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多田 富雄
ただ・とみお
1934〜2010
※次の電子書籍(HTML版)に情報を掲載。今後はこの電子書籍で随時増補をしていきます。
◆立岩 真也 編 2017/07/26
『リハビリテーション/批判――多田富雄/上田敏/…』
,
Kyoto Books
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
■本頁内
◆
リハビリテーション業界・業者批判
◆
「人間の条件」
◆
死生/生死
◆
その他
◆
訃報
◆
言及
■関連
◆2010/07/01
『現代思想』38-9(2010-7) 特集:免疫の意味論――多田富雄の仕事
,青土社,ISBN-10: 4791712153 ISBN-13: 978-4791712151
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表紙をクリック→amazonで購入できます
◆上田 真理子 20100730
『脳梗塞からの再生=\―免疫学者・多田富雄の闘い』
,文藝春秋,246p. ISBN-10: 4163727604 ISBN-13: 978-4163727608 1476+
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※ w/tt04.
◆立岩 真也 2010/07/01 「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」,『現代思想』38-9(2010-7):
資料
◆立岩 真也 2010/09/01
「多田富雄さんのことから――唯の生の辺りに・5」
,『月刊福祉』2010-9
◆立岩 真也 2017/08/**
「リハビリテーション専門家批判を継ぐ」
,多田富雄『多田富雄コレクション3 人間の復権――リハビリと医療』解説,藤原書店
■新着
◆多田 富雄 20170910
『人間の復権――リハビリと医療』
,藤原書店,多田富雄コレクション3,320p. ISBN-10: 4865781374 ISBN-13: 978-4865781373
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◆20100510
『落葉隻語――ことばのかたみ』
,青土社,219p. ISBN-10: 4791765451 ISBN-13: 978-4791765454 1680
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◆石牟礼 道子・多田 富雄 20080630
『言魂』
,藤原書店,216p. ISBN-10: 489434632X ISBN-13: 978-4894346321 2310
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※
◆20080301 「死に至る病の諸相」
『現代思想』36-3(2008-3):40-47→多田[2010:140-156]
◆20071210
『わたしのリハビリ闘争――最弱者の生存権は守られたか』
,青土社,172p. ISBN-10: 4791763629 ISBN-13: 978-4791763627 1260
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※ r02
◆20070731
『寡黙なる巨人』
,集英社 , 248p. ISBN-10: 4087813673 ISBN-13: 978-4087813678 1575
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※ r02.
◆20060408 「リハビリ中止は死の宣告」
『朝日新聞』2006-04-08
http://my.reset.jp/~comcom/shinryo/tada.htm
cf.
リハビリテーション
■
1934生
1971 サプレッサーT細胞の発見を国際免疫学会で発表
1974 千葉大学教授
1978 東京大学教授(1977?)
1984 文化功労章
2001/05/02 脳梗塞で倒れる 金沢医科大学付属病院
cf.多田[20070731:11ff.]
2001/07初め 金沢医科大学付属病院を退院、東京都立駒込病院に転院
cf.多田[20070731:49][2010:141]
2001/09半ば 東京都リハビリテーション病院に転院
cf.多田[20070731:71ff.]
2004/10/16 上田真理子に多田からメールで取材諾の返信来る(
上田[2010
:18-19])
2005/12/04 NHKスペシャル「脳梗塞からの”再生”――免疫学者・多田富雄の闘い」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/051204.html
cf.多田[20070731:185,234-236],
2006/04 脳卒中者等のリハビリテーションが発病後180日までに制限される
(多田[20071210][2010:63ff etc.]etc.)
2006/04/08 「リハビリ中止は死の宣告」
『朝日新聞』2006-04-08
http://my.reset.jp/~comcom/shinryo/tada.htm
cf.
リハビリテーション
(20060614 HPにこの頁掲載開始)
2007 「自然科学とリベラル・アーツを統合する会(INSLA)」 設立、代表に
2008/04 後期高齢者医療制度開始
cf.多田[2010:28-29]
2010/04/21 前立腺癌による癌性胸膜炎のため逝去。76歳
2010/05/10
『落葉隻語――ことばのかたみ』
,青土社,219p. ISBN-10: 4791765451 ISBN-13: 978-4791765454 1680
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※ r02.
2010/05/30 13:35〜14:55 NHK総合・NHKアーカイブス「免疫学者 多田富雄の遺(のこ)したもの」
■
◇1934生
◇1955頃 水俣病についての報道
→「水俣病という「踏み絵」」,多田[2010:137-139]
◇1959 「一九五九年に医学部を卒業し、農村の小さな病院に赴任した。」(多田[200707:142])
◇1960年代
「私が大学を卒業したころには東京タワーが建ち、東京オリンピックの準備で東京が第変貌しようとしていました。よくボートをこぎに行った、東京・弁天橋ボート場の風景や、日本橋の風景が、無神経な高速道路の建設で一変したのに肝をつぶした記憶があります。やがてインターン闘争から学生紛争にいたるのですが、私はアメリカに留学したので、安田講堂の攻防戦はアメリカのテレビで見ました。日本にいたなら、私はさしずめ三派系だったでしょう。
そのころの学生の変革へのエネルギーは、生命力に満ちていました。時代を変えるのはわれわれだという意気込みがあったんです。それが今では」(多田[201005:102])
◇1971 サプレッサーT細胞の発見を国際免疫学会で発表
◇1974 千葉大学教授
◇1978 東京大学教授(1977?)
◇1984 文化功労章
◇多田 富雄・山折 哲雄 20000428
『人間の行方――二十世紀の一生、二十一世紀の一生』
,文春ネスコ,237p. ISBN-10: 4890361030 ISBN-13: 978-4890361038 1680
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※ d07.
「多田 昔は、衰弱して死ぬことがもっとも自然な死に方のひとつだったと思うのです。ものが食べられなくなって、寝たきりになって、まわりの人も食べ物がはいらなくなったからそのうち死ぬだろうと覚悟して、そしてある朝目覚めることなしに死んでいたという、そういう死に方がいちばん自然な死に方でした。
ところがいまでは、医療が衰弱を止める方法をつくりだした。当然昔だったら衰弱して死んでしまう状態、たとえばがんなどで食べ物が喉を通らなくなってしまったときでも、中心静脈栄養という生きてゆくために必要な量の栄養素を人工的に十分与えることができます。それから電解質なども必要なだけ与える。生命活動に必須なミネラル分のアンバランスも完全にコントロール<0083<できるわけです。ですから、死ぬべき人、いつまでも生かしておくことができるという状態が生まれるわけです。
生かしておくことによって、苦しみが長引くとか、クオリティ・オブ・ライフ=生命の質が低下することについてなど、考慮を払うべきかどうかを、医学教育では教えてはおりません。医学部の教育は、本能的に生命を救う、延命させる方法だけを徹底的に教えています。
延命させる、衰弱させない。これに関しては、技術が非常に発達しています。衰弱して死ぬという自然な死に方には当然逆行したやり方になります。」(多田・山折[2000:83-84])
「多田 そうですね。自分の意思を明確にどこかに書いておくとか、あるいは人に伝えておくことでしょうか。いましておけることは。
もちろん延命治療で、時間をとめることのメリットを無視することはできない。たとえば遠くにいる息子が来るまで生かしておくとか、たとえそういう状態でも、夫婦ふたりだけの時間を長引かせたいとか、そこには長引かせた生命のすばらしい価値が生まれます。
しかし、衰弱させない、死なせない、それが無制限におこなわれるという状態をほんとうに私たちは望んでいるのでしょうか。」(多田・山折[2000:85])
◇2001/05/02 脳梗塞で倒れる 金沢医科大学付属病院
cf.多田[20070731:11ff.]
◇2001/07初め 金沢医科大学付属病院を退院、東京都立駒込病院に転院
cf.多田[20070731:49][2010:141]
◇2001/09半ば 東京都リハビリテーション病院に転院
cf.多田[20070731:71ff.]
◇2002/01 「長い冬に入って、歩行の学校の卒業のときが迫っていた。お正月は自宅で過ごせるようにと、一時退院の計画が立てられた。自宅には帰れないので、急遽マンションを購入する計画が立てられ、妻はマンション探しに奔走した。幸い自宅の近くに新築のバリアーフリーで二LDKという貸しマンションを妻が見つけて、早速契約してきた。」(多田[20070731:89])
◇2002/02/08 退院(多田[20070731:96, 202])
◇多田 富雄・柳沢 桂子 20040430
『露の身ながら――往復書簡いのちへの対話』
,集英社,269p. ISBN: 4087812650 1470
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※
「もう体は回復しない。神経細胞は再生しないのだから、回復を期待するのは無理だ。それ<0259<だけは、この二年の間に嫌というほど思い知った。ダンテの「地獄編」に「この門をくぐるものすべての希望を捨てよ」とあったが、この病気でも同じである。
しかし私の中に、何か不思議な生き物が生まれつつあることに気づくようになった。はじめのうちは異物のように蠢いているだけだったが、だんだんそれが姿を現したように思う。
まず、初めて自分の足で一歩歩いたとき、まるで鈍重な巨人のように、不器用に足を踏み出そうとして戸惑っているそいつに気づいた。[…]
声が出たときもそうだった。[…]
私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。自分の体は回復しないが、この不器用な<0260<巨人はいま形のあるものになりつつある。彼の動きは鈍いし、寡黙だ。それに時々は裏切る。この間こけたときは、右腕に大きなあざを作った。そのたび私は彼をなじる。
でも時には、私に希望を与えてくれる。[…]
もとの私は回復不能だが、新しい生命が体のあちこちで生まれつつあるのを私は楽しんでいる。昔の私の半身の神経支配が死んで、新しい人の半身が生まれるのだと思えば、障害者も楽しい。そう思って生きよう。そうすると萎えた足が、必死に体重を支えようと頑張っているのが、いとおしいものに思えてくる。」([259-261])
◇2004/10/16 上田真理子に多田からメールで取材諾の返信来る(
上田[2010
:18-19])
◇2005/05 前立腺癌が発見される(多田[20070731:114])
「石牟礼道子さん往復書簡をやってみないかと藤原書店の藤原良雄さんからお勧めを受けたのは二〇〇五年の春であった。石牟礼さんは私はひそかに崇拝する女性の一人だったので、一も二もなくお引き受けした。
私はそのころ、かなり進行した前立腺癌が発見されていた。手術や合併症の治療に忙殺されてて、私がお手紙を差し上げられる状態になったのは二〇〇六年に入ってからであった。はじめから完成が危ぶまれた。」(多田、石牟礼・多田[2008:201]*)<
*石牟礼 道子・多田 富雄 20080630
『言魂』
,藤原書店,216p. ISBN-10: 489434632X ISBN-13: 978-4894346321 2310
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※
◇2005/06/22
「六月二十二日、この日は、夕食風景を撮影させてもらうことになっていた。
[…]
多田さんは若いころから、それこそ日本酒の一升瓶を一晩で空ける大酒飲みだったという。ワイン、焼酎、ビール、ウィスキーと、そのときの雰囲気や食事に合わせ酒をたしなむことは多田さんにとって欠かすことのできない楽しみだった。わたしは、倒れたあとも酒にとろみをつけるなどして晩酌を楽しんでいることをエッセイで知り、その場面も撮影したいと、あらかじめ伝えていた。
カメラは少し距離をおいたところから、ダイ二ングテーブルについた多田さんを狙った。わたしはカメラの後ろで見守る。すると、多田さんは車椅子をUターンさせ、テープルの後ろにある食器棚のほうを向いた。ゆっくり屈みながら食器棚の下にある抽斗を開けて何かを探し始める。どうやら酒瓶の抽斗らしい。ところが目的のものが見つからないのか、「あー、あー」と言ってキッチンの式江さんを呼んだ。出てきた式江さんは、△143
「何? ウィスキー?」
と言いながら、抽斗から国産のウイスキーを取り出し、テーブルの上に置いて再びキッチンに戻ってしまう。残された多田さんは首を横に振り、ふたたび左手をごそごそと動かす。数分後、ようやく一本のボトルを握りしめ、顔をあげた。手にしているのは三十年熟成の「バランタイン」。来客用にとってあるスコッチウイスキーで、ダルメの多田家でも、めったにロにしない高級品だ。
式江さんは慌てた。「これはもったいない、もったいない」と多田さんの手から取り上げると再び抽斗にしまってしまう。
多田さんは、わたしたちが「とろみつきの酒」を撮りたがっていることをよく知っていた。だから、この晴れの日に「高級酒で」と考えたのだろう。元来、人を楽しませることが大好きな多田さんならではのサービスだったのかもしれない。しかしその目論見は、式江さんによってあっけなく崩れ去ろうとしていた。
無情にも高級ウイスキー「バランタイン」は没収され、先ほどの国産ウイスキーが多田さんり前に置かれた。「バランタイン」を取り上げられて情けない表情をうかべている多田さんは、大好きなおもちゃを取り上げられた子どものようで、どこか可笑しい。
カメラマンも照明マンも音声マンも笑いをこらえて肩を震わせている。△144
スタッフのあいだに流れたそんな空気を多田さんは見逃さなかった。粘り強い反撃に出たのである。
目の前の国産ウイスキーは完全に無視し、皿を並べる式江さんに懇願するように左手で棚を指差す。
「ダメ。国産ウィスキーでも味に変わりはないでしょう」
ノーを繰り返す式江さん相手に、親指と人差し指を近づけて「ちょっとだけ」というサインを送り続ける。まるで夫婦漫才を見ているようで、わたしたち撮影クルーは全員、笑いをこらえられなくなった。ついに根負けした式江さんが抽斗から「バランタイン」を取り出す。
「シングルだけよ」とキヤップを開け、コップに少量注いだのだ。多田さんは目を細め、琥珀色の液体がグラスを満たしていくのを満足げに見つめていた。獲得した三十年熟成の「バランタイン」は「トロミドリンク」を混ぜてドロドロにされ、ゆっくりと多田さんのロに運ばれた。本当においしそうだった。それは「バランタイン」の味が良かったからだけではあるまい。おそらく、ちよっとした遊びやユーモア、そこで交わされる他者との気持ちのゃりとりこそが、食事の最高の味付けであることを多田さんは知っているのだ。
わたしも後日「トロミドリンク割り」を飲ませてもらったが、ロあたりや喉ごしに違和感があり、高級ウィスキーの味はほとんどわからなかった。楽しめたのは香りぐらいだ。式江さん△145 との交渉に勝ち、わたしたちに笑いを提供してくれた戦利品だからこそ、ドロドロの「バランタイン」は極上の味がしたのではないか。
ちなみに多田さんが「バランタイン」を割った「トロミドリンク」は、食品会社が販売している紙パックに入ったゼリー状の水分補給剤だ。本来は飲み込むことが困難な障害者や高齢者向けの介護用食品のひとつだが、多田さんはこれを日本酒や焼酎にも入れていた。
ピールのときは「泡が消えないので」粉末のとろみ剤を使う。ビールの中に入れてかき混ぜると泡がどっと出てグラスからあふれてしまうような強力なとろみ剤だ。多田さんは、その泡をかじってビールの風味を味わう。泡だけではビールの「喉ごしのうまさ」を味わうことはでさないが、酒の楽しみがそれだけではないことを多田さんは身をもって教えくくれた。」(上田真理子[2010:142-147])
◇2005/12/04 NHKスペシャル「脳梗塞からの”再生”――免疫学者・多田富雄の闘い」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/051204.html
「国際的な免疫学者でエッセイや能の作者としても知られる東大名誉教授の多田富雄さん(71歳)は、4年前、脳梗塞に倒れ、一夜にして右半身不随、声と食べる自由を失った。
華やかな学者人生が一転、他人の介護なしでは日常生活も送れない日々に一時は自殺まで考えながらも、多田さんは科学者としての独自の目線で、病気をみつめ受容していく。例えば「リハビリは科学。創造的な営み」と今も週3回熱心に通う。車イスで何処へでもでかけ、キーボードで電子音が出る機械で弟子をしかりとばし、大好きだった酒はトロミをつけて味わう。触ったこともなかったパソコンを左手だけで操り、本も数冊出版、エッセイでは福祉の不備をこき下ろす。
そんな多田さんが今、最も力を入れているのが今年上演される原爆の能の制作。科学者としての世界の核問題にかつてない危機感を覚えるからだ。しかし広島での公演を前に準備をすすめる多田さんを、今度はガンが襲う…。 脳梗塞で身体の自由を失い、さらに様々な困難に見舞われながらも多田さんは決して、歩き続けることをあきらめない。「失いたくないのは生きている実感」という類いまれな老科学者の半年を追ったドキュメントである。」
cf.多田[20070731:185,234-236]
http://www.st.rim.or.jp/~success/tadatomio_ye.html
http://blog.goo.ne.jp/pkcdelta/e/9fbd3bf04502743f88f2f5507cb48173
http://blog.goo.ne.jp/ogatyacl/e/1742609c17fc000571f4880fee83ab2e
http://www.k2.dion.ne.jp/~m-kaze/bangumiF/bangumi.html
◇2006/04 脳卒中者等のリハビリテーションが発病後180日までに制限される
(多田[20071210][2010:63ff etc.]etc.)
◇2006/04/08 「リハビリ中止は死の宣告」
『朝日新聞』2006-04-08
http://my.reset.jp/~comcom/shinryo/tada.htm
(×:201006)
http://homepage2.nifty.com/ajikun/news/tdtmo.htm
「私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身麻痺に言語障害、嚥下障害などで物も満足には食べられない。もう4年になるが、リハビリを続けたお陰で、何とか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。
ところがこの3月末、突然医師から今回の診療報酬改定で、医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後180日を上限として、実施できなくなったと宣言された。私は当然リハビリを受けることができないことになる。
私の場合は、もう急性期のように目立った回復は望めないが、それ以上機能低下を起こせば、動けなくなってしまう。昨年、別な病気で3週間ほどリハビリを休んだら、以前は50メートルは歩けたのに、立ち上がることすら厳しくなった。これ以上低下すれば、寝たきり老人になるほかない。その先はお定まりの衰弱死だ。
私はリハビリを早期に再開したので、今も少しずつ運動機能は回復している。
ところが、今回の改定である。私と同様に180日を過ぎた慢性期、維持期の患者でもリハビリに精を出している患者は少なくない。それ以上機能が低下しないように、不自由な体に鞭打って苦しい訓練に汗を流しているのだ。
そういう人がリハビリを拒否されたら、すぐに廃人になることは、火を見るよりも明らかである。今回の改定は、「障害が180日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである。実際の現場で、障害者の訓練をしている理学療法士の細井匠さんも「何人が命を落とすのか」と3月25日の本紙・声欄(東京本社版)に書いている。ある都立病院では、約8割の患者がリハビリを受けられなくなるという。リハビリ外来が崩壊する危機があるのだ。
私はその病院で言語療法を受けている。こちらはもっと深刻だ。講音障害が運動まひより回復が遅いことは医師なら誰でも知っている。1年たってやっと少し声が出るようになる。もし180日で打ち切られれば一生はなせなくなってしまう。口蓋裂の子供などにはもっと残酷である。この子らを半年で放り出すのは、一生しゃべるなというようなものだ。言語障害のグループ指導などできなくなる。
身体障害の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する目的とするなら逆行した措置である。それとも障害者の権利を削って医療費を稼ぐというなら、障害者のためのスペースを商業施設に流用した東横インよりも悪質である。
何よりも、リハビリに対する考え方が間違っている。リハビリは単なる機能回復ではない。社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。話すことも直立二足歩行も基本的人権に属する。それを奪う改定は、人間の尊厳を踏みにじることになる。そのことに気がついて欲しい。
今回の改定によって、何人の患者が社会から脱落し、尊厳を失い、命を落とすことになるか。そして、一番弱い障害者に「死ね」といわんばかりの制度をつくる国が、どうして「福祉国家」と言えるのであろうか。
1934年生まれ。医学博士(免疫学)。「生命の意味論」「独酌余滴」など著書多数。」(全文)
「この問題の発端は今年の三月の末の出来事でした。私にとっては驚天動地の通告があったのです。リハビリに通っていた病院の医師から、「あなたは四月一日からリハビリができません」といわれたのです。やっと三十メートルぐらい歩けるように回復したのですが、ここで止められたらまたじきに歩けなくなる。それどころか、リハビリを休めば立ち上がることもできなくなってしまうのは、すでに経験済みです。
なぜリハビリが出来ないかと問いただしたら、四月から診療報酬が改定されて、一部の疾患を除いて、リハビリ医療に上限日数が設けられたからだと聞かされました。疾患によって違うが、私のような脳卒中では、発症から起算して、最大一八〇日(六カ月)で打ち切られるというのです。私<0048<はもう発症してから五年もたっていますから、真っ先に打ち切りです。小泉政権の医療改革の一環で、医療費削減のためだと説明されました。
はじめはそんな乱暴なことは冗談だろうと思いました。リハビリはそんなに費用のかかっている医療ではないし、中止したら寝たきりになる人が多数いるからです。それに急に言われてもどうしようもない。しかも私たちは、力の弱い障害者です。いくらなんでも福祉国家を自称しているのに、そんなことをするわけがないと思いました。
でもそれは本当だったのです。患者の七〇%が打ち切られた都立病院もありましたし、泣く泣く治療を諦めたものも続出しました。そんな患者には、鶴見さんのように中止したら寝たきりになり命を落とす人が大勢いました。
私はあまりのことに驚いて、『朝日新聞』の「私の視点」に投書しました。四月八日に掲載されたこの投書には、「身体機能の維持は、寝たきり老人<0049<を防ぎ、医療費を抑制する予防医学にもなっている。医療費の抑制を目的とするなら、逆行した措置である」「今回の改定は、『障害が一八〇日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである」「それとも、障害者の権利を削って医療費を稼ぐというなら、障害者のためのスペースを商業施設に流用した東横インよりも悪質である」と書いたのです。この投書は幅広い反響を呼び、私の予想しなかった国民的署名運動に発展しました。
兵庫県の医師や患者会が行ったこの運動には、たったの四十日あまりで四四万四千の署名が集まりました。これは国民二九〇人に一人が署名したことになります。このときほど言葉の力を感じたことはありません。市民運動がもとになって、フランス革命も独立戦争も、きっと水俣訴訟も、こうして始まったに相違ありません。」(多田、石牟礼・多田[2008:48-50]、続きは↓「私は患者の皆さんと一緒に…」)
(◇20060614 HPにこの頁掲載開始)
◇2006/06/30 「リハビリ診療報酬を考える会」44万筆をこえる署名を厚労省に提出
「本年4月の診療報酬改定では、必要に応じて受けるべきリハビリ医療が、原則として、発症から、最大180日に制限されてしまいました。個々の患者の、病状や障害の程度を考慮せず、機械的に日数のみでリハビリを打ち切るという乱暴な改定です。それも、国民にほとんど知らされることなく、唐突に実施されてしまったのです。
障害や病状には,個人差があります。同じ病気でも、病状により、リハビリを必要とする期間は異なります。また、リハビリ無しでは、生活機能が落ち、命を落とすものもいます。障害を負った患者は、この制度によって、生命の質を守ることが出来ず、寝たきりになる人も多いのです。リハビリは、私たち患者の、最後の命綱なのです。必要なリハビリを打ち切ることは、生存権の侵害にほかなりません。
こうした国民の不安に対して、除外規定があるから問題はない、と、厚労省は言います。しかし、度重なる疑義解釈にも関わらず、現場は混乱するだけで、結果として大幅な診療制限になっているのです。
このままでは、今後、リハビリ外来や、入院でのリハビリが崩壊し、回復するはずの患者も、寝たきりになる心配があります。リハビリ医療そのものが、危機に立っているのです。
さらに、厚労省は、医療と介護の区別を明確にした、と言います。しかし、医療のリハビリと、介護のリハビリは、全く異質なものです。介護リハビリでは、医師の監視のもとで、厳格な機能回復、維持の訓練のプログラムを実施することは出来ません。
リハビリは、単なる機能回復ではありません。社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復なのです。リハビリ打ち切り制度は、人間の尊厳を踏みにじるものです。
私達、リハビリ診療報酬改定を考える会は、この、打ち切り制度の撤廃をめざして、5月14日から、全国で署名活動を行いました。その結果、わずか40日余りで、40数万人もの署名を集めることができました。これは国民の300人に一人が署名したことになります。
この、国民の声は、もはや圧殺できるものではありません。
厚労省は、非人間的で、乱暴な、この、制度改定を謙虚に反省し、リハビリ打ち切り制度を、白紙撤回すべきであります。私達は、これを、強く要請します。
平成18年6月30日
リハビリ診療報酬改定を考える会・代表 多田富雄」(全文)
「私は患者の皆さんと一緒に、六月三十日に厚労省を訪ね、担当者に車二台分の署名簿を手渡し、声明文を電子音声で読み上げました。そのとき泣<0050<く泣く苦しみを訴えていたポリオの後遺症の女性は、まもなく動けなくなり、入院してしまいました。鶴見さんのように命を落とした人もいます。
しかし狡猾な厚労省は、机上の空論を並べるだけで、何も対策を講じようとはしません。その間に、二十紙を超える新聞が反対の社説を掲げました。テレビなど、マスコミの取材にも、政府は見直しをするつもりがないといっています。
そこで私のような老人は智恵を出し合って、次々に新しい手を繰り出し糾弾しなければなりません。いまは一方の当事者でありながら沈黙を守っているリハビリ医学会を攻撃しています。本来なら真っ先に反対しなければならないのに、声を上げようとしない。それは間接的に、打ち切りを支持していると思われても仕方ありません。一部の幹部が厚労省の顔色をうかがっているからです。それを糾弾するために『世界』、『現代思想』などに論文を書き続けています。」(多田、石牟礼・多田[2008:50-51]*)
*石牟礼 道子・多田 富雄 20080630
『言魂』
,藤原書店,216p. ISBN-10: 489434632X ISBN-13: 978-4894346321 2310
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※
◇200612
多田 富雄
「リハビリ制限は、平和な社会の否定である」,『世界』2006-12→多田[2007:111-124])
◇2006 老人ホームに体験入所
「妻が初めて同窓会のため、三日ほど家を空けるというので、私は妹がやっている老人ホームに体験入所しました。そのことをちょっと書いて終わりたいと思います。
老人ホームは、都市化の進んだ茨城のつくば市にあります。でも田園風景に囲まれたのどかなところです。妻は糖尿病で、万一のときはここへ私<0055<を託さざるを得ないというので、まず体験しておこうとしたのです。生き延びるための緊急避難所を見ておくためです。」(多田、石牟礼・多田[2008:55-56])*
「妻が初めて同窓会のため、三日ほど家を空けるというので、私は妹がやっている老人ホームに体験入所しました。そのことをちょっと書いて終わりたいと思います。
老人ホームは、都市化の進んだ茨城のつくば市にあります。でも田園風景に囲まれたのどかなところです。妻は糖尿病で、万一のときはここへ私<0055<を託さざるを得ないというので、まず体験しておこうとしたのです。生き延びるための緊急避難所を見ておくためです。」(多田、石牟礼・多田[2008:55-56])
「老人ホームはさまざまな人生が詰まっています。これを見ると、障害者である私は、できるなら楽に苦しまずに死にたいなどというずるい考えは捨てて、「老い」というものに必然的に伴う「苦しみ」を引き受ける覚悟を持たなければならないと思いました。
それが「生老病死」の必然的ルールなのだと悟ったのです。楽にぽっくりと死ぬというのはずるい考えです。老人ホームの無気力な「お年寄り」に学ぶ必要があります。そう思うと、私の「受苦」に、もっと広がりが出ると勇気が湧いてきたのです。なにぶん、あの生死の境をさまよった経験のある自分です。苦しみといっても、何ほどのことがあると、昂然として体験入所を終えて帰宅したところです。」(多田、石牟礼・多田[2008:57]*)
<*石牟礼 道子・多田 富雄 20080630
『言魂』
,藤原書店,216p. ISBN-10: 489434632X ISBN-13: 978-4894346321 2310
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※
◇2007/03/10 市民シンポジウム「これからのリハビリを考える市民の集い」
http://hodanren.doc-net.or.jp/news/unndou-news/070313riha-sinnpo.html
日時 :2007年3月10日(土) 14〜16時
会場 :東京・両国・KFCホール 3F 地図
シンポジスト :各関係団体(国会議員 患者団体 医療団体等)と要請中
入場料 :無料(定員:360名)
問合せ :全国保険医団体連合会 リハビリシンポ担当 Tel:03-3375-5121
「三月十日には、全日本保険医団体連合会の主催でこれからのリハビリ<0110<を考える会」という市民集会が開かれ、私も車椅子で参加し、挨拶しました。三百七十人に及ぶ患者の悲痛な声は、私の「忿怒佛」を燃え立たせました。
みな障害をもった人たちです。無常なリハビリ打ち切りで、どんな被害を蒙ったかを、泣きながら訴えていました。出席もしない厚労省からの、挑発的なメッセージが読み上げられたときは、会場全体がどよめきました。」(多田、石牟礼・多田[2008:110-111]*、「これは基本的人権の問題です。」に続く部分)
◇2007 「自然科学とリベラル・アーツを統合する会(INSLA)」 設立、代表に
「突然こんなところで言うのは大げさかもしれませんが、科学者の行動の規範となる良心とは何だろうかと、私は悩みます。どうすればいいのか、私たちに突きつけられた問題です。各論的に対応するほかないのでしょうか。
戦争の始まったとき、日本の歴史学者も同じような悩みを持ったでしょう。歴史の専門家が、歴史をよじ曲げるのを座視してしまったのですから。<0111<
私は、周りの科学者や知識人と「自然科学とリベラルアーツを統合する会」というのを旗揚げすることにしました。専門の科学者が、科学の発展によって生じた問題を解くことが出来ない。環境問題も核問題も科学の産物ですが、科学者には解決の道すら見えてこない。
一方、人文学者も、社会の問題は彼ら専門家の目線だけでは解決できない。こちらは科学の解析が不可欠です。
それらを解決できるものがあるとしたら、科学の知と人文の知を統合した知なのではないか。そんな漠然とした議論を、もっとも真摯に聞いてくれた、建築家や生物学者の友人と諮って、この会ができました。
まだ具体的な行動の予定は、少ないのですが、藤原書店のバックアップでホームページを立ち上げるところまで来ました。」(多田、石牟礼・多田[2008:111-112]、会場全体がどよめきました。)
◇20080301 「死に至る病の諸相」,
『現代思想』36-3(2008-3)
:40-47→多田[2010:140-156]
脳梗塞で倒れてから「六年余り、右半身麻痺と言語障害、摂食障害との戦いが続いている。懸命にリハビリをしたが、後遺症は基本的にはよくなっていない。
その間には、何度も死の誘惑があったが、自死するには至らなかった。一度死の体験をすると死を恐れなくなるが、自死するほどの衝動もなくなる。
かえって生の衝動が強くなる。生きて甲斐ない生だが、そんな生がなぜかいとおしいものになる。そのようにして丸六年が過ぎた。」(多田[2008→201005:144])
◇2008/04 後期高齢者医療制度開始
cf.多田[2010:28-29]
◇2008/08/13 「介護に現れる人の本性――冠落葉隻語・8」,『読売新聞』2008-8-13夕刊→多田[2010:36-38]
「私は最近まで特別養護老人ホーム(特養)に預けられていた。私の介護を一手に引き受けていた妻が、無理がたたって股関節の置換手術を受けたためである。老老介護の行き着く先である。術後のリハビリも含めて、約二か月入院しなければならない。」(多田[2008→2010:36]
◇2010/04/21 前立腺癌による癌性胸膜炎のため逝去。76歳
◇2010/05/10
『落葉隻語――ことばのかたみ』
,青土社,219p. ISBN-10: 4791765451 ISBN-13: 978-4791765454 1680
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※ r02.
◇2010/05/30 13:35〜14:55 NHK総合・NHKアーカイブス「免疫学者 多田富雄の遺(のこ)したもの」
国際的な免疫学者、東京大学名誉教授の多田富雄さんが、先月亡くなった。脳梗塞で倒れながらも多くの手記を残し、生きる闘いを続けた多田さんの日々を改めて見つめる。 国際的な免疫学者、東京大学名誉教授の多田富雄さんが、先月亡くなった。脳梗塞で倒れながらも多くの手記を残し、生きる闘いを続けた多田さんの日々を改めて見つめる。▽NHKスペシャル 「脳梗塞からの再生 免疫学者・多田富雄の闘い」 (2005年制作)【ゲスト】(生命誌研究者・遺伝学者)中村桂子,(演出家)笠井賢一,【司会】桜井洋子 出演 【出演】【ゲスト】(生命誌研究者・遺伝学者)中村桂子,(演出家)笠井賢一,【司会】桜井洋子
◇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E5%AF%8C%E9%9B%84
■著書
◆199206 『イタリアの旅から――科学者による美術紀行』
誠信書房,293p. ASIN: 4414706017 2730
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◆199304 『免疫の意味論』
青土社,236p. ASIN: 4791752430 2310
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◆199510 『ビルマの鳥の木』
日本経済新聞社,271p. ASIN: 4532161746
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◆19951220
『生命へのまなざし――多田富雄対談集』
青土社,350p. ASIN: 4791753704
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※
◆19970225
『生命の意味論』
,新潮社,243p. ISBN-10: 4104161012 ISBN-13: 978-4104161010 1890
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※ d07.
◆199801 『免疫・自己と非自己の科学』
日本放送出版協会,128p. ASIN: 4141889954
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◆199805 『ビルマの鳥の木』
新潮社,269p. ASIN: 4101469210
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◆199808 『人間』
作品社,260p. ASIN: 4878936703 1890
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◆199909
『独酌余滴』
,朝日新聞社,250p. ISBN-10: 4022574364 ISBN-13: 978-4022574367 1890
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※→20060630 『独酌余滴』,朝日新聞社,朝日文庫,305p. ISBN-10: 4022643676 ISBN-13: 978-4022643674 630
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◆200010 『私のガラクタ美術館』
朝日新聞社,141p. ASIN: 4022574534
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◆200103 『大学革命』
藤原書店,255p. ASIN: 4894342243
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◆200103 『免疫・「自己」と「非自己」の科学』
日本放送出版協会,219p. ASIN: 4140019123 914
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◆20010425 『脳の中の能舞台』
新潮社,342p. ASIN: 4104161039 2100
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※
◆200207 『懐かしい日々の想い』
朝日新聞社,297p. ASIN: 4022577185 2100
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◆200405 『歌占――多田富雄全詩集』
藤原書店,173p. ASIN: 4894343894 2940
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◆200604 『生命へのまなざし――多田富雄対談集』
青土社,新装版,352p. ASIN: 4791762649 1890
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◆20071210
『わたしのリハビリ闘争――最弱者の生存権は守られたか』
青土社,172p. ISBN-10: 4791763629 ISBN-13: 978-4791763627 1260
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※ r02.
■共著
◆多田 富雄・ウィリアム・E. ポール 198702 『基礎免疫学〈下〉』
東京大学出版会,913p. ASIN: 4130601024
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◆多田 富雄・Norman Staines・Keith James・Jonathan Brostoff 198704 『免疫学への招待』
南江堂,67p. ASIN: 4524216758
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◆多田 富雄・今村 仁司 198706
『老いの様式――その現代的省察』
誠信書房,318p. ASIN: 4414803055
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cf.
老い
◆多田 富雄・山村 雄一 198801 『現代免疫学』
医学書院,360p. ASIN: 4260104373
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◆多田 富雄・Ivan Roitt・David Male・Jonathan Brostoff 199007 『免疫学イラストレイテッド』
南江堂; 第2版,358p. ASIN: 4524216774
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◆多田 富雄・河合 隼雄 編 19910830
『生と死の様式――脳死時代を迎える日本人の死生観』
誠信書房,267p. ISBN-10: 4414803063 ISBN-13: 978-4414803068 2415
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※ d01. ot.
◆多田 富雄・山村 雄一 199207 『現代免疫学』
医学書院; 第2版版,536p. ASIN: 426010442X
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◆多田 富雄・谷口 克 1993 『免疫工学の進歩』
医学書院,230p. ASIN: 4260104446
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◆多田 富雄・奥村 康・谷口 克・宮坂 昌之 199312 『免疫学用語辞典』
最新医学社; 第3版版,683p. ASIN: 4914909103
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◆多田 富雄・Jonathan Brostoff・David K. Male・Glenis K. Scadding・Ivan M. Roitt 199403 『臨床免疫学イラストレイテッド 』
南江堂,438p. ASIN: 4524202994
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◆多田 富雄・中村 雄二郎 編 19940520
『生命――その始まりの様式』
,誠信書房,376p. ISBN-10: 4414803071 ISBN-13: 978-4414803075 3150
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※ be.
◆多田 富雄・岸本 忠三 199408 『免疫 (1993-94)』
中山書店,221p. ASIN: 4521003818 7952
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◆多田 富雄・中村 桂子・養老 孟司 19940920
『「私」はなぜ存在するか――脳・免疫・ゲノム』
哲学書房,240p. ISBN-10: 4886790577 ISBN-13: 978-4886790576 2330+
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※→200009 哲学書房,哲学文庫,250p. ISBN-10: 488679100X ISBN-13: 978-4886791009
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◆多田 富雄・岸本 忠三 199408 『免疫 (1994-95) 』
中山書店,206p. ASIN: 4521004814 8461
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◆多田 富雄・立花 隆・日高 敏隆・河合 雅雄 199611 『マザーネイチャーズ・トーク』
新潮社,379p. ASIN: 4101387214
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◆多田 富雄・石坂 公成 199702 『免疫系の調節因子』
医学書院,105p. ASIN: 4260157116
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◆TASC(たばこ総合研究センター) 編/アンドルー ワイル・永沢 哲・多田 富雄・伊藤 源石・横山 輝雄・他 19970718
『パラドックスとしての身体――免疫・病い・健康』
河出書房新社,285p. ISBN-10: 4309611613 ISBN-13: 978-4309611617 2400+
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※ b02. ms.
◆多田 富雄・南 伸坊 19971125
『免疫学個人授業』
新潮社,165p. ISBN-10: 4104161020 ISBN-13: 978-4887184176 1200+
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→20010101 新潮社文庫 204p. ISBN-10: 4101410321 380
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◆多田 富雄・田原 総一朗・日高 敏隆・岡田 節人・川那部 浩哉 199808 『田原総一朗の科学の巨人たち――人間圏はどんなユニットで21世紀を迎えるべきか』
ケイエスエス,324p. ASIN: 4877092382 1890
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◆多田 富雄・青柳 恵介・安土 孝・河合 隼雄 199601 『白洲正子を読む』
求龍堂,239p. ASIN: 476309601X 2039
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◆多田 富雄・
森岡 正博
・柴谷 篤弘・大越 俊夫 199902 『現代文明は生命をどう変えるか――森岡正博・6つの対話』
法蔵館,237p. ASIN: 4831872415 2520
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◆多田 富雄・萩原 清文・谷口 維紹 199905 『マンガ分子生物学――ダイナミックな細胞内劇場』
哲学書房,75p. ASIN: 4886790682 998
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◆多田 富雄・Ivan Roitt・David Male・Jonathan Brostoff 200001 『免疫学イラストレイテッド』
南江堂,424p. ASIN: 4524217878 7140
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◆多田 富雄・山折 哲雄 20000428
『人間の行方――二十世紀の一生、二十一世紀の一生』
文春ネスコ,237p. ISBN-10: 4890361030 ISBN-13: 978-4890361038 1680
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※
◆多田 富雄・養老 孟司・中村 桂子 200009 『「私」はなぜ存在するか――脳・免疫・ゲノム』
哲学書房,250p. ASIN: 488679100X 1995
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◆多田 富雄・南 伸坊 19971125 『免疫学個人授業』
新潮社,204p. ISBN: 4101410321 380
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※
◆多田 富雄・北沢 方邦・海野 和男・椹木 野衣 200105 『「まだら」の芸術工学』
工作舎,279p. ASIN: 4875023499 2625
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◆多田 富雄・萩原 清文 200111 『好きになる免疫学』
講談社,158p. ISBN: 4061534351 1890
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◆多田 富雄・萩原 清文 200211 『好きになる分子生物学――分子からみた生命のスケッチ』
講談社,206p. ISBN: 4061534343 2100
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◆多田 富雄・鶴見 和子 20030615
『邂逅』
藤原書店,231p. ASIN: 4894343401 2310
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※ r02.
◆多田 富雄・柳沢 桂子 20040430
『露の身ながら――往復書簡いのちへの対話』
集英社,269p. ISBN: 4087812650 1470
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※
◆多田 富雄・森田 拾史郎 200504 『あらすじで読む名作能50』
世界文化社,144p. ASIN: 4418052097
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◆石牟礼 道子・多田 富雄 20080630
『言魂』
藤原書店,216p. ISBN-10: 489434632X ISBN-13: 978-4894346321 2310
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※
■
◆19870605 「老化と免疫系――スーパー人間の崩壊」
多田・今村編[1987:76-102]*
*多田 富雄・今村 仁司 198706
『老いの様式――その現代的省察』
誠信書房,318p. ASIN: 4414803055
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cf.
老い
◆多田 富雄 199101 「脳の「自己」と身体の「自己」――移植と脳死をめぐって 免疫の意味論・1」,『現代思想』19-01:030-36
◆多田 富雄 19910401 「脳死を題材に能を書いた免疫学者」(インタヴュー・ひと) 『科学朝日』51-04(603):008-009 ※
◆多田 富雄 19910401 「脳死と現代人の死生観――私が新作能「無明の井」を書いた理由」,『日本医師会雑誌』105-07:1128-1131(特集:死を考える)
◆多田 富雄 199201 「脳死・臓器移植問題で見失われているもの――免疫学の立場から」(インタビュー 聞き手:これひさ かつこ),
『技術と人間』
21-01:028-37
◆多田 富雄・これひさ かつこ(聞き手) 19920410 「「生と死」とは何だろうか」(インタヴュー 聞き手:これひさ かつこ),『技術と人間』21-04(224・241):058-065 ※COPY
◆多田 富雄・五木 寛之・中島 みち 199211 「いのちの尊厳――脳死と臓器移植をめぐって」(座談会),『婦人之友』086-11:20-31
◆多田 富雄 20000301 「ロマンチックな科学者はだれ?――発刊に寄せて」,井川編[2000:15-20]*
*井川 洋二 編 20000301
『続・ロマンチックな科学者――新しい生物学に挑戦する気鋭の研究者たち』
,羊土社,230p. ISBN-10: 4897066417 ISBN-13: 978-4897066417 2940
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※
>TOP
◆1997
「一九九七年元旦に、日本のリハビリテーションのくさわけの
上田敏
先生から、速達をいただきました。「一度、診察してあげたい」と申し出てくださったのです。これは天の恵みでした。わたしはすぐにお電話をして、「ご指定の病院にうかがいます」と申し上げました。上田先生は、茨城県守谷町の会田記念病院をご指定くださいました。/一月十五日に入院しました。」(鶴見[2003:35]*)
◆
「私は患者の皆さんと一緒に、六月三十日に厚労省を訪ね、担当者に車二台分の署名簿を手渡し、声明文を電子音声で読み上げました。そのとき泣<0050<く泣く苦しみを訴えていたポリオの後遺症の女性は、まもなく動けなくなり、入院してしまいました。鶴見さんのように命を落とした人もいます。
しかし狡猾な厚労省は、机上の空論を並べるだけで、何も対策を講じようとはしません。その間に、二十紙を超える新聞が反対の社説を掲げました。テレビなど、マスコミの取材にも、政府は見直しをするつもりがないといっています。
そこで私のような老人は智恵を出し合って、次々に新しい手を繰り出し糾弾しなければなりません。いまは一方の当事者でありながら沈黙を守っているリハビリ医学会を攻撃しています。本来なら真っ先に反対しなければならないのに、声を上げようとしない。それは間接的に、打ち切りを支持していると思われても仕方ありません。一部の幹部が厚労省の顔色をうかがっているからです。それを糾弾するために『世界』、『現代思想』などに論文を書き続けています。」(多田、石牟礼・多田[2008:50-51]*)
*石牟礼 道子・多田 富雄 20080630
『言魂』
,藤原書店,216p. ISBN-10: 489434632X ISBN-13: 978-4894346321 2310
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※
cf.日本リハビリテーション医学会
http://www.jarm.or.jp/
◆6.患者から見たリハビリテーション医学の理念 ※多田[201707]には収録されず
『現代思想』2006-11→多田[2007:82-100]
「医学用語となっても、リハビリは単なる機能回復訓練のみであってはいけない。障害を持った個人の、人間としてふさわしい生き方を回復すること、すなわち社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復が目的である。全人的復権というのはこの意昧で正しい。
リハビリ打ち切りを黙認した、厚生労働省の無責任な御用団体、「高齢者リハビリテーション研究会」の文書の「はじめに」にも、「リハビリテーションは、単なる機能回復訓練ではなく、心身に障害を持つ人々の全人間的復権を理念として、潜在する能力を最大限に発揮させ、日常生活の活動を高め、家庭や社会への参加を可能にし、その自立を促すものである。したがって、介護を要する状態となった高齢者が、全人間的に復権△084 し、新しい生活を支えることは、リハビリテーションの本来の理念である」とある。厚生労働省が、今度の改定で参考にしたという、「高齢者リハビリテーツョン研究会」の公式文書である。打ち切りを黙認してしまった現実と、何とかけ離れた主張を、ぬけぬけと書いているものである。」(多田[200611→2007:84-85])
◆「急性期、回復期に手厚いリハビリを認めたのに対して、維持期の患者に上限日数を決めたのは、リハビリを続けても目立った効果が期待できないからと繰り返した。そもそもこの措置が決められたのは、「高齢者リハビリ研究会」の専門家によって、「効果の明らかでないリハビリが長期間にわたって行われている」という指摘があったからだと言われている。これも真っ赤な嘘であったことが後日わかった。/これは、二〇〇六年一一月二八日の衆議院厚生労働委員会で、社民党の福島みずほ党首の質問で明らかにされたが、厚労省幹部永田邦雄保険局長の、ぬらりくらりとした答弁でうやむやにされた。議事録には書いてない合意があったというが、そんな合意がいつどこでなされたかなど、一切証拠はなかった。またそんな形で都合よく利用されていても、専門家と称する「高齢者リハビリ研究会」のメンバーのリハビリ医は、一言も反対しなかった。腰抜けというほかない。/この「高齢者リハビリ研究会」は、日本のリハビリ医学の先駆者である上田敏氏が座長を務めている。鶴見和子さんに発病一年後からリハビリを実施し、何とか歩行機能を回復させた功績があるのに、一般患者には、半年で打ち切るという案に合意したとは考えられない。またそんな証拠はどこにもなかった。それなのにこの偽の合意が、このように患者を苦しめていることに対し、一言も反対の声を上げないのは、学者として、また医師としての良心に恥じないのだろうか。」(多田[200712:17-18]、「衆議院」は「参議院」の、「保険局長」は「健康局長」の誤り)
◆「この闘争で、ひとつ気にかかったことは、このような社会問題と化したリハビリ打ち切りに対する、専門家の集団としての学会の態度の曖昧さである。/「高齢者リハビリ研究会」の官僚べったりの腰抜けの態度については先に述べたとおりだが、こうした反動的意見では、日本リハビリテーション病院・施設協会副会長の石川隆氏の発言が指導的であった。/急性期、回復期の患者だけを対象とする病院は、慢性期のリハビリ打ち切りで、大きい利益を受ける。石川氏は厚労省に太いパイプを持ち、他方では大手セキュリティ企業のセコムを後ろ盾にした私立の回復期専門リハビリ病院長である。リハビリ上限日数によって、回復期の手厚い診療が保障されれば、彼の思う壺である。」(多田[200712:29])
◆「この理不尽な制度を作った厚労省は、「効果のはっきりしないリハビリが漫然と続けられている」と、高齢者リハビリ研究会の指摘があったというが、そんな指摘は議事録にはなかった。むしろ、この制度を擁護し続けたのは、厚労省寄りの「全国回復期リハビリテーション病棟連絡協議会」の会長であった。
慢性期のリハビリ打ち切りは、もっと早期に行われる回復期リハビリを充実させる政策とセットになっていた。回復期のリハビリを充実させることには、誰も異論はないが、その代償として、維持期、慢性期患者のリハビリ治療を犠牲にするのはあまりにも残酷である。それに回復期リハビリ病院の理事長が、自分の利益となる改訂の擁護をしているのは、どうしても疑惑を招く。
その証拠に、制度発足から三年後の今、重度の維持期の患者が、リハビリ難民として苦しんでいるのに対して、回復期の患者を選択的に入院させる回復期リハビリ病院は繁栄を誇っている。難民となった維持期患者の医療費は、そっくり回復期の病院に回っている。利益誘導の疑念を持たれても仕方がない。
この当事者にも、「李下に冠を正さず」という言葉をささげたい。」(多田[200909→201005:65-66])
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■「人間の条件」
◆鈍重なる巨人 多田富雄 8-33
「私が心配したのは、脳に重大な損傷を受けているなら、もう自分ではなく<0017<なっているのではないかということでした。そうなったら生きる意味がなくなってしまいます。頭が駄目になっていたらどうしようかと心配しました。それを手っ取り早く検証できるのは、記憶が保たれているかどうかということでした。
まず九九算をやってみたが大丈夫でした。次に、覚えているはずの謡曲を頭の中で歌ってみた。」(多田[17-18])
◆創造性について (二〇〇二・六・一四) 多田富雄 74-93
「「人間の条件」」
「しゃべるというのは、人間だけに許された能力です。人類はみなしゃべる。しゃべることによるコミュニケーションを使って文化を発展させて来たのですから、話せないのは人間ではない。今、やっと娘と妻にだけは分かる片言だけの日本語を話すことができて、かろうじて人間を保っています。<0074<
もっと大変なのは嚥下障害です。」(多田[74-75])
「予兆について」
「その時心配だったのは、重大な脳の損傷があったのだから、もう自分が自分では無くなったのではないか、ということです。それを客観的に調べるには、記憶が保存されているかどうかを確かめるのが一番です。それで暗記しているはずの謡曲を頭のなかで謡ってみたのです。」(多田[81])
◆20070731
『寡黙なる巨人』
,集英社 , 248p. ISBN-10: 4087813673 ISBN-13: 978-4087813678 1575
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※ r02.
1 寡黙なる巨人 (書き下ろし)
「私が心配したのは、脳に重大な損傷を受けているなら、もう自分ではなく<なっているのではないかということであった。そうなったら生きる意味がなくなってしまう。頭が駄目になっていたらどうしようかと心配した。それを手っ取り早く検証できるのは、記憶が保たれているかどうかということだった。
まず九九算をやってみたが大丈夫でした。次に、覚えているはずの謡曲を頭の中で歌ってみた。」(多田[20070731:17-18])
「苦しいリハビリを毎日しなくても、ほかに快適な生き方があるはずだ。電動車椅子に乗って動けばいいのだ、と思う人がいると思うが、そうではないのだ。どんなに苦しくても、みんなリハビリに精を出して歩く訓練をしている。なぜだろうか。
それは人間というものが歩く動物であるからだ。直立二本歩行という独自の移動法を発見した人類にとっては、歩くということは特別の意味を持っている。
四百万年前人類とチンパンジーが分かれたとき、人は二足歩行という移動法を選んだ。それによって重い脳を支え、両手を自由に使えるようになった。この二つの活動は互いに相乗的に働き進化を加速させた。歩くというのは人間の条件なのだ。だから歩けないというのは、それだけで人間失格なのだ。
その証拠に車椅子で町へ出てみよう。すべては人間が立った目線から眺めるようにできている。」(多田[20070731:86])
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■生死/死生
◆多田 富雄 199909
『独酌余滴』
,朝日新聞社,250p. ISBN-10: 4022574364 ISBN-13: 978-4022574367 1890
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※
◇「手の中の生と死」 169
「彫刻家が大理石から手を掘り出すように、神様は指の間の細胞を死なせることによって手の形を作り出す。その細胞の死は、遺伝子でプログラムされているのだ。
細胞の死がなければ、手の生命も生まれない。手の中の生と死のドラマである。」(『季刊銀花』104、1995→多田[1999:169])
◇「共生と共死」 186-189
「新聞社の企画で宗教学者の山折哲雄さんと対談する機会があった。山折さんは人間が己れのサバイバルのためにノアの方舟的な意味で「共生」などというのだったら、それはまだエゴイスティックな自己生存戦略の延長に過ぎない。そこにもう一つ、共に死滅することを受け入れる「共<0186<死」というカードを入れた方がよいのではないか、と言われたのが心に残った。」
「生物学的「共生」の根源まで遡って考えてみると、「共生」が利益を分かち合って生き延びたというような生やさしいものではなかったことがわかる。「共生」した生命は、片方が死ねばもう片方も必然的に死ぬという運命まで共有している。たとえば、死のプログラムが働いて核の方が死ねば、必然的にミトコンドリアも死ぬ。ミトコンドリアの働きが破壊されるような外力が働けば、核も生きてはゆけない。最近ではミトコンドリアの方から死んでゆく「死」と核の方から細胞の「死」がスタートするのと、二種類のプログラムが存在することもわかった。
山折さんの言われる「共死」は、生物が「共生」を始めたときに、すでに織り込みずみだった。「共死」する運命共同体として、「細胞」という生命がスタートしたのである。」
二十一世紀のキーワードとして「共生」というとき、そこに本当に「共死」の覚悟まで含まれているかどうかを自問する必要があると思う。そうでなければ「共生」は単なるお題目になってしまう。」(『中央公論』1999-3→多田[1999:188])
◆多田 富雄・山折 哲雄 20000428
『人間の行方――二十世紀の一生、二十一世紀の一生』
,文春ネスコ,237p. ISBN-10: 4890361030 ISBN-13: 978-4890361038 1680
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※
「多田 昔は、衰弱して死ぬことがもっとも自然な死に方のひとつだったと思うのです。ものが食べられなくなって、寝たきりになって、まわりの人も食べ物がはいらなくなったからそのうち死ぬだろうと覚悟して、そしてある朝目覚めることなしに死んでいたという、そういう死に方がいちばん自然な死に方でした。
ところがいまでは、医療が衰弱を止める方法をつくりだした。当然昔だったら衰弱して死んでしまう状態、たとえばがんなどで食べ物が喉を通らなくなってしまったときでも、中心静脈栄養という生きてゆくために必要な量の栄養素を人工的に十分与えることができます。それから電解質なども必要なだけ与える。生命活動に必須なミネラル分のアンバランスも完全にコントロール<0083<できるわけです。ですから、死ぬべき人、いつまでも生かしておくことができるという状態が生まれるわけです。
生かしておくことによって、苦しみが長引くとか、クオリティ・オブ・ライフ=生命の質が低下することについてなど、考慮を払うべきかどうかを、医学教育では教えてはおりません。医学部の教育は、本能的に生命を救う、延命させる方法だけを徹底的に教えています。
延命させる、衰弱させない。これに関しては、技術が非常に発達しています。衰弱して死ぬという自然な死に方には当然逆行したやり方になります。」(多田・山折[2000:83-84])
「多田 そうですね。自分の意思を明確にどこかに書いておくとか、あるいは人に伝えておくことでしょうか。いましておけることは。
もちろん延命治療で、時間をとめることのメリットを無視することはできない。たとえば遠くにいる息子が来るまで生かしておくとか、たとえそういう状態でも、夫婦ふたりだけの時間を長引かせたいとか、そこには長引かせた生命のすばらしい価値が生まれます。
しかし、衰弱させない、死なせない、それが無制限におこなわれるという状態をほんとうに私たちは望んでいるのでしょうか。」(多田・山折[2000:85])
◆多田 富雄 20080301 「死に至る病の諸相」,
『現代思想』36-3(2008-3)
:40-47→多田[2010:140-156]
脳梗塞で倒れてから「六年余り、右半身麻痺と言語障害、摂食障害との戦いが続いている。懸命にリハビリをしたが、後遺症は基本的にはよくなっていない。
その間には、何度も死の誘惑があったが、自死するには至らなかった。一度死の体験をすると死を恐れなくなるが、自死するほどの衝動もなくなる。
かえって生の衝動が強くなる。生きて甲斐ない生だが、そんな生がなぜかいとおしいものになる。そのようにして丸六年が過ぎた。」(多田[2008→201005:144])
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■その他
◆創造性について――鶴見和子さんへ(二〇〇二・六・一四) 多田富雄 74-93
「まずはじめに、病気の予兆の問題です。私の場合はすべて突然でした。ある朝一夜明けると体は麻痺し、声を失っていたのです。カフカの『変身』という小説を読んだとき、ある日突然虫になるなど、まったく非現実的な話だと思いましたが、カフカ自身は、あれは荒唐無稽なことを書いたものではないといっていたのを読んだことがあります。そのことをまず納得しました。
何しろ前日まで元気で旅行して、友人と大酒を飲んで騒いでいたのですから、晴天の霹靂です。」(多田[77])
◆多田 富雄・柳沢 桂子 20040430
『露の身ながら――往復書簡いのちへの対話』
,集英社,269p. ISBN: 4087812650 1470
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※
「カフカの『変身』という小説は、一夜のうちに虫になってしまった男の話だが、私もそんなふうであった。到底現実のものとは思えなかった。」(多田[2004:254]、「あとがきにかえて」)
◆20070731
『寡黙なる巨人』
,集英社 , 248p. ISBN-10: 4087813673 ISBN-13: 978-4087813678 1575
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※ r02.
1 寡黙なる巨人 (書き下ろし)
「もう死んだと思っていたのに、私は生きていた。それも声を失い、右半身不随になって。カフカの『変身』という小説は、一夜のうちに虫になってしまった男の話だが、私もそんなふうであった。到底現実のものとは思えなかった。」(多田[20070731:15])
◆オール・ザ・サッドン 102-105
『一冊の本』2002年6月号,朝日新聞社 *
*自著『懐かしい日々の想い』を紹介
「カフカの『変身』は、一夜明けてみたら虫に変身してしまった男の話である。その驚き、戸惑い、不安、すべてオール・ザ・サッドン(すべて突然)である。
私の場合もそうだった。一夜明けたら、思いもかけない声のない世界に閉じ込められた。目が覚めて呼ぼうとしたが声が出ない。訴えようとしても言葉にならない。その上、体は縛られたように動かない。信じられないことだ。」([200206→20070731:102])
◆多田 富雄・柳沢 桂子 20040430
『露の身ながら――往復書簡いのちへの対話』
,集英社,269p. ISBN: 4087812650 1470
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※
「もう体は回復しない。神経細胞は再生しないのだから、回復を期待するのは無理だ。それ<0259<だけは、この二年の間に嫌というほど思い知った。ダンテの「地獄編」に「この門をくぐるものすべての希望を捨てよ」とあったが、この病気でも同じである。
しかし私の中に、何か不思議な生き物が生まれつつあることに気づくようになった。はじめのうちは異物のように蠢いているだけだったが、だんだんそれが姿を現したように思う。
まず、初めて自分の足で一歩歩いたとき、まるで鈍重な巨人のように、不器用に足を踏み出そうとして戸惑っているそいつに気づいた。[…]
声が出たときもそうだった。[…]
私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。自分の体は回復しないが、この不器用な<0260<巨人はいま形のあるものになりつつある。彼の動きは鈍いし、寡黙だ。それに時々は裏切る。この間こけたときは、右腕に大きなあざを作った。そのたび私は彼をなじる。
でも時には、私に希望を与えてくれる。[…]
もとの私は回復不能だが、新しい生命が体のあちこちで生まれつつあるのを私は楽しんでいる。昔の私の半身の神経支配が死んで、新しい人の半身が生まれるのだと思えば、障害者も楽しい。そう思って生きよう。そうすると萎えた足が、必死に体重を支えようと頑張っているのが、いとおしいものに思えてくる。」([259-261])
◆超越とは何か―鶴見和子さんへ(二〇〇二・七・二七)(多田富雄) 114-131 *
*多田 富雄・鶴見 和子 20030615
『邂逅』
,藤原書店,231p. ASIN: 4894343401 2310
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※ r02.
「脳のほうの「自己」は、神経という高次のネットワークによって作り出されるのですが、免疫の方は細胞同士の化学物質のやり取りによって成立する自己防衛の機構です。両者ともに高度の自己−非自己の識別能力を持っていますが、基本的には別物です。
それではなぜ二つを同じ舞台で論議するかといえば、二つのシステムに<0116<アナロジーがあるからに過ぎません。互いに別の発達過程をたどったにもかかわらず、「自己」という属性をもつようになる。なぜか、というのが私たちの疑問です。何しろ「自己」がどうして形成されるかというのは心理学や哲学の大きな命題ですから、両方の「自己」の成り立ちを比較しながら考えてみようとしたのです。
もちろん脳の「自己」と免疫の「自己」とは性質が違います。でも共通性があることも確かです。それに免疫の自己の成り立ちは実験で検証することができますし、試験管内培養でも一部の実験が可能です。一方脳は培養もできないし、実験などおいそれとできない。だから免疫でヒントを掴もうとしたのです。
そうすることで、生物学的な「自己」というものの本性や成り立ちが分かってきたのです。たとえば、両方ともに後天的な選択と適応によって自<0117<己が形成されることや、「自己」というものの可塑性、安定性、フラジャイルな属性などです。それがどうして付与されるかと言う、共通の疑問が説明できそうなのです。その結果、両者ともに同じ戦略を使っている、典型的なスーパーシステムであることが分かってきたのです。」(多田[116-118])
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■訃報
◆2010/04/21 「多田富雄氏死去 東京大名誉教授
多田 富雄氏(ただ・とみお=東京大名誉教授、免疫学)21日午前10時31分、前立腺がんのため東京都内の病院で死去。76歳。茨城県出身。自宅は東京都文京区本郷6の24の5。葬儀・告別式は近親者のみで行い、しのぶ会を6月18日午後6時半から東京都千代田区丸の内3の2の1、東京会館で。喪主は妻式江(のりえ)さん。
74年千葉大教授、78年東京大教授。主要な免疫細胞のT細胞には、体内に侵入した異物を攻撃するだけでなく、過剰な免疫反応を抑制するものがあることを発見し、国際的に注目を集めた。84年文化功労者。
93年に「免疫の意味論」で大仏次郎賞。能に造詣が深く、脳死や原爆、相対性理論などを題材にした能を創作した。
01年に脳こうそくで倒れたが、リハビリに取り組み、左手だけでパソコンを使って執筆活動を続けた。闘病生活をつづった「寡黙なる巨人」は08年に小林秀雄賞。」(全文)
2010/04/21 19:06 【共同通信】
◆2010/04/21 「免疫学者の多田富雄さん死去 能楽にも深い関心」
2010年4月21日15時1分 asahi.com
http://www.asahi.com/obituaries/update/0421/TKY201004210271.html
「国際的な免疫学者で、能楽にも深い関心を寄せた東京大名誉教授の多田富雄(ただ・とみお)さんが21日、前立腺がんによるがん性胸膜炎で死去した。76歳だった。葬儀は近親者で行う。「しのぶ会」は6月18日午後6時30分から東京都千代田区丸の内3の2の1の東京会館で開く。喪主は妻式江(のりえ)さん。
多田さんは千葉大医学部卒。1974年、同大医学部教授に、77年、東大医学部教授に就任。東京理科大生命科学研究所長などを務めた。81年度の朝日賞を受賞、97〜07年度には朝日賞の選考委員も務めた。84年の文化功労者。
体内に侵入したウイルスや細菌などから身をまもる免疫細胞のひとつ、T細胞には、異物を攻撃するアクセル役のほかに、ブレーキ役があり、両者でバランスを保って暴走を防いでいることを明らかにした。免疫の働きが強すぎると、自分を攻撃する自己免疫病につながってしまう。最新の免疫学の成果を紹介しながら、生命から社会のありようまで幅広く論じた「免疫の意味論」は93年、第20回大佛次郎賞に選ばれた。
青年時代から能楽に関心を寄せ、時に自ら小鼓を打った。脳死移植や原爆などをテーマにした新作能を次々発表した。
01年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、重い右半身まひや言語障害といった後遺症を抱えたが、リハビリを続けて左手でパソコンを打ち、朝日新聞文化欄に能をテーマに寄稿するなど、意欲的な文筆活動を続けていた。」
◆2010/05/30 「悼む:東京大学名誉教授・多田富雄さん=4月21日死去・76歳」
毎日新聞 2010年5月30日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100530ddm004070028000c.html
「◇最後まで執筆を継続−−多田富雄(ただ・とみお)さん=前立腺がんのため4月21日死去・76歳
1人の人の中に多様な才能がきらめくことがある。それが並大抵ではなかった。
免疫学者として世界的業績をあげたのは30代。学界の主流に逆らった研究で、免疫反応を抑える細胞の存在を見破った。「人と違うことをする」「バラの香りのように美しい研究を」。弟子にはそうした心構えを伝えた。最先端の免疫学を語りつつ、生命の本質に迫る著書「免疫の意味論」は「目からウロコ」の感覚に満ちていた。その思想は今も古びていない。
能への造詣の深さでも知られ、東京大学退官の際には「高砂」で小鼓を披露した。「さわやかにすうっと消えるという思いを託した」という言葉に、美学を感じさせた。
真価が発揮されたのは01年、脳梗塞(こうそく)に倒れてからかもしれない。右半身まひ、言葉の自由も失う。死も望んだというが、自分の中の「新しい人」としてよみがえり、新作能、詩集、エッセーなどを矢継ぎ早に出版した。
「もう恐れるものは何もない」と語り、診療報酬改定でリハビリが制限された時には先頭に立って厚生労働省と闘った。パソコンや50音の出るトーキングマシンを使い、マスコミにも登場し続けた。
なぜそうまでしてインタビューに応じるのか−−。答えは「あたりまえのこと」だった。倒れる前と同じ生活を送っているだけだというのだ。「知ること、発見すること、それを感動をもって知らせることは科学、芸術に共通した喜び。書かなければ発見したことになりません」とも語った。
前立腺がんの骨転移に耐えながら、最後まで執筆を続けた。とぎすまされ、そこはかとなくユーモアの漂う文章に、知の巨人のあらゆるメッセージが残されている。【青野由利、内藤麻里子】」(全文)
■言及
◆立岩 真也 2007/02/01 「ワークフェア、自立支援・3――連載 17」,
『現代思想』35-02(2007-02)
:008-019
資料
「その人ができるようになることをめぐる利害をきちんと見て、その上ですべきこと、しなくてよいことを考える必要がある。例えば本誌二〇〇六年十一月号の特集で、多田富雄がリハビリテーションの打ち切りに反対している(多田[2006])。他方、その十年以上前、私も作成に関わった『ニード中心の社会政策』(ヒューマンケア協会地域福祉計画策定委員会[1994])という提言集では、リハビリテーションの期間の限定を主張している。どちらかが間違っているのか。
そんなことはない。多田は、また多くの人たちは、その効果があるのに、あると思っているのに、つまりは予算を減らそうあるいは増加を抑えようという理由によって打ち切られることに反対している。他方は、それ自体は楽しいことではなく、負担である行いを、効果がないままいつまでも続けさせられることに反発している。両方とも当然の主張である。
そして、両方に負担の問題、「経済」の問題が関わっている。一方では、費用を減らすために、してきたことをやめようという。他方では、医療機関やそこで働く人の収入を獲得・維持しようとして、サービスの提供を続けようとする。その両方が、医療やリハビリテーションを使おうという当人にとって不利益なことになる。そしてこの両方を見ないと、事態の流れをまちがって理解してしまうことになる。
「専門家支配」を脱して「たんなる○○」を拒絶しようという利用者・消費者の側の主張・運動があったし、今でもあるのだが、そんな話が始まって数十年がたって、同じ話が、別のところからも、利害が一致しないはずのところからもなされている。なぜそんなことになっているのか。その理由のすくなくとも大きな一部が右に述べたことである。かつて、そしてある程度は今でも、サービスを提供することは、それが収益をもたらすのであれば、提供者側にとってよいことである。そこで提供されるサービスを利用者・消費者が評価しにくいといった事情があればなおさら都合がよく、供給がなされることになる。それが実際には無益であり、さらに有害であることがある。そこでそれに反対し、サービスの供給に限界を設定しようとする。この主張は、直接の供給者にとっては不利益に結びつくことがあるが、保険や税を負担する側にも受け入れられるものである。
それと論理としては別に、しかし現実にはつながって、支出を減らそうという流れが起こり、ここから利用の制限がなされる。このときにも言われることは、「無益」な「たんなる」なにがしかの停止である。そして、そのように名指された営みに対する支出が停止されるとしよう。するとこんどは、直接の提供期間・提供者にとってもその営みは――かつては利益をもたらしたので、いくらでも行なわれていたのだが――「無益」なものになる。今まで保険から一定期間以後のリハビリテーションにも支出がなされていたのが、また「終末期」のしかじかにもなされていたのが、なされなくなったら、それを行なおうとはしなくなる。これがここのところ起こっていることである。」
◆立岩 真也 20100701 「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」,『現代思想』38-9(2010-7):
資料
◆立岩 真也 2010/09/01
「多田富雄さんのことから――唯の生の辺りに・5」
,『月刊福祉』2010-9
◆立岩 真也・天田 城介 2011/**/** 「……」,『生存学』3
文献表
◆立岩 真也 2017/08/**
「リハビリテーション専門家批判を継ぐ」
,多田富雄『多田富雄コレクション3 人間の復権――リハビリと医療』解説,藤原書店
◆立岩 真也 2018
『不如意の身体――病障害とある社会』
,青土社
*作成:
立岩 真也
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小宅 理沙
UP:20060614 REV:0811 20071123 20080228, 20100603, 04, 05, 0702, 1223, 20170628, 0722
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生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築
◇
病者障害者運動史研究
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WHO
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生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築
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