HOME > BOOK >

『時のしずく』

中井 久夫 20050420 みすず書房,289p.


このHP経由で購入すると寄付されます

中井 久夫 20050420 『時のしずく』,みすず書房,289p. ISBN-10: 4622071223 ISBN-13: 978-4622071228  \2730 [amazon][kinokuniya] m m2005 tt04

■内容
出版社 / 著者からの内容紹介
「私の人生は、さまざまな形で私を大きく動かした人々との対人関係の集大成である」。そう記す著者が、あざやかによみがえってくる自らの「記憶」を縦糸に、思い出深い人々との出会いと別れを綴った最新エッセイ集「これは私の第4エッセイ集ということになる。おおむねは1995年の阪神・淡路大震災以降2002年初めまでのものである。ほぼ60歳代の前3分の2に当たる時期である。あまり世に出回らない雑誌などに載ったものがおのずと集まった。小さい仕事のほうに凝るのは私の癖である」(「あとがき」より)。
これまであまり語られたことのなかった自伝的な事柄と自らの家系に連なる異能の人々についての省察。震災の傷跡からの奇跡的な復興とその問題点。癒し・ボランティア・家族について広大な地平から見通した諸論考。青春時代に心ときめかした読書体験の詳細と日本語についての透徹した考察。そして、その晩年お互い精神的に深く交歓した須賀敦子や若くして夭折した安克昌をはじめとするかけがえのない師・友人・弟子たちとの交遊。5部構成、全34編よりなる、珠玉のエッセイ集成。

(「BOOK」データベースより)
これまであまり語られたことのなかった自伝的な事柄と自らの家系に連なる異能の人々についての省察。震災の傷跡からの奇跡的な復興とその問題点。癒し・ボランティア・家族について広大な地平から見通した諸論考。青春時代に心ときめかした読書体験の詳細と日本語についての透徹した考察。そして、その晩年お互い精神的に深く交歓した須賀敦子や夭折した安克昌をはじめとするかけがえのない師・友人・弟子たちとの交遊。5部構成、全33編よりなる、珠玉のエッセイ集成。

(「MARC」データベースより)
これまであまり語られたことのなかった自伝的な事柄と、自らの家系に連なる異能の人々についての省察。また阪神・淡路大震災の傷跡からの奇跡的な復興とその問題点などをめぐる論考を収める。

■目次
T
私の歩んだ道
岐阜病院の思い出
ある回顧
私が私になる以前のこと
一精神科医の回顧

U
その後にきたもの――ボンの変化を手はじめに
災害被害者が差別されるとき

V
山と平野のはざま――力動精神医学の開拓者たちが生まれたところ
「祈り」を込めない処方は効かない(?)――アンケートへの答え
ボランティアとは何か
親密性と安全性と家計の共有性と
母子の時間、父子の時間

W
手書きの習慣を保ちたい
校正について
外国語と私
日本語の対話性
被占領期に洋書を取り寄せたこと
編集から始めた私
エランベルジェと『いろいろずきん』
『分裂病と人類』について
「超システム」の生成と瓦解――多田富雄著『免疫の意味論』
書評『神谷美恵子』江尻美穂子著
ある家裁調査官と一精神科医――藤川洋子『「非行」は語る――家裁調査官の事例ファイル』
私の人生の中の本
秘密結社員みたいに、こっそり
図書館に馴染まざるの記

X
須賀敦子さんの思い出
阪神間の文化と須賀敦子
多田智満子訳『サン=ジョン・ペルス詩集』との出会い
飯田眞先生への祝辞
宮本忠雄先生追悼
『多重人格者の心の内側の世界』序文
安克昌先生を悼む

あとがき

■引用
災害被害者が差別されるとき

「一般に「ステロタイプ」がないところに差別、少なくとも集団的差別はないであろう。逆に、ステロタイプが形成される時、集団的差別はすぐ隣室まで来ている。
 関東大震災においては、下町の被災を見物に行っていた同じ人たちが、帰って自警団を結成している。ここでは「被災者のステロタイプ」がすでにできあがっている。そこから「被災便乗者」のステロタイプまではわずかな一歩である。その「便乗」者に「不逞朝鮮人と社会主義者の跳梁」が上乗せされていった。これには、周知のとおり、意図的なものが加わっていたけれども。
 もとより、火種というものはある。「ステロタイプ」は、人々を迅速に説得しなければならないからだ。
 江戸期には「地震文化」「災害文化」というべきものがあったらしい。オランダの文化人類学者アウエハントの『鯰絵』に始まり、最近、社会学者・北原糸子が精力的に行っている仕事から、その一端を知ることができる。
 すなわち、江戸期においては、地震をはじめとする災害は富の再配分の機会と考えられたらしい。(p. 81)地震によって貧しくなる富者がある一方で、倒壊した家屋から財産を略奪することによって富人となる機会が貧者に与えられる。地震は「世直し」の一つの契機であり、その象徴である鯰は「鯰大明神」などと神格化され、その絵が大いに売れたらしい。
 この「火事場泥棒」がどの程度「制度化」されていたかはわからないが、この「社会通念」も、関東大震災における「自警団」の組織にあずかって力があったであろう。関東大震災は江戸時代の終りから五〇年余りしか経っていないのである。この「社会通念」は戦災被災者に対する民衆の態度まで生きのびていたらしいが、戦後の災害においては幸いどうやら跡を断ったらしい。(p. 82)」

山と平野のはざま

「「山の辺の道」という古代の街道は、正確にはどこだかわからないそうである。今そういわれているところが東に偏って扇状地を横切って走っているのはまちがいない。私は、JR桜井線が山の辺の道に敷かれたであろうと思っている。廃仏毀釈の時代だから、おおよそ山の辺の道ごときに顧慮などしないだろう。よく踏み固められて線路を敷くには絶好だったろう。周囲から少し高くなってもいる――。神戸でもJR線が西国街道の跡を走っているところがある。街道がまさに龍王山地の山麓部と平野部とを分けている。平野部の代表が中村直三、山麓部の代表が中山みきである。二人とも幕末の人である。
 この時代には「世直し」路線と「立て直し」路線という二筋道があった。「世直し」にも維新志士のように政治的なものと宗教的なものとさらに「ええじゃないか」運動のような無構造の奔騰があるが、私はJR桜井線をはさんで東に「世直し」が出てきて西に「立て直し」が出てきたこと(P. 93)は偶然ではないと思う。おそらく「世直し」の中山みきと「立て直し」の中村直三との違いは、山と平野との境界側と、平野部の東端とのコスモロジカルな差に対応するのではないかと思う。盆地を宇宙に見立てると、その中央と周縁の差である。(P. 94)」

「日本人のなかには辺境に共振する何かがあると思われる。しかし、元来の「倭(やまと)」というのは磯城郡のあたりだけである。「東の野にかぎろひの立つの見えて……」というあのあたりを倭といい、国中平野は「大倭(おおやまと)」と言っていた。オオヤマトに「大和」の字を当てていたのが、そのうち全体としてのヤマトを指すようになった。大和神社はいまだにオオヤマト神社と呼んでいる(あそこは元来国津神である。つまりこの地域の神様だったものである。明治維新の時に祭神を変えさせられたのである)。(P. 95)」

「このシンポジウムで私の前に米山俊直先生が話された中で私の印象に強く残ったのは、信長が比叡山を焼いた事件の大きさである。比叡山がそれまで持っていた、たとえば「天台本覚論」という宇宙全部を論じるような哲学がそれによって燃え尽きてしまう。比叡山が仮に信長に勝っていたらチベットのような宗教政治になったかどうかはわからないが……。それ以降、秀吉と家康がした大きな改革が三点くらいある。一つは「大家族同居の禁」である。江戸時代のほうが明治以降よりも小家族であった。森鴎外の『阿倍一族』のような反乱を起こされたら困るからである。もう一つは刀狩という「武装解除」である。最後の一つは「布教の禁」で宗教は布教してはいけないということである。おそらく幕末のいろいろな宗教運動がものすごい抵抗に遭ったのは、布教の禁に真っ向から対立するからだろうと思う。布教しないということはその宗教は半分死んだようなものかもしれないが、檀家制度という、生活だけは保障する制度をする。以上の三つに付随して「宗教者医療の禁」がある。「医は仁術なり」という言葉は「お医者さんは非常に親切であれ」ということではなくて、「仁」という儒教の道徳にもとづいた非宗教人だけに医術を許すということである。ただし日蓮宗は狐憑きを治療してよいなどいくつかの例外はある。(P. 98)」

ボランティアとは何か

「行政からみてうまくいったとみえる場合、現場では地団駄を踏み不毛ないさかいさえ起こっていることが間々あるだろう。システムが模範的な円滑で動くのはしばしば末端の苦悩を押しつぶしながらである。双方に同じ程度の不満感が残るのが実はいちばんうまく行っている場合であると私は思う。(P. 117)」

母子の時間、父子の時間

「母子の時間の底には無時間的なものがある。母の背に負われ、あるいは懐に抱かれたならば、時(P. 135)間はもはや問題ではなくなる。父子にはそれはない。父親と過ごす時間には過ぎゆくものの影がある。長い時間の釣りであえ、ハイキングでさえ、終わりがある。終わりの予感が、楽しい時間の終末部を濃く彩る。
 友人と過ごす時間には、会うまでの待つ楽しさと、会っている最中の終わる予感とがある。別れの一瞬には、人生の歯車が一つ、コトリと回った感じがする。人生の呼び戻せなさをしみじみと感じる。それは、友人であるかぎり、同性異性を問わない。恋人と言い、言われるようになると、無時間性が忍び寄ってくる。抱き合う時、時間を支配している錯覚さえ生じる。もっとも、それは、夫婦が陥りがちな、延びきったゴムのような無時間性へと変質しがちで、おそらく、離婚などというものも、この弾力性を失った無時間性をペースとして起こるのだろう。(P. 136)」

「ちなみに「宗(P. 141)教」の西欧語のもとであるラテン語「レリギオ」の語源は「再結合」、最初の意味は「つつしみ」であったという。母権的宗教が地下にもぐり、公的な宗教が父権的なものになったのも、その延長だと考えられるかもしれない。ローマの神々も日本の神々も、威圧的でも専制的でもなく、その前で「つつしむ」存在ではないか。母権的宗教においては、この距離はなかったと私は思う。それは、しばしば、オルギア(距離のない狂宴)を伴うのである。母権の名残りがディオニソス崇拝、オルフェウス教として色濃く残った古代ギリシャでは「信仰」はあるが「宗教」にあたる言葉がなかったらしい。(P. 142)」

■書評・紹介

■言及




*作成:岡田 清鷹 
UP:20081229
精神障害/精神医療  ◇精神障害・精神障害者 2005  ◇多田 富雄  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)