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薬/薬害

last update: 20110822

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 このページは、薬(おもに精神医療で使用される薬)について書かれ語られてきたことを集積しています。

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抗うつ剤関連
日本の精神薬物療法史


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■引用


福田 眞人 20011125 『結核という文化――病の比較文化史』,中央公論新社,中公新書,269p. ISBN-13:9784815802462 4725 JPY [amazon][kinokuniya] ※

 レスター広場の帽子店で売子をしていたエリザベス(愛称リジー)をモデルにしたジョン・エヴェレット・ミレー(1828〜96)の「オフェリアの死」について。
 「肺病(結核)の咳に苦しみながら、一日何時間にもわたってリジーはミレーのために古代衣装を着て、生温かくなりがちな風呂に浮かんでモデルを続けていた。それがシェークスピアの『ハムレット』に題材を求めた「オフェリア」であった。
 弱冠二八歳の若さでリジーが亡くなったとき、その原因は肺病とも、あるいは常用していた咳止剤ロードナム(laudnam、阿片チンキ)の服用過多という説もあった。この阿片チンキというのは、今日のわれわれから見れば麻薬の一種であるが、その当時においては何の規制もなく、ときにはもっとも重要な家庭常備薬であった。その名前は無数にあるが、こたとえばそのうちのひとつ「ゴッドフリーズ・コーディアル」(Godfreys Cordial)は一種の万能薬(cure-all, panacea)であったり、あるいは咳止薬であったし、また仕事に疲れて帰宅した母親がうるさく泣く子をたった一滴で黙られる必需品でもあったりして、医師の中には健康に必要な薬として処方する者も少なくなかった。」(福田[2001:11])

 「阿片(opium)は、古来いろいろ形を変えて使用され続けてきた薬品であり、かつまた麻薬としての問題もあった。しかし、一九世紀にはとりわけ好んで医者が処方した薬である。おもに、鎮痛剤、鎮咳剤、下痢抑制剤としてであった。苦痛が取れると、一種の治癒感があり、そのことが阿片を肺病の特効薬と錯覚させるのに与っていた。瀉血に対して統計学的手法を用いて批判を展開したルイも、こと阿片については疑問も差し挟んでいない。
 阿片のもっとも有効な成分を含んだものがモルフィネ(morphine)で、その希釈液が阿片チンキである。すでにT章でふれたが、阿片チンキがどれほど一般的に用いられたかは、その成分を含んだ商品の多さでも分かる。その代表的なものは「ゴッドフリーズ・コーディアル」で、鎮痛剤から気鬱の薬として、さらにはむずかる赤子をあやす格好の家庭常備薬と考えられていて、すでに赤子のうちから一種の阿片中毒症を起こす子供もいたし、またそれが原因で死亡した者もいたのである。また、この阿片のために正常な発育を阻害されることも少なくなかった。(ここで複雑なのは、阿片中毒の事故死という可能性のほかに、ほんの数ヵ月の食費にしかならない埋葬保険をせしめるためにわが子を殺す親もいたという当時の事情である。」(福田[2001:68])

◆1950年代〜

 「一九四七年に松沢病院で開始されたロボトミーは、またたくまに全国の精神病院にひろがり、五〇年には精神外科が日本精神神経学会の宿題報告として取り上げられ、戦後の一時期はその全盛期であった(12)。[…]しかし五五年ごろより向精神薬が使われるようになると、その効果が顕著であったこともあって、ロボトミーはそのマイナスの面―人格変化をともなう脳障害の存在が明らかにされて批判にさらされ、急速に治療法としての生命を失った。それだけ向精神薬は精神の病の治療に画期をもたらしたといえる。向精神薬による薬物療法は、それまでの治療法に比べ手軽で、しかも効果が現れやすかっただけに、安易な投与や大量療法へ結びつくことにもつながり、薬物一般に共通する弊害を生み出すことにもなった。しかし、それまで「治せない」として医学的対象の外に置かれていた精神の病を、「治せる」可能性があるものとして、治療への積極的取り組みを引き出した点で、<0408<向精神薬の導入は画期的なできごとであった。」(坂口[2002:408-409])
 「一部の国立病院や療養所で試みられていた作業療法と、その延長線上にある生活療法は、向精神薬の開発後に全国の私的な精神病院に普及することになった。この背景には、向精神薬が患者を覚醒状態において鎮静させる効果があるため、電器ショックやインシュリン療法と違って、少ない人手でたくさんの患者を管理することが可能になったことがある。」(坂口[2002:409])*
*坂口 志朗  20020325 「精神障害者と「こころを病む」人びと」,川上編[2002:403-465]*
川上 武 編 20020325 『戦後日本病人史』,農村漁村文化協会,804+13p. 804+13p. ISBN-10: 4540001698 ISBN-13: 978-4540001697 \12600 [amazon][kinokuniya] ※ h01 ms

◆江副 勉 監修 1964 『新しい精神科看護』,日本看護協会

 「インシュリン療法も電気ショック療法も患者にとってあまり快い治療ではありません。全身麻酔をしても患者は電気ショック療法を喜ばず、多くは恐怖感を訴えます。それに対して薬物療法は多くは内服できますし、多少不快なことはあっても、恐怖をあたえることはまったくありません。昔は電気ショック療法の施術者である医師を恐れたり、敵視したりした患者が沢山いたものですが、いまでは職員と患者との間はなごやかなものとなってきました。」(江副[1964:258])

 「現在の精神病院は、これらの薬(引用者――クロルプロマジン、レセルピン)のあらわれる以前に比べるとひじょうに静かで穏やかになり、かつ明るくいきいきとしてきました。このような病院全体の雰囲気の変化は、また患者に対してよい影響を与え、看護者も患者を解放的にすることができることがわかり、そしてそれがいかに意義のあることかが、次第に理解されてきたのです。」(江副[1964:281-282])

岡田 靖雄 編 19640715 『精神医療――精神病はなおせる』,勁草書房, 432p. ASIN: B000JAFW54 [amazon]

1 病院内での治療
「向精神薬の作用は、細菌に直接作用する抗生物質とはちがう.この点からいえば,薬物療法は分裂病に対する原因療法ということはできない.だが、いままでみてきた効果からすれば,それを単なる対症療法と軽視することは許されまい.分裂病の原因・向精神薬の作用機序などは、今日の段階では知られていない.だが、向精神薬による治療は、より原因療法にちかい治療である,ということができよう.
 第2に、在院期間が短くなり、外来での治療がやりやすくなったという利点がある。」(p223)

「これと関連してあげられる薬物療法の第3の利点として、再発率の低下がある.
[…]
 つまり、第4の利点は、ショック療法と比べ、副作用がかるく、生命に直接関係するような重篤な副作用がほとんどないことである。」(p225)

薬物療法の問題点と将来
 「向精神薬は、いろいろな精神病のふくざつな症状に対しても有効である。それだけに、万能薬的な安易な使用の仕方もうまれてくる。そして、“薬さえのませておけば”といった、医師の側の安易な態度をうみかねない。とくに薬物の効果を過大に評価するとき、この傾向はますますつよくなる。
[…]
 一方、向精神薬の使用によって、患者の興奮や不穏な状態がすくなくなると、治療者の人手はすくなくても足りるといった、経営上からする安易さを生じかねない。今日、精神科の医師・看護者の、絶対数の不足は常識となっている。これがよい口実となって、上述した安易さに拍車をかけられるとすれば、作業やレクリエーションなどの治療活動は、不活発にならざるをえない。そしてまた、向精神薬だけで軽快しない患者は、次第に置き去りにされることとなろう。これは、今日の精神科治療の動向に逆行するものであることはいうまでもない。」(pp229-231)

 「ここに、今日の向精神薬の限界のひとつをみることができる。とともに、こうした患者には、どんな治療が必要なのか、また薬物療法を中心とした現在の治療体系そのものにも、問題はまったくないのか、という新しい疑問を抱かされるであろう。[…]
 以上ふれたような、いくつかの問題点をのこしているものの、薬物療法の将来には、おおきな期待がよせられている。そのひとつは、よりつよい効果をしめす薬物の出現であり、いまひとつは、向精神薬を手がかりとした、分裂病の病因や大脳の機能・生理についての究明であろう。もちろん、両者とも、短期間のうちに実現されるものとは考えられない。だが、現実そのものよりも、実現の手がかりを得たところに、大きな意味をみとめるべきであろう。」(pp232-233)

◆1966頃 中井 久夫

 「私は、一九六六年に精神科医となった。このことには、かなりの意味がある。一九八六〇年に医師となってすぐ精神科医になっていたならば、私はかなり違った精神科医になっていたであろう。一九六六年に精神科医になったということは、精神療法家としては、たとえば、いきなりロジャーズの洗礼を受けずにすんだということである。薬物療法的には、プチロフェノンをフェチノアジンと同時に使用しえたということである。おそらく、私は、ハロペリドールの大量使用を行った初期の精神科医の一人であろう。私は、もしキノフォルムのような副作用がこの薬物に発見された時の自分がとるべき出処進退を考えてから、かなり大胆にこの薬物を使用して、かなりの効果を収めたと思っている。同時に、私は主治医としては電撃療法を一度も行っていない[…]主義としてしないというよりも、しなくてすんだというほうが当たっているであろう(たまたま私の勤務したところは先輩に電撃をし〈0247〈ない方針の医師が必ずいた。ついでながら、電撃療法は、患者にとってはおのれの回復の筋道[ストーリー]を辿り直しにくい点で、薬物療法よりも精神療法から遠い。ことに、陽性転移感情の存在下では、ゼウス的処罰の意味を持ちうると私は思う。」(中井[2004:247-248]*)
中井 久夫 20040401 『徴候・記憶・外傷』,みすず書房,404p. ISBN-10: 462207074X ISBN-13: 978-4622070740 3990 [amazon] ※ m. d07d. ptsd

 「なぜ精神科に入ったかということですが、それまで精神科に入りそびれていたことにはいくつかの原因があります。学生のときに、同級生がデプレッシヴになったので京大病院に連れていったのですが、電気ショックに立ち会ったのです。私は非常に陰惨な暗い感じがしました。そのころは、電気部屋というのがあって、電気ショックの終わった患者さんを寝かせていました。[…]  たまたま、私は近藤廉治先生に会いました。南信病院という開放病棟で診療しておられまく近藤先生です。本当に偶然でした。彼の話はいろいろご存じだと思いますが、彼の哲学をよく表している<0147<のは、病院の建物ですね。二階が張り出して一階がへこんでいた、「凸」という字を逆さにしたような形になっているのです。どうしてかと聞くと、「こうしてあったら患者が飛び降りても、下は五メートルぐらい砂をうめてあるから怪我をしない。こうしておかないと、建物のすぐそばは犬走りといってコンクリートで固めてあるものなので、そこに落ちて、死ななくでもいい人が死ぬんだ」ということでした。近藤先生はいろんな精神病院に勤めて、それを肥やしにして作ったんだと言っておられました。初めて私が私が会ったのは近藤先生が病院を建てる前でしたが、こういう人が精神科医なら精神科医になってもいいなと思いました。
 それから、そのころ薬が効くようになってきたというのもかなり大きな要因でした。学生時代の私は、クロルプロマイジンの人体実験の被験者になっていましたが、この薬は今までの薬とはまったく違うという印象を持ちました。
 そして最後に、脳外科と神経内科と精神科との三つを考えました。[…]それで精神科にしたのですが、たいていの方と違うのは、私は精神科を明るい科と感じて入ったということです。つまり、少しおぼつかない表情にせよ、はげまされ、見送られて退院する人がいるという発見です。私の医学生の頃は、結核病棟でも伝染病棟でも死亡退院が多かった。大学病院はとくにそうでした。
 どこの精神科に入るかということを近藤先生に相談したのですが、京都は同級生が六年目ぐらいになっているから、お互いに遠慮したい、東大分院は当時、笠松章先生が精神科の教授でした。笠松先生はどんな人でも受け入れるから、このおっさんのところへ行ってみたら、ということになった。」(中井[1991→19960705:147-149]*)
 ※中井は1967年4月〜東京大学医学部附属病院分院精神科研究生

中井 久夫 1991**** 「私に影響を与えた人たちのことなど」,『兵庫精神医療』12,兵庫県臨床精神医学研究会→中井[19960705:130-152]*
中井 久夫 19960705 『精神科医がものを書くとき・T』,広英社,349p. ISBN-10: 4906493025 ISBN-13: 978-4906493029 2600+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆Cooper,David,1967,Psychiatry and Anti- Psychiatry, London: Tavistock, 128p. ISBN-10: 0345221907 ISBN-13: 978-0345221902 [amazon]=19810820 野口 昌也・橋本 雅雄 訳 『反精神医学』,岩崎学術出版社, 208p. ASIN: B000JA19X8 [amazon]

 「しかし、現実には、ナチスが何万人もの精神障害者をガス室送りにした一方、わが国においても何万人もの人びとが、脳を外科的に切除されたり、電気ショックの連続クールによって破壊されたりしている。とりわけ、彼らの人格そのものが、精神医学体系に押し込められること(psychiatric institutionalization)によって系統的に変形させられている。このような具体的事実は、まさに不在、つまり否定性――正気の人間には絶対に狂気がないということ――を基盤にしているのであるが、それはどのようにしておこっているのだろうか。」(Cooper ?1967=1981:30)

◆1975

 反対精神医学とくすり――『精神医療』くすり特集号編集後記→要確認○
「一九七五年、クーパーがサズとともに精神神経学会のシンポジウムに招かれて来日したことがある。その時、クーパーが赤レンガ(東大精神科病棟)を訪れた。談話室で入院患者と話をしている時、ここではクロールプロマジンやハロペリドールを使っているのか、と質問した。使っている、と私たちが答えた時、彼はいかにも不満そうな表情と身振りをしてみせたことがある。クーパーのような反精神医学の実践者にとって向精神薬が人間の内的自由の化学的抑圧物として忌避されたとしても不思議はない。クーパーにとって、くすりの全面否認は医師として患者との関係を結ぶこと、従って医師の専門性によって収入を得るのを拒否することと結びついている。さらに私的所有と不可分な家族を形成するこに相反するのではない。両義的二律背反によってせめぎ合っている。」(冨田[1992:305])*
*富田 三樹生 199207 『精神病院の底流』,青弓社,307p. ISBN-10: 4787230549 ISBN-13: 978-4787230546 [amazon][kinokuniya] ※

Illich, Ivan [1975]1976 Limits to Medicine Medical Nemesis: The Expropriation of Health,London: Calder & Boyars, 294+viiip. ISBN-10: 0140136150 ISBN-13: 978-0140136159 [amazon][kinokuniya]
=[19790130]19981010 金子 嗣郎 訳 『脱病院化社会――医療の限界』,晶文社,325p. ISBN-10: 4794912625 ISBN-13: 978-4794912626 \2520 [amazon][kinokuniya] ※

 「薬物は常に毒性をもつものであった。そして、薬物の望ましからざる副作用は、薬物の効力と広範囲の使用にともなって増加してきている。毎日五〇パーセントから八〇パーセントのアメリカおよびイギリスの成人は、医師が処方した化学物質をのみこんでいる。誤った薬をのむ人もいるし、汚染し、古くなった薬をのむ者もいる。偽薬をのむ者、また危険な配合の薬をのむ者もいる。消毒不完全な注射器で注射される人もいるのだ。嗜癖になりやすい薬もあるし、人体を損う薬もある。また遺伝子に変異をおこさせる薬もある。もっとも、食品染色物・殺虫剤との共同作用によってのみ、そうした副作用があらわれることもあろうが。抗生物質のために正常な細菌群に変化が起こり、過剰の感染をおこし、抵抗性のより強い微生物が繁殖して宿主(人体)を侵すこともある。また細菌のうちには、ある薬剤に抵抗力をもつ株を育てるものもある。このようにして、把え難い薬物は、驚くべきほど種類が多く、あまねく存在するインチキ薬よりも速やかに蔓延して行くのである。」(Illich[1976=1979:29])

 「薬物の過剰使用はもちろん、医師の数が乏しく貧困な地域だけの問題ではない。アメリカ合衆国では、製薬企業の規模は今世紀において一〇〇の倍数で成長している。毎年二〇〇〇〇トンのアスピリンが消費され、一人当り二二五錠になっている。イギリスでは一〇夜に一夜は睡眠剤が使用され、女子の一九パーセント、男子の九パーセントは、一年の間に、処方された何らかのトランキライザーを服用している。アメリカ合衆国では中枢神経系に働く薬剤が薬品市場の中で最も成長の早い部門であり、現在でも全売上の三一パーセントを占める。処方されたトランキライザーに対する依存性は、一九六二年以後二九〇パーセントに上昇している。その期間に一人当りの酒の消費量は二三パーセント増にすぎず、非合法の阿片の消費量は推定で五〇パーセント増である。相当量の「気分をあげる薬」と「気分を抑える薬」が、各国で医師を欺くことで入手されている。一九七五年における医療の手による嗜癖は、自ら選んだ嗜好やお祭りさわぎで幸福な気分をつくろうとする嗜好より以上に伸びている。」(Illich[1976=1979:57])

◆Szasz,Thomas S [1970]1991 Ideology and Insanity: Essays on the Psychiatric Dehumanization of Man, Syracuse: Syracuse University Press, 265+xiiip. ISBN-10: 0815602561 ISBN-13: 978-0815602569 [amazon][kinokuniya] m
=1975,石井 毅・広田 伊蘇夫 訳 『狂気の思想――人間性を剥奪する精神医学』,新泉社,300p. ASIN: B000JA1LPO [amazon]

 「我々は精神医学がその出発点以来ずっと人間行動をコントロールする仕事に関与してきたことを否定するわけにはいかない――まず精神病院への強制入院を介して、ついで物理的拘束、化学的鎮静剤、電気ショック、精神外科、トランキライザー、そして最近では環境・グループ療法といった一連の追加手段によって。」(Szasz ?1970=1975:186)

 「論理的にみれば、ひとたび、ある処置が「精神科治療」として社会的に受け入れられれば、患者の意思に反してその処置の強制が許される事実から、この不合理は生じてくる。したがって、精神病の治療薬についてのいわゆる医学的・精神科的功罪には関係なく、自らの意志に反して薬物を投与されるのは、担当医がその人の行動を変えようと望むからである。その変化を当の本人が結果的によかったと考えるか否かは別問題であろう。一見医療的に見えるとしても、この時、強制的な宗教的改宗の正当性が提起すると同様の道徳的ジレンマに我々は直面する。」(Szasz 1970=1975:?245-246)

高橋 晄正 19710320 『くすり公害』,東京大学出版会(UP選書),325p. ASIN: B000JA0JXE ISBN-13: 978-4130050692 [amazon]

 「このように、病気にもいろいろな種類があり、それにともなっていろいろな薬が身体のなかに入れられることになるのだが、そのどれをとってみても(ビタミンやミネラルの不足分を適量だけ補う場合を例外として)、薬は体になじまない異物であることに変わりはない。
 ――薬は原則的に毒である――それは食物と薬の間の本質的な違いである。このことから、次のような薬の使い方の原則が生まれてくる。  ――薬は必要にして十分な最少量を、必要にして十分な最短期間だけ使うべきものである。(中略)
 こうしたしくみ(引用者―"自然回復の力")のあるかぎり、何かおまじないみたいなことをしても、あるいはメリケン粉のようなものを内服させても、大部分のものは治っていくことになる。人類はじまっていらい、薬として使われてきたもののなかに、いま科学の目でみなおしてみても、たしかに効くものがいくつかは存在する。しかし、そうでないものも無数に存在する。それは生体の自然回復の力が成し遂げてきたものを、薬のせいと見誤ってきたのであった。薬はそれを補うものでありながら、しだいに主人公にまつり上げられるようになってしまったのである。」(高橋[1971:11-13])

 「いま一つの薬は精神安定剤である。精神を安定させる、というと聞こえはいいが、要するにぼんやりさせる薬なのだから、アメリカでは自動車の運転者は飲んではいけないことになっている。自動車の通る道を歩く人だって同じことであろう。  精神をイライラさせる事情があるなら、それをみんなで解決するのが本当であって、精神をボンヤリさせることで、なんとかしようというのは正しい行きかたではないだろう。 いま、その年間消費量を、精神病やノイローゼの人たちの治療日数で割ってみると、全員が毎日六錠ずつ飲んでいなければならないことになる。これも、そんなことはないのだから、半分ほどは一般病に流れて"国民総ぼやけ"に使われていることだろう。」(高橋[1971:95])

◆林 徹郎 「管理社会と精神医療」,精神科医全国共闘会議編[1972]*
*精神科医全国共闘会議 編 19720925 『国家と狂気』,田畑書店,270p. ASIN: B000J9OSW8 [amazon] ※ m

 「向精神薬の登場により治療が進んだと精神科医がいうにも関わらず、(4)個々の患者の在院日数は確実に伸び続け、ちょっと古い病院にいけば、10年や20年収容されたままになっている患者が多数いるのである。55年の287日に比して、69年には459日になっている。この平均在院日数は併設精神科を含むのであり、単科の精神病院では506日という数字がでている。しかし一方では、表3の向精神薬の生産状況にあるように、低医療費をカバーするため着実に、大量の鎮静剤が患者に投与されている。

大熊 一夫 1973**** 『ルポ・精神病棟』,朝日新聞社, 292p. ASIN: B000J9NFOU [amazon] ※ m
(再刊:198108** 朝日新聞出版(朝日文庫),241p. ISBN-10: 4022602449 ISBN-13: 978-4022602442 \492 [amazon] ※ m)

 「精神医療の世界には「くすり漬け」という恐ろしい言葉がある。医学の美名にかくれて、患者に向精神薬(主として興奮を鎮めるくすり)を必要以上にじゃんじゃん飲ませることである。
 患者はボケて、動作も鈍る。だから病院は管理に手がかからない。人件費も浮く。投薬量がふえるほどに儲けも伸びる。しかも密室の中で行われるから、外部から疑問をさしはさまれる心配も少ない。
 精神障害者への数々の虐待の中でも、最も陰湿なのが、この「くすり漬け」だと私は思う。そして、この「くすり漬け」の背景をさぐってみると、われわれを取りまく医療環境は、もう、救いがたいほど堕落しているのがわかる。」(大熊[1973→1981:120])

◆友の会編 19740801 『鉄格子の中から――精神医療はこれでいいのか』,海潮社,254p. ISBN-10: B000J9OWUQ 1500 [amazon] ※ b m

 「精神科の薬を飲むと鋭い小説が書けないので、三日前から止めて、睡眠薬で眠っています。再発するかも知れませんが、前の小説は二百枚なので、本にするとき三百枚でないといけませんので、もう百枚どうしても仕上げようと思っています。他にも一昨年より長編を頼まれていまして、それも急がないといけないのですが、精神科の薬を飲むとぼんやりして、書いてもしょうがないような小説にしかならないので、すべてをここで文学に賭けてみようと思っています。」(友の会 1974:37)

 「一、私の経験では、「薬は出来るだけ飲まない方が良い」という結論が出ます。睡眠薬、精神安定剤などの薬は、結局みんな駄目だと言いたいのです。これはちょっと乱暴ですが、現在薬の大量投与に頼っている病院がほとんどですから、このような極端な言い方も必要と思われます。」(友の会 1974:146)

 「I(引用者―座談会の発言者のイニシャル) 精神を治療するのになんで薬で治るんですか。中枢神経をただ鎮静してですね、ただ無気力な状態にしておけば刺激が加わらないからいいだろうとおいことでやっているんでしょうけどね、管理もしやすいし。」(友の会 1974:230)

 「私は四十七年にH市の国立療養所Mを退院してから、一日も薬を欠かしたことはありません。精神病に対する主な治療法は薬物療法だと聞いていますが、私の場合、退院してから薬を止めて再発した苦い経験がありますので、薬だけは欠かさずに服用していこうと思っています。」(友の会 1974:160-161)

◆仙波 恒雄 矢野 徹 19770310 『精神病院――その医療の現状と限界』,星和書店,345p. ASIN: B000J7TT42 \3415 [amazon]

 「やがて三〇〜五〇年服用することになれば、その結果は精神外科におけるロボトミー批判の如く、薬物療法批判をうける時期が来るであろうと考える。
 故に、薬物は必要な時期(比較的短期間)には十分に吟味しつつ使用し、常に症状に合わせて、できるだけ最小限量を使うことに医師は強い関心をもっていなければならない。長期にわたり、薬物治療指針の許可範囲であるからといって、安心して大量の薬物を使用することは慎むべきである。」(仙波他[156])

吉田 おさみ 1980

 「また医療一般における現代のクスリ信仰に対して高橋晄生氏をはじめとするクスリ批判は、おおむね有効性(有害性)、安全性の見地からなされていますが、特に「精神医療」の場合、薬物治療の本質こそが根源的に問題とされなければならないでしょう。つまりクスリが効かないことが問題ではなくて、実は効くことが問題なのです。」(吉田 1980:50)

 「他方、クスリをのむ個人(本人)にとってはどうか? たしかにクスリをのむことによって苦痛は除去されることは多いですし、社会に適応できるということは生活―生産という面からすればよいことに違いないでしょう。しかしクスリによって本当の自己は失われてしまいます。クスリによって感情、意志などを統制することはどうみても異常な事態です。もし私たちの怒りや喜びや悲しさ、嬉しさなどを全部クスリで統制するとすれば、それはもはや人間ではなくロボットにすぎません。」(吉田 1980:51)

 「私がクスリをのみ、他人にもすすめることがあるのは、クスリが「病気」をなおすもの、あるいは抑えるものだからではなく、ただ生活の便宜のため、便利だからにすぎません。要するに、クスリをのむのがよいか悪いかは一刀両断的に決定できるものではなく、クスリが現実に自分に及ぼす作用を見きわめた上で、最終的には本人の決断に委ねられるべきでしょう。」(吉田 1980:52)

 「私の経験からして、クスリをやめて入院、退院してクスリをやめて入院、ということを繰り返してきたように思いますので(もちろん誰も"発病"とクスリの因果関係を証明できない)、心理的にもクスリは私にとって欠かせないものとなっていました。つまり、クスリをのむことによって安心し、クスリに依存しているという現実が、残念ながら現在の私にもあるように思います。クスリはのまない方がよいとは決まっていますが、やはり現実世界に生きていくうえで便利だ、ということで麻薬と知りつつ飲み続けているのが実情です。」(吉田 1980:245)

吉田 おさみ 1981

 「自分の配偶者が「精神病者」で薬のむ場合とのまん場合と全然違う。のまないと頭が冴えていて良く気がつくがこわい。こちらがやりこめられてしまう。薬をのむと人あたりは良くなるが物忘れがひどく睡眠時間が長くなってしまう。家は天理病院だと僕は冗談でいうんだが自分は薬をのめという立場に追いこまれている。薬のまないで妄想なんか出て来て病院に入れられたらかなわないので自分が健常者の立場に立って妻に薬を進めている。自分自身に関しては、薬に対する依存傾向を認めざるを得ない。」(吉田 1981:67)

◆長田 正義 19800525 「序文」,『精神医療』19-2(35),特集:社会復帰

 「…私論ですが、薬物の出現により精神療法を始めとする諸所の治療的諸活動が可能になったとするこれまでの通説は本当にそうなのでしょうか。薬物の登場後、精神科病床数の急増とともに、平均在院日数はかえって延長し、退院が遅れるという現象を招いています。この現象の中に「社会復帰」の問題があるのだと思われます。すなわち、疾病の性質から慢性となって長期在院化をもたらしたのか、それとも他の要因により、平均在院日数の延長がもたらされているのか、はっきりせねばならない問題です。」

◆Valenstein, Elliot S 1998 Blaming the Brain: The Truth about Drugs & Mental Health, New York: The Free Press, 292+xip. ISBN-10: 0743237870 ISBN-13: 978-0743237871 [amazon][kinokuniya]=20080212 功刀 浩 監訳,中塚 公子 訳,『精神疾患は脳の病気か?――向精神薬の科学と虚構』,みすず書房,325+xivp. ISBN-10: 4622073617 ISBN-13: 978-4622073611 \4410 [amazon][kinokuniya] ※ m. d07d.

藤澤 敏雄 [1982****]19981110,『精神医療と社会――こころ病む人びとと共に〔増補新装版〕』,批評社,431p. ISBN-10: 4826502648 ISBN-13: 978-4826502641 \3150 [amazon][kinokuniya] ※ d07d m

「薬づけ」を「質的にも量的にも不必要な精神安定剤を投与して患者を過剰に鎮静させること」と一応定義してみよう。「薬づけ」は、一部の「悪徳病院」や「悪徳医師」においてのみあることだとはいえない。どの病院にも、どの医師にでも「薬づけ」におちこむ危険性がたえずつきまとうと考えた方が正しい。(藤澤 1982:119)

Mary O'Hagan 1991 Stopovers: On My Way Home from Mars
=199910 長野 英子 訳 『精神医療ユーザーのめざすもの――欧米のセルフヘルプ活動』,解放出版社,245p. ISBN-10: 4759261087 ISBN-13: 978-4759261080 \1890 [amazon][kinokuniya] ※ m

1精神保健体制の中のサバイバー
 ○価値をおとしめる精神保健体制
 <向精神薬と電気ショック>
 「わたしの話した多くのサバイバーは、精神科での薬物使用を支持しませんし、電気ショックにいたってはもちろん反対です。この二十年間で生物学的精神医学が勢いをもってきてい〈0043〈ることを懸念する人もいました。薬は安価で早く作用し、普通は鎮静効果があります。だから、金は足りないが過剰に管理しようとする精神保健体制では薬は第一の選択手段です。「薬は内部的な拘束衣である」「薬は重要な学習経験を奪う」「いくつかの種類の薬は飲んだ人間を衰弱させる副作用がある」などと訴えるサバイバーもいます。」(Mary O'Hagan[1991=1999:43-44])

 「現在薬がとても乱用されています。有害な薬が広範囲にわたり強制的に使われています。(中略)アメリカ精神医学会でさえ、一般に精神科の患者に使われる向精神薬が、実は中枢神経系に不可逆的な破壊をもたらすことを認めています。とくに、向精神薬は遅発性ジスキネジアという病気を引き起こすことをアメリカ精神医学会は認めています。医者たちの概算によれば、世界中で五千万人が遅発性ジスキネジアに侵されています。政府が巨大で偽善的な麻薬との戦争を上演しているまさにその時に、一方では国家の保護の下に巨額な利益を上げる強制的な市場が向精神薬を販売するために用意されているのです。」(Mary O'Hagan[1991=1999:45])

 翻訳者あとがき  長野英子
 「たとえば薬の問題があります。抗精神病薬はじめすべての向精神薬を否定するサバイバーであっても、「すぐに薬をゴミ箱に捨てること」をすすめているわけではありません。抗精神病薬や向精神薬をやめた際の症状は多様でありかつ苦痛に満ちており、生命の危険すら伴います。ドイツのサバイバーであるP・レーマンは「向精神薬の中断に伴う離脱症状」という文章の中で、医療的な体調監視の下で、慎重に少しずつ薬を減らすこと、そして鍼やマッサージ、ヨガなどの代替医療、環境調整や援助者の必要性を強調しています("Deprived of our humanity --the case against neuroleptic drugs" 「人間性の剥奪――反抗精神病薬の症例(邦訳なし)」より)。日本ではわたしの知る限り、薬からの離脱を助ける専門家もあるいは運動体、援助システムも存在していません。それゆえ薬の問題を実践的かつ建設的に議論し解決する前提が欠けているのが実態であると思います。この点は今後日本のサバイバーが欧米のサバイバー運動から学んでいかなければならない点でしょう。」

中井 久夫 19980508 『最終講義――分裂病私見』,みすず書房,159p. ISBN-10: 4622039613 ISBN-13: 978-4622039617 2000+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「ここで、では薬物療法はどういう役割をしているのか、という問題があるでしょう。大きく眺めれば、抗精神病薬は"生(な)まの精神病"psychose bruteをいったん "薬物精神病" pharmacopsychose に変えて、治療しやすくしていると考えてみることができます。"薬物精神病"は、器質性精神病の一種です。そして、器質性精神病は、心理療法も薬物療法も、一般に生まの分裂病よりずっとやさしいのです。すっかり器質性精神病になってしまうわけではありませんが、その色合いが増して感じられます。抗精神病薬以前の時代の分裂病は北アルプスの岩壁のようにけわしく硬く襞が深く、容易に取りつけない相貌を持っていたというべきかもしれません。
 逆に、薬物による効果のために分裂病と認識されなくなった場合があります。特に、かつてはこれこそ分裂病の症状と考えられていた緊張病症状は薬物による効果がもっとも大です。だから、緊張病が激減したのです。では、その後どうなるか。富士山が五合目まで削りとられたようになって、重苦しい抑うつが残る場合が少なくありません。うつ病という診断を長年つけられて、さっぱりよくならず苦しんでいる場合が現にあります。よく聞くと「宇宙を二分するマニ教的闘争 <0049<にいやおうなく巻き込まれていること」あるいは「身体を少しでも動かすか身体から何かを落とすと世界がガラス器のようにこわれる」という緊張病の二大感覚とでもいうべきものが、薬で抑えられている間から漏れて、言葉のはしばしにうかがわれます。あるいは過去の記録にひょいと頭を出しています。これは薬物による迷彩分裂病とでもいうべきもので、実際、分裂病としての治療で軽快し、感謝されます。
 こういう弊害もありますが、一般に分裂病の精神療法は、薬物療法が到来してから普通の精神科医が行う実際のプログラムに乗りました。それまでは異能の治療者だけが少数の患者を相手に全生活を犠牲にして行うものでした。精神療法は薬物療法の援護下に行うものといってよいでしょう。
 逆に、安心して薬をのむことは精神療法的なアプローチぬきにはできません。「人間は薬をほしがる動物だ」とサー・ウィリアム・オスラーというアメリカ近代医学の父といわれる人はいいましたけれども、同時に人間は薬をおそれる動物でもあります。「もっと効く薬を」という求めと「こんなに効く薬はこわい」という恐れとがあります。効く薬ほど怖がられるという機微さえあるでしょう。さらに、抗精神病薬は "頭に働く薬" ですから、いっそう恐れられでもふしぎでは<0050<ありません。方々で書きましたからここでは具体的なことは省きますが、抗精神病薬にかんする "インフォームド・コンセント" はすでに精神療法の始まりでもあります。治療的なきずながつくられ、信頼関係が多少ともなければ、抗精神病薬は手にするだけで不安が高まる薬です。この不安は薬の作用を相殺します。そういう場合は "麻酔量" とでもいいたい大量でなければ効かないのも当然です。薬の作用に賛成し、それを受け容れるならば、薬は段ちがいのわずかな量で効きます。しかし、鎮静や休息のような歓迎されるはずの単純なことでも、必ずしもただちに受け容れられるとは限りません。安心して休むためには狭くは休む場所への信頼、広くは世界全体への信頼が必要です。まして睡眠は世界全体への信頼があってはじめて受け容れられるはずのものです。その間は全く無防備なのですから――。その役割は精神療法なのです。むつかしいことではありません。第一回の服薬の後そばにいる、少くともただちに連絡のつくところにいると告げるだけでも非常に違ってきます。
 さらに、抗精神病薬の作用を私なりに考えて行きますと、一つには回復時臨界期の壁をおしさげて、回復過程を発動させるという機能があると思います。えんえんと慢性状態を続けていた患者に抗精神病薬を適切に使うと臨界期を起こして<0051<回復過程に入ることがあるからです。
 ところで先に、ポテンシャルの壁といいましたが、分裂病の発病を妨げていたポテンシャルの壁は、いったん分裂病状態が成立してしまえば、そこから出にくくする壁になる可能性があります。この壁を低めるのが抗精神病薬の一つの働きであろうかと私は仮定します。
 では、発病時臨界期には抗精神病薬は、発病しやすくさせることもあるのではないか。実際、そうなのです。私の先生の安永浩はそれを観察していますし、私も劇的な例を経験しています。ただ、これは治療が不適切であったという場合ですから、そんなに例数がありません。」(中井[1998:49-52])

 「<0080<
 薬物の使い方は、ずいぶん、安定してきましたが、現在でも、使い方は一方向的に、直接押さえつけるような制御の哲学の下に使われているということができます。安定した制御は二方向性の制御で、これは内分泌でも自律神経系でもそうなっています。自律神経系には交感神経系と副交感神経系とがあります。内分泌系はもっと複雑です。慶応大学の八木剛平の提唱する "ネオヒポクラティズム"は、薬物によって中枢神経系を抑圧するのでなく、システムの全体を自然回復力が発現できるように愛護し調整するという趣旨のもので、薬物使用の思想は次第にそういう方向に向ってゆくのではないかと思います。私は「患者が賛成できるような働き方」を薬がするように処方を選び、患者に話すようにしています。また緊急の時以外は「これは最小量で、効かなくてもがっかりしないように。まだまだ量もふやせるし、別の薬がある。もし効いたらきみの病気は軽いんだ!」と申します。こう申しますとふしぎに少量で効きます。
 漢方薬も併用を今後再検討する意義があると思います。分裂病はひどく消耗する病いであるからです。この消耗に対しては漢方薬が向いています。というか、近代医学に安定して使える薬がありません。また、漢方薬による制御の間接性に積極的な意義が存在するはずです。<0081<」(中井[1998:81])

中井 久夫 20040401 『徴候・記憶・外傷』,みすず書房,404p. ISBN-10: 462207074X ISBN-13: 978-4622070740 \3990 [amazon][kinokuniya] ※ m. d07d. ptsd.

 「ケネディ政権以来、力動精神医学はうさん臭いと言われだします。ケネディのお姉さんが精神病でさっぱり治らなかったところが、クロルプロマジンを飲むとずいぶんよくなったのです。一九五二年にフランスで初めて使われ、日本でも一九五五年−一九6〇年までの間に普及した向精神薬第一号です。大統領やその親戚の病気が非常に医学を左右するということがアメリカではよくあります。ポリオの研究が非常に進んだのは、ルーズベルトがポリオだったからです。アルツハイマー病研究が非常に進んだのもレーガンのアルツハイマー病発症と関係があるかもしれません。
 そこで診断基準を力動精神医学でつくることを止めます。」(中井[2004:131])

 「統合失調症に対しては百の精神療法よりも一の薬物をという、さる名言がすべてを物語っているように、今は統合失調症の精神療法の秋である。私は、生涯の重要な部分を統合失調の治療に宛てて今人生の秋に開く者として感慨なきを得ない。
 しかし、いささかは懐疑もある。一つは、抗精神病薬はそんなに単純一義的に効きますか、という懐疑である。[…]第二には、精神療法の無効を宣言してもよいほど、多くの患者に対して適切十分な精神療法が行われたかどうか、という懐疑がある。」(中井[2004:244])

 「私は、一九六六年に精神科医となった。このことには、かなりの意味がある。一九八六〇年に医師となってすぐ精神科医になっていたならば、私はかなり違った精神科医になっていたであろう。一九六六年に精神科医になったということは、精神療法家としては、たとえば、いきなりロジャーズの洗礼を受けずにすんだということである。薬物療法的には、プチロフェノンをフェチノアジンと同時に使用しえたということである。おそらく、私は、ハロペリドールの大量使用を行った初期の精神科医の一人であろう。私は、もしキノフォルムのような副作用がこの薬物に発見された時の自分がとるべき出処進退を考えてから、かなり大胆にこの薬物を使用して、かなりの効果を収めたと思っている。同時に、私は主治医としては電撃療法を一度も行っていない[…]主義としてしないというよりも、しなくてすんだというほうが当たっているであろう(たまたま私の勤務したところは先輩に電撃をし〈0247〈ない方針の医師が必ずいた。ついでながら、電撃療法は、患者にとってはおのれの回復の筋道[ストーリー]を辿り直しにくい点で、薬物療法よりも精神療法から遠い。ことに、陽性転移感情の存在下では、ゼウス的処罰の意味を持ちうると私は思う。」(中井[2004:247-248]) *上にも引用

「それから二十年。精神医学は進歩したであろうか。実際には、この二十年間、精神医学にはめぼしい技術革新はなかった。薬物療法にしても、炭酸リチウム以外は、私が精神科医として出発した際の薬物だけで十分治療が可能であり、私の使う薬物の主なものは当時すでに存在したものばかりである。

薬物療法が本質的には二〇年前の装備であるにもかかわらず、有効性が増大しているとすれば、使用法の向上によるものであろう。実際、一つの医療技術が安定するためには、おおよそ二十年が必要なのかもしれない。他にもその例を見るからである。」(中井[2004: 276-7])

石川 憲彦高岡 健 20060625 『心の病いはこうしてつくられる――児童青年精神医学の深渕から』,批評社,メンタルヘルス・ライブラリー,172p. ISBN-10: 4826504454 ISBN-13: 978-4826504454 1890 [amazon][kinokuniya] ※ b m

 「石川 私もリタリンの使用はゼロではないです。ただその殆どは既に余所の病院やクリニックで使用が始まっていた例です。この薬剤は子どもに依存が起こらないというのは?で、親に「覚せい剤を子どもに飲ませているのと同じです」ときつい言い方をすると、「いや、子どもの方がこの薬は納得して喜んで飲むのです」と言う。納得して喜んで飲むというのは、既に覚せい剤依存の始まりなのですね。つまり、イヤだなと言いつつ飲むのが薬で、納得して喜んで飲むというのは凄く危険なんです。
 薬を私が使わない理由は、先ほど高岡さんが言われたAD/HDの診断のところでの、病状が二つ以上の場面であるという点とからみます。場とは子どもにとっては大体学校か非学校的な家庭かです。私がリタリンを使う理由は限られています。家庭で困るなら使うのです。例えば旅行。最近は減りましたが夜汽車で行くというときに心配ですね。汽車から飛び出して迷子になったりしたらとか、親も気が気じゃないことがある。そんな時にリタリンを飲んで安心してみんなで楽しく旅行できるならそう悪いことじゃないと思っています。
 つまり多動行動が病的で本当に困るというこのは、診断基準にあるように多様な場所で困ることです。そういう場合使用もしょうがないと思います。日本で多いのは、隣の家との住居環境が悪いので薄い壁一枚で隣の家から怒鳴り込まれるといったこと。それでは一家の生活が成り立たない。そうなると親は、子どもはやはり静かにしてくれ、というふうになってしまうことは現実に少なくないですし致し方ないと思います。ですけど、リタリンを飲んでいる子どもの90数%までは家では飲まないのです。学校での限定的使用という綺麗な言葉で正当化されますが、私にはそこにもの凄い?っぽさを感じます。
 高岡 夏休みは飲まないとか。
 石川 そうです。つまり学校や社会のために飲まされているのです。」(石川・高岡[2006:71])

 石川「私はすべての患者さんにそのように対処できるとは思いませんが、ある医者のところで滅茶苦茶な投薬量の薬を飲んでいた人たちが、1剤か2剤まで投薬薬を減少すると調子がよくなることがほとんどです。なぜかと言いますと、確かに病気だったかもしれないし、薬剤の力を借りなければ乗り越えられないこともあったかもしれませんが、薬剤は対症療法です。歯を抜く時に傷み止めが要るように、薬を使わなくても歯は抜けるのです。しんどいところも抱えつつ、そこを乗り切っていく姿に人間は凄いなと感動したりしながら治療関係をつくっていく時と、大量投薬の時とでは全然違った症状になるわけです。特にそうしたことを強く感じるのは、今流行りのボーダーラインという診断名をつけられて薬が出されている場合です。ボーダーラインという診断名をつけたら、薬を使ってはいけないと思う位です。私は、ボーダーラインの場合、単一の症状に限局して薬を使うことはあるけれども、それ以外はしんどいけれども耐えていけるなら耐えていこうという形で投薬を抑制すべきだと思います。」(石川・高岡[2006:115])

◆東田 直樹 20070228 『自閉症の僕が跳びはねる理由――会話のできない中学生がつづる内なる心』,エスコアール,175p. ISBN-10: 4900851388 ISBN-13: 978-4900851382 1680 [amazon][kinokuniya] ※ a07.

 「24 自閉症の人は普通の人になりたいですか?
 僕らがもし普通になれるとしたら、どうするでしょうか。
 きっと、親や先生や周りの人たちは大喜びで、「普通に戻してもらいたい」と言うでしょう。
 ずっと「僕も普通の人になりたい」そう願っていました。障害者として生きるのが辛くて悲しくて、みんなのように生きて行けたらどんなにすばらしいだろう、と思っていたからです。
 でも、今ならもし自閉症が治る薬が開発されたとしても、僕はこのままの自分を選ぶかもしれません。
 どうしてこんな風に思えるようになったのでしょう。
 ひと言でいうなら、障害のある無しにかかわらず人は努力しなければいけないし、努力の結果幸せになれることが分かったからです。
 僕たちは自閉症でいることが普通なので、普通がどんなものか本当は分かっていません。<0062<
 自分を好きになれるのなら、普通でも自閉症でもどちらでもいいのです。」(東田[2007:62-63])

◆笹森 理絵 20090120 『ADHD・アスペ系ママへんちゃんのポジティブライフ――発達障害を個性に変えて』,明石書店,222p. ISBN-10: 4750329134 ISBN-13: 978-4750329130 1575 [amazon][kinokuniya] ※ adhd. a07.

リタリンと私 (笹森[2009:161-164])
 「結局、色々試した結果、落ち着いた分量は朝1錠、昼半錠。
 それ以来、分量は増えていません。よく、薬に慣れてしまい、効きが悪くなって勝手に増量したとか、幻覚を見たとかで問題になっているけれど、私からしたら有り得ない話。
 あんなの大量に飲んだら具合が悪くなって、とてもじゃないけど無理。/それに、特に慣れて量を増やしたいということもないし。/適量は人によって違うけど、決められた範囲内なら何も怖いことにはならないなあというのが私の実感。
 分量を守って飲んでいたら、単に「普通の人」<0161<になるだけ(笑)。/別にスーパーマンになるわけでもなく、ダイエットになるわけでもないし。
 オーバードーズする人は多分、何か心にしんどい所が案て、リタリンに限らず他の薬でも依存したり飲み過ぎるリスクがあるのではないかなと思います。
 リタリンを飲んだらどうなるか。よく聞かれることだけど、本当に一言……。
 「普通の人になるだけ」なんだよね(笑)。
 近眼の人はわかりやすいかもしれないけど、例えるならリタリンは眼鏡みたいなものかな。
 子どもの頃からいつもおでこの辺りが白い霧でモヤモヤしてすっきりしないのね。で、ぼーーーってしてる。/それがリタリンを飲むとすっきり晴れる感じ。
 私もそうだけど近眼の人って眼鏡してないと、視界がボヤーッとしてるじゃない?/で、眼鏡をかけると視界のエッジがはっきりくっきりする……そんな感じかな。
 書類を見ていると、ボヤボヤーと見えて、集中できなくてぼんやりしてるんだけど、リタリンを飲むとしばらくしてみると、書類が濃く、くっきりはっきり見えるんだよね。>0162>/当然、集中力が全く違うと思う。/低覚醒の頭がきちんと起きる感じかな。
 それからよく聞かれるのは、副作用は?ってこと。
 私は大人だからかもしれないけど、特に困ることはないなあ。/初めて飲んだ時は動悸が来たけど、たまったドーパミンが一気に流れているからで、これも慣れたらなくなった。/べつに頭痛もないし腹痛もないし、食欲不振もなく、特筆するようなことは何もない。
 ポイントはやっぱり自分にあった量を見つけることなんだと思う。/多過ぎても具合が悪いし、足りないと効果が出ないし、自分に合った量を見つけるのに、ちょっと時間はかかったけどね。
 でも飲み始めて以来、朝のどうしようもない焦燥感がなくなって、衝動的に家を飛び出すことがなくなって落ち着いたよ。
 やっぱり飲んでからの方が楽になったかな。/車の運転も、旦那が言うには薬を飲んでなかった時代とはえらい違いらしい。/車間距離自体が違うらしいから(^-^;
 生活の質がこんな小さな薬1錠で上がるなんて、本当にびっくり。
 今までのしんどい人生を思うと、もっと早くにリタリンに出会っていればとつくづく思います。<0163<
 ※リタリンは現在、ADHDでは処方されていません。」(笹森[2009:161-164])

◆水野 昭夫 20070515 『脳電気ショックの恐怖再び』,現代書館,187p. ISBN-10:4768469507 ISBN-13:978-4768469507 \2415 [amazon][kinokuniya] ※ m01b, m01h, i05

精神病治療のための薬物の発達
「薬物が大量に使われ始めて、やがてそのことのもたらす害悪が語られなければならなくなるのですが、薬物療法の発達が「ESの乱用という状況」を排除したのは紛れもない事実です。
(…)
(2)健康保険が整備されて、薬物に関わる患者家族の医療費の負担が軽減した
 一九六〇年前後から「国民皆保険という掛け声」の下に健康保険が整備されていきました。国民のほぼ半分が加入する国民健康保険が施行され、「皆保険」が完成するのですが、これが一九六三年(昭和三十八年)七月です。これで薬物に関わる患者家族の医療費の負担は飛躍的に軽減することになりました。
 国民健康保険が成立するまでの「精神障害者家族の経済的負担」はかなり大きかったようです。(…)ESのために使用する電流は十円ほどもしませんから経営者としては気楽に使えたということでしょう。
 同じ程度の鎮静効果を上げるのに使用する薬物の代金は千円をはるかに超えるのです。すると、「お金持ちには薬物療法、貧乏人にはES」という時代もあったようなのです。「国民健康保険」が成立して、経済的負担が軽くなる」ことはこの問題を解決して、多くの人に薬物療法を提供する幅を広げてくれました。
(3)製薬資本の売り込み攻勢と病院経営者たちの営利主義
 もう一つの要因として薬物の投与で病因の経営者たちは製薬資本と共に大きな利益を上げることができたということを挙げておきましょう。
 ESなどという格好悪いこと、しかも面倒くさいことをせずに、ただ処方せんを書くだけで儲かるわけですから、ESをやめて薬物療法に走るのは当然のこととなるのです。
 私自身でよく記憶していますが、一九七〇年前後の「薬屋さんの売り込み攻撃」は極めて盛んでした。薬を買ってもらったことへの見返りに、何でもしてくれるのです。
(…)
しかし、このことも一九七〇年代半ば以後ESが極端に減少したことには役立っているのです。」(水野[2007:51-4])

川上 武 編 20020325 『戦後日本病人史』,農村漁村文化協会,804+13p. 804+13p. ISBN-10: 4540001698 ISBN-13: 978-4540001697 \12600 [amazon][kinokuniya] ※ h01 ms

「しかし、五五年ごろより向精神薬が使われるようになると、その効果が顕著だったこともあって、ロボトミーはそのマイナスの面(…)が批判にさらされ、急速に治療法としての生命を失った。それだけ向精神薬は精神の病の治療に画期をもたらしたといえる。向精神薬による薬物療法は、それまでの治療法に比べ手軽で、しかも効果が現れやすかっただけに、安易な投与や大量療法へ結びつくことにもつながり、薬物一般に共通する弊害を生みだすことにもなった。しかし、それまで「治せない」として医学的対象の外におかれていた精神の病を、「治せる」可能性があるものとして、治療への積極的取り組みを引き出した点で、向精神薬の導入は革命的なできごとであった。
(…)
作業療法と、その延長線上にある生活療法は、向精神薬の開発後に全国の私的な精神病院に普及することとなった。この背景には、向精神薬が患者を覚醒状態において鎮静させる効果があるため、電気ショックやインシュリンショック療法と違って、少ない人手でたくさんの患者を管理することが可能になったことがある。
(…)
また、一九五四(昭和二九)年に精神衛生法が一部改正され、非営利法人の設置する精神病院の設置および運営に要する経費に対して国庫補助の規定が設けられたこと、医療法上の規定からは、一般病院よりも精神病院のほうが確保すべき医師や看護要員の数が少ないことも、新規の精神病院の開設に影響した。「薬物療法の導入により精神病者も以前に比べればあつかいやすくなった」と考える一部の経営者が、精神病院の安易な開設に踏み切ったともみられ、このことはのちの精神病院を舞台とした不祥事件の遠因となった。」(川上 〔2002:408-12〕)

「高度成長の始まった六〇年代を特徴づける薬物依存症は、ヘロインや精神安定剤のような気分を落ち着かせるタイプの薬剤の乱用によるものである。(…)一方、五〇年代末にあいついで開発された向精神薬の乱用がこの時代に蔓延した。このうち、緩和精神安定剤や睡眠剤の一部は大衆薬として薬局でも手軽に買うことができたため、六〇年代後半にハイミナールなどの睡眠剤を服んで「ラリる」、いわゆる「睡眠薬遊び」が青少年の間に流行した。また、不安神経症になっていた主婦層を中心に精神安定剤メプロバメートの乱用が起こった。これらの向精神薬が医師の処方箋なしには買えない要指示薬となるなどで販売規制がかけられると、青少年たちはあらたな薬物をいろいろと試み(…)」(川上編[2002:439-40])

秋元 波留夫 20020620 『新・未来のための回想』,創造出版,328p. ISBN-10: 4881582720 ISBN-13: 978-4881582725 \2940 [amazon][kinokuniya] ※

「わが国の精神病院が慢性患者の長期収容所となって、「精神病院ブーム」と批判されるような状況が精神衛生法のもとで起こっていたのです。何故このようになったかといいますと、その原因は、精神衛生法が脱施設化の世界的流れに背をむけて、精神病院依存政策を後生大事に墨守したことにあります。(…)このような変化が起こったのは、精神衛生法が制定されて間もない一九五〇年代後半から一九六〇年代にかけての、クロールプロマジンをはじめとする抗精神病薬の発見、導入などの精神病治療の画期的進歩によって、これまで治療がきわめて困難で、長期入院を必要とした分裂病などの難治疾患の症状が著しく改善して、退院できる人が増えてきた結果です。」(秋元〔2002:261〕)


広田 伊蘇夫 20040725 『立法百年史――精神保健・医療・福祉関連法規の立法史』,批評社, 412p.ISBN-10: 4826504039 ISBN-13: 978-4826504034 4515 [amazon][kinokuniya][boople] ※ m, h01,

「 かくて、入院治療のみで医療を完結しようとした結末は、入院患者の増大と過剰入院を生み、恣意的ともみえる行動制限と、これにまつわる信書発受の厳しい制約は、精神病院を一般社会から隔離した"陸の孤島"と化さしめ、1987年の法改正を余儀なくさせた精神病院スキャンダルを生み出したひとつの要因だったとみざるを得ない。」(広田〔2004:106-7〕)

岡田 靖雄 20020901 『日本精神科医療史』,医学書院,274p. ISBN-10: 4260118750 ISBN-13:978-4260118750 \7140 [amazon][kinokuniya] ※m

精神病院の増設
「(…)
第1にあげるべきは、技術革新、向精神薬の導入である。
(…)
ここで、薬物療法と従来療法とを比較すると、つぎの点がでてくる。
@薬物療法は手がるに、比較的安全におこなえる(電気療法だと、定例日ににげまわる患者をとりおさえるなどの強制力をしばしなともなった)。薬物の内服(ばあいによっては注射)というのは、他科と同様の治療形態である。
A薬物療法によって患者との接触がとりやすくなり、さまざまな働きかけ(作業治療、生活療法など)がやりやすくなった。
B入院でなく、外来でも薬物療法はおこなえるし、再発や憎悪の予防の目的でもつかえる。
C薬物療法は手がるにすぎて、充分な専門的知識をうけていない医師にもやれる。治療というよりは病院管理のために(過量処方での過沈静を利用して)、また利益のために利用することも容易であった(薬価差のおおきい新薬がでると、ある病院の処方がパッときりかわる、といった例をしばしば耳にした)。
 第2には、精神衛生法の改正があった。(…)1954年の第6次改正によって、法人精神病院にたいし国庫補助制度が導入され、これが増床の勢いを加速させた。さらに1961年の第9次改正による措置入院費の国庫負担率引き上げは措置入院患者数を大幅に増加させた(…)公費負担患者は、精神病院のいわば固定資産として、病院が増床をはかっていくうえでのおおきな支えとなった。
(…)
第3にあげなくてはならないのは、定員特例、(…)である。
(…)
第4は、1960年7月1日の医療金融公庫発足で、精神病院がその主要な貸し付け先となった。
(…)
第5は、他科からの転向である。
(…)
この転向医、転換病院は、個別的な事例はさておいて、精神科医療は適当にやればいいものだ、という風潮と一体になっていた。」(岡田〔2002:205-8〕)

富田 三樹生 19920630 『精神病院の底流』,クリティーク叢書8,青弓社

「1973年第70回精神神経学総会はシンポジウム(B)に薬物療法をとりあげた。
(…)
最後に森山公夫は総括的に次のようにしめくくった。
「薬づけが健保体制と精神衛生法体制の接点において生じた事態であるということは、すでに午前中鈴木らが部分的に指摘したところであります。精神衛生法体制は一言でいってしまうと危険防止ということに尽くされるでしょうし、健保体制は、一言でいうのは危険でありますけれども、利潤の上げ方の問題、つまり低医療費の枠内で患者を営利追求の手段に堕さしめるという問題に尽くされるというふうに考えます。(…)」(富田〔1992:295-6〕)

反精神医学とくすり――『精神医療』くすり特集号編集後記
「1975年、クーパーがサズとともに精神神経学会のシンポジウムに招かれて来日したことがある。その時、クーパーが赤レンガ(東大精神科病棟)を訪れた。談話室で入院患者と話をしている時、ここではクロールプロマジンやハロペリドールを使っているのか、と質問した。使っている、と私達が答えた時、彼はいかにも不満そうな表情と身振りをしてみせたことがある。クーパーのような反精神医学の実践者にとって向精神薬が人間の内的自由の化学的抑圧物よして忌避されたとしても不思議はない。クーパーにとって、くすりの全面否認は医師として患者との関係を結ぶこと、従って医師の専門性によって収入を得るのを拒否することと結びついている。」(富田〔1992:305-6〕)

◆19870820 『これからの精神医療』,法学セミナー増刊総合特集シリーズ37,336p. 1700 ※ m.

精神医療の変遷
「このような個人負担のない公費(引用者――措置入院)による患者によって多くの精神病院は満床となった。そして昭和30年代から40年代にかけて、いわゆる「精神病院ブーム」がおこり、医者以外の人や、医者でも精神科医でない人たちによる精神病院の新設や増設が続いた。
(…)
精神病院は他の診療科のように検査や手術等で診療点数をあげることもできないし、病床の回転率も期待できない。(…)近年、精神療法、カウンセリング料、訪問指導料等が点数化されたが、精神病院での低医療費が目立っている。こうした低医療費で病院を経営していくにはいろいろの努力が必要であろう。人件費の抑制、食費の低廉化その他の経費の削減、定員一杯あるいは超過入院による患者の収容、大量の薬物投与等々考えうる経営管理がはかられる。一般病院では在院が長期化すればする程、入院費は低下するが、精神病院は90日までは他と同様減額されていくが、90日以上はかわらない。したがって手数もかからず、安定している患者を多く長期入院させておけば、相対的には経営上有利となる。閉鎖病棟が多く、かつ長期入院患者が多いのも、患者の症状のためではなく、病院の運営管理を容易にする経済的条件が大きな比重を占めているように思えてならない。もし収入にそれほど左右されない国公立の病院が中心であれば、こうした問題は起こらないであろう。
(…)
昭和20年代の後半から多くの向精神薬が開発され、患者の状態や患者とのかかわり方も大きく変わってきた。患者はおちつき、対話や作業やリクリエーションにも応じやすくなった。欧米ではこのため在院日数は激減したという。しかしわが国では在院日数はかえって増加しており、院内で取扱いが楽になった患者が増加したにすぎない。」(1987:115-6)

民間精神病院の過去と現在
「次第に精神病院は開放的になってきた。(…)そして特に、これらの変化は昭和30〜35年頃から導入され、その後定着して来た抗精神病薬治療法による所が大きい。
(…)
この点についていえば、民間精神病院を論ずる際には、その背景または周辺情況としての次の3つを考えないわけにはいかないだろう。すなわち@精神医療費が著しく低い。特に技術料への配慮が頗る貧弱であり、また入院料も低い。病床数からすれば全体の25%であるのに総医療費に対する比率はこの10数年来常に6%に定着していることであり、他の先進国の12%以上に比べるとその半額であり、入院料等のみをもってすれば4分の1ないしは10分の1にすぎないこと。A総収入中に入院料の占める比率が90%であることは、@に触れた技術料の低さを物語る。精神科技術としての精神療法的手技料は、他国に比して10分の1以下であること。社会復帰活動や入院患者への日常的生活の支援、対人的事務はほとんど支払い対象ではないこと。B人件費の比率が50〜60%となる病院が多い(国公立では100〜200%)。経営分析からすれば、これらの比率では経営不良の部類に属している。その補填が十分になされ得ない。借入しかないことである(国公立では一般会計からの補填で切り抜けうる)。これからして民間精神病院では病院運営と精神科医療実践の間に大きな障壁があり、二律背反的な状況におかざるを得ない所に最大の問題―泣き所がある。」(1987:124-5)

◆川合 仁 19900630 「薬害を生みつづける現代医療」,池田 浩士・天野 恵一 編 『科学技術という妖怪』,社会評論社,検証・昭和の思想3,83-100pp

 「(…)1961年よりの国民皆保険=健保体制はこの傾向(引用者――臨床面での治療偏重、自然治癒力の無視)を助長するものであり、医師に日々の医療行為の点検をせまるものではなかった。*7(…)
 一方製薬企業は健保体制のしくみを利用して、さまざまな形で薬の売り込みをはかった。その中で、医師は口先では健保上の矛盾を指摘しつつも、結局薬づけといわれる医療状況をつくってしまった。

*7 健康保険での医療費支払機構は、現物給付、点数出来高払い制で、医療行為の一つ一つに点数をつけ、それらを累計して請求する方式である。従ってたくさん医療行為をすると点数が増えることになる。薬づけ、検査づけになるゆえんである。薬の場合は、公定価格と購入価格が大きく離れており、その差益収入が医師の大きな収入の一つとなった。
治療の成否に関係なく、医療費が支払われるので、極端に言えば、治療に失敗して、経過が長びけばそれだけ収入が上がることになる。」(池田・天野〔1990:88〕)

立岩 真也 2010/**/** 「なんのための「緩和」?」,『日本医事新報』


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■本サイト関係者による文章

◆立岩 真也 2011/10/01 「社会派の行き先・12――連載 71」,『現代思想』39-(2011-10): 資料
◆立岩 真也 2010/**/** 「なんのための「緩和」?」,『日本医事新報』
松枝 亜希子 2010/03/31 「トランキライザーの流行――市販向精神薬の規制の論拠と経過」,『Core Ethics』vol.6:385-399 [PDF]
松枝 亜希子 2009/09/26-27 「向精神薬が規制されるにいたった経緯とその論拠――トランキライザーの事例から 」,障害学会第6回大会報告
松枝 亜希子 2009/06/07 「1950-60年代のトランキライザーの隆盛」,第7回福祉社会学会報告要旨
松枝 亜希子 2009/03/31 「抗うつ剤の台頭――1950 年代〜70年代の日本における精神医学言説」,『Core Ethics』vol.5:293-304 [PDF]
松枝 亜希子 20070916-17 「薬を使用する際の葛藤・逡巡――病を巡る負担における力学について」,障害学会第4回大会・報告 

cf.
松枝 亜希子の研究計画の評価書より(2008.5 立岩

  「精神疾患・精神障害と薬の関係を考える時、「医療化」という枠組みだけで捉えてすむものでないことは、さすがに誰もがわかる。問題は、わかった上で、何を言うかである。薬にはよい面もあるがよくない面もある、と言えばよいか。それは正しいのだが、それだけでは何も言っていないに近い。では何をどう調べるか。
  この主題を考えるならここが出発点になるはずなのだが、その先の研究はほとんどない。申請者は、そこで複数の方法論を組み合わせ、その先に行こうとしている。一つに政治経済の中に薬がどのように位置づいてきたかを調べること、一つに薬を使う当人に即して調べること、一つに人に作用する技術の是非を巡る議論を検討すること。
  この一つひとつは特別のものではない。だが、他になにか研究の仕方があるかと考えてもそうはない。そしてそれを一つひとつきちんと行なって組み合わせていった時に、さきの問いにようやく答えることができるはずである。事態は製薬企業その他の利害におおいに影響されるが、それだけのことでもない。当人の声は、当然のこと、多様性を示しながらも容易に収斂しない。他方で、規範的言明のあるものは過度に事態を単純にしてしまう。ところが普通はこのうちの一つしか見られることはなく、結果、たいしたことが言えなくなってしまうのである。
  比べて申請者は、まったくの正攻法で、そして利口な方法で、この問いに答えようとしている。そして既に、なすべき仕事の一部を行い、まとめている。つまり、関係する書籍を集め、読んで、歴史の一部を明らかにした。当然描かれるべきだが描かれてこなかったこと、薬を使う本人たちによる薬についての思索が30年以上前にあったことを明らかにした。申請者の論文がなければ、この種の議論は数年前ニューロエシックスなるものによって始められたといった嘘が流通することもなりかねないのである。その嘘を防ぎつつ、申請者は今なされている議論からも学ぼうともしている。
  […]それはやがて一書としてまとめられるはずである。」


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■文献

秋元 波留夫 20020620 『新・未来のための回想』,創造出版,328p. ISBN-10: 4881582720 ISBN-13: 978-4881582725 \2940 [amazon][kinokuniya] ※
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*作成:松枝亜希子
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薬/薬害  ◇精神障害/精神医療 
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