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『言葉果つるところ――〈鶴見和子・対話まんだら〉石牟礼道子の巻』
石牟礼 道子・鶴見 和子 20020430 藤原書店,314p.
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last update:20181224
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石牟礼 道子
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鶴見 和子
20020430 『言葉果つるところ――〈鶴見和子・対話まんだら〉石牟礼道子の巻』,藤原書店,314p. ISBN-10:4894342766 ISBN-13:9784894342767 2200+
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※ m34, w/im12, w/tk20
■内容
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◇出版社からのコメント
学問、道楽の世界を問わず、多くの人を惹きつけてやまない鶴見和子。その魅力の謎が多彩な人々との対話を通して明かされる対談シリーズが遂に発刊! 鶴見和子の幅広い活動分野の全体像が浮かび上がる!
◇内容(「BOOK」データベースより)
自らの存在の根源を見据えることから、社会を、人間を、知を、自然を生涯をかけて問い続けてきた鶴見和子が、自らの生の終着点を目前に、来るべき思想への渾身の一歩を踏み出すために本当に語るべきことを存分に語り合った、珠玉の対話集。
◆藤原書店Webサイト内のページ
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=525
■目次
第1場 出会い――水俣へ
第2場 息づきあう世界――短歌
第3場 言葉果つるところ――もだえ神さん
第4場 人はなぜ歌うのか――いのちのリズム
第5場 近代化への問いと内発的発展論――水俣
第6場 「川には川の心がある」――アニミズム
第7場 四角い言葉と丸い言葉
第8場 「東京に国はなかったばい」
第9場 いのちの響き
第10場 アニマ――民衆の魂
〈幕間〉石牟礼道子、『アニマの鳥』を語る
第11場 国を超えるアニミズム
〈石牟礼道子に聞く〉白い蓮華、鶴見和子
〈対談を終えて〉み後を慕いて:石牟礼道子
あとがき:鶴見和子
■引用
鶴見
一九七六年に、近代化論再検討研究会のメンバーとともに、不知火海総合学術調査団といういかめしい名前の調査団を作った。団長は歴史家の色川大吉さんで、そのなかに社会科学者も自然科学者も入って、私もその一人として入れていただいた。そうして水俣の調査に――私はそういうふうに言いたくなくて、水俣の人々に教えを乞いに行った、そういうふうに言いたいんですけれども――、川崎港から船に乗って、日向行きのカーフェリーに乗った。それが一九七六年三月二十八日。春よ。菜の花が咲いてた。そうして二十九日に水俣入りしたのよ。それで石牟礼道子さんのお宅にて魂入れ式を行った。これだ、出会いは。┃(p.8)
〔鶴見:〕その夜に石牟礼道子さんのお宅に招かれて、そこで魂入れ式▽△というのが行われた。アニマよ。というのはね。都会にいるとアニマが飛んでいっちゃって、魂の抜け殻みたいだから、魂を一人一人ていねいに入れてやろうという儀式が石牟礼道子さん宅で行われた。[…]お酒がでて、一晩中いただいているうちに、道子さんが一人一人に魂を入れてくださった。これが最初の出会いでございます。┃(pp.8-9)
石牟礼
そんな、魂を入れるなんて、そんなものものしいんじゃないんですよ。私どものところでは何かちょっと目新しいこととか、いままでやってきたことをやり直すようなとき、お酒の座を設けるときのあいさつに、いまから魂入れしましょうかといって、そしてみんな微笑して、一種の枕詞[まくらことば]みたいにいうんですよ(笑)。しかしやっぱり気持ちはお互いに魂を入れなおしてやろうやという、ちょっとあらたまったような気持ちで申し上げるんですよ。┃(p.9)
鶴見
もう水俣に行くたびに魂を入れていただいた。都会へ行くと魂が抜けてっちゃうものだからね。水俣に行くたびに新しく魂を入れていただいたから、どれだけ私が、何回も蘇ったか。われは蘇りなりというけれど、何回蘇ったかもうわからないわね。┃(p.10)
〔鶴見:〕石牟礼さんは草鞋[わらじ]親。この人の家に行ったらお話が聞けますよというお家を、次々に紹介してくださっ▽△た。こういうとてもいい仲立ちがいなければ、私たちは村に入ることはできない。日本の村というのは、とても閉じた村だと思ってたけれど、石牟礼さんというシャーマンがそこに仲立ちしてくださった。仲人がよかったために私たちは水俣に入れた。水俣との出会いは、石牟礼さんを仲立ちにしたということが、私たちのしあわせだった。┃(pp.10-11)
〔石牟礼:〕だけど、〔鶴見は〕存在が華やかですからね。なんていうか、いらしていただいたときはとてもぱあっと花が灯ったようになって、非常にうれしくて。お書きになっていらっしゃいますけど、調査団で、私たち何しに水俣に来たんだろうって。お酒を飲んだりして内輪喧嘩がはじまったりして、そういう雰囲気の場もちょっと覗いていたようなときもありましてね。それで皆さんといっしょに落ちこんでいらっしゃるなかにも、気力のある白いお顔をあげて、これじゃいけないって。ほとんど、男先生たちを▽△奮い立たせるのはいつも和子先生だったような気がするんですけど。[…]
鶴見
最初はそうだったんです。そのうちに立ち直ってきたのはどうしてかというと、調査団の羽賀しげ子さんが一生懸命になって一人一人日程を作ってくれる。今日はどこへ行きますか、だれのところへ何時に行きますかって、こう言われるでしょう。そうすると追い立てられるように、そこの家へ行く。そうしてお話をうかがうと、すっとこっちへ入ってくる。つまり、私たちがここへ来たのは、この方たちのお話を聞いて、私たちが魂を入れ替える、教えていただく、そのために来たんだ、ということがだんだん話を聞いてるうちにわかってくる。それで元気になった。私はそうだわ。
石牟礼
私もそうですね。なんだかいかにも外側から加勢をする人間のように見られているんだけど、じつはそうじゃなくて、あれほどまでの受難のなかで、あの人たちがしきりに何かを訴えていることは、私たちを助けてくださいということじゃないんですよね。私もそれで、ああ、この人たちはこんなふうに、人間のつくり出した負荷をぜんぶ背負って立ってるのに、私なんかへなへな、いつもしてるから、それでいてはいけない、と気力を奮い起こすというか、命を奮い起こすというか、それでやってきて、そういうふうに感▽△じる人がやっぱり一人一人出てきたんですね。そういう側に立てる人たちというのがほしい。┃(pp.13-15)
鶴見
そういうふうにしてだんだん交わりが深まっていった。そして私は、水俣の海辺にはたくさんのシャーマンがいて、そのシャーマンの代表が石牟礼さんという思いに達した、杉本栄子さんは、確かにはえぬきのシャーマン。だけどね、あの人だけでは魂の抜け殻になった人間には、まっすぐに通じない。やっぱり石牟礼さんがシャーマンのシャー▽△マンとして外の世界に媒介しなきゃ通じない。┃(pp.16-17)
石牟礼
やっぱり一番芯のところを、そこではこんなふうに生きてますって、生きてるものがここにいます、こんなふうに言ってるものがここにおりますって、身悶えを受けとってくださいという気持ちだったんだろうと思うんです、そのときの気持ちは。私もきれいごとをかなぐり捨てて、先生方に接したいという気持ちが吹き上げたんだと思います。┃(p.17)
鶴見
いや、それがね、だんだんに内発的発展論になっていくわけ。 近代化論というのは、アメリカとかイギリスでできた理論で、外側から見てる。で、アメリカ近代化が一番進んだ近代化で、それから見ると、これはまだ遅れてる、これはゆがんでいるといって、こうやって比較する。そういうやり方ではだめなんじゃないか。こっち側からやっていかなくちゃだめなんじゃないか、ということで再検討という旗印を掲げたけど、理屈ではそういってても、実際にどうしたらいいかわからなかった。それで水俣へ行ってはじめてわかった。魂を入れていただいたから。だから水俣の方々の魂にふれて、ああ、ここにある、ということがはじめてわかった。
石牟礼
そのときの私の気持ちとしても、ここにあるじゃないかって、例えば思想という言葉を使うのは気恥ずかしいんですけれど、もう考えはじめておりますから。┃(p.20)
〔石牟礼:〕みんな、私も含めてほんとに田舎の人間ですからね。見るもの聞くもの何でもめずらしい。それで先生方に来ていただいたのも、学者さんのみんなそろうてきなはるばい、どういうお顔の人たちや。目に見え、耳に聞こえる、そういう、まず学者さんというものを見たことないんですから。それがめずらしかったということも一つはあるんです。それはとっても地元の心を生き生きさせたというか……。
鶴見
学者はだめだっていうことをまずドカーンと考えていたもの、私たちは。┃(p.22)
〔石牟礼:〕そうやって、〔緒方正人さんが古船で水俣から〕死者や生者の魂を乗せて、決死の覚悟で行って、東京湾に着きました。[…]死んでもいいと言って行ったんです、正人さん。村の人たちからたくさん魂を預かってきてるでしょう。それで、さあ着いた。魂を降ろして、お迎えしなきゃいけないということをやろうとしたんです。そうしたら、東京の支援者の一部の人たちの中に、えっ、魂なんて、そんなのいまごろあるの、そんなの気味が悪いって言った人たちがいたんです(笑)。▽△
鶴見
支援者?
石牟礼
そうです。
鶴見
水俣の魂がわかってない。
石牟礼
そう。もうわたくし、ほんとにショックで……。
鶴見
それが支援者か。
石牟礼
そうなんですよ。これにはもう驚いた。
[…]
石牟礼
気味が悪いって、いまごろ魂なんて、東京では魂なんて言葉は死語ですよって。とても困った。それで私も〔杉本〕栄子さんも、ほんとに腰が抜けるようにびっくりして、ショックで、はあー、東京では、東京の人たちにえらいお世話してもらったと思ってたけど、何を加勢してもらってたのかなあって、思ったんですよ、水俣組は。┃(pp.41-42)
石牟礼
何かに書いてると思うんですけど、あの言葉がない世界もありますでしょう。
鶴見
そう。言葉のない世界というのは、水俣では一番深いところにある。私たちが出会った人は、石牟礼さんの息のかかった人なの。だから、丸い言葉を持って発語できる人。だけどね、そのもっと深いところに、発語できない魂がある。発語できない魂をどうするかね。それが私はとっても気になった。
石牟礼
それは水俣病が出てきたからだけじゃなくて、昔から言葉のない人たちというのは、おられました。[…]村のなかではある役目をもっていて。役目といっても、行政が資格を与えた役目じゃなくて、「もだえて加勢する」って言い方があるんです。┃(p.72)
鶴見
いや、道子さんが『苦海浄土』を書き、そして水俣の闘争を全部あのように書いてくださったことは大変ありがたい。私にとっては、道子さんのお書きになったものが一番の頼りになりましたね。水俣を知るために。それだから、あれは歌っただけでは、これだけ伝わらない。後の世に語り継がれていくために、あれはほんとに大事なお仕事。だからほんとにすばらしいと思いますよ。歌だけではできない。▽△
[…]
鶴見
後世に語り継ぐために、歌だけでなくて、あのように文章で書いていただいたことは、ほんとにありがたいことです。歴史なんです、あれは。
石牟礼
なんと申し上げたらいいかとても困る。わたくし非常に傾いているといったらいいのかしら、私の見方がですね。
鶴見
いや、私を通して見なければ何事もはじまらない。そこが大事なの。「私」を通さないで見るだけなら、それはコンピューターでもできる、ロボットでもできる。「私」の魂を通さなきゃだめです。それを失ったのが、いまの多くの学問。だからそこから出なきゃだめなんです。魂から、ほんとに内発という、内側から出てこなきゃだめなんです。
石牟礼
てれちゃった(笑)。
鶴見
客観性という言葉が誤って使われていると私は思います。魂を通り抜けなければ、ほんとのものは出てこない。┃(pp.100-101)
〔鶴見:〕魂の深いってのがあるでしょう。道子さんの『苦海浄土』の中に出てくる、この子は魂の深か子だって、あれよ。魂が深い。魂の深い人が魂の深い人と響きあったんです。おろよか〔「完璧によくない」という意味〕だったら響かない。
石牟礼
しかし、和子さんのような方とお目にかかれて……、あの強い輝き、あの論文もですが。
鶴見
いや、論文にはほんとに魂は入ってないと思う。自分は魂をこめて書いたつもりでも、まだ私の魂はだめだったんだよ、あのころ。いま少しずつ浄められているんじゃないかな。┃(p.102)
鶴見
こっちは「近代このよきもの」ということを頭に叩きこまれていた。それだから私たちはあそこへ行って、とまどいを感じて、私たちの学問が役に立つかということでけんかをおっぱじめた。
石牟礼
それをうかがってありがたかったです。水俣のために来ていただけて、けんかをおっぱじめて、学問のための調査に来ていただくなんて、私たちにはどういう意味があるんだろうっていうことで、けんかして、やけ酒飲んで……。
鶴見
役に立たないじゃないかというので、お互いにけんかをはじめた。男の人たちはお酒を飲んで、そしてお互いに大げんかをはじめた。収拾がつかなかったよ、最初。私たちはもうどうしていいか、ほんとにわからなくなっちゃった。
石牟礼
でもそれはとってもありがたいですよ。だってあんな事態だと、鈍感に平然としている方がおかしいですよ。非常にまともに取り組んでくださった。▽△
鶴見
どうしていいかわからない。自分たちがもっている理論とか、道具というのは、何も役に立たない。それで私、考えたのは、そこへ入っていって、まず話をきく、それしかないと思った。そこからはじめるしかないと思った。┃(pp.126-127)
〔鶴見:〕そこで仲介の労をとってくださったのは、土本典昭さんのような人よ。土本さんに連れて行ってもらうと、石牟礼さんからの紹介で土本さんが私について行って下さると、大変にすらりと皆さんのお宅に入れた。それは石牟礼さんのお蔭だった。石牟礼さんのところに草鞋を脱いだ。魂入れ式をして草鞋親になっていただいた、石牟礼さんに。
石牟礼
そんな……。いや、私はもうありがたい一心で、やっと来ていただいたと思って……。でも訪ねていっていただいたお家では大変喜ばれましてね。なんだか見慣れない都会風の、若い女の子じゃないけれど、何か気品のある、和子さんが見えるとあちこちして、あの人は貴族ばいって言って。手も白いって。黒か洋服のよう似合うて、目えパチクリしてる。ありゃあ貴族ばいって。
[…]
石牟礼
とても喜んでいましたよ。功徳をほどこしてくださいました。ほんとに。
鶴見
そんな……、ありがたいことです。いや、これは出会いだった。そこで石牟礼さんと出会って、石牟礼さんに助けられた。救い舟を出して下さった。学問の行きづまり▽△の時に救いを出して下さった。┃(pp.128-129)
〔石牟礼:〕いまは亡くなったけれど、赤崎〔覚〕さんがとても失礼なことを……。あれは親しみの表現だけれど、[…]おう、東京のインテリが来たか。おれは負けんぞという気持ちがあって、ずいぶん失礼なこと申し上げましたね。
鶴見
いや、当然でございます。都会のインテリに何がわかるって、それはよくわかる、その気持ち。┃(p.129)
〔石牟礼:〕だから学問に対して一種の神話のような憧憬をもっているんです。自分たちは学問はいたしませんけれど、だから学者というのには、そういうふうに庶民の中にはまぼろしのような願望が、より深くあるんですよ、あこがれが。だから、女の学者さんの来らしたばい。しかも美女で、色が白くてね。そして東京弁で肉声を聞いたわけでしょう。光栄としておりますよ。杉本栄子さんなんかもごいっしょに踊りをさせていただいてとてもありがたいって。┃(p.132)
石牟礼
いや、私は学者になれる気質や才能はございませんけれども、お蔭様で何かこの世には、ばかにしてはいけない観念の世界というのが、[…▽△…]観念そのものが組織立って一つの世界をつくりあげている。世界を作ろうとしているというか、それは生身の人間のいることころをかいくぐって、一つの世界が成り立つことができるんだって。庶民たちがあこがれるに値するような救世への願望がこめられた世界像がそこにはありうる、ということをあらためて考えさせていただいているところなんです、いま。
鶴見
とんでもない。それだけの学問ができれば上々、魂の入った学問を。だから一生をかけて、私はいろんなことをした人だといわれるけれど、やっぱり一すじの道を歩こうと思って学問をしてきた。けれど、ほんとに人間のというか魂の入った学問を築き上げたいと願いつつ、いま死にいたってる。┃(pp.132-133)
鶴見
気にかけるというものじゃない。自分の学問を開いていただいたと思っている。水俣に行ってなかったら、近代化論の再検討なんてものは、ほんとにちゃちな理屈だけになった。もうずっと続いてるの。だから水俣の患者さんによくよく言って。水俣は私の先生です、そう言っといて。┃(p.135)
〔鶴見:〕まだ私はそれを、もっと血肉化しなきゃだめよね、学問の中に。水俣調査をやって、『水俣の啓示』に書いた私の論文なんていうのはちゃちなの。それから私が倒れる前に、緒方正人さんが「常世の舟を漕いで」という文章を『思想の科学』に連載されたのを見てひどく感動してね。緒方さんのお蔭でいくらか、少しわかったかなと思った。それから倒れてから私はもう少し水俣に近づけたように思う。水俣の痛苦を我が身にいささか引き受けるという形になったから。私は自業自得でこんな病気になった。水俣の人たちはなんにも罪がないのに他人からやられたんだから、どんなに悔しかっただろうと▽△思う。[…]だけどこうなったためにいくらかつながるなぁって感じなの。┃(pp.135-136)
鶴見
言葉が果てる。その時にそれを乗り越えるのはどういう言葉かというと、言葉をつくりかえていく言葉なんです。言葉以外のまなざしとか、いろんな話が出たけれど、それだけじゃないと思う。言葉で仕事をしてるんだから、われわれは。だから言葉のつくりかえということがある。それを道子さんがなさってるんだと思う。そこまで話を進めなきゃいけなかったと思ってる。道子さんの文学の言葉というのは、ふつうの言葉じゃないよ、あれ(笑)。あれは水俣弁じゃなくて「石牟礼道子語」。だから言葉が果てたという自覚をもった人は、新しい自分の言葉をつくりだしていくんだと思う。それが文学なんだ。▽△文学だけじゃなくて、自分の言葉をつくりだした時に、はじめてそれが、内田義彦さんのいってる「作品」になる。社会科学でも自然科学でも作品になるんじゃないの? 文学を作品っていうでしょう。だけど社会科学を作品とはいままで言わない。言えないでしょう。つまり借物の言葉でしゃべってるから。だから自分の言葉をつくりだした時に作品になるんだと思う。道子さんは言葉を紡ぎだしている、道子さん独自の。私はそれをまだしてない。内発的発展は概念、それは言葉。概念はつくりだしたけれど、それを私なりの言葉で述べていない。だからいま歌をつくってる。歌は私の言葉で歌(詠)える。だけどそれを論文の形で私はまだ表していない。┃(pp.136-137)
〔鶴見:〕アニミズムだから循環してまた帰ってくる。それが石牟礼文学の中にはっきり現れてるなと思う。それを私はとっても大事なことだと思う。自分の言葉をつくりだされたのよ。道子さんは私は学問がないとおっしゃるけれど、そんなことじゃない。大学を卒業して博士号を取ったから学問があるんじゃない。だけどそれがいまの社会では学問だと思われてる。だいたい小説家と言われる人にはインテリで、大学を卒業して学士または博士を取った人が多い。その人たちの言葉は、本を読んで、学問言葉を使ってる。だから自分の言葉で言ってない。道子さんは自▽△分で学問がないとおっしゃるけれど、ない方がいいのよ。それで自分の言葉をつくっていらっしゃる。私が道子さんが先生だというのは、私は自分の言葉をまだつくって論文を書いてない。┃(pp.140-141)
〔石牟礼:〕完璧に四角い言葉を使える学者先生はとっても偉いと思うんですよ。私なんかのように分裂していませんよね。私は地域社会では非常に住みにくい感じをもっていまして。そういう世界に同化できないんですね。同化できない分、心も体もねじれてくる。なじめな▽△いから、夜中に隠れてでも、隠れて書く。
┃(pp.172-173)
石牟礼
土着の言葉に同化できないから申しわけないと思ってるんですよ、きっと。
鶴見
でも同化したら書けないでしょう。その言葉だけで書いたら通じない。だから分裂して、その分裂を意識して、出たり入ったりって。こっちのことは四角い言葉、こっちのときは何って、使い分けしてる。だけど道子さんの場合には、使い分けしないで橋渡ししようとしてる。┃(p.173)
石牟礼
もう分裂して、ずーっと引き裂けていくんですよね。で、もう最後の一番基▽△盤の底のところまで引き裂けてしまえば、もう本当に別々になりますから、別々になるまでがまんして、たぶん、だぶんですよ、引き裂ける寸前のところに踏みとどまって、立ち直るというか、立ち直るというのは、それが合併するというのはまた違います、分裂したあいだから。そのあいだに何か立ちのぼらせて……。
鶴見
それで新しい言葉になるわけね。道子さん自身の言葉になる。
石牟礼
そうですね。芸術というのは、表現というのはやっぱり誕生ですから。そこにもアニマというのはきます。生まれる。死のアニマがね。┃(pp.174-175)
鶴見
だから分裂を意識してるということが、大変に大事なことだということになるわね。
石牟礼
あのね、橋を架けたいという願望はあるんです、両方に。非人格的な知性と、いつも魂がどこかに遊びに行っているような情念の世界、その両方に……架け橋を紡いでる、蚕の糸みたいなものを吐いて紡いでいる気がしておりますが、成功してるかは。だいいち地元の人たち読まないですもの、私の本。
鶴見
読む必要ないんじゃない。だって自分たちのことだもの。われわれの方が必要としてる。四角い言葉を持ってる者が自分の魂を入れ替えるために必要で、それこそ魂入れてもらってる。やっぱり石牟礼文学というのは、われわれにとって、魂入れ式よ。┃(p.176)
鶴見
あれはすごく象徴的だった。魂入[たまい]れ式って。もう忘れられない。
石牟礼
魂入[たましい]れっていうんですよね。
鶴見
ああ、魂入[たまい]れっていうんじゃないのね。
石牟礼
は、たまでもいいんです、たましいだから。水俣弁で【傍点:たましいれ】っていう▽△んです。でも、たまいれでもまちがいではないと思います。┃(pp.176-177)
鶴見
水俣病は始まったのよ。終わったんじゃない。水俣病事始め。[…]いままでやったその罪の積み重ねに、一番大きな事件として水俣というものがあった。これは象徴だと思う。[…]これからの問題の始まりだと思う。終わりではなくて始まりと見るべきだと思う。|その始まりを自然破壊という言葉でくくっちゃうと、わからなくなっちゃう。だからそ▽△ういう四角い言葉でいうんじゃなくて、水俣の人が何を経験したかというなかから丸い言葉を捜して、何が始まりなのかということを、もっときちっとしなくてはいけないと思う。自然破壊、自然破壊という地球的規模で環境問題を考えようというのは、いまの合言葉みたいになっている。地球的規模で環境問題を考えると、水俣はもうなくなっちゃう。もうあれは終わったから、これから水俣なんて小さいこと考えないで、地球の問題を考えましょうや、いまそういうふうになっている。それが恐ろしい。
石牟礼
あれはじつに手軽な口当りのよい言葉ですね。
鶴見
私は、地球的規模でということをいうのにもっともふさわしい人は、川本輝夫とか浜本二徳だと思う。この人たちがいえば納得できる。自分たちが経験したことが地球的規模で起こるんですっていってるんだから。だけど地球的規模の環境問題というと、もう全然違うことなの。破壊とかなんとかって、それは大変なことには違いないけれどね。それは自分たちに跳ね返ってくる。┃(pp.186-187)
〔鶴見:〕だからこれが始まりであるし、それからこの問題は環境問題でくくったら、ほんとに脱け殻になっちゃう。空洞化しちゃう。┃(p.191)
〔鶴見:〕根底的には私は魂が抜けちゃったというところに事の起こりがある。その魂を誰に入れてもらうかというと、ほんとに丸い言葉を使ってる人、あるいはその言葉さえも使えない人なの。そういう人たちの心を聴くこと。そういう人たちが自然の大きな生命体の、生命のリズムというか、リズムって嫌だけれど、生命の響きを聴いてる。それと共鳴りしながら生きなくてはいけない。┃(p.192)
■書評・紹介
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/mt/mt-search.cgi?search=9784894342767&IncludeBlogs=4&x=114&y=13
■言及
◆立命館大学産業社会学部2018年度後期科目《質的調査論(SB)》
「石牟礼道子と社会調査」
(担当:村上潔)
*作成:岩﨑 弘泰/増補:
村上 潔
(2018/12/17~)
UP: 20180506 REV: 20181217, 1224
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