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書評:立岩真也著『造反有理――精神医療現代史へ』

中島 直 20140710 『精神医療』4-75(150):118-120

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  本書は歴史の書である。歴史の書をどのように紹介するのがよいかよくわからない。ましてや評者はこの歴史に関わりがある。この歴史をある程度知っていてこの世界に入った人間であり、その末席に参加した結果、本書にも名前が登場している。評者は、本書に接し、記されている人物とその言説につき、懐かしさもあるし、面識があるが亡くなっている方も多いので感慨はいろいろ持ち、「あの人がこんなことを言っていたのか」という発見もあり、楽しく読んだ。しかし、他方の側に属する人は全く違う思いを持つであろうし、この歴史を中心となって作ってきた人は複雑な思いでこの書を読むのであろう。
  そして、この歴史を知らない、あるいはごく断片的にしか知らない人々はこの曹ををどう読むのであろうか。評者が少なくとも以前には属し、現在も名簿には記載され、会合には時折顔を出す東大精神科でも、この歴史が語られることはほぼない。「分裂裂」があったこと、「統合」されてよかったといったことがごく断片的に語られることがごくたまにある程度である。しかし、評者は、この歴史がなければ、いい意味でも悪い意味でも今の精神科医療はなかった、という意味で、知るべき歴史だと考えている。語られていないわけではなく、本書でも紹介されているとおりいくつか書籍はあるし、また本誌もこれを語ることにはカを置いている。しかし、それらのほとんどはどちらかの立場でその歴史にまさに身を置いた人の語りである。経過と無関係ではなかったが、それに近かった著者が、資料に当たることで紡いだ歴史書の存在は価値があるであろう。
  著者の記述は丹念である。ただ著者も認めるとおり、あらゆる資料を網羅的に当たれているわけではない。それでも複雑である。評者は純然たる理系人間で、歴史を学ぶのは嫌いではなかったが、まあひいき目に見て中学レべルであろう。大学に入り、医学部 ▽119 に進んでから、勧められてフーコーを読み、歴史というのはこういうものかと驚愕したのを記憶している。歴史とはけっしてわかりやすくない。本書で扱われている歴史も、登場人物の名を聞いてすぐにその立ち位置がわからない人にはより難解かもしれない。
  著者の独特の文体には好悪があるだろう。行きつ戻りつするのである。失礼を顧みず、精神医学用語を当てはめてやや大げさに言えば迂遠である。これが一つの文の中でも、ひととまりの文章の中でも起こる。これがさらにわかりにくさを増していると感じる人もあるだろう。ただ、評者は、比較的なじめる感じがする。評者の思考パターンに合うのかもしれない。あるいは、資料に忠実であろうとするとこのようにななるのは必然とも思える。資料を読み、丹念に引用し、関連する資料とのつながりを検討している。

  内容について。「本書で見ていくのは精神医療を巡ってかつてあって不毛のまま終息したとされれる争いである。造反者が現われ、消耗な対立があった。学問的にも空白の時期だったと言われる。そしてその造反(派)消滅してしまったとされる。世界的にもそんなことが言われることがあるが、日本ではまた別の要因も加わってそう言われる。それは違うと私は考える。造反は有理であったことを述べる。」という文で始まる「はじめに」は、この書の前提を記している。続く「序章」は全体の紹介である。第1章は「前史」として1950年代からのことが記される。主な登場人物は石井暎禧、中井久夫である。が、他にもいろいろな人が登場する。第2章は浜田晋、藤沢敏雄、石川信義、森山公夫、中川善資といった評者にも馴染みの深い人々が登場し、彼らが見た当時の精神科病院の状況が記された後、1969年の日本精神神経学会金沢大会のことが記される。京大精神科評議会、東大精神科病棟の自主管理のことが述べられ、宇都宮病院事件についても触れられている。「反精神医学」が日本においてどのような位置を占めたのかも紹介される。第3章は、インシュリン療法、ロボトミー、電撃療法、薬物療法というふうに治療法についての経過と批判的言説が語られ、その後にロボトミー(およびチングレクトミー)に関連する裁判の経過が比較的詳細に記されている。第4章は「『生活療法』を巡って」と題され、生活療法の経緯、その批判が説明され、後半では秋元波留夫および臺弘の「造反派」への批判が詳細かつ批判的に紹介されている。第5章では、個別課題のみでなく、病気とは何か、その原因を考えるとはどういうことか、治療とは何か、といった大 ▽0120 きな視野を持った批判的言説として、小澤勲および吉田おさみの著作が紹介されている。最後に少し、評者にとってもテーマであり続けている、保安処分の問題が語られている。
  先にも触れたように、評者は好感を持って読んだ。宇都宮病院事件のことは簡潔ではあるがポイントをおさえて記されている。反精神医学についても、評者も一応ざっと勉強はしたが、その意義は認めつつもこれで臨床家も患者も救われるとは思わなかった。秋元・臺両元東大教授は、他のことは措くとしても、本書で扱われているような課題に対する言説は非常に無責任で、あえて論点をずらしているとしか思えない。著者と評者は違う体験を経てきたし、今持っている現場も異なると思うが、共感できた感覚があった。

  評者は2000年ころに個人的な勉強会(精神科関係者は評者のみ)で著者の『私的所有論』を扱った。障害、能力、差別、所有といった概念をどう捉え、関連づけていくかという視点に感銘を受けたが、それではどうしていくかということについては課題としてもったという思いを記憶している。平等、正義などという視点も絡めて、細々と勉強はしているのであるが、まだ頭の中は整理されない。なお同著は第2版が出ている。

  前述したように評者も名前が登場している。よく知られているとは言いがたいが、評者としてはこだわりをもって関わった、宇都宮病院に対するある民事裁判をめぐってかかわった運動が紹介されている。これには素直に感謝する。ついでに言えば本誌についてもいくつかの箇所で記載がある。編集委員の一人として感謝しておくべきであろう。


◇立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,434p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

『造反有理――精神医療現代史へ』表紙


UP:20141017 REV: 
中島 直  ◇『造反有理――精神医療現代史へ』 
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