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介護保険的なもの・対・障害者の運動 2
立岩 真也
2003/07/15 『月刊総合ケア』13-07:46-51
http://www.ishiyaku.co.jp/magazines/care.html
医歯薬出版:
http://www.ishiyaku.co.jp/
■1月に起こったこと
前回(5月号)、いまの介護保険の水準を超えた制度があること、それは長い時間をかけて、介助を必要とする側の運動によって作られてきたものであることを述べた。いくつかの地域ではいくつかの制度を組み合わせることによって、最大24時間の介助を必要とする人が家族の介助によらずに自宅で暮らすことができるようになってきた。それは、各地域での個別の運動とそれを支援する全国的な活動が実現してきたのだが、同時にその運動は中央官庁との折衝・交渉も欠かすことはなかった。その過程で厚生省は、1992年には「1週間当たり延べ週18時間を上限として」という規定(82年社老99号)を事実上撤回し、「ニーズがあるにもかかわらず制限を行なっている……要綱等を定めている市町村は、早急に改正する必要がある」とした(厚生省老人福祉計画課「ホームヘルプ事業運営の手引き」、より詳しい紹介は安積純子他
『生の技法』
、藤原書店、p.245)。交渉を重ねる中で障害者福祉の担当者は状況を理解するようになり、利用者側と厚生省、現在の厚生労働省がともにサービス水準の低い自治体に対し、より多くのサービスを提供するべきことを言うという位置関係になってきた。ここしばらく、ほぼその方向で事態は推移してきた。
ところが1月9日、ホームヘルプサービスの供給に上限を設けるという情報が流れた。1人1日換算で4時間以上の利用については国庫からの支出を行なわないという基準を設定し、それを市町村等に伝えるという方針だったことがわかった。それ以上の必要については各市町村に委ねるというのだが、国の予算は出ないなら、これが実質的な上限になってしまうだろう。それからしばらくどんなことが起こったかについてはホームページ(http://www.arsvi.com→立岩→この文章の題)をご覧いただきたい。DPI日本会議、全国自立生活センター協議会(JIL)、全国公的介護保障要求者組合、全国障害者介護保障協議会による支援費制度全国緊急行動委員会、そして日本身体障害者団体連合会(日身連)、日本障害者協議会(JD)、全日本手をつなぐ育成会が交渉団体となり、連日、厚生労働省の前に、16日には1000人、集まり、交渉を行なった。新聞も『毎日新聞』が継続的に追及したのをはじめ、各新聞や放送局が報道した。また『新潟日報』『毎日新聞』『朝日新聞』『神戸新聞』が厚生労働省を批判する社説を出し、NHK教育の番組でも取り上げられた。1月27日、上限は作らない、現状サービスは原則確保、今後のことは利用当事者を入れた検討委員で再検討といった線で、ひとまず事態は収まった。だが、とりあえずしのいだ、と言う方が当たっている。この問題だけでなく、「地域生活支援事業」の一般財源化等々、多くの問題が残された。
■支援費制度の位置
これは「支援費制度」への変更に伴って起こったことだ。この制度がどんなものか、どんな問題が起こったか、起こっているかについては様々な解説もあり、上記のホームページにも少し情報があるからここでは略す。私はこの変更について、何を謳っていようと、サービスの実質・量については何も言われていないのだから、基本的な問題をなんら改善するものではないことを述べてきた。「ノーマライゼーション」という言葉をまじめに受け取れば、それは住みたい場所で社会から支援を得て暮らせることを実現することを意味するのだが、そんなことは考えられていない。
ただ「措置から契約」へというかたちの変更は、うまくそれを使えればだが、使い道はあった。
この変更は財政側にとっては不利益なことではない。とくに供給組織を自らで揃えられないなら、民間に委ねるしかない。自ら公務員を雇うよりも安くなるならその方がよい。そのようなかたちの民間への「委託」はこれまで一貫して続いてきたことであり、今に始まったことではない。ではそれはただ行政側の都合によるものなのかと言えばそうとも言えない。これは当事者の側が主張してきた方向でもあり、それをいくらかは受けたものでもある。もちろん契約だとか選択だとか言われても、選択肢が実際に存在しなければ何の意味もないし、また、選択・決定を支える機構が必要なのだし――この点でも「生活支援事業」に国は支出しないという方針は支持されない――また責任の所在が曖昧になることはあってならないのだが、以上の(現実には存在しない)条件があればうまく使える。その部分の期待はあった。
前回述べたように、介護保険の前から、そして介護保険の制度の下で、実際に自分たちが主体になって供給組織を作っていこうという動きがあった。利用者に選ばれた人、組織が活動できるという原則は、しばしば利用者保護のためとは言えない理由から利用者側に利益をもたらさない制約が課せられ半端なものなってしまうのだが、それでも基本的には使える。その方向は今後も追求されるだろう。大きな問題は、この供給の形の変更とは別のところに起こった。
■介護保険への吸収という意図
介護保険との関係でサービスの量・基準が問題にされることが近いうちにあるだろうことは想定されていた。しかし、支援費制度の導入は基本的には(中途半端な)形の変更であるから、支援費制度の4月実施を前に1月になって量の問題が浮上することは想定されていなかった。(ただ昨年秋以来、厚労省側の意向で折衝の場がもたれていなかったから、それが予兆だったとは言える。)
今回のことは、基本的には、障害者の介助制度を介護保険の方に近づけ、吸収しようとする動きのもとにある――だから、形が介護保険に似ている支援費制度への移行もその過程の一部とも捉えられる。実際、介護保険との合体を見越して上限を設定するのだと厚労省の幹部が職員に昨年から言っていたとも聞く。そしてこれは、現状にとくに問題を感じていたというより、介助は介護保険で行くという「上」からの既定の路線があり、それに合わせようとしたということだろう。どれだけの介助サービスが実際に必要とされているかを知らず、それで多くの人が生きていけていることの現実もわからず、あるいは気にすることなく、介護保険的には常識的な上限を設定しようとした。
そしてこれは介護保険料を徴収する年齢を引き下げるという動き(『日本経済新聞』1月30日報道)と関連してもいるだろう。最初から払える人は払うべきものとすべきだったと私は考えるが、実際には介護保険はご存知のように40歳以上からの徴収になった。厚労省は、ともかくまず始め、後で徐々に年齢を引き下げようと考えていたのだろう。ただ引き下げると、払うだけで受け取る機会がない層が生ずる、だから高齢者でない障害者も受け取れる制度にしようという発想もあった。
介護保険は、少なくとも「在宅」の人に限れば、家族の介助があった上でその負担をいくらか軽減するものであり、またそんなものでしかなかった。介護保険以前、高齢者の在宅福祉サービスは全般に貧弱で、さらに地域によっては非常に貧弱な地域があったから、全体として増えはした。しかし家族に頼らず自宅で暮らしていけるものではない。訪問介護だけを使うと、最も多く使える人でも1日2〜3時間にしかならない。
介護保険との統合になぜそのまま乗れかったかは前回にも述べた。全国一律の制度は格差の是正を課題にしてきた人たちにとってはわるくない。また年齢で区分する根拠は見つからない。しかし実際のところがわかるにつれて乗るのをやめた。理由は簡単で、つまりまったく足りないものであり、端的に水準の切り下げを意味したからだった。今回明らかになったのはこの水準に合わせようとする動きだった。それは到底受け入れられるものではなかったから、大きな反発が起こった。
■「保険」という機構
どうなるのだろうか。今年度、委員会がもたれることになり、そこで検討される。しかし執筆の時点では委員会はまだ始まっていない。
他方、福祉推進の側にも介護保険に乗るのがよいという論調も出てきている。この2月「改革派」の知事たちが障害者福祉を考える催し「アメニティフォーラムinしが」のシンポジウムに集まった。参加したのは、滋賀・国松善次、三重・北川正恭、宮城・浅野史郎、千葉・堂本暁子、鳥取・片山善博、岩手・増田寛也、熊本・潮谷義子。4月からの支援費制度導入を踏まえ、2005年の介護保険見直しで、障害者を対象に加えることを7知事がそろって主張した(ただ片山知事は本来税金を充てるべきと述べたという)。現行の問題点を自覚しつつも、「いいとこどり」すればよいという話になっている。中央官庁の動きとこうした知事たちの主張との間に関係があるかは、すなおに受け止めればないということになろうが、知らない。
どのように考えればよいのだろう。
第一に、高齢者と高齢者でない人とが別の制度でなければならないという積極的な理由はない。基本的には一緒でよい。このことは認めてよい。
ただ第二に、「保険」に基本的な疑念があることは押えておくべきだ。いま「健常」な人が将来のリスクに備えて掛け金を払うのが保険なのではないか。とすると子どもの頃からあるいは生まれながら障害をもつ人はこの機構から外れる、外されないとしてもお荷物扱いされてしまうのではないか。このような危惧が表明されてきた。
私は、「公的」保険は、普通に人が保険という言葉から連想するリスクへの備え、自助(のための共助)のシステムではないこと、払える人は誰もが払うべきであり、受け取るべき人は誰もが受け取れるべきだという場所から出発すべきだと考える。このことをはっきりさせない限り、保険という言い方には危うさがある。そして、介護保険導入の際に繰り返されたのは「明日は我が身」という言い方だった(言い方でしかなかった)のだから、これは単なる杞憂でない。
この懸念を取り除けるなら、第三に、残るのは実質的には目的税と一般財源のどちらがよいのかという問題になる。保険・目的税の方が安定した財源を得られるという主張がある。たしかに保険料が一定ならその収入は一定になる。ただそれは、第二点とも絡み、いったんできた枠は壊しにくいということでもありうる。また、どれだけ誰から徴収した場合にどの程度が可能になるのか、様々に試算し考える必要がある。だがそうきちんとした議論がなされているようでもなく、それは知事や議員の発言についても言える。
■すくなくとも量は介護保険に合わせられない
そして繰り返すが、最も大きな点は、そして利用者の側が引き下がらないだろう点は、必要な人は必要なだけのサービスが得られる水準を可能にすることだ。そんなことは不可能だと思ってしまう人がいる。今回の出来事について、利用者側の肩を持ちつつもなにか及び腰の報道機関の姿勢にもそれは現われていた。だがそう思う必要はない。
まず多くはないにしても長い時間の介助が必要な人がおり、そしてその中に現に福祉サービスを使い例えば一人で暮らしている人がいるということ、その人の暮らしは介助がなければ成り立たないことをまず事実として知ることだ。そうして暮らしている人がいることを思ってみることのなかったらしい官僚でも、その現場に連れていって見ればわかるものだと、最近その機会があった人が言っていた。そこが出発点になるし、出発点としなければならない。
しかし次に、財政的に不可能ではないかと言われる。多くの人は非現実的だと思っているのかもしれない。しかし可能であり十分に現実的である。簡単には前掲『生の技法』の第8章に記した。また、少し理屈っぽい言い方では、雑誌『思想』の2000年2・3月号に書いた
「選好・生産・国境」
という論文で述べた。
まず家族やあるいはボランティアがしてきた介助を「社会化」し、公的な制度のもとに置くことにしても、それは担い手が変わるだけで、社会的な負担は増えもしないが減りもしない。それだけのことだ。まずこのことを確認しておく。
次に、高齢化で介助を必要とする人が増える、少子化で介助する人は少なくなると言う。少子・高齢化は事実だとしよう。しかし、ごくごく簡単に言い切ってしまえば、働ける人は現在も余っており、将来も足りないということはない。
そして現在の介護保険の機構では、短時間の訪問介護を巡回して行なうことが前提になっている。だから月30万円以上のお金も1日2〜3時間にしかならない。その時間単価をそのまま積算し24時間にすればそれはたしかに相当の額になるが、長時間の滞在型の場合には、計算も異なってくる。
■測定し判定し制限することは必須か
その上で基準をどうするかということである。介護保険では状態は等級に分けられ、それに応じてサービスの水準が決まる。とくにその業界にいる人たちは、基準と判定とがあって当たり前だと思っている。そしてそれが当たり前である理由を聞けば、なければ利用がいくらでも膨張してしまうだろうからだと言うだろう。
しかし、少なくともこれまで介護保険のような基準はなくてやってこれた部分があるということは押えなければならない。これは地方自治体の小さな制度だったからだろうか。しかし、医療保険は基本的には出来高払いのシステムでともかくこれまでやってきた。仮に医療の供給に無駄があるとして、それは多く供給した方が多くの収入を得ることができるいという供給側の利害による部分が多いのではないか。薬づけ医療などと言われるときには、その無駄な薬は利用者・消費者の方が欲しがっているのではなく、多くを供給した方が多くの収入を得られる供給側が与えたがっているということである。医療にしても介助にしても、多くあればあるだけうれしいというものではない。供給側の利害による供給の膨張を制御できれば、無用な供給過多はかなり押えられるはずだ。
多めに欲しがることがあることを全面的には否定しない。しかしそれでいくらか供給が膨張するにしても、状態が細かに調べられ、判定され、サービスの利用が決められ、それによって生活が決められることに関わって利用者の側にかかる圧迫と、調べ判定する側のコストとを考えたときに、どちらがよいかということである。
それでもなお、納得できる水準に設定されればやむをえぬこととして基準の設定を受け入れることがあるかもしれない。しかし少なくとも、現行の介護保険での基準の設定の仕方、設定された基準によるサービスではどうにもならないのは明らかだ。繰り返しになるが、介護保険では、介助を得ながら外出したり仕事をしたりといった生活があること自体ほとんど想定されていないのである。
■資格はいつも必要なのか
以上は、主には政策の側、そして負担する側との関係で現われてくる問題ではあるが、それだけでない。前回から紹介している運動は基本的に消費者の運動であり、それはときに直接の供給者との間の緊張をも孕んだものだった。考えてみれば対立がありうるのは当然のことなのだが、福祉という領域では、現実には存在するこの契機がないことにされることが多い。最後にこの点にふれる。
あまり知られていないが「資格」は過去幾度も問題になってきた。そもそも自立生活運動と称される動きの中で、介助者はその利用者との関係の中で介助の活動に入ってきたのだし、自立生活センターによる介助者の派遣でも、その組織と利用者自身が介助者にすべきこと/すべきでないことを教えてきた。それが一定の資格を要するとなると、今までの介助者を使えなくなる。また、介助者が資格をとること研修等を受けることを受け入れるとして、それに要する時間と費用とを誰がどのように負担するのかという問題が現われ、それをめぐる交渉と双方の妥協が繰り返されてきた。またその教育のあり方の問題も絡み、講習自体を自前で行うこともなされるようになった。
利用者による直接の選択が不可能な場合あるいは効果的でない場合、提供されるサービス(の提供者)の品質保障のための一つの手段として資格の付与が有効で必要とされる場合はたしかにある。そして政府がそれに責任を有するとき、その自由化に慎重になるという事情は理解できなくはない。そしてもちろん、技術は必要な場面では必要であり、危険に対する対応も必要である。しかし技術水準を維持し、危険を避ける方法は資格の付与だけではないし、また現在の資格付与/剥奪のあり方が有効であるかどうかも疑わしい。さらに、供給側の利害が関わる。資格を有する人材を育成し輩出することを仕事とする教育機関やその資格を有する人たちの集まりでは自由化・緩和は歓迎されない。ここで供給者の利害は利用者の利害と一致しない可能性がある。
具体的には
ALS(筋萎縮性側索硬化症)
等の人たち――この人たちは介助を最も多く必要とし、ゆえに今回の出来事に衝撃を受けた人たちでもある――の介助における吸引等の「医療行為」の問題が、この原稿を書いている時点でまだ決着を見ていない。もちろん危険なことをされるのは困る。安全に行なえることが望ましい。しかしその技能は看護師の資格を取らないと得られないものなのか。そしてその人の介助はいわゆる「医療行為」だけでなく様々ある。そして吸引は何十分に1度と決まったものでなく、つまり「訪問」で対応できるものではなく、その都度必要なものである。その人たちの自宅での暮らしを認め、そのための滞在型の介助を認めるとしよう。すると、他の人も普通に行なっていることを含めてすべて看護師が行なうべきだという主張か、あるいは常時二人の人がいて、一方の看護師は「医療行為」のときだけその介助を行なうことを主張していることになる。いずれも理に適っていない。しかし厚生労働省の委員会でも看護側の委員は、ただこの行為の危険性を言い、それに看護師が対応すべきこと、訪問看護を充実すべきことを繰り返してきた。そしてALS等の難病の人たちは、これまでずっと看護師の協力を得てきたからあまり正面から批判もできず、遠慮しながら、しかし反論せざるをえないというところである。その思いを業界・学界の人たちは真剣に受け止める必要がある。
そしてこの議論の経過の中で、ならば介護福祉士の資格をもつ人に限定すればよいと言う人がいたのを患者の家族の人が悲しんでいた。介護保険、支援費の制度の使えるところを使い、患者や患者の家族自らが吸引など「医療行為」とされる部分の介助の仕方を教え、たしかに誰もがすぐにできるというわけではないALSなどの人に対する介助を行なうNPOを作り介助を行なうとする動きがある。そうして苦労しているのに、「専門職」の人たちはそこで仕事の取り合いのようなことにしているように見えてしまうことを嘆いていた。これからの介助を考えるときには、負担者と利用者の関係だけでなく、負担者と供給者(の組織)との関係のあり方についても慎重に考えていかなければならないということである。
■いくらかの希望
これからどうなるのか。介護保険の方が大きな制度ではあり、かたちの定まった制度だから支援費制度をその方向に吸収しようとする動きは強い。本誌5月号の特集でも紹介されていたように少しずつの変更はあるだろうが、介護保険を大きく変えるのはたしかに困難である。ある部分までを介護保険で、それで足りない人は別制度という2階立ての機構にするという案も出てくるかもしれない。ともかく予断を許さない状況にある。しかし、今回の出来事は、こんなものだと皆が思っている介護保険に問題があり、それが利用者の側から指摘されることによって、いくらかでもましなものになる可能性も示すものでもある。
『高齢者福祉における自治体行政と公私関係の変容に関する社会学的研究』(文部科学省科学研究費報告書、代表:平岡公一)に昨年末書いた原稿に、介護保険開始の頃のことについて、次のように記した。「利用者の側にとって譲れないのはなにより介助の時間、量であり、約30年をかけてようやく獲得してきたもの――いくつかの制度を組み合わせたとき最大24時間の公的な介護サービスを利用することがいくつかの地域では可能になっていた――を放棄することはまったく許容できないことだった。もしこの部分を切り捨て縮減して介護保険に吸収、あるいは介護保険的な制度に変えようとしたなら、強硬で強大な反対運動が確実に起こっただろう。もしそうなれば、それは介護保険(的なもの)に対する強い批判が存在することを社会に知らせることになったのだろうが、かつてと異なり厚生(労働)省と運動側との継続的な折衝・交渉の場は存在し、官庁の側も学習の機会はあったから、実際には大きな騒ぎが起こり社会の注目を集めるということにはならなかった。」(全文はホームページに掲載)
交渉の場はあり、学習の機会があったにもかかわらず、今回、そのことを知らない部分、あるいは気にかけない部分の動きに発して「大きな騒ぎ」が現実に起こった。これは抗議の行動を行なった人たちにとってまったくの災難だった。
ただ、多くの人たちが集まって抗議し、交渉し、別の方向を示すことで、ともかくも動きを押しとどめた。そして介護保険程度のものでは暮らせず、別の制度で、制度だけを使って地域で暮らしている人がいることを示した。そして、その中心になったのは、家族や福祉・医療の職業者等の「代弁者」達でなく利用者本人達だった。介護保険を高齢者に限ったのはこうした「うるさい」人たちを切り離すための戦略であったとさえ勘繰りたくなるほど、それは介護保険のときには見られなかった動きだった。こうした動きが、この国の制度全体をよくしていく力になりうることが示された。とすれば、希望もまたある。
cf.
◆立岩 真也 2003/03/**
「障害者運動・対・介護保険――2000〜2002」
文部科学省科学研究費報告書『高齢者福祉における自治体行政と公私関係の変容に関する社会学的研究』
◆立岩 真也 2003/05/15
「介護保険的なもの・対・障害者の運動 1」
『月刊総合ケア』13-05(医歯薬出版)
UP:20030506 REV:05222(誤字訂正)
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支援費・ホームヘルプサービス上限問題
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介助(介護)
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病者障害者運動史研究
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立岩 真也
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