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『アルチュセールの教え』(革命のアルケオロジー 1)

Rancière, Jaques 201201 La leçon d’Althusser,La fabrique éditions,254p.
=20130630 市田 良彦・伊吹 浩一・松本 潤一郎・箱田 徹・山家 歩 訳,航思社,328p.

last update:20150330

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Rancière, Jaques 201201 La leçon d’Althusser,La fabrique éditions,254p. =20130630 市田 良彦・伊吹 浩一・松本 潤一郎・箱田 徹・山家 歩 訳 『アルチュセールの教え』(革命のアルケオロジー 1),航思社,328p. ISBN-10:4906738044 ISBN-13:978-4906738045 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ p

『アルチュセールの教え』(革命のアルケオロジー 1)表紙イメージ

■内容

哲学と政治におけるアルチュセール主義は、煽動か、独善か、裏切りか―― 68年5月を領導したとされる師のマルクス主義哲学者に対し、 当の68年5月とその後の闘争をめぐり訣別、 「分け前なき者」の側に立脚して、存在の平等と真の解放をめざす思想へ。 思想はいかに闘争のなかで紡がれねばならないか。

■著者紹介

ジャック・ランシエール(Jacques Ranciere)
1940年、アルジェ生まれ。パリ第8大学名誉教授(哲学、政治思想、美学)。
邦訳された著書に『不和あるいは了解なき了解』『民主主義への憎悪』(ともにインスクリプト)、『無知な教師』『感性的なもののパルタージュ』(ともに法政大学出版局)、『イメージの運命』(平凡社)など。

■訳者紹介

市田良彦(いちだ・よしひこ)
1957年生まれ。神戸大学大学院国際文化学研究科教授。
著書に、『ランシエール』(白水社)、『革命論』『アルチュセール ある連結の哲学』『闘争の思考』(以上、平凡社)、訳書にアルチュセール『哲学・政治著作集』全2巻(共訳、藤原書店)、ヴィリリオ『速度と政治』(平凡社)など。

伊吹浩一(いぶき・ひろかず)
1967年生まれ。専修大学・愛知大学非常勤講師。
訳書にアルチュセール『再生産について』(共訳、平凡社)、ネグリ『革命の秋』(共訳、世界書院)など。

箱田徹(はこだ・てつ)
1976年生まれ。立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。
著書に『フーコー統治論(仮)』(慶應義塾大学出版会、近刊)、訳書にクリスティン・ロス『六八年五月とその事後の生』(インスクリプト、近刊)など。

松本潤一郎(まつもと・じゅんいちろう)
1974年生まれ。立教大学非常勤講師。
著書に『ドゥルーズ 千の文学』(共著、せりか書房)、訳書にドゥズィーナス/ジジェク編『共産主義の理念』(共訳、水声社)など。

山家歩(やまか・あゆむ)
1969年生まれ。法政大学・専修大学非常勤講師。
著書に『戦争と近代』(共著、社会評論社)、訳書にアルチュセール『再生産について』(共訳、平凡社)など。

■目次

新版へのまえがき(二〇一一年)……7

第一版序文(一九七四年)……17

第T章 正統の教訓―M.L.はジョン・ルイスに大衆が歴史をつくることを教える……27

第U章 政治の教訓― 哲学者たちはいかにして王とならなかったか……69

第V章 自己批判の教訓― 階級闘争が理論のなかで荒れ狂う…127

第W章 歴史の教訓― ヒューマニズムの害悪……171

第X章 自分の席についた言説……221

補遺 イデオロギー論について― アルチュセールの政治(一九六九年)……243

解題 〈無知な教師〉はいかにして〈僭主〉に教えたか 市田良彦……299

組織・党派名索引……321

人名索引……325

■新版へのまえがき(抜粋)

 本書は一九七四年に刊行された。それを今日手にする読者は、当時書かれた序文に、刊行にいたる諸事情が説明されているのを目にするだろう。しかし今日ではおそらく、それらの事情そのものを述べ直す必要があるだろう。事情の筆頭は、ルイ・アルチュセールの名前と著作が代表していた理論的および政治的賭金である。アルチュセールは今日、構造主義パラダイムの短い歴史や二〇世紀マルクス主義理論の長い歴史における、数多の登場人物の一人であり、誰でも彼について、著作の全体を考慮に入れつつ、二つの伝統を代表する他の任意の人物と冷静に比較対照することができる。こうした認定はたしかに、思想家たちと彼らの仕事の発展について包括的でバランスの取れた評価を生みだすという利点をもっている。しかしそれは容易に、彼らの思想がそこで形成され、かつ効果をもった知的―政治的文脈に固有のダイナミズムを忘却することにつながる。反対に本書は、きわめて限定された歴史的―政治的な一場面のなかで思想の効果を測定しようとする企てであった。そこにはアルチュセール、サルトル、フーコーといった人物、欄外にはドゥルーズ、ガタリ、リオタールといった人物が登場する。彼らは、一九六八年の出来事、さらに五月後の運動と軋轢によって思想と行動に光が当てられて登場する。アルチュセールの名前を国家のイデオロギー装置の理論に結びつける読者は、本書において、彼のイデオロギー論ではこの概念がなんの役割も果たしていないと批判されているのを目の当たりにして驚くだろう。
 晩年に書かれた「偶然性唯物論」から刺激を受けた読者は、一九七四年のはじめに書かれた本書にはいっそう自分の関心からはずれたものを認めるだろう。しかし私は、この日付を喚起することで、それ以降にアルチュセールの名前とともにある諸著作が本書に登場しないことを詫びようとしているのではない。この新版にそれらにかんする考察を含めても意味はないだろう。私は実際、思想家の様々な理念を説明するモノグラフを書きたいと思ったのではなく、一つの思想の政治を探ろうとした。この思想が一つの時代から政治的な意義と争点を?み取る仕方、またそれを通してこの思想が自分自身で、思想の政治的効力が働く特殊な場面と時間を規定する仕方を探ろうとした。
 本書がその系譜をたどり総括を得ようと考えたのは、この動くアルチュセール主義である。本書は、アルチュセールが断片を貼り合わせて出来事の裂け目を塞ごうとしていた時期に、それを試みた。明らかに、時期も関係していた。それは一九六八年の断絶を持続させようとするエネルギーが息切れした時期だったのである。味わわれた幻滅は、すすんで、戦闘性に対する根本的批判のかたちを取った。闘争内部の男性的で家父長的な権力形態、闘争の禁欲的厳格さがやり玉に上がった。祝祭と欲望の解放を求める声が溢れた。そこにドゥルーズとガタリの「欲望機械」と重なる言葉を見た、とやや性急に信じる者たちもいた。その少し後には「新哲学」派による攻撃がはじまるだろう。それは革命の歴史全体を、思想の首領たちの権力欲によって説明しようとするだろう。この息切れ現象はむろん、孤児となってしまったエネルギーを自分たちのものにしようとする公認マルクス主義組織の試みには追い風となった(…)。
 本書は、様々に自称されるいわゆる支配批判の中心にある、こうした知性の不平等論に対し宣戦布告をした。それは、どんな革命思想も反対の前提、つまり被支配者たちの能力という前提にもとづくべきである、と宣言した。この能力の諸条件と諸形態を分析することに、以降の私は取り組んできた。地下に埋められた労働者の解放形態を明るみに出し、ジョゼフ・ジャコトが知性の解放を宣言した忘れられたテキストに再び光を当てることにより。しかし本書のころの私は、中国の文化大革命のスローガンと同一視しなければ、それを定式化することができなかった。本書は、文化大革命について当時流布していた捉え方、すなわち、国家と党の権力に大衆の能力を対置する反権威主義運動という捉え方を共有している(…)。歴史のその後は、文化大革命の推進者たちがもっているとされた自律的発意能力の限界を判断させてくれた。それはまた、肉体労働によって知識人を再教育するというテーゼが覆い隠していた収容所的現実を理解させてくれた。このテーゼはある種の西欧的な分業批判と当時はみごとに共鳴していたのである。この点について本書は、抑圧の根拠にけっして加担することのない転覆の理論はない、というテーゼを苦い経験により確認する(…)。
 明らかに、私は今日、本書の主張と分析のいくつかにもはや同意しない。しかし私は、当時の私を導いていた敵味方を識別する原理を変えたことはない。すべての者に共通する能力を前提にすることだけが、思考の力と解放のダイナミズムを基礎づける、という理念だ。それゆえに、私の四〇年前の戦闘的な思想と言葉づかいが現在と出会うことに、私はそれほど不安を覚えてはいない。旧弊な語彙が用いられているものの、ここにある思想と言葉づかいは、不正義の世界的支配に異議を申し立てるため今日街頭を占拠している人々の渇望と闘いのほうにこそ、同時代的であるように思える。不可能なものを求めることを諦めたばかりか、可能なものを求める声に触れただけで震えあがるように見える一部の左翼思想の正直なリアリズムと同時代であるよりは。現在はたえまなく複数の時間に分割され、それ自体たえまなく見直される過去との紐帯にたえまなく自らを開いている。本書の激しい論争姿勢は、ものごとのノーマルなあり方に異議が唱えられたあの年月について、月並みな回顧よりも正しいイメージを提供してくれるだろう。そしてこの姿勢は、ほんのわずかな人間の利益が大多数の人間の利益と衝突するときに用いられる暴力に対して、より見合っているように思える(…)。

■引用・紹介

◆2013/08/01 https://twitter.com/rakudado_bot/status/362943454428413956
「駱駝堂bot 1年365冊紹介@rakudado_bot 「《イデオロギー》に錯覚の地位を与えているかぎり、錯覚の「社会的」必要性を強調したところで、イデオロギー問題を理解することはできない。そしてその結果、イデオロギーについていかなる具体的な分析も生みだせない。」(『アルチュセールの教え』p292)」

◆2013/11/04 https://twitter.com/ttt_cellule/status/397530828181209088
「白江 Shirae@ttt_cellule ランシエール『アルチュセールの教え』の訳書帯にある68年デモのカラー写真ってさりげに「西川長夫撮影・個人蔵」の類だったりする」

◆2013/11/16 https://twitter.com/Ryo_Sugai/status/401867777310326784
「菅井良@Ryo_Sugai 「アルチュセールの教え 」ジャック・ランシエール著 市田良彦・伊吹浩一・箱田徹・松本潤一郎・山家歩訳 航思社 「どんな革命思想も〔・・・〕被支配者たちの能力という前提にもとづくべきである、と宣言した」書。」

■書評

◆柿並 良佑 2013/09/21 「書評 政治哲学者ランシエール初の単著にして父殺しの書物――敢然として大衆という「主体」の能力を肯定せんとするランシエールの立場」 『図書新聞』書評 (2013年9月21日) > 図書新聞・書評掲載『アルチュセールの教え』
http://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun_2013_syohyou_3127_2-1.html

◆的場 昭弘 2013/09/27 『週刊読書人』書評 (2013年9月27日) > 週刊読書人・書評掲載『アルチュセールの教え』

■言及



*作成:安田 智博
UP: 20150126 REV: 20150126, 0330
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