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日本難病・疾病団体協議会

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last update: 20180530

◆日本難病・疾病団体協議会 2005/05/29 「日本難病・疾病団体協議会の結成にあたって」

■目次

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■刊行物・メール

◇JPA事務局ニュース
 第1号(2010年6月4日)第2号(2010年6月16日)第3号(2010年6月18日)第4号(2010年7月13日)

■言及

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社

 「七一年に「特定疾患対策実施要綱」が発表され七二年から実施されたのだが、その年の四月「全国難病団体連絡協議会(全難連)」が結成される。他方、「日本患者・家族団体協議会(日患協、JPC)」は八六年六月結成。「結成宣言」には「社会保障の充実と民主主義の発達、そして何よりも平和」といった言葉がある(日本患者・家族団体協議会(JPC)[1986])。少し薄められてはいるが、共産党的な言葉使いの組織ではあった。これには全国腎臓病患者連絡協議会(全腎協)など三一団体が加盟した。この△216 JPC結成の時、全難連との合流がいったん実現しかけたが、結局流れたことがあった。全腎協の小林孟史はこの時に全難連の二人の代表の一人だったが、解任された。そのように捉えることができるのかどうか、もう一人の代表はあせび会の佐藤エミ子だったが、その著書(佐藤[1985])にも何も出てこないし、知っている可能性のある伊藤たてお(元JPA代表理事他)も葛城貞三の問い合せにわからないとしているのだが(葛城[2018])、当時の全難連側が政治色、むしろ政党色を嫌ってのことであった可能性はあると思う。JPCと全難連が合併、新たな患者団体「日本難病・疾病団体協議会(JPA)」になるのは、そのだいぶ後、二〇〇五年五月になる(日本難病・疾病団体協議会(JPA)[2005]、その歴史の概略について藤原勝[2016])★14。
 この狭義の「政治」を巡る配置は何をもたらしたか。障害児教育を巡る対立があったことは知られており、書かれたものもある。それは今述べてきたAとB二つの流れの間ではなく、「発達保障」を掲げ政党としては共産党を支持した側Aと、左派ではあるがその党と対立した側Cとの争いである。それは恐らく、この後のできごとのある部分にいくらか関わってはいると考える。ただ、Cの動きについては別のところで書いてもいる★15。本書で確認されるのはむしろ、医療・医学・看護等に関わり、革新の側から、正義の側から発した人も、そしてその志を継続させた人も、その位置取りによって、体制を作り護る役割を果たしたことである。」

★14 葛城の本に収録されるその本の解題のようなものを書くことになっている([201812])。
★15 [200711-201709]。韓国、大邱大学での講演([201001])。これには英語とコリア語の翻訳がある。

◆葛城 貞三 20190125 『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』,生活書院



全国難病団体連絡協議会(全難連)


*作成:小川 浩史
UP: 20140205  REV: 20180530
「難病」  ◇組織病者障害者運動史研究 
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