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特集「自立を強いられる社会」

―知ってることは力になる・44―

立岩真也 200612 『こちら”ちくま”』51(2006-5):


  青土社という出版社から『現代思想』という月刊誌が出ています。その12月号の特集が「自立を強いられる社会」でした。税込み1300円。私のHP経由ですこし安く買っていただくこともできます(1000円+送料たぶん80円)。障害者の自立というか自立支援法については、3人の人の原稿が掲載されています。「障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)」「DPI日本会議」などで長いこと活動・活躍してきた三澤了の「障害者自立支援法の影響と所得保障の必要性」。「全国「精神病」者集団」という小さい全国組織他でものを言ってきた長野英子の「私たちはまず人間だ ピープルファースト!。、そして前回も紹介しましたが、NPO「リソースセンターいなっふ」を運営、ホームページで支援法関係の情報提供等している岡部耕典の「いうまでもないことをいわねばならない「この国」の不幸」。読んでください。
  で私は、連載の原稿を「ワークフェア、自立支援」という題で書いているのと、白石嘉治さんと「自立のために」という対談をさせてもらっています。以下はその対談の一部。「総説」みたいなところなので、わかってる人にはわかっている話ですが、いちおう。

* * *

  「障害者自立支援法」という名前の法律になっていますけど、さまざまに心地わるいところがあります。あとで言うように今起こっていることは単純なんですが、自立って言葉を説明しだすと長くなります。
  自立 independence という言葉は、一九八〇〜九〇年代、もっと遡れば七〇年代から、運動のスローガンとしてありました。教科書的に言うと、それ以前、稼げて一人前という自立があり(経済的・職業的自立)、次に稼げなくても身の回りのことができるようになって一人前という自立があり(身辺自立・日常生活動作=ADLの自立)、そのいずれでもないものとして、自分の暮らしを自分で決めて他人の手を借りてやっていくという自立が出てきたということになっています。
  「自立生活運動」とか言われる時の自立はこっちです。これはよいです。最初の二つに比べるとよほどよい。けれど、自立・自律・独立をどの程度のものと見積もるかという問題は残る。そんなことがあって、その「自立生活」のことを書いた私たちの本(『生の技法』、安積純子他、藤原書店)では「自立」という言葉は題に使ってないんです。「家と施設を出て暮らす障害者の社会学」が副題です。その方が現実に即していたとも思っています。つまりその人たちにとって「自立」って、家出して、施設からも逃げてきて、とにかく暮らすっていうもので、施設ではない、親がかりではない、というふうに、消極的に規定されるもので、それが重要なところだったと思っています。生きるための技は様々ありますが、生自体はなにかに規定されるようなものではないということです。この辺りについては『弱くある自由へ』(青土社)所収のいくつかの文章にも書きました。
  ただ、自己決定としての自立、というのはとりあえず通りがよいし、もっともでもある。さらに、それ以前の、相対化され批判されもした、金を稼ぐ、機能を回復・獲得するという意味での自立と実際にはないまぜになって、なんかよい意味の言葉として流通し続けるわけです。ですからそれが法律の名前にかぶっているということは、不思議ではないといえば不思議ではない。
  ただ、このたびの法が、強い反対に会いつつ、提案され通されたのは、非常に単純にお金絡みの事情からです。稼いで一人前、という「古い」自立に戻っているという捉え方もあるかもしれないけれども、まともに就労を支援しようということもない。曖昧によいものとされる「自立」という語がとにかく冠してあるということでしかないと思います。
  そしてこれは、二〇〜三〇年やってきた運動の、ポジティブな結果に対する反動という部分があると思うんです。七〇年代から九〇年代にかけて、いろんなところでいろんなものを、「取れるものは取ろう」という形でゲリラ的に獲得し、それがだんだん広がり、量的にも拡大していった。それに対して枠をかけて基準を作って、総枠としてお金のかけ方を減らしましょうという、言ってみればただそれだけの動きであるという気がするんですよね。今まであった様々なサービスに対して一定の自己負担を求めるというような形で、お金の増え方を抑制しましょうという。
  今出ている流れというのはそれだけだし、そしてそれだけになかなかしんどいということだと思います。一本しか筋がない中で、そこをどのように抜けるか。かなりしんどい状況にはなっていると思うんですよ。
  だから、七〇年代八〇年代というのは、いろいろなものが足りなくて、僕の知っている人たちはみんな苦労をして大変だったんだけれども、やっていることに間違いはないし、それをどんどん広げていこうとしていた。それは中央官庁から見れば、なんだかよくわからない動きでもあって、いろんなところから五月雨式に出てきて、それが広がっていくという、ある意味では幸せな時代というか、自分たちが動いた分だけ、今日より明日が少しはまともになるということだったと思います。この地域ではここまで進んだから、他の地域ではまだ進んでいなければ、交渉のやり方を教えに行って、その通りにやると今までなかったものができて、というようなことが全国にだんだんと起こっていった。その意味では明るいというか、ポジティブというか、そういう動きだったと思います。
  それが部分的にかなりいいところまで行ったんですよ。介助・介護の制度について、結果として獲得された水準は、福祉の先進国とされる国も含め他の多くの国々よりまともなものです。これは確認しておく必要がある。それゆえに、それだけが理由でないとしても、例えばALS(筋萎縮性側索硬化症)といった重い障害の人が死なずにすむ割合が他の国に比べたら高いんです。いいところまで行ったために、それに対して枠をはめましょうというのが、医療を含めた福祉サービスで起こっている。そういう意味では非常に古典的な、金をかけるのが嫌な領域にかかる金をどうやって減らすかという時に、野蛮な、利用料をとるであるとか、誰でも考えつくような策を弄して、それに自立支援法という名前を冠しているということなんじゃないかなと思っているんですけれどもね。

  *知ってることは力になる 43>44>45


UP:20061202 REV:
自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也
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