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『”狂気”からの反撃――精神医療解体運動への視点』 吉田 おさみ 19810100 新泉社,276p. ■吉田 おさみ 19810100 『”狂気”からの反撃――精神医療解体運動への視点』,新泉社,276p. ISBN:4787780085 1575 [品切] [amazon]/[boople] ◆「薬の使用」に該当する箇所の抜き書き p15 また、「精神障害」者が差別されるもう一つの原因として、クスリ服用による生産性の低下があげられます。現在使われている向精神薬は、決して“病”をなお すものではなく、神経を遮断し、頭をぼかすことによって、“異常な”行動を抑えるものですから、クスリをのむことによって、当然、頭の働きが鈍ってきま す。それが「精神障害」者は動きが鈍い、あるいは、能率がわるい、として職場などから差別―排除される原因となります。 p35 第二に労働力の再生産について。向精神薬の登場などにより「精神病」もなおる可能性が大きくなったとの認識から、「精神医療」の課題も隔離・収容から適 応―労働力再生産へと徐々に移行 p36 しつつあります。 医療を商品として扱う制度、つまり医療資本主義のもとでは余剰金が必要であり、また医療資本と薬剤資本の癒着によって、医師は製薬会社のセールスマンにな りさがっているという事実も指摘できます。 p48 向精神薬は麻薬か? 然り、麻薬である。 精神科医は「麻薬販売人」であり、そして私は「麻薬常習犯」である。 もちろんクスリ拒否と入院との因果関係を証明はできませんけれど、やはり入院しないためにはクスリをのむしか仕様がないと思うようになりました。それで一 九七一年病院を退院してからは相当量のクスリ(フェノチャジン系一日二百数十ミリ)をのむようになりました(ただし自分で状態がよいと思う時は一日量を三 分の二か三分の一に減らしました)。 その間の私は口喝、鼻閉などの副作用もあり、クスリをよいものとは思っていなかったのですが、正直言ってやめるのがこわかったのです。 その結果鼻閉も口喝も少なくなり気分も楽になりましたが、その代わり発想が以前のようは浮かんでこなくて平凡になってしまったように思います。私は「妄 想」もまた一つの発想だと思うのですが、非生産的な発想(妄想)がなくなると同時に生産的な発想も枯渇してしまったようなのです。 私の親しい友人にはクスリに対して批判的な人が多いです。ある友人は、クスリをのむと人が変ったようになる、人間的な気持も適確な判断も批判的精神も全く 失われ、人と接触しても細かい心遣いはできなくなってしまう、といいます。ところがクスリをやめるとしばらくよい状態だがそうながくは続かず結局は入院の 危険にさらされるそうです。 p50 私はこれらの人に対して、クスリはあなたの問題を根本的に解決するものではないけれども、少なくとも応急措置として苦痛を和らげてくれる、と説く結果に なってしまい、あげくはの果ては「お前は医者の手先か」と言われてしまうのです。 私もクスリに対する批判をもちながら、結局は事実上Nさんと同じように親しい友人にはクスリをすすめてしまう結果になるのです。 また医療一般における現代のクスリ信仰に対して高橋晄生氏をはじめとするクスリ批判は、おおむね有効性(有害性)、安全性の見地からなされていますが、特 に「精神医療」の場合、薬物治療の本質こそが根源的に問題とされなければならないでしょう。つまりクスリが効かないことが問題ではなくて、実は効くことが 問題なのです。 p51 他方、クスリをのむ個人(本人)にとってはどうか? たしかにクスリをのむことによって苦痛は除去されることは多いですし、社会に適応できるということ は生活―生産という面からすればよいことに違いないでしょう。しかしクスリによって本当の自己は失われてしまいます。クスリによって感情、意志などを統制 することはどうみても異常な事態です。もし私たちの怒りや喜びや悲しさ、嬉しさなどを全部クスリで統制するとすれば、それはもはや人間ではなくロボットに すぎません。 クスリは人間的自然、本当の自己を失わせるという意味で実は麻薬なのです。 クスリは「病気」をなおすものだというのは一つの偏見であって、クスリはただ体の状態を生理 p52 的に変化させるだけです。なおるということは一つの価値判断なのですが、クスリをのむ側からいえば、クスリによって体の状態が変化するのは事実としてもそ の変化が好ましいかどうかは本人の意志にかかわる問題のはずです。 クスリは人間的自然を人為的に変えるという意味で、正常を異常にするものといえます。 私がクスリをのみ、他人にもすすめることがあるのは、クスリが「病気」をなおすもの、あるいは抑えるものだからではなく、ただ生活の便宜のため、便利だ からにすぎません。要するに、クスリをのむのがよいか悪いかは一刀両断的に決定できるものではなく、クスリが現実に自分に及ぼす作用を見きわめた上で、最 終的には本人の決断に委ねられるべきでしょう。 p213 しかも、現在ではクスリによって状況支配が可能になるケースが多く、クス p214 リを飲むことによって、いわゆる「精神障害」者も実質的な意味での健常者となっていることが多いのです。 p242 以前は暴力的な人が多い男子病棟の方が規制が厳しかったようですが、クスリによる抑制が行われているこの頃では、逆に女子病棟の方が規制が厳しいように見 受けられました。 p245 退院してからしばらく、クスリをもらうためにたしか二週間に一度信貴山病院へ通院していました。私の経験からして、クスリをやめて入院、退院してクスリを やめて入院、ということを繰り返してきたように思いますので(もちろん誰も“発病”とクスリの因果関係を証明できない)、心理的にもクスリは私にとって欠 かせないものとなっていました。つまり、クスリをのむことによって安心し、クスリに依存しているという現実が、残念ながら現在の私にもあるように思いま す。クスリはのまない方がよいとは決まっていますが、やはり現実世界に生きていくうえで便利だ、ということで麻薬と知りつつ飲み続けているのが実情です。 ◆「精神障害者がグループを形成する時の困難な点」に該当する箇所の引用 p271 実のところ、全国「精神病」者集団内でも、この「革新的精神科医」との関係の問題をめぐっては、きびしい論争があるらしい。 「しかしながら、『医師からの自立か、医師との連携か』という形での問題設定は空疎でしかない。 p272 また医師からの自立志向を強めるあまり、『医師は敵対矛盾!』と短絡化させるのは明らかに誤りである。医師一般を敵だとみなすような捉え方は、現実の医師 と患者の社会階級的立場を対象化することなく、医師と患者の関係を『加害者―被害者』と一面化させるという階級的視点の欠落した態度から生じてくる。」 UP:20070701 ◇精神障害 ◇BOOK |