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障害者運動・対・介護保険

―2000〜2002―

立岩 真也 2003/03
『高齢者福祉における自治体行政と公私関係の変容に関する社会学的研究』
文部科学省科学研究費報告書(代表:平岡公一)

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※その時(以後)について次の本に書きました。
◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 [amazon][kinokuniya] ※
『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙  第11章 共助・対・障害者――前世紀末からの約十五年
 6 「上限問題」 二〇〇三年一月
 7 支援費制度 二〇〇三年四月
 8 介護保険との統合案 二〇〇三年九月
 9 障害者自立支援法 二〇〇六年四月
 10 「政権交代」後 二〇〇九年九月〜
 11 疲れてしまった、のであるが
※新書を出します。
◆立岩 真也 2020 『(本・1)』,岩波新書

 ここでは、介護保険導入後の障害者の介護施策の動向とそれとの相互関係の中で展開されてきた障害者運動の経緯を簡単に振り返り、そこから見えてくる介護をめぐる基本的な論点を確認する★01。ただし、後者についてはある程度のことを別に述べているので★02ごく短い言及にとどめ、前者について今回の研究でいくらかの情報を得られたので、また今のところ他に書かれたものも見当たらないから、そちらに重点を置く。それにしても以下は簡略な報告でしかなく、詳細な記述と分析は今後に委ねられる。
 記されるのは「高齢者ではない障害者」の動きということになる。むろん介護を要する高齢者も障害者だから介護を要するのであり、両者は1つを2つに割ったものであり共通しまた連続している。ただ、以下に出てくるのはつまりは知的にも元気な障害者たちであり、高齢者で介護を要する人たちの多くはそうではないから違うのだという捉え方はあり、その理解に一定の妥当性があることは認めよう。しかしそれを含めて考えても、違いがあることは興味深く、そのことについて考えることは高齢者福祉について考える上でも意味のあることと考える。
 介護等の社会サービスについて、おおきく2つの要素がある。1つはどれだけの介護を供給するかであり、もう1つが供給のかたちである。
 前者について。介護保険のもっとも基本的な問題点は単純ではっきりした問題点である。つまり、在宅で、家族に負担をかけずに暮らしていくためには、介護保険で供給される介護サービスではまったく足りないということである。
 後者について。介護保険の導入は「措置から契約へ」という流れに位置づけられた。利用者が必要とサービスの供給者を選択するかたちへの移行が唱えられ、介護保険の機構はそのような機構だとされた。
 つまり、その供給量についてはさほどのものでないまま、機構が変わったことになる。そして障害者の運動は、この2つを受けてそれを批判し、そこに介入し、そしてそれを利用して展開してきた★03。

■1 量
 どこにもこの制度に満足しきっている人はいないはずだが、不平不満はあまり大きく聞こえない。なにより、いったんできたからにはしばらくは変わらないと思っているということがあるだろう。ただ、これが始まる時にも、こんなものではどうしようもないという大きな声はあまりなかった。これは自助・共助の仕掛けであり、保険料の負担があるからにはこんなところが限界だと思ってしまった、あるいは思わせてしまったということがあるのかもしれない。そしてこの制度は基本的に、介護をする側から望まれたものだった。家族の負担を問題にしながら、結局はそれを受け入れた上で、少しでも楽になるならそれでよいと思っていたのかもしれない。他方、家族外から介護を得て生きようとしてきた人たちの運動があり、そこにできてきたものがある。高齢者(福祉)の側にいる人たちと、私が見てきたその障害者運動の受け取り方と、はっきりとした違いがある。
 介護保険が導入された前後にあったのは、合理的な理由があると思えない65歳という境より下の年齢でひとまずこの制度に入らなかった自分たちも近いうちにこの制度に巻き込まれてしまうのではないかという強い警戒感だった。実際そのような方向を考えているらしいことが当時の厚生省の方からも伝わってきた。またすぐに一体化とはならないにしても、介護保険のような制度が他にも波及していくことに対する危惧があった。
 その危惧、警戒感は当然のものだった。まったくそれでは足りなかったからである。もっとも重い等級と判定されても1日2〜3時間しか利用できない、そして十分に重度で長時間の介護を必要とする人の多くもその判定基準ではその2〜3時間の等級と判定されないことが確実だった。この基準がそのまま適用されるなら、それは端的に介護そして生活の水準の引き下げを意味した。この制度は、長い時間その人のもとにいて、その要請・必要に応じて介助するという型を想定していない。在宅のサービスは短時間でなされるものであり、その仕事が終ったら介護者は次の仕事場に向かう。だから、移動の時間もかかり、仕事を複雑に配置する必要もあり、そのための人も手間も必要になる。実際に介護の単価も、事務的な経費や移動のための時間等を含んで経営が成り立つように設定されている。それでは在宅で長時間の介助を要する人、介助を使いながら様々な活動をしていこうという人はどうしようもない。国会の付帯決議に介護の水準を下げることのないようにと記されたとしても不安は残る。また、かりに獲得してきたものについては維持されるとしても、新たに獲得することは困難になるかもしれない。
 そして介護保険は一つ一つのことが定まった制度である。状態は等級に分けられ、それに応じてサービスの水準が決まる。それまでの各自治体の制度の多くは、個々に交渉して作り上げられ、積み上げられてきたもので、その力関係や偶然的な事情に左右された制度ではあったものの、個々の状態に応じた細かな定まった規定はなく、よく言えば弾力的な運用がなされうるものだった。それが介護保険のように一人ひとりの状態が等級に分けられ、それに応じて供給量が決められることになる★04。それも実質的な切り下げにつながり、使い勝手の悪さにつながっていく可能性がある。そしていったん制度化されてしまえばそれを変更するのは容易でないと思われた。そこでそのようなものに包摂されることには反対せざるをえない。
 介護保険をそのまま受け入れられないのははっきりしているとして、ではどうするか。こうした過程の中で、別の合理的な機構を対置するという方向が一つ考えられた。介護保険と違う、しかも政策側に受け入れ可能な対案などそう考えつくことができないのだが、それでも考えてみようとした。
 一つには、本人に費用が支払われ、その本人が介護者に渡すという直接支給(direct payment)の方式の提案があった。これは代替的な機構の提案だが、その背後には本人が管理することによって、時間あたりの単価を抑え、そして事務的な経費を――その部分を自分で管理し自前で行うことにより――少なくして介護を利用し、そのことをもって政策・財政側を説得しようという意図が――時間の査定に基いて供給が規定され、その分が支払われるという機構である限り、支払い方式を変えるだけではその実現に困難は残るのだが――あったはずだ★05。
 結果として、「障害者福祉」の部分の制度の変更は、2003年度からの「支援費制度」への移行として実現されようとしている。それは上記の直接支払いのあり方を一部とりいれる余地を含ませながら(実際には事業者に支払われる「代理受領方式」を基本とし)、供給量については大きく変更しようとするものにはならなかった。繰り返すが、利用者の側にとって譲れないのはなにより介助の時間、量であり、約30年をかけてようやく獲得してきたもの――いくつかの制度を組み合わせたとき最大24時間の公的な介護サービスを利用することがいくつかの地域では可能になっていた――を放棄することはまったく許容できないことだった。もしこの部分を切り捨て縮減して介護保険に吸収、あるいは介護保険的な制度に変えようとしたなら、強硬で強大な反対運動が確実に起こっただろう。もしそうなれば、それは介護保険(的なもの)に対する強い批判が存在することを社会に知らせることになったのだろうが、かつてと異なり厚生(労働)省と運動側との継続的な折衝・交渉の場は存在し、官庁の側も学習の機会はあったから、実際には大きな騒ぎが起こり社会の注目を集めるということにはならなかった。
 今回の支援費制度で「身体介護」「家事援助」「移動介護」「日常生活支援」の4種類が立てられたのは、これらの諸力の折衷あるいは妥協として捉えられるかもしれない。つまり、「身体中心」「家事援助」は、1時間あたりの単価にしても介護保険のサービスに近いものである。けれども、供給量の設定、そのための査定の機構は規定されなかった。次に、「移動介護」は「ガイドヘルプ」に対応するもので、障害者の運動が移動の権利を求めて視覚障害者の外出の同行に限られた制度からその範囲と量を拡大させてきたものである。これは介護保険にはない――介護保険では高齢者は移動しない人間であるかのように扱われている。そして「日常生活支援」という4つめのものが、各地の運動によって獲得されてきた「全身性障害者介護人派遣事業」に対応する。その細部についてはまだ定まっていないところがあるし、今後変更もあろうが、そのようにしてこれまでの獲得物は残された、あるいは折衷されたのである。厚生労働省の9月の資料では、「日常生活支援」は「身体介護」に比べ単価が低く設定され(1時間半で2630円)、「身体介護」「家事援助」と「日常生活支援」とは併用できないとされている。これらをどう評価しどう対応していくか等の課題は残されている。
 介護保険のサービスを受けている人でも支援費制度のサービスを受けられる。今までも,例えば介護保険からの(例外的な)給付の対象とされた筋萎縮性側索硬化症(ALS)といった難病で在宅で生活する人が、介護保険の訪問介護を受けながら、しかしこの病では24時間の介護が必要であるにもかかわらず介護保険では2時間ほどしか使えないのだから、東京都などで都の制度としての全身性障害者介護人派遣事業を利用しながら暮らしてきた。しかしそれは全国でごくわずかの人だけのことだった。それが、総体として量的な改善を指示するものではなく実施は市町村に委ねられるのではあるが、しかし制度のメニューには上記したものが並べられることによって、すこし新規に実施されやすくなるとしたら、自治体に実施させ、最大限活用しようという動きが出てきて当然である。そうした動きの中で、2000年に始まり、もうこういうものだと多くの人が思っているのかもしれない公的介護保険とはいったいなんであるのかが再度問われることになるのかもしれない。

■2 仕組み
 もう一つの、関係を契約として捉え、利用者が選択できるものにしようという流れについて。この主張自体は障害者自身の運動の中で現われてきた。「自立生活運動」の中で実際にその機構を提案し作っていくのは1980年代に入ってからだが、主張自体は遡れば1970年からあった。障害者の運動は、利用者側に選択の余地がないから供給者が利用者を気にする必要がなく質も向上しない、だから他のものを購入するときと同様に選べるようにしようという消費者運動でもあった。その後、1990年代になって中央官庁の方がそのようなことを言い出した★06。需要の絶対量の増加に対応するために、制度が存在しない部分で大きな役割を果たしてきた非営利民間の活動を含め、供給者を広くとった方がよい、広くとらざえるをえないという事情もあった。
 それまでは民間の自発的な活動と公的なサービスとは切れていた。つまり一方に公的なサービスとしてなされる部分があり、他方では、自己負担(家族負担)で利用料や会費を払って利用し、運営される民間非営利の(また営利の)組織・活動があった。その中の非営利の組織の多くは、事務局員も介護者も家族に別の収入源があって、その活動で生活を支える必要のない人が多数を占めることによって活動が可能だったのだが、むろんそれには限界がある。そして家族に依存せず、また依存できない障害者の組織においては条件はより厳しい。従来、ホームヘルプサービスについては実施主体である市町村がその事業を委託する組織が限られており、ごく少数の例外を除けば、障害者中心の組織がその委託先となることはなかった。介護者と利用者との媒介・調整を一つの事業とする自立生活センターは、生活保護の他人介護加算(利用者本人への現金給付)を、また(多くの自治体では制度的にはホームヘルプサービスの一部に位置づけられる)介護人派遣事業がある場合にはその制度により支給される介護費用の一部を運営にまわすことはできるにしても、それだけでは組織として運営していくのは難しい。それで交渉がなされ、東京都のように自治体が介護サービスを行う組織に対する財政的な援助を行った地域ではその活動はより容易になり拡大していったが、それ以外の地域ではやはり困難だった★07。
 それに比して、介護保険は、比較した場合の時間あたりの単価をみても、そう大きな規模で展開しなくても、大きな収入を得ようとするのでなければ、事業所を運営していけるだけのものを得ることができる。そして2003年からの支援費制度では、介護保険そのものが65歳未満にも適用されるのではないが、事業者との契約という方式については共通の方式が導入されることが次第に明らかになってきた。そこで、サービス利用者の意に沿うサービスを得るため/提供するため、そしてそうした事業を行う組織を運営し経営を維持していくため、自らが介護保険の事業者になる、あるいはそうした事業者を各地に増やしていこうという動きが出てくる。それは、非営利・営利のさまざまな事業者が事業を始め地歩を得て新規の参入が難しくなる前に、自らの位置を確保しておこうという動きでもあった。
 そしてそれは、供給について先行し資金的にもまた知識・経験においてもより有利な位置にある組織による、これからその事業を行うとする組織・人への支援活動としてなされた。地域間の大きな格差を縮小し、全国的なものにすることは以前からの課題だったのだが、介護保険の導入はそれを現実的なものにする機会とも捉えられ、また2003年からの制度変更を見込んだ活動を展開しようともしたのである。そこで、全国障害者介護保障協議会、全国自立生活センター協議会、DPI日本会議等が関わり、「2003年までに要介助当事者によるヘルパー指定事業者を全国300箇所に」という標語のもと、事業者の立ち上げと運営を支援する全国組織「自薦ヘルパー(支援費支給方式)推進協会」が2000年に設立された。この組織は、介護保険の介護をただ供給するだけでなく、自立生活運動の理念を共有し、障害をもつ本人が組織の運営を担うという自立生活センターの組織形態を有した事業者の設立を手助けする組織である。東京などの当事者団体のヘルパー委託事業や介護保険事業での収益などを集めて初年度予算3000万円で発足、その事業者になることを希望する人たちに運営方法についての通学と通信の両方を併用する研修のシステムを作り研修を実施し、各地での立ち上げ資金の助成も開始した。
 次に、これと並行して、利用者個人に対し、自分が選んだ人を介護者として簡単に登録できる仕組みを作り出した。すべての地域で介護保険の利用者だけを見込んだ事業所を立ち上げるのは難しい。しかし利用者は点々と存在する。そこでやはり2000年、「介護保険ヘルパー広域自薦登録保障協会」を立ち上げ、登録ヘルパーと呼ばれる仕組みを介護保険のもとでも実現しようとする活動を始めた。すなわち、全国の介護保険指定事業者を運営する障害者団体、上記した活動により設立される組織と提携し、介護保険を利用できる個々人に自分で確保した介護者を介護保険のヘルパーとして組織に登録してもらうという機構を作ったのである。介助者、介助時間帯や給与を自分で決め、介助者・利用者の登録をすれば、その日から介護保険の自薦介助サービスが利用可能になる。介助者は1〜3級ヘルパー、介護福祉士、看護婦のいずれかである必要があるとされたため、ヘルパー研修未受講者は3級研修などを受講する必要がでてくるが、受講料を広域協会が助成、また協会自らも研修を行いこの費用も助成した。2000年4月に東京事務所が開設され関東圏での利用が可能になった。同年7月には大阪事務所の活動が始まり近畿圏での利用が利用可能に、2001年には、九州・四国・中国・中部の一部の県で事業開始、2002年度には全国ほとんどの県で利用が可能になった。またこのシステムへの参加を自立生活センター(CIL)等介助サービス実施組織にも呼びかけた。対象地域のCIL等で介護保険対象者に介護サービスを行おうとする場合、研修を受けた介護者を介護保険の事業者に登録するとともに、コーディネイトの実質はその(事業者でない)CIL等の組織が行い、その組織はその費用を事業者から受け取るかたちをとった。
 事業者となる条件の緩和に関係する問題に資格の問題がある。あまり知られていないがこれは過去幾度も問題になってきた。そもそも自立生活と称される動きの中で、介護者はその利用者との関係の中で介護の活動に入ってきたのだし、自立生活センターによる介護者の派遣でも、その組織と利用者自身が介護者にすべきこと/すべきでないことを教えてきた。それが一定の資格を要するとなると、今までの介護者を使えないことになる。また、介護者が一定の資格をとること研修等を受けることを受け入れるとして、それを得るための講習を受ける時間と費用とを誰がどのように負担するのかという問題が現われ、それをめぐる交渉と双方の妥協が繰り返されてきた歴史がある。またその教育のあり方の問題も絡み、前述のように講習自体を自前で行うこともなされるようになった。
 利用者による直接の選択が不可能な場合あるいは効果的でない場合、提供されるサービス(の提供者)の品質保障のための一つの手段として資格の付与が有効で必要とされる場合はたしかにある。そして政府がそれに責任を有するとき、その自由化に慎重になるという事情は理解できなくはない。そしてもちろん、技術は必要な場面では必要であり、危険に対する対応も必要である。しかし技術水準を維持し、危険を避ける方法は資格の付与だけではないし、また現在の資格付与/剥奪のあり方が有効であるかどうかも疑わしい。さらに、供給側の利害が関わる。資格を有する人材を育成し輩出することを仕事とする教育機関やその資格を有する人たちの集まりでは自由化・緩和は歓迎されず、それはその教育や職業に関わる学問にも影響するだろう。ここでも供給者の利害は利用者の利害と一致しない可能性がある([1999][2002])。
 今回の支援費制度への移行においては、日常生活支援と移動介護だけを行う事業者について介護福祉士を置くことは必須としないといったあたりに収まりそうだが、さらに深刻な問題は、吸引等、いわゆる医療行為とされる行為を、その家族は毎日行っているのだが、派遣される介護者はできないとされるという問題である。それに対し、どんな事業者から提供される場合でも一定の技術を有する介護者なら行えることを制度として認めさせようという運動と、現在でも法的に禁じられているとは解せないのだから、この種の介護を行なう事業者がそれを積極的に引き受けていくという動きと、両方が同時にある。ALS(前出)の患者団体による厚生労働大臣宛の署名を集める活動等の他、他の事業者が提供しようしないこの種の介護を切実に必要とする人・家族が、自ら事業者となり組織を運営し必要な介護を提供していくことを考えている。最も介護を必要とする人たちが、前述した絶対量の不足とともに最も介護を使えないでいるのであり、その状況を、介護保険外の制度を最大に使い、自らが関わることによって変えようとしているのである★08。

■3 考えるべきこと
 「公私問題」と呼ばれてきた主題について、その現実についてでなく規範論として論ずることにどれほどの意義が与えられるだろうか。というのも、供給主体の民間の側への移行はこの間の一貫した流れであり、現実の趨勢はすでに決しているようだからである。ただ以上のように見てくるなら、この状況においても、むしろこの状況であるから、論点を明確にすることに意味があると考える。
 今まで私が述べてきたのはきわめて単純なことだ。A:まず、その行いについて責任をもつ主体と、実際にその行いを行う主体とは分けて考えるべきだということである。これは、いくつかおおまかすぎる言い方を残して言えば、α:その人が普通に暮らせるために必要なものを得られることを権利とし、そのために供給についての義務を社会の負担可能な全成員が負うこと、その実現の方法として政府を介した資源の供給がなされるべきだということであり、次に、β:その義務の遂行、同時に権利の行使の一部として、そこに供給されるものは利用者にとってよいものであるべきであり、そのためにも利用者による選択・決定が有効であり、利用者の選択の自由は必然的に民間(政府外の組織)による供給を正当化し、また選択の前提としての選択肢の複数性の確保の点でも民間組織の並立、競合は支持されるということである。つまりβの利用者による選択、民間による供給はαの系として正当化される。
 だがまず、実際になされている議論はしばしば分けるべきことを明確に分けておらず、ときには作為的と感じられるのだが、相異なるものをいっしょにしてしまう。「福祉多元主義(welfare pluralism)」、「ケアの混合経済」といった言葉が何を言い何を言わなかったか、混合すべきでない何を混合してきたかを振り返り整理する必要があると[2000b]で述べた。そこではしばしばB1:義務を負う(そして/あるいは善意による行為を行う)主体・領域の多元性が――それ自体の論理的な整合性が問われようが――実質的には主張され、それがAで述べたことの一部と混合される。
 次に、Aに述べたことを、B2:資金源と(その資金を得て供給を行う)供給主体との区分、分業とただ捉えるべきではない。そのように捉える限りでは、現実はずっとその方向に向かって変わってきたし、それに追随する側もまたそれでよしとするだろう。しかしそれは、私が上に述べたことと同じでなく、またたしかに政府による一方的な供給を批判してきた利用者達の運動の主張と同じでない。例えばAのように捉えなければ、供給が実際にはなされなくても政府はそのままにし必要な側は放置されてしまうのでないかという懸念、政府の責任の放棄だという批判もそれなりにもっともな部分が出てくる。Aのように考えたときには、もし供給者が現われてこない場合には政府は自らがその主体とならなくてはならないし、その前に供給者が現われる条件を設定すべきなのである。
 その上で、私たちは義務の履行の具体的なあり方を考えることになる。政府からの供給だけで必要が満たされない場合に、その差を埋めて結果として十分な状態にすればよいという考え方もあるだろう。しかしことはそう単純ではない。例えば家族は義務としてその仕事を負っているのだから、その部分を残したままでその他の部分を政府で行うという形態はAの立場からは正当化されない。
 次に、このように考えていくことは、依然としてまったく不足しているという事態と、供給主体の多様化・選択の可能性の現われという、今見てきた二つの現実が同時に並行して進行していることを説明し、そのあり方を考えていく上での前提になるだろう。そして、すべてをひとまとめにした礼賛・追従でもなく、また新自由主義的再編という括り方による全面的な否定でもない評価のためにも必要だろう。
 まず、全社会的な義務の遂行、必要なだけのものの供給というあり方は実現されていないのだが、これはなぜかという問いへの答は自明のように見えて実はそうでもないことを[2001-]で述べた。他方、供給機構のあり方についてはまた別の利害が働く。以上でも少し示唆したが、ここでは、利用者と、供給者と、そして負担者とを分けて(そしてさらにその各々に内部にも分裂、分割があるから、それも分けて)それぞれの利害を見る必要がある。というのも例えば、利用者と供給者(福祉サービスの事業者・従事者)との間の対立の契機が、利用者本位を掲げつつその供給者のための教育・学問である言説においては主題化されることが少なく、それは現実の解析にもあるべき機構の構想のためにもよくないからである。ここまで簡単に振り返った経緯もそのような視点から検証し、そして今後を考えていく必要がある。そしてそこでは、利用者がよい供給者にもなれるのだというもっともな主張が、しかし同時に幾つもの困難を抱えていることもまた明らかである以上、この理念を掲げてきた運動の現実と可能性の検証もまたなされるべきなのである。

■注
★01 この文章で言及するのは、筆者自身の文章を含め、一般的なメディアではあまり知ることのできないものが多い。そこで、この文章をhttp://www.arsvi.com/0w/ts02/2002046.htmとして筆者のホームページarsvi.com(http://www.arsvi.com)内におき、そこから関連組織のホームページ、運動体や行政からの文書等にリンクさせることにする。なおここで言及する運動・活動・生活においては「介助」の語が用いられるのが一般的だが、本稿では高齢者福祉で一般的な「介護」の語を使用することにする。
★02 [1995a][2000a][2001-]等(著者による文章については、本文・注では著者名を略す)。
★03 以下でおもに念頭におかれる組織は運動団体では「全国障害者介護保障協議会」。この組織が厚生(労働)省との交渉にもあたった。またこの組織は情報収集・提供のための組織「障害者自立生活・介護制度相談センター」とも連携している、というより、2つは1つの運動体の2つの側面と見てよいだろう。また、障害者自身が運営の中心となって介護サービスも含むサービスを提供する組織としての「自立生活センター」の全国組織「全国自立生活センター協議会」(cf.[1995b])も当然この間の動きに関心をもってきた。また障害者の権利擁護の活動に取り組む「DPI(障害者インターナショナル)日本会議」も発言を行ってきた。他にいくつかの活動目的別の組織が以下に出てくるが、以上そして以下は、その主張においてもまた関わっている人についてにも大きく重なっていることを記しておく。そして私は、こうした動きについて過半は傍観者的な観察者だったが、ときにはもう少し近くで考えたことを述べたり書いたりもしてきた。
★04 その基準設定のさまざまな問題点はさまざまに指摘されてきたが、こうした判定とそれに応じた基準の設定自体は当然のことと捉えるのが普通かもしれない。だが必ずそう考えなければならないだろうか。利用に応じた、あるいは申請に応じた支給は不可能か(cf.[2000a]第4節8「判定から逃れようとすること」)。運動はその可能性を考えることにもなった。
★05 いくつかの国におけるこの方法の実際の報告としてヒューマンケア協会[1999]。
 関連するもう一つの懸念そして対案はケアマネジメントに関するものだった。これは介護保険にケアマネジメントが置かれたのだから「障害者福祉」においてもそれを置かなければという、そしてその際にいくらか「障害者福祉」に固有のものを、その「専門職」の仕事を、という思いがあって、中央官庁の障害者福祉関連の部局で検討されるようになったようだ。それを受け、障害者運動は、英国では財政縮減の手段としてそれが使われ、現場のマネージャーは利用者と行政当局の間で板挟みになっているという事情を知り(cf.[1998]、ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会[1998])、またケアマネジメントのあり方について当時日本で出された報告書にいくつも問題があることを知って、それに反論し、別のものを提案しようとした(中西・立岩[1998])。
 結局、介護保険におけるケアマネジメントは機械的な判定によって供給の枠が定まった上での調整の仕事でしかなかったから、ケアマネジメント自体はそう心配のしようのないものだった。また、「障害者福祉」については、要介護認定とそれにともなうサービスの配分という機構が今のところは設定されていないから、マネージャーと呼ばれる人とその職域が設定されることにならなかった。ただ、厚生労働省における検討委員会、国から試行事業の指定を受けて検討した東京都などの自治体における検討委員会の議論で、ニーズの測定と供給量の決定、専門家の介在と指導に対する強い懸念・批判が示され続けたことは、介護保険のケアマネジメントに対応するものが障害者の介護施策では設定されなかったこと自体をも含め、一定の影響を与えただろう。また、利用者個人がすべてを管理する――前述の「直接支払い」はそれによく適合する――のでなけれはどのように利用者が介護を利用するのを支援するのかという問いに対して、障害者の運動は自分たちが行なうのだと答えるのだが、それを現実のものにするためのプログラム、ハンドブック(ヒューマンケア協会[2002])の作成等に取り組み、そして実際に作り出すことにつながった。
★06 多く意見が一致しない利用者側と行政の両者がなぜ同じようなこと、少なくとも同じように見えることを言うことになったのかはそれとして興味深い主題であり、利用者と直接の供給者とそして負担し支出する側の三者――それぞれの内部も一様ではないのだが――を考えるべきだとし、[2000ca→2000:356ff]で検討した。この三者の違いは、例えば後述する資格をめぐる問題にも関わってくる。
★07 これらの制度について、自立生活センターについて、センターに対する助成について、ただし1995年までに限られるが、[1995a][1995b]。自立生活プログラムと呼ばれるプログラムや相談の活動については、「市町村生活支援事業」が国の制度として(実施主体は市町村)1997年から開始され、この事業の受託団体になれば活動に財政援助が行われることになった。ただこれは介護等の直接サービスについての援助ではない。この制度については[1997]。
★08 [2002-]の途中(第4回)からALSの人たちのことを書いている。

■文献

安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補改訂版』,藤原書店
ヒューマンケア協会 1999 『当事者主体の介助サービスシステム――カナダ・オンタリオ州のセルフマネジドケア』,編集:鄭鐘和 発行:ヒューマンケア協会・日本財団
―――――  2000 『セルフマネジドケアハンドブック』,ヒューマンケア協会
ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会 1998 『障害当事者が提案する地域ケアシステム――英国コミュニティケアへの当事者の挑戦』,ヒューマンケア協会・日本財団
中西 正司・立岩 真也 1998 「ケアコンサルタント・モデルの提案――ケアマネジメントへの対案として」,ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会[1998]
立岩 真也  1995a 「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える――介助システム論」,安積他[1995:227-265]
―――――  1995b 「自立生活センターの挑戦」,安積他[1995:267-321]
―――――  1997 「「市町村障害者生活支援事業」を請け負う」,『ノーマライゼーション研究』1997年版年報:61-73
―――――  1998  「ケア・マネジメントはイギリスでどう機能しているか」,『ノーマライゼーション 障害者の福祉』18-1(1998-1):74-77 
―――――  1999 「資格職と専門性」,進藤雄三・黒田浩一郎編『医療社会学を学ぶ人のために』,世界思想社,pp.139-156
―――――  2000a 「遠離・遭遇――介助について」,『現代思想』28-4:155-179,28-5:28-38,28-6:231-243,28-7:252-277→立岩[2000c:219-353]
―――――  2000b 「多元性という曖昧なもの」,『社会政策研究』1:118-139
―――――  2000c 『弱くある自由へ』,青土社
―――――  2001- 「自由の平等」,『思想』922:54-82,924:108-134,927:98-125,930:101-127
―――――  2002 「だれにとってのなんのための、資格?」,『ばんぶう』2002-06(日本医療企画)
―――――  2002- 「生存の争い――医療の現代史のために」,『現代思想』30-2:150-170,30-5:51-61,30-7:41-56,30-10:247-261,30-11:238-253,30-12:54-68

cf.
立岩 真也 2003/05/15 「介護保険的なもの・対・障害者の運動 1」,『月刊総合ケア』13-05(医歯薬出版)
立岩 真也 2003/07/15 「介護保険的なもの・対・障害者の運動 2」,『月刊総合ケア』13-07(医歯薬出版)


UP:20021114 REV:1116,20030113(リンク追加),0126,0302,0507, 20200602
介助(介護)  ◇介助・介護(支援費制度/介護保険 …)2004  ◇立岩 真也 
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