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ポストモダニズムと歴史叙述

ヘイドン・ホワイト(吉田寛+立命館大学「物語と歴史研究会」訳) 2010/07/05
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20100705
吉田 寛・篠木 涼櫻井 悟史 編 20100705 『特別公開企画アフター・メタヒストリー──ヘイドン・ホワイト教授のポストモダニズム講義』,生存学研究センター報告1,191p. ISSN 1882-6539 ※


 まず最初に、ポストモダニズムとは、一つの時代を画する自己意識、20 世紀のモダニズムが生み出した確実性が失われた状況下で仕事や創造を行わなければならなかった多くの芸術家や知識人が共有してきた感覚を示す言葉である。事実、ポストモダニズムは、啓蒙主義の時代以来「進歩」への西洋の信頼を支えてきた確実性、客観性、その基礎づけ方、さらには真理そのものへの探究が崩壊した、その廃墟の上に生み出された。それゆえ、ポストモダニズムという言葉は、際だって近代的なものとされているような確実な認識内容、またはユートピア的願望というより、むしろそれが、啓蒙主義の時代以降、哲学的、社会的に受け継がれてきたものを否定し、拒絶し、あるいは単に放棄してきたことによって定義できる。しかしながら他方で、ポストモダニズムという言葉は、1950 年代以降にあらわれた建築、文学、映画、芸術、精神分析、哲学、人文科学における多くの文化的運動のことをも指している。そうした運動は、建築のインターナショナル・スタイルによって代表されるような芸術上のモダニズムの限界、偏見、幻想を超克することを目指すものであった。例えば、文学ではT・S・エリオット、エズラ・パウンド、ジェイムズ・ジョイス、フランツ・カフカ、ヴァージニア・ウルフ、マルセル・プルースト、ガートルード・スタイン、芸術では、シュルレアリスムやキュビズム、そして抽象表現主義によって代表される歴史的アヴァンギャルドなどがそこに含まれる。この二つの種類のポストモダニズムのいずれも、あらゆる種類の基礎づけ主義──認識論的、存在論的、倫理的、そして審美的な──に対する疑いをともに抱いている。この基礎づけ主義の拒絶は、19 世紀半ば以降、歴史研究が生んできたような種類の知を支持し、権威づけてきた諸観念──認識論的、存在論的、倫理的そして審美的な──の拒絶をも意味している。こうしたことは、ポストモダニストが過去、歴史、およびその解釈に興味を持たないということを意味するのではない。それどころか、多くのポストモダニストは、歴史についてのとりわけポストモダニズム的な見方が、姿を現しつつあるグローバル社会と、それを可能にしてきた新しい文化的メディアが要求するような種類の知に対して、唯一の基盤を提供するものであると信じている。

 しかしながら、このポストモダニズム的な「歴史」の見方には、近代的、科学的歴史研究の基盤として措定されてきたものとの共通点がほとんどない。事実、そうした歴史の見方は、実用的(政治的、教育的、思想的な意味で)目的のために引き出される教訓話の貯蔵庫として、そして学問的分野というより一つの談話として歴史が理解されていた、近代以前の歴史の捉え方にずっと近い。ポストモダニスト──建築、美術、文学、映画、哲学での──は過去を、様々な形式やメディア、ジャンル、あるいは思想の、茫漠として未完成で断片的で脈絡のない共時的な集積と見なす傾向がある。彼らはそれらを「オブジェ・トゥルヴェ」のように扱うことができると考えている。まるでデュシャンの「泉」(デュシャンがR・マットと署名し、逆さ吊りにした男性用小便器。それは美術館に展示されたために、芸術作品に変換される効果を持った)のような仕方で。ポストモダニストにとって「過去」──二度と取り戻せない不在のもの、足跡や断片や痕跡によってのみ接近可能なものとしての──とは、記憶や夢想や空想の場、従って詩的着想の場でしかなく、(科学的な指向を持った近代の専門的な歴史家にとってそうであるように)多かれ少なかれ実際そうであった通りに復元されたり表象されたりすることができる過去の人間行為の空間ではない。ポストモダニストがよりいっそうの関心を持つのは、過去へ思念をめぐらすことによって──多かれ少なかれ芸術的な手法で──生み出される諸々の意味の方であり、資料的記録によって証明されたバラバラの歴史的時期についてのまとまった正しい言明として理解される真実ではない。ポストモダニストの立場にたつ歴史はほとんどない。なぜならポストモダニストは、専門的な歴史家が科学的な歴史叙述として認識しているものを拒否しているからである。実際、ポストモダニズム的な「過去」の扱い方は、もっぱら芸術作品の中に見出される。すなわち、「歴史小説」(たとえば、ドン・デ・リーロの『リブラ──時の秤』や『アンダーワールド』、J・M・クッツェーの『敵あるいはフォー』、ジョン・バンヴィルの『アンタッチャブル』、フィリップ・ロスの『アメリカン・パストラル』や『アメリカに抗するプロット』)、叙事詩的映画(ダニエル・ヴィーニュの『マルタン・ゲールの帰還』、リチャード・アッテンボローの『ガンジー』、トニー・リチャードソンの『遥かなる戦場』、あるいはオリヴァー・ストーンの『JFK』)、ドキュメンタリー(クロード・ランズマンの『ショアー』あるいはアラン・レネの『夜と霧』)、場の構築(たとえば、クリストによる国会議事堂の「梱包」)、コミックス(アート・スピーゲルマンの『マウス──ある生き残りの物語』や『消えたタワーの影の中で』)、アンゼルム・キーファーの絵画、クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション、博物館学的な修正主義(たとえば、ベルリンにあるリベスキンドの「ユダヤ博物館」)、あるいは証言文学(たとえば、プリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない──あるイタリア人生存者の考察』)といった諸作品の中にこそ、見出されるのだ。もちろん、サイモン・シャーマの『死の確信』やカルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』など、ポストモダニズム的な手法での歴史叙述の試みも、付け加えておかねばならないが。

 ポストモダニストによる過去の表象[再現前化](あるいは単に「現前化」といった方がよいかもしれないが)の実験の多くは、伝統的な科学的歴史への不満、すなわち、そうした科学的歴史が20 世紀の全体主義的体制と結びついた「極端」な出来事を、効果的に扱えなかったり、扱うことをしぶったことへの不満に由来する。そうした「極端」な出来事としては、いわゆる「ホロコースト」に限らず、「産業化されたジェノサイド」全般、核兵器の使用(広島、長崎)や他の大量破壊兵器(焼夷弾爆撃、対人地雷、長距離ロケット等)の使用、世界的な人口の爆発的増大と移住、新種の病気(エイズなどの)、さらにグローバリゼーションの進行などがあげられる。これまでは歴史の大きな出来事に対して周縁的なものとして扱われてきた人々の側から、彼らがそうした極端な出来事の中で経験したことを表象しようとする普遍的要求が生じ、それが新しいジャンルの遺言的で殉教者的な(証言)文学やビデオ、映画を生み出した。それにともない、歴史と記憶との間の古くからの対立が問題とされ、記憶を訂正するものとしての歴史は、直ちに、「虐げられた人々の記憶を抑制するものとしての歴史」と考えられるようになった。ヴァルター・ベンヤミンによる、歴史上の名もない人々、無視されてきた人々のための簡潔な文章が広く認知されたのは、専門的な歴史叙述が、歴史の「勝者」と一体であったこと、もっぱら歴史上の偉大な人物たちの行動にのみ関心を示してきたこと、さらには権力や庇護者の中枢と結びついてきたことへの批判としてであった。フェミニズムや女性史、ポストコロニアル研究、カルチュラル・スタディーズ、「下からの歴史」、対抗的な歴史叙述といった、専門的な歴史叙述の周縁部での運動は、専門的な歴史研究への無関心を広げ、かつ増大させることに寄与したが、それはまた、[これまでの歴史の]専門化、ミクロな現象への偏向、そして意味への欲望に反対して真理を探究すること[の価値]を貶めた。意味への要求、過去の虐げられた人々への関心、あらゆるものが歴史の主題へと包摂されるように訴えること、専門化の拒絶、極端な歴史的出来事についての「目撃」経験に魅了されること、そして最後に、これらの極端な出来事が新しい種類の歴史が到来する前兆であると信じること。こうしたことのすべてが、20 世紀初頭から受け継がれてきた「科学的歴史研究」の諸原理とは相互に相容れない過去に対する態度、あるいは過去の研究に対する[新しい]態度を促した。歴史哲学の中で、より正確に言えば、専門的歴史家が生み出してきた種類の知識の可能性と限界についての哲学的研究の中で、このような態度は、観念論者(コリングウッド、クローチェ)、実証主義者(ポパー)、実存主義者(ハイデガー、サルトル)、現象学者(ガダマー、メルロ=ポンティ、リクール)、そして私が歴史主義者と呼ぶような一団(アロンとブロッホ、アイザイア・バーリン、マイネッケ)を巻き込んで1930〜 40 年代から進行してきた、果たして歴史は真の意味で「科学」と呼ばれうるのか否かをめぐる論争の成果と一体化することになった。

 この論争は、[この原稿がもともとそのために書かれた]この辞典の他の項目において扱われるか、すでに扱われているはずである。さしあたってここで重要なのは、この論争が、ポストモダニズムの成果であるその独特の疑問点や問題にどの程度関係しているかということだ。一方でその問題とは、言語や言説、物語に関わるものであり、他方でその疑問点とは、歴史と文学の関係についての正統的とされてきた見解に関わるものである。

 ポストモダニストの過去や歴史の扱い方は(過去を扱うことがすべてが「歴史的」というわけではないが)[専門的な]歴史家によって(もっとも彼らがそれらにわざわざ言及してくれる場合に限ってのことだが)幾つかの類型的な批判を受けてきた。彼らによればポストモダニストは、過去は実在性を持たない、歴史はテクストである(に過ぎない)、歴史的表象の基本的問題は物語化という問題である、過去の表象にあたっては事実と虚構の間に重要な区別はない、そして終いには、歴史上の現象は、出来事の連鎖についてのモデル構築や因果関係の分析よりも、ストーリーを語ることによって最もよく理解される、という信念をすら持っているのだ。ここで述べておくべきことは、わずかな例外(R・エヴァンス、K・ジェンキンス、E・ドマンスカなどが著名だが)を除けば、こうしたポストモダニズムについての見解は、専門的な歴史家たちの単なる嘆きであって、科学的な厳格さを持った[反論]提示や応答ではないということだ。また特定のポストモダニストの考え(例えばリクール、アルトーグ、デリダ、フーコー、ホワイトなどの)に共感するような著作に対しては、専門的歴史家は、それらが備えている相対主義や懐疑主義が社会的に危険であると警告することで応えるのが常であった。もっとも批判の対象となっているのは、次の二つの考え、すなわち、歴史と文学の関係と、テクストとしての世界という概念である。

 歴史と文学の関係についての議論は、ランケがウォルター・スコットに対して行った有名な批判、つまり、歴史的事実と虚構を混ぜ合わせたことに対する批判にまで遡る。歴史研究は、ランケ以前の時代には一般的に歴史叙述に混ぜ合わされていたたくさんの言説や慣習──すなわち神学、哲学、修辞法、ロマンスなど──を取り除くことで、一つの科学へとかたちを変えたのである。こうしたものの排除は、歴史研究を真実なるものに引き渡そうという関心のもとで実行されたのだが、そこで意味されていたのは、過去を事実に忠実に表象[再現]することであった。このことは、西洋文化における過去を理解しようとする努力を二つに分けるという結果をもたらした。専門的歴史家は、過去についての事実を確立・確証することに関心を払い、一方、その他の大勢の人々──哲学者、小説家、詩人、さらには増大しつつあった社会科学者──は、過去を理解することの意義に関心を持つよりも、現在を理解するために過去の事実の意味に強い関心を持つようになった。こうした問題がおこったのは、第二次大戦後、ホロコーストあるいはショアーと呼ばれるものに関してであった。ユダヤ人に対するナチスのジェノサイドが過去の中に消えていき、そうした過程を通じてはっきりと「歴史的」出来事に姿を変えていく中で、その生存者たちがとりわけ関心を持つようになったのは、その事件が起きたという事実よりも、むしろ、そうした出来事を経験することは一体いかなる感じであったのか、またそれが社会にとって、すなわち、この出来事に対して責任があり、あるいは多くの場合、その遂行を補助するか、ただ傍観し、何ら重要な抵抗を示さず起こるにまかせていた社会(啓蒙化され、人道主義的で、人間的で、理性的だと見なされてきた)にとって、どのようなことを含意していたのか、ということであった。若干の明らかに病的な似非歴史家や科学者、学者たち(修正主義者として知られている)を例外として除けば、その出来事が起こったということは実際には誰も否定できない。ただその起こり方と、遂行のされ方が、ルネサンス以来西洋が誇ってきた科学的・人文主義的文化の基本的諸前提のほとんどを疑問に付したのである。ホロコーストについてだけではなく、他のジェノサイドや脱植民地化の経験、移民、近代戦争の脅威についても、「目撃」証言の総体が増大したことが示すのは、「芸術的」著述(プリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない──あるイタリア人生存者の考察』のような)や(ランズマンの『ショアー』のような)映画の方が、従来の歴史の語り手によるドライで慎重な人間味のない口調よりも、新しい同時代の経験の「衝撃」を伝えるのに、はるかに適していたということである。結果、ポストモダニストの間で、過去だけではなく、歴史としての現在を扱う手段として、歴史の芸術的表象へ向かう欲望が回帰してきた。

 「歴史としての現在」。西洋文学におけるリアリズムの発展についての重要な著作である『ミーメーシス』の中でエーリッヒ・アウエルバッハは、近代の文学的リアリズム──スタンダールから、バルザック、ディケンズを経て、後にはゴーゴリ、トルストイ、マン、プルースト、ウルフまで──の基礎は、現在を歴史として扱うことにあると主張した。言い換えると、かつて歴史は過去についてのものに過ぎなかったが、19 世紀初頭に「現在」が「歴史」に加えられた。それは今や、コゼレックによれば、それ自体の権利において一種の原因の力となったのである。今や人々は「歴史的な力」や「歴史的な過程」について語りうるようになった。それによって、かつてはそこから、過去を「すっかり乗りこえられて終わったもの」として眺めることができた安定した現在は、そこからは誰も確信を持って過去も未来も眺めることができないような、波打ちながら動く暴力的な基盤へと変化したのである。

 19 世紀の文学的リアリズムが、その指示対象として──その究極の指示対象として、と言ってもよい──歴史的実在を取り上げたのは、そうした意味においてであった。文学的リアリズムはその歴史的実在を、戦争や政治や偉人に執着した専門的歴史家には決して想像もできなかったような方法で、綿密に描き、深く吟味したのであった。これこそが、ウォルター・スコット卿の真の遺産であった。彼はランケによって小説家として退けられたが、実際には、実現されるべき図としての現在との関わりにおいて過去を研究する方法を発明した人物であった。そして、「高級」文学の最終的な指示対象としての歴史に対するこの関心は、文学的モダニズム──プルースト、ジョイス、エリオット、パウンド、ウルフ、ブレヒト、スタイン、ムージルなど──の中に生き続けた。重要なことは、歴史は真実だけでなく意味をも伴わなくてはならないということであった。これは象徴化を意味する。

 今や、文学上のモダニズムに関する重要な論点は、事実に基づく言説と虚構の言説の対立が、様々な種類の著述間の単なる差異に取って代わられるということなのだ。文学的な著述と実用的な著述の主要な違いは、メッセージに対する「構え」(Einstellung)──すなわち、意味[の位相]を指示対象からその中で言説が表現されるコードへと逸らすような──によって後者が前者から区別される、という点にある。この見方からすれば、事実の著述とフィクションの著述の区別は、指示対象の現実性もしくは非現実性よりも、提示物の中に明示された「文学性」(修辞的技巧の使用)の度合いに左右される。したがって、事実に基づく文学的著述(ホイジンガの『中世の秋』のような歴史的著作が例になるかもしれない)と、フィクション的な文学的著述(例えば『フィネガンズ・ウェイク』)がありうる。しかし、もし「事実に基づく」著述という語が、その指示対象としての「現実の世界」を持つ著述を意味するならば、マンの『ブッデンブローク家の人びと』や『魔の山』、ムージルの『特性のない男』のような作品は、近代の社会史家によって書かれたどの著作と比べても遜色のないくらい「事実に基づく」ことになる。また、ドン・デリーロの『リブラ』、ノーマン・キングズレー・メイラーの『森の中の城』、ジョン・バンヴィルの『アンタッチャブル』、ジョン・マックスウェル・クッツェーの『恥辱』のような作品も然りである。トルストイの『戦争と平和』と同じく、これらの作品は、一つの時代、時期、期間について、その歴史的実質あるいは本質をつかみ取ろうとしているのだ。そのために、彼らは、古文書の中から見つかったものについて報告する者とは違い、彼らが指示する出来事を物語り、プロット化し、それによってそれらの出来事に劇的な重みと象徴的な深みを与えなくてはならない。現代の科学的歴史家たちによって、単なるレトリカルな文彩や飾りとして、あるいはイデオロギー(ブローデルいわく)とまで言われて、次第に軽蔑されるようになってきた歴史叙述における物語性は、こうして、ポストモダニズムの歴史小説の中で、存在(事実性)と価値(意味)を媒介[仲裁]するためのパラダイムとして復活したのである。

 それらのすべてが、科学としての歴史と叙述としての歴史の間の違いへと、そしてまた、テキストおよびテキスト性というポストモダニズム的概念と「歴史」(研究ならびに表象の対象としての)の概念化との関係へと、われわれを引き戻す。

 付記:ポストモダニズムの歴史観は現在志向であり、主として、それが現在に役立つように使用可能な限りにおいてのみ、過去に興味を持つのである。したがって、リオタールがポストモダニズムの起源を、歴史の方向や目的、意味を開示することを目論んだ普遍史の「大きな物語」の拒絶の中に見出したとき、彼は半分だけ正しかったことになる。専門的歴史家や歴史哲学者たちは、「大きな物語」の放棄をリオタールが口にするはるか以前から、それを神話またはイデオロギーとして捨て去っていた。しかしポストモダニズムはさらに進んで、神の摂理や進歩、世界精神の弁証法(ヘーゲル)、マルクス主義といった「大きな物語」だけでなく、専門的歴史家たちの「小さな物語」も同様に拒絶する。どちらの種類の歴史叙述も、現代の実用的なニーズと無関係であると考えられるからである。
 そうしたニーズの中心には、とりわけナチスのジェノサイドに代表されるような「過ぎ去ろうとしない」過去に「慣れる」ということがある。それは、フランス革命の時代この方、国家とブルジョア社会に奉仕する専門的歴史家によって支えられてきた進歩や啓蒙、ヒューマニズムといった神話が偽りであると暴いた、そのような過去である。ポストモダニストにとって、専門的歴史家が言うところの「歴史的過去」は抽象[概念]であり、そんなものは歴史の本の外には存在したことがないし、誰も──それに惑わされた歴史家はいるかもしれないが、彼らを除けば──経験したことがないし、究極的には専門的歴史家たち自身にとってのみ意味を持つものに過ぎない。ポストモダニストの関心をひくのは、現在に存在し続ける過去であるが、それは遺産や伝統というよりも、幻想や記憶、「抑圧されたものの回帰」、亡霊、不可解なもの、脅威、あるいは重荷として存在するものである。この過去は「徹底操作(perlabore)」されねばならない。その重荷を現在から取り去り、現在生きている人々が過去の妄想を脱して未来に進むことができるように。ここにおいて歴史学(historiology)は、キリスト教、ヒューマニズム、進歩、マルクス主義、実質的合理性、資本主義、形而上学、英雄的主体、ブルジョア的歴史叙述といった大きな神話が解体した後にやってきた「喪の作業(travail du deuil)」を助けているのだ。そこでは、過去を幻想、快楽、形式の遊戯の空間として、さらにはユートピア的可能性の空間としてさえ、用いることが可能になる、とポストモダニストは断言する。

 過去と歴史についてのこうしたポストモダニズム的概念の形成は、それらの潜在的な治療機能(伝統的、専門的歴史叙述の単なる教訓的な機能に対するものとしての)を強調する点で、フロイト的術語──大ざっぱなものだが──によって枠付けられている。こうした形成のされ方からは、また、ポストモダニズムを批判する者たちが、その誤謬や間違い、あるいはまったくの妄想と見なしているものについての説明が可能になる。

 まず、ポストモダニストが問題にするのは、歴史とは何か、歴史はいかにして学ばれるのか、歴史的知識の正当な使用法とは何か、ということを決めるための権威を持つのは歴史家だけである、という専門的歴史家の思い込みである。これに対してポストモダニストは、誰も歴史を所有しない、誰もが理論的目的のためにも実践的目的のためにも歴史を研究する権利を持つ、また歴史の過去と記憶の過去とはまったく異なるものである、と信じる傾向がある。そして、過去に何が起こったのかを発見するよりも、過去の出来事の犠牲者にとって、また同様にその行為者にとって、それらが「どのように感じられたのか」を発見する方がより重要だ、とも。こうした理由で、ポストモダニストは「証言」というジャンル、実験的でシュルレアリスム的とすらいえる文学的装置や神話的なプロットの使用を好み、また映画的な「特殊効果」や詩的な修辞や文彩を好むのである。さらに彼らが過去──その輪郭が明確というよりは曖昧な、その意義が英雄的というよりはグロテスクな、その形式が固定したものというよりは柔軟な、そうした過去──の提示=表現(Darstelllung)のためにドキュメンタリーと「虚構(フィクション)の」技法を混ぜ合わせることを推奨するのもそのために他ならない。歴史的意識へのポストモダニズムの主な貢献は以下のような[原稿では略されている]小説の中に見出される。

 専門的歴史叙述の意義や特性を無視したことで、ポストモダニストは相対主義や懐疑主義という非難に晒されるが、それらはしばしば、ありうる知的立場というよりは、[道徳上の]罪として扱われている。相対主義は認識論的または道徳的な無秩序につながるために、知的理由と同じくらい倫理的理由によっても抵抗すべきものであると言われている。同様に、懐疑主義も、道徳的理由からも知的理由からも反対されるべきものと言われている。それはピュロニズムやニヒリズム、カオスにつながるものと考えられている。あたかも、歴史的真実はわれわれが持つ唯一の真実であり、それが少しでも弱体化すれば文明そのものの基盤が揺らいでしまう、と言わんばかりだ。

 これらの非難に対して、ポストモダニストはこう答える。すなわち、ポストモダニズムが専門的歴史家に対して懐疑的であることは確かだが、それは彼らの仕事が退屈だから、別の言い方をすれば感傷的だから、という理由からだけではなく、彼ら自身が特定の利害関心を持つ集団──例えば国家や裕福なパトロン、企業、また大学そのものもだが──に雇われているように見えるからでもある。そのうえ、彼らの目的が、過去をまるで不動産の一部であるかのように扱い、非専門家が彼らの縄張りに侵入することを阻止し、それに接近する権利を専門的研究者のみに委ねることにあるように見える。最後に、われわれは、あらゆる種類の知の可能性を否定する形而上学的懐疑主義と、特定の集団──例えば、純粋で飾り気のない「科学者」のように見せかけているが、[実際には]その方法が法律家や、あるいは最悪の場合には占星術師にも似た専門的学者のギルドのような──によって生み出される知についての懐疑主義を区別することができる。

 同じことは相対主義への非難にもあてはまる。それは典型的には、すべての視点は等しく妥当である(また妥当ではない)、合理的根拠に基づいてそれらの中から一つを選択することはできない、従って、思想と行為においては「何でもあり」であり、結果的に、倫理的諸原則は欺瞞であって道徳も幻想に過ぎない、という考えと同一視されている。最終的に、ポストモダニストは、すべての知は特定の対象「についての知」であるだけでなく、特定の社会集団や文化的計画「のための知」でもある、と主張する。従って、過去と歴史について与えられたあらゆる提示=表現の妥当性は、それらを生み出した集団にとっての有用性の観点から評価されるべきだ、ということになる。その基準は、実用的または実用主義的であり、それは自然科学にとって有効であるのと同じくらい人文科学にとっても有効なのだ。歴史研究には、それ自体の歴史があり、それらは時間ごと、場所ごと、そして集団ごとに異なってくる。宗教的信念に基づく歴史──聖アウグスティヌスの『神の国』やジャン・フロワサールの『年代史』のような──が、今日の専門的歴史叙述の基準を満たしていないとはいえ、「歴史的」でないとは言えない、さらには「歴史学的」でないとすら言えないのはそのためである。また、文学や詩、他の芸術的メディアの中に見出される歴史の観念や展望についても同じことが言える。リクールが主張したように、もしも歴史意識が、ある特定の時間経験の産物であるとするならば、この経験の分析に劣らず、その表象も、科学と同様に芸術が提供しうるすべての力=資産[リソース]を必要とするだろう。実際、歴史の主体を変更しようとする努力、産業時代の支配的集団のために構築された過去とは異なる過去を想像しようとする努力、近接する過去を批判し、それが現在に課する制度的諸制約から逃れるための歴史的基盤を提供しようとする努力、これらすべての努力が、専門的歴史家たち以上に、文学や映画、ビデオ、コンピューターに携わる芸術家たちによって、より真摯になされているように思われる。歴史の未来の観念についての展望は、ポストモダニズム的な芸術の中に見出されるだろう。それは、模倣[再現]的であるというより概念的であり、「読む側のもの」であるより「書く側のもの」であり、アルゴリズムよりもシンボルにより関心を持つ、そのような芸術だ。ポストモダニズムの著述[作品]は、例えば、伝統的で物語的で寓話的なストーリーテリングの慣習を超え出ている。

 これは、ポストモダニストが専門的歴史叙述の「小さな物語」に何らかのより大きな信を置いていることを意味するのではない。というのもポストモダニズムは、専門的な歴史家たちによって生み出された過去と歴史についての見解や「大学的人文主義」の諸言説をも拒絶しているからだ。彼らが拒絶するのは、経験主義に対して人文主義的な歴史が持つ素朴な忠誠や「証拠」への信頼、さらには、「アクション・ヒーロー」──すなわち劣等諸民族の征服者にして、文明の担い手──としての「歴史の主体」への信仰である。ポストモダニストにとって、専門的歴史家たちは過去をそれ自体として研究し、他の専門的歴史家たちのために著作を書き、現在のために役に立つ教訓を[過去から]まったく引き出さず、人生に資するような想像力に満ちた歴史の使い方を抑圧しようとしてきたのである(ニーチェ)。フーコーのように、ポストモダニストは、それ自体としてではなく、現在を理解するための手段として、過去に関心をもつ。現在に対してそれが何らかの洞察をもたらさないような場合には、歴史は単なる好古趣味として非難される。ポストモダニストにとって、真実は認識論的問題であるよりも、むしろ、意味論的問題である。過去についてなされる諸々の言明、そして現在を理解する上でそれらが持っている適切さは、[過去に]言われたことよりも、むしろ、言われたことの中で何が意味されているのかに関係している。したがって──現在についてであれ過去についてかであれ──話されたことの重要性は、その中でその発話がなされた文脈から切り離すことができない。真実についてのこうした観念が、ポストモダニズムを、文化的、道徳的、認識論的な相対主義であるとの非難に導くのだ。歴史研究から普遍的なものを導き出すことができることを疑うことで、それはまた懐疑主義であるとの非難にも晒される。しかしながら注意すべきは、もはや知覚可能でない事物についての知の可能性に対する懐疑主義が一方であり、他方で、不在のものであれ現前するものであれ、あらゆるものについての知が不可能であると疑う懐疑主義は、それとはまったく別のものとしてある、ということだ。ポストモダニストは、われわれが過去についての知を持ちうることを否定しない。むしろ、そうした知を構築する上で、われわれは理性とともに想像力を使用しなくてはならない、と言っているのだ。そして想像力という語で彼らは、単なる空想や夢、幻想だけを意味しているのではなく、ヴィーコやロマン主義、ミシュレの流儀に倣った「ポイエーシス」をも意味しているのだ。こうすることでのみ、記憶──個人的または集団的な──をめぐる倫理的主張は、理性の認識論的主張と和解しうるのである。

 アカデミックな、あるいは大学的な歴史叙述は、過去の事実についての真実と、モダニティを理解する上でこの真実が持つ意味合いとの間に横たわっているとポストモダニストが考えている隔たりを埋めることに、あまりに「無関心」過ぎる。フーコーに見られるように、ポストモダニストが、過去に関心を持っていることは疑いないが、その過去とはそれ自体が目的なのではなく、現在についてわれわれに教えてくれるものなのである。これが意味するのは、過去についての諸事実を確証するには、それらの解釈が伴わなくてはならない、ということだ。微細なレベルでの事実──日付や明らかな出来事のように疑問の余地がない事実──をこえたところに、過去と歴史についてのある種の疑問が、すなわちそれらに対しては事実に基づく答えがあり得ないような疑問が、生じる。近代史の大きな出来事、すなわちわれわれ自身のアイデンティティにとってあまりに重大であり過ぎて、われわれがそれらに向き合うことができないような出来事──フランス革命や資本主義、産業主義、ナチズム、あるいはまさにショアーのような──の意味について言えば、決定的な答えはありえない。しかし、それらを解釈する行為に終わりはない。われわれにできるのはただ、解釈を複数化し、それによって過去や歴史、またそこから浮かび上がる人間性についての、あらゆるドグマ的な主張を切り崩すことでしかない。過去はその定義からいって、もはや知覚できないものであるから、過去についての、あるいは過去の諸要素についてのどんな記述も、それが適切であるかどうかをわれわれは決して確かめることができない。この点で過去は、原則として観察可能な現在とは異なっている。だが、われわれが現在という語で意味しているものは、過去と同程度に、思考や想像、空想や希望または恐れによって構築されたものである。従って、死んだ過去とまだ生まれていない未来という二つの淵の間にはまり込んでいるわれわれは、両義性、二律背反、そして失望の中に生きる道を選ばなくてはならない。世界はポストモダニストにとって、ハイデガーやサルトルが1930 年代に提示したものと同じような姿に見えている。哲学も科学もわれわれを助けてはくれない。それゆえにポストモダニストは、歴史的実在のアポリアに何とか対処しようとして、芸術や文学的著述、そして詩的想像力に頼るのである。

 (1)歴史はその始めから、それが実践される時代と場所において一般に認められた科学性の基準に従って、科学の地位を熱望してきた。科学それ自体にも歴史があるから、つまりその構成要素は絶えず変化しているのだから、科学的であろうとする歴史の努力もまた絶えず変化していることになる。歴史家による過去の解釈の仕方と、その[過去の解釈の]現在への関係の仕方が、同じ基準では計れないのはそのためである。科学的になろうとする歴史の千年来の努力の中に連続性や規則的な進歩を見出そうとする典型的な歴史家たちがいる一方で、他方では、同じく典型的に、歴史が科学的になろうとするがなれないという、その絶えざる失敗を記録する歴史家がいる。ある社会が、自分自身を自らの過去(あるいは過去全般)と何の問題もなく結びつけて[一体のものとして]感じている限りは、これはさほど大きな問題にはならない。過去が現在にとっての重荷として感じられ、遺産というよりも負債として感じられるときに、歴史はでっちあげもしくは似非科学と見なされるようになり、「真」の科学や信仰、芸術あるいは形而上学によって自らを補足することを要求するようになるのだ。

 (2)真の歴史家たる者は、真理に、そして過去についての真理にのみ関心を寄せるのであり、あらゆるイデオロギー的な先入観や作意なしに、また彼らの対象に対して客観性と中立性の精神で向き合うものだと言われている。彼らの主たる活動は、とりわけ古文書やとくに「原典[オリジナル]」とされる資料や文書を研究することのうちにある。彼らは証拠をふるいにかけ、データを分析し、議論を組み立て、記録が許す限りで、過去の何らかの領域で起こったことについての証拠を提出する。対象となる事実は、それらに関する歴史家の調査に先立って存在するのであり、彼──きわめて稀に彼女、の場合もあるが──は事実を創作するのではなく、「見つける」のだ。近い過去や現在が歴史の適切な主題とはならないのは、ある特定の過程がどのように「出現」し、それがどう終わったか、あるいはどのような結末を迎えたかをわれわれが知るためには、一定の時間が経っていなくてはならないからだ。従って同様に、然るべき古文書資料が使用可能になるまでは、われわれは過去のいかなる側面についてもその調査研究にとりかかるべきではない、ということになる。その研究が済んだ時点で、歴史家は自らの発見を実直かつ厳格な文体で書き上げるのだ。そこでは気まぐれ、あるいはレトリカルな文飾は許されない。アイロニーはアマチュアや素人だけのものであり、彼らは、「歴史」は誰にでも書けるし、過去は人類共通の遺産であって、誰もがそれを全力の限りで勉強する権利を持っている、と考えているのだ。

 (3)過去についての真の知(情報に対立するものとしての)を生み出すという要求について言えば、歴史は、幾つかの潜在的に不穏なもの、すなわち時間性の不可解さや記憶のアポリア、欲望のパラドックスを検討しなくてはならない。歴史は、過去において「何が起こったのか」を見つけ出し、それを然るべく飼い慣らされたかたちで提示するという責務をうまくやり続けなくてはならない。死は終点ではなく、先人たちの労働の産物は人間の記憶から完全に失われてしまうわけではない、ということを人々に納得させるためである。不可解さ。すなわち、まずは時間性についての不可解さ。いまある、これまであった、これまではまだない[これからある]、結局のところない、といった様々なかたちをとる感覚。次に記憶についての不可解さ。過去は私の中にあり、それでいて私から抜け落ちているという感覚。私はこの過去を思い起こすことができるが、同時に、それを失う、という感覚。そして最終的には、私は記憶を信用できないが、しかし同時に、そこから逃れることもできない、という感覚。最後に欲望についての不可解さ。私は私が持たないものを欲し、私が欲しくないものを持っている、という感覚。私が持てないものを欲し、欲してはならないものを持っている、という感覚。私が欲するものを私は知らず、私が知っているものを欲しない、という感覚。


(4)緒言。このエッセイでは、「歴史」とは、過去についての、過去と現在の関係についての、また歴史的知の可能な使用法についての、西洋的な、しかも大部分は近代西洋的な概念を指している。あらゆる文化や社会が過去への関心を持つとはいえ、それを研究するためにとりわけ「歴史的」な方法を発展させてきたのは、そのうちのごくわずかに過ぎない。西洋の歴史家たちは、過去ならびに過去と現在との関わりをとりわけ「歴史的」に研究する方法が普遍的妥当性を持つと主張してきたが、そうした方法や流儀、考え方は、人間本性や社会性、生産、価値あるいは意味についての本質的に西洋的といってよい種類の諸概念を前提にしているように思われる。そして実際に、西洋的な歴史性の観念が広まっていったのは、世界の中でも特定の部分、すなわち、他のやはりとりわけ西洋的な信仰や慣習──ニュートン流の科学、ヒューマニズム、キリスト教、資本主義といった──がすでに根付いていた場所に限られていた。

 しかしながら、西洋における「歴史」についても、それが何から構成され、どのように研究されるべきかという点に関して、またそれが正当に行き着くべき目的に関して、単純に一枚岩的な正説があるとは考えるべきではない。西洋の歴史科学は「科学的」であることを望むが、しかし近代西洋の歴史観は、その発展過程のいかなる時代においても、その時代に浸透していた科学の理想に達したことはなかった。それゆえ近代西洋の歴史思想は、その発展のそれぞれの段階で支配的だった知的または芸術的なイデオロギーに適合した、歴史についての数多くの異なる理念を生み出してきた。社会的、経済的、政治的な危機の時代には、歴史の見方について、また歴史的思考とその実践を改革するためのプログラムについて、そうした相異なった方法を持つものたちの代表者のあいだで議論が巻き起こる。現在、西洋もそれ以外の世界も(西洋的な制度と習慣がそこでも支配的であるため)あまりに極端な変容を経験しており、そのため、伝統的な制度や価値観があらゆるところで疑問に付されている、ということはほとんど否定できない。従って、歴史に関わる思想や制度も、西洋の知的または芸術的な遺産のその他の側面に向けられているものと同じ批判に晒されるべきだ、という主張はまことに納得のいくものである。科学を指向すると言いつつ、歴史叙述はモダニズムの危機を予見しなかったし、その危機をどう超克すればよいかについての助言を授けてもくれない。歴史観を改変せよという目下の呼びかけが、新たな、それゆえ想像の限界を超えた世界システムに向けられた根源的変化と変容の感覚に基づいている限りにおいて、それらは「ポストモダニズム的」と呼ばれうるのである。


【付記】
 ここに訳出した原稿は、立命館大学での特別公開企画「アフター・メタヒストリー」でのレクチャーのための素材として、ホワイト氏から事前にお送りいただいたものである。われわれ「物語と歴史研究会」のメンバーはこの原稿を精読し、全員で分担してその翻訳を試み、企画当日は会場で二か国語版を配布した。この原稿が会場で参加者全員に配布される、という状況を顧慮して、ホワイト氏の当日のレクチャーはこれをそのまま読み上げるのではなく、自由に要点を抽出し、パラスレーズし、さらに展開するかたちで行われた(なお当日はレクチャーに先立ち、共催者である東洋大学の岡本充弘氏から、ホワイト氏のプロフィールの紹介およびレクチャーへのイントロダクションが行われた)。そうした次第で、この原稿はもともと独立したかたちでの出版を意図して作られたものではないため、そこにはホワイト氏が同時並行的に進めている諸々のプロジェクト──例えば本文中で言及される「辞典」など──のための素材が混ざっている。だが、そうした特殊な事情と背景があることをお断りした上で、本報告書では、ホワイト氏の原稿をあえてそのままのかたちで収録する。文脈上、分かりにくい部分には訳者による注記のかたちで──角括弧(ブラケット)内に──補足説明を加えることとし、明らかに誤字脱字と判断される数箇所を修正した以外には、元の英語原文には基本的に手を入れていない。なお本報告書への収録にあたっては、企画当日に配布した二か国語版を元にしつつ、吉田が全面的に校閲・改稿を行った。また本書の共編者である篠木涼氏には訳稿の校閲をご担当いただいた。最後に、本原稿および訳稿の出版をご快諾して下さったホワイト氏に感謝の意を表したい。
(吉田寛)

UP:20100714 REV:
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