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税を直す

立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 20090910 青土社
http://www.seidosha.co.jp/


『税を直す』表紙 立岩 真也村上 慎司橋口 昌治 20090910 『税を直す』,青土社,350p.
ISBN-10: 4791764935 ISBN-13: 978-4791764938 \2310

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目次
書評・紹介
□文献表 発行年順アルファベット順 (別ファイル)

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■立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 20090910 『税を直す』,青土社,350p. ISBN-10: 4791764935 ISBN-13: 978-4791764938 2310 [amazon][kinokuniya] ※ t07.

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*関連した文章

◆立岩 真也 2010/10/01 「多くあるところから少ないところへ、多く必要なところへ」,『月刊公明』2010-10
◆立岩 真也 2010/08/26 「税を直す」,税制に関する意見交換会 於:東京
◆立岩 真也 2010/05/27 「所得税の累進性強化――どんな社会を目指すか議論を」,『朝日新聞』2010-5-27 私の視点
◆立岩 真也 2010/05/01  「『税を直す』の続き――連載・54」,『現代思想』2010-5

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■目次

□はじめに

□□□第1部 軸を速く直す――分配のために税を使う 立岩 真也

□□序 要約的な短文

□1 税金の本義――短文×4

 □2008/11/08 経済を素朴に考えてみる
 □2008/11/29 税金の本義
 □2008/12/13 「税制改革」がもたらしたもの
 □2008/12/20 愚かでない「景気対策」

□2 繰り返しすぐにできることを述べる

 □1 税制について
 □2 基本線
 □3 妨げるもの
 □4 心の手前に留まる

 □注

□□第1章 分配のために税を使う

□1 税の累進性を今よりは強くする
□2 同意を得られるだろう
□3 経済をわるくすることはない
□4 「改革」の概要と補足
□5 いくらかの変化
□注

□□第2章 何が起こってしまったのか

□1 何が起こってしまったのか
□2 経済学的な語りを拾う
□3 いつのまにかの変化
□4 具体的な算術はそうなされていない
□5 原則は言われるが不明である
□6 十分に公平だからよいと言われる
□7 海外がしかじかであること
□8 誤解を生じさせやすい要因
□9 益に応じた負担あるいは応分の負担という気分
□10 代わりに
□11 所得保障と社会サービスは別のものではない
□注

□□第3章 労働インセンティブ

□1 「労働インセンティブ」
□2 考えられるはずのこと
□3 この語(だけ)の反復
□4 別の見方も示されることがあるが途中で終わる
□5 別の見方の方がもっともであること
□6 起業支援という主張も取らない
□注

□□第4章 流出

□1 流出という懸念・述べることの概要
□2 正義が付録に付くこともある指南書
□3 以前より規制はあり、解説され、主張される
□4 しかし逃避するから安くするべきだと短く繰り返される
□5 どれだけ動くか・値引きは得か
□6 普通の国には得な選択ではないのだが
□7 下げる他に手がある
□8 解析し変化を目指す人たち
□9 「協調」についての経済学者の語り
□10 分権について
□注

□□[補]法人税について
□1 正当化できないともされるがそんなことはないこと
□2 二重課税という指摘に対して
□3 所得税との関係
□4 誰の負担になるか定かでないことについて
□5 ここでも海外逃避のこと等
□注

□□□第2部 税率変更歳入試算+格差貧困文献解説

□□第1章 所得税率変更歳入試算  村上 慎司

□1 はじめに
□2 既存の試算
□3 本章の試算
□3 源泉所得税の試算
□4 申告所得税の試算
□5 試算の合計と補足
□注

□□第2章 格差・貧困に関する本の紹介  橋口 昌治

□1 はじめに
□2 「平等社会」に対する二つの批判から「格差社会」論へ
 ◇補
□3 格差から貧困へ
 ◇補
□4 性差と格差・貧困問題
 ◇補
□5 世代と格差・貧困問題
 ◇補
□6 格差・貧困にせまったノンフィクション作品
 ◇補
□7 グローバリゼーションの観点から格差・貧困問題を捉えるために
 ◇補
□8 格差・貧困をめぐる概念について考える
 ◇補
□9 これからを展望する

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■紹介・書評・言及

◆2010/05/01 http://zarathustra.blog55.fc2.com/blog-date-201005.html

◆2010/02/27 http://topsy.com/twitter.com/seidosha/status/9756015586

◆立岩 真也 2009/11/25 「『税を直す』」(医療と社会ブックガイド・100),『看護教育』50-11(2009-11):-(医学書院),

◆東京新聞 2009/11/15
 政策実現のため「財源をどうするか」という言葉を聞かない日はない。本書は累進課税と所得控除による所得再分配を財源問題の中心にすえ、経済哲学・社会学の観点から格差・貧困問題とからめて分析。医療介護などについて〈公平〉や〈応分の負担〉とは本質的に何を意味するのかを探りつつ、消費税に頼らぬユニークな税制見直し案を提言する。

◆2009/11/04 http://71015011.at.webry.info/200911/article_2.html

◆2009/11/02 http://maishuhyouron.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-2283.html

◆立岩 真也 2009/10/25 「本拠点の本」(医療と社会ブックガイド・99),『看護教育』50-10(2009-10):-(医学書院),

◆中根 成寿 2009/10/24 「立岩真也の社会学と近著『税を直す』の概要」
 第4回 インクルーシブな社会を目指した障害者政策の構築プロジェクト研究会
 http://www.vcasi.org/node/550

◆2009/10/22 http://blogs.yahoo.co.jp/kuruma1964/57165880.html

◆2009/10/22 http://syuun.iza.ne.jp/blog/entry/1283678/

◆2009/10/20 http://blog.goo.ne.jp/gookuruma1964/e/1fd89c9f4c03b61fb81e6d421ef56366

斉藤 龍一郎 2009/10/14
 立岩さんの新刊です。立岩さんが月刊誌「現代思想」の連載の一部を書き直した論考が第1部で、第2部にはグローバルCOE生存学に所属する研究者による1987年当時の税率に所得税の累進率を戻したらどのくらいの税収増になるのかを試算したレポート(6兆7000億円余りになるそうです)および格差問題・貧困問題について考えるためのブックガイドが収められています。
 社会保障に使うお金はどこから拠出するのかという問題意識から書かれた本ですが、当然にも、国際協力に使うお金の出所として何に照準を合わせてアドボカシーを行っていくのかにとってもきわめて有意義な本です。
 ブックガイドの「グローバリゼーションの観点から格差・貧困問題を捉えるために」の節は、国際協力に関心ある人にとっても参考になると思います。
 (アフリカ日本協議会 http://www.ajf.gr.jp

◆飯田 泰之 2009/10/11 「評『格差是正へ累進強化を提言』」高知新聞・沖縄タイムスなど
 http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/
 本書のメッセージは明快である。前編を通じて「金持ちから多く、貧しい人からは少なく」税を徴収すべきだとの理念を説き、具体的な手段として所得税の累進強化や相続税の増税、資産課税の拡大などの可能性を示す。
 1990年代以降わが国では富裕層を中心とした減税措置が継続された。その結果、現在では特に若年層に関し、税や社会保障制度を通じてかえって格差が拡大するという非常にゆがんだ再分配システムになってしまった。その是正のために税構造を累進強化へ戻そうという主張には、評者もまったく同意である。
 累進課税の強化は「働く意欲」をそぎ、労働供給を抑制する、さらには高い能力を持つ労働者の海外流出を引き起こすなどの問題点が指摘されることが多い。それに対する立岩真也氏の反論は、手法面で非常にユニークだ。経済学者や財政当局関係者の発言を丁寧に追い、それらの指摘は頑健な主張ではなく、統計的な根拠を示した上での批判でもないことを明らかにする。
 仮説を直接検証するのではなく、いわば知識社会学的に根拠の薄弱性を突くという方法論は、経済学者にはできない。そして強力な検証法といってよいだろう。
 第2部には村上慎司氏による累進課税のシミュレーションが示されており、所得税の累進性を87年の水準に戻すことで約7兆円の財源を確保可能であるという結果を得ている。この試算の詳細を知るだけでも本書を手元に置く価値があるといえるだろう。
 ただし、法人税についての議論にはやや混乱が感じられる。企業利潤の所有者である株主には貧富・老若さまざまな家系が混在する。そのため、法人税増税には著者の主張する富から貧への再分配を阻害する面もある点を忘れてはならない。また、国際比較のデータが少ない点も残念である。
 とはいえ、現在の日本の財政を経済学とは別の切り口から、論理的に考える良書であることに疑いはない。

◆2009/10/11 http://blog.goo.ne.jp/tokawaii/e/edcb882ab2bdd7d817aec09db76e92f7

ジュンク堂書店 2009/10/05 「『税を直す』 立岩真也著 青土社 二三一〇円」『書標』10月号
 http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0110384345
 さきの選挙の結果がどっちに転んでいたとしても、「財源」が、政治の喫緊の課題であることに違いはない。「埋蔵金」なる意味不明の言葉が飛び交った時期もあったが、基本的に「財源」とは、「税収」のことである。
 その「税」について立岩真也がもの申すとき、視座は明確である。
「医療も福祉も含めて、基本的に私たちの社会の所有の規則のもとでの市場において多く得た人から多くを受け取り、必要に応じて給付すればよい。」
だから立岩は、税の累進性をもっと強くすればよい、少なくとも、最高税率の抑制策などで税の累進性がどんどん緩和され始めた一九八七年の水準に、いますぐ戻すのがよい、と言う。(本書には、村上慎司による試算も収められている。)
 一方、税の再分配機能は認めながらも、累進性を緩めるべきだという論者は多い。そして現実も、そのような論調に乗っかって動いてきた。曰く、高い税率は脱税を促す、強い累進性は勤労意欲を削ぐ、人や企業が海外へ流出する、云々…。立岩はそのような議論に一つひとつ対峙し、累進性を緩和した方がよいという結論に妥当性はないと、粘り強く反駁していく。
 徴税とは、何らかの価値観に少なからず裏打ちされ、強制力を伴う行為だから、経済の問題ではなく政治の問題である。立岩の強みは、「「多くを得たところから少ないところへ移すことをするのがよい」という視座が、決して揺るがぬことにある。(フ)

◆2009/09/28 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090928/p1

◆2009/09/19 http://d.hatena.ne.jp/eirene/20090919/1253325730

◆2009/09/18 http://civilesociety.jugem.jp/?cid=5

◆2009/09/17 http://d.hatena.ne.jp/dojin/20090917/p1

◆2009/09/16 http://blog.goo.ne.jp/latraviata0608/e/2e78c8718807148c39f8844c4b8bbfd5?fm=entry_awc

イダヒロユキ 2009/09/14 「立岩『税を直す』は現実を変えるか?」
 http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/1087/

◆立岩 真也 2009/09/ 「(選挙が終わって→本の紹介)」

◆2009/09/04 http://d.hatena.ne.jp/JD-1976/20090904/p1

◆2009/09/04 http://ameblo.jp/th28/entry-10335582993.html

◆2009/09/03 http://pm4649.seesaa.net/article/127165846.html

◆2009/09/02 http://d.hatena.ne.jp/ogawa-s/20090902/p2

◆2009/09/02 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/

◆2009/08/31 http://www.mojimoji.org/blog/20090831

◆2009/08/31 http://d.hatena.ne.jp/ogawa-s/20090831/p2

◆2009/08/22 http://d.hatena.ne.jp/mxnishi/20090822/1250944920

◆2009/07/07http://d.hatena.ne.jp/thigasikawabata/20090707/1246977019

◆立岩 真也 2009/09/01 「『税を直す』+次の仕事の準備――家族・性・市場 46」
,『現代思想』37-(2008-9):-

□『税を直す』について・1
  この連載第38回(二〇〇八年十一月号)から第45回(二〇〇九年七月号)まで、八回に渡って税制について書いた。それを、構成も含めてだいぶ手直したものを含む本が――この原稿を書いているその最終日に見本が届き――この九月、青土社から刊行された(立岩・村上・橋口[2009])。『税を直す』という題になった。
  この本では、私の文章――新聞に掲載されたコラムの類も併せて収録してもらっている――で構成される第1部「軸を速く直す――分配のために税を使う」の後に、第2部 「税率変更歳入試算+格差貧困文献解説」が置かれ、そこに二つの章がある。
  その第一章「所得税率変更歳入試算」では、村上慎司――論文として村上[2007][2008]等がある――が、幾度かにわたって累進性を弱くされてきた所得税の税率を、一九八七年の税率に戻した場合に、二〇〇七年度について得られる税額がどうなるかという試算を行なっている(村上[2009])。二〇〇七年度、実際に得られた給与額に関する源泉所得税が八兆七五七四億円、申告所得税が三兆七九七八億円であるのに対して、税率を戻した場合の増加分は六兆七五九三億円ほどになるのだという。
  これを多いと見るか少ないと見るかは分かれるかもしれない。むろん、何に使うかにより、また何を無料にしたり安くしたりするか、しようとしているかによる。昨今なされたこと主張されていることを具体的に知るとますます陰鬱になりそうなので、知りたくないので、漏れ聞くぐらいのことでしかないのだが、なにやらなされようとしていることをなすためには、また安くしたりただにしたりする結果の減収を補填しようとするには、十分ではないかもしれない。また、もっとまっとうな使い方をしようとする時にも、それだけで足りるということにはならないかもしれない。しかし、そもそも二〇〇七年度について村上が再計算の対象にした実際の税額は、一二兆円をいくらか超えるぐらいのものでしかない。それが六兆円以上増えるというのは――むろんいくつか本来は考慮してよい要因を、あえて、あるいは予測不可能なので、計算の際に算入しないでなされた試算によるのだが――私にはずいぶん大きなものと思われ、にわかには信じられないと感じられるほどだ。その計算・試算がどこまで妥当であるのかは、検討できる人に検討していただきたい、意見していただきたいと願っている。
  ただ、所得税の増分がこの程度であっても、あるいはそれを下回るとしても――連載で検討したのがほぼ所得税に限られていたために誤解される余地はあり、それで本の方ではより多く繰り返したのだが――私(たち)は、これが唯一の変更すべき税源であると考えているのではない。具体的な計算・試算は、これから計算のできる人におおいにやってもらうとして、多くあるところから少ないところへ、また普通に暮らすために多くを必要とするところに税を使うという基本的な路線のもとで、しかるべき策をとれば、税収が足りないなどということはないはずである。
  そして第2章「格差・貧困に関する本の紹介」では橋口昌治――論文として橋口[2007][2008][2009a][2009b]等がある――が、貧困・格差に関わって書かれ出されてきた文献(おもに書籍)の紹介をしている(橋口[2009c])。ルソーの『人間不平等起原論』といった古いものもいくらかは取り上げながら、主にはここ十年ほどの間に出された本、なされた議論を紹介している。ずいぶんたくさんの本が出ていることは多くの人が感じていることだろう。しかし、専門の研究者でもなければその全体を押させているということはない。当然のことである。ではあるが、あるいはだから、どんな人がいて、どんな本が書かれたのか、性差や世代やグローバリゼーションといった各々に関わって、どんな本があるのかを知っておくのはよいと思う。おおまかにどんな人が何を言っているのか、何と何とがぶつかっているのか、それを知っておくのは有意義なことだと思う。また、格差と貧困という、似ているようでもあり異なっているようでもある言葉がどのように使い分けられてきたのか、言葉の配置がどように変化してきのか、そこを知っておくのもよいと思う。フィールド調査を本領としつつも本をたくさん読んできた橋口が、たくさんの本を紹介してくれている。
  それに私がにわか勉強のために集めた税金・税制についての本を加え、文献表には六三〇ほどの文献があがっている。どんな流行廃りがあったのか、どんな言論とどんな言論が――時に互いを知らず、あるいは無視して――ある時期に並存していたのかといったことを見てもらうために、この本の文献表はあえて発行年順に並べた。例えば、日本はとても平等な社会であるから税の累進性は弱くしてよいのだといった言論――前段を仮に認めたとして、「から」が論理的にはつながっていないことは本の中でも述べている――があって、それからそう時間が経たずに格差や貧困が語られるようになったりもする。どの文献がどこで解説されているか、文献表からそのページをわかるようにもしてある。この文献案内だけでも、今度のこの本は手にとっていただくだけの価値があると思う。
  そしてこの本の文献表と連動するかたちで当方のホームページに文献表を掲載した。「税を直す」で検索すると出てくる。そしてそこから、個々の文献・書籍について、その目次や引用などがあるページ――その多くを橋口が作っている――にリンクされている。また、オンライン書店に注文することもできる。これも利用していただければと思う。

□『税を直す』について・2
  その本の(私の)意図ははっきりしているし、言いたいことは簡単なことだ。それは幾度もその本で繰り返しているし、さきにも述べた。多くあるところから少ないところへ渡す、また普通に暮らすために多くを必要とするところに多くを渡す、それが政府の、唯一のとは言わないまでも主要な仕事であり、税金の機能である。その本義を確認し、そして実現するべきである。まずそれだけである。
  ただこんな当たり前な――と私には思われる――ことを、今言うのには、この御時世であるから、という思いはあった。
  きっときちんと見れば、様々に重要なことも書かれ言われているのだろうと思うのだが、例えばこの夏、すくなくとも政策が語られるその最初の方に言われ、そして大きなメディアで伝えられたことは、その最初の一言二言を聞くだけでうんざりし、聞きたくなく、関係する仕事をしているはずの人としてはよくないことではあろうと思いながらも、知ろうとする気にならなかった。
  例えば、ここしばらくの問題は貧困であったはずだが――皆がそのことを言っていた――、それはどういうことになったのか。もちろん景気対策についてはいろいろと語られているのではあろう。そしてまたもちろん就労支援の類のことは様々に語られているのではあるだろう。これらについて何を言うかは、この連載の中でいくらかを述べ、またその続きをこれから続けていくから、さて措いてはいけないのだろうが、ここではさて措く。ただ、つい昨年、景気がわるくはなかった時、すでに貧困の問題は十分に大きなものとして存在していたはずだ。そしてそれに対してなされるとされた就労支援といった施策も、それより以前から始まっていたはずだ。それでどれほどのことが実現したのかである。
  そして、「官僚支配」が批判され、そして「地方分権」が称揚される。これらもわかりやすいが、すこしでも考えるとやはりよくわからない。例えば分権について。まず、この間宣伝され、実際に進められてきたことは地方分権であった。すくなくともそのように称されてきた。もちろん今後なされるべきは、今までのようなものではなく「真の」分権であると言われるのだろう。そのように実際言われているのだろう。それは――それだけでは――無内容ではあるが、正しい。けれども無内容だ。例えば、今度の本の第1部第4章「流出」第10節「分権について」に記したことだが、財源を含めた分権がもたらしうる事態、実際にもたらしてきた事態、すなわち、各々の域の間の流出流入の「自由」のもとで、しかも税収と支出とがある域において各々によって設定される場合に、税による(再)分配機能が弱まる傾向があることにどう対するのか。その章では、懸念されたのが金や人や組織の国外への流出であったから、国家間のこととしてこのことを考えたのだが、地方自治体間のこととして考えても基本は同じである。それ以前に、地域間に経済力の差がある時、どうするのか。もちろんそれに対しても、それはしかじかに補正したらよいと言われるのではある。しかし、その補正なるものはどこでなされることになっているのか。「中央」でないとすれば、「協議」か。しかし協議で片が付くようなことなのか。となると、より上位の決定ということになるか。するとそれは分権とどう折り合うのか、折り合わないのか。
  すると、公的扶助については国家責任でといったことは――実際にはこれもまた分権化してしまったらよいという議論があったし、今もあるのだが――言われる。しかし、同時に、例えば介護はそれぞれの地域の実情に合わせてなどと、すくなくともこの夏までは政権党側であった側ではない、すくなくともこの夏までは「野党」であった側からも、言われる。「社会連帯の観点」から、(累進課税の国税・所得税からでなく)定率の地方税(と「分権化」された保険)によってそれらはまかなわれるのがよいなどと言われる。そうした言論もまたその章で、すこしだけ、紹介した。そしてこれらについて、第2章「何が起こってしまったのか」の第9節「益に応じた負担あるいは応分の負担という気分」、第10節「代わりに」、第11節「所得保障と社会サービスは別のものではない」で確認するべきを確認した。
  すくなくとも争いをしようというのであれば、何を争っているのかわかる争いをした方がよいし、争うに足る争いをした方がよい。
  税に関わるところだけ少し続けよう。誰もが同じぐらい使う財について、誰からも同じだけその費用を取って、その費用を支給しても、あるいは政府がその財を購入して現物でその財を支給しても、それは――かなり乱暴な言い方であるのは承知しているが、基本的には――何もしないのと同じことである。同じだけ使うというのでなく、使う同じだけの可能性がある場合には、すこし違ってはくる。民間の保険の信頼性であるとか、任意加入にした場合に生じる問題が言われ、政府がそれを管轄した方がよいと言われる。それにもっともな部分があることは認めよう。しかし、その上で、やはり基本は同じである。
  もちろんまったくこの通りという税の使い方はそうなされはしない。しかし、様々になされる施策のうちこのように捉えられる部分がどれほどかはあるか、どのぐらいあるのかを考えておいてよい。そしてこうした部分について、国民負担率が大きくなるとかそうでないといった議論にどれほどの意味があるのか、押さえておいた方がよい。すくなくともここでは分配は行われていない。
  さらに、ただ分配の機能が働いていないというのでなく、逆進的な分配とでも言えるものがなされる場合、それが――むろんこのような文言のもとにではないののだが――主張される場合がある。例えばある種の施設に金をかけるであるとか、ある種の交通機関の使用料を安くするであるとか、無料にするであるとか。むろんその道路を使うのは、自家用車に乗って混雑した道を行楽に行こうという人だけではなく、多くの人あるいはあらゆる人が使う様々な商品を運ぶトラックであったりすることはわかっている。その上でも、やはりそれが、他にありうる施策を採ることに比べて、あるいはその施策を採らないことに比べて、必要で有意義であるかと問える。
  すると必ず言われるのは、経済の再建であるとか景気の浮揚であるとかである。いまあげたしかじかの施策で、地方が活性化すると、言われる。正確には地方の観光業関係とそこから間接的な便益を得る人たちがいくらかの利益を得るということだろうが、そんなことがあることを否定しない。けれども、このこともまた今回の本の第1章「分配のために税を使う」第3節「経済をわるくすることはない」で述べたのだが、そうしたことをしないで代わりに得られる金を、失われなかった金を、別に使った方がよいのではないかということである。もし、より消費できるようにし、そのことによってより生産がなされるようにするのがよいこのなのであれば、今消費できない人に渡せばよい。とくに高齢化が進んでいる地方で、つまりそこで必要なサービスがたくさんある地域で、そのサービスを人々が消費し、そのサービスを仕事にして税から収入を得て、様々消費できるようにすればよい。さらに、消費するだけでなく人々が貯蓄したり投資したりすることがよいというのであれば、それが可能であるようにすればよい。

□『税を直す』について・3
  このようなことを言えば、さらに返ってきうる反論は、やはりもちろん、あるのだし、それらのいくつかについて言えることは、この本も含め、述べてきた。むしろそのことに紙数を使ったしまった。さきほど見本として届いたこの本の「帯」――これは業界の慣習としては、出版社の側が用意してくれることが多く、結果、著者では恥ずかしくて書けないようなことが、書いてあること、書いていただいていることが多い――には勇ましいことが書いてあるのだが、積極的な提言自体はさきに記したように簡明なものであり、歳入・歳出に関わる具体像は、これからのことになる。それに私もいくらかは協力させていただくことがあるかもしれないが、基本的には、事情をわかっている人たちや計算ができる人たちや賢明な人たちにお願いしたいと思う。この本におもに書かれているのは、多くその手前のこと、「いつのまにやらこの国はこんなことになってしまったらしいのですが、ご存知でしたか」といったことである。
  例えば――ただたんに人が生きていくことを死ぬまで支えるといったことではなく――競争力のある産業、新規の技術開発を優先するべきである、せざるをえないといった主張がある。その主張は、一定の条件下では、否定されない。しかしその条件とは何か、それは変更不可能か、まったく不可能でないとすればどの程度可能かという問いがある。また、この懸念には理屈として筋が通っている部分はたしかにあるのだが、現実にはどの程度のことをした時にどれぼとの影響が出るのか。そういった問いもある。これらの一部については、別の本『良い死』(立岩[2008a]の第3章「犠牲と不足について」第7節の3「生産・成長のための我慢という話」、4「国際競争という制約」でいくらかのことを述べた。
  そして、「労働インセンティブ」(に関わる懸念)であり、人その他の「流出」(の懸念)である。これについても幾つか書いたものがあり、今度の『税を直す』では、第3章「労働インセンティブ」と第4章「流出」で、税制改革に関わって言われたことをたくさん並べて引用し、検討した。
  ほぼ同じことが言われている文章をたくさん並べていって、紙数も使ってしまい、いささか食傷気味でもあり、つまりは何が言われたのか、それをどう評することができるのか、ここで繰り返すことはしない(ホームページにより長い引用集がある)。私がそこで行なったことについて、結局、一つの変数の値をいささか変えるだけで、二通り(以上)の、別の方角を向いた結果が出るのは経済学の論議の常であって、時勢に乗じて、そのいずれかが現われ、やがて廃れていったり、あるいは、いつまでも一方の側が言われ続けたりするのは世の常であるから、放置しておけばよいのだという、冷めた、そしてかなりもっともでもある忠言をいただいりもした。
  ただ、そのような訳知りの人ばかりがこの世にいるわけでもないと思う。すくなくともこの二十年の間に起こったことをまるで覚えていない、というよりまったく知らない私のような者にとって、その業界の人たちによっては自明なことであっても、押さえておく必要はあると思った。そしてそれは、業界の外側の人がやってよいことであると思った。
  議論と言えるほどのことがなされてきたと言えるのか。ないと言い切るのは乱暴ではある。論ずる人の多くはまっとうな学者であるから、慎重な両論併記などもなされているものはある。ただ、表に出され数多く語られることと、そうでないものと、むらがある。そして、ことが起こった後で、例えば税制が変わり税率が変更された後で、実は、と語られることもあるのだが、しかし、もうことは起こってしまっている、今さら言われても遅いといったことがある。
  そして改革を主張し実現してきた側を批判する側がどうであったか。さきに分権や社会サービスの供給について言われたことについてすこし触れた。この本ではほぼその程度にとどまっており、十分な検討を行なうことはできなった。ただ、改革を実際に担う側から「反対しかできない」などと揶揄され非難されるほどには――消費税(の創設期)についてはともかく、すくなくとも所得税については、そしてさらにいくらかは法人税についても――思うほど「原則的」な批判はなされていない、あるいはなされなくなっているように思う。改革側にしてもそれを批判する側にしても、税制の専門家であるからには、様々な制度の不合理、不整合を知っており、それは指摘される。そしてそれらを手直して合算すれば、十分な財源が得られるといった話もされる。そうなのだろうと思わないではない。ただそれは、別の専門家によって非現実的であるなどと言われ、するとやはりそうなのだろうとかと思う。このように様々を具体的に専門的に検討し、批判し提言することの意義をまったく否定しないが、同時に、基本的な立ち位置をどこに定めるのか、そうした議論が、大勢に批判的な側においても十分にはなされてこなかったのではないかと思える。
  それらを追っておくことに一定の意義はあると思う。私自身は半年ほどかけてすこしの本を見ただけであるから、その作業はよりていねいに行われた方がよい。しかし他にあまり見あたらないから、こうしたとりあえずのものであってもないよりはある方がよいと思った。例えば社会学者の書いたものにこんなものがないように思う。金勘定の嫌いな人が社会学者になるのかもしれない。しかし金勘定は大切だと思う。
  そして加えれば、いくらか驚いたのは、その専門の業界にあって、法人税の正当化が不可能あるいは困難であるといった了解があり、あるいは何が答であるのかが不明であるという了解があり、そしてそのことを巡る議論が、法人擬制説と法人実体説という、いったい何について争われているのかよくわからない争い――論じている当人たちもそのように言う――のもとで、なされ、膠着しているようであることだった。それでこの連載の前回(二〇〇九年七月号)で考えたことを述べ、それを本では第1部の[補]として最後に置いた。法人税を課すことに問題はないこととその理由を述べた。こんなに単純に単純なことを言ってよいのだろうと思いもしたが、すこし見る限りでは他に言っている人もいないようだったから、記しておくことにした。詰めるべきことを残してはいるが、基本的にはまちがっていないことを書いたと思う。
  言うまでもないことであるはずなのだが、分配について、さらに社会について考える上で、税について考えておくことは必要であり大切である。私自身がしばらく前までほとんど何も知らなかったことは私個人の不徳の致すところであるとして、全般的に――川本隆史のような貴重な人を別にすれば、一部の経済学者と財政学者と一部の政治家その他によってしか議論がなされていないのはよくないことだと思う。そしてそんな間に、法人への課税の根拠は不明であるといった話が、そのままに留め置かれてきたのである。

『ベーシックインカムの哲学』について・予告
□「資産としての職」という理解について・序

■言及

◆立岩 真也 2010/10/01 「多くあるところから少ないところへ、多く必要なところへ」,『月刊公明』2010-10
◆立岩 真也 2010/08/26 「税を直す」,税制に関する意見交換会 於:東京
◆立岩 真也 2010/07/01 「最低限どころでないこと――唯の生の辺りに・3」,『月刊福祉』20102019/01/28-7
◆立岩 真也 2010/06/30 「障害者運動・対・介護保険――2000〜2003」,『社会政策研究』10:166-186
◆立岩 真也 2010/05/27 「所得税の累進性強化――どんな社会を目指すか議論を」,『朝日新聞』2010-5-27 私の視点 [English]
◆立岩 真也 2010/05/01 「『税を直す』の続き――連載・54」,『現代思想』
◆立岩 真也 2010/03/31 「この時代を見立てること」,『福祉社会学研究』7:7-23(福祉社会学会,発売:東信堂)
◆立岩 真也 2010/03/25 「思ったこと+あとがき」,Pogge[2008=2010:387-408]
◆2010/04/25 http://twitter.com/#!/rodokoyo/status/62188366724214784


■税を直す 正誤表  20090826

*行数はアキの行も含む

p.20/15行目  大きなな → 大きな
p.28/4行目  もっとなこと → もっともなこと
p.30/18行目  それこと自体がが → そのこと自体が
p.44/9行目  やむもえないのか → やむをえないのか
p.56/11行目  組み合わせるた方が → 組み合わせる方が
p.60/20行目  相当弱められいるが → 相当弱められているが
p.65/3行目  %)であったた。 → %)であった。
p.71/1行目  主張がもっとであるのか → 主張がもっもとであるのか
p.76/16行目  ということだ。。 → ということだ。(句点をひとつトル)
p.79/6行目  もっとだとも思える。 → もっともだとも思える
p.83/4〜5行目  言わな(改行)人もいた。 → 言わな(改行)い人もいた。
p.84/2行目  なかったのたか → なかったのか
p.96/2行目  にならざるをえてい。 → にならざるをえない。
p.104/7行目  さまざの節税策 → さまざまな節税策
p.118/18行目  人々の動機の動機のありよ → 人々の動機のありよ
p.130/4行目  こう。」という記されている → こう。」と記されている
p.132/18行目  最近、、アメリカを → 最近、アメリカを(読点ひとつトル)
p.137/11行目  の湯本が → の湯元が
p.143/19行目  「イノヴェイティブ」 → 「イノベイティブ」
p.146/20行目  ずっと言われきた。 → ずっと言われてきた。
p.147/5行目  米国でも必ずも → 米国でも必ずしも
p.152/7行目  実際に講じられき → 実際に講じられてき
p.173/14行目  機能してしてきた。 → 機能してきた。
p.179/13行目  せざるえない → せざるをえない
p.180/10行目  そうせざるえ → そうせざるをえ
p.185/4行目  なりうのか、 → なりうるのか、
p.200/1行目  補足できるのかというの問題 → 補足できるのかという問題
p.201/4行目  同じだけのを税を得る → 同じだけの税を得る
p.202/3行目  さまざの節税策 → さまざまの節税策


UP:20090505 REV:20090701, 12, 14, 0823, 25, 26, 0901, 03, 05,25,28, 1113, 20100221, 0411, 15, 0513, 0606, 16, 0829, 0903, 05, 20110509, 20120301
  ◇立岩 真也  ◇橋口 昌治  ◇村上 慎司  ◇Shin'ya Tateiwa
テキストデータ入手可能な本  ◇身体×世界:関連書籍 2005-BOOK
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