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Bioethics

立岩真也 2009
『Japanese Book News』62.,Sharing Japan's Masterpieces with the World
国際交流基金:http://www.jpf.go.jp/
http://www.jpf.go.jp/JF_Contents/InformationSearchService;jsessionid=EB5027541DB8D7BAB77FEDC5FF37470A


  *掲載予定PDF英語原稿
  *英語版htmlファイル

  米国や英国におけるバイオエシックスを紹介し解説する本が、日本では1980年代半ばから出版されるようになった。またGeorge J. Annas、Howard Brody、Hugo T. Engelhardt、Leon R. Kass、Helga Kuhse、James Rachels、Peter Singer、Robert M. Veach等の研究者の専門書の翻訳も数十冊か出版されている。Encyclopedia of Bioethics, 3rd ed.の翻訳も2007年に刊行された。そして近年では学校教育において使用される教科書・参考書、また医療の現場での対応法について書かれる本なども多く出版されている。
  このように日本において、一方で、バイオエシックスは移入され、受け入れられ、そして実際に使われるものになっている。だが、それだけがこの数十年の間に日本に起こったことではなかった。生命についての思索と実践は、バイオエシックスの進展と連動する部分もありながら、それとは独立して、それ以前から存在してきた。
  とくに1960年代以降、公害・薬害による身体・生命への加害が批判され、精神病院での扱いなど医療の場に存在する問題が明るみに出された。また、1970年代初頭から、優生保護法(Eugenics Protction Law)の改定に関わり、出生前診断(prenatal diagnosis)・選択的中絶(selective abortion)について、女性たちの、また障害者たち(people with disabilities)の議論がなされた。1970年代末に、安楽死(euthanasia)の合法化の動きが起こるとそれに対する反対運動が起こった。さらに様々な新しい技術の受容の是非についての議論があった。
  これらについて書かれた本はそれほど多くはないが、それでも何百冊かはある。ただ、その多くは学術的な書物として書かれ出版されたものではなかった。
  これらの出版物を紹介することも含め、日本における歴史を振り返り、その意義を検討し、考察を発展させ、そしてそれを世界に知らせる必要がある。そうした本がまったくないわけではない。最近の著作として Masae KatoのWomen's Rights?: The Politics of Eugenic Abortion in Modern Japan, 2009, Amsterdam Univ. Press [amazon]がある。また、William R. Lafleur, Gernot Bohme, Shimazono Susumu eds. Dark Medicine: Rationalizing Unethical Medical Research (Bioethics and the Humanities, 2007, Indiana Univ. Press[amazon]に収録された4本の論文が日本の動向を紹介している。ただまだまだ少ない。これからの課題である。
  その際の困難は、日本で考えられそして主張されたことと、バイオエシックスの主流において言われていることとの間に深い断絶があることである。それは大きくは2つである。一つは生命の質(quality of life)に関わる価値判断であり、一つは自立(autonomy)という原則である。もちろんどんな社会でも、人々がよい暮らしを送れることは大切であり、また一人ひとりの思いは尊重されるべきである。そのことは当然日本でも主張された。しかし、バイオエシックスにおいて、QOLとautonomyは、人の存在・生存を凌駕し、ときに否定する位置に置かれる。このことに疑義が呈せられてきた歴史が日本にある。
  もちろん、人と人の間に、社会と社会の間に差異があるのは当然ではある。しかし、この場面で差異を生じさせるものは、人や社会の随分と深いところにあるように思われる。バイオエシックスの領域に限らず、疑われたことのない前提が学問の体系の土台にあるように思わる。それを共有しないと議論が成立しないように思われる。伝えることの難しさを私もまた経験することがある。
  ただこのことは同時に、私たちからの発信に意義があることを示すものでもあるだろう。私たちは、バイオエシックス主流と異なる考え方が日本や東洋に特殊なものであるとは考えていない。それは、体系立った学問として存在するものではないとしても、世界中に存在している。また理論的に一貫した普遍的な主張であるとも考えている。言説を集積し、考察し、多言語で発信していきたいと考えている。私たちの立命館大学・グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点(Global COE Program of Ritsumeikan University, Ars Vivendi : Forms of Human Life and Survival、http://www.arsvi.com/a/index.htmも、その拠点の一つとして活動していくつもりである。

森岡 正博 2001 『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』、勁草書房
 http://www.lifestudies.org/
 http://www.lifestudies.org/lifestudiesapproaches00.html
  1970年代以降のフェミニズム――例えば田中美津(たなか・みつ)の著作――と障害者運動の主張を検討することから、優生学の否定の根底にあるものが何であるのかを論じている。著者の森岡は「生命学(life studies)」を提唱、英語のサイトhttp://www.lifestudies.org/を運営している。

荻野 美穂 2008   『「家族計画」への道――近代日本の生殖をめぐる政治』,岩波書店
  生命倫理学の著作ではなく、歴史学の領域の業績。子どもを「つくる」かどうかは計画的に決めるもの、という考え方はどのようにして「常識」になっていったのか。その道筋が、明治期から現代までの言説をたどりつつ考察される。

田中 美津 1972 『いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』,田畑書店→200107 新装版,パンドラ
  学問的な著作ではなく、1970年代初頭、日本に起こったウーマン・リブの中にいて、その時代とその運動を象徴するとされる人の著作。生命倫理学と、思考の形も文体もとても異なっている。非論理的に見えるし、そのように評されもする。しかし、生命倫理学の論理的な整合性とされるものが前提を疑わないことによって維持されているのなら、むしろ、この書の方が思想に対して誠実なのかもしれない。

■立岩真也 1997 『私的所有論』、勁草書房
 http://www.arsvi.com/ts1900/1997b1-e.htm
  近代社会の構成の基本に置かれる所有概念を批判し、別の価値・規範が人々に存在することを主張する。生殖技術(reproductive technologies)、優生学(eugenics)等についての考察も含まれる。英訳作業がほぼ終了しており、出版社を探している。

■立岩真也 2008,2009 『良い死』『唯の生』、筑摩書房
 http://www.arsvi.com/ts2000/2008b1-e.htm
 http://www.arsvi.com/ts2000/2009b1-e.htm
  前者では、自律的で、自然で、他者のための死(Autonomous, Natural and Altruistic Death)としての安楽死について考察した。これらの価値を肯定することから安楽死の肯定が導かれるわけでないことを証した。後者では、一つ、日本におけるターナミナル・ケアをめぐる言説の推移を検証した。とくに、資源の有限性という了解が人々に分け持たれるようになった経緯を記述している。もう一つに、諸論者の議論を検討した。まず、シンガーとクーゼの「脱人間中心主義」の主張を検討し批判した。他に、加藤秀一、小松美彦(よしひこ)、清水哲郎(てつろう)、小泉義之といった日本の学者の議論を検討した。


UP:20091026 RVSD:20091201, 04
生命倫理(学)  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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