けるようになってからの退院」〜…「幻聴や妄想が少々あっても、生活さえできればいいではないか」「しんどくなってまた入院するとしても、今生活できれば退院していいではないか」となって、退院への敷居がますます低くなってきた。

p5,右列3行
 アパート退院が進展した第五の理由は、堺市の福祉事務所の協力である。ちなみに退院時に福祉事務所が出してくれる金は(単身者の場合)アパートの敷金133,500円まで、家賃26700円まで、ほかに布団代、家具汁器代、そして月々の生活費49,000円(40代男性の場合)および医療費である。〜確かに1ヵ月の家賃(平均15,000円)、生活費(49,000円)、および外来での治療費(平均12,000円)を合計すると、その援助額は76,000円にもなる。しかしこれは(単純計算するわけにはいかないとしても)入院治療費(浅香山病院の平均は約190,000円)の40%であって、すくなくとも急性の精神症状が消退したにもかかわらず引き取り手がない等の社会的理由でもって漫然と入院している人の場合には一考に価すると思われる。

p5,右列31行
 周辺のアパートへ退院した人たちの数が100名を超えてなお増加してゆく第六の理由は、退院した人たち相互(および入院中の人たちをも巻き込んで)の極めて活発な交流によるものと考える。

p11,右列28行
 昨年末、浅香山地区の代表の人たちより「浅香山病院を退院した単身の人たちが地区に増えているようだが家事など防災、防犯上心配している」との話が病院に持ち込まれた。〜…地区からの要請もあり、病院は何らかの態度を示さねばならない時期に来ているのではないか。〜…@退院した人たちは社会人である。一部に病気である部分を持っているとしても自分で判断し自分で行動する社会人として見なければならない。Aしかし退院した人たちは多くのハンディキャップを持ち、したがってなお多くの援助を必要とする人たちである。B退院した人たちに対する援助は多岐にわたるであろうから、病院だけでそれを行えるものではなく、他の援助組織との協力のもとにそれを検討しなければならない。Cその中で病院が行いえる、または行うべき援助は医療である。病院が退院した人たちと関わりえるのは医療を軸にしたものでしかない。さらに次のようにも確認された。たとえば「治療共同体」等のイメージでもって病院が退院した人たちの上にまで覆いかぶさっていくのは極めて危険な発想である。

p12,右列33行
…むつかしいことではあるが退院した人たちが地域に対して何を提供するのか、何を提供できるのか、を今後考えてゆかねばいけない。退院した人たちが単に自分たちだけの閉鎖社会を作って住んでいる限りでは本当の意味で、その地域に住み着いたことにはならない。退院した人たちが一人一人ばらばらに生活しているのではなく、ひとつのまとまった全体、すなわちシステムを形成しているとするならば、それが地域という上位システムの中でどんな役割を担い、上位システムとの間にどのような相互交流を持っていくのかが明確になってこなければならない。

■斉藤正武(駒ヶ根病院)(『開放病棟での経験と今後の課題――駒ヶ根病院よりのレポート――』,「精神医療」特集 社会復帰,Vol9,No2 通巻35 1980年5月25日号)

p36,右列13行
 「閉鎖的な病棟への入院は、即今までの生活の場である社会や家族からの断絶を意味する。患者が入院に医たる主たる原因は、社会への不適応にあるわけだから、社会との断絶はそのまま、その不適応を固着させるか増大させる危険性をもつ。…」

22行
 「精神科病棟を開放化し、少なくとも物理的隔壁を取り除くことは、患者の社会との交流を不必要には妨げないことになる。」

p37,右列34行
 精神病院の閉鎖性は、精神障害者の社会からの隔離収容の歴史と不可分であることはいうまでもない。この収容所的性格から治療機関へ転換を図り、他の一般医療機関に近づけるためには、病棟の開放化をすすめることが是非とも必要である。

p41,右列8行
 開放的環境下で治療を行い、早期退院を目指していけば、今後、これらの社会適応を著しく欠く長期在院患者は減少してゆくのではないか、といった漠然とした期待をわれわれはもっている。

p41,右列33行
 精神科医療における社会復帰活動として、長期入院患者の失われた社会性の回復と退院の促進を目指すもの、をあげることができる。現在活発に行われ、試みられている社会復帰活動の殆んどは、ここにあるといえよう。精神科疾患がたとえ慢性の経過をとり、社会適応に欠陥をもたらすものであったとしても、真に入院を必要とする期間は普通はそう長期に及ぶものではないし、不必要な社会からの隔絶は社会性の喪失を助長する。即ち、長期入院であれ、(現実の社会復帰活動がその改善の目標にしているところの)社会性の喪失であれ、多くの場合、それまで受けた精神医療の歪みや欠陥に由来したものである。言葉を変えていえば、精神医療が正しく行われていれば、現在の社会復帰活動は必要でなかったのではないか、と予想されることが多い。

p42,16行
 …われわれが今後目指すべきことは、今日行われているような形での社会復帰活動を必要としない精神医療の確立である。精神病院開放化の社会復帰に持つ意味は、この点にあるように思えてくる。いつまでも現状の社会復帰活動が精力的に行われるような精神医療状況は、決して好ましいものとは思えない。

小澤勲 19800525 「「中間施設」構想の流れ――「精神衛生社会適応施設」(厚生省案)の批判的検討」,『精神医療』19-2(35)特集:社会復帰

p79,左列2行
 「1978年4月、中央精神衛生審議会は、「精神障害者の社会復帰に関する中間報告」(資料1)を提出し、これをうけて厚生省は同年11月、昭和54年度予算で「精神衛生社会生活適応施設」を「全国9ヶ所に設置予定」(新聞報道)であると発表、その要綱を示した(資料2)。」

p79,10行
 「…1969年に中精審を経て厚生省から出され、実際に作られた「精神障害回復者社会復帰センター」に比べてもなお犯罪的なものといわなければならない。上記センターに対し、反対の意思表示をした精神神経学会および関連諸学会は、今回の案に対して再び反対の意思を明らかにしている…」

p80,左列1行目
 「1、この「施設」は「中間施設」としてすら位置づけられておらず、明らかに「週末施設」として位置づけられている。これはその性格として「入院治療の必要はないが、精神に障害があるため独立して日常生活を営むことができない者に対して生活の場を提供し、あわせて社会適応に必要な生活指導を行う施設」とあるように、決して「社会復帰」をその第一義としておらず、定員50人に対して職員は17人(当初の発表では12人)、医師は非常勤1人というような職員配置からみても「終末施設」にしかなりようがないと思われる。」

p80,左列21行
 「2、かつて1959年ごろ、医療費増大を押さえる為に国は第2種病院構想を打ち出し、それが学会、日精協の反対等でつぶれるや、緊急救護施設をつくったように、今回の案は「社会復帰」を考える流れの中から出されてきたものではなく、いかに医療費節減をはかるかという圧力によって生み出されてきたものである。
昨年5月26日、厚生省52年度の国民医療費の推計結果を発表し、総額8兆5606億円、国民一人当たり75,000円、前年度比11,7%の増加となっており、国民総生産の4,48%、国民所得の5,5%になったとして、健保抜本改悪等、医療費節減に向けて強力な方針をとる事を明確にした。この方針にしたがって、まず精神医療が槍玉にあげられ、今回の「施設」案が出されてきたことは明らかである。」

p80,右列2行
 「3、要するにこの「施設」をつくることによって、経済的見地からは医療施設内収容から医療施設外収容への障害者の一部を移管することによって医療費節減をはかり、社会的見地からはその空床分に老人、中毒、合併症患者を送り込み、治安的見地からは分類収容を徹底して隔離収容政策を強化せんとするものである。」

p80,右列32行
 「これはかつて1971年、精神神経学会の「中間施設」シンポジウムで加藤信勝が次のように自己批判した誤りを再びわれわれは犯したということである。
 「厚生省案は確かに形は学会案の更生施設に似たものではありますが、その発想の基礎が精神障害者の社会復帰にとって最も重要視される医療と更生の一体化が考慮されておらず、医療と更生の二分論を押し付けようとしているものでありました。このように社会復帰訓練を医療の傘の下から外す案は精神医療の体系化を根本から否定するものであることは、その後に発表された本学会の同案に対する要望書の中にもうたわれているところでもあります。われわれの望むところは同要望書にも書かれているように、精神医療の体系化の一環としての中間施設の位置づけであって、それを切り離した形のものの設置ではないのであります。〜…私は本案が、現行法規に抵触する部分をたくみに身をかわしながら、精神障害者回復者ということで医療の必要性を否定する反医療的な保護収容施設としての性格を持つ事が明らかであることをいち早く見抜き、反対をいたしてきたわけであります。」

<資料1>「精神障害者」の社会復帰に関する中間報告

 「近年、精神医学が目覚ましく進歩することにより精神障害者の社会復帰が可能となり、その推進のために医療と福祉の両面の充実が必要とされているところである。
 医療面については、日常生活訓練等医療機関内での社会復帰活動の外、デイケア等通院医療の充実や保健所等の地域精神衛生対策の推進が図られ、同時に病院と社会との中間にあって社会復帰を推進するための中間施設が必要とされ、試験的に設けられてきた。
 福祉面については、低所得者対策の一環として、生活保護等が精神障害者の社会復帰の一助となっている。
 しかしながら、精神障害者の社会復帰については、多くの問題が残されたままだり、今後さらに、医療と福祉の両面からの検討が行わなければならない。また、医療施設外の社会復帰関連の施設についても、今後のありかたについて多くの議論を呼ぶところである。
 今般、中央精神衛生審議会では、これらの状況を認識し、従来の検討の成果を踏まえて今後の社会復帰の基本的な考え方、精神病院の機能及び既存の施設の位置づけ等を整理した。以下に示すのは、当審議会が医療施設内外における入所施設としての社会復帰施設を中心に審議したものの中間報告である。
[結論]
 精神障害者の社会復帰のためには、以下に示すとおり、1.医療施設における社会復帰活動の充実及び 2.様々なニードに応える医療施設外の社会復帰施設の整備を図る必要がある。ただし、医療施設外で社会復帰活動を行う場合は、必要な医学的管理が施設外において適正に行われるよう配慮される必要がある。

1、医療施設における社会復帰活動の充実
 精神病院における社会復帰活動を充実させるためには、主として、社会復帰のために必要な医療を積極的に行う社会復帰部門を整備する必要がある。
 社会復帰部門は、病床部門と社会復帰訓練部門とからなり、病床部門は治療病棟に相当するものとし、社会復帰訓練部門は、日常生活訓練等を重点的に行う場とする。また、病床部門及び社会復帰訓練部門には、社会復帰に必要な諸整備が整備されていなければならない。
 このほか、適正な医学的管理の下に、病院の内外において社会復帰訓練を行うナイトケア部門の整備については、今後更に検討を要する。

2、医療施設外の社会復帰施設
(1)精神障害者回復者社会復帰施設
 現行の「精神障害者回復者社会復帰施設」は、夜間生活指導部門(入所部門という。以下同じ)と昼間生活指導部門(デイケア部門という。以下同じ)とからなる。入所部門は、就労、就学等社会復帰の可能性のある者に対して、一定期間、夜間生活指導等を行う。デイケア部門は昼間に必要な医療等を行うため、上記施設内の医療施設として位置づけることとし、入所部門は分離して考える。
 この短期の社会復帰活動を行うための施設を引き続き整備する必要がある。
(2)その他の施設
 入院医療の必要はないが、精神に障害があるため独立して日常生活を営むことの出来ない者に対して、生活の場を提供し、あわせて社会適応に必要な生活指導等を行う施設の整備が必要である。
 この施設では、原則として医療を行わない。したがって、必要な医療は併設または隣接した精神病院等への通院等により行われる。
[説明]
T 精神障害者の社会復帰についての基本的な考え方
1、対象
 今回、精神障害者の社会復帰施設を検討するにあたり、その対象を精神障害者のうち再発を反復し、慢性経過をたどり、社会適応上の障害を有する者に重点を置くものとする。
2、社会復帰活動の内容
(1)作業療法等
(2)レクレーション活動
(3)集団精神療法
(4)日常生活指導
(5)社会生活指導
(6)療養指導
(7)職能訓練
(8)夜間生活指導(宿泊提供を含む)
3、精神障害者の社会復帰には、次の4つの条件を満たすことが必要である。
(1)医学的管理
 精神病院の閉鎖病棟での行動制限を伴う濃厚な医療から、外来における軽度の医療まで各種の段階があるが、常に医学的管理が必要である。
(2)生活の場の確保
 生活の場については、夜間の宿泊の場所と昼間過ごす場所とがある。
 夜間の生活の場は、入院患者は病室であり、その他の場合は自分の住居又はそれに代わる場所が必要である。
 昼間はデイケア、社会復帰訓練等、病院内における社会復帰活動を行う場所が必要である。
(3)保護者の協力
 患者の状態を観察し、生活の指導及び援助、服薬の確認等適切な医療上の管理を行うもので、家族かたはそれに代わる者が保護者として必要である。
(4)経済的援助
 家族による援助や生活(医療)扶助等、各種の経済的援助が必要である。

U 精神病院の機能と社会復帰
 精神障害者の社会復帰施設を検討するにあたり、精神病院における急性期の治療から社会復帰までの治療体系について、精神病院の機能を昼間及び夜間に分け、さらに今後必要とするものも含め整理を行った。
 その結果、治療病棟に加えて、主として社会復帰のために必要な治療を積極的に行う社会復帰部門(仮称)の整備の必要性が明確になった。
1、治療病棟
(1)閉鎖病棟
 終日施錠等により自由に出入りできない構造で、治療上必要な行動制限が加えられる。
 ここでは、開放病棟での治療が困難な患者に対して精神科治療は積極的に行われる。
 昼間は、診断、治療、濃厚な看護、病状観察が行われ、必要に応じいわゆる生活療法(レクレーション活動、日常生活指導等)も行われる。夜間においても引き続き医学的管理が行われる。
2、社会復帰部門
 主として社会復帰のために必要な医療を積極的に行う部門、病床部門と社会復帰訓練部門から成る。
(1)病床部門
 病床部門の構造は、開放で、個室から6人用までの居住性に富んだ部屋のほか、グループミーティングや自主的なレクレーション活動等を行うための場等が確保される必要がある。
 病床部門では、開放病棟に準じた医学的管理(特に看護、病状観察)が行われる。
 原則として昼間は、社会復帰訓練部門で治療、訓練を行う。
(2)社会復帰訓練部門
 社会復帰訓練部門は、社会復帰活動を行うために必要な専門の施設と職員を有する必要がある。
 主として病床部門の患者に対して昼間に、作業療法、レクレーション活動、集団精神療法、日常及び社会生活活動指導、職能訓練等を積極的に行うほか、診察、病状観察も行われる。
3、ナイトケア部門
 適正な医学的管理の下に、病院の内外において、必要な社会復帰訓練を行うための部門である。この部門では、原則として積極的な治療プログラムはないが、患者に対しては、病院内外での社会復帰活動が行われる。夜間は主として病状観察等が行われる。使用する病棟は開放で社会復帰部門の病床部門に準じた構造を有している。

1、「精神障害者回復者社会復帰施設」
 この施設は、昭和54年度に厚生省が予算化し、地方公共団体が設置・運営主体となって、試験的に行われてきたが、その性格付けは必ずしも明確にされないまま発足したものである。
 かかる施設には、丸剤、川崎市社会復帰医療センター及び岡山県内尾センターのほか、東京都単独事業として世田谷リハビリテーションセンターがある。
 これらの試験的に行われた字是津の実績から「精神障害者回復者社会復帰施設(部門)として位置づけを明確にし、引き続き整備する必要がある。なお、必要なお学的管理はデイケア部門等において適正に行われるよう配慮される必要がある。ぢケア部門は医療施設として位置づけることとし、入所部門とは分離して考える。
2、その他の施設
 入院医療のい必要はないが、精神に障害があるため独立して日常生活を営むことができない者に対して、生活の場を提供し、あわせて社会適応に必要な生活指導等を行う施設の整備が必要である。この施設内では、原則として医療を行わない。通院等の医学的管理を必要とする入所者は併設または隣接した精神病院等で医学的管理を行う。
 現行の救護施設は、「精神上著しい欠陥があるために独立して日常生活の用を弁ずることのできない要保護者を入所させて生活扶助を行うことを目的とする施設」であり、これに該当する者は、この施設を利用することも可能であるが、必要な医学的管理が施設外において適正に行われるよう配慮される必要がある。
 また、公共団体等において試験的に整備されている各種の宿泊施設についても
必要な医学的管理が適正に行われる必要がある。
 川崎市及び東京都方式は、宿泊部門のほかに病床部門をも有するため、外来、デイケア部門をふくめ施設全体として医療施設の機能を持っており、いわゆる社会復帰病院に近い形態をとっている。また、宿泊部門は、一定期間の宿泊提供の指導・援助を行っている。
 岡山県方式は、病床部門はなく、宿泊部門は「主として就労中のもので家庭環境や世代の変化により、生活の基盤が損なわれているもの等に対して、自立までの一定期間宿泊施設を利用させ、独立した生活を築くための指導・援助を行う」ものとしている。

<資料2>「精神衛生社会生活適応施設」の概要(厚生省公衆衛生局精神衛生課)
1、設置及び運営主体
 地方公共団体及び公益法人等。
2、性格
 入院医療の必要はないが、精神に障害があるため独立して日常生活を営むことが出来ない者に対して、生活の場を提供し、あわせて社会適応に必要な生活指導を行う施設であり、原則として、精神病院当の医療施設に隣接または併設するものとする。
3、入所対象
 精神に障害があるため独立して日常生活を営むことが出来ないもの(ただし共同生活を営める程度のもので入院医療の必要のない者)
4、医学的管理
 必要な医療は、原則として併設またはりんせつの精神病院等への通院によって行われる。
5、処遇の主な内容
 宿泊提供、社会生活指導、日常生活指導。
6、規模
 定員50人
7、設備内容
 居室、静養室、食堂、集会室、生活指導室、浴室、洗面所、便所、調理室、宿直室、事務室、指導員室、洗濯室、物干し場、倉庫。
8、職員配置
(1)職員数 17人(昭和55年度予算要求)
(2)職種 施設長、指導員、調理員、事務員。
9、施設整備費
 補助率1/2
 施設費 一ヶ所 130,363千円(1/2 65,181千円)
10、事業費
 運営費の補助。(人件費、一般管理費、入居者の食費、その他の生活扶助費)
 補助率1/2
 運営費 一ヶ所69,079千円(1/2 34,539千円)
注 前記シンポジウムで厚生省の三觜氏によって発表されたもの。その後「わが国の精神衛生」(54年版)では定員が30〜50人となっており、職員数は明記されていない。

<資料3> 日精協社会復帰対策検討委員会に示した行政側の見解(日精協がまとめて日精協月報1978年10月号に報告したもの)

1、精神科の医療費の増大をどうするか
 現在29万の精神障害者が入院治療しており、年間約64億円の医療費が投資されている。公費負担制度でやるとすれば、今後もこの医療費は増大する一方である。患者の一部負担を導入すべきであろう。
 また現在精神病院は、他の病院と同様に病院単位の基準看護体制で、医療看護保護にあたっているのであるが、入院精神障害者の態様は、すべてが一律ではなく、いくつかの種別に分類されるのではないか。即ち、医療看護保護が高度に要求される患者群と、それほどの密度の高いケアを必要としない患者群があるのではないか。それが現在は一律規格の基準看護体制でケアされていることは医療費支払いの上からして不合理であり、またその結果として、医療費の無駄遣いではないか。そこで精神病院内部の病棟別の機能分化が考えられないか。――ここから中間意見が示すような病棟文化論が出てきた。
 したがって、精神病院に沈殿している陳旧な精神障害者で、あまり手がかからない群と、ある程度寛解に近い患者群についてはその他の症状の甚だしい状態にある手のかかる患者群から選別し、病棟別に区分して、そのケアについては基準看護をはずしてはどうか。その代わりに手のかかる群の看護は現在の基準より高い基準に格上げされることも考えられる。(病棟別の傾斜配分論)

2、ベッドの問題
 現在の万対25でよいのかどうか。
 現在精神病床はおしなべて、人口万対25となっているが、将来の入院精神障害者の動態を考えると、老年精神障害者の入院増加は必至である。そうした上にさらに、合併症、中毒の問題がある。今のままの精神病院の態様では収拾のつかぬ状態に追い込まれることは明らかである。今のうちに精神病院の内部をせりしておくことが望まれよう。
 これらの理由からして、積極的に入院の必要のない患者群をどうにかして病院外に出す方法はないのか。また、出せないとすれば、軽度の医療看護でケアできないか。ここから病院外の社会復帰施設の構想が出てきた。ただ、これがかつての救護施設と異なるところは、あくまで医療体系とペアの施設(経営・運営主体をふくめ)でなければ、大方の批判を受けることは必定であるので、中間意見のような構想がでてきた。またそれは医療法を適用しない施設であることが望ましい。これは第二種病院構想であるとの批判を避けるためとも思われる。

3、これと平行して外来治療、デイケアを協力にすすめる。
 要は、増大する医療費をどうしたらよいかというのが、その背景の根幹であることは間違いない。したがって医療費を効率的に使用したいというのが、行政側の真意であって、もし上記の構想が受け入れられない場合には、精神科医療費の格下げ論も起こってくることは必至であろうというのである。(80から90%の格下げ論)
 現在、大蔵関係、政党関係、その他の関係筋では、このような批判的意見が強い。社会政治情勢は急転している。

p84,右列29行
 精神障害者の「社会復帰」というテーマがはじめて精神神経学会でとりあげられたのは1962年の第58回総会のシンポジウムにおいてであり、シンポジストは小林八郎、加藤信勝、江熊要一、西尾忠介であった。
 小林八郎はアンケート調査を行い、228の事例について分析を行っている。だが、ここでいわれている社会復帰活動とは院内作業療法、試験外泊、仮退院、外来通院者に対するカウンセリングまでも含んだものであり、しかも、ほぼ1/4が「完全寛解」例に対するもの、ほぼ1/2が「社会的寛解」例に対するものであった。〜…「社会復帰精神病院の持つべき機能の一つであることは回答者254名のうち93%までが認めている。

p85,左列25行
 加藤信勝は社会復帰のための院内活動から、試験就職、さらに退院後のアフターケアについて述べ、最後に告ぎのように要約している。
 「(1)分裂病者の病院内寛解乃至軽快患者の残遺症状のうち、従来それが患者の社会復帰に障害になるのではないかと思われた症状、たとえば幻覚や妄想の場合であっても、必ずしもそれが決定的な生涯の因子とはならないこと。(2)患者は病院を出て2ヵ月後に第一の危機に直面するが、六ヶ月以上経過すると一定の安定が得られること。(3)慢性分裂病者といえども、社会の中で適切な保護が加えられれば、かなりの程度生産的側面を伸ばしうること。(4)われわれの例に関する限り、所謂“シェーブ”とよぶものだが、全く何の誘因もなくおこることは少なく、ただ、その誘因となる動機が極めて些細なことのため見逃されやすいこと。」
 江熊要一は「精神分裂病寛解者の社会適応の破綻を以いかに防止するか」について述べ、「社会的性格を阻害しているもの」として、まず「性格的なもの」をあげ、それに加えて「働きかけの不適当さ」「家族、職場、近隣の患者に対する態度」「長期入院」などをあげている。むろん徹底した適応論に貫かれており、後の「生活臨床」へ「発展」していく必然性は明確であるが、後に固定化した「生活臨床」を作り上げる以前の姿としてむしろ病者とともに行動してる面もみられる。

p86,左列1行
…西尾の中間施設をめぐるこのような考え方は「中間施設」待望論者にもって引きつがれているのである。つまり、社会の受け入れが悪い、精神病院も社会復帰活動を推進しようとしない。だから、「中間」に「施設」をつくれというものである。そして、前回の「回復者センター」案と今回の「施設」案の相違は、前者はすくなくともタテマエとして病院と社会とをつなぐものという意図があったが、今回の「施設」案は露骨に病院と社会とからはじき出したものを収容するために「中間」(?)に「施設」をつくろうとしているということである。精神病院を変えることもまったく考慮外に置かれるのである。

p86,左列23行
「われわれは社会復帰の策のひとつとして生活保護法でいうところの緊急救護施設を利用している。精神障害者を収容し得る施設が精神病院のほかに存在しえる根拠は生活保護法第38条の3の救護施設および4の更生施設に関する規定である。

p86,右列28行
…精神病院を退院した者を、その退院時の状態像に応じて生活保護法にある養老施設、救護施設、更生施設宿泊提供施設等が受け取る例があってもよいはずであるのに、実際上は精神病院からの退院者を直接受け取るのは緊急救護施設だけであって、前記の諸施設は受け取りを拒んでいる現状である。それゆえに私たちが引き取り手がない要保護者を何とか社会に出してやろうとする際には緊急救護施設に送ることになるという。(西尾)

p87,左列3行
…その状態像が欠陥状態あるいは欠陥治癒状態の例のうちで特に取り扱い上の困難は少ないという者であって(すなわち、身辺のことは自分でできて比較的聞き分けがよく、温和、従順)而も生活能力や境遇の面からは独立の社会生活は出来ないか、或いは保護をしてくれる人を有しない者を入院費に比較して著しく定額な生活保護費の範囲内で収容しておくための施設であるということになり、この施設は本来ここに収容されているものの社会復帰という方角に機能することを目的とはしていない」と述べている。(西尾)

p87,右列13行
…公費負担額の軽減を企図して、15年前にまさに登場しようとした第2種病院イコール救護施設、まぎれもなくそのものが装いをあらたにして再び登場してきたにすぎない。救護施設とは、もちろん医療施設ではなく、諸経費が1/3ですむという安上がりの施設で〜…同様の関係は「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームの設備及び運営に関する基準」によってみましても,「協力病院を予め定めておくように」指示した第23条にもみることができます。さらにまた、人件費のかからない安手の救護施設は、精神薄弱者福祉法に基づく援護、厚生、授産施設にもみることができます。」(寺島)

p88,左列5行
 なお、精神神経学会の「中間施設に関する小委員会」でも「中間施設」を論じながら救護施設については「その殆どが、慢性患者の収容所となっており、なんの働きかけもされないまま放置されているので早急に廃止されるべきである」としている。


<資料4>「医療体系委員会」議事報告 1967年9月29日,東大好仁会会議室 出席者:猪瀬(委員長)、伊藤、江熊、大熊、岡田、加藤(伸)、小林、広瀬、松本、元吉、森村

1、中間施設に関する小委員会案が、江熊委員から定義され、討論された。

[結論]
T.精神科医療体系における「中間施設」の位置づけを明確にした上でその機能構造が論じられなければならない。
U.精神障害者社会復帰医療センター
一般病院では社会復帰の不可能不適当な患者を対象とする独立した『病院』である。
――精神病院の機能分化――
V.精神障害者の更生福祉施設
1、作業施設
(1)「後治療」としての作業施設
(2)「後保護」としての作業施設(期限なし)
2、宿舎
(1)「後治療」としての「宿舎」
(2)「後保護」としての「宿舎」(期限なし)
――通院医療、地域精神衛生網の確立が必要――
W.精神病院と更生福祉施設との中間的な施設は不要。同じく「ナーシングホーム」的な施設も不要。
X.既存の「緊急救護施設」は直ちに廃止されなければならない。
 討議の結果、V項の施設は現存の「緊急救護施設」との違いを明確にする必要があること、X項については、時期早々であるという意見が出た。
 この原案に検討を加えた上で、10月9日の病院精神医学会において発表し、討議を経た上で次回にさらに検討することになった。

p89,左列23行
 ここで注目すべきは(資料4において)、この段階ですでに「病院における社会復帰活動」―「精神病院の機能分化したものとしての社会復帰医療センター」―「中間施設」―「Long stay hosutel1(週末施設)」という固定化した図式が出来上がっていることである。


<資料5> 精神障害者の社会復帰促進のための施設について――日本精神神経学会「中間施設に関する小委員会」案――
小委員会 江熊要一、岡田靖雄、加藤伸勝、河村高信、佐藤壱三、鈴木淳、竹村堅次

まえおき
 昭和40年、精神衛生法の一部を改正する法律案に対する付帯決議の中で、精神障害者の社会復帰促進のための訓練、療法を施す施設を設置すること(衆議院)、精神障害者の社会復帰促進のための施設の拡充を図ること(衆議院)が決議された。精神神経学会会員の他関係者の強い要望によってようやく決議されたものである。
 精神神経学会としては、この決議の早急な実現をはかるべく具体的な案を出す必要があると考え、医療体系委員会(委員長:猪瀬正)に「中間施設に関する小委員会」を構成し、昭和41年12月以来研究をつづけてきた。
 精神障害者の社会復帰のための施設の意義については、すくなくとも精神医療に従事するものの間では改めて論ずる必要はナイト考えるが、さて、具体的にどのような施設がよいかということになると容易に結論が出ない。
 外国の形式を、そのまま日本にもってくるのは非現実的であり、やはり日本の実情に即したものを作る必要がある。従来一口に「社会復帰施設」。「中間施設」といわれているが、各人のイメージが、それぞれ異なってくるのは当然であろう。
 すでに諸外国に試みられている社会不復帰促進のための諸施設を参考にして「理想的」な案を考えることは比較的容易である。しかし、小委員会のメンバーは精神病院の中で余りにも現実の苦悩にぶつかりすぎており、“夢のような”構想にふける気持ちにはならないのである。さりとて、余りにも現実にとらわれすぎたものになっては日本の精神医療の発展にかえってマイナスとなる恐れもある。
 小委員会としては、いろいろな精神病院の現状を社会復帰のための働きかけの経験、その他多くの資料、文献をもとにして討議を重ね、慎重に結論出す努力をしたつもりである。しかもなお、出された結論は、小委員会としても、必ずしもすっきりとした案ではなく、且つ詳細な具体性に欠き、討論の不十分さが残されている。「中間施設」の「中間報告」であることをお詫びしなければならない。

結論
T、精神科医療体系における、いわゆる「中間施設」なるものの位置づけを明確にした上でその機能、構造が論じられなければならない。
U、精神障害者の社会復帰促進のために当面必要な施設
1、「精神障害者社会復帰医療センター」
 一般病院では社会復帰活動の不可能、不適当な患者を対象とする独立した病院
2、精神障害者「更生施設」
(1)「後治療」としての作業施設
(2)「後治療」としての宿舎

説明
T、精神障害者(主として分裂病が対象になる)に対する働きかけは、身体障害者の場合と異なり「衣料」と「更生」が同時になされなければならない。職業指導なども「医療」を加えながら行うことに意味があり、職業生活そのものが「治療」の場となるものである。すなわち、常に医療の傘の下に置きながら強力に更生をはかるものでなければならない。
 そもそも、精神障害者の社会復帰は、新規な施設を作ればそれで解決するというようなものではなく、精神医療体系全体の整備拡充があってはじめてその目的が達せられるものであることはいうまでもない。小委員会案による諸施設は当面重要且つ緊急を要するものであるが、それは社会復帰促進のためのいろいろな働きかけの一部分を占めるものという認識の上に立って、その機能、構造が考えられている。したがって、「中間施設」を論ずる場合、像時に、精神病院での現在の諸活動、得に「ナイトホスピタル」を再検討し、また職親制度の確立などの問題も取り上げていかなければならない。
 次に「中間施設」という言葉があるが、衆参両院の付帯決議にも「精神障害者の社会復帰促進のための施設」とあって、「中間施設」という言葉が使われていない。小委員会としても、医療施設でもなく更生施設、福祉施設でもないあいまいな「中間的」施設というものは、現在の段階では考えないほうがよいという結論であった。
U−1、「精神障害者社会復帰医療センター」
 これは精神病院と更生施設の中間的なものではなく「社会復帰病院である」既存の精神病院に附設されてもよいが、精神病院の機能分化として独立した病院であることが望ましい。
 既に多くの精神病院では、院内において作業療法をはじめ、社会復帰促進のために種種な試みがなされている。しかし従来の精神病院の構造と機能の中で実施されているこれらの働きかけは、社会復帰促進という目的から見て必ずしも成功しているとはいえない。それでは患者の取り扱いはかなり過保護的であり、且つ「労働能力」だけが重視され(進退障害者の職業訓練的になっており)、精神障害者の社会性、自主性を治療、訓練するのに適した場と機能をもっているとはいい難い。
 社会適応能力の不足するものに社会復帰のための働きかけをおこなうためには従来の精神病院以外に、地域社会に密着した社会復帰医療を中心とする病院が必要となる。そこで出来る限り病院的雰囲気を少なくし、作業場面、レクレーション場面など、豊富な人間関係の中で社会生活のための「第2の診断」―「生活特性」を診断し、それに基づいて訓練(職業訓練、適応訓練)、家族調整など具体的な社会復帰の準備を行う。
 衣装、この病院は一般精神病院と異なり社会復帰のみを目的とした病院であり、したがって、従来の精神病院とはことなった基準を必要とする。
A 入所対象者(通所も認める)
(a)精神病院に2年以上持続的に入院し、6ヶ月以上にわたり病状が安定しているが、なお早期に社会復帰できる見込みの乏しいもの。
(b)現に家庭や職場にあるが、適応不十分でなおかなりの社会適応訓練の必要な物。
(c)退院すると比較的短期間に再発を繰り返すもの。
(d) 精神病院に入院中で現に定職のないもの。
(e)その他医師が必要と認めるもの。
(f)作業病棟、作業施設などのない精神病院の患者で特に作業療法の必要のあるもの。
(g)対象者年齢は60才までとする。
B 入所期間
 6ヶ月〜1年
1年間で社会復帰が出来ないのとしては更に1年の延長を認める。病状により、或いは一般の精神病院での治療が適当と認める場合は随時一般精神病院に戻す。
C 入所費用
健康保険、生活保護、措置、自費
D 施設子簿は100名内外が適当である。
人口万対0,6〜1名が必要である。
E 職員は精神科医、看護婦のほかに、心理技術者、精神科ソーシャルワーカー、作業療法士などを重点的に配置する。
F 退所ルートなど等センターの位置づけについては図を参照されたい。
U−2 精神障害者「更正施設」
1)「更正施設」であって、「病院」ではないが「後保護」を目的とするものでなく、患者が「入院生活」という特殊な条件から形式的にも実際的にも離れ、現実の社会生活を体験しながら訓練される治療の場である。
2)対象者は、病状安定し、一定の条件の場では社会適応能力あり、(勿論稼働能力あり)と判断されるものである。(60歳以下)
3)入所期間を限定する必要があるが(1年以内)状態により長期間(3年以内)を要する場合もありうる。
4)作業施設はかなりの生産性をもち、企業としても成り立つぐらいのものが望ましい。当然、対象者には労働者としての賃金が払われる。
 この作業施設は、社会復帰医療センター、一般精神病院の入院患者によって利用されることもありえるが、原則として退院者が対象になる。
5)宿舎は通勤者(場合により通学者)を対象として、入居者自身によって一定の宿泊料を払う。
6)この厚生施設は、少なくとも設立費(建物)は公費に寄らなければならないが、運営も公的機関が望ましい。しかも所属は社会局でもなく、公衆衛生局精神衛生課でなければならない。
7)個々の対象者に適時強力な精神医療的関与がなされえるような管理者、スタッフが必要である。
[附記]
 現在精神病院は「沈殿」している患者のために「ナーシングホーム」なるものを考える向きがあるが、現在の社会的条件でこのような施設を考える向きがあるが、現在の社会的条件でこのような施設を考えることは安価な「収容所」となり患者にとって不幸な結果となる恐れがあるから現在つくることは反対である。
 また、「緊急救護施設」は当初(昭和33年)の目的よりは若干改善されたが通達が社会局から出されている(昭和40年)が、現存の「救護施設」はその殆んどが「慢性患者の収容所」となっており、種種な患者(或いは回復者)がなんの働きかけもなされないままに放置されている現状である。適切な「社会復帰のための施設」がせいびされることによって精神障害者の救護施設は早急に廃止されるべき性質のものである。
おわりに
 以上が小委員会であるが「しゃき復帰医療センター」にしても「作業施設」、「宿舎」にしsても、結論としては概念的なものである。それぞれについて具体的に討論・研究を続けたが小委員会としてはまとまるところまでいたらなかった。この案はいろいろな意見の「最大公約数」的なものである。この小委員会案をひとつの全会員の討論によって結論を出したい。
 尚、小委員会の討論には言いなのほかに、岡庭武、加藤友之、辰沼利彦、蜂矢英彦、道下忠蔵の諸先生にも随時参加していただきました。(本稿の要旨は第11回病院精神医学会において発表された)(精神経誌,71巻、1969.文責江藤(熊?)要一)

 なお、病院精神医学会では第11回、第12回総会(1967、1968)で継続して「中間施設の試み」が主題としてとりあげられ、学会誌「病院精神医学」も第23、24、25集を「中間施設の試み」特集号としている。そこではさまざまな報告がなされているが岡田敬蔵は第23集で「中間施設が単なる<中間的>の施設になって患者以外のものに都合のいい施設になるおそれがある」と警告を発し、第24集では佐藤壱三が「来年度予算の編成時期になり、突如中間施設の一形式として考えられたホステルが厚生当局でとりあげられたが、中間施設の中でももっとも医療の色彩が希薄で安上がりの施設だけがとりあげられたことは精神科医として慎重に考えるべきかと思う」と述べている。

<資料6> 精神障害回復者社会復帰センター設置要綱
1、設置の趣旨
 近年における精神医学の進歩に伴い、精神障害者の社会復帰は、必ずしも不可能ではなくなってきた。とくに精神病院において比較的長期の治療を受けた結果、入院の必要はなくなったが、社会適応の困難なものおよび在宅精神障害者については、適当な社会復帰のための施設で指導訓練を行うことによって社会適応が促進されるものと考えられ、そのための施設の設置が各方面から強く要望されている。これがため、この要綱が定める施設を設置して、精神障害回復者の社会復帰の促進を測るものである。
2、名称
 精神障害者回復者社会復帰センター(仮称)
3、性格
 センターは、精神障害者を一定期間収容または通所させて適切な医学的管理のもとに、必要な生活訓練と職業訓練を行うことにより社会復帰を促進することを目的とする。
4、組織
 センターに次の4部を置き、それぞれ次の業務を分担させる。
(1)管理部(略)
(2)夜間指導部(略)
(3)作業指導部(略)
(4)昼間指導部(略)
5、職員および各部の配置(略)
6、施設及び設備(略)
7、入所者の決定
 入所基準に基づき、所長、精神病院の管理者その他関係者をもって構成する委員会が本人または、保護義務者の申請により決定する。
8、入所者定員
 夜間指導部100名、作業指導部40名、昼間指導部60名
9、入所期間
 夜間指導部6から12ヶ月、作業指導部3〜6ヶ月、昼間指導部3〜6ヶ月
10、退所者の決定
 退所基準に基づき前記委員会が決定する。
11、設置主体
 都府県立5ヶ所(東京、神奈川、愛知、大阪、静岡)
12、費用
 センターの設置および運営に要する費用は、都道府県が負担し、国がその1/2を補助する。ただし、運営費については、入所者から給食等の相当額を徴収し、その残額について都道府県が負担するものとする。

<資料7> 医療対策委員会に佐分利課長が行った説明の要約(精神経誌、71巻、1969)
1、医療法の早期改生が困難、したがって現実論として精神衛生法による精神医療改善の突破口が唯一の方向である。(目黒)
2、現在の精神病院における外勤作業(ナイトホスピタル)は黙認しているが、医療給付、労働法課税、生保による扶助などの金の面で問題があるが、ここで学会案や宮城県精神衛生協会案のような単独の社会復帰病院になると施設人員の基準を設け、外勤の可否を規制することになる結果、不合格病院が多くて混乱が起こる。したがって現段階ではなるべく精神病院付属のナイトホスピタル病棟という形で我慢してほしいということになる。
3、そこで卒業してゆくのは優等生で、その次の中等生をなんとかしなければという専門家の話で、日本の医療法で病院にならないものになるが、これがナイトホスピタルとしてのこの施設を考えた。
4、この施設に入る障害者の範囲は……ナイトホスピタルを卒業した人で、優等生までいかない中期の患者すなわち2年以上入院して、症状が半年以上安定した、ナイトホスピタルで3〜6ヶ月観察していて大丈夫というものを送りたい。中期の精神分裂病に限りたい。ここへきてできれば6ヶ月〜1年で卒業してもらいたい。。
 1年で卒業できぬ者、あるいは途中で再燃した患者は元の病院へ戻す。
5、この案では収容人員100名、通園人員100名、合計200名の人を対象とし、施設の坪数は800坪、職員数34名、センター長、医師、非常勤医師各1名、事務関係3名、残りはパラメディカルスタッフ、及び助手。建設費は建物に9300万円、附属設備500万円、併せて1億円。その1/2を国庫補助、残りは融資。運営費(平年度)約3900万円、ホステル部分の100名収容者中70名は無料、残り30名は所得に応じ徴収、デイケア部分の60名については昼食代徴収、かかる患者負担が80万円あり純粋な赤字は3100万円で、その1/2は県の負担(これは特別交付税を支給)
6、社会復帰病棟を伸ばすには補助金の申請をしてほしい。その運営費ということになると作業生活療法の点数化を待つほかない。
7、昼間指導部(デイケア)にくる回復者は夫々(元々?)他の病院に通院していた主治医のいる患者が多くなると期待して考えた。(目黒)
8、作業指導部の指導内容は宮城県精神衛生協会案にあるような木工、塗装、裁縫等の仕事で、作業意欲や慣れをつけて次の職親や職業訓練所へ渡す前段階の役割を果たす。
9、所長は二等職(課長級)であるが、所長になる人の格により部長級となることもある。


p93、20行
 この厚生省案には(資料6)当初から、性格が曖昧であり、医療が十分に行えず、社会復帰に役立たないのではないかというレベルの反対論ふが多かった。〜…そして、討論の結果、まとめられた要望書は下記のようなものである(資料8)。これは江熊委員長より提出された原案のうちモデル的社会復帰病院設置の要望については削除したのち、理事会で全員の賛成を得て採択されたものである。これは当時、江熊らがなお、病院機能分化とホステルに固執していたことを示すものである。

<資料8> 精神科衣服障害者社会復帰センター設置要綱(厚生省案)についての要望書 日本精神神経学会 理事長 保崎秀夫
 
 表記要綱が精神衛生法「改正」時の付帯決議にもとづき、精神障害者の社会復帰を促進しようという意図のもとに出されたものであることを当学会は否定するものではありません。
 しかしながら、今回の厚生省案には、精神科医療の現状に照らして、医療的にもかなりの問題を含んでおり、このまま実施に移された場合、主観的意図の如何に関わらず、結果的には、精神科医療、なかんずく、社会復帰家用の促進を阻害する要因となる可能性すら予測されます。
 しかも、社会復帰施設のあるべき姿、病院医療との関係などに関しては、本学会及び病院精神医学会において、目下検討が続けられており、若干の成果も報告されつつあることは、すでにご承知の通りであります。
 しかし十分討議が進み、一応の結論が出されるまでにはなお一定期間を必要とするでしょう。この時期にあたり本案を実施することは精神神経学会として強く反対せざるを得ません。
 以下、簡単にその理由及び本案の問題点について記し参考に供したいと思います。
(一)社会復帰施設に対する学会の基本的考え
 現在精神病者、慢性分裂病の社会復帰が停滞している最大の要因として、病院医療の中に作業療法(院内作業、保護工場なども含む)、社会復帰病棟、訪問指導などの社会復帰のための活動が、財政的裏づけをもった医療として正しく位置づけられていないという事実が指摘されます。一方一部の先進的病院でのこの種の試みが、種種の制約はあるにしろ一定の成果を挙げていることも事実であります。この成果が一部の病院の実験的成果にとどまり、一般化されえない現状こそが第1に問題とされるべきと考えます。
 この現状を直視し、改革することなく、本案に示されたごとき施設を安易に設置することは精神科医療、特に病院医療の現状を固定化し、精神科医療の重要な一部門であるリハビリテーション活動を医療から半永久的に切り離す結果に陥る危険性をもつと言わざるを得ません。このような危険を防ぎ、しかも貴当局真剣に志向されている社会復帰促進を実現するためには、現在指し当たって必要な行政的措置として、次のことに着手すべきと考えます。
@作業療法、社会復帰病棟、訪問指導、「ナイトホスピタル」、「デイホスピタル」などの病院におけるリハビリテーション活動を、一定の基準のもとに、財政的裏附をもった医療として法制化すること。
A職親制度を法制化すること
 同時に地域精神衛生活動強化のための行政指導の充実も重要な問題になってまいります。
 以上は日本精神神経学会「中間施設に関する小委員会」案にも述べていることでもあり、学会いおいてもさらにこれを完全なものにすべく検討中であります。当局においても精神科医療を発展させるという立場から、精神障害者の社会復帰に対する基本的方策を再検討することが必要と考えます。
(二) 厚生省案の問題点
 以上社会復帰施設に対する学会の基本的な考えを述べましたが、更に厚生省案のもつ具体的問題点について若干指摘いたします。
@施設の性格があいまいである。
 学会の「中間施設に関する小委員会」案にも「医療施設でもなく、更生施設でもないあいまいな性格の施設は考えるべきではない」と強調されております。ところが厚生省案による施設は、保護工場、ナイトケア、デイケア、など当然医療であるべき課題を扱いながら、医療の枠からはずれた施設としての性格を持たざるを得ません。
A入居対象者の基準が不明確である。
 どの程度の病院内リハビリテーションを受け、どの程度まで病状(社会適応能力も含む)が改善されたものが入居対象者となったのか。どの程度の環境条件に適応できるようになった者が退所対象者となるのか。施設での指導目標をどこにおくのか。などが不明確であり運営にあたって混乱を招来することは必至と考えざるを得ません。
B医療行為が不明確である。
 精神分裂病の社会復帰を保障する鍵は単なる職業訓練や施設内での生活指導にあるのではありません。社会生活、職業訓練を体験する中で生ずるさまざまの精神的動揺や生活上の破綻を精神医学的見地から支え指導しつつ乗り越えさせていくことによって、社会適応能力を社会適応能力を再獲得させることにあることは論を待ちません。これもある意味では急性期の患者以上に、個別的なきめ細かい働きかけが必要となります。厚生省案における対象者数に対する医師数の問題をひとつ取り上げても、真に社会復帰のための医療的指導が行いうるが疑義をもたざるを得ません。
Cその他費用負担、給食方式などについても不明確な点が多く、危惧の念を持たざるを得ません。
 以上本学会医療対策委員会において検討した要点を申し述べました。意のあるところを充分御賢察の上、精神科医療の大網を誤らぬよう、格別のご配慮を要望したします。(以上資料8)
 
 この要望書は各方面に配布され、これにもとづいた決議案が理事会案として1970年4月の大67回総会に提出されたが、「社会復帰センター構想の思想的根源になっている学会小委員会案を再検討すべきである」「生活療法、作業療法が療法という形で与えられたこと自体に問題がある。その再検討なしに作業療法の点数化などを求めるのは問題である」等という発言が続き、「(1)精神障害回復社会復帰センター要綱(厚生省案)に反対する。(2)同センター設置のための措置をただちに中止されるよう強く要望する」という2点が決議として採択された。
 結果的には、当初の厚生省の計画(全国5ヶ所)は崩壊し、すぐに機能しえたのは川崎市立精神障害リハビリテーションセンターと、学会とも厚生省とも直接には関係なしに設立された世田谷リハビリテーションセンターであり、後にも岡山にできただけであった。

p94、18行
 1971年6月、第68回精神神経学会総会は「精神医療の現状と『中間施設』というシンポジウムをもち、中間施設問題の総括を行った。
 寺嶋正吾はまず、次のように話し始めた。『昭和46年4月付けの政府資料「精神病院の管理運営適正化対策について』というのがあります。それをみますと次のようなことが書いてあります。
 『精神病院の不祥事件として世論の批判を受けている点は、次の諸点である。
1、超過入院、2、医師看護職員の確保不足、3、入院患者に対する不当拘束、4、入院患者に対する暴力行為、5、作業療法の実施上の合理、6、精神病院の施設、設備の不十分、7、信書の閲検行為、8、面会の制限
 以上の諸点を具体的に詳細に検討してゆくと必ずしも精神病院の身の責に帰するものではなく、国および都道府県の施策の不十分が考えられるものもあり、また、精神病院の意志の不徹底、説明不十分等による誤解、偏見等に基因するものもある。〜…そして結論的に「こうみてきますと、社会復帰センターの性格が精神病院のアッペンデックス(Appendix)toして新に装着されるところの第二種病院的、あるいは救護施設、厚生施設、授産施設、宿泊提供施設的な性格をあわせもたされた不可解な性格の施設であることが、もはや明瞭であります。そこは、魂を病んだ人間が、残った力をふりしぼって生きてゆくことを援助していう施設ではない。もっと言えば、社会復帰センター設置によってもっとも問題の多い病院治療の現状から眼をさらさせ、それを固定化し、リハビリテーションの活動を医療から切り離すことをたくらんだ険悪な意図を秘めた画策であると考えざるを得ません…。
 …私は原理的に多くの構造的欠陥を持つ精神医療の現状を告発し、幻想的な中間施設論よりむしろ新たに論理構築をやり直し、それに基づく新しいものを実現していく力について考えるという私の立場を明らかにして話を閉じることにします。」と結んだ。

p98、3左列0行
 この後、討論に移ったが、討論は殆んどすれ違いのまま終わった。〜…内容も1971年のシンポジウムに比して後退していたといえよう。それこそ、この「施設」案の持っている本質でもあった。前回のシンポジウムでは「回復者センター」が「社会復帰」を進めていく際の武器になりえるのか、かえって阻害物になるのかが問われた。今回の「施設」は殆んど誰の目にも「社会復帰」を促進するものでないことが明白であった。厚生省でさえ、「社会復帰施設」として提起しなかった。「医療効率を高め、安くつく医療に貢献する」か否か(佐々木勇乃進)が問われたのである。

p98、右列13行
 すでに述べたように厚生省が学会を完全に無視しようとしている。そして、日精協とのとりひきの中で今回の「施設」案が出されてきたことはすでに明白である。〜…精神病院管理研究会では1977年11月号に「中間施設」「ナイトホスピタル」「デイケア」について討論している。…
1、1955年ごろ出されてきた第二種病院構想には経営的見地から反対してきたが、その結果作られた緊急救護施設については、ことに大病院が自らの機能分化として「利用」してきている。
2、中間施設構想は日精協独自の試みとして準備され、実態が作られて来ている。たとえば、自転車復興会の補助金などにより、1965年に「社会復帰病院」として医王が丘病院が金沢に造られ、1966年には浅香山病院にあけぼの寮という宿舎がつくられている。「中間施設」として救護施設をつくる病院も1958年ごろより増えている。(例えば、1970年山形みやま荘、1976年岡山慈圭病院)。更生施設としては1956年、石川の松原病院が七尾厚生園をつくっている。
3、世田谷リハビリテーションセンターなどの試みは実践報告としては拝聴しながら、経営の面から見て「利用」し得ないことを明確にしている。

p99、左列21行
…厚生省側の意図が10月号で明らかにされると(資料3)、ますます日精協内部の意見はまとめにくくなっているように見える。その理由は以下のようなものであると思われる。
1、今回の「施設」案は「社会復帰」対策というより直接的には医療費削減という国家財政の問題として提出されてきたことが明らかにされ、精神科点数アップとのからみから厚生省が強引に証人をせまっていること。
2、そのことから承認やむなしという雰囲気が強まってきているが、医療施設内収容から医療施設外収容へという厚生省の方針に経営者としての危機感も高まっていること、例えば「第二種病院構想のむし返しではないか」という危惧が再三述べられている。
3、病院を機能分化し、ベッド数の増加をおさえ、老人、中毒、合併症を送り込もうとする厚生省方針に大病院は適応できると考えているようだが、近代化、合理化が困難な中小病院は難色を示していること。例えば仙波は病棟の機能分化を行うには「病院のサイズとして200床以上の病床が必要であり、日精協加入病院のなかでそれにあてはまる病院は50,2%である」といっている(「月報」1978、7月号)

p99、右列4行
 これらの動きの中で、日精協社会復帰対策検討委員会は中間報告に対する委員会答申(委員長:佐々木勇乃進福間病院院長)を「月報」12号に発表した(資料9)。〜…まず、答申は「リハビリテーション医療を、無報酬のサービスとして軽視した結果、わが国の精神病院は著しく生彩を欠き、諸外国に遅れをとった」「にもかかわらず中間報告はその反省を欠き、いかにも精神医学のめざましい進歩が、今日、リハビリテーションを志向するに至らしめた如き言辞を弄しているのはいかんである」と基本的認識に誤りがあることを指摘する。そして、さらに「中間報告は表向き、慢性分裂病患者の社会復帰についての国の施設を求めたものである」がその本質は医療費削減にある。なぜなら「国はまずその具体策として、精神病床を人口万単位(対?)25床におさえる」ために「中間報告の終わりのほうに、あいまいにちょっぴり述べられている…養護施設の「開発」を考えており、「このことだけが、すでに54年度の予算案に計上されているのである。(53年9月)。国は是が非でも承認させたいのである」と延べ、強いプレッシャーかかけられたことを示唆している。そして「社会復帰病棟、とりわけ、社会復帰訓練棟をめぐって、具体的な提案もなく、また、ナイト・ケア病棟については殆んど触れずに、それらを飛び越えて、一挙に、性格のあいまいな養護施設(精神衛生社会生活適応施設)が突如としてまかり出ることは、社会復帰事業の推進というよりは、むしろ、医療費の節減にアクセントがあると受け止められても致し方ないのではないだろうか。もし、日精協に抵抗に対し、医療費アップの抑制をもって臨むということにでもなれば、理を抜きにしての力の対決ということになり、医療界は、収拾のつかない混乱に陥ってしまう危険がある」と激しい調子で述べている。

p100、左列8行
…日精協内近代派のイデオローグであり、今回の中間報告の作成者の1人、竹村堅次は第7回精神病院管理研究会(1968,11,9)の「中精審の中間報告(意見)をめぐる諸問題」というパネルディスカッションで「病院の機能分化論」を軸に今回の施設(案)が「リハの考慮が入っているとは思い難く、特殊老人ホームにほぼ近い」と認めたうえで「“すべての中間施設論議は病院医療の充実から”というスローガンを掲げることであります。もっとも、今回の厚生省案の社会復帰施設が予算提出の技術的問題などから、その具体化が線香したとしても、…長期化し、老齢に向かう分裂病者の退院先の確保という意味では、一考に差し支えない」というきわめてすっきりした論陣を張っているのである(資料10)

p108、左列33行
 世田谷リハ(ビリテーションセンター)の総括は(1)かなりの職員数をもち、年間3億円近い赤字をもってすれば、かなりの社会復帰活動を期待できる。(2)にもかかわららず、5,6年経てば「アフターケア」という形で関わらねばならないケースが増大し、(3)それが、充分に達成できなければ再入院、再入所するケースが多い、ということになろう。だがこの総括は病院開放から退院へのはたらきかけ、さらに「地域」におけるかかわりの重視という方向をもちながら進んできたわれわれの実践ともある意味で一致する。だが、問題は世田谷リハを権力側のショーウィンドとして、医療施設外収容への突破口としようとする動きに世田谷リハの労働者を中心としてわれわれがいかに歯止めをかけられるか、「地財危機」のなかで当然、今後おこってくるしめつけ、合理化に対していかに戦いえるかが問われるのである。

p109、左列21行
 「…そして、その「中間施設」の多くは、一言で言って悲惨である。ことに解説5年を超えたものに対しては、その殆んどが完全に「終末施設化」している。
 例えば浅香山病院(院長は高橋清彦日精協会長)の「あけぼの寮」についてみると、昭和41年に解説され、10年間に約200名の入寮者があった。寮生の社会復帰は入寮者の60%であり、職業的に見ると一般事業所に75%、「浅香山病院の単純労働―清掃とか病棟関係の雑役などに特別臨時職員というかたちで採用してもらっている者」22%という。さらに現在、寮生の4割は地域の事業所に通勤しているが、残りの6割は病院に勤めている。これでみればあけぼの寮は完全に病院の低賃金労働者送り出しの聞こうとして存在し、彼らの「職員寮」となっているのが現状であり、しかも、「特臨」と呼ばれる人たちの方が明らかに『社会復帰」が困難になっているということである。また、寮の運営には患者は全くタッチさせていないという。」


>TOP

■新聞記事

以下、作成:仲あさよ

◆2006.3.26 『京都新聞』朝刊 p26

 精神障害者の社会復帰を支援する 勢子 真司さん(42) 自身と誇りをもつ働く場を
 新風館(京都市中京区)で木製玩具店などを経営するNPO法人(特定非営利活動法人)ユニバースと、精神障害者の社会復帰施設メゾンみやこ(南区)の核を担う。「みんなの希望に寄り添い、背中を押された。やっと少し花開いたかな」
 1998年、府のこころの健康推進委員となり、精神障害者の共同作業所を見学した時の衝撃が忘れられない。やっと見つけた木造平屋は今にも壊れそうだった。「心の病はだれにも起こりうるに、行き先はここか」。理想を語った会議で「できるもんならやってみろ」と批判され、引き下がれなかった。2000年12月、向日市で共同作業所を開いた。
 02年4月メゾンみやこの開設は、住民の反発で難航した。「違う場所に作ればいい」。三度目の説明会では午前0時過ぎまで話し合った。開設後、入所者が地蔵盆に参加したり、住民と一緒に公園を掃除するなど、着実に距離は縮まってきた。
 しかし、精神障害者が一般企業に働き口を求めるのは難しい。「面接で断られない会社がほしい」の言葉に押され、木製玩具店の開業にこぎつけた。「みんなの働く顔は自信と誇りに満ちている」
 昨年4月、メゾンみやこで2年間暮らし、作業療法士を志して専門学校に入学した少年が自殺した。「心の病を武器に一緒に働こう」と語り合ったが、入学するなり休学。「中学、高校でいじめを受けた苦い思い出を拭えなかった。逃げ場所を作ってやれていたら」と悔やむ。グループホーム建設など新計画が実現に近づく。一周忌、少年の墓前に夢の行方を報告する。(京都市南区)

◆2006.7.11 『京都新聞』朝刊 p 6

 あしたの医療&介護
 重度精神障害者在宅生活を実現   
 重度精神障害者の在宅生活を往診と訪問介護、ボランティアで支えようという、全国でも例のない取り組みが京都で芽生えている。世界で突出して多い精神病院への長期入院が、国内外から批判を浴びる中、新たなモデルとして関係者から注目されている。
 京の医師やボランティア、夢を後押し モデルへ三位一体連携
 京都市に暮らすケイコさん(30)=仮名=が統合失調症を発病したのは中学3年の時だった。「きっかけは学校でのいじめだった。病名は本人にも伝えなかった」。母親が振り返る。
 入退院を繰り返した。「幻覚、妄想、徘徊・・・。病は勢いを増し、20歳前後からはほとんど会話もできなくなり、自殺未遂まで図った。いま、ケイコさんの希望を受け、自宅での生活を続けている。支えるのは3年前に出会った主治医の高木俊介医師とスタッフら。
 ケイコさんが望んだ「10年遅れの成人式」も晴れ着で祝った。外出支援で近所のプールにも行けた。「娘のために向き合ってくれる主治医、夢を後押ししてくれる看護師さんや精神保健福祉士さん。希望もなく、停滞していた毎日が一変した」と母親は喜ぶ。高木医師は「多くの統合失調症患者は、地域にいま少しのケアがあれば家で暮らせる」と言い切る。
   ◇◇◇
 京都大病院の精神病棟長などを務めた高木医師は2年前、京都市中京区のオフィスビルの一角に、往診を中心とした精神科診療所「高木クリニック」を開いた。
 看板もない部屋に十人前後の若いスタッフが頻繁に出入りする。NPO法人「京都メンタルケア・アクション」の事務所と精神科専門の訪問看護ステーション「ねこのて」が同居するからだ。
 往診、訪問看護、NPOの福祉ボランティアの三位一体で、精神障害者、特に難しいとされる統合失調症患者の地域での暮らしを支援するモデルに取り組む。三者で連携して自宅を訪問し、治療や服薬指導、食事や排泄の介助、家事援助など、あらゆる生活サポートを行うのだ。
 厚生労働省の調査では、日本の精神科入院患者は全国で33万人にのぼり、国内すべての入院患者の約四分の一にも当たる。先進国でも突出して多い。また、入院患者の約2割は「受け入れ条件が整えば退院可能な患者」とされる。
 だが、高木医師は「私の経験では、入院患者の6割はサポート体制さえあれば自宅で暮らせる。本当に長期入院が必要な重い精神障害者は全体の1割ぐらい」とみる。
 「欧米では入院は症状のひどい急性期のみで、慢性期まで入院させているのは日本だけ。統合失調症は誰もかかる可能性のある、ありふれた病なのに、その認識が日本の社会にない。患者を安易に病院に隔離して見えにくくしてきたからだ。この精神科医療を続ける限り、社会から偏見はなくならない」
 いま、統合失調症の約3割は薬で治る。だが、残りは安定と不安定を繰り返す。そこを支える精神障害者の在宅ケアは、これまで身体障害や知的障害とは別枠におかれ、ほとんどない状態が続いていた。
 国はようやく、4月に施行した障害者自立支援法で3障害へのサービスを一元化した。「考え方自体はいいが、ケアの水準を低くして応益負担を課した点で、ひどい法律だ」と高木医師。「ただ、施行された以上、活用する方法も考えないと。障害者同士が暮らすグループホームなどは開設しやすくなるのではないか。将来、うちの体制にも加えていきたい」。
 4月から医療保険の改訂で、往診に診療報酬が加算されたのも「追い風」という。「うつ病や心身症の増加で、精神科は待っていても患者が来る状態。往診にかかる時間で、何人もの通院患者を見た方が経営的にはいい。実際、往診中心では私の給料もも出てなかった」と打ち明ける。「往診への加算で、うちが経営的に成り立てば同じような取り組みが各地ででてくるかもしれない」
   ◇◇◇
 世界保健機構(WHO)が将来的に人類最大の疾患になるとも予測する精神疾患。往診を受けるケイコさんのそばで、母親は「大半の患者や家族は偏見の中で、助けもなく孤立しているんです」とこぼした。(文化報道部 高田敏司)

◆2008.1.28 『京都新聞』朝刊 p21

福祉のページ UP地域の力 京都南部の精神保健福祉を考える会かわせみ
 孤立防ぎ心の支えに 市民の理解を広める
 心の病をがある日とも、安心して暮らせるように―との願いで作られたNPO法人京都南部の精神保健福祉を考える会かわせみ(宇治市、理事長・加藤博史龍谷大短期大学部学部長)。精神に障害のある人への福祉施策やサービスは、身体障害、知的障害に比べてまだ遅れている。「人として当たり前に暮らしていける」には、地域社会の理解と協力が欠かせないと、食事会や講演など地道な活動を続けている。
 昨年末、宇治市五ケ庄の東宇治コミュニティセンターで、かわせみが毎月催す地域夕食会「まんぷく会」が開かれた。精神に障害があり、自宅療養を続ける人たちやボランティアで調理をする主婦、病院や保健所、共同作業所などの関係者ら20人近くが集まった。食卓を囲んで和やかに話し合いながら食事を楽しんだ。この日はテーブルにクリスマスプレゼントも用意された。9年間ボランティアで調理を続けている太田敏子さんは「皆さんが自然な形で食事を楽しんでもらえるように心がけています」という。
 かわせみの設立は1994年。長い間、精神障害者が抱える問題の多くは、病院や医療の分野で考えることであり、福祉の分野としては受け止められてこなかった。93年に障害者基本法が施行されて、精神障害者へ福祉の光が当たるようになったのをきっかけに、病院や保健所、共同作業所などの関係者を中心に、会を設立した。
「精神に障害のある人と市民とのパイプ役になる」との考えに基づき、食事会のほか、精神保健福祉の理解を広げるための市民講座や地域での研修会、研究活動などを行っている。12月22日には、奈良の精神障害者の男性の話を聞き、心の病について参加者らが話し合った。
 こうした活動の中で全国的にも注目されたのが「コンパクト・パーソン方式」と呼ぶ障害者を支援する手法。北欧での活動を参考に、研修を受けたボランティアらが「友だち兼助言者」として話し相手になり、社会的な孤立を防いで心の支えになろうとする。宇治市社会福祉協議会と共同で2000年から試行し、同社協が03年からはボランティアを一般公募して事業に本格的に取り組んでいる。かわせみ理事長の加藤さんは「この活動を通して、社会とのかかわりを回復している人が何人もいる」と、事業の成果を挙げ、「制度として確立できれば」と今後の課題を指摘する。
 加藤さんは、精神に障害のある人たちに対する社会の理解は確実に深まっているが、それでもまだ偏見は少なくないという。このため、今後さらに一般市民との交流を進めたり、教育分野で子どもたちの理解を深める活動を続けたいという。加藤さんは、アメリカのカーター大統領の妻が、精神障害者がどのように遇されているかで、その社会の優しさが分るといったという話を紹介しながら、「この視点が一番大事なことではないでしょうか」と強調した。[京都南部の精神保健福祉を考える会かわせみ 宇治市木幡南端53-7  Tel 0774(31)5088 ]

◆2009年3月13日『京都新聞』 朝刊

「木で鼻くくった回答を」―精神障害者対応長野県の職員マニュアル
外部からの要求や問い合わせへの対応について長野県人事課が作成した職員向けマニュアルに「精神障害者等への電話への対応」として、丁寧な対応を前提としつつも「(相手の話が)事実でない限りは、木で鼻をくくったような回答以外ない」とする記述があることが13日、分った。人事課は「差別を助長する意図はなかったが、分りやすい表現をしようとして逆に配慮を欠き、ごかいを招いた」と説明。早急に表現内容を見直し、マニュアルを作り直すとしている。記述があったのは、今月作成されたばかりの「悪質クレーマー対応マニュアル」。不当な要求などへの対応と並べて、精神障害者らへの電話対応として、「精神障害者や精神的ストレスを受けた者から意味不明な、または事実とは異なる被害妄想的な電話が増える場合がある」と指摘。さらに問題となった記述が続く。

◆2009.5.3 『京都新聞』朝刊 p7

 やすらぎトーク 「麦の郷」理事 伊等 静美さん 「ほっとけやん」を貫きたい 前へ進めば道は開ける
 和歌山には「ほっとけやん」という方言があるんです。ほっとけん、なんとかせなということです。麦の郷では、障害の種別を問わず、引きこもりなどの問題でも何でも相談を受けたら、みんな受けてしまう。まずニーズがあって、制度があるとかないとかより、目の前解決せないかん課題を何とかしよう、この気持ちが基本です。
 お金がながなくてもあきらめません。土地や資金提供の申し出があったりして不思議とうまくいく。本当に必要なことやったら道は開けます。今麦の郷が支援している人々は、障害者だけでなく子どもさんからお年寄りまで千人を越えます。青写真があってこうなったんではないんです。「ほっとけやん」で前へ進んだら、こうなったと言うのが実感です。
 麦の郷は社会福祉法人一麦会(田中秀樹理事長)が運営する和歌山市や隣接する紀ノ川市に点在する三十を超える施設とその事業や活動の総称だ。始まりは1977年に開設した無認可共同作業所。養護学校卒業生の働く場つくりから対象が精神障害者へと広がり、やがて本格的な就労の場として全国初の精神障害者福祉工場が実現する。一方で障害の早期発見のための乳幼児健診実現の運動が加わり、不登校の児童・生徒や引きこもり青年の支援につながっていく。さらに障害者の高齢化で、在宅での介護や看取りから仲間による葬儀まで幅は広がり、ライフサイクル全体の総合的支援を目指している。
 <堂々と物言える環境>
 「僕も働きたい、友人が欲しい」という盲ろう青年の思いを実現しようというのが始まりでしたね。思い脳性まひの人、知的障害の人らも作業所に来るようにな利精神障害の十代の姉弟が来たんです。 
 最初は何も知識がなく、精神障害者への偏見をあおるようなマスメディアの影響もあって私たちも不安でした。でも付き合いが深まるにつれ、きつい症状の一方で、すごく優しい面がある。それを否定せず大事にしていけば、社会の中でやっていけると感じたんです。
 精神障害者の置かれた状況はひどいもので、いったん入院してしまうと病院から出られない。彼らの働く場や生活の場をつくるには、社会に理解を深めて喪らわんといけません。そこで1989年に和歌山県全域で精神障害者の社会復帰を進めるキャンペーンをしました。そのときは当事者に前面に出てもらい、本人や家族が堂々と顔を上げて名乗り、自分たちの行かれている厳しい状況を訴えました。そのことの反響は大きかった。運動が進みました。
 どう頑張っても私たちには本人の代弁はできません。自分の問題として堂々と訴えてほしい。そして当事者が前に出ることがデメリットにならない環境、自分は精神障害者だとはっきり言っても生きていける働く場や生活の場を作り上げていくことが本当の道だと考えています。
 <この伊藤さんらの取り組みをモデルにした映画「ふるさとをくざさい」が、全国で静かな感動を広げている。共同作業所の全国連絡組織である、きょうされん(西村直理事長)の三十周年記念映画で、ジェームス三木さんが脚本を担当した。コミカルな笑いも交えながら、「知らない」ことの弊害、「知ること」で地域に生まれる交流と共感が描かれている>
 <顔の見える付き合い>
 私たちは地域の理解を得るために、自治会の会員になり自治会や老人会の役員をしたり、地元の定年退職者を麦の郷で雇用したり、地元の人との顔の見える付き合いを大事にしてきました。映画ができて福祉関係の人だけでなく、地域団体の役員さんなどが見学に来てくれるようになったのはうれしいことです。
 麦の郷には地元の小学生、五つの看護学校の学生さん、司法修習生たちが毎年やってきます。福祉を学ぶ必修の場になっているんです。阪神淡路大震災を教訓に、地域に点在する麦の郷の施設を災害時の非難場所として活用したいとも考えています。施設には人材や、飲み水、食料が揃っているからね。私たちの施設は地域に役立つ社会資源なんです。地元の人に有効に使って欲しい。
 今職員は150人ほどいますが、私たちの大事にしてきたことを引き継いでくれる人が育っています。国の差策がどうであれ、必要なものは必要なんやという麦の郷の最初からの気持ちは、組織が大きくなっても大事に持ち続けて生きたいですね。
 〔いとう しずみ〕
 1933年、和歌山県生まれ。和歌山赤十字病院看護師を経て77年、「麦の郷」職員となる。社会福祉法人一麦会理事。麦の郷障害者地域リハ ビリテーション研究所所長。

◆2009 .7.6 『京都新聞』朝刊 p 20

 精神障害者施設運営 厳しく 仕事を細分化 営業日ふやす 思考錯誤続く
 精神障害者のための施設が栗しい運営を続けている。国は2004年以降、入院を中心の医療から地域生活を支援する福祉への転換を打ち出し、障害者自立支援法で就労支援の体制強化を図った。だが実際には、国が描いたようには受け皿となる福祉施設の利用が進んでいるとはいい難い。背景にはどのような事情があるのだろうか。市内の福祉施設を取材した。(広瀬一隆)
 最低の支援保障を
 「新卒で就職して10年以上、精神障害者福祉施設で働いているのは、僕を含めて市内に2人だけです」。京都市北区の「YOUYOU館」施設長の橋本史人さん(37)は言う。施設に勤めて14年になるが月給は手取りで17万円。初任給は16万円で、当時は雇用保険も厚生年金もなかった。
 自立支援法に基づく「障害者地域活動支援センター」のYOUYOU館に対し、市からの補助金は約1700万円。施設の定員によって、補助金の額は決まるが、定員を増やせば職員も増やさねばならず、給与を上げるのは難しい。「給与を上げられないため職員の入れ替わりが激しく、若手を育てられない」と嘆く。
 同区で精神障害者が働くレストランや作業所を運営する「ゆいまある」は、1999年に古田久美子さん(58)が始めた。
 精神障害者の地域での居場所を作ろうと一緒にご飯を食べることから始めたが、徐々に活動の幅を広げ、映画の上映会やコンサートなどを行うようになった。しかし2006年10月、地域活動支援センターになって運営は苦しくなった。
 センターの登録は、週2回以上通える利用者だけと定められており、気が向いた時だけ来ていた利用者の登録ができなくなったためだ。補助金が減り、11人いた職員は8人に、上映会やコンサートを開くこともなくなった。
 喫茶店などを運営する下京区の「ジョイント・ほっと」は昨年3月、一日ごとの利用者の数で補助金を計算する運営方式に移行した。利用者は料金が必要になるが月に一回でも登録でき、これまでの通所率をふまえると、移行後は補助金の額が上がると判断した。
 しかし実際は、休む人が多く出たため、移行後も補助金の額は増えなかった。日によって症状が変動する精神疾患の特性から、利用状況を予想することは難しいのが実情だ。仕事を細分化して、携わる利用者を増やそうとしたり、営業日数を増やしたりと、試行錯誤は続く。
 施設長の吉田久美子さん(51)は「今の制度でも運営次第では利用者の仕事の幅も増え、職員の給与もあげられる」と言う。一方で「利用者の多い少ないにかかわらず、家賃や光熱費などは必要だ。煩雑な書類仕事する事務職員も補助対象にするなど、運営の最低限の保障は欠かせない」と強調する。
 ゆいまあるも10月からジョイント・ほっとと同じ運営形式に移行する予定だ。古田さんは「利用者が来てくれるか不安はあるが、うまく運営している例もあると聞く。時代の流れに逆らうことはできないが、気軽に利用できる施設であり続けたい」と話した。

◆2009年6月12日『京都新聞』朝刊、p10(暮らし)

   精神疾患の兆候や対応 自ら見つめリスト化
  元気回復行動プランWRAP注目
 統合失調症、うつ病などの精神疾患で悩む人の苦しみをやわらげる方法として、「ERAP=ラップ(元気回復行動プラン」というプログラムが注目され始めている。日ごろから調子が悪くなる兆候や悪くなった場合の対応を自ら見つめてノートに書き出したり、仲間と話し合うことで、自身を取り戻すきっかけにしている。(日下田貴政)
 WRAPは「Wellness Recovery Action Plan」の略。米国で生まれた。個人で取り組むほか、「クラス」と呼ぶ少人数グループで一緒に考えるやり方がある。4年前に日本に伝わり、現在は福岡県や千葉県など各地に研究会がある。
工夫や技法読み返し
しんどさ解消へ
 5月に、兵庫県明石市で開かれた講演会には、約30人が参加した。「ファシリテーター」と呼ばれる進行役の多くが「精神面で苦しんだ時期があった」と打ち明け、ラップと出合ったことで「しんどいのは治らないが、元気になった」「今のままでいいんだと、自分が肯定される経験をした」などと振り返った。
 ラップは、まず「元気に役立つ道具箱」と呼ぶリストを書き出す。グラフ参照。元気でいるためや、気分がすぐれない時に自分なりに行ってきた工夫や技法を列挙する。例えば友達と話をする▽いい気分になれるものを身につける。▽風呂に入る――など。これらの項目を「道具」として、しんどさ解消に活用。6つのステップに進む。
講演会では、参加者を交え、模擬クラスを実施。6ステップのうち、3番目の「注意サイン」については、「気分が落ち込み、明るい色の服を着たくなる」「笑顔が出なくなる「新聞を読めなくなる」などの事例発表があり、実際に進行役が模造紙に記入していった。
 それらの兆候に気付き、悪化を防ぐための対応については「ひたすら寝る」「信頼できる人に辛いと思うことを話す」「肯定的な言葉を毎日いう」などの方法が発表された。
 自作のラップは、日々読み返すだけでなく、友人や医師に示し、いざというときの援助にも活用できる。
友人や医師に対し
いざというとき活用
講演会を主催したのは、関西でラップの普及を目指すグループスマイル・ツリー」。メンバーの1人で、専門職としてかかわる大学院生の二星理沙さん(35)=明石市=  
は、「ラップは精神症状をもった人がびくびく生きるのではなく、肯定される実感が得られる方法」と魅力を語る。例えば、仕事を休む理由にしても、「調子が悪いから」ではなく、「元気になるために今休もう」と捉える。「医師に対しても言い出せないことがあるとき、落ち込むくらいなら はっきり言おうと、自分の人生引き受けるきっかけになる」 と話す。
WRAP(元気回復プラン)のイメージ
まずは「元気に役立つ道具箱をつくる」
元気を回復するのに役立つことのリスト

このリストを参照にしながら以下のステップに
1 日常生活管理プラン
・ いい感じがしているときの自分
・ 元気でいるために毎日すべきこと――など
2 引き金
・ 調子を乱すかもしれない出来事や状況
・ そのような引き金になることが起きた場合にするプラン
3 注意サイン
・ 調子を崩しつつあるかもしれないことを示すかすかなサイン
・ そのようなサインに気付いた場合の対応
4 調子が悪くなっているときのサイン
・ クライシス状況までにいかない。まだ自分で対処できる状態のサイン
・ そのような状態に気付いた場合の対応
5 クライシスプラン
・ クライシスの状態にいることを示すサイン
・ 普段の自分を定義するための情報
・ サポーターの名前と、それぞれの役割
・ 受けてもよい治療とそうでない治療、その理由
・ 非常に困難な状態に陥っているときにサポーターにしてほしいこと、
・ してほしくないこと――など
6 クライシス後のプラン
<『元気回復行動プラン WRAP』(道具箱発行)を参照>
「希望に起き、愉快に働き、感謝に眠る」

◆2009・8・25 『京都新聞』朝刊p28

  この声けを届け 法のすき間で @大切な居場所を守って 「出席率」重視 現場に不信
 誰もが、幸せに、自分らしく生きたいと願う。しかし、国は「自立」や「効率」の名のもとに、多様な生き方を奪ってはいないだろうか。
 「小泉改革」以降に国会で成立し、弱者のセーフティーネット(救済策)になるはずの法律のすき間で、懸命に生きる人たちの声に耳を傾けた。(藤松奈美)
「さよならー」「明日も来る?」「うん」。宇治市の精神障害者の共同作業所「ほっとハウス」。利用者がかえる時にあいさつを交わす。決められた作業はなく、自由に過ごせる憩いの場だ。
 宇治市や京都府などの補助金三千万円で運営する。今、障害者自立支援法に基づく施設への移行をせまられている。国は、働くことを目標にした「就労支援型」を推奨するが、ほっとハウスは憩いの場を守る。「地域活動支援型」を望む。
 どちらに移行しても1日あたりの利用者数で運営費の支給を計算するため、「出席率」が高いほど金額が増える。しかし、精神障害者は、日によって症状が大きく変わる。毎日来ていたのに突然3ヶ月以上休むこともある。
 重度の人はさらに長期間休むこともある。
 今の利用状況のまま地域活動支援型に移行すれば、運営費は1500万円に半減する。全員が月15日以上来ても、上限の1800万円しか支給されない。
 運営費が減れば、職員を減らさざるをえない。障害者を守るはずの法律なのに、重度の人をケアするほど運営が圧迫される矛盾。就労支援型を選べば運営費は増えるが、スタッフの棚谷直己さん(47)は「働ける人ばかりじゃなく、くつろぐ場が必要な人もいる」と話す。もし移行すれば「帰宅前に『また来てね』と声を掛ける時『必ず来いよ』という意味で言ってしまいそう」とつぶやく。
 城陽市の石井雄一さんは(27)は民間会社で週三回働き、ほっとハウスに3日通う。陶芸などを楽しむ時間が働く原動力だ。働いているから、来所は月15日に届かない。
 国の勧める自立が就労なら、石井さんは頑張っているのに、それを支える施設では「効率優先」の対象外となる。
 こうした現状から、府内の精神障害者施設の移行率は約2割で、身体・知的障害者施設の5割より低い。
 アルコールやギャンブルなどの依存症の回復施設も、障害者自立支援法の網に入る。依存症の人の共同作業所「京都マック]
(京都市北区)も、出席率が予測できず、移行に踏み切れない。
北区のアルコール依存症の女性(45)は昨年6月、初めて京都マックを訪れた。「1人でも止められる」と数ヶ月で足が遠のいたが、すぐに飲酒してしまい今年6月に再び頼った。「勝手に裏切ったのに、『よく来たね』って迎えてくれた。ありがたかった」。うつ病もあり、週1回通うのが精一杯だ。
 移行の期限は2011年度末に迫る。辻井秀治施設長は(63)は、「依存症は重症の人ほど何度も挫折するし、回復に時間もかかる。どんなっ人でも受け入れ、手を差し伸べる施設でないと、存在する意味がない」と憤る。

◆2009 .10 .5 『京都新聞』 朝刊 p1

  知的障害の人 学び継続 京に「支援」後の大学校 開校式でボランティアと合唱する参加者たち(京都市北区・立命館大学) 
  音楽や美術 講座、多彩に
 知的障害のある人が特別支援学校を卒業後も継続して文化やスポーツを学べる場を保障しようと、障害児教育に詳しい滋賀大名誉教授の日地元文朗さん(74)=京都市東山区=が呼び掛け人となり、「京都 知的障害をもつ人々の大学校」を市内で立ち上げた。家族や支援者も含めて受講生を募り、多彩な講座を定期的に開いていく。
 藤本さんは、滋賀大教育学部付属養護学校の校長を務めた経験もあり、教え子たちが卒業後、職場や通所施設以外に外出する機会が少ないのを目の当たりにしてきた。大学校は「特別支援学校の高等部を卒業後も、さらに学習の機会を確保しょう」と、教え子や障害児教育の関係者に発足を呼びかけ、任意団体として設立した。
 北区の立命館大学で7月に行った開校式には、障害者9人を含む34にんが参加した。ギターやアコーディオン演奏に合わせてフォークソングを合唱したり、DVDを見ながら平和について学んだ。 
 今後は受講生の希望を聞きながら、音楽や美術などの多彩な講座を年4回ほど開く。寄付金やボランティアを募ることで、受講料は原則無料にする。また、有志によるカラオケ大会などの「課外活動」も積極的に企画したいとしている。
 藤本さんは「単なる交流の場だけでなく、受講生の努力をサポートして共用を深める場にしていきたい」と話している。
次回は11月3日午前10時半に京都府大山崎町の寶積寺に集合し、されぞれの体力に合わせてボランティアと一緒に天王山を歩く。申し込みは24日までに事務局の富士本さんTEL075(541)5270.(三好吉彦)

◆2009 . 10 . 19  『京都新聞』朝刊 p26

 障害家族の困難探れ 家族会連が府全域アンケート 社会の在り方、問題提起
 「京都精神保健福祉推進家族連合会」(京都市右京区)が精神障害者を支える家族直面する困難についての「家族研究」を進めている。今月から京都府内の家族を対象に大規模なアンケートを行い、病への偏見から孤立しがちな家族の支援策を社会に訴える。
 家族研究は同連合会の会長野地芳雄さんの発案。野地さんは、精神の病や障害を背景に自殺や家族間の殺人などが起こって初めて、当事者や家族の苦しみに光が当たる現実に悔しさをかみしめてきた。「当事者、家族の存在は地域で分っているはずなのに、悲劇を防げない・歯を食いしばって支える家族からの問題提起こそ、展望を開く鍵」と家族の声を集めるアンケートを計画した。
 基になったのは同連合会が昨年度、京都ノートルダム女子大の佐藤純准教授ら精神保健福祉の専門家とともに、府内の家族12人を対象に行った聞き取り調査。発病から病状の安定までに家族が体験した危機と、どう切り抜けたかを尋ねた。
 調査からは、受診や薬の服用の難しさ、近所とのかかわり、当事者から目が離せない状況など必死に病と向き合う家族の姿が浮かび上がった。保健所や医療機関の臨機応変な対応が支えになったこともあきらかになったといい、結果を参考に実態に即した家族の姿、率直な思いをくみ取る設問を作った。
 アンケートは府内の各家族会を通じて約500家族に届け、協力を呼びかける。本年度内に報告書をまとめる予定。結果を基に、社会や専門機関に提言する。
 家族研究は、引きこもりや親亡き後の問題などテーマをかえて続ける。野地さんは「精神の問題の背景には、人間関係が希薄化するt儀域の姿もある。社会の在り方も問う試みにしたい」と話している。(勝聡子)


UP:20080320 REV:20080321, 20091229(小林勇人
精神障害/精神障害者  ◇生存・生活
TOP HOME (http://www.arsvi.com)