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なおすこと



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■新着

◆立岩 真也・天田 城介 2011/03/25 「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・1」『生存学』3:6-90

「□どちらも見ている人たちがいる
立岩 「多様性」自体はこちらの方が〔「障害学」の研究センター等より〕高いんじゃないでしょうか。
  そもそもなおりっこないのに痛いこと無駄なことをいろいろされたらそりゃ嫌ですよ。「病人扱いするな」っていう言葉も、一つにはそこから出てくる。でも、痛くってなおりたい人もいる。それも当然のことです。天田さんがさっきおっしゃったように、それはこの拠点だか研究科でおもしろい、よいところだと思います。
  こちらの院生では大野真由子さんが調査・研究しているCRPS(複合性局所疼痛症候群: Complex Regional Pain Syndrome)は、とにかく痛い(報告として大野[2009][2010])。そういうものがあること自体、大野さんがここにいらっしゃるまで知りませんでしたけど。他にもなおりたい病気・障害ってもちろんたくさんあるわけで、「もう身体の方は基本どうもなりません、別のこと考えましょう」という人たちのように割り切れない人たちもたくさんいる。例えば障害学というのが、おおむね後者の人たちのものであるなら、そうでない人たちがこの研究科・プログラム・センターにはいる。
  他方、かつて『たったひとりのクレオール』(上農[2003])を書かれ、そしてこちらに博士論文(上農[2010b]、他に[2010a])を出され、それも近く本になると思いますが、その上農正剛さんが聴覚障害をもった子たちに対するこれまでになされてきた形態における医療の「得失」を詳しく検討され問題を提起されています。手話という別の言語がある場合に、それと別の言語を習得させようとすることが現実にどのように言われなされているのか、それが何をもたらしているのか。また「発達障害」の子たちが通ってくる機関で働く医師でありやはりこちらの院生でもある片山知哉さんが、聾者・発達障害者・性的少数者たちが有する、あるいは有することになる文化・言語がどうあるべきか、「大人」たちはそれにどのように関わればよいのか考えていて精力的に学会報告等を発表されています(片山[2008][2009][2010a][2010b][2010c]、片山・山田[2009])。
  そして自らスティーブンスジョンソン症候群で視覚障害のある院生の植村要さんが、その障害の人で自分の歯根を削ってレンズ付けて目のところに埋め込んでというびっくりな技術で視力がいくらか回復したにはしたという人のことを書いたりしている。否定しようということでもないけれども、「それってどのぐらいいいことなんだろう」というような、間ぐらいのところにいて考えたりしている(植村[2007a][2007b]cf.[2010])。またやはり院生(で日本学術振興会特別研究員の)吉野靫さんも、性同一性障害の医療の医療事故の被害者でもありつつ(山本・北村編[2008])、医療そのものを否定しているわけではない。しかし今法に認められた医療としてなされてい<0013<るものと自分(たち)がほしいものとは違う、そのことを言おうとしている(吉野[2008a][2008b][2009a][2009b][2010])。
  こういうところが他にあまりないおもしろいところだと思っています。「なおす」「なおる」ことと「補う」の間の、あるいは「病気」と「障害」の間の、「あわい」というか関係というか、そういうことを調べたり考える場所にもなっている。これは「障害」の方に特化した場とも違うし、最初からなおしたり援助したり等々をすることに決まっていて、そういうことについて勉強することになっている場所とも違う。
  そしてこういうことはちゃんと調べて、わりあい普通に考えていけば言えると思っているんです。多くはまだ途上ではありますが、それらがもっときちんとした論文なりになっていけば、それらは十分に国際的な水準のものになっていく、既に幾つかはそういう質を備えていると思っています。」(立岩・天田[2011:13-14])

■医療(者)と病者(である障害者)

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya] ※

 「医療者と患者(会)との関係はときに微妙である。患者会の場合、例えば血友病であれば血友病の専門の医療機関や医療者がいて、そこに通ってくる患者やその関係者がそのまわりに患者会が形成され、製薬会社が資金や人の援助を行なうというかたちがあった。しかし時にその利害が一致しない場合がある。例えば薬害HIV事件では医療者や製薬会社は加害者となった。患者の側が供給者側に抗して自らを主張せざるをえない時にはこうした共存あるいは依存関係が負に作用することがあり、その形が壊れる場合がある。
 このようなことはALSの場合には起こってこなかった。ALSの人たちは一貫して医療者との関係を保ってきた。
 それは一つに、原因究明と治療法の開発が大きな関心事であったからである。医療者、医学者は切実な希望と大きな期待の宛先であってきた。次に、ALSそのものはなおらない間も医療が必要な場面はある。さらに、本来は別の場や人たちでもよい、むしろ別の方がよいかもしれないが、病院や医療者以外には必要なものを供給する場・人がないなら、それを使わざるをえないという事情がある。こうした事情を抱えながら、このたびの出来事は、利用者と供給者との間に潜在的には常に存在する緊張関係を表面化させた。あるいは表面化させる手前のところまで来た。
 「医療化」という言葉があり、例えば医療社会学という領域ではこの言葉はあまりよい意味では使われないことを第2章で記した。医療が入ってこなくてよい領域にまで医療が侵入してきてしまうといった意味合いがあり、少なくともあらかじめ肯定的な意味が付されたりはしない。他方、ALSの人たちは治療法が見出されることを切実に求めている。ALSから脱すること、なおることはもっとも大きな希望だから当然ではある。ALS協会の総会やその支部の総会など、患者が集まる場では多く医師の講演があり、医療についての情報が提供される。話の細部がわかるにせよわからないにせよ、希望が語られるなら、それを聞く意味はある。ただ、それはそれとして、他にもすべきことがいくつかあった。すぐにはなおる方法がない中で、今日明日生きていくときに必要なのは、そのために必要な資源である。ここでは医療が関わる場面は限られている。生活のための資源をどうやって得るか。結果論かもしれないが、その方に力を注いだ方が長く楽に生きられたはずだ。このことも第2章で述べた。
 次に、医療そして看護から得ているものがあるために、独立した立場をとりにくいことがある。その中には必ずしも医療職・看護職の人から得なくともよいものがあるのだが、社会の仕組みによって他から得ることができないために、医療・看護に依存せざるをえなかったものもある。病院にいる必要がなく、積極的にいたいとも思わない場合でも、病院にいる限りは生きていることができ、そして病院の側にはその人たちを病院に引き止めたい誘因がない場合には、なんとかお願いしてそこにいさせてもらうという関係になる。また在宅で暮らす場合にも訪問看護などの利用はある。
 以上のような事情で、医療の供給側に対してそう強くなれない場合がある。第9章1節にあげた事故への対応にもこうした事情は働きうる。生殺与奪を握られている以上、医療側とことをかまえるのは好ましくない。医療機関にも様々あり、医療者にも様々な人がいる★07。理解があり協力的な人もいるが、そうでない人もいる。しかし問題のある部分に対して強い指摘を行なうことはこれまでなされてはこなかった。距離をとった方がよいのだが、やはりこれまでの経緯、制度の仕組みのために、独立性を保つことができないために、事態がなかなか変わってこなかった部分がある。けれどもいくらか変わってきてはいるし、さらに変わっていくはずである。」(立岩[2004:318-321])

 
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■早期発見・早期治療・…

 「医療やリハビリテーションに関する論文のほとんどは構造的にこうした問いを受け付けないようになっている。直接な効果だけを調べ、代わりに失ったものを評価することがないからである。
 日本臨床心理学会編[1987]は「早期発見・治療」の問題性を指摘する、というよりかなり根底的な部分から批判している。ここで主張されていることがどのような根拠によりなされているか、子細に検討してみる必要がある。」
(立岩『私的所有論』第9章注16)

 日本臨床心理学会編[1987]
 この中で,「大津方式」について山下栄一[1987]
 母子健康保健に関しては別文書あり

◆日本臨床心理学会 編 1979 『心理テスト・その虚構と現実』
 現代書館,445p. <260,319> ※
◆日本臨床心理学会 編 1980 『戦後特殊教育・その構造と論理の批判――共生・共育の原理を求めて』
 社会評論社,358p. <319>
◆日本臨床心理学会 編 1987 『「早期発見・治療」はなぜ問題か』
 現代書館,445p. <319,431,437> ※
小沢 牧子 1987 「産む性の問題としての早期発見・早期治療」
 日本臨床心理学会編[1987:325-367] <213>
◆―――――  200203 『「心の専門家」はいらない』,洋泉社,新書y057,218p.,ISBN: 4896916158 735 [boople][bk1] ※ b,
 cf.立岩 真也 2002/12/25  「サバイバーの本の続き・2」(医療と社会ブックガイド・22)
 『看護教育』43-11(2002-12):(医学書院)
◆小沢 牧子・中島 浩籌 20040621 『心を商品化する社会――「心のケア」の危うさを問う』,洋泉社,新書y112,222p. ISBN:4-89691-826-6 777 [amazon][boople][bk1] ※,
◆篠原 睦治  1987a 「なぜ「早期発見・治療」問題に取り組むか――本学会の論争過程をふりかえりつつ」
 日本臨床心理学会編[1987:16-60] <431>
◆―――――  1987b 「科学的産み分け法の諸問題――特に「伴性遺伝病予防」にかかわって」
 日本臨床心理学会編[1987:213-246] <428,431,432>
◆山下 恒男  1977 『反発達論――抑圧の人間学からの解放』
 現代書館,278p. <319,442> ※
◆―――――  1987 「進化・優生思想と「障害」――早期発見・治療の思想的背景と「障害」の必然性」
 日本臨床心理学会編[1987:369-412] <442>

 
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■文献

◆立岩 真也 2001/07/30 「なおすことについて」
 野口裕二・大村英昭編『臨床社会学の実践』,有斐閣 pp.171-196
◆古井 透 20030829 「リハビリ再考――「がんばり」への呪縛とそのOUTCOME」
 障害学研究会関西部会第19回研究会
◆古井 透 20031101 「リハビリテーションの誤算」
 『現代思想』31-13(2003-11):136-148
上農 正剛 20031101 「医療の論理、言語の論理――聴覚障害児にとってのベネフィットとは何か」
 『現代思想』31-13(2003-11):166-179

 
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■障害と病気

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya] ※

 「ALSは障害なのか病気なのか。ALSの人は病者なのか障害者なのか。むろん、言葉は様々な意味に使うことができ、それぞれの言葉が示す範囲を変更することができるから、それによって答は変わってくる。ただ一般に、病は健康と対比されるものであり、苦しかったり気持ちが悪かったりする。また死んでしまうこともあり、よからぬものとされる。また障害とは、身体の状態に関わって不便であったり不都合であったりすることがあるということだ。病によって障害を得ることはあるから、両方を兼ねることはある。ALSは病気ではある。そして同時に機能障害が生ずる。ALSの人たちは同時に、病人・病者でもあり障害者である人たちだ。答としてはまずはこれでよい。
 そして制度との関係でもALSの人たちは両方である。まずALSは「難病」である。この難病という言葉自体が行政的な呼称でもある。一九七二年に「特定疾患治療研究事業」が開始され、「厚生省特定疾患」に指定された病気(これが行政用語としての「難病」ということになる★04)については、政策として研究を推進することになり、症例を研究に生かすという趣旨で、医療費の補助がなされてきた。特定疾患に指定されている病気にかかった人には保健所に申請すると「特定疾患医療受給者証」が交付される。
 そして同時に、ALSにかかると身体の様々なところが動かなくなる。そこでこちらは福祉事務所か役所の担当の課に申請し判定を受け、「身体障害者手帳」を交付されて、障害者ということになる。
 ただ、人によって、どちらを強調するか、受け入れるかは同じでないようだ。患者という規定が先に来る人たちもいる。どうしてだろう。事故等で途中から障害者になる人たちもたくさんいるから、障害者である/ないは生まれつきの区分ではないのだが、それでも、障害者という言葉には、あらかじめ他の「一般人」と分けられた集団というイメージがあるのかもしれない。それに対して病気の方は、可能性としては誰もがなるものという意識があるのかもしれない。そして、病気については治療のしようがあるはずだ、本来は一時的なもののはずだという希望もまた込められているのかもしれない★05。
 他方、障害者でもあることが言われることもある。病者ではなく障害者だという言われ方もされる。
【108】 《私は呼吸器を装着すれば、その時から患者は病人ではなくなると考えている。頭の働き・感覚は正常であり(寧ろ冴える)、吸引・経管注入・排便・体位交換・及び寝たきりによる痛い、痒い、だるい等々に二四時間極めて手のかかる身体障害者だと思う。/呼吸器を装着後ある時期を過ぎると、やがて長期安定状態に入っていく》(新田・新田[2003(1):83])
【109】 本田昌義[95]。《これは私の持論ですが、「ALSは病気ではない。唯、全身の運動神経が犯された障害者です。だから介助があれば何でも出来るのです。」と》(本田[2000:33])
【110】 橋本みさお[48]。《ALSは難病であると同時に最重度の障害者でもあるのですから、ハンディが多い分の努力が必要であると思いますし、障害者のニーズに対応するのは福祉行政の責務だと考えています。ALS患者が「社会に生きる」ためには、本人の自覚はもとより 「医療・福祉・行政」の協力が不可欠です。》(橋本[1998a])
《私は常に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者を、最重度の障害者であると捉えています。ハンディの大きい者が地域社会に生きるためには、応分の努力をすることは、至極当たり前のことで、その努力に応えることは社会の(行政の)責務と考えています。》(橋本[2001a])
【111】 《どうも私は、患者としての自覚に欠けるらしい。/師走に「街頭募金をしましょう」と、熊本事務局長に提案したところ、「街頭でなくても良いでしょう、まして患者さんが寒さの中屋外に出る必要はない」と、何ともつれないお返事でした。/しかし患者扱いされることのない私には、納得できるお返事ではありません。》(橋本[2000a:30])
【112】 《今回、私がこの場で、皆様の貴重なお時間をいただいた大きな理由は、「ALSは死病ではなく最重度の障害を伴う病である」と、伝えたかったからなのです。》(橋本[2000c]。デンマークでの国際会議(↓第11章4節)での発言)
 まず、病巣が拡大し病状が進行する、あるいは縮小し治癒するといった捉え方より、身体機能の低下、できないことの増加、また固定として捉える方がALSの現実に即しているという認識がある[108]。そして、できないことは補えばできる、そのために必要なものが必要だという主張になる[109][110]。
 また、医療・医療者が対応するのが病気であるともされるのだが、前節に述べたように、ALSの場合、医療はときに必要だが、医療の内部に囲いこまれてしまうとよいことにはならない。そんな思いもここにはあるかもしれない。他の障害のある人たちの中からも自分たちは病人ではないと言われることがある。それは、医療サービスを必要とするのではなく、ゆえに医療機関で医療者に管理される必要もないのだと言っている。このことはALSの人たちについても、いくらかは、言える。
 さらにALS協会の当時の事務局長に食ってかかっている橋本の言[111]には、おとなくしていればよいとされることに対する抵抗がある。社会学に「病人役割」という言葉がある。誰もが知っていることに名前をつけただけだから、誰が言ったかなどどうでもよいことだが、パーソンズという人が言ったことになっている(Parsons[1958][1964=1973]、その医療社会学について高城[2002])。
 病気の場合には、闘病すること、病気と闘うことはよしとして、それ以外の社会的責務が免除されることがあることが言われる。米国の人類学者が、良性骨髄腫瘍で全身が麻痺していく自らとその周囲の世界とをフィールドにして書いた著名な本には次のように紹介されている。
【113】 パーソンズの《論文は悲しいことにしちめんどうくさい学術用語で書かれているのだが、しかし何とか翻訳してみれば何のことはない、病気になったことがある者なら誰でも知っていることをいっているにすぎない。つまりこうだ。通常の社会的役割――母親、父親、弁護士、パン屋、学生等々――は、その人が病気になったとたんに効力を一時停止する。その人は“病人”という規定を受け、病気の軽重により通常の義務の一部、あるいは全部から解放される。/通常の義務の一時停止とはいっても、病人という役割を演じる者に義務が全くなくなってしまうということはない。いやむしろひとつの大きいやつを背負い込まされる。つまり、回復に向けて努力を惜しまないという義務だ。》(Murphy[198=1992:31-32])
 それで楽ができる時もあるのだが、それはその人が社会的行為者としては認められにくいということでもある。病人は黙っているものだとされてしまうと、何か言いたいことがある時には困る。もちろん、病人だからといってこの役割を担なければならないということはないのだから、病人のままでこの役割を拒絶すればよいのではある。ただ、病気と治療にだけ関心が向けられると、それ以外の部分に向けられてよい力が削がれるということはある。
 ALSは、うまく工夫して身体の状態を保つことができれば、必ずしも苦痛をもたらすものではない。また死がすぐにもたらされるものでもない。そしてなおすというやり方では今のところは生きつづけることができず、対応のしようのないところがある。他方、筋肉が動かなくなって、できなくなることが出てくる。その限りでは障害者であるという性格の方が強い。だが、なおるまでの間、なおらないままで生きていくための手立てを十分に得られてこなかった。
 それを、病気としての把握、病人としての認識が強かったせいにしてしまうことはできない。本人たちも支援するた人たちも、生命・生活の維持のために必要なものが何かはわかっていたし、その必要性もずっと訴えてきた。ただ、どこまで腰を据えてそれを言い張れたかである。また支援する側は、医療や看護以外の支援が必要なことがわかってはいても、どれだけそれを現実に動かせたか、有効に機能させることができたかである。さらに、その人たちの「職域」がときにはALSの人の生活を阻害するように働くこともある。このことを第10章でみる。」(立岩[2004])

 
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■障害者と医療

◆飯ヶ浜 実・江藤 愛・小原 直美・黒田 雅子・高木 美希 「障害者と医療者――バリアを越えていくために」,(2000年度信州大学医療技術短期大学部看護科3年)
 卒業研究レポート 200012提出

安積遊歩(純子) 「〈私〉へ――三〇年について」, 安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』
 (初版1990,増補改訂版1995)

 「折れたら棒を入れる手術をし、くっいたらとる、まがったらまた手術をする。針金を入れたままにしておけばなんともないのに。その繰り返し。泣けば怒られ、注射さえて痛いって言えばまた怒られるさ。手術する理由なんていわないわけよ。聞けばちょっと教えてくれるけど。六回も七回もやって、私がもういくらやっても同じことの繰り返しだからやめたい、針金を入れたままでいいって十三歳の時、中一の二学期に自分で決めて、ようやくやめることになったのね。今も針金が日本両足に入っている。全然痛くない。ばっかじゃないかって、医者に対して思ったね。やめたいと言ったら、はいやめましょうって感じだったから、今までの手術は何だったんだって思うと。痛いと医者は思うらしいんだけど私は棒が入っても全然痛くないんだよ。聞いてくれればいいのにね。」
 「原因も治療法もわかっていないのに男性ホルモンがいいって言うんで、注射を打つために母が私を背負って一日おきに福島県立医大に通っていたんだ。ついに一年目に医者がなんていったかと言うと、「効果がないからやめましょうね」って。それで現代医学に対する不信が芽生えたんだ。あと小学校三年生くらいまで、カルシウム剤飲まされたりもした。それも効果なかった。小学校にはいるまで十数回、二十歳まで二十回以上骨折し続けた。」

 「看護婦は、私はありがたいと思わない事でも、ありがとうと言えとしつこく言ってくるわけ。薬を貰っても、血沈をとられてもだよ。なんで血を採られてありがとうなんだろう。みんな、ありがとう、ごめんなさい、すみませんっていつも言わなければならないの。一回、必要もないのに血沈をとるからさ、医者の論文書くためにやってたのね、だから「私はモルモットじゃないんだからいやです」って言ったらさ、「わかってるなら黙って従え」って、敵もさるものだと思ったね。こっちの苦しみなんか完全に無視できるんだから。」

 「おまえたちは迷惑をかけているんだってばかり言われるから。ベットでうんちしたら部屋が臭くなるのはあたりまえでしょ。ところが○○さんのは臭すぎるとか、そんな事ばかり言うんだ。おしっこすれば誰ちゃんのは音が大きすぎるとかね。看護婦の機嫌が悪いと、あんた持っていきなさいと、歩ける子にやらせるわけ。とりいっている子は最初は進んでやるの。でも、うまくとりいって2、3回したらうまく他の子におしつけるわけ。

樋口恵子
 『エンジョイ自立生活――障害を最高の恵みとして』

 「寝たきりの生活が始まりました。上半身を硬いギブスベッドの中に入れ、起き上がることもだめだといわれ、じっと天井の模様を数えるような生活でした。その生活が始まって何日目かに、総婦長さんが部屋になってきました。私の部屋は八人部屋で、みんなは施設に隣接する養護学校に言っており、私一人でした。「足が冷たいので、足に巻くようなタオルケットか何かを家から持ってきてもらっていいですか?」と私は何気なく聞いたのです。「一人だけそんなわがままは許しません」というような言葉にあい、驚きました。 その後、婦長さんからは何かあるたびに、私に対して「頭が良いだけじゃだめなのよ」と言いました。私は頭がいいという言葉は誉め言葉だと思っていました。なのに、総婦長さんから聞かされるそれは、なぜか、とても拒否的な響きのある言葉に聞こえてしまうのです。私は、どうしたらここで好かれるのかと悩みました。
 私は幼いときから自分の言葉で自己主張をすることがあたりまえだったのですが、ここではどうもそれは歓迎されないらしいと感じ始めました。自分のことが自分でできない人は「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」といった言葉が似合うらしい、それを繰り返しいれば何の注意も受けないということがわかってきたのです。そうした対応をとる看護婦さんや保母さんが悪いのではないかもしれない、障害をもって生きていくには何か暗黙のルールでもあるではないかと思うようになったのかもしれません。」

 「総婦長さんが私一人だけのときに現れました。「あなたはイエス様に誓って、このことを誰にも言わないと約束できますか?」と、私に聞くというより、絶対に誰にも漏らしてはいけないと言わんばかりに迫ってきて、それはプレッシャー以外の何者でもありませんでした。私はなぜこんなことを言われなければならないのかわからず、考えていました。誓いますという返事はしませんでしたが、そもそも私が返答することは総婦長さんには関係のないことだったというふうで、続けて「今度の面会日にお母さんや誰かが来ても言わないように」と言って、いなくなりました。
 私はその威圧的な言われ方がどうしても納得できず、悔しくてつらくて、三日間涙が流れつづけました。その束縛は私を縛り、私がこのことを人に明かしたのは三十五歳を過ぎてからでした。」

 「薬を続けなくては根本の病気はなおらない、でも、それをするともっとひどい症状に襲われる、私はこんなことを繰り返しながら死んでいくのだろうかと、絶望的になりました。そんなとき、園長先生や総婦長さんも私の力にはなってくれませんでした。」

 「自分の価値をおとしめてしまうことは、数限りなくありました。「誰もいないから大丈夫だよ」と廊下で身体を拭かれたり、みんなが帰省する時期には手術後の人など数人しか施設には残らず、職員の目が届くよう、男女混合の部屋にされることもありました。お盆か正月か忘れましたが、同級生のH君と同室になったことがあります。同級生と言ってもクラスで机を並べてと言う関係ではなく、親しみも何もない人でした。そんな人と同じ部屋にされ、トイレや正式、肩や太股への注射のときの彼のなんとも言えない視線、今ならいやといえるけど、プライバシーもなにもない無権利状態でした。」

 「毎月の定例として、血液をとって(血沈)を計るのと園長先生の診察がありました。ある日、いつのものように私は裸になって診察台の上でそのときを待っていました。どやどやと園長先生以外の若い男の人も入ってきました。私は何でこんな人に自分の体を見られなければならないのかと納得がいかず、早くこの屈辱的な時間が過ぎないか、それとも私が消えてなくなればいいと思いました。彼らは医大のインターンで、私ではなく、カリエスという物体を見ていたのでしょう。自分のベッドに移されてからも私のショックは消えず、やりきれない思い出食事も喉を通りませんでした。当時、インフォームド・コンセントという言葉もなかったし、ましてや障害児の患者に敬意など払われず、「私が障害者だからこんな目に会うんだ」とあきらめるしかなかったのです。
 「この人たちはお医者さんになるために勉強中なので、あなたのことを一緒に診てもらっていいですか?」と聞いてくれたら、あんなにつらくはなかっただろうなと思います。「いやです」といいたくても言えなかったかもしれませんが、それくらいの声かけは、最低の礼儀ではないでしょうか。」

立岩 真也 2010/07/01 「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」,『現代思想』38-9(2010-7):  (特集:免疫の意味論――多田富雄の仕事,青土社,ISBN-10: 4791712153 ISBN-13: 978-4791712151 [amazon][kinokuniya] ※


REV:...20071109, 20100409, 10, 0711
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