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八代 英太

やしろ・えいた



・八代 英太
・やしろ・えいた
・本名:前島 英三郎
・1937年生 77.7国会議員に当選
 『愛は車椅子に乗って』60-76
 国会議員(自由民主党)

■新着

◆八代 英太 i2018 インタビュー 20180406 +前島 富子・前島 由希 聞き手:田中 恵美子・奥平 真砂子 於:東京・八代氏宅



◆19770930 『負けてたまるか車椅子』
 毎日新聞社,222p. 850 横浜369.27
◆19790430 『車椅子からみた日本――わが福祉社会論序説』
 三一書房,236p. 980
◆19821225 『汗と涙の奮戦記』
 技術と人間,350p. 1100 勝又
◆19870216 「障害者の10年と障害者インターナショナル」
 『あくしょん』2:16-19
◆19911215 「まえがき」
 八代・冨安編[1991:001-004] ※
◆19911215 「日米関係,国際社会,そして日本」
 八代・冨安編[1991:369-416] ※
◆八代 英太・冨安 芳和 編 19911215 『ADA(障害をもつアメリカ人法)の衝撃』
 学宛社,430p. 2800 ※

◆19781225 「マインド+マンパワー+ソフトウェア――人間中心の福祉を凝縮した一語を!!」(連載1)
 『季刊福祉労働』01:143-145  東社
◆19790325 「ノーマライゼーション――福祉社会への合言葉?」(連載2)
 『季刊福祉労働』02:075-077 ※
◆19790625 「障害者福祉にとっての「革新」とは――主体性としての個の確立を」
 『季刊福祉労働』03:135-137 連載3 ※COPY
◆19791225 「歴史的転換期を前に
 ――いま障害者運動は厚生省に遅れを取っているのではないだろうか」(連載4)
 『季刊福祉労働』05:158-160 ※COPY
◆19800325 「障害者運動の孤立化をねらう?――五十五年度予算編成の過程から」
 (連載5) 『季刊福祉労働』06:160-162 ※
◆19800925 「算数の時間ではありませんが「最小公倍数の原理」をモットーにしよう!!――障害者問題の論議に欠かせぬ原理・原則」(連載8)
 『季刊福祉労働』08:079-081 ※
◆19801225 「提訴・教育・啓蒙――米・車いす弁護士の社会改革の方法」(連載9)
 『季刊福祉労働』09:104-106 ※
◆19810910 「訪韓の記(二)障害者施設の先駆者たち――車椅子から見た世界と日本・2」
 『技術と人間』10-09(098):116-123 ※COPY
◆19811010 「訪韓の記(三)――車椅子から見た世界と日本・3」
 『技術と人間』10-10(099):148-155 ※COPY
◆19811110 「使っていない日本の技術(1)――車椅子から見た世界と日本・4」
 『技術と人間』10-11(100):182-189 ※COPY
◆19811210 「さらばミスター・アベレージ――車椅子から見た世界と日本・5」
 『技術と人間』10-12(101):132-139 ※COPY
◆19910201 「ADA成立を振り返る」
 『リハビリテーション』331(1991-02):12-16 ※COPY
◆19920301 「日米障害者協議会 第4回」
 『障害者の福祉』12-03(128):38-40 ※

 ※は生存学資料室にあり



野口:そのちょっとあとぐらいですかね。だから、高橋さんと出会ったのは、何でしたっけ、日本福祉党でしたっけ? 八代英太さんの。
立岩:八代が自民党に入る前ってことですね。
野口:前の、党を立ち上げてっていう。あの八代さんと仲良くしてもらって。高橋さんが。立川のエレベーター設置運動の延長で「中央線大点検やろう」って言っていて。で、大点検の日にち準備してたら、突然八代英太さんが自民党に入っちゃって★、その話が流れちゃって。それでも、「立川のメンバーでやろうよ」っていうみたいなところで。その後はだから、一緒に活動した、始めたっていうころですね。
★八代が自民党に移ったのは1984年。https://ja.wikipedia.org/wiki/八代英太
立岩:ぼく今、高橋さんの年表っていうのを、ぼくが作った年表を見たけど、それだと、あかつきコロニーで仕事して。で、武蔵村山でそのアパート借りたのは81年なんだって。で、立川市のアパートに転居したのが83年なんで、らしいんですよ。その立川の人から聞いた話っていうのは、「高橋さんという人が立川でなんかヘルパーっていうか、他人介護入れて暮らしてるって人がいるよ」って、「立川でそういう人いるよ」って聞いたんですか? 野口さんが聞いた時。
野口:そうですね。立川でいるって。
立岩:じゃあもうすでに立川に、
野口:暮らして、そのヘルパーさんもそこに入ってたりしたので。高橋さんとこへ。
立岩:あそうか。じゃあ83年にはなってたってことですね。ということは、野口さんだいたい32とか、そのぐらいかな。
野口:そのぐらい。
立岩:エレベーターの話っつうのは、そうか81年なんだって。立川市にエレベーターの設置を要求する、ってのは81年なんだそうです。でそれ今、そのぼく八代が関わって抜けたって話自体さっきはじめて、今初めて聞いたんですけど、それは立川市にその会ができた時は福祉党も一緒にやってたっていう、そういう感じなんですかね?
野口:そこらへんちょっとあの、最初のころはわかってないですけど。だんだん仲良くなったんですよね。
立岩:八代さんと高橋さんが。
野口:うん。
立岩:それちょっとこっちで調べてみますわ。その、八代さんが自民党にかわったっていう、そっちに行った。で、「じゃあ立川は立川だけでやるしかないよね」っていう、そういう話か。
野口:そうですね。ちょうどその日に初めていろいろ運動に参加したっていう記憶がありますね。
立岩:野口さんが。それは高橋さんに会った最初でもあったの?
野口:そう最初ですね。
立岩:高橋修に会った最初の時でもあり、エレベーターの運動に関わった最初でもある。
野口:ええ。
立岩:それはどういうこう、ビラまきだったり集会だったりいろいろあるじゃないですか。どういう機会だったかっていうの、覚えてらっしゃいますか?

野口:だからあの、ヘルパーさんからこういう高橋さんがいるよ、っていう話を聞いていて、高橋さんつてで、連絡とって高橋さんと会おうと思ってたんですけど、なかなかタイミング合わず会えなくて、けっきょく当時高橋さんのボランティアやってた人が、国立の三井〔絹子〕さんのグループで、なんかイベントあるから行かないかって言われて、たしか絹子さんのお話を聞くようなイベントに行ったのが、その高橋さんとは会ってないけどそういうきっかけで。[00:30:12]
立岩:それがまずあったと。三井絹子さんがなんかがしゃべるのでから行ったのが一回あって。で、高橋さんに会ったのはそのあとってことですか?
野口:本人にあったのはそのあとですね。その、だから中央線点検の時が初めてぐらいの、ぐらいだったかな。で、その八代さんとの、いろいろとうまくいかないっていうことで、何度目かの胃潰瘍になってまた入院しちゃって、みたいな。
立岩:高橋さんが?
野口:さんが、うん。
立岩:そうか、じゃあ消化器系のことは、もうすでにそういう時も、
野口:そうですね、2回目ぐらいの胃潰瘍だったのかな、なんか…。」


REV:... 20220821
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