『再魔術化する世界――総力戦・〈帝国〉・グローバリゼーション』
山之内 靖 著 伊予谷 登士翁・成田 龍一 編集 20040318 御茶の水書房,392p.
last update:20110124
■山之内 靖 著 伊予谷 登士翁・成田 龍一 編集 20040318 『再魔術化する世界――総力戦・〈帝国〉・グローバリゼーション』,御茶の水書房,392p. ISBN-10:4275003217 ISBN-13:978-4275003218 \2400 [amazon]/[kinokuniya] shs mc 1007hw2 pp om10 dj01 nf01 pt01 hj04 mk17 ※
■内容
内容(「BOOK」データベースより)
「専門」と「国境」という領域を超えた共同研究実践と、著者の長年の社会思想研究をもとに、戦後日本の社会科学を批判的に検証する。ヴェーバー、マルクス、レーヴィット、ニーチェ、フォイエルバッハ、丸山真男、大塚久雄、網野善彦らや、S サッセン、B アダム、K オルズら新進気鋭の研究者をも参照しながら、現代の混迷する世界を「脱魔術化」(ヴェーバー)から再魔術化の世界像への転換ととらえ、いま新しく拓かれるべき社会科学の射程を提示する。山之内靖対談集。
内容(「MARC」データベースより)
ヴェーバ-、マルクス、レーヴィット、丸山真男、大塚久雄ら新進気鋭の研究者をも参照にしながら、現代の混迷する世界を「脱魔術化」から再魔術化の世界像への転換ととらえ、現代という時代を読み解く地図を示す。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
山之内 靖
1933年生まれ。現代社会理論。フェリス女学院大学大学院教授。1957年東京大学経済学科卒業。1963年東京大学大学院社会科学研究科経済史学専攻博士課程単位取得満期退学。1968年経済学博士。1963年東京外国語大学外国語学部講師(比較経済史・歴史社会学担当)。1992年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士課程担当(比較社会論研究担当)。1996年フェリス女学院大学文学部教授。1997年フェリス女学院大学国際交流学部教授(現代社会論他担当)。2002年フェリス女学院大学大学院国際交流研究科(現代社会論担当)
伊予谷 登士翁
1947年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科教授。グローバリゼーション・スタディーズ、移民研究専攻
成田 龍一
1951年生まれ。日本女子大学人間社会学部教授。近現代日本史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
はじめに
第一部 再魔術化の諸相
第一章 総力戦・国民国家・システム社会
(1)総力戦とはなにか
(2)連続の特殊性と普遍性
(3)〈ナショナリティの脱構築〉
(4)市民社会批判
(5)「日本」と主体
(6)文化多元主義と戦時体制
(7)ファシズムと現代化
(8)〈近代の超克〉をめぐって
(9)システム論へ向けて
(10)システムの中の「主体」
(11)新しい社会運動
第二章 空間・戦争・資本主義
(1)グローバリゼーションと空間の変容
(2)資本の文明化作用
(3)総力戦と空間編成
(4)地政学的めまい
(5)技術論をめぐって
(6)受苦的存在
(7)記憶の文法
(8)非正規的内戦
(9)ラテン・アメリカの新たな展開
(10)ルフェーブル再論
(11)東アジアの地政学
第三章 往復書間―受苦者の連帯は可能か
(1)大澤真幸→山之内靖へ(2000年6月1日)
(2)山之内靖→大澤真幸へ(2000年6月8日)
(1)受苦の普遍性と多義性
(2)ヴェーバー宗教社会学と近代への懐疑
(3)社会科学の方法と「価値自由」
(4)「中間考察」と合理化のパラドックス
(5)「第二のパラドックス」をめぐって
(6)「自由な社会」と多文化主義
(7)多文化主義の歴史的条件
(8)ポストモダニズムの「歴史性」
(9)初期マルクス再興
第四章 ポスト現代のマルクス―受苦的存在としての人間を知らずにマルクスが語れるか―
(1)なぜニーチェ、フォイエルバッハがマルクスにとって重要か
(2)『経哲草稿』の疎外概念の読み直し
(3)体系的マルクス像を捨てるべし
(4)弁証法は必要か
(5)階級闘争の終焉と新しい可能性
(6)ルフェーヴルの空間論をどう読み込むか
(7)21世紀にマルクスを読む意味はどこにあるか
第五章 総力戦体制からグローバリゼーションへ
(1)総力戦体制からグローバリゼーションへ
(2)ウォーラ―ステインと大塚史学
(3)起点としての「17世紀世界像革命」
(4)第一次世界大戦以後の危機
(5)戦後日本の社会科学をめぐって
(6)レーヴィットの重要性
(7)古典軽視への批判
(8)ポスト・モダンをめぐって
(9)パーソンズとフレクシビリティ
(10)「21世紀世界像革命」
(11)結び―「再魔術化する世界」と反グローバリズム
第二部 場所の再定義をめぐって―作為から自然へ
第一章 はじめに―グローバリゼーションと知の変容
(1)国境を超える研究プロジェクト
(2)ヴェーバー社会学の読み直し
(3)大学紛争とポストモダンの台頭
(4)戦時と戦後の連続性―戦時動員体制論へ
(5)コーエン、ケネディ『グローバル・ソシオロジー』と場所問題
(6)公共性の哲学と場所問題―ハーバーマスとメーロヴィッツ
(7)時間と空間の社会学―ジョン・アーリと情報技術革命
(8)68年という画期―近代への問い
(9)『マルクス・エンゲルスの世界史像』から『現代社会の歴史的位相』へ
(10)民衆史から都市史へ
(11)空間と国民国家
(12)吉本隆明・中上健次・三上治『解体される場所』
(13)伊予谷移民論―場所を前提しない歴史学・社会科学の登場
第二章 ネグリ=ハート『帝国』と場所問題
(1)場所問題の新たな高揚
(2)場所論としての〈帝国〉
(3)マキャベリとポリュビオス
(4)存在論をめぐって―ハイデガーとレーヴィット
(5)丸山眞男と「自然から作為へ」
(6)流通への比重のシフト―ロブ・シールズ
(7)世界と死のネットワークと新しい場所の構築―クリス・オルズ
(8)モダニティの時間景観―バーバラ・アダム
(9)目取真敏と「魂込め」
(10)網野歴史学と非農業民
(11)『日本の歴史』00巻
(12)網野歴史学とグローバリゼーション
(13)網野義彦とポリュビオス
第三章 『場所』をめぐる最近の研究動向
(1)ロブ・シールズ―都市表象とオルタナティヴな理論伝統
(2)ベンヤミンと複製技術
(3)デリタ、バフチン、ドゥールズ
(4)前田愛『都市空間のなかの文学』
(5)内なる他者とナショナルな表象
(6)クリス・オルズ―「フローの空間」と「場所の空間」の相克
(7)ポスト・コロニアリズム―負の遺産と正の遺産
(8)中国人ディアスポラとアバデュライの五つのスケープス
(9)グローバルとローカル―リ(再)ナショナライズとデ(脱)ナショナライズ
(10)バーバラ・アダム―狂牛病と「脱コンテクスト化」される文明
(11)実験室―「脱コンテクスト化」される空間
(12)時計―「脱コンテクスト化」されるリズム
(13)ピエール・ノラと『記憶の場』―「脱コンテクスト化」される歴史
(14)観光―聖なる場所の「脱コンテクスト化」
(15)シンボリック・アナリスト―「脱コンテクスト化」される知識人
(16)Global Community―「脱コンテクスト化」される生活空間
(17)新しい社会運動―日常生活世界の「再コンテクスト化」
第四章 再魔術化する世界
(1)マックス・ヴェーバーと合理化テーゼ
(2)言語論的転回とその限界
(3)安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』
(4)脱魔術化した世界の再魔術化
(5)ベンヤミン―パサージュ論
(6)ボートリアール―シュミレーションとインプロモーション
(7)リッツァーの消費社会論
(8)ベンヤミンの思想的遺書
(9)消費社会と公共倫理の喪失
(10)成田龍一「母の国の女たち」
(11)戦時動員体制の型―ニューディール・共産主義・植民地近代化
(12)スーザン・バック=モースと「夢の世界のカタストローフ」
(13)ルイース・ヤングと植民地近代化
第五章 「未開」としての身体
(1)「第三世界」の意味変容
(2)ローザ・ルクセンブルクと植民地的「未開」の不可欠性
(3)消費社会と「未開」の新たな「発見」
(4)作為から自然へ
あとがき
謝辞に代えて
プロフィール・初出一覧
人名索引
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:樋口 也寸志