HOME > Tateiwa >

技術水準に「健常者」が合わせるという方法もある・他

立岩 真也

last update: 201110116

*以下のシンポジウムの後半における立岩の発言部分のみ、とりあえず、掲載します。このシンポジウム全体の記録が公開される予定です。

◆坂本 徳仁・櫻井 悟史 編 2011/07/22 『聴覚障害者情報保障論――コミュニケーションを巡る技術・制度・思想の課題』,生存学研究センター報告16

◆2010/03/22 シンポジウム「聴覚障害者の情報保障を考える」,於:立命館大学衣笠キャンパス創思館1階カンファレンスルーム

立岩:それでは、後半の質疑応答、討論を始めさせていただきます。立岩です。
 4人の方からたくさんの話をうかがうことができました。今だいたいこんな感じになっているんだなということを皆さまもわかったと思うし、私も学ばせていただきました。
 この何十年かの間に、手話にしても、要約筆記をはじめとする方法にしても、進んできたことは間違いないと思うんです。いろいろなことがやられてきた。だけれども、足りないというか、そういう状況はやはり依然としてある。今までのように少しずつ進めていく、「前に」ということを続けていけば、やがては何とかなるものなのか。それに加えて、何かこう一工夫・二工夫、何か考えないといけないのか。そんな関心が私自身もありますし、皆さんにもあると思います。
 ようやくというかなんというか、手話が一つの言語であるということは、きちんと話を聞きさえすれば「うん」と言わざるをえない。「それはそうだろうな」っていうことにはなってきているだろうと思います。で、そういった人たちが一方におりながら、しかし、そういう方法でコミュニケーションするのではないの聴覚障害者の人たちもまたたくさんいる。それはほんとうに多様なかたちでいる。最初のご報告で高岡さんがおっしゃったことです。そうすると、いろんなことをいろんな形でやらなければならないというふうになる。それは当然だとして、具体的に、どういう方向から攻めていったらいいのか。そんな感じで話をしていきたいと思うんです。で、しばらく私から話をさせてください。
 最初の挨拶の時も申し上げたように、今のところ、私が勤めている先端研と略する研究科には聴覚障害の人がいません。ただ他方で、このぐらいのサイズの会議だとか、あるいはもっとたくさんの人が集まる学会の大会であるとか、そういう場合には、今日のように手話通訳の方、要約筆記の方にも来ていただいて、なんとかなるというか、なんとかするというかたちになってきた。
 ただ、それにしても今の現実としては限界がある。私も関係しているところだと、障害学会という学会が一つあって、そういった学会の場合は、これはその学会の使命というか、必須の条件として、やらざるを得ないから、やっている。では、他の学会でそこまでというか、そのぐらいはというか、やっているところがあるのか、と考えると、そう多くはないですよね。だけれども、そのつもりがあって、お金もいくらか用意できて、そしてまあそこそこの大きなサイズの集まりであれば何とかなる。ただ細かに分科会に分かれている場合はどうか。また、一人学生が来て、授業を受けたいんだけどもどうしようか、ということになったら、どうしようか。全部一人ずつ通訳者配置して、でよいのだろうとは思います。ただ、他にもないだろうかと。
 今日の午前中に報告されたアミボイスという装置というかソフトを使った試みについても、私としてはそんな思いがあります。そしてそこで明らかになったのは、このまま使えるようなものではない、ということであったわけです。
 ただ、それは事実その通りだとして、ここからがお話したいことなんですが、次をどう考えるかが大切だと思うのです。私が今一つ思っているのは、そしてこれは障害学の教えだと言ってもよいと思うんですが、その不出来なものに「健常者」の側が、少なくともその側も、付き合うというやり方もあるとということです。まだソフトは未熟だ、機械は未熟だ、けれども、そういったものを使いながら、他方の健常者、健常者社会の側が工夫して、相手、ここでは聴覚障害者の側に合わせるというやり方もあり得ると思うんです。
 たしかに今の性能のソフトではすごくタイムラグがでるわけです。今日最初に話した櫻井さんは、私の授業につきあってくれて、そのソフトを試してみてくれたんですけども、それを見てても、なかなか前途多難だなとは思うんです。そしてスピードだけのことじゃないんですね。滑舌が悪い私のような人が話すと認識率が落ちるといったことがある。では、私がしゃべるのを誰かが代わりにリスピークするっていう、結局人を一人増やすというやり方になるのか。けれどもそういうそれなりに大きな仕掛けを作るんではなくて、例えば私が少し、口の動かし方とかを練習して、そして、タイムラグが生じるんであれば、私自身がその画面を見ながら、「あ、だいたい表示し終わったな」と思ったら、次のセンテンスに進むっていうやり方もありだと思うんです。機械を使いながら、喋っている側が何か工夫をして、スピードを落としたりしていけば、私とその機械の二人三脚で少なくともスクリーンやディスプレイに映していく、そういう方法というのも一つにあるのではないかなと思うんです。
 すみません。長くなりました。いろんな工夫の仕方があるだろう、その場合に、いくらか発想を変えてみるとか、別の可能性がないか考えてみる、そんなことがいろいろとできるのではないか。そんなことをお話したくて、長くなってしまいました。
 さて、質問というか、お話を聞いていきたいと思います。ではどんなふうにこれから歩んで行こうかっていう、基本的にそういう話をしていきたいと思います。そして、お話ししていただいた順番通りではなくて、いろんな形の順番でお話ししていただこうと思います。
 一つは、今日、3番目にお話をしていただいた松本さんにお伺いしたいのですが、遅々とした歩みというか、だんだんと物事が進んではいる。だけれども、誰もが思うようにまだまだです。そういう中で、法律としてですね、「情報コミュニケーション法」という法律をつくり、実施することによってですね、状況を変えていこうというお話が一つあったと思います。それは現在構想中ということで、まだその具体的な像は松本さんたちの間でも確定はしていないのかもしれません。ただ、お話ししていただけるのであれば、今のところ何を、どういう形で、保障させるというか獲得していくというか。どういった法律にしていこうとなさっているのか、まずそのことをお伺いしたいと思います。よろしいでしょうか。 

松本:[…]

立岩:ありがとうございました。これは余計な補足みたいなところもあるかもしれませんけれども、「福祉サービス」という言葉をどの範囲で使うかということで、人によって捉え方が違うのかもしれません。ある種の恩恵として与えられるものというそんなイメージも確かにあります。そして、現在の法律ではそのサービスを使うと負担が生じる。そういうものでもあるのも事実です。ただ、人によってはというか、考え方によっては、サービスを受け取ったら、必ず負担が、相応の負担がついてくるものでもないと考えることはできる。そして福祉サービスというものを、与えられるというか、恩恵として、それから生活の限られた場面だけに使うことであると考えずに、もっと普通の、権利として使えるものだと考えるのであれば、これからのコミュニケーション支援、コミュニケーション保障というものが、福祉サービスの中にあるのか外にあるのかという議論は、もしかするとあまり生産的ではないのかしれないという感想も一つ持ちました。これから非常に重要な立法に向けての活動ものが始まると思いますので、期待して、というか、関心を払っていきたいと思います。
 それでは、少し話を移して、働き方ということが4人のお話の中にいろんな形で出てきたと思います。順番は特にどちらからでもいいんですけれども、4番目にお話ししていだたいた、近藤さん。近藤さんは聴言センター(京都市聴覚言語センター)の所長さんであり、私たちの企画にもずいぶんたくさんこれまで通訳を派遣してくれたセンターで働いておられる方でもあります。で、近藤さんはその派遣というやり方と、雇用というやり方があって、派遣というやり方がこれこれしかじかうまくいかなくなっているというご指摘をなさったと思います。それはそうなんだろうと思うんですけれども、他方の雇用っていうものを考えた場合に、それがどういったイメージになるのかということを、もう一段具体的に話していただければと思うのです。
 今現在のところでは、一定以上の利用が見込めるというか、そういった公共機関ですね、そういったところに、点々とそういったことができる人を配置する。それがかつては500人であったものが今1000人を超えて、というお話だった。そういう、各所各所に、手話ができる人、手話のコミュニケーション手段が取れる人を配置するという形で、雇用を増やしていく、同時に利用を増やしていくという、そういうふうに考えてよいのか、あるいは他のやり方があるのか。
 例えば、私は身体障害の方の介助のことしか知らないわけですけれども、そしてそれを安易に当てはめるということはしていけないことだとは思うんですけれども、たとえば、そういう身体系の介助を仕事とする人たちは、どこかの事業所に登録して、そこに雇用される形をとって、必要なところに出て行く。そういう雇用の形も一方ではあるわけですよね。その仕事は基本的には人に対するもので決まった場所にいるわけではない。人はいろんな場所に行きますし、行きたいですから、その必要に応じようとすれば、そういうやり方もよかろうとも思うわけです。そういったことを踏まえたうえで、今後の、手話通訳者、手話通訳者だけに限らず要約筆記も含めてですけれども、働き方というか、あるいは働く場所といいますか、そういったことの展望というか、あるいは、こうあってほしいというあたりを、お聞かせ願えればと思うんですが、近藤さん、いかがでしょうか。

近藤:[…]

立岩:ありがとうございました。今のお話くだっさのは非常に大切なことで、これは他の介助と少し違って、別の人を立てない、話をするその人自身ができるようになればよいという方向ですよね。今既にそこにいて、言葉を使う仕事をしている人が、プラス一つとか、プラス二つの言葉ができるようになってもらう。そういう方向の話でした。現任教育、今現在いろんな仕事にて就いている人に、対応能力を高める、そのための仕組みを提供するという、ご提案というか、今そういうふうに進めようとしてるというお話であったと思います。
 これは一つ、大きな方法として、今現在もそうですし、これから模索されることであると思います。それで、それを具体的にどう増やしていくか。言葉を覚えるというか、コミュニケーションの手段を一つ余計に獲得するというのは、私なんかのことを考えると、とても大変なことだと思います。すると、そうしたことを習得する人になにかいいこと、オマケ、報酬というか、そういうものをセットにするというやり方というのが一つ、必要なのかな、あるいは有効なのかな、ということも思った次第です。
 次に、人の働き方というか働かせ方という意味では同じなんですが、要約筆記のことで長年やってこられた三宅さんにおうかがいしたいんですけど。おっしゃったようにことの始まりとして、またとくに他に長い時間働くという意味での仕事があるわけではなくて、そういう意味ではわずかでも時間的な余裕のある、性別でいえば女性が、最初はまったくくお金なく純粋にボランティアという形で関わってきた要約筆記という世界がある。それがいくらかは認識され、いくらかはお金もつくようになってきたわけだけれども、しかし基本的な構造というか形というものはそんなに大きく変わってはいない。
 では、お金を取らずというのと違う形の、それこそ雇用というような枠組みの中に入れていくのか。そうした方がよいかどうかということと、できるかどうかということはまた別のことですけれども。僕は三宅さんの御報告を、これからどういう形態でということを、考え考え、お話しされたとお聞きしたんですけれども、要約筆記に関わる人たちの働き方というか、あるいはその社会の側から言えば、働いてもらい方というか、そういうことについて、見込みというか、希望というか、あるいは両方、お話しいただければと思うんですが、よろしいでしょうか。

三宅:[…]

立岩:ありがとうございました。どういう形でコミュニケーションをするのかということに対応してというか、やはり人の出方というか、あるいは離れ方というか、変わる、あるいは変わらざるを得ない。ざっとまとめるとそういう括りの話でもあったわけですが、そこでですね、今回一番最初にお話していただいた高岡さんにお伺いしたいのは、高岡さんのおっしゃったのは、皆さんその聴覚障害者というと、全然聞こえなくて、手話を言語としている人たちと思われるかもしれないけれども、そうでない人の方がずっと数が多くて、何百万人という数の人たちがいるとおっしゃった。それはまさにその通りだと思うんですね。そしてその部分に、これまで日が当ってこなかったというか、そういう状況がおかしい。それがその条約、あるいは国内法の整備の中で、もっとなんとかなっていくべきだし、その方向に、自分たちはやっていく。そういうお話だったと思うんですが、そうやって、幅っていうか、大きさというものがどんどん大きくなっていって、そして高岡さん自身がおっしゃるように、必要なもの、どういうやり方がよいのかということも、生まれながらなのか、途中なのか、少し聞こえるのか、全然聞こえないのか、その他もろもろによって変わってくるといった場合に、そういうものに応じた対応というのも多様になるべき、あるいはならざるを得ないだろうと思うんですけれども。それをある種の社会サービスというか、あるいは福祉サービスと言っても気にならないなら福祉サービスというものの中にですね、どういう形で落とし込むのか、例えば法律とか制度というものを作っていくのか。そのあたりについて、いまお考えのことを、あるいは全難連のほうで取り組まれていることとか、そういったものがあれば、おうかがいしたいと思うんですが、高岡さんいかがでしょうか。

高岡:[…]

立岩:ありがとうございました。最後にお話しになったことは、他の方々も今回かなりおっしゃたことだと思いますけれども、基本的に確認しておくべき大切なポイントだと思います。2人の間でコミュニケーションする時に不便なことがあって、そのために何か手立てを講ずる。それは、AさんのためでもあるしBさんのためでもある。でも、それをどこか理解を間違ってしまっていて、Aさん、つまり具体的には聴覚障害者のためである。で、新たな負担がどうとかこうとかっていう話を私たちはしてしまうことがあるんだけれども、それはちゃんと考えれば、基本から間違っている。このことの確認といいますか、これは非常に重要なことだと思います。それが一つです。
 それから最初の方でうかがったのは字幕のことでしたけれども、例えば字幕放送だと、いっぺん仕掛けができてしまえば、利用が増えていくにつれて、ひとり一つあたりのコストが下がっていくという種類のものであるわけですね。規模の経済とかという言葉もありますけど、複製可能で、ひとりに使える同じものを別の人にも使えることもある。
 私が少し関わっている視覚障害の人たちのことでいえば、彼らは墨字が読めない、だけど、聞いたり、あるいは拡大して読むことはできるので、テキストデータというか、コンピューターで読めるデータにすればいいんです。だけど、これまでそれがおおっぴらにできないということがあって、一人ひとりの人間が誰か、ボランティアであるとか、お金を払って頼んで、自分が読みたい本のデータを入手する。だけどまた別の人が同じ本を読みたくなったら、また全然別経路で、同じ手間をかけてもらって、そのデータを手に入れる。今まで著作権法の絡みがあって、そういうふうにしかやってこられなかったんですね。それが今年変わって、もっと、例えば図書館、大学の図書館が責任を持って、それをやる、やるべきである、やってもいい、ということになりました。そしたらいったんデータができてしまえば、それを2人で、3人で、4人で、もっとたくさんの人で使うことができる。そうすれば、1回あたりのコストは下がっていくんですね。そういったものも、この世の中には、数えていけばけっこうあるんです。で、字幕とかというのもそういった種類のメディアというか、そういったものなんですね。それから、さきほどのアミボイスっていうソフトも、これは内容のコピーではないんだけれども、あるやり方でやっていけるということになれば、同じ手間で同じものを使っていくことができる。で、それがどこまでこれからやっていけるのかなっていうのが、今日最初の報告に関わる部分だと思います。
 ただですね、コミュニケーションというのは、それをどんなに進めていっても、最終的にはというか、1対1で、その場その場でするからよいという部分がある。だから最終的には、もうこれからやっていったら、もうそれは午前中の坂本さんの話のなかに出てきたけれども、どこかで腹をくくって、いまの何倍もお金を使ってやってくっていう覚悟ですね。それを実定法というか、法律の中で書き込む、そういったことを一方で追求する。しかし、しかしではなくて、同時にですね、これはもっと楽な方法がある、簡単な方法がある、割安な方法がある、それはそれでやっていくということもまた追求していくべきだろうと思います。一方でそうやって楽になっていけば、一個一個の、個別の部分、個別性の高い部分に、よりその多くの資源を使うこともまた容易にはなっていくだろうと。

 さて30分までというふうにいちおうなっておりますが、私はもう十分に喋りましたし、プログラムにある私の話の時間なんてのはいらないんで、あと30分の時間は使うことができます。質問に対して非常に手短に答えて下さった方もいましたし、そうでない方もいらっしゃると思います。ということで、各自、喋り足りないところがあるかと思いますので、それは最後に短くいくつか、順番にお話ししていただくとしてですね、今日は長い時間ここにお集まりいただいてここに参加して下さった方々の中から、いくつもは取れないかもしれませんけれども、質問といいますか、壇上にいらっしゃる方に聞きたいということがありましたら、手を挙げていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
 では、後ろから2番目の、黒い服を着た。

[…]

立岩:ありがとうございました。近藤さんにということで、いまの質問というか、提起は、役所というか公的機関の場所場所に通訳のできる人がいる。それはそれでよかろう。しかし、そういう場所だけで生活しているわけではない。生活のもっと様々な場面において、手話なら手話のできる人を必要とする。とすれば、その場面で、必要な手話の通訳の提供というものがあってほしい。そういう意味で言えば、それだけでは足りない。そこんところはどうなのかというご質問と私は受け止めました。いかがでしょうか。

[…]

立岩:ありがとうございました。そうですね、派遣されるというかたちの人が雇用されるということがあると思っていて、その話を続けたい気持ちもあるんですが、先ほどからご質問の方がいらしたので、そちらを優先したいと思います。臼井さんだけでしたっけ。僕がさっき確認したのは2人手が挙がったんです。臼井さんです。

[…]

立岩:はい。今のご質問は、特に誰ということではなくて、我々の社会、我々の国は、これまでこんな形で進んできた。けれども、もっと別の形もあり得るんじゃないか。それは、いま臼井さんの発言の前半でいえば、一人ひとりの生活の場面で、コミュニケーション自体のために人がついていく。そういう形もありうる。例えばそういうことに関わって、いまの日本のやり方、仕掛けとは違うやり方というものがどこかにある、知っている、ということであれば教えてほしいという質問だったと思います。これはどなたでもけっこうですので、何か有用なといいますか、情報があればと思いますけどいかがでしょうか。
 はい、どうぞ。

松本:[…]

近藤:[…]

立岩:ありがとうございました。本来であれば、研究者が、各国の制度の在り方をちゃんと調べて、比較可能なものにして、あるいは利用可能なものとして提示するっていうのが重要な仕事の一つであろうと思いますけれども、どこまでできているんだろうかと。
 ただ、いま、たとえば言葉にもされましたダイレクトペイメントっていう仕掛けにしても、メリットもデメリットも両方あるんですけれども、これに関して言えば、身体障害に関わる当事者サイドの運動も、それからそれとともに歩いてきた研究者もですね、オランダのやり方であるとか、イギリスのやり方であるとかを学んできた。そこのあたりはけっこう使えるかもしれないというものを、日本で独自に歩んできた歩みとともに、使っていこうという流れがあります。昨年の秋も、我々がCOEの企画で、イギリスからサイモン・プリドーSimon Prideaux)という方をお呼びして、イギリスのダイレクトペイメントのやり方について話をうかがったばかりです。
 そういう意味で、他の国のやり方を仕入れる、それを並べて、比較して、使えるものをきちんと使っていく。それは逆に、使える使えると僕らが思っているものが、思うほど使えるものではない。たとえば、午前中の報告にあったように、ADAというのが、なぜかっていう話をすると長くなるからやめますけれども、期待通りには機能していない。ただ、そういうことを認識することは必要なわけですね。ではうやっていくのか、よりよい方法はあるのか、あるいは合わせ技でいく。そういうことが、いろいろこれからのものとしてあっていいだろうし、あっていいというよりはあるべきなんだというふうに思います。
 さて、時間としてはあと15分ですが、引き続きご質問があればいただきたいと思います。1、2、3方いただきました。これでほぼ、時間的には終わりになるということで、勘弁して下さい。
 まずこちらの方、こちらの方、こちらの方という順番にしたいと思います。

[…]

立岩:では、最後に4人の方に話していただくことを含めて、4人の方には各人の発言を覚えていただいてですね、最後のスピーチというか、発言の中にこう、折り込んでいただくという形でお願いしたいと思います。
 今承りました、こちらの方、お願いします。

[…]

立岩:ありがとうございました。

[…]

立岩:これで、先ほど私が確認した3方は終わりだと思いますが、どうしてもというか、あの、おありの方いらっしゃいませんでしたよね? ああ、けっこういましたね。では最後ですけれども。

[…]

立岩:ありがとうございました。ではパネリスト一人ひとりにお渡しします。聴導犬のお話がありました。それから、生涯学習について、例えば趣味で何か知りたいけれどもその時に手話通訳がついて、そのお金が、というお話。それから、技術として、何か新しいもので使えそうなものはないかというお話もありました。それから、参政権も含めて政治参加に関わる障害、聴覚障害の状況で今現在のところどうなのか。ということがありました。そしてさらに、とにかくいろんなところでずれる、そのずれというのをどうするか、というところが最後に。で、ずれた時に、ずれが終わるまで待つというやり方と、例えば脳性マヒで言葉が聞き取りにくいとかコミュニケーションが難しい、というのはそれをちょっと無理をしてでもやってきたという過去の経験もあったりする。それと同じところもあれば違ったところもあるな、と思いながらお聞きしてたんですけれども。私の方からこういう話があったということで、さて、どういう順番がよろしいでしょうか。どうしましょうか。こっちから行きますか。ではどうぞ。

三宅:[…]

近藤:[…]

松本:[…]

高岡:[…]

立岩:はい、ありがとうございました。一つ最後の方に出た問い、どういう場面でコミュニケーションを保障するのかっていうけっこう大きな問題が実はあったと思います。もちろん、重要な活動、アクティブな仕事に、っていうのはそれはそうだろう。で、次にその、いわゆる生涯学習とか、それも大切だと主張してそうやって広げていくやり方もあるんですけど、ただ、私が辛うじて知っている別の障害のジャンルで言えば、アクティブであろうとなかろうと、重要なことをやっていようがやっていまいが、ただの遊びであろうがなかろうが、必要なものは必要だと、それは保障されるべし、と。それはすぐに実現されたわけではないですし、今も実現されてはいませんけれども。そういうスタンスで、先は遠いかもしれないけれども原則としてはそう言っていくのがやっぱり大切なことかなと。ここはなかなか考えどころといいますか、これからなんだなということを最後に思ったりもしました。私自身、暮らしためには何でも、って言った方がよいんじゃないかなって思ってものを書いているので、そう思った次第です。
 で、最後その話になってしまいましたが、時間がですね、申し訳ない、もう15分すでに延長されておりますので、今日朝10時から7時間、みなさんどうもありがとうございました。皆さんに、パネリストの方々に、拍手をもって終わりたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)


UP:20110116 REV:
立岩 真也 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)