近藤銀河氏インタビュー
20210209 聞き手:谷田朋美 於:Zoom
■インタビュー情報
◇近藤 銀河 i2021 インタビュー 2021/02/09 聞き手:谷田 朋美 於:Zoom
◇文字起こし:ココペリ121
■関連項目
◇難病
◇線維筋痛症
◇CRPS:複合性局所疼痛症候群
◇慢性疲労症候群
◇なおすこと
◇名づけ認め分かり語る…
◇原因/帰属 c11
■本文
66分
※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。
■■
[音声開始]
谷田:近藤さんは何歳のときに発症されたんですか? 発症の経緯を、
近藤:えっと私は、中学1年のときにマイコプラズマ肺炎がきっかけで発症しました。2005年なので、私が1992年に生まれているので、13、14歳ぐらいのときですね。
谷田:14歳のとき。
近藤:はい、そうですね。
谷田:これ、マイコプラズマ肺炎というふうに最初は診断されたってことですか?
近藤:そうですね。まずはじめマイコプラズマ肺炎があって、ただ「予後がよくない」というかたちで。というか、そもそもまあ原因不明で体調が悪化して、調べたらそれがマイコプラズマ肺炎だったけども、「治ってる」って言われて。
谷田:じゃあマイコプラズマ…、肺炎の症状っていうのはあったんですか? 最初。
近藤:はい、ありました。
谷田:どんな体調不良でした?
近藤:えーっと、まあごはん食べれなかったりとか、咳とかだったと思います。ちょっとすいません、記憶がそこは、どんな症状だったかは曖昧なんですが。
谷田:なんか、ちょっと息しづらいな、みたいな、肺炎的な症状が最初はあった?
近藤:そうですね、はい。
谷田:学校はそのとき休まれてたんですか?
近藤:えー、そうですね。ずっと、中学ももう休むことになって。で、中学2年のときに岐阜大学病院、付属病院に入院しました。小児科で入院して。で、このとき結局検査ではまあ何も問題がないということになって。で、まあ転換性障害ということで精神科のほうに回されたんですが、まあ結局そこでもよくなることもなく。精神科のほうで、なんか「精神的なものじゃないんじゃないか」みたいなことを、
谷田:言われた?
近藤:まあそうですね。小児科のほうと揉めたりしていたみたいなんですが。
谷田:ああ、そうなんですか。
近藤:で、結局…、えっと、そのとき、
谷田:あ、そのときの症状っていうのは、
近藤:基本的にまあすごく体力がなくって、ずっと横になった状態じゃないと、まあだめ。まあ半寝たきり状態で、あと咳とか喘息もありましたが。
谷田:もう、その倦怠感というか、
近藤:そうですね。
谷田:学校の反応っていうのはどうでした? 学校の理解というのは、
近藤:は、特にはなかったですね、たぶん。もう結局その、私、中高一貫校だったんですが、「高校には進学させられない」と言われて。
谷田:ああ。うーん。どんなふうに、
近藤:でまあなんか、言外にまあ、「このままだと進学してもついてけないと思うし」っていうようなことで、ちょっともう「やめろ」っていうのを言われたって感じですね。
谷田:あ、学校側からですか?
近藤:そうだったと思います。
谷田:うーん。そのときの、その近藤さんのお気持ちって?
近藤:そうですね。まあ私まだあんまり学校になじんでなかったので、まあ「そうですか」という感じでしたけれど。
谷田:あ、そうなんですね。
近藤:ただ一つここで問題があって、その私立…、公立の場合は院内学級に転校というかたちで、院内学級、病院内学級に通えるんですが、私立の場合、これ転校してしまうと戻れなくなるので、院内学級に通えないんですね。
谷田:あ、そうなんですね。
近藤:なのでちょっと、私は院内学級に通えなくって。
谷田:その制度っておかしいですね。[00:05:00]
近藤:そうなんですよね。これはかなり問題だと思っていましたし、たぶん今でも変わっていないんじゃないでしょうか。
谷田:そうなんですか。え、じゃあ私立の子どもさんが、学校に通えなくなったら院内学級にも通えないっていうことですよね。
近藤:そうだと思います、はい。入院している場合。
谷田:それおかしな話ですね。ふーん。何でなんだろう? そうか。私立のその学校には、その当時は所属しているっていうかたちになってたっていうことですよね、入院中は。
近藤:そうですね、はい。まあずっと休んでいるというかたちでした。その中・高で私はいじめがあったので。まあ中学のとき、けっこうすぐにいじめがあったので、なんかやめるってことになって、まあ「そうですか」と思ったんですけど。
谷田:ああ、なるほどなるほど。
近藤:まあ私、小学校も通っていなかったので、
谷田:そうなんですか? それはまた、
近藤:そうです。それもやっぱりいじめの問題で、まあ独学で中学受験をしたので。まあ「じゃあ大学とかは行きたいから独学でいくか」と思ってみたんですが。でも結局そこからずっともう。で、高校になるとちょっと、岐阜県の制度の問題で入院の額が非常に上がってしまうので。高校1年時から、まあ高校行ってないですけど、自宅療養というかたちで寝たきりになりましたね。でまあ独学で、高校卒業程度認定試験受験して。まあ高校2年、2009年のときに、高校卒業程度認定試験を受験しました。
谷田:その寝たきりでの中でこう受験勉強って、なかなか大変だったんじゃないですか?
近藤:そうですね。
谷田:どんなふうに時間を作ったり、体の調子を整えたりしてたんです?
近藤:そうですね。まあ受験では配慮という、ただ休憩室を用意してもらって、まあ受験、試験が終わったらすぐに休めるっていう、
谷田:ああ、へえー。
近藤:印象に残ってることがあって。もう30分ぐらい試験受けてすぐに横になるってふうにやってたら、なんか試験の最終日に、試験の監督官のかたがなんか「来年もあるから頑張ろうね」とか言われて(笑)。結局受かってたんですけど。あの人は何を見て、そうなったんだろ? 謎の励ましをくれたんだろう? って今、すごい(笑)。当時はすごい私、怯えてたんですけど(笑)。すごい不吉なことをって(笑)。
谷田:ほんとですね。
近藤:まあなんか、かなりすぐにこう休むようにしていたので。
谷田:でもその、一番なんかこうきつい症状って、やっぱこの倦怠感というか、横になって、
近藤:そうですね。まあ今はだいぶよくなったんですけど、当時は呼吸が出づらいとか、嘔吐とかもありましたし、ごはんもかなり食べれなかったですね。
谷田:そんな状態の中で、どうやって勉強を続けられたんですか?
近藤:まあなんか横になって参考書を読むみたいな感じでやっていましたね。大学受験の記憶しかないんですけど。横になって参考書を読んで、まあ試験は、なんか赤本とかをちょっと、読みながらやるっていう感じでしたね。まあ基本的に本を読むっていうかたちでした、横になりながら。
谷田:大学受験もされたんでしたよね? その、[00:10:05]
近藤:そうです。はい。
谷田:高校、その認定試験を受けたあとに。大学受験っていつでしたっけ?
近藤:えーと、大学受験が、私けっこう浪人を4年、3年か、しているんですが。その浪人中にその名古屋大学病院で伴信太郎先生から慢性疲労症候群という診断を受けました。
谷田:あー、伴先生。
近藤:これが2011年なので、発症の2005年から、まあ6年間ずっと診断がなかったんですね。
谷田:診断が出たときってどんなお気持ちでした?
近藤:まあなんか「やっと出て良かった」とすごい思いましたね。特に家族がすごくこう診断、病名が出ないことで苦しんでいたので。私よりも家族が、うん、
谷田:でもその一方で、「マイコプラズマ肺炎の予後がよくない」とか「転換性障害」とか、まあ一応その病名はついていましたよね?
近藤:そうですね。ただまあしっくりくるものではなかったし、説明がつかないことが多かったので。母はけっこう精神科のほうで、その「育て方が悪かったのではないか」というようなことをかなり言われていたので。
谷田:あ、ごめんなさい、聞き取れず
近藤:えっと、母は精神科のほうで、母が、その育て方が悪かったのではないか、という話を聞いたので。
谷田:ああ、なるほど。なんかその、いじめの話なんかもけっこうその「精神疾患なんじゃないか」みたいな感じで言われそうですよね。
近藤:そうですね。たぶんそうだったと思います。逆に「学校行かせればよかったんじゃないか」みたいな話もたぶんあったと思う。はあ。
で、そのあと、まあ岐阜県のほうで、結局、岐阜大学病院の中で慢性疲労症候群を診ている先生がいるということがわかりまして。「ずっと岐阜大学病院にいたのに」と思いながらそちらに通うようになって。で、そちらの先生がまあ障害者手帳を申請してくださって。
谷田:ああ、よかったですね。
近藤:2012年のときに、まあかなりなんか大変だったそうなのですが、岐阜市とかなり交渉をしてくださって、先生が。石塚先生というかたなんですが。今たぶん岐阜市民病院にいらっしゃるんですが、そこでまあやっと、2012年のときに障害者手帳を取得したとうかたちです。
谷田:それは慢性疲労症候群ということで取得したってことですよね。
近藤:そうですね、はい。
谷田:それはほんとに、ある意味めずらしいですよね。その障害者手帳、何級ですか?
近藤:えーと2級です。
谷田:診断をもらったとき「やっと出てよかった」ってお話しされてたんですけど、障害者手帳出たときはどうでした?
近藤:いや、ほんとによかったですね。
谷田:どういうところでちょっとメリットを感じました?
近藤:やっぱりその、病気だと判断してもらいやすくなりましたし、各種申請とかもほんとに楽になりました。特に受験のときの配慮願いとかも、それはかなり役立ちました。あと車いすの取得とかもその、公費でできる…、するので。はい。
谷田:大丈夫ですか? 体調。
近藤:あ、はい、大丈夫です。でまあ、その後も療養しながらで受験を続けていました。
谷田:今、東京藝大に、
近藤:はい、そうですね。2015年に、はい、2015年にまあ藝大に合格して。
谷田:えっと美術史でしたっけ? [00:15:00]
近藤:そうですね。芸術学科というところで、美学美術史学科なんですが。そちらで美術史を4年間学んでいました。
谷田:なぜ美術史? なぜって言うのもあれなんですけど(笑)。
近藤:基本的に私は美術が好きだったので。ちょっとやっぱアカデミズムなことが私は基本的に好きなので、そちらに行って。ただ、まあ受験して、やっぱりすぐに大学に通うことができなかったので1年休学しました、入ってから。
谷田:あ、入学してから。
近藤:そうですね。で、そのあいだにかなり大学のほうとやり取りをして。まあたとえばすぐ、いつでも休憩できるような部屋を作ってもらうとか、そういったやり取りを重ねて、1年間はやっていました。
谷田:じゃあ実際に大学に通われていたっていうことですか?
近藤:えっと、えっと、あ、そうです。休学して1年後からは、はい、大学に通っていました。
谷田:それは車いすとかで、
近藤:はい。そうですね。電動車いすで、リクライニング式の。かなり大変でしたが、いろいろ大学の協力もあって。ちょうどあの、障害者への努力義務が大学に課せられるようになったので、かぶっていたのもあって、予算とかもけっこう出ていたみたいですね。
谷田:合理的配慮というやつですか?
近藤:そうですね、はい。
谷田:じゃあちょうど良かった時期だったかもしれないですね。
近藤:そうですね。車いす用トイレも増えたり。
谷田:授業はその、授業中にやっぱ気分が悪くなったりしたらもう途中で退出して、みたいなことは
近藤:そうですね。はい、ありました。基本的にリクライニング車いすで横になって、スマホでメモを取るようなかたちで受けていました。
谷田:もう卒業されたっていうことですか? じゃあ。
近藤:えっと、今は大学院ですね。今は先端芸術表現というところに。えっと、先端芸術表現専攻で。
谷田:表現専攻。そのアカデミズムがお好きだっていうふうにおっしゃってて、でも病気だとブレインフォグとかで頭が働かなかったりとか、なんかそういうことがあったりするのかな?ってちょっと想像するんですけど、
近藤:やっぱりぼーっとしているときはすごく多いんですけど。なんかずっとぼーっとしてるのでちょっとよくわからないという感じですね。やっぱりそのもう、ほんとに発症してからが長いので、よくやっぱりみなさん、まあたとえば支援ネットワークの石川さんなんかは、「昔はもっとやれたのにな」みたいなことをおっしゃるんですけれども、比較可能な昔がわからないので、に関して、ほんとに何とも言えない感じなのですが。
谷田:そういう中で、やっぱその授業についていったり、あるいはその、まあゼミとかもあると思うんですけど、そういう中でやっていく上で、工夫しているところとか、何かありますか?
近藤:そうですね。とにかくすべてを横になりながらできるようにはしていますね。たとえばパソコンとかも横になってできるように、こうバーを作って、買って…、バーとかを購入してやったりとか。えっと、うん、なるべく横になってすべてできる、パソコン、文章とかもぜんぶスマホで入力していますし。【かなりすごく】(00:20:08)入学、入院中から私はえっと、当時まだ、はじめて出たスマートフォンだったW-ZERO3(ダブリュー・ゼロスリー)っていうものがあって、iPhone(アイフォン)よりも前に出たスマートフォンを使って、ずっと勉強とかもしていましたね。[00:20:29]
谷田:へえー、すごいな。じゃあスマホが結構、力になってくれてる感じですね。
近藤:そうですね。そうだと思います。
谷田:パソコンよりスマホのほうがいいんですね。
近藤:いや、パソコンはどうしてもやっぱちょっと操作がこう、重いので。私は横になって操作できるようにするのが、キーボードとかも小っちゃいのがあって、手に持って使えるようにしているんですが。
谷田:そうなんですね。
近藤:とにかくすべてが横になってできるようにしています。
谷田:横になってると、やっぱり、だいぶやりやすい?
近藤:そうですね。ちょっと長時間座っているのはかなりきついので。ただやっぱりどうしても集中力がほんとに続かないので。
谷田:ほんとその集中力をどうやって…、
近藤:卒論がほんとに大変でしたね。2、3万字ぐらいだったんですが。
谷田:どうやってこう集中力を高めてたんです?
近藤:高められないのでとにかく(笑)、とにかく一文でいいから書いて休む、みたいな感じでやってましたね。あともうほんとに細かく文章をブロックごとに分けて。もうとりあえず作業状態にするようにするとか、まあ基本的なことだとは思うんですが。私はけっこう文章のご依頼をいただくことも最近なんか増えてきていて、そういうときもけっこうほんとに大変なんですが。
谷田:文章の依頼って、どういう人たちからですか?
近藤:そうですね、うーん。あ、けっこうインターネット上で評論のブログとかもやっていたりしたので。まあそういったところで『ユリイカ』とか『S-Fマガジン』(エスエフマガジン)とか。
谷田:えー、すごいですね。美術系ですよね。
近藤:えっと、はい?
谷田:美術系の評論とかですか?
近藤:何とも言えないですが、けっこう小説とか、けっこう美術とかよりもカルチャーのことについて書かせていただくことが。
谷田:へえー、すごい。ネットとかで、こうブログとかで上げてたのを、『ユリイカ』の編集部の方とかが見て、
近藤:いやまあなんか知り合いとか、いろいろ、いろいろですが。
谷田:そうなんですね。書くことがけっこうお好きなんですか?
近藤:そうですね、はい。ずっと好きですね。ブログとかもずっとやって、けっこうやっていました。
谷田:なんかこういう病気だと、なかなかその、ずっと体調不良で、いいときないじゃないですか? 基本的には。
近藤:そうですね。はい。
谷田:そうすると、「希望がないと、ちょっとしんどいな」って私なんかも思っちゃうんですけど。
近藤:そうですね。しんどいので、ほんとになんか「できるときにやる」というか。なんかいろいろやっぱ発信したいことがあるので。いや、なんか全然、病気についてやっぱり、なんか書いたことあんまりなくって。
谷田:はい。あ、そうなんですか
近藤:そうなんです(笑)。なんかやっぱ自分に近すぎて考えられないという。
谷田:逆に別の話のほうが、より、その病気の体験があるからこそ深く書けるっていうところもあるんじゃないですか
近藤:いや、そういうところがあるかもしれないですね。
谷田:近藤さんはご自身の「書く上での強み」って何だと感じておられます?
近藤:書く上での強み(笑)。何だろうな? 私は一応、なんかフェミニズムとかセクシャルマイノリティについてずっと研究を、美術とか【根ざして】(00:24:46)研究をしていて。卒業論文もその、まあ「レズビアンと美術の関わり」っていうかたちで書いていたんですが。まあそういったマイノリティの文化史っていうものを、非常に重視しているところがまあ強みではあると思っていますが。すみません、就職面接みたい(笑)。[00:25:04]
谷田:ごめんなさい。なんかちょっと何でもこうけっこう聞いちゃうほうなので(笑)。いやな質問とかあったら、「ちょっとそれは答えられない」って言っていただければ。
近藤:いや、ちょっとなかなか、自分の強み何だろう?って今、ちょっと考えました。
谷田:(笑) ごめんなさい。いや、なんかその、病気でありながら生きていくことの希望みたいなものが、私も欲しくて。みなさんはどうやって、こう、生き抜いているなかな?っていうところにすごい関心があるんですよね。
近藤:どうし…、どう、どうなんでしょう。生き抜けているのかわからないんですが、まったく。
谷田:いや、生き抜いてますよ。だって14歳からずっと。なんかその、しんどいときとかって、自分なりの対処の仕方ってあるんですか? なんか「もうずっと寝てるしかない」のか。
近藤:ないですね。あったら教えてほしいと思います。
谷田:そうですよね。今どんな治療を受けてるんです?
近藤:今はけっこうすごい、えっと、国立精神・神経医療センターで山村先生というかたから受けているんですが。基本的にまあちょっと「最近いい」というかたちでちょっと研究が進んでいるもとのか、話を聞いたものを受けるというかたちですね。
谷田:ふーん。具体的にはどんなものなんです?
近藤:えーっと、ちょっとそれは、のちほどお薬手帳を見てあらためて、
谷田:あ、わかりました。
近藤:お送りするので大丈夫でしょうか?
谷田:はい、大丈夫です。
近藤:基本的には山村先生の専門が脳神経系なので、脳神経系の。
谷田:ふんふん。なんかこれまでに、「ちょっと効いたな」って思うような治療ってありました?
近藤:ないですね。
谷田:ないですか(笑)。なるほど。でもその、なんか「当時はもっとしんどかった」っておっしゃってたと思うんですけど、ちょっとましになってるんですよね? 体調は、ということは。
近藤:そうですね。まあ車いすを使うことをメインにしたとかいろいろ要因はあると思うんですが。まあただちょっと、当時よりはまあ良くなってるとは思いますが、ちょっと原因は何とも言えないです。
谷田:当時はやっぱ、車いすも使ってなかったですか?
近藤:車いすは一応入院中で使うようになったんですが。
谷田:なるほど。まあでもちょっとずつ、なんとなくは良くなってるような感じはある、
近藤:なんかもう、ここ数年はずっとちょっと膠着状態だとは思います。
谷田:あの、逆にもっと悪くなった症状とかっていうのはあったりします?
近藤:うーん、ちょっと何とも言えないですね。私はほんとにちょっと、記憶がほんとにかなり断片的になってしまっていて、なかなか過去との比較がほんとにできないですね。それはけっこう私は不安を感じる症状の一つなんですが。もしかすると、たんに記憶力がないだけなのかもしれないですが(笑)。
谷田:なんかこう、ぱっとこう何かを思い出せないみたいなことっていうよりは、記憶がちょっと曖昧みたいな感じなんですか?
近藤:そうですね、はい。なんかいろいろなことがすごく断片的で思い出しにくいですし、もう当時どうだったかとかも全然ほんとに思いだせないですね。
谷田:それって、いつの時代までは、逆にいつまでだったら覚えてるとかありますか?
近藤:いつまで…、わからない、難しいですね。けっこう最近のこともなんか、
谷田:忘れちゃう?
近藤:うん。どんどん曖昧になっていくところはあります。
谷田:じゃあもう一瞬一瞬でこう忘れていくような、ちょっと、忘れていくような
近藤:そこまでいくとなんかちょっと、こう、こう(笑)、なんかなんかそんな、***(00:30:02)そういう感じではないんですけど、なんかそうですね、どんどんなんか曖昧ですね、すごく。なんか説明しにくいんですけど、まあ1週間前のことと1か月前のことが区別つかないというか。けっこうしっかり考えないと、あれが1週間前なのか、1か月前なのかっていうのが、ぱっともう、ぱっと判断することができないですね。けっこうじっくりと時系列を思い出して、なんか。
谷田:じゃあちょっとこう思い出したときは、1年前のできごとと、1週間前のできごとが並列で並んでいるような感じなんですか?
近藤:そうですね。
谷田:初めて聞きました、そういう話。
近藤:あ、そうなんですね。
谷田:私もそんなにたくさんの人に話聞いてるわけじゃないんですけど。
近藤:うーん。たんになんかそういう特性なのかなとは思っているんですが(笑)。
谷田:一番つらい症状って、昔はちょっと倦怠感だったっておっしゃってたんですけど、今も変わらずですか?
近藤:今もそうですね、はい。
谷田:ほかにどんな症状があるか、ちょっと全部教えていただいてもよろしいですか?
近藤:そうですね。まあ基本的に倦怠感と集中力の低下。まあ筋力もそうですね。あとやっぱり何かをすると、ほんとにそのぶんすぐに、そのぶんこう動けなくなるというかたちなので、まあ何かするのがすごい怖いというのありますね。だから出かける、ちょっと出かけることも、そのぶんこう、あとですごく苦痛になって返ってくることがわかっているので。はい。
谷田:その「何かする」っていうのは、たとえば文章を書くとかそういうことでもやっぱりすぐしんどくなっちゃう?
近藤:そうですね、はい。ちょっとしんどいときは書けなかったりはしますし。やっぱり特に一番つらいのは、やっぱり本をなかなか読めないことですね。なかなか本を読んだりできないと研究とかもできないので。もうほんとに読まなきゃいけない文献がどんどん増えていってしまって。
谷田:近藤さん、今、研究のテーマはどんな研究テーマ?
近藤:そうですね。基本的に今研究してるのは、まあ「レズビアンと美術の関わり」ということで。まあ先生からは、まあ「概説的なものを本にできるぐらいの分量をまとめられたらいいね」みたいなことをおっしゃられてたんですが(笑)。うーん。まあ研究と創作を一応メインで私は今やっているんですが。3月にも展示があるので、ちょっとそちらに向けて今は準備しているんです。
谷田:え、近藤さん制作もされるんですか?
近藤:あ、はい。そうですね。今はそういうふうな活動をしています。あ、研究をしていく中でほんとに今も創作の、創作で、まあセクシャルマイノリティー、特に「女性のセクシャルマイノリティーと美術」というところでやっている方がほとんどいないということに気づいたので。
谷田:へえー。確かに男性はなんか聞いたことありますけど、女性ってよく知らないかも。そうですよね。
近藤:そうですね。かなり少ないですね。男性だとほんとにまあ、有名な人だとアンディ・ウォーホルとかもゲイ。
谷田:男性のセクシャルマイノリティは多いイメージがなんかあって。
近藤:そうですね。はい、多いですね。一回それこそなんかそのことについて生存学研究所で、フェミニズムの特集があったときに、えーと堀江有里さんっていうレズビアン研究のかたが、何かそのへんの男女の不平等さ、男女の非対称性について何かお話(はなし)していたような気がします。
谷田:ああ、そうなんですか。へー。なんかおもしろそうですね、すごい。
近藤:そうです。おもしろい研究だと自分でも思っています(笑)。
谷田:(笑) すごいおもしろそう。その創作ってどんなことされてるんですか? [00:35:08]
近藤:やっぱりデジタルでできることをしています。映像作品であるとか、CG(シージー)であるとか、まあゲームとかも、ゲーム***【ある】(00:35:21)とか。デジタル、パソコンを介して作れることがほとんどです。
谷田:近藤さん、もともと、絵を描かれるのもお好きだったんですか?
近藤:あ、絵、絵は描かない。絵は、絵は描かないです(笑)。
谷田:そうなんですか。へえー。でもその映像作品とかは作られるんですね。
近藤:そうですね、はい。
谷田:今、大学院の何年目でしたっけ?
近藤:えっと、大学院の修士1年ですね。
谷田:修士1年。
近藤:来年、だからちょっと卒業後、就職とかも含めてどうしようというのですごい悩んでいます。【だれかが】(00:36:05)、まあ障害者向けの就職説明会とかまあ行ったりしたんですが、基本的にその、そういったところで求められている人材って結局その、まあ障害があっても健康で、フルタイムで働ける人でしかないんですよ、もう。なので、結局その体力がないとか、フルタイムで働けないっていう人の受け入れ口っていうのがやっぱりないな、というのはすごく感じていて。うん、ちょっと、どう就活していけばいいんだろうっていうのがわからなくて、途方に暮れているのが今なんですが。
谷田:近藤さんご自身は、どういうことをしていきたいって思ってらっしゃるんですか?
近藤:働ければとりあえずいいと思っていて。やりたいことはサブでゆっくりやっていければいいと思っていますので。
谷田:たとえば障害年金とか、まあ障害者手帳とかもそうですけど、そういったかたちで生きていく道もあると思うんですけど、
近藤:なかなかでもそれだけの、2級ですと…。あ、今、ちょっと諸事情で3級になってしまったんですが。
谷田:あ、そうなんですか。
近藤:そうなんですよ(笑)。なんか、今住んでいるところの医者に書いていただいていたんですが、なんか、なんか市役所のほうから「この人3級でいいですよね」って言われて、「いいよ」とか言ってしまったみたいで。(笑) かなりいい加減な先生で。まあいい加減な先生だから書いてくださっていたっていうのはあるのかもしれないんですけど、あの、かなりこう、はい。困っています、とても。
谷田:えー。なんかその、変更になるっていうの聞いたことあるんですけど、
近藤:特になんか深いこと考えていらっしゃらなかったみたいで、なんか。「なぜ3級でいいと思ったんですか?」みたいに聞いたら、「いや、3級でも2級でも同じじゃん」みたいなことをおっしゃられてて。
谷田:えー。
近藤:なんか障害年金のこととか保険のこととか、3級とか2級で全然違うみたいな話を全然ご存知なかったみたいで、お話を聞いたら(笑)。
谷田:そうなんですか。それはちょっとひどいですね、でも。
近藤:そうですね、相当ひどい。
谷田:えー。それ、でもちょっと不安ですよね、そうなると。
近藤:そうですね、まあちょっと。今後、再申請するときに、まあちょっと「協力します」って先生はちょっとかなり遠いほうにいらっしゃるんですが、お話は、があ…、いらっしゃるんですが、ちょっとかなり、ちょっと困っています。
谷田:年金ではなくて、やはり「働きたい」っていう思いがあられるってことですか?
近藤:そうですね。やっぱ障害年金だけ、なかなかかなりしんどいなというのが、現実としてありますので。
谷田:なるほど。現実として。[00:40:05]
近藤:そうですね。別に、まあ社会で働くことでお金を得ることで、なんだろう、「貢献したい」とか「社会に認められたい」みたいな気持ちは全然ないんですが。
谷田:そうなんですね。
近藤:そうですね。私はあの、反資本主義のアナキストなので。いや、ごめんなさい。変なことを(笑)。
谷田:全然大丈夫ですよ。私なんかはけっこう資本主義とかに毒されてるほうなので(笑)、なんか、すごい
近藤:いやいや、私も(笑)、あの、すべての人間が毒されているので、全然もう、どうしようもないんですけど。まあでも、
谷田:なんかこう、毒されてるんで、すごいやっぱり、なんか働けない自分を責めちゃうんですね。でも近藤さんは、そういうことに対して、なんだろう、私とはまた全然違う感覚があるのかなって今ちょっと思ったんですけど。
近藤:そうですね、やっぱり自分のやりたいこととかができないことはすごくつらいし、自分のことを責めるし、期待されていることができないって、研究も含めてやっぱり、ほんとにまあ「おもしろいよね」とおっしゃってくれるかた、ほんとにいっぱいいらっしゃるんですが、やっぱりその、***(00:41:24)ないとか、そういうことはすごくつらいですね。谷田さんもおっしゃってくださいましたけど、やっぱりおもしろいと思うんですが、別に私がやらないといけない理由は特にない(笑)。私よりできる人はいっぱいいると思うんですが、と思うんですが、まあ、私に能力がないのにやらないといけないというのがけっこうつらいなって思うときがすごくありますね。やっぱりなんか、たとえば展示の依頼のいただいたときとかもそうですし、なかなかやっぱりそういったところですごくつらさはありますね。まあやっぱりなんか自分でお金を稼げてないことの、やっぱりこれはつらさの一つではありますけれど。まあだからそう、私としてはたぶんそういうところにけっこう仕事というか、やることの価値を置いていて、そういうところでやっぱりすごく難しさとかつらさがありますね。
谷田:いや、でも一方で、なんかこう、アナーキストとしても近藤さんもいらっしゃるわけですね。
近藤:そうですね。なんかやっぱりこう***(0:42:46)、
谷田:それ素敵だなって私思ったんですけど。
近藤:「稼がぬ***(00:42:44)ことがすべてにされてる世界、狂ってるな」みたいなことを(笑)、思うだけなんです。ただやっぱりどうしても現実的に、稼がないと、お金がなんとか得られるようにしないといけないということはありますね。まあやっぱり、ご存知だとは思うんですが、たとえばそういう雑誌とかに書いたとしても定期的な収入には全然ならないし、すごく単価も安いので。そんなにこう、ときどき依頼をいただけるだけなので、あくまで。
谷田:なるほど。いや、でも本当に問題ですよね。不健康な人は働けないっていうのは、もうまさにおっしゃる通りなんですよね。
近藤:そうですね。
谷田:私、近藤さんのお母さまにお会いしたことがあって。ご家族の理解はけっこうあるのかなっていうふうに感じたんですけど、ご家族との関係は?
近藤:そうですね。そのへんはすごく恵まれてるとは思います。
谷田:ご家族の構成って?
近藤:私と母と父ですね。
谷田:あ、3人家族。
近藤:はい。
谷田:で、なんかもともと岐阜におられたのを東京に、
近藤:そうですね。はい。
谷田:それは何がきっかけだったんですか?
近藤:私の大学のこともありますし、父の仕事のこともあって、いろいろ。
谷田:けっこうご家族はその、病名がない中でも、すぐに近藤さんのしんどい状況を理解してくれた感じですか?
近藤:そうですね。まあ父も母も体が弱くて、母はバセドウ氏病を患っていますし。まあそういったこともあって、病気についての理解度の高い家庭だったと思います。
谷田:いやあ、なるほどな。やっぱり病気の苦しみがわかってる。[00:45:05]
近藤:そうですね。
谷田:今まで近藤さんが生きてこられた中で、「社会がもうちょっとこうあったら、私もちょっと生きやすいのに」って思われたことってあります? 「もっとこうあってほしい」みたいな。
近藤:うーん、そうですよね。すごく単純なことなんですが、休める場所って、なんか一回外に出てしまうとどこにもないですよね。
谷田:あー、確かに。
近藤:あとなんか、やっぱりあと、働きかたもすごい画一的で。うん。
谷田:もうちょっとこう体力がない人でも、パソコンとか使って仕事できたりとかですよね。
近藤:そうですよね。もっとワーク、仕事の仕方がもっと、うーん、もう少しいろいろなかたちでできればいいのにとは思います。
谷田:近藤さんの中で理想ってありますか? 「こういうかたちの仕事ができたらいいな」って。
近藤:難しいですね。私もやっぱりちょっと、それは見いだせていなくって。
谷田:なるほど。なんか今ちょっと在宅ワークとかが若干増えてはきてはいるものの、ですよね、なかなか。
近藤:そうですね。はい。
谷田:その書くこととかでなんとかこう、できたら一番いいですよね。どうなんだろ。
近藤:そうですね。それはほんとにそうだとは思うんです。
谷田:近藤さん、今まで、子ども時代に発症したからこその難しさって、何か感じられたことあります?
近藤:やっぱりその、けっこういろんな人に「発症する前どうだった?」みたいな話を聞いたりするんですけど、もう「健康だったころ」っていう感覚がまったくわからなくって。
谷田:ああ、病気の自分がもうほとんどメインだから。
近藤:そうですね。病気の自分しかいないので、健康だった…、「健康とは」みたいな感じって全然理解不能なんですよね。
谷田:でも14歳までは健康だったんですよね?
近藤:そうですね。ただあんまり覚えていないので、やっぱり。
谷田:ああ、そう、「記憶が…」っていう話か。
近藤:っていうのもあって、あとやっぱりその人、人とコミュニケーション…(咳き込み)
谷田:大丈夫ですか?
近藤:すみません。ちょっとむせました。人とコミュニケーションあんまり取っていなかったので、なんか人とのコミュニケーションの仕方があんまりよくわからないなっていうのは思ったりします。
谷田:その、原因としては、マイコプラズマ肺炎がまあきっかけになってるっていう話でしたよね?
近藤:はい。
谷田:それ以外に何かこう原因って思われる、考えられるようなことって何かありました?
近藤:特にはないですね。
谷田:ああ、そうですか。今の近藤さんのなんかこう夢って、夢っていうか、なんか希望って何かありますか?
近藤:え? 希望ですか。なんだろう? 病気に関連することですよね。うーん、難しいですね。やっぱ治療ができるようになってほしいというかたちです。やっぱ治療されなくてもなんか生きていける道を見つけられることが一番望ましいとは思いますけれど。
谷田:「治療されなくても」っていうのは? [00:49:39]
近藤:まあ治療法が見つかるっていうのはほんとに、たとえばこれからまだ20年、30年とかのスパンの話だとは思うんですよね。治療されるっていうのは、やっぱりそれは一つ夢ですが、まああまり現実的ではない目標だと思うので。むしろそれよりも、まあ治療されていない難病の体力がない患者っていうのがもっと生きていける方法。それはたとえばそれは、まわりの支援とか、まあいろいろなかたちがあると思うんですが、仕事のこともそうですし。それがやっぱりもっと可能になっていく社会っていうのが目指されるべきだと思いますね。慢性疲労症候群が治っても、全然ほかの難病のかたはやっぱり大変ですし。うん、まずそこが一番私は大事だと思います。[00:50:35]
谷田:ああ。確かに、おっしゃってた「休める場所がどこにもない」っていうお話なんかもそうですよね。
近藤:そうですね。だからたとえば、まあだらっとしていても奇異に思われない、変に思われないとか。でも本当は電車で足とかを投げ出して、いすに投げ出して横になったりしたいけど、なかなかできないとか。
谷田:なんかあのマークつけててもちょっと、あれですもんね、あんまり。
近藤:やっぱ空いてても「ちょっとあれだな」みたいなところがあったりとか。やっぱりそれで言うとその、まあ私もけっこうまあ人目を気にせず休むとか、いろいろ自分の暮らしの中で工夫を重ねることで、体力の消耗をこう防ぐ術を身につけてきたんですが、そういったこう体力の消耗を防ぐ方法っていうのがもっと共有、みんなで共有できるようになるといいなとはずっと思っていますね。
谷田:たとえばどんな方法なんですか? その体力の消耗を、
近藤:たとえば、まあそれこそリクライニング車いすで常時横になっておくとか、なんかほんとにそういうことですよね。なんかそういういろいろな休みかたの技術、技術みたいなものが集積されるっていうのは一つ非常に重要なことだと。
谷田:それすごい面白い話ですね。たとえばその、近藤さんはどんな工夫をされてるんですか?
近藤:たとえばだからさっきも言ったように、ほんとに人目を気にせずに休むとか、車いすにクッションを作っておくとか。うーん、なんだろうな、なかなか私も言えないところありますが、まあ横になっていろいろ作業できるような環境の整え方とかもそうですし。
谷田:ちょっと話、若干ずれるんですけど、「頭がぼーっとする」っておっしゃってたじゃないですか、
近藤:えっと、すみません、今ちょっとうまく聞こえなかったです。
谷田:ちょっと話がずれるんですけど、「頭がぼーっとする」っておっしゃってたんですけど、そういうときって切り替え方とかありますか?
近藤:切り替えられないので、もうどうしようもないですよね。どうしようもないですね。
谷田:もうその、ぼーっとしておくしかない。
近藤:ぼーっとするしかできないですね。まあ簡単な本もほんとに最近どんどん読めなくなっていって、もうなかなか本も読めないので、どうしようもないですね。なんかほんとにちょっと簡単な、うーん、どうしようもないですね。どうしようもないですね、本当に。
谷田:なんかちょっと休んだら、ちょっと回復するところはあったりします? それもやっぱり厳しい、
近藤:ないですね。もうつらいときは、ほんとにただひたすらつらいだけ、苦しいだけなので。何も考えられないし、何も受け入れられないですので。
谷田:これもなんかちょっと、なかなか答えにくい質問かもしれないんですけど、
近藤:昔は短歌書くとかで集中力を高めてましたけど。
谷田:短歌を書く?
近藤:短歌とか俳句とかなんかそういう、ルールがあって簡単にできるものみたいなのをやって、集中力を高めるとかやっていましたけど。あ、すみません。何か今、質問しようとしてましたよね?
谷田:あ、全然大丈夫です。そうなんですね。いや、実はこの前お話聞いた方も、「短歌作ってる」っておっしゃってて。
近藤:ああ、そうなんですね。
谷田:はい。なんか、短歌作ってるとけっこう気持ちがこう落ちつくみたいな話で、「へえー」と思ったんですけど。[00:55:05]
近藤:なんかルールがあるので、【半分】(00:55:10)自動的に作れるところもある。はい、すいません。
谷田:なるほど。いや、その、ちょっとなんか答えにくいかもしれないんですけど、もし答えたくなければ全然いいんですけど。しんどいことがずっと続く中で、死にたくなっちゃったりとか、そういうふうにちょっと思われたりしたことってあります?
近藤:それは普通に全然ありますけど。でもどうしようもないですね。***(00:56:12)なんとか、うーん。
谷田:どうやってしのぐっていうか、
近藤:いや、わからない。わからないです(笑)。それこそ短歌作るとかしかないかな。
谷田:ああ、すごいな。
近藤:落書きできる体力があれば、落書きしたりとかはありますけど。
谷田:ちょっと意識をそらすみたいな感じですよね?
近藤:そうですね。でも特に、でも意識をそらせない具合のときもすごくあるので、まあちょっとどうしようもない、どうしようもないですね。
谷田:そうですよね。どうしようもないですよね、ほんとに。ありがとうございます。何かこう、「これだけは伝えたい」みたいなことってありますか?
近藤:うーん、そうですね。うーん。難しいな、いろいろあるんですけど。二ついいですか?
谷田:ああ、もう全然
近藤:やっぱ一つはやっぱりその、感情の、みなさんやっぱ、みんな孤独がすごい感じていると思うんですよね。でやっぱ、人と関わるにもすごく体力がいるので。たとえばインターネットとかが発達しても、なかなかそれって難しいですよね、孤独感みたいなものって。
谷田:難しいです。なんか、インターネットも難しいですしね。
近藤:うん。その、やっぱり、「インターネットだったら健康な人でも病人でも」っていうことを思われるかたがけっこういるんですけど、やっぱりインターネットでも健康な人のほうが全然コミュニケーションはできるので、そこにはやっぱり圧倒的に差があって。何しろコミュニケーションの資源、リソースが全然足りないっていうのが、けっこうつらいことのすごく大きい一つです。
谷田:どんな場があれば、もうちょっとそれ、解消されるなって?
近藤:たぶんどうしようもないんで、わからない、どうしようもないと思います。
谷田:うーん。まあ体力がないからこっちも付き合えない、みたいなとこありますもんね。
近藤:そうなんですよね。
谷田:でもなんかこう、「会ってなくても、なんかつながってる」みたいな人たちが増えたらいいですよね。なんか家族みたいな。
近藤:うん、それはそうですね。どうしたらいいでしょうね。なかなかやっぱり、どうしようもないところがあるとは思うんですが、ちょっと私もそこに見出してる解決はないと、今のところ持っていないんですが。
谷田:でも逆に、近藤さんが「つながってる」って感じられる人たちがきっといるはずですよね? ご家族もそうですし。
近藤:そうですね。まあそれなりにいますが。
谷田:その関係性の中に何かヒントがあったりするのかなあ?とかちょっと思ったんですけど。
近藤:うーん。でもやっぱりなんか、「もっと健康だったらいいのにな」っていう思いが全然やっぱり。「もっと健康ならな」っていう思いは本当にあるので。やっぱりそこの、うーん、差みたいなものは埋めがたいのかなとは思います。[01:00:12]
谷田:やっぱりその、なかなかこう、当然私もそうなんですけど、病気っていうか、しんどい自分、病気の自分をなかなか受けいれるのって大変ですよね? ほんとに。
近藤:そうですね。難しいです。
谷田:健康である人たちとどうしてもこう比べちゃうので、なんか自分たちが100パーセント頑張っても、彼らの10パーセントしかならないみたいな。
逆にその、「病気だったら良かった」みたいに、思えた瞬間とかって、一瞬でも、これまでにあったんですか?
近藤:ないですね、特に。まあただ病気の人間は、なかなかまあ、健康な人間に病気の人間のことを想像することは難しいので、病気の人間だからわかることを指摘していくことしかないですが。それが別に良かったことなのかっていうと、まあ難しいところですね。
谷田:うーん、そうですね。もう一つっておっしゃってたことって何ですか?
近藤:えっと、何ですか?
谷田:えっと今「二つある」っておっしゃってて。今の一つがその、コミュニケーション資源が全然足りないっていう話でしたよね。
近藤:ああ、そうですね。えっと、あれ、なんだっけ? (笑) 今何を言おうとしていたんだろ? えーっと、でもそうですね。その、えっと、あれ? えっと、でもそうですね。病気の解決のしかたって「治療をする」っていうことだけじゃなくって、つまり「社会を変えていく」ってやり方も一つあると思っているってことをお話したかったですね。
谷田:まさにその通りですね、ほんとに。
近藤:やっぱりその、病気の治療ってほんとに、いつになるか、どうなるか、わからないことなので、「病気のまま生きていくために必要なこと」っていうのをまとめたりとか、社会…、ていうのはやっぱり社会の中に問題があると思って…、課題があるので、それをなんかどうやって解決していくかっていうのを。っていうのをやっぱりその、病気の人間は何が不足し…、どこでリソースが足りないのかっていうのをちゃんと考えた上で。決してその、まあ健康な人と同じようにできることではなく、を目指すのではなく、まあ「その病気の範囲でできること」っていうのを考えていくっていうのがほんとに必要だと思います。それがかかるのが、お金になるのか時間をかけることになるのかっていうのは、コストの問題ですけれども。
谷田:近藤さんにとってその、必要なものは何ですか? その、お金がもっとあったらとか、
近藤:なんだろ、やっぱりだから、
谷田:まあちょっと繰り返しになるとこもあると思うんですけど、
近藤:たとえば、そうですね、私もやっぱりその、まあ体力がないんですけど、たとえばまあ、まあちょっとずつやっていけば最終的にできることとかはあったりするので、その「ちょっとずつやっていく」っていうのが、もっと許容されるようなかたちができればいいなとは思います。でもやっぱり、まわりの協力っていうのが得られやすいかたちっていうのがもっとなんか、整備されればいいなとは思います。あともう一つやっぱり、それで言うとその、協力してもらうことに申し訳なさを感じなくなりたいですね。
谷田:ありますよね、ほんとに。ほんとにそうです。
近藤:ね。なんかそのための方法みたいなのを、もうちょっと考えたいです。それは支援する側もそうだとは思うんですが。
谷田:いや、すごいおもしろいお話ですよ。
近藤:良かったです。[01:04:58]
谷田: ありがとうございます。もうちょっとなんかいろいろお話聞きたいんですけど、体調のこともおありなので、また、あの。一度ここでちょっと切らせてもらいますね。
近藤:はい。
[音声終了 01:05:30]
*作成:中井 良平