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軸を速く直す

何が起こってしまったのか、そしてこれから

立岩 真也 2009/06/02
京都市居宅介護等事業所連絡会総会基調講演 於:京都市ひと・まち・交流館
http://www.hitomachi-kyoto.jp/access.html
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■立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 20090910 『税を直す』,青土社,350p. \2310

 第1部 軸を速く直す――分配のために税を使う
 第2章 何が起こってしまったのか
 11 所得保障と社会サービスは別のものではない

 再分配は税の一つの機能として認めるとしても、社会サービスについては別のことではないかと言われるかもしれない。しかしこれもおかしい。このことについての誤解もまたこの間の出来事を規定している。そのことについても、両者がまったく別のものではないことを幾度も述べてきた(立岩[2008a][2008b]等)。もう少し説明を加える。
 貧困は対応すべきことであって、「ミニマム」を保障するのは仕方のないことであって、そして金がない人はないのだから、それはあるところからもってくるしかないとはされる。けれども、医療や福祉は、人々に等しい確率で到来するリスクに対する対処であるから、等しい掛け金を皆が出し合う仕組みでと言われることがある。
 けれども、一人の人にとっては、生きて暮らしていくために必要なものが必要なだけである。その必要なものの一部に医療や介護等がある。たまたま必要でない人もいるがたまたま必要な人もいる。必要な人がその付加部分を得て実現される生活は、十分にそれが得られたとして、必要としない人が得られる生活と同じか、あるいは――結局、医療その他ができることには限界があるから――それには達しない。とすれば、一定の所得保障が得られてよいのとまったく同じ理由で、その費用も得られてよい。だからそれにかかったあるいはかかるだろう費用を含めて支給されても、基本的にはまったくかまわない。
 けれども現実は分けられる。それには制度の成り立ちとして様々が個別にできてきたといった事情があるのだが、その事情にも関わり、理由があげられないわけではない。まず医療や福祉はそのための費用を利用者に渡すという仕組みではなく、サービスそのものの仕組みが作られ、その提供者にお金が渡るということになっている。この方法を続けるのがよいのか、費用を利用者が受け取るのがよいのか議論はあるが、後者にも一定の合理性はあり、そうなった場合には、生活のための費用の支給は一元的であってもよいということになる。
 また、所得保障の場合は――この国の公的扶助については様々な費目を足していってその総額が渡されるというかたちをとるのではあるが――生活全般についてそれでまかなうことになっているが、社会サービスについてはそれぞれ用途が限定されている。前者については、同じお金を何に使うか、一定の融通をきかせることができるが、後者についてはそうでない。医療や介護の費用も(上乗せして)支給された上で、それ(の一部)を別の用途に使ってもそれは自由だという主張も、思う人が思うほどには無茶な考え方ではないのだが、医療や介護についてはその特定の使途のために費用を支給し、他については適宜各人で調整してもらうというやり方にも一定の合理性はある。ただこの場合でも――実際にそのような制度も存在しなくはないのだが――医療や介護にかかわる費用を、他の基本的な生活費に加算するかたちで、一元的に支給することができなくはない。
 実際には分かれてはいる。絶対に分けるべきではないとは言えない。ただここで確認したいのは、支給の方法というより、二者に根本的な違いはないということだ。とすれば、(基本的には別でないものを別にして残った)所得の部分については「再分配」の機構として置くが、(そうして別扱いされている)福祉や医療は別の枠組みのもとに置くということにはならない。知的能力を含む身体の能力の差異に関わり、私たちの社会の市場において多くを得られず、また、生活をするのに多くを必要とする人は、多くの場合に重なりもする。医療も福祉も含めて、基本的に私たちの社会の所有の規則のもとでの市場において多く得た人から多くを受け取り、必要に応じて給付すればよい。それだけのことである。


■立岩 真也 2010/05/27 「所得税の累進性強化――どんな社会を目指すか議論を」,『朝日新聞』2010-5-27 私の視点

 政府と政府税制調査会は、所得税・相続税を見直し、収入・資産の多い人から税をより多く得る方向(累進性の強化)をはっきりさせてきている。今月6日には、民主党がその方向の公約原案を示した。
 今まで、政策遂行のために予算はいる、しかし余裕はない、無駄を削ろう、だが限界がある、では結局消費税の引き上げか。そんな枠組みで議論がなされてきた。ようやく別のことが現実的に語られている。
 税の大きな意義は、市場で多くを得た人から得られなかった人に、また、得る必要のある人に渡すことにある。そうでなければ、政府が強制して徴収する税という仕組みを取る必然性もない。その機能を果たす直接税、とくに累進的な所得税の役割がここ二十数年の間に低下した。その方が経済によい影響を与え、税収も増えるといったことが語られた。ところが、税収は減り、なすべき政策ができなくなった。昨年の所得税収は27年ぶりの低水準だった。
 じつは所得税を立て直さねばならないことは、政権交代前の政府税調でも認識されていた。だが消極論もあった。増税は敵をつくるという思惑もあっただろう、政党は選挙で争わず、報道でも経費節減と消費税にもっぱら焦点が当てられてきた。ただ1987年の税率に戻すと所得税収が1・5倍になるとの試算もある。
 政権が代わった昨年秋から事態は具体的に動き出した。10月に首相の諮問があり、12月に税制改正大綱が発表された。そして税制調査会の専門家委員会の顔ぶれを見ても、委員長ほか所得税の役割をより重視するべきであるという立場の人たちが多い。改革の方向は明確である。だが、異論も出されるだろう。累進性を強くすると高額所得者が働かなくなる。海外逃避が起こる。そして経済が悪くなる。根も葉もないことではないが、うのみにする必要もない。
 勤労意欲の喪失という懸念には、理論的にも実証的にも根拠のある異論がある。むしろ格差が大きすぎない方が多くの人は自分の仕事にまじめに取り組むはずだ。
 他方、国境を越えた逃避の可能性は考慮すべきことではある。ただ、税率をしばらく前に戻す程度のことで、税収の総額を減らすほどの国外逃避が起こることは考えられない。税制の安定は国際的な課題でもあり、既に長く逃避の規制はなされているし、国際的な協調・協力体制も十分ではないにしても存在する。
 政権の選択とは、基本的にはどんな社会にするかの選択である。公正・平等の方向に行くのかそうでないか。対立軸をはっきりさせた方がわかりやすい。本当に財源が足りないなら必要なものも我慢しよう。だがそんなはずはない。この素朴だがまともな認識からこれからの社会を構想しよう。税制の改革はその重要な一部である。


UP:20100530 REV:20100705
障害者自立支援法・2010  ◇税・2010  ◇  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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