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森岡 正博

もりおか・まさひろ
Morioka, Masahiro : English Page
http://www.lifestudies.org/
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・森岡 正博(もりおか まさひろ)
・専攻:生命学
・大阪府立大学
・生命倫理研究フォーラム(現在休止中)世話人

 ホームページ
 http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/index.htm
 英語ページ(20000221正式公開)
 http://www.lifestudies.org/
×http://www.lifestudiesnetwork.com/
×http://homepage1.nifty.com/lifestudies/

◆kinokopress.com(きのこプレス)
 http://www.kinokopress.com/index-j.htm

 ※以下は,ひとまず立岩がまとめたもので,他にも多数あります。
  森岡さんのホームページでご覧ください。

◆20091108 新聞記事「自分なら、どうする:子どもからの臓器移植可能に――法改正で、来年から日本でも」 『京都新聞』

◆20090327 JUNKU大阪トークセッション・森岡正博×立岩真也「生死を決める、その手前で」

◆20090220 『33個めの石――傷ついた現代のための哲学』,春秋社,200p. ISBN-10: 4393332911 ISBN-13: 978-4393332917 1575 [amazon][kinokuniya][JUNKUDO] ※

◆20060811 「米国の障害者運動の現在」
 『DPI われら自身の声』22-2:30-32

※言及:
立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.

◆20050210 『感じない男』,筑摩書房(ちくま新書),181p. ISBN-10: 4480062211 ISBN-13: 978-4480062215 \714 [amazon][kinokuniya] ※ m30 s00

◆20031005 『無痛文明論』,トランスビュー,451p. ISBN:4-901510-18-5 3990 [kinokuniya][amazon][bk1] ※ b

◆20030112 書評:『障害学の主張』
 『信濃毎日新聞』2003/01/12
 http://www.lifestudies.org/jp/shinano01.htm

◆20011110 『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』,勁草書房,477+17p. ISBN:4-326-65261-6 3990 [amazon][kinokuniya] ※
 http://www.lifestudies.org/lifestudiesapproaches00.html
×http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/seimeigakuninaniga.htm
 cf.立岩 真也 2002/02/25  「森岡正博の本」 (医療と社会ブックガイド・13)
  『看護教育』43-02(2002-02):118-119(医学書院)

◆200011
 "Commentary on Tsuchiya
"  Eubios Journal of Asian and International Bioethics 10 (6) [November 2000],
 pp.180-181.
 http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~macer/EJ106/ej106d.htm
 →
 Takashi Tsuchiya 200011
 "Why Japanese doctors performed human experiments in China 1933-1945"
 Eubios Journal of Asian and International Bioethics 10 (6) [November 2000]
pp.179-180.  http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~macer/EJ106/ej106c.htm
◆200010
 「臓器移植法『本人の意志表示』原則は堅持せよ」
 『世界』2000-10
 (厚生省研究班案に対する反論と対案)
◆200102
 「日本の脳死法は世界の最先端」
 『中央公論』2001-02

◆19861001 「生命倫理いま問われているものは」
 『中央公論』101-11:088-098 ※COPY
 (特集・生と死の操作はどこまで許されるか)
◆1987   「パーソン論の射程――生命倫理学と人格概念」,
 日本倫理学会編『倫理学年報』36:137-151
 →1988 「パーソン論の射程――人格理論か他者理論か」,
 森岡[1988:209-238] <210> ※
◆1988   『生命学への招待――バイオエシックスを超えて』,
 勁草書房,269+11p. 2300 <165>
◆19880501 「「脳死」身体の各種利用はどこまで許されるか」,
 (森岡 正博・赤林 朗)
 『中央公論』103-5(1988-5):256-268 <212>
◆19880501 「書評:コウレン『生と死の演出』」
 『からだの科学』140:111 ※COPY
◆19890306 『脳死の人――生命学の視点から』 東京書籍,237p. ISBN-10: 4487752183 ISBN-13: 978-4487752188 [amazon][kinokuniya] ※ 
→19910614 福武文庫,259p. ISBN-10: 4828832025 ISBN-13: 978-4828832029 [amazon][kinokuniya] ※ 
→20000720 『脳死の人――生命学の視点から(増補決定版)』,法蔵館,271p. ISBN-10: 4831856037 ISBN-13: 978-4831856036 \2520 [amazon][kinokuniya] ot ot-bg 
◆1989   「臓器のリサイクルと障害者問題――一つの問題提起として」,
 『毎日新聞』1989-4-21夕刊
 →1991 森岡[1991([1989]文庫版):236-239] <212>
◆1989   「アメリカにおける<脳死身体>を利用した医学的研究」,
 (赤林 朗・森岡 正博)
 『医学のあゆみ』148-12:819-820 <211>
◆19900331 「遺伝子治療の倫理問題」
 加藤・飯田編[1990:63-67] ※<428>
◆1990   「周産期看護をめぐる「当事者」の問題」(座談会),
 (森岡 正博・土屋 貴志・斎藤 有紀子)
 『助産婦雑誌』44-7:8-12(562-566) <205>
◆1990   「売春と臓器移植における交換と贈与」,
 (井上 章一・森岡 正博)
 『日本研究』2:97-106→井上・森岡[1995:39-58] <20>
◆1993a   「地球生命倫理としてのバイオエシックス――V・R・ポッターの「バイオエシックス」論再考」,
 加藤・飯田編[1993:110-119] <21>
◆19930425 『意識通信――ドリーム・ナヴィゲイターの誕生』
 筑摩書房,219p.  1950 <169-170> ※
◆19941020 『生命観を問いなおす――エコロジーから脳死まで』
 筑摩書房,ちくま新書012,205p. 680<205,211> ※
◆19941130 『電脳福祉論』
 学苑社,201p. 1500 ※
◆1994   『「ささえあい」の人間学』,
 森岡 正博 編 法藏舘,359p.
◆1995a   「生殖系列細胞の遺伝子治療をめぐる倫理問題」,
 「科学技術の発達と現代社会II」運営委員会編[1995:190-197] <428>
◆1995b   「解説 ディープ・エコロジーと自然観の改革」,
 小原編[1995:(3)106-116] <269>
◆1995c 「日本におけるフェミニズム生命倫理の生成過程――70〜80年対優生保護法改悪反対運動が提起するもの」
 『生命倫理』5-1(6):60-64 <716>
◆1995   「八〇年代生命主義の行方」(座談会),
 (森岡 正博・上田 紀行・戸田 清・立岩 真也・佐倉 統・鈴木 貞美)
 鈴木貞美編[1995:269-278] <165>
◆1995   『男は世界を救えるか』,
 (井上 章一・森岡 正博) 筑摩書房,195p. ※
◆養老 孟司・森岡 正博 19950401 『対話 生命・科学・未来』,ジャストシステム,254p. ISBN-10: 4883090892 ISBN-13: 978-4883090891 1835
→20030210 『対論 脳と生命』,ちくま学芸文庫,286p. ISBN-10: 4480087451 ISBN-13:978-4480087454  945 [amazon]
◆1996   『現代生命論研究――生命と現代文明』,
 (早川 聞多・森岡 正博 編)
 国際日本文化研究センター,日文研叢書,339p.
◆19960130 「引き裂かれた生命」
 『仏教』34:058-070 ※
◆19960308 「「死」と「生命」研究の現状」(overview)
 『病と医療の社会学』(岩波講座現代社会学14):223-238
 http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/library01/shi01.htm
◆19960310 『宗教なき時代を生きるために』
 法藏舘,229p. 2000 ※
◆19970619 『自分と向き合う「知」の方法――考える力をどう磨くか』
 PHP研究所,235p. 1333 ※
◆20050710 『生命学をひらく――自分と向きあう「いのち」の思想』,トランスビュー,194p. ISBN:4901510347 ISBN-13:978-4901510349  1680 [kinokuniya][amazon] ※

翻訳

Brody, Howard 1975 "The Morality of Abortion"
    →1981 Arthur ed.[1981],
    →1983 Beauchamp ed.[1983:120-130]
    =1988 森岡正博訳,「人工妊娠中絶の道徳性」,
    飯田編[1988:168-176] <212>
Tooley, Michael 1972 "Abortion and Infanticide",
    Philosophy & Public Affairs 2-1(Fall 1972), Princeton Univ. Press
    →1981 Arthur ed.[1981]
    =1988 森岡正博訳,「嬰児は人格を持つか」,
    加藤・飯田編[1988:94-110] <210>
―――――  1984 "In Defense of Abortion and Infanticide",
    Feinberg ed.[1984:120-130]
    (飯田編 [1988:166-167]に森岡正博の紹介) <210>

 

□パーソン論批判

 森岡はABCを紹介し批判している(森岡[1987→1988:209-238])。批判は三
点だが、第一点目が中心的な批判である。
 第一に、「パーソン」であることと「生存する権利」とのつながり。「なぜ<パ
ーソン>であることが<生存する権利>を持っていること結び付くのか…。<パー
ソン>という概念がア・プリオリに<生存する権利>という概念を内包しているの
でない限り、パーソン論が主張する論者たちは、この二つを同定する必然性につい
て明確な説明を行わなければならない。」
 第二に、「パーソンの範囲が生物学的ヒトの範囲の内側に「不可避的」に設定さ
れてしまうこと、そして自己意識をもっていない人間がパーソンである可能性につ
いて議論するための「枠組」をパーソン論を所有していないこと」。
 第三に、「胎児はパーソンではなく従って生存する権利を持っていない、という
ことを認めたとしても、それはただちに「胎児を殺してもよい」ということを導き
はしない。すなわち「生存する権利をもっていない」ことと、「それを殺してもよ
い」ことは、さしあたって別問題なのである。」

 ※は生存学資料室にあり

◆『生命学への招待』について

 森岡は『生命観を問いなおす』で、「私は一九八八年に『生命学への招待』(勁草書房)という本を出版し、そのなかで「生命学」という学問を提唱しました。そして、人間中心主義を克服する思想として「人間非中心主義」の思想が必要だと主張しました。」しかしその時には、「他の生命を犠牲にしたり、利用したり、搾取することもまた、「生命」の重要な本質であるということ」に気がついていなかった、「ロマン主義に私自身が陥っていた」と述べ、「満足しているのは第10章の「姥捨山問題」だけです」と述べる(pp.199-202)

■言及

◆立岩 真也 2000/03/05 「選好・生産・国境――分配の制約について(下)」
 『思想』909(2000-03):122-149 関連資料
 「★18 […]森岡正博が「姥捨山問題」について論じている(『生命学への招待』、勁草書房、一九八八年)*。「私が苦しむのがいやだという利己的傾向が姥捨山行為を生み、その姥捨山行為が今度は再び私を苦しめる。それにもかかわらず、姥捨山行為を生む原因となった利己的傾向を、私たちの多くは、決して克服することができない。…姥捨山問題が生じる状況において、正論の倫理学は不毛である。」(二四六−二四七頁)問題の源泉を、しばしば何か外側にあるもの、私(たち)ではないものに求めてしまうことに対し、そうではないのだと森岡は言う。この指摘は重要である。森岡は、後に、とくにこの部分が彼のこの最初の著書で引き継いで考えるに値する部分だとして、考察を継いでいくことになる。ただ、一人一人にあるものから考えようというこの方向は、かえって「欲望」「文明」(大文字の)「システム」といった、かなり普遍的なもの、一般化されたものを説明項としてしまうことにもなりうる。すべてが説明されるとも言えるが、それで終わってしまうことにもなる。(それは「欲望」が単一のものであることを意味しない。むしろ右の引用からもわかるように、複数の相反するものが同時にあることがふまえられる。ただ、両極の二つのものが立てられると、すべてのその二つのいずれかの割合での組み合わせで「説明」されてしまう。)私は、現実にはいくつもの仕掛けがあり、もう少し細かな多様な線が入っているだろう、まだら模様があるだろうと思う。(註(25)でも関連したことを少し述べる)。例えば「ケア」について語る「哲学的」「思想的」な言説の多くが、基本的に正しいことを語るのだけれども、そして聴くべきことも多いのではあるけれども――うるわしいものについて語ってしまう分、「姥捨山問題」を正面に持ってきてしまう森岡よりもさらに――関係や社会の構成、屈折、現に作動している力学、力関係を略してしまって、その結果、時に出口が違ってしまったりする。相当数の要素・部品の性質とその組み合わせについて考える必要があるのだが、それを十分に考えていくことができたら、そこから可能な社会のあり方を考えることができると思う。それは(「人文科学」との棲み分けにそうこだわることもないのではあるが)「社会科学」のする仕事としてなかなかおもしろい仕事だと考えている。
 『現代思想』二〇〇〇年三月号が「介護」を特集するが、それに掲載される論文では、このような視点からもいくらかのことを述べる。」

◆立岩 真也 2002/02/25 「森岡正博の本」(医療と社会ブックガイド・13)

  『看護教育』43-02(2002-02):118-119(医学書院)


REV:...20031003 20040821, 20091024, 1111, 20110209, 1011, 20121206 
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