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薬について

薬/薬害


◆松枝 亜希子 20070916-17 「薬を使用する際の葛藤・逡巡――病を巡る負担における力学について」
 障害学会第4回大会 於:立命館大学


◆江副勉 監修 1964 『新しい精神科看護』,日本看護協会

 「インシュリン療法も電気ショック療法も患者にとってあまり快い治療ではありません。全身麻酔をしても患者は電気ショック療法を喜ばず、多くは恐怖感を訴えます。それに対して薬物療法は多くは内服できますし、多少不快なことはあっても、恐怖をあたえることはまったくありません。昔は電気ショック療法の施術者である医師を恐れたり、敵視したりした患者が沢山いたものですが、いまでは職員と患者との間はなごやかなものとなってきました。」(江副[1964:258])

 「現在の精神病院は、これらの薬(引用者――クロルプロマジン、レセルピン)のあらわれる以前に比べるとひじょうに静かで穏やかになり、かつ明るくいきいきとしてきました。このような病院全体の雰囲気の変化は、また患者に対してよい影響を与え、看護者も患者を解放的にすることができることがわかり、そしてそれがいかに意義のあることかが、次第に理解されてきたのです。」(江副[1964:281-282])

岡田 靖雄 編 1964 『精神医療――精神病はなおせる』,勁草書房

 「以上ふれたような、いくつかの問題点をのこしているものの、薬物療法の将来には、おおきな期待がよせられている。そのひとつは、よりつよい効果をしめす薬物の出現であり、いまひとつは、向精神薬を手がかりとした、分裂病の病因や大脳の機能・生理についての究明であろう。もちろん、両者とも、短期間のうちに実現されるものとは考えられない。だが、現実そのものよりも、実現の手がかりを得たところに、大きな意味をみとめるべきであろう。」(岡田[1964:232-233])

◆Cooper,David,1967,Psychiatry and Anti- Psychiatry(=1981,野口昌也 橋本雅雄訳『反精神医学』 岩崎学術出版社.)

 「しかし、現実には、ナチスが何万人もの精神障害者をガス室送りにした一方、わが国においても何万人もの人びとが、脳を外科的に切除されたり、電気ショックの連続クールによって破壊されたりしている。とりわけ、彼らの人格そのものが、精神医学体系に押し込められること(psychiatric institutionalization)によって系統的に変形させられている。このような具体的事実は、まさに不在、つまり否定性――正気の人間には絶対に狂気がないということ――を基盤にしているのであるが、それはどのようにしておこっているのだろうか。」(Cooper ?1967=1981:30)

高橋 晄正 197103 『くすり公害』,東京大学出版会(UP選書), 325p. ASIN: B000JA0JXE ISBN:9784130050692 [amazon][boople]

 「このように、病気にもいろいろな種類があり、それにともなっていろいろな薬が身体のなかに入れられることになるのだが、そのどれをとってみても(ビタミンやミネラルの不足分を適量だけ補う場合を例外として)、薬は体になじまない異物であることに変わりはない。
 ――薬は原則的に毒である――それは食物と薬の間の本質的な違いである。このことから、次のような薬の使い方の原則が生まれてくる。  ――薬は必要にして十分な最少量を、必要にして十分な最短期間だけ使うべきものである。(中略)
 こうしたしくみ(引用者―“自然回復の力”)のあるかぎり、何かおまじないみたいなことをしても、あるいはメリケン粉のようなものを内服させても、大部分のものは治っていくことになる。人類はじまっていらい、薬として使われてきたもののなかに、いま科学の目でみなおしてみても、たしかに効くものがいくつかは存在する。しかし、そうでないものも無数に存在する。それは生体の自然回復の力が成し遂げてきたものを、薬のせいと見誤ってきたのであった。薬はそれを補うものでありながら、しだいに主人公にまつり上げられるようになってしまったのである。」(高橋[1971:11-13])

 「いま一つの薬は精神安定剤である。精神を安定させる、というと聞こえはいいが、要するにぼんやりさせる薬なのだから、アメリカでは自動車の運転者は飲んではいけないことになっている。自動車の通る道を歩く人だって同じことであろう。  精神をイライラさせる事情があるなら、それをみんなで解決するのが本当であって、精神をボンヤリさせることで、なんとかしようというのは正しい行きかたではないだろう。 いま、その年間消費量を、精神病やノイローゼの人たちの治療日数で割ってみると、全員が毎日六錠ずつ飲んでいなければならないことになる。これも、そんなことはないのだから、半分ほどは一般病に流れて“国民総ぼやけ”に使われていることだろう。」(高橋[1971:95])

◆Szasz,Thomas S.,1970,Ideology and Insanity(=1975,石井毅・広田伊蘇夫訳 『狂気の思想――人間性を剥奪する精神医学』新泉社.)

 「我々は精神医学がその出発点以来ずっと人間行動をコントロールする仕事に関与してきたことを否定するわけにはいかない――まず精神病院への強制入院を介して、ついで物理的拘束、化学的鎮静剤、電気ショック、精神外科、トランキライザー、そして最近では環境・グループ療法といった一連の追加手段によって。」(Szasz ?1970=1975:186)

 「論理的にみれば、ひとたび、ある処置が「精神科治療」として社会的に受け入れられれば、患者の意思に反してその処置の強制が許される事実から、この不合理は生じてくる。したがって、精神病の治療薬についてのいわゆる医学的・精神科的功罪には関係なく、自らの意志に反して薬物を投与されるのは、担当医がその人の行動を変えようと望むからである。その変化を当の本人が結果的によかったと考えるか否かは別問題であろう。一見医療的に見えるとしても、この時、強制的な宗教的改宗の正当性が提起すると同様の道徳的ジレンマに我々は直面する。」(Szasz 1970=1975:?245-246)

◆林徹郎 「管理社会と精神医療」,精神科医全国共闘会議編[1972]*
*精神科医全国共闘会議 編 19720925 『国家と狂気』,田畑書店,270p. ASIN: B000J9OSW8 [amazon] ※ m

 「向精神薬の登場により治療が進んだと精神科医がいうにも関わらず、(4)個々の患者の在院日数は確実に伸び続け、ちょっと古い病院にいけば、10年や20年収容されたままになっている患者が多数いるのである。55年の287日に比して、69年には459日になっている。この平均在院日数は併設精神科を含むのであり、単科の精神病院では506日という数字がでている。しかし一方では、表3の向精神薬の生産状況にあるように、低医療費をカバーするため着実に、大量の鎮静剤が患者に投与されている。
大熊 一夫 1973 『ルポ・精神病棟』,朝日新聞社→1981 朝日文庫,241p. 480円 <262> ※ b m

 「精神医療の世界には「くすり漬け」という恐ろしい言葉がある。医学の美名にかくれて、患者に向精神薬(主として興奮を鎮めるくすり)を必要以上にじゃんじゃん飲ませることである。
 患者はボケて、動作も鈍る。だから病院は管理に手がかからない。人件費も浮く。投薬量がふえるほどに儲けも伸びる。しかも密室の中で行われるから、外部から疑問をさしはさまれる心配も少ない。
 精神障害者への数々の虐待の中でも、最も陰湿なのが、この「くすり漬け」だと私は思う。そして、この「くすり漬け」の背景をさぐってみると、われわれを取りまく医療環境は、もう、救いがたいほど堕落しているのがわかる。」(大熊[1973→1981:120])

◆友の会編 19740801 『鉄格子の中から――精神医療はこれでいいのか』,海潮社,254p. ISBN-10: B000J9OWUQ 1500 [amazon] ※ b m

 「精神科の薬を飲むと鋭い小説が書けないので、三日前から止めて、睡眠薬で眠っています。再発するかも知れませんが、前の小説は二百枚なので、本にするとき三百枚でないといけませんので、もう百枚どうしても仕上げようと思っています。他にも一昨年より長編を頼まれていまして、それも急がないといけないのですが、精神科の薬を飲むとぼんやりして、書いてもしょうがないような小説にしかならないので、すべてをここで文学に賭けてみようと思っています。」(友の会 1974:37)

 「一、私の経験では、「薬は出来るだけ飲まない方が良い」という結論が出ます。睡眠薬、精神安定剤などの薬は、結局みんな駄目だと言いたいのです。これはちょっと乱暴ですが、現在薬の大量投与に頼っている病院がほとんどですから、このような極端な言い方も必要と思われます。」(友の会 1974:146)

 「I(引用者―座談会の発言者のイニシャル) 精神を治療するのになんで薬で治るんですか。中枢神経をただ鎮静してですね、ただ無気力な状態にしておけば刺激が加わらないからいいだろうとおいことでやっているんでしょうけどね、管理もしやすいし。」(友の会 1974:230)

 「私は四十七年にH市の国立療養所Mを退院してから、一日も薬を欠かしたことはありません。精神病に対する主な治療法は薬物療法だと聞いていますが、私の場合、退院してから薬を止めて再発した苦い経験がありますので、薬だけは欠かさずに服用していこうと思っています。」(友の会 1974:160-161)

Illich, Ivan 1976 Limits to Medicine Medical Nemesis: The Expropriation of Health, CR: I.I.=19790130 金子嗣郎訳,『脱病院化社会――医療の限界』,晶文社,325p. 1500 ※

 「薬物は常に毒性をもつものであった。そして、薬物の望ましからざる副作用は、薬物の効力と広範囲の使用にともなって増加してきている。毎日五〇パーセントから八〇パーセントのアメリカおよびイギリスの成人は、医師が処方した化学物質をのみこんでいる。誤った薬をのむ人もいるし、汚染し、古くなった薬をのむ者もいる。偽薬をのむ者、また危険な配合の薬をのむ者もいる。消毒不完全な注射器で注射される人もいるのだ。嗜癖になりやすい薬もあるし、人体を損う薬もある。また遺伝子に変異をおこさせる薬もある。もっとも、食品染色物・殺虫剤との共同作用によってのみ、そうした副作用があらわれることもあろうが。抗生物質のために正常な細菌群に変化が起こり、過剰の感染をおこし、抵抗性のより強い微生物が繁殖して宿主(人体)を侵すこともある。また細菌のうちには、ある薬剤に抵抗力をもつ株を育てるものもある。このようにして、把え難い薬物は、驚くべきほど種類が多く、あまねく存在するインチキ薬よりも速やかに蔓延して行くのである。」(Illich[1976=1979:29])

 「薬物の過剰使用はもちろん、医師の数が乏しく貧困な地域だけの問題ではない。アメリカ合衆国では、製薬企業の規模は今世紀において一〇〇の倍数で成長している。毎年二〇〇〇〇トンのアスピリンが消費され、一人当り二二五錠になっている。イギリスでは一〇夜に一夜は睡眠剤が使用され、女子の一九パーセント、男子の九パーセントは、一年の間に、処方された何らかのトランキライザーを服用している。アメリカ合衆国では中枢神経系に働く薬剤が薬品市場の中で最も成長の早い部門であり、現在でも全売上の三一パーセントを占める。処方されたトランキライザーに対する依存性は、一九六二年以後二九〇パーセントに上昇している。その期間に一人当りの酒の消費量は二三パーセント増にすぎず、非合法の阿片の消費量は推定で五〇パーセント増である。相当量の「気分をあげる薬」と「気分を抑える薬」が、各国で医師を欺くことで入手されている。一九七五年における医療の手による嗜癖は、自ら選んだ嗜好やお祭りさわぎで幸福な気分をつくろうとする嗜好より以上に伸びている。」(Illich[1976=1979:57])

◆仙波 恒雄 矢野徹,1977,『精神病院――その医療の現状と限界』星和書店

 「やがて三〇〜五〇年服用することになれば、その結果は精神外科におけるロボトミー批判の如く、薬物療法批判をうける時期が来るであろうと考える。
 故に、薬物は必要な時期(比較的短期間)には十分に吟味しつつ使用し、常に症状に合わせて、できるだけ最小限量を使うことに医師は強い関心をもっていなければならない。長期にわたり、薬物治療指針の許可範囲であるからといって、安心して大量の薬物を使用することは慎むべきである。」(仙波他[156])

吉田 おさみ 1980

 「また医療一般における現代のクスリ信仰に対して高橋晄生氏をはじめとするクスリ批判は、おおむね有効性(有害性)、安全性の見地からなされていますが、特に「精神医療」の場合、薬物治療の本質こそが根源的に問題とされなければならないでしょう。つまりクスリが効かないことが問題ではなくて、実は効くことが問題なのです。」(吉田 1980:50)

 「他方、クスリをのむ個人(本人)にとってはどうか? たしかにクスリをのむことによって苦痛は除去されることは多いですし、社会に適応できるということは生活―生産という面からすればよいことに違いないでしょう。しかしクスリによって本当の自己は失われてしまいます。クスリによって感情、意志などを統制することはどうみても異常な事態です。もし私たちの怒りや喜びや悲しさ、嬉しさなどを全部クスリで統制するとすれば、それはもはや人間ではなくロボットにすぎません。」(吉田 1980:51)

 「私がクスリをのみ、他人にもすすめることがあるのは、クスリが「病気」をなおすもの、あるいは抑えるものだからではなく、ただ生活の便宜のため、便利だからにすぎません。要するに、クスリをのむのがよいか悪いかは一刀両断的に決定できるものではなく、クスリが現実に自分に及ぼす作用を見きわめた上で、最終的には本人の決断に委ねられるべきでしょう。」(吉田 1980:52)

 「私の経験からして、クスリをやめて入院、退院してクスリをやめて入院、ということを繰り返してきたように思いますので(もちろん誰も“発病”とクスリの因果関係を証明できない)、心理的にもクスリは私にとって欠かせないものとなっていました。つまり、クスリをのむことによって安心し、クスリに依存しているという現実が、残念ながら現在の私にもあるように思います。クスリはのまない方がよいとは決まっていますが、やはり現実世界に生きていくうえで便利だ、ということで麻薬と知りつつ飲み続けているのが実情です。」(吉田 1980:245)

◆長田 正義 19800525 「序文」,『精神医療』19-2(35),特集:社会復帰

 「…私論ですが、薬物の出現により精神療法を始めとする諸所の治療的諸活動が可能になったとするこれまでの通説は本当にそうなのでしょうか。薬物の登場後、精神科病床数の急増とともに、平均在院日数はかえって延長し、退院が遅れるという現象を招いています。この現象の中に「社会復帰」の問題があるのだと思われます。すなわち、疾病の性質から慢性となって長期在院化をもたらしたのか、それとも他の要因により、平均在院日数の延長がもたらされているのか、はっきりせねばならない問題です。
吉田 おさみ 1981

 「自分の配偶者が「精神病者」で薬のむ場合とのまん場合と全然違う。のまないと頭が冴えていて良く気がつくがこわい。こちらがやりこめられてしまう。薬をのむと人あたりは良くなるが物忘れがひどく睡眠時間が長くなってしまう。家は天理病院だと僕は冗談でいうんだが自分は薬をのめという立場に追いこまれている。薬のまないで妄想なんか出て来て病院に入れられたらかなわないので自分が健常者の立場に立って妻に薬を進めている。自分自身に関しては、薬に対する依存傾向を認めざるを得ない。」(吉田 1981:67)

◆藤澤敏雄,1982,『精神医療と社会』精神医療委員会

「薬づけ」を「質的にも量的にも不必要な精神安定剤を投与して患者を過剰に鎮静させること」と一応定義してみよう。「薬づけ」は、一部の「悪徳病院」や「悪徳医師」においてのみあることだとはいえない。どの病院にも、どの医師にでも「薬づけ」におちこむ危険性がたえずつきまとうと考えた方が正しい。(藤澤 1982:119)

Mary O'Hagan 1991 Stopovers: On My Way Home from Mars=199910 長野英子訳,『精神医療ユーザーのめざすもの――欧米のセルフヘルプ活動』,解放出版社,245p. 4-7684-0054-X 1890 ※ ** [amazon][boople][bk1] ※ b d m

1精神保健体制の中のサバイバー
 ○価値をおとしめる精神保健体制
 <向精神薬と電気ショック>
 「わたしの話した多くのサバイバーは、精神科での薬物使用を支持しませんし、電気ショックにいたってはもちろん反対です。この二十年間で生物学的精神医学が勢いをもってきてい<0043<ることを懸念する人もいました。薬は安価で早く作用し、普通は鎮静効果があります。だから、金は足りないが過剰に管理しようとする精神保健体制では薬は第一の選択手段です。「薬は内部的な拘束衣である」「薬は重要な学習経験を奪う」「いくつかの種類の薬は飲んだ人間を衰弱させる副作用がある」などと訴えるサバイバーもいます。」(Mary O'Hagan[1991=1999:43-44])

 「現在薬がとても乱用されています。有害な薬が広範囲にわたり強制的に使われています。(中略)アメリカ精神医学会でさえ、一般に精神科の患者に使われる向精神薬が、実は中枢神経系に不可逆的な破壊をもたらすことを認めています。とくに、向精神薬は遅発性ジスキネジアという病気を引き起こすことをアメリカ精神医学会は認めています。医者たちの概算によれば、世界中で五千万人が遅発性ジスキネジアに侵されています。政府が巨大で偽善的な麻薬との戦争を上演しているまさにその時に、一方では国家の保護の下に巨額な利益を上げる強制的な市場が向精神薬を販売するために用意されているのです。」(Mary O'Hagan[1991=1999:45])

 翻訳者あとがき  長野英子
 「たとえば薬の問題があります。抗精神病薬はじめすべての向精神薬を否定するサバイバーであっても、「すぐに薬をゴミ箱に捨てること」をすすめているわけではありません。抗精神病薬や向精神薬をやめた際の症状は多様でありかつ苦痛に満ちており、生命の危険すら伴います。ドイツのサバイバーであるP・レーマンは「向精神薬の中断に伴う離脱症状」という文章の中で、医療的な体調監視の下で、慎重に少しずつ薬を減らすこと、そして鍼やマッサージ、ヨガなどの代替医療、環境調整や援助者の必要性を強調しています("Deprived of our humanity --the case against neuroleptic drugs" 「人間性の剥奪――反抗精神病薬の症例(邦訳なし)」より)。日本ではわたしの知る限り、薬からの離脱を助ける専門家もあるいは運動体、援助システムも存在していません。それゆえ薬の問題を実践的かつ建設的に議論し解決する前提が欠けているのが実態であると思います。この点は今後日本のサバイバーが欧米のサバイバー運動から学んでいかなければならない点でしょう。」

◆中井 久夫 20040401 『徴候・記憶・外傷』 ,みすず書房,404p. ISBN-10: 462207074X ISBN-13: 978-4622070740 3990 [amazon] ※ b d07d m ptsd

 「ケネディ政権以来、力動精神医学はうさん臭いと言われだします。ケネディのお姉さんが精神病でさっぱり治らなかったところが、クロルプロマジンを飲むとずいぶんよくなったのです。一九五二年にフランスで初めて使われ、日本でも一九五五年−一九6〇年までの間に普及した向精神薬第一号です。大統領やその親戚の病気が非常に医学を左右するということがアメリカではよくあります。ポリオの研究が非常に進んだのは、ルーズベルトがポリオだったからです。アルツハイマー病研究が非常に進んだのもレーガンのアルツハイマー病発症と関係があるかもしれません。
 そこで診断基準を力動精神医学でつくることを止めます。」(中井[2004:131])

 「統合失調症に対しては百の精神療法よりも一の薬物をという、さる名言がすべてを物語っているように、今は統合失調症の精神療法の秋である。私は、生涯の重要な部分を統合失調のの治療に宛てて今人生の秋に開く者として感慨なきを得ない。
 しかし、いささかは懐疑もある。一つは、抗精神病薬はそんなに単純一義的に効きますか、という懐疑である。[…]第二には、精神療法の無効を宣言してもよいほど、多くの患者に対して適切十分な精神療法が行われたかどうか、という懐疑がある。」(中井[2004:244])

 「私は、一九六六年に精神科医となった。このことには、かなりの意味がある。一九八六〇年に医師となってすぐ精神科医になっていたならば、私はかなり違った精神科医になっていたであろう。一九六六年に精神科医になったということは、精神療法家としては、たとえば、いきなりロジャーズの洗礼を受けずにすんだということである。薬物療法的には、プチロフェノンをフェチノアジンと同時に使用しえたということである。おそらく、私は、ハロペリドールの大量使用を行った初期の精神科医の一人であろう。私は、もしキノフォルムのような副作用がこの薬物に発見された時の自分がとるべき出処進退を考えてから、かなり大胆にこの薬物を使用して、かなりの効果を収めたと思っている。同時に、私は主治医としては電撃療法を一度も行っていない[…]主義としてしないというよりも、しなくてすんだというほうが当たっているであろう(たまたま私の勤務したところは先輩に電撃をし<0247<ない方針の医師が必ずいた。ついでながら、電撃療法は、患者にとってはおのれの回復の筋道[ストーリー]を辿り直しにくい点で、薬物療法よりも精神療法から遠い。ことに、陽性転移感情の存在下では、ゼウス的処罰の意味を持ちうると私は思う。」(中井[2004:247-248])

◆川村 実・佐野 卓志・中内 堅・名月 かな 20050515 『統合失調症とわたしとクスリ――かしこい病者になるために』 ,ぶどう社,128p. ISBN-10: 4892401773 ISBN-13:978-4892401770 1365 [amazon]

◆石川 憲彦 20050520 『こども、こころ学――寄添う人になれるはず』,ジャパンマシニスト社,198p. ISBN-10: 4880491756 ISBN-13: 978-4880491752 1575 [amazon] ※ b m d07d

◆石川 憲彦・高岡 健 20060625 『心の病いはこうしてつくられる――児童青年精神医学の深渕から』,批評社,メンタルヘルス・ライブラリー,172p. ISBN-10: 4826504454 ISBN-13: 978-4826504454 1890 [amazon][kinokuniya] ※ b m

 「石川 私もリタリンの使用はゼロではないです。ただその殆どは既に余所の病院やクリニックで使用が始まっていた例です。この薬剤は子どもに依存が起こらないというのは?で、親に「覚せい剤を子どもに飲ませているのと同じです」ときつい言い方をすると、「いや、子どもの方がこの薬は納得して喜んで飲むのです」と言う。納得して喜んで飲むというのは、既に覚せい剤依存の始まりなのですね。つまり、イヤだなと言いつつ飲むのが薬で、納得して喜んで飲むというのは凄く危険なんです。
 薬を私が使わない理由は、先ほど高岡さんが言われたAD/HDの診断のところでの、病状が二つ以上の場面であるという点とからみます。場とは子どもにとっては大体学校か非学校的な家庭かです。私がリタリンを使う理由は限られています。家庭で困るなら使うのです。例えば旅行。最近は減りましたが夜汽車で行くというときに心配ですね。汽車から飛び出して迷子になったりしたらとか、親も気が気じゃないことがある。そんな時にリタリンを飲んで安心してみんなで楽しく旅行できるならそう悪いことじゃないと思っています。
 つまり多動行動が病的で本当に困るというこのは、診断基準にあるように多様な場所で困ることです。そういう場合使用もしょうがないと思います。日本で多いのは、隣の家との住居環境が悪いので薄い壁一枚で隣の家から怒鳴り込まれるといったこと。それでは一家の生活が成り立たない。そうなると親は、子どもはやはり静かにしてくれ、というふうになってしまうことは現実に少なくないですし致し方ないと思います。ですけど、リタリンを飲んでいる子どもの90数%までは家では飲まないのです。学校での限定的使用という綺麗な言葉で正当化されますが、私にはそこにもの凄い?っぽさを感じます。
 高岡 夏休みは飲まないとか。
 石川 そうです。つまり学校や社会のために飲まされているのです。」(石川・高岡[2006:71])

 石川「私はすべての患者さんにそのように対処できるとは思いませんが、ある医者のところで滅茶苦茶な投薬量の薬を飲んでいた人たちが、1剤か2剤まで投薬薬を減少すると調子がよくなることがほとんどです。なぜかと言いますと、確かに病気だったかもしれないし、薬剤の力を借りなければ乗り越えられないこともあったかもしれませんが、薬剤は対症療法です。歯を抜く時に傷み止めが要るように、薬を使わなくても歯は抜けるのです。しんどいところも抱えつつ、そこを乗り切っていく姿に人間は凄いなと感動したりしながら治療関係をつくっていく時と、大量投薬の時とでは全然違った症状になるわけです。特にそうしたことを強く感じるのは、今流行りのボーダーラインという診断名をつけられて薬が出されている場合です。ボーダーラインという診断名をつけたら、薬を使ってはいけないと思う位です。私は、ボーダーラインの場合、単一の症状に限局して薬を使うことはあるけれども、それ以外はしんどいけれども耐えていけるなら耐えていこうという形で投薬を抑制すべきだと思います。」(石川・高岡[2006:115])

◆長嶺 敬彦 20060701 『抗精神病薬の「身体副作用」がわかる』,医学書院,180p. ISBN4-260-00279-1(4260002791) 2520 [amazon][boople] ※ b m d07d

◆中井 久夫 20070525 『こんなとき私はどうしてきたか』,医学書院,240p. ISBN-10: 4260004573 ISBN-13: 978-4260004572 2100 [amazon][boople] ※ b m



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松枝 亜希子の研究計画の評価書より(2008.5 立岩

  「精神疾患・精神障害と薬の関係を考える時、「医療化」という枠組みだけで捉えてすむものでないことは、さすがに誰もがわかる。問題は、わかった上で、何を言うかである。薬にはよい面もあるがよくない面もある、と言えばよいか。それは正しいのだが、それだけでは何も言っていないに近い。では何をどう調べるか。
  この主題を考えるならここが出発点になるはずなのだが、その先の研究はほとんどない。申請者は、そこで複数の方法論を組み合わせ、その先に行こうとしている。一つに政治経済の中に薬がどのように位置づいてきたかを調べること、一つに薬を使う当人に即して調べること、一つに人に作用する技術の是非を巡る議論を検討すること。
  この一つひとつは特別のものではない。だが、他になにか研究の仕方があるかと考えてもそうはない。そしてそれを一つひとつきちんと行なって組み合わせていった時に、さきの問いにようやく答えることができるはずである。事態は製薬企業その他の利害におおいに影響されるが、それだけのことでもない。当人の声は、当然のこと、多様性を示しながらも容易に収斂しない。他方で、規範的言明のあるものは過度に事態を単純にしてしまう。ところが普通はこのうちの一つしか見られることはなく、結果、たいしたことが言えなくなってしまうのである。
  比べて申請者は、まったくの正攻法で、そして利口な方法で、この問いに答えようとしている。そして既に、なすべき仕事の一部を行い、まとめている。つまり、関係する書籍を集め、読んで、歴史の一部を明らかにした。当然描かれるべきだが描かれてこなかったこと、薬を使う本人たちによる薬についての思索が30年以上前にあったことを明らかにした。申請者の論文がなければ、この種の議論は数年前ニューロエシックスなるものによって始められたといった嘘が流通することもなりかねないのである。その嘘を防ぎつつ、申請者は今なされている議論からも学ぼうともしている。
  […]それはやがて一書としてまとめられるはずである。」


*作成:松枝 亜希子 UP:20080105,19 0528
薬/薬害精神障害/精神障害者 

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