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山崎 學

やまざき まなぶ

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last update: 20171027
■新着 cf.精神障害/精神医療:2018

◆2018/06/21 「「精神科医に拳銃を」会長が引用――病院団体機関誌で」
 共同通信配信:https://this.kiji.is/382494993258644577

 「全国の精神科病院でつくる「日本精神科病院協会」の山崎学会長が、協会の機関誌に「(患者への対応のため)精神科医に拳銃を持たせてくれ」という部下の医師の発言を引用して載せていたことが21日、分かった。患者団体などでつくる「精神科医療の身体拘束を考える会」が問題視する集会を国会内で開催。「日本の精神科医療のトップが患者を危険な存在と差別し、許されない」と批判が出ている。  山崎氏は機関誌の「協会雑誌」5月号の巻頭言で、自身が理事長を務める群馬県高崎市の病院医師が話した内容を紹介した。」

◆山崎 學 201805 「欧米での患者中心医療の外側で起こっていること」,『日本精神科病院協会雑誌』2018年5月,pp. 401-402


■プロフィール

http://st-pierre.or.jp/about/index.html

1966年  日本大学医学部卒
1972年  日本大学大学院卒(内科系精神医学専攻科)医学博士
1972年  日本大学医学部精神神経科助手
1977年  防衛医科大学校専任講師(文部教官)(~1980年)
1977年  日本大学医学部精神神経科兼任講師(~1982年)
1982年  医療法人慈光会 慈光会病院 理事長、院長(~現職)
     (現在、医療法人山崎会 サンピエール病院)
1987年  社会福祉法人宏志会 天界園 理事長(~現職)
1989年  群馬県精神保健指定医(~現職)
2006年  厚生労働省認知症サポート医(~現職)
2010年4月 社団法人日本精神科病院協会 会長就任

日本精神科病院協会(日精協)会長

◆医療法人社団 山崎会 サンピエール病院 理事長・院長 山崎學

 当院は1946年、初代理事長 山崎宏が柳川町に山崎医院として開院したのが始まりでした。1952年に医療法人慈光会山崎病院を開設し、その後1982年に現在の場所に移り医療法人慈光会慈光会病院として二度目のスタートを切りました。 それから20余年経ち、2006年12月、新病棟に一新されることを機に、医療法人山崎会サンピエール病院として、三度目の新しいスタートを切ることとなりました。
 多様化する医療ニーズ、絶えず変化する社会情勢とそれに伴う医療・福祉面での変化に対応すべく、 心機一転、地域の皆様に貢献できるように取り組んでまいりたいと考えております。

入院直後の患者さんには、技術としての医療が最優先であり、必要な高度な医療を提供することが病院としての役割です。 そのために医療体制の充実、質の向上にはこれからも努めてまいります。 高度技術における医療を提供すると同時に、患者さん一人ひとりが持つ回復力を十分に引き出すことが私たちの役割でもあります。 ゆとりのある療養空間で、皆様が本来持っている回復力を十分に引き出すことも大切にしたいと思っております。

◆2010 http://www.jmedj.co.jp/article/detail.php?article_id=9970

◆2012/08 再選
 http://www.cabrain.net/news/regist.do;jsessionid=83B5D87DAFC434C5780158BC7FC51BCE

◆山崎學 201201 「Japan as No.1」(巻頭言)、『日本精神科病院会雑誌』2012-1
 http://www.nisseikyo.or.jp/opinion/kantougen/597.html

 「新年明けましておめでとうございます。昨年はご支援いただきありがとうございました。今年も執行部一同、精神科医療の改革と発展に邁進する所存であります。旧年にましてご支援、ご協力をお願いいたします。
 昨年は3月28日にWHOを訪問し、精神保健関係者に日本の精神科医療の歴史、現状、将来展望について講演した後に、意見交換をいたしました。10月10日にはWHOで行われたメンタルヘルスギャップフォーラムに参加し、日本の精神科医療のなかで日本精神科病院協会が果たしている役割について話し、11月3日には台湾の高雄で行われたWPA地域ミーティング「アジアにおける精神保健-現状と課題-」で講演をさせていただきました。
 数年前より、欧米を中心に精神科医療の現状を視察し、関係者と話し合ってわかったことは、海外では日本の精神科医療の現状が正しく理解されていないということでした。35万床の精神科病床数だけが強調され、しかも精神科病院における患者の処遇は、脱施設化前の欧米の精神科病院、つまり大規模入院施設で刑務所もどきの処遇がいまも行われているといった偏見に満ちたものでした。この偏見を助長したのは、日本の精神科医療について歪曲化して発言をしている確信犯的原理主義者、外国カブレの学者、精神科病院を非難することで生活の糧を得ているといった人たちです。しかし、一方でわれわれも英語圏の精神科医療関係者に対して、日本における精神科医療についての情報発信を怠ってきたことを反省しなくてはいけないと思っています。
 欧米の脱施設化は、精神科医療に対する国の財政的困窮の結果といった側面と、イタリアに見られるような政治運動の一環として行われたという両面性を持っています。イタリアにおける脱施設化は30年かけて完了しましたが、現在、総合病院で15床程度の病室では十分な急性期対応ができず、入院を拒否されたり、デポ剤による過鎮静にして在宅で看させられるために、家族の負担は増大しています。また、同じイタリアでも財政的に豊かな北部はそれなりの医療が提供されていますが、南部の精神科医療は悲惨な状態にあります。また、病床削減を行ったアメリカ、イギリス、カナダ、イタリアでは精神科病床を増やす必要に迫られ、精神科病床の増床を始めています。
 こうした世界の精神科医療の現場を理解しないで、馬鹿のひとつ覚えのように「地域移行」「平均在院日数の短縮」「入院抑制」を推進すれば、過鎮静にして在宅で看るといった欧米型の精神科医療に追い込まれ、患者にとっても家族にとっても好ましい結果にならないのは明らかです。見学したロンドンの精神科病院の男子トイレで見た、薬の副作用で立っていられないで、額をトイレの壁に押し付けてよだれを垂らしながら用足しをしている患者さんの姿がいまも脳裏に焼き付いています。
 欧米の失敗の轍を踏まないように、精神科医療改革は時間をかけて慎重に進めるべきです。また、医療提供のバロメーターである、アクセス、コスト、アウトカムいずれをみても、日本の精神科医療は世界一だと思います。日本の精神科医療関係者は、日本の精神科医療を誇りと自信を持って世界に向かって情報発信するべきだと思います。
 最後に、会員諸先輩のご支援、ご協力をお願いして新年のご挨拶に代えさせていただきます。」(全文)

◆山崎學 201302 「正念場」(巻頭言)、『日本精神科病院会雑誌』2013-2
 http://www.nisseikyo.or.jp/opinion/kantougen/532.html

 「平成24年12月26日、安倍新内閣が発足した。自由民主党は3年半前の衆議院選挙で民主党に大敗し、厳しい挫折を経て執念の復活を果たしている。政治 主導を謳った民主党は政党としての未熟さ・人材不足が露呈し、東日本大震災も重なって官僚依存の醜態をさらけ出し、国民の信を失った。
 この3年半の無気力な政治停滞の間に円高が進み、輸出中心の製造業は国際競争力を失い、生活保護受給者が200万人を超える事態となった。外交面では、多くの海洋資源に富む尖閣列島をねらって、中国の挑発が続いている。まさに正念場である。
 民主党政権下において、日本精神科病院協会は野党になった自由民主党の先生方と、「精神医療保健福祉を考える議員懇談会」を通して地道に精神科医療提供 体制に関する議論を重ねてきた。今回、精神科医療について理解と見識を兼ね備えた先生方が、安倍内閣で重要な役職を務めることになった。
 安倍晋三内閣総理大臣、田村憲久厚生労働大臣、根本匠復興大臣、山口俊一財務副大臣、鈴木俊一外務副大臣、菅原一秀経済産業副大臣、衛藤晟一内閣総理大 臣補佐官、加藤勝信内閣官房副長官、鴨下一郎国会対策委員長、福岡資麿厚生労働部会長と、これまでの日本精神科病院協会の歴史にないような豪華な顔ぶれが 政府・自由民主党の要職に就任している。また、日本精神科病院協会アドバイザリーボードメンバーである飯島勲先生と丹呉泰健先生が、内閣官房参与として参画されている。頼もしい限りである。
 精神科医療は、いまさら繰り返すまでもなく、長年にわたる国の低医療費隔離収容政策の方便に使われ、社会的弱者を支えているにもかかわらず日の目をみることがなかった。それゆえ、国際的に非難されている36万床の精神科病床を抱え、300日を超える平均在院日数の現状に甘んじる結果となっている。
 2012年、日本精神科病院協会は「我々の描く精神医療の将来ビジョン」を提案し、精神科医療提供者自身の意識改革・挑戦を会員に呼びかけ、大胆に精神科医療改革を推し進めようとしている。まさに、「賽は投げられた」状態である。
 国が真摯に改革を行う覚悟があるならば、精神科病床の機能分化に対して大規模な予算付けをし、既存の精神科病床の機能分化と地域移行施設整備を行わなけ ればならない。2013年に予定されている医療法改正、精神保健福祉法改正、さらには2014年度診療報酬改定に、その覚悟のほどを示すべきである。精神 医療改革のスピードは予算次第である。われわれ精神科医療関係者は、低医療費政策による継子扱いに我慢の限界がきている。
 安倍内閣のもとにおける精神科医療改革を目指して、会員一同団結しなければならない。
 精神科医療の正念場である。」(全文)

■言及

◆立岩 真也 2015/11/13 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p. ISBN-10: 4791768884 ISBN-13: 978-4791768882 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙

 「□2 業界の力
 なぜこのようなことになっているのか。これらに関わる(単純素朴な意味での)政治の場に、実際、利害関係者たちが登場し参入している。「日本精神科病院協会」(日精協)については前書にも少し記したのだが【60】、そうした組織やその関係者の活動もまた健在である。そうしたとても普通の意味での(他の主題についてはそれなりの研究がなされている)「政治過程」もまた研究されていない。
 それでもそのある部分を知っている人はいて、以下のような記述はある。永田浩三★02のブログより。そこで「先日のクローズアップ現代は、クロ現史上、最大と言ってもいいほどの注目番組だった」と紹介される番組は二〇一二年十一月二二日の「“帰れない”認知症高齢者 急増する「精神科入院」」。番組を文字化したものはNHKのサイトにあり、番組の全体も幾つかみられる。「ルポルタージュにっぽんで取り上げた、十全会・双ヶ岡病院」は第2章(▽頁)で紹介する一九八〇年のNHK総合の番組。

 「問題を感じたのは、最初のVTRだ。ロケの舞台は、日本精神科病院協会会長の山崎学院長の、群馬県高崎のサンピエール病院[…]今、全国の精神科病院は、それまでの思春期や、若い患者から、認知症の高齢者を対象にしようと、一気に舵を切ろうとしている。患者・家族を救うためというのは、建前で、基本的には、経営のためだ。これまで、認知症のひとのことなど、まったく知らない医療関係者が、なだれをうって、金づるとしての認知症病棟へのシフトをはかっている。
 しかし、厚労省のこころある官僚は、そうしたことは許すまじと、認知症対策の指針を発表。地域移行・在院日数の短縮・入院の抑制という歯止めをかけようとしている。だが、そうした政策は、業界を危うくするものだとして、日本精神科病院協会は反撃に出たのだ。
 そうしたなかでの、当の日精協の親分の病院に、おんぶにだっこのロケである。認知症専門の閉鎖病棟。そこで、、暴言や暴力を示すひとたちを撮り、いくらきれいごとを言っても、認知症のひとは、しょせんこうした、わけのわからない状態になり、家族や地域で何とかなるものではない、という強烈なメッセージが伝えられる。周辺症状を抑えるために、拘束も堂々とおこない、口から食べられなくなると、胃ろうがおこなわれる。
 こうした映像をまともに見たのは、ルポルタージュにっぽんで取り上げた、十全会・双ヶ岡病院以来だろうか。まさに三〇年前の風景がそこにあった。VTRでは、娘さんが、「父を殺してしまおうか」と思ったという証言も使われている。
 日本の精神科医療は、多くの課題を抱えてきた。これまで、家族を救うため、精神科病院の長期入院はしかたがない、必要悪だとされ、いったいどれほどのひとたちが、無残な収容の結果、無念の死を遂げてきたのだろうか。山崎会長は、業界紙に、イタリアのような精神科病院廃止の試みが、どれほど無謀かを、あげつらい、ヨーロッパの改革を冷笑している。しかし、ほんとうにそうか。現実を見ていないのは、どちらの方だろう。(永田[2012]、BPSDは認知症高齢者の行動・心理症状→▽頁他)

 山崎學(学)日本精神科病院協会会長★03が「業界紙に書いた文章」は『日本精神科病院協会雑誌』二〇一二年一月号に掲載された巻頭言「Japan as No.1」(山崎[2012])だろう。そこには「大規模入院施設で刑務所もどきの処遇がいまも行われているといった[…]偏見を助長したのは、日本の精神科医療について歪曲化して発言をしている確信犯的原理主義者、外国カブレの学者、精神科病院を非難することで生活の糧を得ているといった人たちです」といった文章がある★04。
 さきに「政治過程」と述べた。この山崎会長は率直な人であるようで、その辺りのことはとてもすなおに書いている。紹介した巻頭言の翌年、二〇一三年二月号の巻頭言では以下のように記している。

 「民主党政権下において、日本精神科病院協会は野党になった自由民主党の先生方と、「精神医療保健福祉を考える議員懇談会」を通して地道に精神科医療提供体制に関する議論を重ねてきた。今回、精神科医療について理解と見識を兼ね備えた先生方が、安倍内閣で重要な役職を務めることになった。
 安倍晋三内閣総理大臣、田村憲久厚生労働大臣、根本匠復興大臣、山口俊一財務副大臣、鈴木俊一外務副大臣、菅原一秀経済産業副大臣、衛藤晟一内閣総理大臣補佐官、加藤勝信内閣官房副長官、鴨下一郎国会対策委員長、福岡資麿厚生労働部会長と、これまでの日本精神科病院協会の歴史にないような豪華な顔ぶれが政府・自由民主党の要職に就任している。また、日本精神科病院協会アドバイザリーボードメンバーである飯島勲先生と丹呉泰健先生が、内閣官房参与として参画されている。頼もしい限りである。」(山崎[2013])

 この組織、その政治団体としての「日本精神科病院協会政治連盟」(他)による政治献金について安原荘一(七瀬タロウと同一人物)【402】が『精神医療』に書いていることは【369】で紹介した(安原[2003]、七瀬[2006][2013])。「心神喪失者等医療観察法」が二〇〇三年に成立するその前にかなりの政治献金がなされたことはいくらか新聞などでも取り上げられた。またそのことを忘れるべきでないと、医療と法に関わる法学の第一人者であってきた中山研一(一九二七~二〇一一)が大学定年後に始めたブログにも文章がある(中山[2005])。そして右記の記事に出てくる人物たちに対する献金について、やはり七瀬の報告がある(七瀬[2013])。実際の金の流れ、政治への影響を掴むことは難しい。けれどもときにそれがわかることがある。「新オレンジプラン」の策定時、明らかに影響力が行使されたことを第4章(▽頁)で述べる。

□3 十全会病院:五〇年は前からのことであること
 本書で描くのは、今記した現状が、実はずっと前に始まり、そしてずっと続いてきたこと、改善しようとしてきたこと、しかしできないできたことであり、それを受けて考えるのはなぜだめだったのか、ではどうするかである。
 […]

□4 引き受けるしかないと言われること
 こうした流れを受けて基本的に言えると思うことは、まとめれば幾つかの単純なことである。各々もっともなことが言われてきた数十年を見ていくのだが、その間ずっとあって変わらなさを支えてきたものがまた変わらず、今も言われている。日精協の山崎は引用した(▽頁)二〇一三年の「正念場」という文章の「頼もしい限りである」の続きを、次のように続けている。

 「精神科医療は、いまさら繰り返すまでもなく、長年にわたる国の低医療費隔離収容政策の方便に使われ、社会的弱者を支えているにもかかわらず日の目をみることがなかった。それゆえ、国際的に非難されている三六万床の精神科病床を抱え、三〇〇日を超える平均在院日数の現状に甘んじる結果となっている。
 二〇一二年、日本精神科病院協会は「我々の描く精神医療の将来ビジョン」を提案し、精神科医療提供者自身の意識改革・挑戦を会員に呼びかけ、大胆に精神科医療改革を推し進めようとしている。まさに、「賽は投げられた」状態である。
 国が真摯に改革を行う覚悟があるならば、精神科病床の機能分化に対して大規模な予算付けをし、既存の精神科病床の機能分化と地域移行施設整備を行わなければならない。」(山崎[2013])

 つながりのある政治家を臆面もなく列挙するのは皆がすることではないだろうが、この種の文章はいつも右のようなものであってきた。現状はよろしくないとした上で、それは政府が金を出さないからだと言い、だから増やすべきだと言うのである。「地域移行」が進まないのもそのためだと言う。
 そしてそれはいくらかは当たっている。世界の趨勢には反対しないが、それは政治・社会のために困難になっている、その間、仕方なく精神病院ががんばらねばならない。現況において、受け入れないのは、あるいは放り出すのは忍びない。こう言うのである。それを言い続けてきた。後で(元)十全会の理事長・赤木孝が三五年前に、井上光晴を前に、同じことを言うのを見ることになる(▽頁)。そして、革新・造反の側も同様であったりすることがしばしばである。
 他方、それは単純に間違ってもいる。つまり、病院でない方に金をまわせばよいということだ。であるのに、この文章の終わり方は、さきほどから問題にしている「精神科病床の機能分化」、そして「地域移行施設整備」である。移行に関わる仕事を、あるいは移行「後」としての居住の場の提供も、金を出してくれれば、自分たちがやると言い、やらせてほしいと言っているのである。だが、同じ金を使うにしても、もっとましなところ、やり方は、多々ある。それに尽きると言えば尽きる。
 ただそれだけかということだ。それが、さきに二つあると述べたことの二つ目、貧弱なまた乱暴なものであっても人々が受け入れてしまうということだ。それはたしかに――「現場」に自分が実際に関わり知っているかどうか疑わしいのだが――現場を知るという経営者たちが言うように、「きれいごと」ですまない部分ではある。ただそれに居直る、あるいは引き下がることはない。何を言えるか。まず、認知症には高い確率で自分もなる。誰でも複数、関係者にいる。そうひどい扱いはされたくない。それを阻んでいるのがこうした組織であり、そうした組織が(得た利益の中から)使う金であり、力であると言えば言える。その程度のことは言えるだろう。ではそれですむかである。そしてまず、どこがどうなっているかである。
 例えばこのことは、医療と福祉という二つの関係として語られたり、駆け引きされてきた。『

★02 一九五四~。NHKに一九七七年入局、二〇〇一年の『ETV二〇〇一』の「戦争をどう裁くか」も担当、その番組改変について東京高裁で証言、以後番組製作から遠くなり(この事件について永田[2010]、arsvi.com→「NHK番組改変問題」)、二〇〇九年に早期辞職、現在は武蔵大学の教員をしている。そして文中の『ルポルタージュにっぽん』で十全会が取り上げられた時、永田はNHK京都放送局にいる。この番組に協力した「前進友の会」【119】の関係者の文章等とともに、後で紹介する。
★03 二〇一〇年から会長、一二年に再選、生年は現在のところ不詳、一九六六年日本大学医学部卒、医療法人山崎会サンピエール病院理事長・院長。
★04 この文章に対して大野萌子【356】、山本眞理【110】――『現代思想』二〇一四年五月号(特集:精神医療のリアル)にインタビュー(大野[2014]、山本[2014])が掲載された→本にする(註08)――らが属する「全国「精神病」者集団」【118】、「東京都地域精神医療業務研究会」(東京地業研)【72】が抗議文・質問状を発表・送付している(全国「精神病」集団[2012]、東京都地域精神医療業務研究会[2012])。巻頭言も抗議文もネットで全文を読めるので内容の紹介は略す。

 「□2 新オレンジプラン・日本精神科病院協会  精神病院の病床数に「自然減」の要因はある。世界でも突出した数の入院数はなかなか減らないが、それでも新しく入院する人の入院期間は以前に比べれば短くなっている。他方、ずっと入院していた人も年をとって亡くなる。するとその分が「自然減」になる。めでたい話ではむろんない。減る中の大きな部分は、多くの人たちが結局その場で死ぬということだからである。出られる機会はあったはずだが、入院が長くなればなるほど難しいとされる。本人も面倒に思うところがある。京都十全会病院では一時、年一〇〇〇人の人が「死亡退院」したというが、手荒さの度合いをいったん別にすれば、そしてそこまでの規模でなくても、同じことが起こっている。  ともかく減るには減るその一方で、認知症の人たちは増加している。普通に考えればその人たちに(まじめに)対するのは厄介なことではあるから、仕方なくでも漸次的な規模の縮小を受け入れるのであれば、今まで通りの仕事をし事態の推移を静観していればよいということになるかもしれない。現場の個々の医療者・看護者にはそう思っている人がかなりいるだろう。しかし公立施設も客層を変えて生き延びてきた★02。民間精神病院の経営側が存在・経営を維持しようとする中で認知症の人が客として期待されることになる。  実際、第1章(▽頁)に述べたように、民間精神病院の集まりである「日本精神科病院協会(日精協)」、その政治組織「日本精神科病院協会政治連盟」はずっと政治に働きかけてきた(その組織、医療観察法制定前後の政治献金については▽頁に紹介した安原[2003]、七瀬[2006])。そして今の日精協の会長は山崎學という人だが、素直な人であるらしく、協会の雑誌『日本精神科病院協会雑誌』のウェブで誰でも読めるその巻頭言に、日本の精神医療は世界一だと自ら(たち)を礼賛する文章を書いたり、献金をした議員が当選し、その政党が政権を取り、議員が要職に着いたことを素直に寿ぐ文章を書いたりもしていることも紹介した(▽頁)。そしてその人は、認知症者の増大への対応のために精神病院病床数を「拙速」に減少させない方がよいといったことを頻繁に述べている。例えば医療経営に関する情報等を提供する『CBnews』二〇一四年一二月八日の「精神科病院の今後、人口推計から判断を――日精協・山崎会長 」という記事では、「地域移行が進めば、結果として精神病床が減るとされるが、日本精神科病院協会(日精協)の山崎學会長は「慌てて病床削減しない方がいい」と警鐘を鳴ら」したむね記される。四六二万人と言われる認知症の少なくとも五%の四五万人は精神病院が必要で、「慌てて」削減をしなくてよいと精神科病院経営者に呼びかけている。その人が経営する群馬県の医療法人山崎会サンピエール病院の新規入院の六割が認知症の人だという。既に現実は既成のことになっている。  政治献金は(団体によるものも)かまわないという立場もあるだろう。より大きな問題は、供給側の組織が政府の会議などに参加し、参加するのはよしとして、決定に関わる権限・力を有していることだ。そのことはまったく認められないこと、その影響力を減じ決定力を廃することがなされるべき理由を第2章(▽頁)で述べた。それはたんに消費者主義とか当事者主義からというだけではない――後述の「新オレンジプラン」でもそうした言葉は使われている。出来高払いで過剰・不正・加害が生じる要因は利用者側ではなく供給側にあること、だから供給側の活動が公開され規制され、供給側の加害を減ずれば利用者にとってよい仕組みである出来高払いが認められると述べた。政府による個別組織の監査をいくらか強化するといったことではほぼ何もできないに等しく、代わりに、規則の決定について業界が力を有さないこと、活動・経営の公開を拒否できないことが規定されるべきことを述べた。  こうしてどうであるべきかは言えるのだが、実際に業界はどれほどの力を有しているのか。
 「☆13 第2章で追ってきた十全会(グループの双岡病院)の様子を知ったことが、現在の「認知症の人と家族の会」の設立・活動に三宅貴夫が関わったきっかけでもあったことは第1章でその文章を引用して紹介した(▽頁)。『現代思想』二〇一五年三月号掲載の三宅[2015:205-206]にもそのことは記されている。またその会の代表理事を務めてきた髙見国生も天田城助との対談の中で十全会・双岡病院のことに(そして▽頁に紹介した日本精神科病院協会会長を務める山崎學の発言にも)触れている(髙見・天田[2015:77-79])。さらに前節に記したその会と日本尊厳死協会とのやりとりについては髙見・天田[2015:85-86]。」

◇山崎學 2012 「Japan as No.1」(巻頭言),『日本精神科病院会雑誌』2012-1 ※ <○>
◇山崎學 2013 「正念場」(巻頭言),『日本精神科病院会雑誌』2013-2 ※ <○>



UP: 20140412 REV: 20171027, 20180622, 23
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