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『障害の地平』No.96
視覚障害者労働問題協議会
編 19980729 SSK通巻第1249号;身体障害者定期刊行物協会,20p.
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last update: 20210528
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視覚障害者労働問題協議会
編 19980729 『障害の地平』第96号,SSK通巻第1249号;身体障害者定期刊行物協会,20p. ds. v01
■全文
表紙
SSKー障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のためにー
子宮から墓場までノーマライゼーション!
ー視労協ー
障害の地平 増刊 No.96
上期活動をふまえて
視覚障害者労働問題協議会
一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日・0の日発行)
一九九八年七月二九日発行SSK通巻一二四九号
目次
あんなこんな視労協 的野碩郎…1
視労協の街づくり ーこれからの課題ー 森登美江…7
視労協が視労協である為に(1) 宮昭夫…8
都営地下鉄三田線ワンマン化へ …13
ビックウェーブ98 小林順子…14
ノーマライゼイションは教育現場から 宮城道雄…15
素直さと温かさと苦悩の日々 大里暁子…18
編集後記
p1
あんなこんな視労協 ~上期活動を振り返って~
的野碩郎
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視労協の存続が決定してから5ヶ月がたとうとしている。特別変わったことは何もないといえば嘘になるかもしれないが、表向きはさほど変りばえしない。相変わらず限られた人によって活動がつくられていき、外との関わりも少々力量不足ではあるが続いている。時期も丁度上期から下期へと移るところで、下期の日程や交流大会(3月)に向けてどのように展開したらいいのかと思案する時にもなっている。変わらずの少ない人数はネックになっていて、「どうしょうか、どうしょうか。」と悩みだけが続く毎日。でも、曲がりなりにも残した視労協を今年度は基盤づくり、少なくとも去年の形には持って行かなければと思う。
まちづくりと交流をこなすだけで手一杯というところではあるが、通信や機関紙、そして三療を含む労働問題、DPI活動への参加も残したのだから一定度こなす事もしなければならない。去年から引きずっている手をつなごう集会やヘルスキーパー制度可連などまったく責任のもてていないつながりもある。
これが現状だ。これが力量だ。これが障害者運動の今だといってしまうのは実に簡単でいつでもすぐに身を引く事もできそうだが、それでは余りにも惨め過ぎる。障害者運動と肩を並べて育った自分自身の歴史や、社会に対して怒りをもってうちおろした自分自身の歴史はどうなるというのか。
視労協は来年度25周年と機関紙「障害の地平」100号と
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いう年にあたる。多分来年度の方針案にはそのイベントが10月(視労協誕生日)に行われるであろうが、そう考えるとくよくよ、ぐじぐじという僕のほうがみっともないという事になる。
2
視労協のまちづくりは、視労協と友好企業との点検と分析、視労協と、まちづくりを中心として掲げている友好団体との点検、分析、交渉、そしてまちづくりに関連する組合との点検、資料作り、交渉という大きく3つのつながりからできていて、その他に行政からのアンケートや点検という提起に個人的に参加するという取り組みをしている。その3つの歯車が上手に回る時 には視労協の気分も最高であるが、例えばその活動が障害者主体でなかったり、名声を高める事だけに終始するとしたら不協和音を生み出してしまう。将来的には連絡協議会形式にでもして意見交換、情報交換の場や分析の場、資料作りの場、交渉の場という展開になった方が無駄な点検の繰り返しや微妙な意見の違いの調節ができ、よりインパクトのある交渉づくりができると思える。
今年度、最も視労協の鉄道駅に関する問題点の中心はホーム柵、ホームドアを大上段に提起していこうという事である。高齢者、子供、妊産婦、障害者いわゆる移動制約者にとっては大事な主張、共通した主張となる。今まで車椅子使用者との間では、エレベーターを付ける事と低床バスを走らせる事を中心に共闘して全国交通行動を展開してきたが、どこか視覚障害者の参加も少なく、今一つ力が入らなかった気がする。東京では、ホーム柵は東急池上線、ホームドアは営団地下鉄南北線とゆりかもめ。近いうちに立川の方にモノレールができ、ホームドアに、また視労協の会議の拠点、田町の都営地下鉄三田線にホー
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ム柵という話が聞こえているが、安い予算や設計段階、設置段階に障害者を参加させていない動きには非常に怒りを持たざるをえない。
視労協のまちづくりのもう一つは公園点検にある。尾張一ノ宮のリーディングラインや大阪関西臨空公園のパイプラインなど、泊まりがけの点検もしながら、東京都における日比谷公園をはじめとする都立公園へと調査を延ばしているところである。触地図案内板、音声誘導システム、出入口の点字ブロック、園内の交差点の道標など、早急な決断が必要とされる段階、つまり視覚障害者の統一見解や業者の決定、予算の割振りなどの時期を迎えている。一つの正念場でもある。
音声誘導システムもおろそかにはできない。どの方法が最もよいのか早急に視労協に問われる。企業間の競り合いや機種の改善など、障害者側が後手にまわらない事を願いたい。視労協の下期から交流大会、そして来年度と大事なテーマ、引き続いて地道につなげていく活動である。
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視労協の今年度の三本柱の交流に関して、上期においては2つの特徴が見られたと思う。1つは独自の企画、もう1つは他の団体との協力、共闘、共催というやり方である。また単なるレクリエーションだけの企画と、学習や点検などとの抱き合わせの企画という2つのやり方も取り入れているのが特徴と言える。
例えば、都庁の点検と食事会をセットするというやり方だったり、カラオケを会員外にも広く呼びかけてとことんやるというあり方である。また、ちがう角度から見ると視覚障害者に視覚障害者が指導するというあり方を模索している。創意工夫し
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ながら障害者の立場に立ちさって教えるというやり方は大変さを抱えこんでいるが、障害者が健常者社会に妥協をしない共に生きる提起としてのあり方だと思う。上期では手作りそばに挑戦した。結果、ほうとうのようなもの、粉っぽいもの、様々なできであった。
毎年の事だが泊まりがけの海水浴は極限への挑戦となる。今年は救助班の登場で一躍有名になってしまった。
視労協の交流の根底にはとことんとか、究極とか、そこまでやるのかという場面がある。20・30代の、視労協では若い人達の参加も交流にはけっこうあって、視労協の活動へのパイプ役として交流場面が期待されるところである。
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学習会のテーマは山ほど転がっているのだが、なかなか学習会を大提起できるというところまでいかない。
学習会のネタとしてはDPIへ参加するなかにけっこうある。例えば中央社会福祉審議会から出された「社会福祉基礎構造改革」の分析と意見。法務省が見直しをしようとしている「青年後見制度」への分析と意見。また、三療(按摩・マッサージ・指圧、はり、きゅう)にも密接に関係し障害者介護としての立場でも関係のある「介護保険」分析、意見といった具合である。だが、今のところ介護保険の全体把握は以前したことがあるが、その先をでていない。唯一少人数であるが、まちづくり活動の現状と今後の展開についての分析を行ったことと、事務局をかなりの人数で共有する友好団体とのあいだで意見交換を行ったことなどである。下期においては交流大会も意識し射程に入れた学習会、勉強会、意見交換を短・中・長いりまぜた時間のなかで、定例会のなかで、イベントの頭で、あるいは独自の時間
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としてふめればいいと思っている。ただ、学習会を好む人は以前よりも少ないし、昔流のちょうちょうはっしという学習会にもならない。本当に丁寧に丁寧に、面白く面白くやるしかないし、いかに興味あるテーマに的をしぼるかでもある。
学習会は必要であることは分かっているのだが、どこか背伸びをしてしまう。会員や読者の日常生活の中での疑問や不安をテーマに据えるという事も大事なことだろう。
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機関紙や通信は会員や読者の中でどうなっているのだろうか。機関紙もどこか出さなきゃならないという使命感みたいな気持ちに押され、日にちを無理やりきって原稿を決める。どこかむなしい。通信は日程のられつと批判もある。もうちょっときちっとしなければとこういう機会には思うがついつい流れてしまう。生き方がそういう事なのかもしれない。
通信にはアンケートやそのときのニュースに対する意見や地方会員からの意見を載せたいとか、さまざま考えてはいてもいざとなると、活字作業は?点字作業は?今力量で出来る分量は?という具合に安易に落ち着いてしまう。それでも出そうと月一回を原則にもっと早めにと考えている。通信は今のところ内部向けとしているが・友好的かつ日頃協力体制にある人には、出したらどうかという思いもある。
機関紙は昔の年6回がここ数年4回と力量に応じたかたちとなっている。視労協には書ける人はいるのだが期日を守る事が苦手な人が多い。他の団体の機関紙を見ると資料集の様な物、文芸誌に近いものなど様々で、他の団体もけっこう暗中模索しているようだ。機関紙はその会の顔だ。機関紙は仲間を増やす重要な手段だ。興味を引くことをいち早くタイムリーにという
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ことになるのだろうか。再度みんなで討論する必要がある。
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一番悩みの種は交流大会の開催だ。昔は毎年、途中一年おき、なぜか停滞非力の今は毎年となっている。
大会の意味するところは、地方の会員との交流とその年度総決算という二つの意味あいがある。後者には視覚障害者運動あるいは障害者運動の総括と社会情勢の把握ということも重要になる。だが、今の視労協はどこまで出来るだろうか。僕は友好団体とのダブル同時イベントとしての提起を試みている。多分3月になるので機関紙・通信・ビラ等を使って、早めに日程、宿泊、内容をお知らせしたいと思っている。読者のみなさんの参加、協力をせつにお願いするところである。
これから大会の道筋は定例会(毎月第2日曜日、午後1時から東京都障害者福祉会館)、事務局会議(毎月第4土曜日、午後5時から東京都障害者福祉会館と立川の宮治療院を隔月)の中で重要議題となってくるはずだ。視覚障害者問題全般に興味や意見を持つ人、是非参加をお願いするところである。
終わりに、2002年にDPI世界会議が札幌で開かれる。それに向けて会議を成功させる為にいろいろな企画、イベント、集会、学習会が開かれる。福祉関連の法律の見直しや改正もそれと平行して集中してくる。視労協運動の一翼を20世紀から21世紀に向けて力量という問題はあるにしろ、はっきりとする時期にもなると思う。大事なこれからの5年、それぞれの思いを形として当事者主体として元気に突き出していこう。
まだまだ続く視労協史!!!
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視労協まちづくり
~これからの課題~
森登美江
皆さんの地域で、音声誘導システムの噂を聞いていませんか?必要な時に必要な情報を手に入れるためのシステム。電波や磁気などを利用して、様々な方法で開発が進められてきています。御存知の情報を是非お寄せください。それがこれからの課題の一つです。私個人としては、今のところ磁気によるものがいいかも知れないと、幾つかのシステムを体験したうえで感じています。経路誘導として、各ポイントで身に付けている磁石に反応して情報を発信します。分かりやすい誘導ブロックと警告ブロックがパートナー、てすりや柱などを利用した正確な情報を伝える点字表示も欠かせない仲間となります。みんなでいろいろなシステムを体験してみませんか?
鉄道駅ホームには、機関紙紙上で何度も書いたように転落防止のためのホームドア、またはホーム柵が最も必要です。長年の棄権箇所チェックの結果、えた結論です。ホーム柵の場合、どういう柵が最も安全なのかを見つけだす必要があります。現状で少しずつ登場してきているドア位置外の柵の設置、ないよりはあった方がいいと考えるか、ドア部分も電車の到消していない時は、柵がなければ棄権箇所の増加と考えるか…。少しでも近づくという意味で妥協するか、最も安全な形をあくまで要求するかという選択が迫られています。そして、柵そのものの高さとか、太さなどのなかみと、ホーム沿丹から柵までの距離、と微妙な問題が次々とでてきます。
さらに大きな課題は、駅ホームにおける係員の配置やいつでもどこでも手を借りる事の出来る人員確保があります。どれほどハード面が充実しても人と人との関わり以上にはなりません。
視労協は他の団体や個人に呼び掛け協力しあって、これらの課題を追及して一定の結論をもって行政交渉にのぞむことを、今年から来年度からのまちづくり活動の重要な取り組みとしていきたいと考えています。そのために点検活動をさらに強化し、意見交換の場の呼び掛けにも力を入れていこうと考えています。協力、共闘、共催、よろしくお願いします。
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視労協が視労協であるために
パート(1)
宮 昭夫
はじめに
「視覚障害者労働問題協議会(視労協)」という我々の会の名称はいささか古めかしく堅苦しい響きはあるが、私はそれなりに気に入っている。何と言っても目的や意味が分かりやすく適度に重みもあるではないか。しかし、ここ数年私たちの活動の中心が労働問題から移動交通問題を始めとするいわゆる「まちづくり」の方向へ移ってきたことは事実である。そのこと自体には十分な理由もあり意味もある。まちづくりに関わる問題は視覚障害者の生活のあらゆる場面に関係するもので、今後、その問題の重要性は高まることはあって減ることはないだろう。そして、移動や交通・コミュニケーションなどの問題は実際には広い意味での労働問題を支え補うための不可欠な要素なのである。
しかし、それにしても「視覚障害者労働問題協議会」というあまりにも意図のはっきりした名称を私たちが今後も受け継ぎ引き継いでいくためには「労働問題」を中心な課題からはずす訳にはいかないだろう。いわば視労協が視労協であり続けるためにーというよりも私自身が視労協の会員であり続けるためにもー今、視覚障害者の労働問題について改めて振り返り問い直し、新たな方向性を見つけることが大事だと考えている。そして現在の視労協が(そして私自身が)おかれている状況や力量、問題意識に則した課題を選択することが必要だと思う。
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視労協が勝ち取ったもの=「機会の平等」
視労協が結成されたのは1975年の10月26日で東京都や特別区に対して視覚障害者の採用を求める事を中心に運動を開始した。
特別枠という条件付きではあったが、まもなくその運動は具体的な成果を勝ち取った。ついで、教員採用試験の点字受験を認めさせることにも成功した。いわゆる視労協の全盛時代で目に見える成果を勝ち取っていった時期である。そういうとさぞ当時は会員も多く活動も活発だったことだろうと思われるかもしれない。しかし、元代表の込山氏が視労協の20年を振り返って書いているようにその頃も月2回の定例会に集まる人数は20人前後だった。今の状態からみれば、もちろん多少うらやましい状況には違いないがそれでも天と地ほど違うというほどの状況ではなかった。もちろん、経済的基盤も今以上に弱かった。大きな違いといえば平均年齢がずっと、ずっと若かったということぐらいである。もちろん、それは大きなことだけれど。
しかし、当時の視労協が具体的な成果を勝ち取ることが出来たのは単に若さによる勢いや意欲のためだっただけではない(と私は思う)。自治体職員の採用試験にしろ教員採用試験にしろ点字による受験が拒否されているということは一人の市民としての視覚障害者の権利(機会の平等)が一律に全面的に奪われているということだった。そしてこれは大事なことだが「機会の平等」を保障することは民主主義の(そして基本的には資本主義のでもある)いわば大原則の一つなのである。つまり、基本的人権の建て前からみても、経済的利害からみてもできるだけ多くの選択肢の中から人材を選ぶべきだというのは正論なのだ。だから視覚障害者にも「せめて機会だけは与えろ」という要求は総論としては、たいていの人が反対しない(あるいは反対できない)要求だったのである。もちろんそれは、障害者も一人の人間として市民として認めればの話ではある。当時は少なくとも建て前としてはそうした方向に動きつつある時代だった。
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機会の平等から「能力」の問題へ
機会の平等を求める運動は、その後も司法試験や国家公務員試験へと受け継がれ、それなりの成果を挙げていった。しかし同時にそれは、雇用運動に新たな問題を投げかけ、その停滞をもたらす要素ともなった。先にも書いたように点字受験が認められないということは明かに視覚障害者全体に対する不当で全面的な差別だった。しかしそれに比べると、誰が試験に受かるかということは個人の「能力」に依存する問題だとみなされることになる。視覚障害者の雇用に関する運動が全体的な目に見える成果を挙げにくくなった理曲の一つは確かにこうした状況の変化にある。そして視労協もそうした状況の変化に対応できるきめ細かな情報や新たな発想を持ち得なかったというのも事実だったに違いない。
そうした状況の中、関西の仲間たちから障害者の「無試験優先採用」を求める運動が提起された。私自身「そりゃ無理だよ」という率直な思いと同時にハッとさせられる新しさを感じたことも事実だった。「無試験優先採用」というのは「機会の平等」を飛び越えて一気に「結果の平等」へ突き進むものだったからだ。同時にそれは「能力主義」反対を明確にする主張でもあった。
能力主義の手強さについて
視覚障害者を含む重度障害者の雇用問題は、単に「機会の平等」を保障しただけではほとんど先へ進まないといっていい。だから、我々はしばしば、「能力主義反対」とか、もっと過激に「能力主義粉砕」という立場を
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主張する。しかし、能力主義についての思いは、それほど単純なものではない。なぜなら、たいていの障害者は、企業や行政の責任者によって我々の「能力」に対する偏見に満ちた過少評価を経験するだけでなく、親や兄弟によってさえ信じられないほどの無理解や偏見に出会って、悔しい思いや悲しい思いをしたことがあるからである。そうした時、我々は自分たちの「能力」について主張せずにはいられない。しかし、そうした主張にあまり傾き過ぎると知らず知らずのうちに無理をすることになるし、また、何よりも障害者の雇用問題の中に、差別と分断を持ち込むという危険性がつきまとう。ともかく能力主義粉砕というのはそれほど生易しい主張ではない。
いささかひねくれた言い方になるが、この世の中で最も恐るべき差別は「不当でない」差別である。あるいは不当だと言いにくい差別である。別な言い方をすれば、社会が理想的な状態に近付けば近付くほど(少なくとも人々がそう思っていればいるほど)そこでの差別は救いがたいものになるとも言える。たぶん「能力主義」に基づく差別というのは、そうした手強い差別の一つだろう。
私自身、衣食住をはじめとするあらゆる生活の場面で能力主義的価値評価に基づく選択から逃れられてはいない。簡単に言えば、よそより味のいいラーメン屋選び、腕のいい床屋に行き、よそより、より安いクリーニング屋を選んでいる。私の不勉強かも知れないが、そうした意味で能力主義に荷担していない個人とか組織とかを私は知らない。正直に言うと、思い浮かべることさえ出来ない。もちろん、ある特別のケースについては能力主義克服に取り組んでいる個人や組織はある。だから我々も「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という原則を実践するために一歩でも近付く努力をしなければならない。
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障害者雇用の原則をどこにおくか
話を具体的な雇用の問題に戻そう。そもそも資本主義の社会というのはできるだけ自分の「能力」(労働力)を高く売り込んで資本家に買ってもらい、資本家はその労働者のうわまえをはねて(搾取して)事業を拡大するというのが基本的なパターンだと言える。
そういう意味から言うと障害者が「労働者」になかなかなれないのは、障害者が搾取する価値のない存在だからである。その意味から言うと障害者を職に就かせるということは何らかの社会的、経済的条件を整備することによって障害者をいわば搾取する価値のある存在にするか障害者が資本家を搾取する(厳密な意味ではない)権利を社会が容認するかだということになる。もちろん、そういうえげつない言い方をしないで「企業家の社会的責任」とか「障害者を締め出すような社会は脆くて弱い社会である」とかいう、もっと耳障りのいい言い方をすることも出来る。あるいはもっと直接的に障害者を丸ごと養っているよりは出来るだけの手立てを講じて働かせる方が社会的コストが少なくて済むのだという徹頭徹尾現実的な主張の仕方もある
形に現れた具体的なもので言えば、企業や行政に一定の雇用率を義務付けている日本の雇用促進法や女性や障害者、黒人やヒスパニックなどこれまで差別されてきた人々を優先的に入学させたり採用したりするアメリカのアファーマティブアクションの動きやADA法による雇用差別禁止の条項などがそれぞれ違った形で問題を提起している。
今回はほとんど前置きという段階で終わってしまいそうなので、次回には視覚障害者の具体的な課題に則して、また、視労協の(あるいは私自身の)具体的な状況に則して何をどのように運動して行ったらいいのかについて考えてみるつもりである。
P13
(校正者注:以下、新聞記事が掲載されている)
都営地下鉄三田線ワンマン化へ
各駅に可動式ホーム柵
来年1月に高島平駅で設置・検証
都交通局は二十二日、都営地下鉄三田線(6号線)の運転方式を平成十一年度末からワンマン化することを明らかにした。これは同線が三田から目黒間の延伸に伴い、東急目黒線および営団地下鉄南北線と相互乗り入れとなるが、すでに南北線がワンマン運転を実施し、東急もワンマン運転を実施し、東急もワンマン化の検討を行っていることから、都交通局もワンマン化に踏み切った。都内では南北線のほかに都営地下鉄12号線放射郡がワンマン運転を行っているが、既設の地下鉄路線をワンマン運転に切り替えるのは全国でも初めてのケース。
都営三田線の延伸計画では、目黒駅以西は目黒線に乗り入れ、南北線とは清正公前駅から目黒駅区間で、トンネル・線路を共用する。そのため都交通局と営団、東急の三者による規格の調整が必要となり、平成二年にATO(自動列車運転装置)の導入を三者で合意市、平成三年開業の南北線は開通当初からワンマン運転を実施した。また東急もワンマン化を視野に入れた検討を行っているという。
都交通局では様々な運転方式の検討を行ったが、ホームに可動式ホーム策を設置することで、最大の課題である乗客の安全性は確保できると判断した。
南北線の場合、天井部分までつながったホームドアを用いているが、既設の三田線で導入した場合、一駅あたり八億円以上の改修経費がかかる見込みであることから断念。また今年四月からワンマン化した東急池上線で採用したホーム柵方式は有力候補としてあがったが、「可動式ホーム柵の方がより安全が高い」として、三田線各駅に設置する可動式ホーム柵製造請負契約を今年七月末、メーカーと結んだ。
可動式ホーム柵は高さ百三十㌢、開口部が二㍍。開口部両側には赤外線の支障物センサーが取り付けられるほか、乗降口の正面には監視モニターが設置される。
都交通局では来年一月にも三田線の高島平駅三番ホームに、可動式ホーム柵を設置し、乗客の安全性、利便性に問題がないか、検証する。他の駅に関してはATOの工事が終了する対年度後半に設置を行い、延伸部の開業までに間に合わせたい考え。
可動式ホーム柵は新幹線や多摩都市モノレールで採用されている。
(校正者注:「可動式ホーム柵方式システムイメージ図」省略)
p14
ビックウェーブ'98
小林順子
昨年の夏、初めて視労協の海水浴に参加して、2日間お腹を抱えて大笑い。とにかく最高の旅だったので、今年も意気込んで参加しました。
しかし、私達はこの海でとんでもない事に巻き込まれるのでした…。
「わぁー海だー。さあー泳ぐぞー!」宿に着き、ほっとする間もなく浜辺へ急いだ私達は準備体操もほどほどに、海に入っていきました。去年より、ちょっと波が高いような、荒れているような気もしましたが、まあこんなものかと皆でどんどん沖へ沖へと泳いでいきました。波に乗ったり、プカプカと浮かんだりと海水浴を満喫し、「やっぱり海っていいなあー広くて大きくて、なんて気持ちがいいんだろう。」と感動に浸っていると、こちらに向かって砂浜から手を振っている人々がいます。いや、あれは手を振っているのではなく、「危ないから、こっちに戻れ!」のリアクションだったのです。エミさん、いくいさん、わくたさん、私の4人は、遊んでいるうちに危険地域へ流されていたのです。いざ戻ろうとしても、なかなか思うように進みません。テトラポットが湾のようになっている為に、そこに近づくと流れが早くて巻き込まれてしまうからです。「おーい。早く戻るよ「こっちだよ、こっちー!!」と大声で叫ぶ私。それでも、今の状況がよく分からない4人は、その状況を楽しむかのように波と悪戦苦闘しています。すると、私達をめがけて、ものすごいスピードで泳いでくる人がいます。その人は救命胴衣を身に纏った救助のお兄さんだったのです。お兄さんは「こちらは、危ないので一度戻って下さい。」と言うと、一番危なそうだったのか…えみさんの腕をつかんで私達を先導してくれたのです。更に漂流中のみやさんには、ロングヘアーの外国の紳士が助けに入り、私達の気持ちとは裏腹に、大騒ぎになっていたのでした。そのことは、沖に着いて「俺達も国際派になったんだなー。」との、みやさんの一言に尽きると思います。私は、このことを通して、視労協の方々は、たとえ大地震や台風、大洪水等が起きたとしても、大丈夫。なにがあっても乗り越えてしまうんだろうなと思えて成りませんでした。私はこんな、超楽観主義の視労協の皆さんが大好きです。そして、視労協の仲間に入れて下さった大里先生に感謝しています。また、来年の夏、どんなピックウェーブが私達を待っているのか、楽しみにしながら'98の夏を締めくくりたいと思います。
p15
ノーマライゼションは教育現場から
宮城 道雄
1.ノーマライゼーション教育ネットワークとは
「趣旨」
この会は、学校現場を出発点としノーマライゼーションを実現し、障害があっても安心し生きられる社会を作ることを目指します。また、会員相互の信頼関係を尊重した民主的な会の運営をします。
「目的」
・障害者差別を無くす。
・障害を持って教壇に立ち続ける教師を支援します。
・働きやすい環境や条件を整える。
私達は上記の趣旨と目的の下、障害を持つ教師と支援者で構成する会です。障害を持ちながらもはたらき続けるために、同僚・組合・管理職・教育委員会に働きかけて、働きやすい条件整備をしノーマライゼーションを目指しています。
病気や事故で障害を持ったとき、復職できずに退職に追い込まれる事例は事欠きません。視覚障害では、全盲で教師を続けている人は優れた才能の入か、広島や兵庫大阪など部落解放運動や平和運動が隆盛を極めた地域に限られている様です。しかし、他の地域では孤立し様々な形や質を変えた差別のため辞めざるを得ないのが現状です。私達はこのような教育現場を変革し、障害者も当たり前に働ける様に運動を行っています。障害者基本法や雇用促進法が強調している「管理者は障害者が働くための条件整備を講じなければならない」を現実のものとするため、多くの孤立する全国の仲間に呼びかけ、情報保障を実現する幅広い運動を構築していきます。
2.障害保障を求める請願が趣旨採択
昨年3月・障害を持つ教員が働き続けられるための障害保障の制度化を求める請願が東京都議会において趣旨採択されました。次の5項目中、第2項目から第5項目までが、既に行われていることとして採択されました。
1.障害に応じて必要なワークアシスタントの配置をすること。
2.障害に応じて勤務内容を軽減し、そのために必要な講師などの人的配置をすること。
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3.必要な補助機器の導入と施設設備の改善を図ること。
4.職場の異動に当たっては通勤・通院等を十分配慮すること。
5.医療機関の定期通院(人工透析者のための通院等)については、勤務時間内の通院を認めること。
私達は現在、埼玉県教委に対し障害保障制度化を求める要望書を提出し運動を進めていますが、他県にも運動を拡大すべく取り組んでいます。
3、埼玉での個別問題
埼玉では、現在4名の個別問題に取り組んでいます。組合や議員に働きかけ、県教委交渉を4度ほど持ちました。県教委の姿勢は全体的な話しを聞いて勉強するというだけで・具体的な対応策はほとんど出されていません。この間、岩槻高校に80万円の県の予算が付き音声ワープロが導入されました。しかし、県教委は障害者も健常者と同様に働かなければいけないという考えが8割出来なければだめだと変化しているものの、埼玉県には時間軽減の制度が無く、授業の持ち時間軽減や時間講師の配置等人的配置が全くなされません。また、小学校では専科制度が無いため、担任外になるのは難しい状況です。春合宿で平賀さんと榊原さんを講師に招いて討論会の実施。5月の埼玉交流集会では当該の所属分会長を招いて話し合いを行いました。埼玉、毎日新聞に報道され反響がありました。
◆新井淑則(秩父養護学校、全盲)
網膜剥離のため手術を繰り返したものの、回復せず2年余の休職後、今年度4月に復職を希望していましたが、認められませんでした。6カ月延期になり10月復職に向けて慣らし運転をしていました。8月、校長はまた新井夫婦を呼びつけ、慣らしが不十分のため健康審査会に書類は提出できない、病弱養護学校への転勤をちらつかせて復職を拒否してきました。本会は新井さんの10月復職実現に向け県会議員に仲介を依頼し、8月28日に教育長交渉を実現しました。新井さんの主治医は障害は固定しており勤務可能と診断し、受け入れ体制次第です。新井さんは歩行訓練、点字・音声ワープロの習得、盲導犬使用とリハビリはこなし現場で勤務したいと意欲的です。本会は障害に応じた勤務を承認し、復職を実現するように求めました。しかし、県教委は健常者の8割の仕事をこなせばよいと考えを変えてきましたが復職は健康審査会が決定することとして曖昧な回答でした。休職3年の期限が来年1月に迫って
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おり、校長の約束した1月復職に向け、職場同僚などの支援の拡大等、復職実現の運動を築き上げていく必要があります。
◆宮城道雄(岩槻高校、視覚障害)
97年3月に音声ワープロが県教委により導入され、また朗読ボランティアが来校することも認められました。これらは一定の前進ですが、現在採点や事務処理を同僚にやってもらったり(定時制にいるもとの同僚に依頼し、謝礼を払う)授業の持ち時間を理科の同僚に肩代わりしてもらう等かなり負担をかけています。一部の人に負担を押しつけ急場をしのいでいる状況を打開するため、県教委に次の点を要望しています。
ア.授業準備のため、また眼の負担を和らげるため持ち時間を軽減し講師を配置すること。イ.採点や事務処理のためのワークアシスタントを配置すること。ウ,拡大写本やテープ化を保障すること。等です。
県教委交渉では、ア、イについては、埼玉には軽減の制度が無いと回答し、実現しません。現状は厳しく決して長続きはしません。職場組合の支援の拡大をはかり、早急な条件整備を実現する必要があります。
◆山本洋子(川越市立福原小学校、下肢障害)
両膝半月板損傷で1年半休職後、今年度4月に車椅子で復職。給食のエレベーター使用許可や講師の配置により体育等の軽減がされています。私達の運動により川越市から講師が週3日間配置され9時間の授業を担当していますが、山本さんの軽減は4時間のみで、学校全体が多忙なので、5時間は他の人の軽減に回されています。山本さんのために配置された講師を他の人に回すということがまかり通っており、組合もしかたないこととして認めてしまっています。復職の際、山本さんは担任外を希望しましたが、校内事情で担任をする事になり、疲労が蓄積し週末には休みを取るしかない状況でした。事態打開のため5月28日、私達は川越市教委交渉を持ち、2カ月で打ち切られる講師を年間通して配置すること・時間軽減し1日1時間の空き時間を作ることを要望しました。
◆桜井 守(川口市立北中学校、下肢障害)
今年度4月に、川口市の児童文化センターから転勤。車椅子使用を条件に教職に戻りました。しかし、理科教師として授業は職員室前の理科室でやれますが、2階までの階段の登りおりが出来まぜん。毎回、数名の同僚の手をかりており、エレベーターの設置が必要です。
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素直さと温かさと苦悩の日々
大里暁子
原稿を特定の時間で書くことが苦手ということで気ままなインタビューとしました。文章に表すことの出来ない日々の闘いのなかで人間のもつ極限状態は、その人の生き方によっては強いものにも弱々しいものにもなるのだということを思い知らされました。障害の重さと同時に生活や社会や職場から襲いかかる差別や排除。頑張れという声援は無責任かも知れませんが、あえてそう声をかけます。(文責 的野)
教師を初めて何年になりますか。
「19年かな。途中4年間の休職と3年の要配慮教員があるけど。」
どうして教員の道を選んだのですか。
「小さいころから子どもが割りと好きだったことと、母親が身体が弱いとお嫁に行けないから手に職をつけなさい、教師がいいといって、そのレールを素直に進んだということかな。でも実際、教師になってホントに子どもが好きなのかなという疑問はある。」
最近、あまり先生が好きじゃないと言っていますよね?
「自分が育つ過程で、大好きな先生がいなかったし、引かれたレールだからこんなものかなーと思った。」
両親は先生になってホッとしたでしょうね?
「母親はホッとしたけど父親は女に学問はいらぬという人だったから。」
先生になったとき、障害は?
「小学校3年からの糖尿はそのままあって・・・。正規の教員になるときに糖尿でトラブッてしまいました。糖尿では教員にはなれないけど教員になってからの糖尿はいいんだって。(笑い・・・)1年間講師の実績を積んだので、正規教員が許されたのかな。」
いつから障害者と呼ばれるように?
「教員3年目から糖尿から出血性の緑内症になったんです。卓球の試合があって、医者
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がちょっとセーブしなさいと言ったので、練習はやめて本番に出場したり、それと結婚の時期でもあったし、学校3人体制から2人体制に変わるといった幾つもの条件が重なって緊急入院となったけど、まだ片目だけだから、ビールをつぐ時やテニスの時に困ったぐらいだったかな。慣れれば大丈夫と思った。それから5年ぐらいたって、朝起きたらもう片方の目がかすんで、でも1年間無理したかな。学校の階段や宿泊訓練のなかの戦場が原の木道を歩くのが怖くて。」
まわりの同僚たちの反応は?
「校長には話したけど、同僚たちは分からなかったと思う。でもよくぶつかることやテニスが無理だったことがとりざたされていたかな。」
それから?
「ちょっと違ったこと、つまり遠足など行くと39度の熱が出て、急性腎盂炎になって病欠をとって3ヵ月後、夏休み日直をちょっとやったけど、また3ヵ月病欠となって、その間、人工透析になったの。12月には離婚の話もでて、障害を背負った大変さより別の問題が大きくなって。とりあえず点字を覚えなければと、福祉センターに行って(少しは視野があって中心は見えなくても、まだ歩けた)点字指導の先生に視覚障害教師の会を紹介された。その後、東京で会の人と話をし、その繋がりで翌年(1991年)視労協を知り、10月に障教連をつくるという流れとなったの。」
今度はその流れから教員はやれると思っのですか?
「単純なんだけど、全盲でやっている人がいて、人工透析でやっている人がいて、それぞれやっているんだから両方抱えている私にできないわけがない。新しい仕事を探すより戻った方がいいと、やれるとこまでやって次を考えようと思った。」
結局、今の障害は?
「視覚障害と人工透析と軽い脳梗塞。」
それでもやって行けると思いますか?
「視覚障害とか脳梗塞の後遺症とかはそうでもないけど人工透析は続けていけるかというギリギリの淵まできている。もちろん、どれだけ障害補償がとれるかということだけど。一日勤務すると帰りは一歩あるくのも辛い。毎日、半日ぐらいの勤務という条件が
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整えばできるかなと、思うけど、今の勤務体制では難しいかなと考え始めている。」
そうするとストレスは?
「私の場合、たまると必ず身体にも出てくる。今は呼吸が苦しい。でも医者には精神的なものと言われている。完全に登校拒否状態。でも教員を自分からやめると言いたくないし、でもやりたいかと言われれば嫌だし。」
今のところの障害補償とこれから、理想を含めての障害補償は?
「ヒューマンアシスタント。実際に授業をするときに子どもの状態を教えてくれたり、読み書きの手伝いや移動の時に介助してくれる人、全部一人の人にお願いできればいいんだけど。自分にもっと仕事に対する熱意があればいいのかもしれないが、うまくいかないからやろうという気にならない。もともと向いていないのかとに考えてしまう。
人工透析や体調で学校に行けないときの障害補償としての考えは?
「今、制度がないなかで、常に嘱託や講師の配置が行われている。自分の具合が悪いときは有給の範囲で休めるけど、自分自身ではそれを納得はしていない。つまり休んでもまなくても、同じような存在に一つの苛立ちがある。内蔵関係にとって障害補償って本当の意味であるのかなと思っている。前に一週間に一日勤務はどうかなという話もあったけど自分のなかで“働いている"と言えるのかなあというのがあった。」
ということは?
「障害者になるまでの自分と今の自分とのギャップみたいなものが自分のなかで消化できない。見えていたときのことを恋しがっている訳ではないけど。やりたいことが出来ないというイライラがあって、それをコントロールできればもうちょっとなんとかなると思うけど。教師という仕事をしたければ克服できると思うが、私はその部分が欠けているから駄目なのかなあと思う。」
理想があって今がこういう段階であるということが分かれば、このインタビューは終われるのですが、それもなんとなく難しい。ただその中で障害を持ちながら教員を続けるということは間違いなく大切なことですよね?
「はい」
長時間お疲れさまでした。いくつか大事な提起もあって本当にお疲れさまでした。
裏表紙の裏
編集後記
墨字(活字)化に四苦八苦しながら、今回も予定どうり発行することが出来ました。ワープロに時間を割いてくださった方々に心から感謝します。
視労協はもう解散してしまったと思われているらしいことをちらほら耳にしますが、小さくても、弱くても、視労協は視労協らしく生き続けています。一歩一歩確かな歩みを進めていく事が出来たら、新しい運動の形が見えてくるはずです。みんなの思いを集め、心を合わせて進んでいけたらと思います。事務局は、会員一人一人の声を待っています。力を貸してほしいと思っています。この機関紙も多くの方々に読んでほしいという願いを込めて、号を重ねていこうと頑張っています。みんなで視労協をつくりましょう。
視労協会員募集中!!
会費は、4,800円(年間)です。
機関紙定期購読ご希望の方の購読料
点字800円(年間)
墨字(活字)880円(年間)
裏表紙(奥付)
98年10月11日
定価200円
編集人視覚障害者労働問題協議会
東京都練馬区東大泉6ー34ー28
陵雲閣マンション105
的野碩郎気付
発行人身体障害者団体定期刊行物協会
世田谷区砧6ー26ー21
視覚障害者労働問題協議会
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:
仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
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障害学
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視覚障害
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身体×世界:関連書籍
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『障害の地平』
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雑誌
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BOOK
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