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葛城貞三『難病患者運動』に・3

「身体の現代」計画補足・568

立岩 真也 2019
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2248719442061697

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『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』表紙イメージ

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 ※ファイスブック版、書き直したので+書き足したので、再掲します。
 以下、葛城さんの本に載せてもらった「解題」を分解して連載している(→趣旨※)。その第3回。だが、なんと、この辺でだらだら続くのは拙著『病者障害者の戦後――生政治史点描』からの引用なのである。なんということであろうか、だが、「あえて」、ですのでご理解たまわりたい。では。

◆葛城 貞三 20190125 『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』,生活書院
◆立岩 真也 2018/12/20 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p.

◇関連項目
◆全国難病団体連絡協議会(全難連) http://www.arsvi.com/o/znr.htm
◆日本難病・疾病団体協議会(JPA) http://www.arsvi.com/o/jpa.htm
◆「難病」 http://www.arsvi.com/d/n02.htm

 ※葛城さんの博士論文が本になった。たくさん売れてほしいので、そこに書かせてもらった「ここから始めることができる」を小分けして、ゆっくりと掲載していく。終わるまでに買ってほしい。
 ■何がわかりそうだと思えるか
 □「要旨」
 □「論文審査の結果の要旨」
 □分岐について/個人について
 □初物は、ただ書かれればよいのだ、と言い続けようと思う。


■何がわかりそうだと思えるか

 […]
 他方の「革新」の側はどうか。[…]一つ、生きることは権利であると言う。それ以外のことを言う必要もないのだが、しかし自らの実感としても、また戦略としても、悲しい物語を語ることは多く、ここはそう大きくは変わらない。家族がまず負担を負うのが当然という主張は当然にここでは弱くなるが、ここでも、まず家族が負担を負い、それが大変なので政治に要求するという道筋はさほど変わらない。そして一つ、病気なら当然だが、医療を求める。自らや子どもが辛いのはまったくの現実だが、それは社会の理解を得て政治の力を引きだすためにも必要だ。また一つ、施設についてはそこを出されても生活できる見込みがないなら、護られるべきものとされる。労働者の組合もまた自らの職場を護ろうとする。
 とすると大きな違いはないとも言える。これは、例えば軍事・外交について政治的な立場が左右で大きく異なり、容易に合致しないのと異なる。「医療・福祉」となれば、「より多く」という点で一致するのである。ただ、それでも、今でもそうだが、「政治」の話が嫌われ避けられることは多くある。嫌う人もたいがいの場合は十分に政治的なのだが、「(医療と福祉を)より多く」以外の政治的な主題とセットにされ、その全体を支持することが求められたりすることについて、さらに選挙に動員されたりすることについて、不快や警戒は生じる。そうして煙たがれるのはセットにする側もわかるから、ときにはセットにすることの正当性を主張することもあるが、他の多くの場合には遠慮したりその強さを加減することになる。
 七一年に「特定疾患対策実施要綱」が発表され七二年から実施されたのだが、その年の四月「全国難病団体連絡協議会(全難連)」が結成される。他方、「日本患者・家族団体協議会(日患協、JPC)」は八六年六月結成。「結成宣言」には「社会保障の充実と民主主義の発達、そして何よりも平和」といった言葉がある[…]。少し薄められてはいるが、共産党的な言葉使いの組織ではあった。これには全国腎臓病患者連絡協議会(全腎協)など三一団体が加盟した。このJPC結成の時、全難連との合流がいったん実現しかけたが、結局流れたことがあった。全腎協の小林孟史はこの時に全難連の二人の代表の一人だったが、解任された。そのように捉えることができるのかどうか、もう一人の代表はあせび会の佐藤エミ子だったが、その著書(佐藤[1985])にも何も出てこないし、知っている可能性のある伊藤たてお(元JPA代表理事他)も葛城貞三の問い合せにわからないとしているのだが(葛城[2019【:40-41,44】])、当時の全難連側が政治色、むしろ政党色を嫌ってのことであった可能性はあると思う。JPCと全難連が合併、新たな患者団体「日本難病・疾病団体協議会(JPA)」になるのは、そのだいぶ後、二〇〇五年五月になる[…]☆14。
 この狭義の「政治」を巡る配置は何をもたらしたか。障害児教育を巡る対立があったことは知られており、書かれたものもある。それは今述べてきたAとB二つの流れの間ではなく、「発達保障」を掲げ政党としては共産党を支持した側Aと、左派ではあるがその党と対立した側Cとの争いである。それは恐らく、この後のできごとのある部分にいくらか関わってはいると考える。ただ、Cの動きについては別のところで書いてもいる☆15。本書で確認されるのはむしろ、医療・医学・看護等に関わり、革新の側から、正義の側から発した人も、そしてその志を継続させた人も、その位置取りによって、体制を作り護る役割を果たしたことである。(『病者障害者の戦後――生政治史点描』、二一〇−二一七頁)

 こんなことを本書(葛城本)の第1章(の草稿)を読みながら考えていた。というか、著者が論文を書く過程で、草稿を読んだり話を聞いたりして、私にはこう見えるという話をした。ただ結局は、論文はその論文の著者が書くものだ。博士論文そして本書には、確かにわかったことがたんたんと列挙されている。それがこの本だ。ただ、それをどう読むか。他の場所での動きと照らし合わせて、道筋を読んで行くのは別の人でたちもよい。ただそのためには、しっかりと、細かなことも書いてもらった方がよい。
 そうして考えていくことでわかっていくことがあると私は思う。例えば「難病」の定義が本書にある(葛城[2019:10-11])。しかし当初いたのは本書に記されているように、スモン、腎臓病、血友病…の人・組織だった。これは今の政策における、また人々が思うところの「難病」とはだいぶ異なる。それはどういうことなのか。それは直接に本書には書かれていない。しかし、本書も一つの「元手」として、考えて示すことには、意味・意義がある。それは今のところ誰も書けていない。今度の拙著で一つ考えられることを示唆はしたが、そこを直接に書いたものではない。私がそれを主題的に書くことはないだろう。ただ書こうという人の手伝いぐらいならできると思う。」


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182568.htm
にもある。


UP:2019 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
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