last update:2015
『そよ風のように街に出よう』という雑誌
http://www.arsvi.com/m/s01.htm
で、2007年から「もらったものについて」という題の連載をさせてもらっていることを前回述べた。8月刊行の号に掲載されている私の第14回
http://www.arsvi.com/ts/20150014.htm
の一部を前回に続いて掲載する。
なおこの文章のリンク付のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20152060.htm
横田弘は
http://www.arsvi.com/w/yh01.htm
『出生前診断を考える――一九九一年度生殖技術研究チーム研究報告書』は
http://www.arsvi.com/b1990/9209be.htm
CP女の会は
http://www.arsvi.com/o/c03.htm
今回の文章は短いのでリンク先を読んでください。
「横田との話・2
さて、横浜で横田を見かけたが、声をかけたりしなかった話の続き。その後、米本昌平らがしばらくやっていた「生命倫理研究会」というところ――私もメンバーだった――で、横田となにかがつきあいがあったらしい米本の提案で、だったと思うが、その研究会と神奈川県青い芝の会連合会のメンバーとが会う機会が設定され、それに私は出ている。ただ横田はその時に私がいたことを覚えてはいないと思う。
それは、私のまったくおぼつかない記憶によれば、その研究会が「出生前診断」をテーマにしていた頃のことで、青い芝でも男性と女性で立ち位置が違うといった話があって、女性の会員にも来てもらってというようなものだったと思う。青い芝の会の婦人部というものがあったのだが、さらに神奈川県青い芝の神奈川連合会から独立してできた「CP女の会」というものもあったりした。ちなみにこの会から『おんなとして、CPとして』(CP女の会編、九四年、CP女の会)が刊行されてもいる。そして、この会で活動し、そしてこの本でも文章を書いている内田みどりは今年の三月、七六歳で急逝された。映画『さようならCP』にある発言も含め、べつだん青い芝の会に限らず「新しい社会運動」にも女性差別・軽視はある。そもそも――実際七〇年に二歳の脳性まひの子を殺したのは母親だった(から)ということはあるのだが――「母よ!殺すな」という言葉自体どうなんだという指摘もある。そんな「問題意識」があったのだったかと思う。
ただそこでどんな話が出たのかは覚えていない(なにか記録とか出てきたらお知らせする)。その研究会は『出生前診断を考える――一九九一年度生殖技術研究チーム研究報告書』を九二年に出す。私はそこに「出生前診断・選択的中絶に対する批判は何を批判するか」を書いていて、それは『私的所有論』(初版九七年)の第九章「正しい優生学とつきあう」のもとになった。
ついでに、と書いていくと、いつもうそうなのだが、話は流れ流れて別のところに行くが、書いておく――と言っても、横田の本にせよ横塚の本にせかなりの分量書かれているのは、七〇年代初頭の優生保護法改定案の批判と、改定に対する反対運動のことだったのだから関係はある。」