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臺 弘/台 弘

うてな・ひろし
1913/11/28〜2014/04/16


臺(台)実験告発

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『生存学』3 表紙 ◆立岩 真也・天田 城介 20110325 「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その我彼の現代史・1」,『生存学』3:6-90*

*立命館大学生存学研究センター 編 20110325 『生存学』Vol.3,生活書院,272p. ISBN-10: 4903690725 ISBN-13: 9784903690728 2200+110 [amazon][kinokuniya] ※ お送りできます→『生存学』3


 「立岩 今回ひょんなことから精神リハビリテーション医学とか精神医療関係のをちょっと読んだんですよ。上田敏とか秋元波留夫とか、台弘(臺弘)とか、前二者は有名人ですが、それでも教科書として読むとか、これらの先生の説を拝読するとか、そういう読み方でしか読まれてないはずですよ、普通。ここで精神医療関係の研究してる人は勉強し始めてますけど、他の大学院生の多くは多分知らない。でも、そういう人たちが四〇年も五〇年も活躍なさって、第一線から引かれたり亡くなったりという状況で。
 □ロボトミー・安楽死
 では、そういう人たちを同時代に生きてきたはずの人が本当に知っているかというとそうでもない。例えば、台弘というのは、ある人たちにとっては「ロボトミーやった悪い奴、終わり」ということだったわけ。僕はそっちの方にいたから悪い奴って、とにかくそうだったんです。読んだことない。非常に不勉強だったわけです。だからといって、今は持ちあげようとかそうは思っていませんが、ただあらためて彼が七〇年代に書いたものとか読んでみると、とくに面白くはないんだけど、でもこの人はこういうところにいて、こういうことを言っていたんだなとかそういうことはいろいろわかるんですよね。そういう意味で人に焦点を当てるというのは、これからの研究としてはけっこうありかなと思っています。
天田 誰かが調べてくれればいいなと思うんですが、台弘のロボトミーって話はそれこそ昔の小澤勲本でもたくさん出てくるわけですよね(小澤[1974]他)。だけど、ロボトミー自体がそもそも日本でどのように「問題」になってきたのか[…]」(立岩・天田[2011])

「立岩 台人体実験事件っていうのは、一方の側が、二〇年前の手術を探し出してきてというか、東大の中で批判して学会で批判してということがあって、それに彼も反論している。その出来事だって、それだけのボリュームはある。あれは結局どうなのっていう評価を巡る話は残るから、最終的には難しい話だけど。でも、時代的にも七〇年代以降の話だから、実験が行なわれたのはずっと前だけど、それがどう人々にどう受け止められたか、あるいはどう利用されたのかということは書ける。だからどうなのよっていう気もしないではないけれど。
 それからずっと遡って、実際、日本でどうやっていたかとか、どう受け止められてきたのかっていうところはもっと難しい。でも、そっちの方が価値は当然あるわけです。そして[…]」(立岩・天田[2011])

*同じの以下の論文にも言及があります。
阿部あかね 20110325 「わが国の精神医療改革運動前夜――一九六九年日本精神神経学会金沢大会にいたる動向」,『生存学』3:144-154


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%BA%E5%BC%98
 「臺 弘(うてな ひろし、1913年11月28日 - 2014年4月16日)は栃木県足尾町生まれの日本の医学者、精神科医。元東京大学医学部教授。元群馬大学医学部教授。医学博士(東京大学・1952年)[1][2]。『台弘』と表記されることもある。[…]」

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%E7%CA%B9%B0

◆デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
 http://kotobank.jp/word/%E5%8F%B0%E5%BC%98

 「台弘 うてな-ひろし 1913−昭和時代の精神医学者。大正2年11月28日生まれ。都立松沢病院医員,群馬大教授をへて,昭和41年東大教授となる。のち坂本病院医師。実験動物による統合失調症(精神分裂病)の研究で知られる。松沢病院時代におこなった統合失調症に対する精神外科(ロボトミー)の研究が,48年人体実験と批判された。栃木県出身。東京帝大卒。」

■著作

◆臺 弘 19690615 「大学紛争と精神科医」 (Editorial),『精神医学』11-6:2-3(418-419)(全文掲載)

◆臺 弘 19700525 「精神科作業療法の将来」,小林八郎他編[1970:44-48]*
*小林 八郎・松本 胖・池田 由子・加藤 伸勝・徳田 良仁・鈴木 明子 編 19700315  『精神科作業療法』 ,医学書院,247p. ASIN: B000JA0RBS 2300 [amazon] ※ m. r02.

◆西尾 雄三郎・菅修・本吉 功・加藤 伸勝・後藤 彰夫・臺 弘・立津 政順・長坂 五朗 1972 「戦中・戦後の精神病院の歩み」(座談会)、『精神医学』14-9:688-703 [70]

◆臺 弘 19720415  『精神医学の思想――医療の方法を求めて』 ,筑摩書房,筑摩総合大学,274p. ASIN: B000JA0T3E 900 [amazon] ※ m. ut1968.

◆臺 弘・土居 健郎 編 197505 『精神医学と疾病概念』,東京大学出版会 ASIN: B000JA1OZQ [amazon]→20100819 みすず書房,精神医学重要文献シリーズ Heritage,296p. ISBN-10: 4622082381 ISBN-13: 978-4622082385 [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆臺 弘 編 19781215 『分裂病の生活臨床』 ,創造出版,277p. ASIN: B000J8HLZ0 [amazon] ※ m.

◆臺 弘 1984 「生活療法の復権」,『精神医学』26(8):803-841→ 臺[1991 :135-159](全文掲載)

◆臺 弘 1990 「生活臨床その後」,『精神科治療学』,5(10);1307-1311→ 臺[1991 :224-232](全文掲載)

◆臺 弘 19911201 『分裂病の治療覚書』,創造出版,260p. ISBN-10: 4881582283 ISBN-13: 978-4881582282 [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆臺 弘 19920715 「自由を奪う病とその治療」 ,『精神医学』34-7:777-784(全文)

◆台 弘(臺 弘) 19931127 『誰が風を見たか――ある精神科医の生涯』,星和書店,335p. ISBN-10: 4791102622 ISBN-13: 978-4791102624 [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆臺 弘・浦野 シマ  20070331 「戦中戦後の東大精神科と松澤病院」,「東京大学精神医学教室120年」編集委員会編[2007]*
*「東京大学精神医学教室120年」編集委員会 編 20070331 『東京大学精神医学教室120年』,新興医学出版社,286p. ISBN-10: 4880026611 ISBN-13: 978-4880026619 6825 [amazon][kinokuniya] ※ m.



◆1968/11/07 東京大学医学部臺弘主任教授不信任

◆1971- 「台(臺)人体実験」告発

■引用

◆臺 弘 1968 「第66回日本精神神経学会議事録」,『精神神経学雑誌』70-4:381-382

 「現在の教育と医療制度を改善するための特効薬はない。私どもはあらゆる方面で多面作戦を展開しなければならない。認定医制度もその一手段として役立てようとするのである。(…)一体私共は厚生省、文部省、さらに大蔵省、国会を動かして彼らが何かしてくれるまで、政治活動だけにたよって時期を待つべきなのであろうか。(…)我が国の精神病院の病弊は古く深く、その体質改善は厚生省や国会に話をもって行く前に、私共の手ですることが山ほどあるのである。私は精神科医のレベルを向上させるための一つの手段として認定医制度を役立てたいのである。(…)認定医制度は万能薬ではない。これを採用したら必ずよいことがあるという保障もない。悪用すれば悪いことだらけになる。認定医制度が有意義であるという保障は、一にかかってこの制度をうまく活用して精神医療の改善を促進しようという私共の熱意と智慧と学会の民主的な運営にあるばかりである。(臺[1968:381-382]、阿部[2011:151-152]に引用)

◆台 弘(臺 弘) 19720415 『精神医学の思想――医療の方法を求めて』,筑摩書房,筑摩総合大学,274p. ASIN: B000JA0T3E 900 [amazon] ※ m.

 あとがき
 「この本は東大紛争の経過を通じて、特にまた長期間にわたって続けられている精神科医内部の意見の対立の背景のもとに書かれた。精神医療における個人と社会、精神の健康と病気、治療や研究における精神主義と生物主義などの諸問題が、どれも造反は結びついて激しく揺れ動いた。私はこの本を読者のために書きながら、同時にたえず自分自身のために書いている思いがした。
 本書の内容からおわかりのように、私は揺れ動く対立的意見の中ではっきりと折衷主義的な立場をとる。私のいう折衷とは、どちらも結構ですというようなあいまいな態度ではない。対立的意見を越えて、精神医学はまず科学でなければならないことを主張しながら、れが患者のために生かされることを求めるのである。精神医学と医療は一筋縄では取り組めぬ相手である。いや、一筋縄であってはならないのだ。私は、精神主義をふりかざす相手には生物主義を、個人至上主義を主張する相手には社会を説き、生物主義をふりかざす相手には精神主義を、社会優先を説く相手には個人の尊重を主張せずにいられない。また、精神医学と精神医療のかかえている問題は、精神科医がひとりで引受けることなど出来るものではない。医療・保健・福祉の当事者はもちろん、社会全体で取組まなければ到底解決出来ないことである。」(臺[1972:263])

◆台 弘(臺 弘) 1993

 「イギリスでは、福祉国家の理念が早くから行き渡っていたので、国民保険サービス(NHS)の傘の下に精神病者の脱施設化と地域医療が進んでおり、治療共同体の試みもなされていた。そこで、反精神医学の主張も現実的な提案になるなら、それを受け止めるだけのゆとりがあった。
 イタリアでは、バザーリアの急進的な提案は政治を巻き込んで、精神病院廃止を立法させるに至ったが、地域医療の背景の整わない多くの地域では混乱が生じたという。他方、トリエステのように立派な範例も作られている。
 ドイツ・フランス・スカンジナヴィアなどの国々では、精神科医療の社会化が一段と進んだ形で、衝撃を吸収したようである。
 アメリカの広い国柄ではいろいろの反応があったようだが、元々精神分析の影響が強かった土地柄だけに、反精神医学には揺るがされず、逆に全体として生物学的精神医学に大きく傾くという反作用の方が強く現れた。
 日本では、時代遅れの精神衛生体制の下に、私立精神病院中心で経営上に患者を商品化することを免れなかったから、精神病院スキャンダルが頻発し、反精神医学は精神科医療の脆弱性、反医療性を直撃することができた。」(台[1993:212])

■言及

◆立岩 真也 20080701- 「身体の現代」,『みすず』50-7(2008-7 no.562):32-41から連載 資料
 「☆01 以下は『精神医学の思想――医療の方法を求めて』(臺[1972])のあとがきの冒頭。
 「この本は東大紛争の経過を通じて、特にまた長期間にわたって続けられている精神科医内部の意見の対立の背景のもとに書かれた。精神医療における個人と社会、精神の健康と病気、治療や研究における精神主義と生物主義などの諸問題が、どれも造反は結びついて激しく揺れ動いた。私はこの本を読者のために書きながら、同時にたえず自分自身のために書いている思いがした。
 本書の内容からおわかりのように、私は揺れ動く対立的意見の中ではっきりと折衷主義的な立場をとる。私のいう折衷とは、どちらも結構ですというようなあいまいな態度ではない。対立的意見を越えて、精神医学はまず科学でなければならないことを主張しながら、れが患者のために生かされることを求めるのである。精神医学と医療は一筋縄では取り組めぬ相手である。いや、一筋縄であってはならないのだ。私は、精神主義をふりかざす相手には生物主義を、個人至上主義を主張する相手には社会を説き、生物主義をふりかざす相手には精神主義を、社会優先を説く相手には個人の尊重を主張せずにいられない。また、精神医学と精神医療のかかえている問題は、精神科医がひとりで引受けることなど出来るものではない。医療・保健・福祉の当事者はもちろん、社会全体で取組まなければ到底解決出来ないことである。」(臺[1972:263])
 そのとおりであると、まったく他意なく、その言葉――次の注の引用で、小澤勲も同様のことを言う――を受け入れながら、なお、どんなことが考えられるか、言えるかである。  臺弘は東京大学医学部での闘争(紛争)のすこし前からそれ以降、そこに教授として勤めていた人で、前回すこし取り上げもした青年医師連合(青医連)等から「人体実験」の告発を受けた人でもある。その告発に対する全面的な反論は、自伝である臺[1993]にある。
 東大青医連と括られる人たちが大学闘争(紛争)後も「占拠」を続けたいわゆる「赤レンガ病棟」を巡る争いの大部分がたいへんに消耗なものであったことをそのとおりに認めてなお、どんなことが言えるのか。占拠した側の人の書き物として富田[2000]がある。また、この占拠を告発する書籍としてサンケイ新聞社会部東大取材班[1978]。また、数々の「封印作品」をとりあげる安藤[2004]で、手塚治虫の連載『ブラックジャック』中で「ロボトミー」の語が現われる回を批判した動きが取材され記録されている。その中に、石川清、富田三樹生も登場する。「東京大学精神医学教室一二〇年」編集委員会編[2007]には、そこに関係した様々の人の文章が寄せられているが、その中には臺の文章もあり、富田の文章もある。」

◆立岩 真也 2010/08/01 「「社会モデル」・序――連載 57」,『現代思想』38-10(2010-8):

◆立岩 真也 2010/11/01 「社会派の行き先・1――連載 60」,『現代思想』38-(2010-11): 資料

◆立岩 真也 2011/**/** 「もらったものについて・6」r,『そよ風のように街に出よう』80:-

◆立岩 真也 2011/04/01 「社会派の行き先・6――連載 65」,『現代思想』39-4(2011-4):- 資料

阿部あかね 20110325 「わが国の精神医療改革運動前夜――一九六九年日本精神神経学会金沢大会にいたる動向」,『生存学』3:144-154

◆立岩 真也 2012/01/25 「もらったものについて・8」『そよ風のように街に出よう』82:36-40

◆立岩 真也 2013/06/01 「精神医療についての本の準備・3――連載 90」
 『現代思想』41-(2013-5):- →

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

 「臺弘は過去のロボトミー手術によって切除された部分を研究に用いたことが批判された人だが、一九五〇年代以降、群馬大学で「生活臨床」と呼ばれる再入院を防ぐ地域での実践に関わった人たちだった。そして造反派に批判された後、生活療法の「復権」を語ったりした。これらの人の言論をみていく。その思想をそう簡単に批判し去ることのできるものでないこと、しかし批判されるべきことを言う。」

 「◇臺(台)弘[うてな・ひろし](一九一三〜)。東京帝大卒業。都立松沢病院医員、群馬大教授をへて、六六年秋元波留夫の後の東京大学医学部教授。東大闘争・学会闘争を展開した人たちからの攻撃にさらされることになる。六八年十一月に主任教授不信任。六九年の金沢大会で理事長解任。七一年三月に二〇年前の松沢病院時代に行なわれたロボトミー手術の際に採り出された脳組織を用いた実験が不当な人体実験だったと告発される(→HP)。その告発に対する全面的な反論は、自伝である臺[1993]にある。臺[1972]にもこの時期に関わる記述がある。告発と反論については別途検討する。」

 「一九七四年に退職した臺の自伝には次のようにある。

 「学生の授業再開に伴う病棟実習を二学期から始めることになって準備を始めたところ、ストの続行を唱えている精医連は、自派から離脱した教室員を診療中にも拘らず暴力的に病室から排除して「自主管理」なるものを始めた。[…]/「自主管理」された病棟には患者が入院していることは、それまでの占拠、封鎖とは全く違った条件である。「精医連」は医師たちは自分たちだけが正しい治療を行うことのできる者であると僭称して、反対派とみなす者が病棟と研究室、検査室に入ることを暴力的に拒否した。さらに許しがたいのは、攻撃に対して患者を盾に使うことができたことである。しかもそれらの施設は大学の公的な建物であって、私物化するのは犯罪的な行為である。しかしそこにはストレスに対して過敏さをもつ傷つきやすい患者たちがいる以上、外から圧力をかけたり、警察力を呼び込んで開放するわけにはいかない。私はゆっくり構えて自主管理派が自滅するのを待つしかないと考えた。[…]/私が「自主管理」は自滅するはずだと考えたのは、封鎖と管理の精神はもともと精神障害者の治療と両立しないからである。」(臺[1993:216])」

 「一九七一年に石川清によってなされた臺弘の(松沢病院において行なわれたロボトミーの際に取り出された組織を用いた)実験に対する批判にしても、それは、その人がその立場にいなかったらなされなかったことだったかもしれない。そして医療者たちの一部、造反派の雑誌、『精神医療』第2次第3巻1号が「精神医療と人体実験」を特集するのが一九七三年(このうちまず、臺の実験の問題性を指摘する石川[1973]吉田[1973]小池[1973]の全文をHPに掲載)、第2次第3巻4号が「精神外科の実態」を特集するのは一九七四年(まず吉田[1974]全文を掲載)、「精神外科とは、脳に不可逆的な侵襲を加えることを通して人間の精神機能を変化させることを目指す行為である。かかる行為は医療としてなさるべきでない。」という「精神外科を否定する決議」がなされたのは一九七五年五月の第七二回日本精神神経学会総会でのことだった。
 表立った行ないがなされた時に初めて表に現れることがあった。こうしたことだけにおいても、この時期になされたことの意味は、いくらか、あった。例えば札幌・名古屋での裁判での判決では――手術自体を不当と考える原告側は満足したわけではないが――精神障害が認められる人であっても、問題の治療行為について適切に判断する能力が認められる場合には、患者本人の同意を得なければならないということにはされた。その程度のこともそれ以前には明示されていなかったということでもある。」

 「(2)七一年に臺(台)実験告発(→129頁)がなされる。七四年の『精神医療』(第二次・三巻四号)は「精神外科の実態」を特集、七五年の日本精神神経学会大会の総会では「精神外科を否定する決議」がなされる。最初に裁判になった札幌での事件では日本精神神経学会・病院問題調査委員が調査に入り、三人の医師が裁判では特別補佐人になった。また二番目の裁判になった名古屋での事件(手術は六九年)では、手術をされた本人が石川清らの臺実験告発を新聞で知り、石川に連絡をとり、会いに行き、石川らは裁判で原告側の証人として出廷する。加えて高杉晋吾、より広く知られたものとしては大熊一夫によるルポルタージュがこの時期に出され、そこでもロボトミーの実態が記されるのだが、すくなくとも、この時期の医師たち・学会の動きが――例えば石川による告発は不当なものだと(批判された側から)批判されもするのだが――一定の役割は果たした。次にこのことを確認しておく★23。」

 「事態はもうすこし複雑である。ことは(例えば東大医学部闘争という形で)突然起こったのでもないし、最初から赤組と白組に明確に分かれていたわけでもない。そのいくつかは既に述べたからここでは繰り返さない。ただ一つ、見ておくべきことは、脳研究の進歩を礼賛した秋元にしても、脳組織を利用した実験を告発された臺にしても、自身、狭い意味での「生物学派」ではないということである。むしろ作業療法・生活療法といったものを支持し、リハビリテーションを支持し、そして家族会(の全国組織として、消滅してしまったが(cf.吉村[2008][2009:chap.3])「全国精神障害者家族会連合会(全家連)」、そして共同作業所(のある部分の全国組織としての「共同作業所全国連絡会(共作連)」(現在は「きょうされん」)といった組織を支持し、その理事長や顧問をつとめたりもした。学問・病院の世界に閉じこもっていたというわけではなく、そしてそのことを自負する人たちでもあった。そして、自らがその人たちのために働いていることをおそらくひとときも疑うことなく、長く生きた。
 そうしたことも関係して、ここのところ「生活療法」「生活臨床」と呼ばれたものを取り上げている。まずはそれらは、私だったら御免だと思うものではある。ただその御免であるという感覚を最初から前提にするつもりはない。それはすくなくともその志として、とりあえずの診察と処方をしてあとは知らないというより、長く、広く、積極的に人に関わろうとした、介入しようとしたものだった。それは病院においてあるいは退院後の地域において、「社会」での生活・適応を目指した。ここで精神疾患・精神障害がどのように捉えられているか、何が目指されているかが見える。」

 11 臺における不健康
 「「造反派」の批判に会い、それに「堂々と」反論した人が書いたことを取り上げている。前節まで秋元波留夫(→91頁)が述べたこと、それを批判した人の書いたことを取り上げた。本節から臺弘(→91頁、秋元の後東京大学)について。その人たちはとくにその学業・研究において何かを残したという人たちではない。ただ、そんなことはいくらもあるから、それを問題にしようというのではない。その人たちは批判・造反の対象になったから、それに強く執拗に反論している。造反派が非難する現実の存在<0255<の一部を認めつつ、その現実は理念の誤解や誤用に基づくものであるとし、その理念を正当化し、批判を不当とする。だからその理屈につきあうことになる。ほとんど初めて読んでみている☆14。」(立岩[2013:255-256]〕)
 「奇妙なやりとりがなされつつ、臺の基本的な発想はごく単純なものである。まず統合失調症はやはり「疾患」であるとされる。それは「生物学的規定性」によるものだとされる。その疾患である統合失調症は「不健康」であるとされる。それは後でも言われるように生活するにあたっての――前回記した五つに即せば――(3)「障害」のことをさす。(単独での)生活力(の欠如)が想定されているとともに、(4)奇妙さや(5)加害への恐れによって人が寄りつかないだろうということになっている。  「文化精神医学」的な方角の人が、統合失調症でもところによってはそんなに困らないことや役に立ったりすることもあるのではないかなどと言うのだが、臺は、ロビンソン・クルーソーの話を最後まで繰り返すことになる。その生活のしづらさは固定されたものである。そうでない場合もある、ありうるという指摘を受けいれるが、しかし結局同じ主張は維持される。
 私(たち)も(「社会」への)「適応」を否定しない(できない)。しかしだからこそ適応の「位置」の自覚は必要だ。それはなぜ、どのぐらい必要なのか。何かしたほうがよいとして、そのことに関わるその人が引き受ける部分はどれほどで、それはなぜなのか。そうした問題が当然に現われる話の流れなのだが、その問題の所在自体が感じられていない。
 そして、他人が、そのどうしてどれだけなされるべきか不明なことをなすべきことを指示することは、以下のように正当化される。

 「一体、精神科医療は何を目的としているのだろうか、直接的には精神障害によって起ってきた社会的適応の困難さを和らげ、独立生活ができるように助けることだといえば、社会に対してそのように受動的な立場で、個人を社会のわくにはめてしまうことであろうか。どうもそうではあるまい。家庭や社会の側に欠陥がある時、それに適応する人間を作るのが、精神科医療のつとめだとはいわれない。
 […]自分で自分の生き方を決定して行くこと――つまり自己決定――を助けるのが目的だという主張がある。だが精神障害の場合には、自己決定自体が妨げられている場合も多いのである。自己決定を助けて、そこから不幸が生れてきた場合には、その不幸は当人の責任であり、その不幸は当人のその後の発展の契機になるはずだと主張する人たちがいる。この立場は、一見相手を真の独立人として人格を尊重しているように見えるが、当人に対してもまたその周囲の人々に対しても無責任な甘い考え方である。自殺したいという人に自殺をすすめる医者がいるだろうか。
 相手を信頼して、寝ていたいという人は一日中寝かせておけばよい、といったとする。相手が不貞くされて寝ている場合には、いつかは起きて来て、馬鹿馬鹿しいことをしたと反省するかも知れないし、そんな時に周りから起きろ起きろというとかえって不貞寝する傾向を助長するかも知れない。しかし、相手が現実離れした夢想の世界に浸っている分裂病者だったら、彼は一生そのまま寝てくらすだろうし、夢想はとめどなく助長されるだろう。この辺に、相手の状態を見分けて、それぞれに治療方法を考えなければならないという診断技術の重要性がある。
 私は「自己」自体の病態がある場合には、「自己決定」は治療の基準にはならないと考える。ある時点である状況のもとで、「自己」が決定することが、他の時点で他の状況のもとで「自己」が決定することとちがうのはざらにある[…]相談者や医者は、当人のもっている可能性を見越した上で、それが最も発揮されるような方向に助力するべきである。これは「自己実相現」とよぶのがふさわしい。/寝てばかりいる人を起して、仕事や遊びの実生活の中に置くと、彼らは始めは自分の意志に反することのように思っても、その生活の中から今まで気がつかなかった生き方の可能性を見出す場合がある。こうして、彼自身で、新しい生き方の道が自分にもあることを体験する時、彼の「自己」は変化するのである。/何事も経験、可愛い子には旅、当人はその中から自分をつくり上げて行くだろうという期待、これが最も素朴な「生活療法」の基礎である。」(臺[1972:216-218])

 二つのことが言われている。まず「家庭や社会の側に欠陥がある時、それに適応する人間を作るのが、精神科医療のつとめだとはいわれない」と言う。「いわれない」、かもしれない。しかしそんなつとめを果たすことになる可能性はあるし、実際にある。その手前に何を家庭や社会の側の「欠陥」とするのかという問いがあるのだが、それは略され、素通りされる。
 例えば、さきのクルーソーの住む社会は一人だけで暮らすことになっている社会だ。実際に遭難してそんなことになってしまったら、それはそれで仕方がない。だが実際にはそんな状況はとても特殊な状態である。(加えれば、実際にはたった一人ではなくフライディはいるのだが、彼が近づかないことも前提されている。)それが一般論の根拠とされる。この辺りに臺(たち)の「偏り」がある。つまり、自然な社会状態といったものが暗黙のうちに想定されていて、そこでの生存可能性が考えられている。その自然な社会状態は、独力で生きていくのが前提とされるような「原初的」状態でもあり、(「迷信」などが消滅した)「合理的」な社会でもあるようだ。
 そして、医療者がなすべきことを指定することは、自己決定をそのまま認められないことがあることによって――秋元も同じことを言っていた――肯定される。私(たち)もパターナリズムを認めるのだから、ここでも真逆の立場には立てない。しかしその上で、どんな場合に、指図することになるのか。ここでは「可愛い子には旅」といったことしか言われていない。そしてここで問題なのは、「相手の状態を見分け」る確かな「診断技術」があるかないかといったことでは「ない」。「客観的な基準」を示していないことが問題なのではない。たしかにそれは不可能か、著しく困難である。問題は、その人の心身の状態だけでなく、どこまでをなぜ他人が本人に求めるかということ、このような問題が存在しているということであり、この問題の所在に臺が気づいていないようであることである。その人が暮らしていくのに、その人自身が心身をどううまく使えるようになるかということとともに、そうしたその人の「持ち分」、どれだけ自らががんばることになるのか、をどれほどに見るのかという問題が――もちろん精神科医は実際にその配分を変えられるわけではないのだが――ある。しかしそれは(「障害の社会モデル」が登場し、それに言及している後の時期においても)予め問題として立てられていない。」


UP:20090304 REV:20100712, 1013, 1115, 1201, 20110627, 0801, 0806, 0902, 20120214, 201300413, 0512, 0514, 0525, 1229
精神障害・精神医療  ◇生活臨床  ◇精神外科:ロボトミー  ◇WHO 
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