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Nietzsche, Friedlich

フリードリッヒ・ニーチェ


■新着

『現代思想』2013年2月号 特集:ニーチェはこう言った

●略歴●


1844年10月15日 プロイセン・ザクセン州の田舎町ゼッケンに牧師の子として生まれる。
10歳で入学したギムナジウムでの優秀な成績が、最高水準の名門校プフォルタ学院の院長に注目され、奨学生として迎えられる(14歳で転校)。以後6年間を寄宿生として過ごす。
プフォルタ学院での卒業論文は、ラテン語で書かれた「メガラのテオグニスについて」。
1864年、20歳のときボン大学に入学。当初は神学を専攻したが、すぐ古典文献学の勉強を始める。
1865年、指導教授リッチュルの転勤を追ってライプツィヒ大学に移り、4年間を過ごす。
このライプツィヒ時代にショーペンハウアー、ヴァーグナーと出会う。
1867年から翌年にかけて一時軍隊に入るが、除隊して復学する。
1869年、リッチュル教授の推薦で、25歳という異例の若さでバーゼル大学古典文献学の員外教授となる。
その一ヶ月前、『ライン文献学雑誌』に掲載した論文によって無試験で博士号を授与され、教授資格取得のための通常の手続きをいっさい免除された。
1870年、バーゼル大学に正教授となる。同じ年の8月には普仏戦争に衛生看護兵として従軍(バーゼル大学赴任のためスイスに国籍を移していたため一般の兵士にはなれなかった)。しかし傷病兵から赤痢とジフテリアをうつされて兵を退き、大学に復帰する。
1971年ごろにはすでに古典文献学から哲学への移行の希望が強くなっていた。
1872年、処女著作『悲劇の誕生』を発表。古典文献学会から非難をあびる。
1973年10月、病気のためバーゼル大学を1年間休職、ソレントで過ごす。
その後、病気のために、生活上の計画をしばしば変更しなくてはならなくなる。
1878年の終りから79年にかけて病状はさらに悪化し、激しい頭痛と眼痛と絶え間ない嘔吐が彼を襲うようになる。そこでその年の5月にバーゼル大学に辞職願いを提出、大学側はニーチェの功績を高く評価し、年金を約束する。
退職から死までを漂白のうちに過ごす。夏はエンガディン地方のシルス・マリアに行き、冬は暖かなニースで過ごすことが多かった。
1889年、ニーチェから妄想に満ちた手紙を受け取った友人たちがニーチェをバーゼル大学の精神病院に連れて行き、診察を受けさせる。その後母の希望でイエナの大学病院で診療を受けるが健康は戻らず。
1900年、55歳のとき、ヴァイマールで没する。
(参考文献:水野清志 『ニーチェを読む』

●書籍情報●
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【ニーチェ主要著作(=邦訳)】

◆1872 Die Geburt der Tragodie(悲劇の誕生)
 =19660616 秋山英夫訳,『悲劇の誕生』,岩波書店,岩波文庫

◆1873-76 Unzeitgemasse Betrachtungen(反時代的考察)
 =1964 小倉志祥訳,『反時代的考察』,理想社,ニーチェ全集4

◆1878 Menschliches, Allzumenschliches(人間的、あまりに人間的
 =1964 池尾健一訳,『人間的、あまりに人間的(1)』,理想社,ニーチェ全集5
 =1965 中島義生訳,『人間的、あまりに人間的(2)』,理想社,ニーチェ全集6

◆1881 Morgenrothe(曙光)
 =1951 氷上英広訳,『曙光』,新潮社

◆1882 Die frohliche Wissenschaft(悦ばしき知識)
 =1962 信太正三訳,『悦ばしき知識』,理想社,ニーチェ全集8

◆1883-85 Also sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはこう言った)
 =1953 竹山道雄訳,『ツァラトゥストラかく語りき(上・下)』,新潮文庫
  1967 氷上英廣訳,『ツァラトゥストラはこう言った(上)』,岩波書店,岩波文庫
  1970 氷上英廣訳,『ツァラトゥストラはこう言った(下)』,岩波書店,岩波文庫

◆1885-86 Jenseits von Gut und Bose(善悪の彼岸)
 =1970 木場深定訳,『善悪の彼岸』,岩波文庫

◆1887 Zur Genealogie der Moral(道徳の系譜)
 =1940 木場深定訳,『道徳の系譜』,岩波文庫

◆1888 Der Fall Wagner(ヴァーグナーの場合)

◆1889 Gotzen-Dammerung(偶像の黄昏)

◆1895 Der Antichrist(反キリスト者)
 =1965 原祐訳, 『反キリスト者・ほか』(ニーチェ全集 13)
  1991 湯田豊編,『ニーチェ『反キリスト』――翻訳および解説』,晃洋書房

◆1895 Nietzsche contra Wagner(ニーチェ対ヴァーグナー)

◆1908 Ecce homo(この人を見よ)
 =1952 阿部六郎訳,『この人を見よ』,新潮文庫
  1969 手塚富雄訳,『この人を見よ』,岩波文庫
  1990 西尾幹二訳,『この人を見よ』,新潮文庫

【その他邦訳(出版年順)】

◆1915 金子馬治訳,『悲劇の出生・善惡の彼岸』,早稲田大學出版部,現代哲学第3編
◆1954 浅井眞男訳,『人間的なあまりに人間的なもの・自由な精神のための書』,角川書店
◆1959 木場深定訳,『道徳の系譜――一つの論駁書』,岩波書店
◆1967 原佑編訳,『運命愛・政治・芸術(ニーチェ箴言集2)』,人文書院
◆1968 秋山英夫・富岡近雄訳,『ニーチェ全詩集』,人文書院
◆1991 西尾幹二訳,『偶像の黄昏・アンチクリスト(イデー選書)』,白水社
◆2005 渡邊二郎編,『ニーチェ・セレクション』,平凡社ライブラリー


○理想社『ニーチェ全集』信太正三・原佑・吉沢伝三郎編 (出版年は初版のもの)○
◆1963 第1巻 戸塚七郎・泉治典・上妻精訳,「古典ギリシャの精神」
◆1963 第2巻 塩屋竹男訳,「悲劇の誕生」
◆1965 第3巻 渡辺二郎訳,「哲学者の書」
◆1964 第4巻 小倉志祥訳,「反時代的考察」
◆1964 第5巻 池尾健一訳,「人間的、あまりに人間的」
◆1965 第6巻 中島義生訳,「人間的、あまりに人間的」
◆1962 第7巻 茅野良男訳,「曙光」
◆1962 第8巻 信太正三訳,「悦ばしき知識」
◆1969 第9巻 吉沢伝三郎訳,「ツァラトゥストラ」
◆1967 第10巻 信太正三訳,「善悪の彼岸」・「道徳の系譜」
◆1962 第11巻 原佑訳,「権力への意志(上)」
◆1962 第12巻 原佑訳,「権力への意志(下)」・「すべての価値の価値転換の試み」
◆1965 第13巻 原佑訳,「反キリスト者」
◆1967 第14巻 川原栄峰訳,「この人を見よ」・「自伝集」
◆1968 第15巻 塚越敏訳,「書簡集」
◆1970 第16巻 塚越敏・中島義生訳,「書簡集」・「詩集」
◆1963 別巻 オイゲン・フインク著,吉沢伝三郎訳,「ニーチェの哲学」


○白水社 ニーチェ全集○
◆1979 第1期 第1巻 浅井真男・西尾幹二訳,『悲劇の誕生・遺された著作(1870〜72年)』
◆1980 第1期 第2巻 大河内了義ほか訳,『反時代的考察 第1・2・3篇・遺された著作(1872年〜73年)』
◆1981 第1期 第3巻 谷本慎介・清水本裕訳,『遺された断想(1869年秋〜72年秋)』
◆1981 第1期 第4巻 大河内了義訳,『遺された断想(1872年夏〜74年末)』
◆1980 第1期 第5巻 三光長治ほか訳,『反時代的考察 第4編・遺された断想(1875年初頭〜76年春)』
◆1980 第1期 第6巻 浅井真男訳,『人間的な、あまりに人間的な――自由なる精神のための書(上・下)』
◆1981 第1期 第8巻 手塚耕哉・田辺秀樹訳,『遺された断想(1876〜79年末)』
◆1980 第1期 第9巻 氷上英広訳,『曙光・道徳的偏見についての考察』
◆1980 第1期 第10巻 氷上英広訳,『華やぐ知慧・メッシーナ牧歌』
◆1981 第1期 第11巻 恒川隆男訳,『遺された断想(1880年初頭〜81年春)』
◆1981 第1期 第12巻 三島憲一訳,『遺された断想(1881年春〜82年夏)』
◆1982 第1期 別巻  高松敏男・西尾幹二編,『日本人のニーチェ研究譜』
◆1982 第2期 第1巻 薗田宗人訳,『ツアラトゥストラはこう語った』
◆1983 第2期 第2巻 吉村博次訳,『善悪の彼岸』
◆1983 第2期 第3巻 秋山英夫・浅井真男訳,『道徳の系譜・ヴァーグナーの場合・遺された著作(1889年)・ニーチェ対ヴァーグナー』
◆1987 第2期 第4巻 西尾幹二・生野幸吉訳,『偶像の黄昏・遺された著作(1888-89年)』
◆1984 第2期 第5巻 杉田弘子訳,『遺された断想(1882年〜83年夏)』
◆1984 第2期 第6巻 杉田弘子・薗田宗人訳,『遺された断想(1883年5月〜84年初頭)』
◆1984 第2期 第7巻 薗田宗人訳,『遺された断想(1884年春〜秋)』
◆1983 第2期 第8巻 麻生建訳,『遺された断想(1884年秋〜85年秋)』
◆1984 第2期 第9巻 三島憲一訳,『遺された断想(1885年秋〜87秋)』
◆1985 第2期 第10巻 清水本裕・西江秀三訳,『遺された断想(1887年秋〜88年3月)』
◆1983 第2期 第11巻 氷上英広訳,『遺された断想(1888年初頭〜88年夏)』
◆1985 第2期 第12巻 氷上英広訳,『遺された断想(1888年〜89年初頭)』


○ちくま学芸文庫(筑摩書房) ニーチェ全集○
◆1994 ニーチェ全集1 戸塚七郎・泉治典・上妻精訳,『古代ギリシアの精神』
◆1993 ニーチェ全集2 塩屋竹男訳,『悲劇の誕生』
◆1994 ニーチェ全集3 渡辺二郎訳,『哲学者の書』
◆1993 ニーチェ全集4 小倉志祥訳,『反時代的考察』
◆1994 ニーチェ全集5 池尾健一訳,『人間的、あまりに人間的(1)』
◆1994 ニーチェ全集6 池尾健一訳,『人間的、あまりに人間的(2)』
◆1993 ニーチェ全集7 茅野良男訳,『曙光』
◆1993 ニーチェ全集8 信太正三訳,『悦ばしき知識』
◆1993 ニーチェ全集9 吉沢伝三郎訳,『ツァラトゥストラ(上)』
◆1993 ニーチェ全集10 吉沢伝三郎訳,『ツァラトゥストラ(下)』
◆1993 ニーチェ全集11 信太正三訳,『善悪の彼岸・道徳の系譜』
◆1993 ニーチェ全集12 原佑訳,『権力への意志(上)』
◆1993 ニーチェ全集13 原佑訳,『権力への意志(下)』
◆1994 ニーチェ全集14 原佑訳,『偶像の黄昏・反キリスト者』
◆1994 ニーチェ全集15 川原栄峰訳,『この人を見よ・自伝集』
◆1994 ニーチェ全集別巻1 塚越敏訳,『ニーチェ書簡集(1)』
◆1994 ニーチェ全集別巻2 塚越敏,・中島義生訳,『ニーチェ書簡集(2)・詩集』
◆1994 ニーチェ全集別巻3 原佑・吉沢伝三郎訳,『生成の無垢(上)』
◆1994 ニーチェ全集別巻4 原佑・吉沢伝三郎訳,『生成の無垢(下)』

【研究書・関連書】


◆1954 Jaspers,Karl 『ニーチェの実存的意義』,草薙正夫訳,新潮社,167p.
◆1960 Lowith,Karl 『ニーチェの哲学』,柴田治三郎訳,岩波書店,360p.
◆1962 Deleuze, Gilles Nietzsche et philosophie, P.U.F.=19820720 足立和浩訳, 『ニーチェと哲学』,国文社,新装版,358p. \3605 ※
◆1964 吉沢 伝三郎 『パスカルとニーチェ――愛と実存の論理』,勁草書房,414p.
◆1967 竹内 芳郎 『実存的自由の冒険――ニーチェからマルクスまで』
◆1967 Shestov, Lev 『善の哲学――トルストイとニーチェ』,植野修司訳,雄渾社,308p.
◆1969 吉沢 伝三郎 『ニーチェと実存主義』,理想社,188p.
◆1969 多田 利男 編訳 『ニーチェ案内――詩と箴言から』,勁草書房,445p.
◆1969 信太 正三 『永遠回帰と遊戯の哲学――ニーチェにおける無限革命の論理』,勁草書房,477p.
◆1970 山崎 庸佑 『ニーチェと現代の哲学』,理想社,317p.
◆1971 原祐 『ニーチェ――時代の告発』,以文社,330p.
◆1972 Sonns, Stefan 『ニーチェの良心論』,水野清志訳,以文社,253p.
◆1975 矢島 羊吉 『ニヒリズムの論理――ニーチェの哲学』,福村出版,235p.
◆1975 Simmel, Georg 『ジンメル著作集5 ショーペンハウアーとニーチェ』 吉村博次訳,白水社  千葉社0844共通
◆1976 氷上 英広 『ニーチェの顔』,岩波書店,岩波新書(青),225p.
◆1977 西尾 幹二 『ニーチェ(1・2)』,中央公論社
◆1981 高松 敏男 『ニーチェから日本近代文学へ』,幻想社,249p.
◆1982 Schubart,Walter 『ドストエフスキーとニーチェ――その生の象徴するもの』,駒井義昭訳,富士書店,189p.
◆1983 Mullerlauter,Wolfgang 『ニーチェ・矛盾の哲学』,秋山英夫・木戸三良訳,以文社,268p.
◆1985 関塚 正嗣 『ニーチェ哲学研究』,高文堂出版社,178p.
◆1985 Deleuze, Gilles 『ニーチェ』,湯浅博雄訳,朝日出版社,216p.
◆1987 村上 嘉隆 『ニーチェ』,村田書店,214p.
◆1988 氷上 英広 『ニーチェとその時代』,岩波書店,272p.
◆1990 三島 憲一 『ニーチェとその影――芸術と批判のあいだ』,未来社,270p.
◆1992 青海 健 『三島由紀夫とニーチェ』,青弓社,178p.
◆1992 Bataille,Georges 『ニーチェについて――幸運への意志(無神学大全)』,酒井健訳,現代思潮社,404p.
◆1994 竹田 青嗣 『ニーチェ入門』,筑摩書房,ちくま新書,237p. \756
◆1995 青木 隆嘉 『ニーチェを学ぶ人のために』,世界思想社,293p.
◆1996 今村 仁司ほか 『現代思想の源流――マルクス ニーチェ フロイト フッサール(現代思想の冒険者たち)』,講談社,397p.
◆19980520 永井 均 『これがニーチェだ』,講談社現代新書1401,221p.,660円 松本134
◆1999 清水 真木 『岐路に立つニーチェ――二つのペシミズムの間で』,法政大学出版局,288p.
◆19991015 水野 清志 『ニーチェを読む』,南窓社,196p. ※
◆20000520 小泉 義之 『ドゥルーズの哲学』 講談社現代新書1504,216p. \660
◆2002 神崎 繁 『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか(シリーズ・哲学のエッセンス)』,日本放送出版協会,126p.
◆20030910 清水 真木 『知の教科書 ニーチェ』,講談社,238p.
◆2008 村井 則夫 『ニーチェ――ツァラトゥストラの謎』,中央公論新社,中公新書,361p.


【雑誌特集】


◆19740601 特集:ニーチェ──虚無を直視する真昼の思想
 『現代思想』02-06 680 ※
◆19761120 11月臨時増刊号:総特集=ニーチェ
 『現代思想』04-12 780 ※
◆19810301 特集:ニーチェと現代
 『現代思想』09-03 780 ※

◆198103 田村 俶 「ニーチェの主題,フーコーの変奏」 『現代思想』9-3(1981-3):76-88→田村[1989:49-79]* 
 *19890520 田村 俶 『フーコーの世界』 世界書院,240p.  杉並135-5
◆19951231 篠田 英朗 「ニーチェ──反政治と大政治の思想」 藤原・飯島編[1995:106-124]*  ※
 *藤原 保信・飯島 昇蔵 19951231 『西洋政治思想史・U』 新評論,488p. 4429 ※



●引用/言及●

■ルサンチマン

 「道徳における奴隷一揆は、ルサンチマン(怨恨 Ressentiment) そのものが創造的となり、価値を生み出すようになったときにはじめて起こる。すなわちこれは、真の反応つまり行為による反応が拒まれているために、もっぱら想像上の復讐によってだけその埋め合わせをつけるような者どものルサンチマンである。すべての貴族道徳は自己自身にたいする勝ち誇れる肯定から生まれるのに反し、奴隷道徳は初めからして<外なるもの>・<他のもの>・<自己ならぬもの>にたいし否と言う。つまりこの否定こそが、それの創造的行為なのだ。価値を定めるまなざしのこの逆転――自己自身に立ち戻るのでなしに外へと向かうこの必然的な方向――こそが、まさにルサンチマン特有のものである。」(『善悪の彼岸・道徳の系譜』ニーチェ全集11、ちくま学芸文庫、p.393)

Connolly, William E. 1988 Political Theory and Modernity, Basil Blackwell=19930730 金田耕一・栗栖聡・的射場敬一・山田正行訳,『政治理論とモダニティー』,昭和堂,355+5p. 3495 ※

 「たとえば、正義を例にとろう。ニーチェの存在論は、正義を切望することは常にルサンチマンの表われであるという理由で、この問題を排除するのだろうか。ニーチェ自身の政治的発言に即してではなく、この存在論の枠組の内部で思考することによって、われわれは今日、正義が中心的な問題であると申し立てることができる。というのも、ルサンチマンは二つの源泉に由来するからである。第一に、人間の条件が、苦難や死に対していかなる超越論的目的も与えないことへの怒りに。第二に、ある者の利益のために別の者に苦難と損失を課すような制度的仕組に。後期近代のルサンチマンはこのように重層的に決定されている。ルサンチマンの構成要素はそれぞれ、他者と創造的につき合おうとする努力を阻止する。こうしたルサンチマンの二重の重荷によって育まれた復習の精神が、今日では国家内部の関係や国家間の関係にまで浸透しているのである。」(Connolly[1988=1993:315])

 「狐は葡萄に手が届かなかったわけですが、このとき、狐が葡萄をどんなに恨んだとしても、ニーチェ的な意味でのルサンチマンとは関係ありません。ここまでは当然のことなのですが、重要なことは「あれは酸っぱい葡萄だったのだ」と自分に言い聞かせて自分をごまかしたとしても、それもまだニーチェ的な意味でのルサンチマンとはいえない、ということです。狐の中に「甘いものを食べない生き方こそがよい生き方だ」といった、自分を正当化するための転倒した価値意識が生まれたとき、狐ははじめて、ニーチェが問題にする意味でのルサンチマンに陥ったといえます。」(永井均『ルサンチマンの哲学』河出書房新社、p.16)

■言及

◆立岩 真也 2013 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版

第2版補章1・注9(案)より
 ☆09 『唯の生』([2009a])でも(問いの部分だけ)紹介したが、デリダとの対談(あるいはデリダへのインタビュー)で、ルディネスコが次のように語り、問う(言及されているのはCavalieri & Singer eds.[1993=2001]
 […]
 高草木光一が企画した慶応義塾大学での(二人で順番に話し、その後対談するという形の)講義で最首悟(→●・●頁、その時の話は最首[2009])と話した時、最首は人が殺す存在であることから考えを始めるべきであることを語った。私もそんなことを思ったことがないわけではないが、考えは進んでいなかった(し、今も進んでいない)。次のように述べた。
 「最首さんが提起された「マイナスからゼロヘ」の過程をどう考えるかということと、思想の立て方としては違うはずなのですが、西洋思想のなかにも「罪」という観念があります。その「罪」は、まず基本的には、法あるいは掟に対する違背、違反です。法は神がつくったもので、具体的な律法に違反したら罪人であるという。それは律法主義です。ただキリスト教はそれに一捻り利かせていて、行為そのものでなく、行為を発動する内面を問題にすることによって、律法主義を変容させていく。
 フーコーは、そういう系列の「罪」の与えられ方に対して一生抵抗した思想家だと私は思っています。ニ一チェ、フーコーというラインは、そこでつながっています。自分ではどうにもならないものも含めて人に「悪意」を見出す、そしてそれを超越神による救済につなげる。つなげられてしまう。これが「ずるい」、と罪の思想に反抗した人たちは言うわけです。私はそれにはもっともなところがあると思います。そして同時に、その罪の思想においては、人以外であれば殺して食べることについては最初から「悪」の中には勘定されていない。そうした思想は、どこかなにか「外している」のかもしれません。
 「悪人正機」という思想は、それと違うことを言っているように思います。では何を言っているのか。親鷲の思想にはまったく不案内ですが、いくらか気にはなっています。吉本『論註と諭』という本(一九七八年、言叢社)は、マルコ伝についての論文が一つと親鸞についての論文が一つでできています。前者の下敷きになっているのはニーチェです。吉本とフーコーがそう違わない時期に独立に同じ方向の話をしている。そちらの論文に書いてあることは覚えていますが、親鸞の方はどうだったか。ずいぶん前に読んだはずですが、何が書いてあったのだろうと。二つが合わさったその本はどんな本だったのだろうなと。
 そして去年(二〇〇七年)、横塚晃一さんの『母よ!殺すな』という本の再刊(生活書院刊)を手伝うことができましたが、彼の属していた「青い芝の会」の人たちは、しばらく茨城の山に籠っていた時期もありました。そこの大仏空(おさらぎあきら)という坊さんの影響もあるとも言えましょうが、悪人正機説がかなり濃厚に入っている。それをどう読むか、それも気にはなってきていることです。
 「殺すこと」をどう考えるかは厄介です。否応なく殺して生きているということは、殺すことそれ自体がだめだということではないはずです。そして、ならば殺すのを少なくすればそれでよい、すくなくともそれだけでよいということでもないのでしょう。殺生を自覚し、反省し、控えるというのは、選良の思想のように思えますし、人間中心的な思想でもあります。最首さん御自身の「マイナスから始めよう」という案も含め、落とし穴がいくつもあるように思います。功利主義的な議論のなかでは、「殺すことがいけないのは苦痛を与えるからだ」という方向に議論がずれてしまう。だから、遺伝子組み換えで苦痛を感じない家畜をつくり出してそれを殺すのならば、少なくとも悪いことではないということになっていく。これはさすがに、多くの人が直観的におかしいと思うでしょう。
 こうした問題は、それはどんな問題であるかは、これまであまり考えられてこなかったように思います。西洋思想の系列にはその種の議論がないか薄いように思います。それでも、ジャック・デリダ(Jacques Derrida,1930−2004)とエリザベート・ルディネスコ(E1isabeth Roudinesco,1944−)の対談集『来たるべき世界のために』のなかで、動物と人間の関係や、動物を殺すことについて少しだけ触れた箇所があります。ピーター・シンガーたちの動物の権利の主張について質間を差し向けられて、デリダはいちおう答えてはいますが、その答えの歯切れはよくないし、たいしたこと言ってないんじゃないかと。アガンベン(Giorgio Agamben,1942−)には、酉洋思想や宗教が動物と人間の境界をどう処理してきたのかという本(『開かれ――人間と動物』)もありますが、ざっと読んでみても、ああそうかとわかった気はしない。ただ、いま思想が乗っている台座を間うていけば、そんなあたりをどう考えるのかが大切なことのようにも思えます。どう考えたらよいのか、しょうじきよくわかりませんが。」(最首・立岩[2009]における立岩の発言)
 それに対して最首は次のように応じている。
 「いま、吉本隆明の「マチウ書試論」(『芸術的抵抗と挫折』未來杜,一九五九年、所収)にまたもどってきているというか、「絶対」と「憎悪」と〈いのち〉というと、問題意識を少し言えそうな気がします。」
 「マチウ書試論」(吉本[1959]、マチウ書=マタイ伝)の最初の部分は一九五四年に発表された。第6章注1・●頁で引いた「喩としてのマルコ伝」は一九七八年に書かれた。吉本はこれらの新約聖書(福音書)についての文章についてニーチェとマルクス(「喩としてのマルコ伝」では加えてヘーゲルとエンゲルス)の仕事に、とくにニイチェに言及している――「マチウ書試論」のあとがきには「キリスト教思想に対する思想的批判としては、ニイチェの「道徳の系譜」を中心とする全著書が圧倒的に優れていると思う。わたしに、キリスト教思想にたいする批判の観点をおしえたのは、ニイチェとマルクスとであった」と記されている(cf.Nietzsche[1885-86=1970,=1993][1887=1940,=1993]他)。フーコーの『性の歴史』の第一巻は一九七六年(Foucault[1976=1986])。フーコーと吉本は後でかみあわない対談をしていて、吉本[1980]に収録されている。
 『論註と喩』(吉本[1978])は「喩としてのマルコ伝」と「親鸞論註」によりなるが、それ以前に吉本が親鸞を論じた著作として代表的なものに『最後の親鸞』(吉本[1976])。そこには次のような文章がある。[…]」


*作成:?  更新:石田 智恵(20081006,1008)
UP:? REV:20030606,0626,0701,20081006,1008, 2013025
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