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last update: 20100122 1802 「オートマティスム」メーヌ・ド・ビラン(仏) 自動筆記 夢遊病 1847? 交霊術の流行/死者の霊との交信/狂気をテーマにした作品の登場 1864 チェーザレ・ロンブローゾ(伊):精神病理学/犯罪学者 『天才と狂気』…犯罪者と精神病者、天才の共通する欠落を分析 1889 「第1回国際交霊術者会議」パリ スピリチュアリズムの大流行 1900 フロイト(独)『夢判断』…「狂人」への理解変化 ロンドン ベスレム王立病院 精神病者たちの作品による展覧会 1905 ドイツ表現主義 ブリュッケ パリ フォービズムの流行 オーギュスト・マリー:精神科医 ヴィルジュイフ精神病院 「狂気の美術館」を院内展示↓ 1906 マルセル・レジャ:マリーの助手 『狂人の芸術』芸術性を認めるはじめての記述 1907 ピカソ・ブラックらによるキュビズム 1912 ドイツ表現主義 青騎士 カンディンスキー、フランツ・マルク パウル・クレー、子どもや精神病者の作品に芸術の始源を指摘 1913 国際医学会とベツレム王立病院患者作品展同時開催(英) →デイリー・ミラー誌…精神障害を引き合いにキュビズム批判を行う 「ピカソは精神病院に行くべきであり、彼の絵は狂人と同じくらい劣っている」 1919 ダダ展 ケルン 部族美術、児童画、精神病者の絵が併置 1921 ヴァルター・モルゲンターラー(スイス)ヴァルダウ精神病院 「芸術家としてのある精神病患者」=アドルフ・ヴェルフリについて 1922 ハンス・プリンツホルン(独)ハイデルベルク大学付属精神病院 『精神病者の芸術性』200点以上の作品を収録↓ 450人の患者から5千点の作例を集めコレクション 1923 ジャン・デュビュッフェ(仏)がプリンツホルン本を手に取る マックス・エルンスト(独) ↓から アンドレ・ブルトン(仏)らへ 表現主義者・ダダイスト・シュルレアリストに大きな影響 『みずゑ』「ある独逸狂人の作──ハンス・プリンツオールン博士の研究書に依る」11月号巻頭挿絵掲載 1924 アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』 …精神異常者の芸術とオートマティスムに言及 1925 『アトリエ』第二巻三号「狂人の画──プリンツオルンの著書」小笠原道生(生理学) 1927 ナチス・ドイツ文化協会 ミュンヘン 29年に改名 1928 『芸術と人種』パウル・シュルツェ=ナウムブルグ …重病患者の身体写真と近代絵画作品を比較 優性思想 1929 ドイツ文化闘争同盟 1932 式場隆三郎『ファン・ホッホの生涯と精神病』 「狂人の作品」と題された挿絵『美術新論』3月号 野村章恒(精神科医)「精神病者の絵画に就いて」『犯罪公論』2月号 1933 ヒトラー政権 「ドイツ芸術通信」:機関誌 1934 ハンス・プリンツホルン退職→後継者:カール・シュナイダー ヴォルフガング・ヴィルヒ『芸術と民族の健康』人種浄化研究 1935 戸川行男(早稲田大学心理学教室講師)と精神薄弱児施設八幡学園との関わり 山下清の紹介が始まる 式場隆三郎 千葉市川、精神科国府台病院就任、八幡学園顧問医師に 「病的作品の蒐集」(『新青年』) 『文学的診療簿』「精神病者の絵画及び筆跡」 1937 ナチス主催「大ドイツ美術展」 「頽廃芸術展」ドイツ・オーストリア13都市巡回 ↓ 「狂気、厚顔無恥、無能の産物…」(退:23) プリンツホルン・コレクションが利用される 近代芸術絶滅・国民浄化キャンペーン 『芸術神殿の浄化──ドイツ的精神におけるドイツ美術の健全化に関する美術政策上の闘争の書』近代美術攻撃の論拠 万国博覧会(パリ)「現代の芸術と技術」がテーマ ピカソ:ゲルニカが話題に 野村章恒「病的絵画」『科学ペン』1月号 尾川多計「超現実主義の精神鑑定──超現実主義の現実的批判(5)」『アトリエ』6月号…シュルレアリスト=病的であり、芸術的価値はないと排斥的態度 「ナチス藝術政策の全貌」『アトリエ』10月号…退廃芸術概念を紹介 1938 「特異児童作品展」早稲田大学心理学者、戸川行男による企画 千葉・八幡学園 山下清 →美術雑誌が特集記事をくむ 式場「狂人の絵」『文藝春秋』4月号 尾川の批判に反論 「作品から診断して、制作者を狂人扱いするのは早計である。シュウルやダダを頭から狂人扱いするのは狂人を天国や地獄の住人と云いきることになる。…臨床的判断だけできめるのは狭量である」 ニューヨーク近代美術館「大衆絵画の巨匠たち:欧米のモダン・プリミティヴ」アメリカに亡命したドイツ・ユダヤ人によりプリミティヴィズム、ナイーブアート セルフトート「独学画家」が後押しされる 1939 「退廃美術と狂気」講演予定原稿(カール・シュナイダー) 退廃芸術はまさに病人の美術にほかならない。精神病患者でなければ、狂気の美術とほとんど区別のつかない『芸術産物』などを制作することはできない。健常者には不可能だ退廃芸術の制作者は生物学的に精神病者に近く、異常者と内面的に類似性を示す。 式場『二笑亭奇譚』「狂人の絵」精神障害、知的障害者の作品図版 約20点掲載 山下清を含む 『特異児童作品集』刊行 1942 式場「狂へるロートレック」(「科学日本」) 1945 ジャン・デュビュッフェ「教養人のためのノート」 1946 サン=タンヌ病院(仏パリ)精神障害者の作品展 1947 ジャン・デュビュッフェ「Art Brut協会」アンドレ・ブルトンも参加 アール・ブリュット館 ルネ・ドゥルーアン画廊の地下に 1948 パリ・アール・ブリュット展 デュビュッフェ『文化的芸術よりも生の芸術を』 1949 国際精神病理学美術展 サン=タンヌ病院 精神科医の研究 アール・ブリュットとは別文脈? 神戸市盲学校での粘土作品創作が開始:福来四郎『見たことないもん作られヘん』 1950 デュビュッフェとブルトンの対立によりアール・ブリュット協会解散 アルフォンソ・オッソーリオの申し出によりアール・ブリュットコレクション全てをニューヨーク郊外へ預ける 約10年間 (この間デュビュッフェは自分自身の創作をしている)→50年代後半には再開 1954 山下清 大キャンペーン「「日本のゴッホ」いまいずこ?」:式場 1955 「知恵の遅れた子らの作品展」(東京・渋谷:東横百貨店) 滋賀県、落穂寮の作品展 カウンセリング、指導コーナーを併設 近江学園での陶芸指導:八木一夫(前衛陶芸家) 1962 アール・ブリュット協会再結成 1964 デュビュッフェ、アール・ブリュット作品集出版を開始 知的障害者更生施設みずのき寮の絵画教室(京都:亀岡):西垣籌一 1965 佐賀嬉野温泉病院 絵画療法 病院の創始者が芸術家:中川保孝 1967 アール・ブリュットコレクション大型展 パリ装飾美術館 1971 アール・ブリュットコレクション5000点をローザンヌ市に寄贈→公開76年 京都・洛南病院 絵画教室スタート 1972 ロジャー・カーディナル『アウトサイダー・アート』刊行 1975-(98) 千葉県盲学校 西村陽平…『手で見るかたち』(1995) 1976 ローザンヌ市立アール・ブリュット・コレクション開館 1984 信楽青年寮 田島征三(絵本作家)とのかかわり…『ふしぎのアーティストたち』(1992) 1986 「芸術と素朴」展 子どもと美術、知恵遅れの人たちの美術 世田谷美術館 1989 アウトサイダー・アート専門誌『Raw Vision』創刊 イギリス 1991 「ウィリアム・ホーキンス」ザ・ギンザ・アートスペース:小出由紀子 はたよしこ「絵画教室」すずかけ作業所 西宮 佐賀嬉野温泉病院 アートセラピー美術館開館 1992 「ビル・トレイラー」ザ・ギンザ・アートスペース:小出由紀子 1992-93 「パラレル・ヴィジョン:20世紀美術とアウトサイダー・アート」展世界巡回 日本展ではみずのき寮の作品も出展された 1993 「アウトサイダー・アートフェア」開催 ニューヨーク 1995 「芸術の危機──ヒトラーと退廃芸術」展 世界巡回 日本展 エイブルアート・ムーブメントスタート 1996 京都・洛南病院 『心象の世界』画集出版 1997 「アール・ブリュット 生の芸術─その発見と未来」京都文化博物館 1999 abcdパリ設立 「みずのき寮からの発信展」猪熊弦一郎美術館 丸亀 2000 「突き上げる創造力 アール・ブリュット=生の芸術展」メルシャン軽井沢美術館 2001 もうひとつの美術館 開館 栃木県那須 2004 ボーダレスアートミュージアムNO-MA開館 滋賀近江八幡 2005 「Passion and Action─生の芸術 アール・ブリュット」ハウスオブシセイドウ 2008 「アール・ブリュット/交差する魂 ローザンヌアール・ブリュット・コレクションと日本のアウトサイダー・アート」ボーダレスアートミュージアムNO-MAほか 「アール・ブリュット パリ、abcdコレクションより」滋賀県近代美術館 *作成:渡邉 あい子 UP:20100122 REV: ◇アール・ブリュット/アウトサイダー・アート ◇障害者とアート ◇障害者とメディア・芸術 |