HOME > 事項

石牟礼道子と社会調査

Ishimure Michiko and Social Research

立命館大学産業社会学部2018年度後期科目「質的調査論(SB)」
"Qualitative Research Methods (SB)" [The Second Semester of the 2018 academic year]
at College of Social Sciences, Ritsumeikan University.
授業期間[Class Term]:2018/10/02 - 2019/01/15(全15回[Total 15 lectures])
担当教員[Lecturer]:村上 潔MURAKAMI Kiyoshi

Tweet
last update: 20190124


【Index】
授業日程 ■授業の概要と方法 ■受講生の到達目標 ■講義内容 ●第1回 ●第2回 ●第3回 ●第4回 ●第5回 ●第6回 ●第7回 ●第8回 ●第9回 ●第10回 ●第11回 ●第12回 ●第13回 ●第14回 ●第15回 ■参考 ●対象候補とした(が取り上げられなかった)もの ●関連する情報

>TOP

■授業日程

@2018年10月2日 A10月9日 B10月16日 C10月23日 D10月30日 E11月6日 F11月13日 G11月20日 H11月27日 I12月4日 J12月11日 K12月18日 L12月25日 M2019年1月8日 N1月15日

>TOP

■授業の概要と方法

2018年度の本授業は、そのテーマを「石牟礼道子と社会調査」とする。石牟礼道子(1927-2018)は、稀代の文学者であるだけでなく、水俣/水俣病とのつながりを通して、社会調査・医療・アカデミズム・ジャーナリズム・社会運動・地域文化活動などの世界に多大な影響を及ぼした(参考Webページ:http://www.arsvi.com/w/im12.htm)。この授業ではその全貌のごく一部を確認していくことで、【1】石牟礼道子の存在・行動によって「社会調査」のありかたがいかに問われ・変質した(/しなかった)のか、【2】石牟礼道子を媒介にして、「社会調査(質的調査)」につらなる様々なジャンル・フィールドの人々がいかに越境しあい・かかわりあい・「状況」が動いていったのか、【3】いま社会調査(質的調査)について学び、これから何らかの調査に携わろうとする者たちは、それらのことが投げかける問いをいかに受け止め、何を学びとるべきなのか、を(その内容のダイナミズムをできるだけ失わないよう)把握することを目的とする。

>TOP

■受講生の到達目標

@質的調査(社会調査)の「外側」にどのような(学術的/文化的/実践的)ジャンルが存在し、それらがどのように重なり合い/分け隔てられているのかを、的確に理解する。
A質的調査(社会調査)に影響を与える「状況」・「時代性」・「精神性」について、的確に理解する。
B質的調査(社会調査)自体がもつ本質的な「限界」について、的確に理解する。
C質的調査(社会調査)の「限界」を乗り越えるために、いかなる発想の転換が必要なのか、いかなるオルタナティヴな手法が効果的なのか、について自ら考えを深める。
D以上の過程を通して、質的調査(社会調査)のありかた自体を批判的に検証し、そのうえで自らの調査プランを明確にしていく視座を獲得する。


>TOP

■講義内容

第1回:「授業の進めかたについて」[2018/10/02]

◇成績評価方法について
◇この授業に至る経緯
‐ 2017年度立命館大学産業社会学部後期科目「質的調査論(SB)」
‐ 2018年度立命館大学産業社会学部前期科目「質的調査論(SA)」
◇この授業で扱うこと/扱わないこと
◇講義の展開について
◇シラバス(の修正点)の確認
◇導入
━━━
【授業開始にあたって教員から】
この授業は石牟礼道子“について”の授業ではない。作家論や文学論を講義するわけではない。あくまで、石牟礼道子という存在を軸/媒介に、社会調査、とりわけ質的調査(のありかた)について学ぶものである。したがって、石牟礼道子という人とその作品については、受講生各自で自主的に学んでほしい。幸い、京都には〈KARAIMO BOOKS〉(西陣)のような――石牟礼道子とその周辺のテーマについて学ぶにはこのうえない教材提供機関としての――場所もある。その自主的な学習に関連する取り組みにあたって、必要とあらば私=村上も(授業“外”の活動として)助力を惜しまないので、そうした依頼は随時歓迎する。
━━━
◇石牟礼道子“と”(not“の”)社会調査
‐ “と”:距離・関係性
◇“石牟礼道子”と“社会調査”は:
(1)どうつながっていて――人や活動組織・共闘関係
(2)★どうつながっていないのか――そのことがなぜ(社会調査にとって)意味があるのか
━━━
◆石牟礼道子 [1998] 2018 「波と樹の語ること」『現代思想』46-7(2018-05臨時増刊): 170-185
「私のテーマは、文学ではございますけれども、日本の近代というのが大層気にかかっておりまして、もっとも象徴的な水俣におりますけれども、大地と海辺が接して、呼吸しあっているようなところ、渚に生きている生き物たちと目線を接しながら、生きている人たちがどういうことを感じているのか、どんな喜び、どんな悲しみを持って生きているのか。それを、観念、概念の言葉で論評するように言ってみてもその実感が私自身、出てきませんので、なるべくこれをその内部から描写していくように考えてみたいと思ってまいりました。」(p.170)
◆岡和田晃 2018 「石牟礼道子という表現運動(ドキュメント)」『[文藝別冊]石牟礼道子――さよなら、不知火海の言魂』河出書房新社(pp.166-176)
「二〇一八年二月一〇日、石牟礼道子は長年苦しめられてきたパーキンソン病によって没したが、主要な文芸誌は軒並み追悼特集を組んだものの、その内容は石牟礼文学のアニミズム性に着目するあまり、水俣病が象徴する問題の現在性を後景化させた論旨のものが少なくなかった。つまり、水俣病は過去のもの、石牟礼文学は脱政治化する形で受容されているわけであり、それこそが谷川雁のみならず、評者もまた危惧している問題にほかならないだろう。」(p.170)
━━━
◇石牟礼の言葉は、海の言葉であり、海の生き物の言葉であり、大地の言葉であり、大地に漂う命たちの言葉であり、かつ、水俣病患者の言葉でもある。
◇前近代性と近代性の相克そのもの
◇アカデミズムはそれをどう受けとめ(られ)るのか
‐ 受けとめ“る”:姿勢を示す→“られる”:可能性を探る
‐ 限界が大きいことは承知のうえで

>TOP

第2回:「石牟礼道子の近代批判」[2018/10/09]

【はじめに】
◇評価/授業環境におけるアクセシビリティ
‐ セーファースペースの構築――自律性・協同性 cf.「もやい」「もやい直し」
‐ 効率・生産性優先主義に対するオルタナティヴ/対抗実践

◇石牟礼=近代の捉え返し・「告発」
━━━
◇近代批判を(必然的に・正面から)受け入れ/展開する強固な土壌
‐ 1960年代後半〜1970年代前半
‐ 大学/芸術:「1968年」 cf. 五月革命
cf.
・「[シミュレーション]「1968年」を調べる」(立命館大学産業社会学部2018年度前期科目「質的調査論(SA)」:対象候補とした(が取り上げられなかった)もの
・鼎談=成相肇×細谷修平×平沢剛/インタビュー=ヴラスタ・チハーコヴァー「「1968年」の芸術表現とポリティクス――千葉市美術館「1968年 激動の時代の芸術」展開催を機に」『週刊読書人』ウェブ(新聞掲載日:2018年10月5日[第3259号])
◇石牟礼道子を「理解」するということ
(1)外側から――水俣病問題への尽力/日本文学史における位置
 :近代性:高校/大学の授業を通じて
(2)内側から――水俣の海・空・大地/悠久の時間/人ならざるものたちの世界
 :非/反近代性:自らの心身を通じて
‐ 授業でできるのは(1)まで/のみ
◇石牟礼の近代批判
‐ 必然性・説得力
‐ 神話的・幻想的世界であるにもかかわらず/であるがゆえに現前するリアリズムとその凄み
◇その背景と前提――@原初体験
‐ 『あやとりの記』・『椿の海の記』など
‐ 自然・風土・伝承・神・歴史
‐ 交感・記憶(・幻視)
◇その背景と前提――A「近代」と対峙した先達たち【→次回】
◇【参考】
‐ 【引用】「石牟礼(いしむれ)道子さんが亡くなった。著書「苦海浄土」で水俣病患者の声をすくいあげてきた作家が告発したのは、公害や環境の破壊にとどまらない。私たちの社会に深く横たわる「近代」の価値そのものだった。」/「明治150年。近代国家の出発が為政者から勇ましく語られる時だからこそ、作家が生涯かけて突きつめた問題の深さと広がりを、改めて考えてみたい。」(「[社説]石牟礼さん 「近代」を問い続けて」2018年2月12日『朝日新聞』東京朝刊10面〔オピニオン〕」

>TOP

第3回:「田中正造−谷中村−水俣」[2018/10/16]

◇田中正造と高群逸枝――石牟礼道子の大きな先達
‐ 【引用】「すこしもこなれない日本資本主義とやらをなんとなくのみくだす。わが下層細民たちの、心の底にある唄をのみくだす。それから、故郷を。|それらはごつごつ咽喉にひっかかる。それから、足尾鉱毒事件について調べだす。谷中村農民のひとり、ひとりの最期について思いをめぐらせる。それらをいっしょくたにして更に丸ごとのみこみ、それから……。|茫々として、わたくし自身が年月と化す。突如としてわたくしははじめて脱け出す。日本列島のよくみえるところへ。|しかしよく見えるはずはなかった。そこはさらに混迷の重なりあう東京だったから。“森の家”という森にいたのだ。女性史を樹立した高群逸枝さんの森の家に。」(石牟礼道子 2004 『[新装版]苦海浄土――わが水俣病』講談社 pp.299-300)
◇石牟礼道子にとっての田中正造
‐ 【引用】「私が正造のことを知ったのは、1960年代半ば頃でしょうか。[…]当時、私は水俣のことを書きたいと思っていて、日本で最初に公害問題と闘った人を知りたくて、生家のある佐野市や晩年を過ごした旧谷中村を一人で訪ねました。」/「私にとって田中正造は“思想上の父”です。」/「正造が亡くなってからの近代100年は日本が“毒死”に向かって進んだ年月だったと思います。」/「近代化で豊かになったと言いますが、決して豊かではありません。偽の、人工的につくられた、見せかけだけの繁栄です。そして、水俣は人柱にされました。」/「日本はいま、毒死に身もだえつつあります。しかし、野辺の花は咲いています。それは、何の罪もない人たちが生きているという希望です。100年の歳月を超えて、我々は正造の魂を受け継ぎ、生きていかなければならないのです。」(「インタビュー 水俣病を追求 石牟礼道子さん」『読売新聞(YOMIURI ONLINE)』2013年01月03日13時53分《伝える 正造魂》)
‐ 【引用】「1967年のある日、石牟礼道子さんは、栃木県の渡良瀬川(わたらせがわ)の最下流から足尾銅山へ足を運んだ。当時40歳。<せつに、田中正造じいさまに逢(あ)いたい。彼の魂に逢いたい>との思いから、熊本県水俣市から単身やって来た。」(米本浩二「不知火のほとりで――石牟礼道子の世界:50 転生」『毎日新聞』2016年9月25日西部朝刊)
‐ 【引用】「恵みの海とともにあった人々の質素だが穏やかな暮らしが、いかに奪われたか。成長を最優先し欲望をかきたてる政治、科学への信頼、繁栄に酔い、矛盾に目を向けぬ人々。それらが、何を破壊してしまったのか。|虐げられた人の声を聞き、記録することが、己の役割と考えた。控えめに、でも患者のかたわらで克明な観察を続けた。|運動を支えるなかで、国を信じて頼りたい気持ちと、その国に裏切られた絶望感とが同居する患者らの心情も、逃さずに文字にした。[…]|権力は真相を覆い隠し、民を翻弄(ほんろう)し、都合が悪くなると切り捨てる。そんな構図を、静かな言葉で明らかにした。|現場に身をおくと同時に、石牟礼さんが大切にしたのは歴史的な視点だ。公害の原点ともいうべき足尾鉱毒事件を調べ、問題の根を探った。|こうした射程の長い複眼的なまなざしが、さまざまな立場や意見が交錯し、一筋縄ではいかない水俣病問題の全体像を浮かびあがらせ、人間を直視する豊かな作品世界を作り上げた。」(「[社説]石牟礼さん 「近代」を問い続けて」2018年2月12日『朝日新聞』東京朝刊10面〔オピニオン〕」
‐ cf. ◆大鹿卓(解題:石牟礼道子) 1972 『谷中村事件――ある野人の記録・田中正造伝』新泉社(2009 新版)
◇田中と石牟礼の共通点
‐ 近代の「毒」に侵された空間(大地/山河/海)に執着し、そこに悠久の理想郷を見る/描く。(cf. “苦海”=“浄土”)
‐ 公害闘争
‐ 共同体との距離(内/外)
‐ 差別され・奪われ・打ち捨てられし者たち=「棄民」と共にあること
‐ 他者の受難・受苦を背負う cf.「悶え神」/「悶え加勢」
‐ 英雄化とその裏で隠蔽されていく本質的問題
◇社会調査と谷中村
‐ 1902年:内閣設置の第二次鉱毒調査委員会:貯水池設置の方針→谷中村強制買収→廃村→強制破壊
‐ ◆荒畑寒村 1907 『谷中村滅亡史』(1999 岩波文庫):記録文学の古典
◇調査者としての田中正造
‐ 詳細な現況調査――自らの足と目で
‐ ◆花崎皋平 2015 「共生とアイデンティティの思想」『アジア太平洋研究』40: 75-84
 【引用】「今の時代に学ぶべき民衆思想家として、今日は、一人は田中正造、そして戦後の1960年代に、『苦海浄土』という水俣病についての記録作品から思想文芸活動を出発させた石牟礼道子の二人についてお話をしたいと思います。」(p.77)/「田中正造については今、日本のなかで研究者は少ないのです。研究される方は、衆議院での田中正造の活動、そして直訴に到り、そしてそのあと、谷中村が廃村にして、鉱毒水をためる遊水地にするために、谷中村の人たちを全員追い出すという事件が起こるまでの田中正造を論じています。しかし私はそのあとがとても大事だと思っております。|[…]田中正造は政 府の谷中村をつぶす活動に抵抗した人たちと生き方を共にします。最後に16戸が住まいの強制破壊に抵抗してとどまるのです。大雨のなか、その人たちといっしょにその場に座り込みます。そして、彼は、この谷中村の農民たちを見て「発明した」したといいます。[…]谷中村の人々から学ぶ。それまで彼は、この人たちを何とか教えて闘いに立ち上がらせようという指導者的な立場だったのですが、これ以後は、一番下層で粘り強く闘う人たちの仲間に入るということを心がけました。それ以後、被害民の若者たちを連れて、あるいは一人で、たくさんある渡良瀬川の支流を一筋一筋歩くのです。そして沿岸の人たちに、いつのときはどこまで水が来たか、あの洪水のときはどうだったか、ということを聞いてそれを記録に残してゆく。」(p.77)
◇「谷中学」から「水俣学」へ
‐ 「谷中学」(田中正造)→「水俣学」(2002〜:原田正純
‐ 国家の権威的アカデミズムに対置/対峙する、自前の・現地の・草の根の・支配される(被害を受ける)側からの「学」。
‐ あらゆる角度のアプローチから、公害問題の「根源」(「近代化」・「開発」……)に迫る。
‐ ◆原田正純 2007 『豊かさと棄民たち――水俣学事始め』岩波書店(双書 時代のカルテ)

>TOP

第4回:「高群逸枝と石牟礼道子」[2018/10/23]

◇前回との対比
‐ 田中正造:足・行動
  ×/=
‐ 高群逸枝:読・書:文献史料の蒐集・渉猟・読解・分析・主張
◇石牟礼の目指すモデルとしての高群
‐ 在野の研究者(日本女性史を打ち立てる)
‐ 近代アカデミズム(歴史学)の枠に収まらない射程のダイナミズム
‐ 家父長制×(<)原日本の婚姻・夫婦(・愛情)関係
‐ 近代を超えるために
‐ 時の国家の規範・支配的価値観との相克
‐ 調査・研究=信念=自身の生:不可分
◇石牟礼と高群の共通点
‐ 熊本:「中央」(東京)との距離
‐ 「主婦」として:当事者意識
‐ (村落)共同体への愛憎
‐ イデオロギー闘争や政治決着を超えた領野を見据えている
‐ 厳密な資料蒐集・調査をふまえつつ、客観的(科学的)な記録・分析にとどまらない表現へと向かう。
‐ 愛=精神性/神=超越性――と切り離せない世界
‐ 「巫女」・「魔女」・「天才詩人」
‐ 「詩」的/「物語」性:アカデミズムの外に置かれる
‐ 自然/環境/生業(農民/漁民)――に根差す
◇共通する課題
‐ 国家という枠の桎梏(:あるべき「日本」という原像)
◇石牟礼の目/情
‐ 「母なる」対象=高群への追慕
‐ 邂逅→衝動→追体験→描出
━━━
◆石牟礼道子 20121030 『最後の人――詩人 高群逸枝』藤原書店
◆西川祐子 19820325 『森の家の巫女――高群逸枝』新潮社
◆鹿野政直・堀場清子編 20010116 『高群逸枝語録』岩波書店(岩波現代文庫)
◆栗原康 20180810 「高群逸枝(1894〜1964)――家庭をケトバセ!」栗原康編『狂い咲け、フリーダム――アナキズム・アンソロジー』筑摩書房(ちくま文庫),187-190.

>TOP

第5回:「石牟礼による/なりの近代の超えかた」[2018/10/30]

◇高群逸枝と/の反近代
◇水俣(の自然・環境・人・状況)に引き付けて高群を感じ・論じる石牟礼
‐ 『苦海浄土』の原型は〈森の家〉で執筆
‐ 谷中村−熊本(水俣)−東京:時間と空間を越えてつながれる体系
‐ 高群を規定する石牟礼の言葉=石牟礼自身のありようを規定
◇高群の「母」・「血」・「詩」・「反近代」を継承した石牟礼なりの展開
‐ 最下辺の民に寄り添う「悶え神」として/詩人(たぐいまれな言葉をもつ者)として
‐ アカデミズムの外からアカデミズムを問う
「自然科学と人文科学、社会科学、すべての学問を統合総括するもうひとつ上の学問、たとえば人類学、とでも名づけうる学問が今後生まれねばならぬ。アカデミーの共同研究がそこまで行くであろうか。」(『最後の人――詩人 高群逸枝』p.288)
◇石牟礼のとったアクション
@反近代(性)を表現する:『苦海浄土』
A近代性を抱き込む:学者との協同/調査団結成(高群との相違点)
◇近代科学の側の人々を「巻き込んだ」石牟礼の存在意義/役割
‐ 点(人)と点(人)を結びつけるハブ(HUB)としての石牟礼道子
‐ 問いを突きつけられた(と自覚する)アカデミズムの人間たち
‐ 被害の実態把握にとどまらず近代批判へと射程を広げる
‐ 「水俣病」の先にある「水俣」そのもの/全体へ
◇アカデミズムからの積極的な応答の土壌
‐ 「水俣病」に応答を迫られる近代アカデミズム(医学・自然科学・社会科学・人文科学)
‐ 東大医学部における闘争:近代医学/医療批判
 cf.
東大闘争:おもに医学部周辺
山田真(聞き手:立岩真也) 20071223 「山田真に聞く」(於:立命館大学衣笠キャンパス創思館403・404/主催:生存学創成拠点)
◆立岩真也 20080801 「再掲・引用――最首悟とその時代から貰えるものを貰う」『情況』第3期9-9(2008-08): 59-76
◆小杉亮子 20180515 『東大闘争の語り──社会運動の予示と戦略』新曜社

>TOP

第6回:「水俣と/の社会調査」[2018/11/06]

▼医師による調査
◇細川一[1901-1970]:チッソ水俣工場附属病院院長
‐ 水俣病「公式確認」:1956年5月1日(「水俣地方に類例のない神経患者が発生」)
‐ 1957〜:猫実験→1959/10:「猫400号」発症:原因確認(→チッソ:実験続行禁止)
 cf. 1959/10:厚生省食品衛生調査会水俣食中毒部会答申(熊本大学医学部の研究成果から「有機水銀が原因」)→厚生大臣が部会解散
‐ 石牟礼道子への資料提供
‐ 1970/07:水俣病裁判で証人として臨床尋問:証言→患者側勝訴に寄与
原田正純(1961〜:水俣調査/1972『水俣病』
▼化学者による調査
宇井純(1961〜:水俣調査/1964〜:合化労連機関紙『月刊合化』に連載→1968:『公害の政治学――水俣病を追って』
▼写真家による調査
◇桑原史成(1962〜:水俣取材→1965:写真集『水俣病』)
ユージン・スミス(1971〜74:水俣取材/1975:『MINAMATA』(英語版)/1980:『水俣 MINAMATA』
▼多ジャンルの人間たちが同時期に活動
私が患者宅を訪ねていくと、きまって後ろからそっとついてくる女性がいた。最初は、保健婦さんかと思っていたがそうではなさそうだった。家の入口で控えめに静かに立ち、それでいて彼女の優しい眼つきが印象的であった。後に知るのだが、この女性こそ水俣病の運動に大きな影響を与えた石牟礼道子さんその人であった。もう一人は、患者や家族たちが「学生さんのカメラマン」と呼ぶ青年だった。[…]彼がいまや押しも押されもせぬ報道写真家・桑原史成さんであった。[…]さらにもう一人、役所や大学で「いま東大の若い研究者がきて、資料をあれこれ漁っているが、何をするかわからない▽△から用心するように」と注意を受けたことがある。この若い研究者が故宇井純さんであった。彼は富田八郎[とんだやろう]のペンネームで、水俣病事件のことを合化労連の機関紙に掲載していた。これは、わが国初の貴重な水俣病事件記録である。この三人と私とはその当時はついにお互いに話す機会はなかった。しかし、分野は医学、文学、写真芸術、工学と異なっても、この事件の重大さを肌で感じ取っていたことに変わりはなかった。とにかく自分の眼でしっかりと見、何ができるかを模索していた点で共通していた。後には私にとってかけがえのない人たちとなり、大きな影響を与えてもくれたのである。┃(原田 2007: 68-69)
▼映像作家による調査
土本典昭(1965〜:水俣シリーズ:全17作)
▼民間研究組織による調査
◇1968/01:〈水俣病対策市民会議〉→1968/04:〈水俣病を告発する会〉→1969/09:〈水俣病研究会〉
◇1970/08:水俣病研究会『水俣病に対する企業の責任――チッソの不法行為』(研究報告書)
‐ 第1次訴訟勝訴に寄与
‐ 住民が専門知を得る実践
◇1972/05:水俣病研究会『認定制度への挑戦――水俣病にたいするチッソ・行政・医学の責任』(研究報告書)
‐ 認定制度の不備を明らかに
‐ 患者当事者の文章を掲載
▼地域問題としての調査
◇宮本憲一主宰:〈地域自治体問題研究会〉
‐1977:宮本憲一編『[講座 地域開発と自治体 2]公害都市の再生・水俣』筑摩書房
◇原田正純・藤野糺「現在の水俣病の問題点――とくに、社会医学的側面について」(宮本編 1977: 3-37)
‐ 認定制度の問題点を指摘
‐ 未認定患者が認定されるべき社会的根拠を提示
◇深井純一「水俣病問題の行政責任」(宮本編 1977: 98-188)
‐ 水俣病被害を防止・最小限化できた各種行政の責任を明らかに
▼総合調査
◇不知火海総合学術調査研究(1976〜1983):〈不知火海総合学術調査団〉
‐ 石牟礼道子の呼びかけにより色川大吉が結成
‐ 東京の研究者たちを水俣に呼び寄せる
‐ いまの水俣を「あらゆる学問の網の目にかけておかねばならない」(石牟礼 [1977] 2004: 174-175)という問題意識
━━━
◇「隠れ水俣病」の発見と問題化:現象・実態・要因・背景
◇水俣の全体像:企業と地域社会の歴史・風土/差別
◇その内外にあり調査を補強するもの:患者当事者たち自身の発信:川本輝夫・杉本栄子・緒方正人

森下直紀 20120310 「社会調査者はなにを見たか――水俣病被害の構造的理解を求めて」,天田城介・村上潔・山本崇記編『差異の繋争点――現代の差別を読み解く』,ハーベスト社,218-240[第9章]

>TOP

第7回:「不知火海総合学術調査研究(1)」[2018/11/13]

◇石牟礼道子の目的(思惑)
×
◇色川大吉らの反応(応答)
━━━
◆石牟礼道子 197707 「島へ――不知火海総合学術調査団への便り」『潮』218(1977-07): 168-179→20040810『妣たちの国――石牟礼道子詩歌文集』講談社(講談社文芸文庫),168-189
◇学術調査なるものを被調査者(現地の患者当事者たち)の目にさらす:検証にかける
◇固有の不知火海の姿→普遍化(時間的/空間的):システム(=精神文化の基層)の可視化
◇近代という(産業・経済による)「自滅」・「頽廃」の過程を自らの姿としてドキュメントする
◇もの言わぬ存在(人間以外の生物や自然環境)を無視してきた(結果、水俣病のような公害を引き起こした/止められなかった)学問への警鐘
◇外在性の導入:石牟礼を含む「中/内側」にしかいられない存在に視角を提供する
◇石牟礼自身の「蘇生」/「狂気」に連動した/させられたプロジェクト
◇学者たちを水俣の自然/時間の秩序の内側に組み込む
◇(近代文明に侵略されていく神話的世界という意味で)「止められた」ミクロの時間を遡行・深化
◇やってくる学者=神の使者:学者は仮の姿
◇学者の招来:不知火海に生きた無数の小さな「命」たちと引き替えに
◇「調査団」という(学者にとっては当然の)枠組みは初めから相対化されている
◇そもそも「学問」を近代科学(アカデミズム)として捉えていない

>TOP

第8回:「不知火海総合学術調査研究(2)」[2018/11/20]

◆米本浩二 20151213 「不知火のほとりで:石牟礼道子の世界/37 歓待」『毎日新聞』西部朝刊25頁(文化面)
「 不知火海総合学術調査団は鶴見さんら近代化論再検討研究会のメンバーを軸に76年発足。役所などの後ろ盾がある公的組織ではなく、手弁当のボランティア集団である。76〜80年を第1期、81〜85年を第2期とし、合計10年間活動した。第1期のメンバーは団長の色川さんや鶴見さんら12人。成果は『水俣の啓示』(上下)にまとめている。
 調査団は石牟礼さんの懇請に応えてできた。東京のチッソ本社前での約2年間の座り込みを終えた石牟礼さんに、闘争の第2ステージとして「学術調査が必要」との思いが芽生えた。75年11月には熊本県議の「ニセ患者発言」に抗議した水俣病患者らが逮捕される事件が起きた。加害企業と権力が結託した闇の深さにたじろぐわけにはいかない。道子は旧知の色川さんをチッソのヘドロ埋め立て地に連れて行く。なぜ調査団なのか。石牟礼さんの文章を引く。」
「 調査団は石牟礼家での出迎えなど地元の歓待に感激した一方、当惑もした。色川さんと鶴見さんは9日ぶりの帰京後、「道子さんらの期待が大きすぎて気が重い」「こうなっては後戻りできない」などと話し合っている。
 石牟礼さんと鶴見さんは出迎えの日が初対面だった。26年後の02年に対談をし、「魂入(たましい)れ」の日を懐かしむ。「都会にいるとアニマ(魂)が飛んでいっちゃって、魂の脱け殻みたいだから、魂を一人一人ていねいに入れてやろうという儀式が石牟礼道子さん宅で行われた。手料理を一晩中いただいているうちに、道子さんが一人一人に魂を入れてくださった」(鶴見)。「魂を入れるなんて、そんなものものしいものじゃないんですよ。魂入れと、一種の枕詞(まくらことば)みたいにいうんですよ。しかしやっぱり気持ちはお互いに魂を入れなおしてやろうやという、ちょっとあらたまったような気持ちで申し上げるんですよ」(石牟礼)。調査団は毎年春と夏にそれぞれ10日間の合宿をした。石牟礼家での「魂入れ」は毎回欠かさず行われ、「一度も手を抜くことなく、そのもてなしを続けられた」(色川さん)。」
◆色川大吉編 19830310 『水俣の啓示――不知火海総合調査報告(上)』筑摩書房,426p.
◇「魂入れ」に象徴される、既存の(アカデミックな)調査研究の概念/枠組みを超えた招来環境の設定。→戸惑いをもたらす/覚悟を迫る→調査団のこの調査に対する認識が再確認される
◇人々の「魂の魅力」→団員の「心」を浸す→「学問の根底を洗い直」す
◇「学際的なグループ」としての実態/意義
◇石牟礼の目論見に(結果的には)即して動いていく調査団――「専門とは/学問とは」を根本から問い直す内部の激論
◇大仰な理念を圧倒する、患者たちを取り巻く現実。――に打ちのめされる経験
◇「不知火の風土の情念、この「くに」の文化の根の部分、民の心の奥を、内側からとらえてほしい」(石牟礼の期待)を退けつつ向き合う→「既成の学問の枠をこえて、まっすぐに民の心の深みに入ってゆく実験者を、私たちの中から呼び起こす」:自身を変革していく(変身の)主体性の発露
◇調査団員全員が「不知火海の風土像」を確認→各人がイメージをつかむ→それに基づいて各調査研究を進める/調査団「共通の基盤」に

>TOP

第9回:「不知火海総合学術調査研究(3)」[2018/11/27]

◆色川大吉編 19830729 『水俣の啓示――不知火海総合調査報告(下)』筑摩書房,503p.
▼羽賀しげ子「調査団日誌」(pp.429-468) ◇多層的なコンフリクト
 @調査団内で
 A調査団×患者・支援者
 B調査団×石牟礼
 (C患者・支援者内で)
◇石牟礼の両義的な役割:コンフリクトを顕在化させる(引き出す)と同時にそれを前提として人々をつなぎ合わせる
◇意義:コンフリクトそのものの自覚を通して各ファクターの認識が変容・転化していく
━━━
◇水俣における「魂」について/患者さんたちの「表現」(+「責任」)について――石牟礼(ら)の言葉から確認できること
◆石牟礼道子 20130420 『蘇生した魂をのせて』河出書房新社,222p.
‐ 「現代や未来に対するある発せられない言葉をもった精霊たちが出現しておられる」
‐ 近代(「近代人」/「近代の合理主義」)では把握・理解できない――が、水俣には確実にある、水俣の人々には確実に見え・聞こえるもの。
‐ 「この世には読み解けないことがあるんだということを」「いくらかは形にしたい」
‐ 「いまひとつ環境問題には魂が入られんなあと」
‐ 「患者さんの気持ちになって、魂をどうやって入れ直そうか」考える
‐ 「魂の世界」を「何とか取り戻したい」
‐ 「魂の救済」
‐ 「近代を超えた叡智」

>TOP

第10回:「不知火海総合学術調査研究(4)」[2018/12/04]

◇宗像巌と鶴見和子
‐ 石牟礼の求めるものを真正面から追求した二人
@宗像:「共同主観」
‐ 「水俣漁民の生活世界の基底にある暗黙の世界観(住民の潜在的な共同主観)」
‐ 「心の世界」/「精神の鼓動」
‐ 「孤独な個別傾聴式の聞きとり」/「執拗に足をはこぶ」
A鶴見:「内発的発展」
‐ 個別の聞きとり調査
‐ 患者の個人史
‐ 「基層民の下からの変革の力や共同体再生の萌しを解明」
‐ 「近代的個我とは違う」「海や土や共同体からはぐくまれた」「個」:石牟礼のいう「魂」に相当
━━━
◆小松原織香 201803 「「公害問題」から「環境問題」へ――水俣地域における「不知火海総合学術調査団」の活動を手掛かりに」『現代生命哲学研究』7: 74-106
◇調査のありかたについて
‐ 宗像:「自然にほぐれるようにお話を伺ったのが一番内容も深いものだったと思います。こんな悲しい体験をした人々に社会学の調査項目による質問なんて、非常識だし、失礼だし、絶対に駄目ですよ。」(宗像 1999: 37)
‐ 鶴見:「自分が何か偉い人で学問してきて人を裁くとか調べるとか、そういうものではないということがだんだんわかってきたんですよ。」(鶴見 1998: 31)
‐ 鶴見:「お話をうかがうことを通して、私が何を学んだかというと、つまり、自分の学問によって人を分析する、社会を分析するというのが社会学なのですけれども、それがここではできない、ということがわかったのです。」(鶴見 1998: 32)
*宗像巌(宗像論集編集委員会編) 1999 『美と象徴と魂の風景』宗像巌論集編集委員会
*鶴見和子 19980305 「水俣民衆の世界と内発的発展」『[コレクション 鶴見和子曼荼羅Y]魂[こころ]の巻――水俣・アニミズム・エコロジー』藤原書店,28-79.
◇一時的に研究者としての立場を捨てる(棚上げする)/→最終的には「科学できちんと捉」える(鶴見)
◇自然・環境――との絆/への信念
‐ 宗像:「〔水俣漁民の〕意識の底に長年にわたって沈潜してきた「世界と自分」、「自然と私」、あるいは「海とわれわれ」との魂のかかわりには、かなり、根深い絆ができている。」(宗像 1999: 38)
‐ 鶴見:「患者さんたちから学んだことは、自分が肉体的にも、心も魂も傷ついた訳ですが、それを癒やしていく、それをどうやったらできるかといえば、自然とのつきあいを回復していくことを通してしか癒やしていくことはできないということ。」(鶴見 1998: 31)
‐ 色川:「最近になって私が分りかけたことは、あの人たちは、先祖代々不知火の海に抱かれてくらして、そこに人の言葉ではない、春を伝える風や夏を告げる潮の音を聞きながら、大きな生命に溶けこみ、包まれ、祖霊に見守られて生きてきたという強い信念を持っているのだということです。」(色川 1982: 203)
*色川大吉 1982 「不知火海総合調査五年を経て――環境破壊と人間再生のドラマ」『同時代への挑戦』筑摩書房,179-230.
◇「自然の中で生き、人以外の生命に溶け込んで暮らしている当事者の非言語的な「環境思想」」(小松原 2018: 84)
→宗像・鶴見が深く追究
▼宗像:
・水俣の漁民にとって不知火海は生命が無限に再生を繰り返す象徴世界を具現化したもの
・漁民は「「自然の語りかけ」を聞きながら生活し、いつのまにかこの世界特有の宗教的感性を心に抱くようになってきている」
・水俣の漁民は「人と自然との関係」の中で生きる経験をもとに独自の「生命の連続観」を基底に置く世界観を魂の次元で作り上げる
・水俣の漁民は水俣病を経験してもその独自の世界観を失わなかった
・水俣病によって目に見える形では共同体の「人と人との関係」がずたずたに引き裂かれても、「人と自然との関係」から培われた「生命の連続性」への信頼は失われなかった。
・それゆえ魂の次元で「人と人との関係」は保たれ、再び人間関係の修復へと向かうことができる。
・こうした「人と自然との関係」を世界観の基底にもつ水俣地域の人々が今後の地域再生を担っていく
▼鶴見:
・「水俣病患者は各人が自然と向き合う中で回復の方法を模索して行かざるを得なかった」→「この過程において、水俣病患者は強烈な個性を持った個人としての主体を確立する」
・「自らの身体を、自分たちの住む地域の自然の一部と見なし、内なる自然と外なる自然との対話と共生をとおして、自立した判断と行動の主体を形成するという姿勢」
・自然との対話と共生の中から新たな地域再生を担う主体が形成されている
・その主体は「自由で自律的な個人」としての近代的自我とは異なる
・水俣地域で形成された主体は「自らの身体」や「身近な動植物」、さらに「見過ごされてきた小さな生きものたち」との関係、すなわち「人と自然との関係」の中で見出される主体。
・水俣病を経験したからこそ、再び自然と向き合う中で、水俣地域の人々は新たな主体を確立していった。
・この主体こそが近代産業によって破壊された水俣地域を修復する力をもつ
▼小松原:
・「宗像と鶴見に共通するのは、水俣地域の人々の新たな主体を提起したことである。その主体は、水俣病が徹底的に破壊した人間の身体や共同体を再生させる力を、「人と自然との関係」の中から得ている。共同体の再生が経済的・政治的に不可能である場合にも、こうした主体は自然と向き合う中で絶望せずに希望を見出していくことができるのである。この水俣地域の内部で生まれてきた主体の持つ環境思想が、外部からやってきた調査団の研究を通して、可視化されたと言えるだろう。ここで、水俣地域を訪問した調査団の外部者としての存在意義が明らかになるのである。|それと同時に、調査団と水俣地域の人々の断絶が埋まることはなかった。どんなに深く水俣地域の人々の魂の世界を見聞きし、学ぶ姿勢に徹したとしても、団員は外部の他者であることに変わりはない。」(p.90)
・「水俣地域で生き、身体に痛苦を引き受けた人々の魂の世界へは決して到達できないという、本質的な断絶である。団員は聞き取り調査を通して水俣地域の人々との深い関係を築きながらも、その奥底にある断絶が埋まらないことも明確に自覚していた。外部者と内部者は決して一体化できないのである。|他方、外部者は内部者と一体化できないからこそ存在意義があるとも考えられる。[…]水俣地域の人々にとって「人と自然との関係」を中心とした環境思想は前提であって、不可視化されているのである。その上で石牟礼は、調査団が水俣を訪れることは「私たちにとってひとつのよみがえりの転機になるともいえます」と述べている。このように石牟礼は、調査団は外部者として内部者と断絶しているからこそ、内部者の思想を抽出していくことができると考えているのである。」(p.91)
━━━
◇現地の「人と自然との関係」を追究することで環境思想を可視化しえたこと
◇「外部」の研究者が状況の記録を超えて人々の「魂」や地域の「再生」のありかたにまでコミットしていったこと
◇「公害問題」を「環境問題」に移行・拡張させたこと
――に可能性を見出す
×
(▼村上からの批判点)
◇「公害問題」→「環境問題」:脱政治化/脱固有(土着)化/「魂」の(学問)対象化――ジレンマの不在
◇近代アカデミズム(社会学)の枠組みの便宜的着脱――二重基準
◇現地の共同体「内部」の複雑な交錯性は現存――楽観的理念主義への批判の必要性

>TOP

第11回:「不知火海総合学術調査研究(5)」[2018/12/11]

鶴見和子×石牟礼道子
◆石牟礼道子・鶴見和子 20020430 『言葉果つるところ――〈鶴見和子・対話まんだら〉石牟礼道子の巻』藤原書店,314p.
◇「魂」を内在化させた「学問」
◇「客観性」の定義を塗り替える
◇「言葉のつくりかえ」/「自分の言葉をつくりだしていく」――「作品」になる
◇「非人格的な知性」と「情念の世界」に橋を架ける
◇「地球的規模」で「環境問題」を考えるという設定の危うさ――「水俣」がなくなってしまう:普遍化の陥穽
‐ 「環境問題」:「手軽な口当りのよい言葉」/「脱け殻」/「空洞化」――「魂」が抜ける:(水俣病を引き起こした)根本要因を見落とす
◇自然の「生命の響き」を聴く人たちの「心を聴く」
━━━
◆鶴見和子 19980305 「水俣民衆の世界と内発的発展」『[コレクション 鶴見和子曼荼羅Y]魂[こころ]の巻――水俣・アニミズム・エコロジー』藤原書店,28-79.
◇「感性」を内包させた学問――自然との共生へ
◇「自然」と「人間」を切り分けない
◇「回復」・「癒し」の可能性へのアプローチ――学問の枠を超えて

>TOP

第12回:「不知火海総合学術調査研究(6)」[2018/12/18]

◇鶴見和子:「どんでんがえし」の必要性(「[座談会]水俣調査の課題をめぐって」*p.501)
 *色川大吉(司会)・内山秀夫・桜井徳太郎・土本典昭・鶴見和子・日高六郎・宗像巌・綿貫礼子 19830729 「[座談会]水俣調査の課題をめぐって」色川大吉編『水俣の啓示――不知火海総合調査報告(下)』筑摩書房,469-503.
‐ 石牟礼論文・角田〔豊子〕論文を理想型とする
‐ 近代アカデミズムの方法で分析:「出口なし」に帰結
‐ 「出口のある学問の方法をわたしたちが水俣調査の中から出していく」
‐ 学問に携わる者としての落とし前:近代の袋小路を突破する――像を描く
‐ 色川からの反論

>TOP

第13回:「不知火海総合学術調査研究(7)」[2018/12/25]

【導入】
◆古井由吉(聞き手・構成:すんみ) 20181206 「[インタビュー]読むことと書くことの共振[ともぶ]れ」『すばる』41-1(2019-01): 24-35
━━━
◆《耳をすませば》「闘い続けた“表現者”〜石牟礼道子(作家)・金子兜太(俳人)〜」
 2018年12月30日午前6時25分〜6時54分
 NHK総合
[語る:人生の贈りもの]渡辺京二(『朝日新聞』2018/12/11〜)
‐ 1 石牟礼道子の「未発表作」を編む(2018/12/11)
‐ 8 石牟礼さんの原稿、傑作と確信(2018/12/20)
‐ 9 水俣病、近代社会に疑問投じた(2018/12/21)
‐ 10 闘争に黒いのぼりや白装束(2018/12/24)
‐ 11:「もうひとつのこの世」が見えた(2018/12/25)
◇市井−最首論争
‐ 市井三郎×最首悟
‐ 市井三郎「哲学的省察・公害と文明の逆説――水俣の経験に照らして」(『水俣の啓示――不知火海総合調査報告(上)』pp.389-412)
‐ 最首悟「市井論文への反論」(同pp.413-426)
◇近代工業社会の(なかの)問題なのか[改良主義]×近代工業社会(そのもの)が問題なのか[全面批判]
◇@「人間淘汰」/A「必要悪」(:「不条理な苦痛」の表象として)
‐ 優性思想か価値中立か
‐ 個々の人々の苦しみを不可視化
‐ 調査者・研究者の立ち位置
‐ 思想と当事者性の関係のありかた
‐ 人間中心主義の限界
◇似田貝−中野論争(1974-75)
‐ 似田貝香門[にたがい・かもん]×中野卓[なかの・たかし]
‐ 調査者−被調査者の関係の変革
‐ 「共同行為」――の(不)可能性
◇調査団:近代性(近代アカデミズムの矛盾)を内包した研究集団としての限界を露呈――逆説的な成果
‐ 市井個人の問題ではなく学者/学問(総体)の「力量不足」(鶴見)の象徴として見る
‐ 被害者運動/カタストロフィーへの向き合いかた
‐ 当事者研究的な形態を捉え直す視座
━━━
━━━
森下直紀 20101120 「水俣病史における「不知火海総合学術調査団」の位置――人文・社会科学研究の「共同行為」について」,山本崇記・高橋慎一編『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』(生存学研究センター報告14),立命館大学生存学研究センター,319-348[第2部第2章]
山本崇記 20101120 「社会調査の方法と実践――「研究者」であることの範域をめぐって」,山本崇記・高橋慎一編『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』(生存学研究センター報告14),立命館大学生存学研究センター,294-318[第2部第1章]

>TOP

第14回:「原田正純/水俣学」[2019/01/08]

【導入】
◆藤本和子 19821030 『塩を食う女たち――聞書・北米の黒人女性』晶文社,227p.☆→20181214 岩波書店(岩波現代文庫:文芸303),288p.
 ☆:【帯文】「滅亡の妖兆漂うアメリカで語り始める黒人女性たち。藤本和子という純度の高い知性に連れられて、神のごとき生身で誌される現代の雅歌の意味を、私どもはここに読む。――石牟礼道子氏評」
原田正純
━━━
◇石牟礼道子との間接的な共闘/紐帯
‐ 各々の持ち場(文学/学術/芸術……)
◇「中立」はありえるか/あるべき「中立」とはいかなるかたちか
‐ 被害者/少数者「の側に立つ」必然性――批判への批判
◇見えない(見えなくされた)被害を視る
‐ 「診断」の目にかからない社会的要因
‐ 「生きた人間」を捉える
◇アカデミズムに何ができるか/アカデミズムは何をするべきか
‐ 近代科学の(なかで対応を模索するという)矛盾
‐ 医学(医療)/社会科学の前提の根本的組み換え
◇「水俣学」の立ち上げと確立
‐ 地域での協同研究・教育・普及活動――内在的・還元的・拡張的
‐ 当事者重視/風土・環境・生業への意識/総合的に人間(を取り巻く世界)を捉えるための学/知
━━━
◆原田正純 19721122 『水俣病』岩波書店(岩波新書青版841),244p.
◆原田正純 19850220 『水俣病は終っていない』岩波書店(岩波新書黄版293),227p.
◆原田正純 20091030 『宝子たち――胎児性水俣病に学んだ50年』弦書房,198p.
━━━
◆原田正純(インタビュー&編集:永野三智) 20120612 「原田正純さんインタビュー「水俣病患者とは誰か」」一般財団法人水俣病センター相思社
◆三枝三七子 20130817 『よかたい先生――水俣から世界を見続けた医師 原田正純』学研教育出版,135p.
━━━
◆原田正純・花田昌宣 200403 「「水俣学」の誕生」『機』2004年3月号(藤原書店)
◆原田正純・花田昌宣 20040330 『水俣学研究序説』藤原書店,371p.
◆原田正純 20070406 『豊かさと棄民たち――水俣学事始め』岩波書店(双書 時代のカルテ),126p.
◆花田昌宣 20170501 「インクルーシブな避難所と水俣学の経験――地域に根差した学と社会運動」『現代思想』45-8(2017-05): 96-104〔特集=障害者――思想と実践〕

>TOP

第15回:「永野三智」[2019/01/15]

【導入】
◆《ETV特集:ふたりの道行き》「志村ふくみと石牟礼道子の“沖宮”」
 2019年1月19日(土)午後11時00分〜午前0時00分
 NHK−Eテレ
 http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2019-01-19/31/11130/2259646/
 “水俣を描き続けてきた作家・石牟礼道子さんと、長年の友人で人間国宝の染織家・志村ふくみさん。二人が最晩年をかけ挑んだ「能」にこめられた思いに迫る。”
第44回カライモ学校「カライモブックスで水俣と石牟礼道子さんのことを話す」
日時:2019年2月24日(日)14:00〜16:00(13:30開場)
場所:カライモブックス(京都市上京区社横町301)
話し手:奥田直美・奥田順平(カライモブックス
聞き手:実川悠太(水俣フォーラム
定員:20名
入場料:1000円
☆ご予約ください
karaimobooks@gmail.com / 075-203-1845(カライモブックス)
◆藤本和子 19821030 『塩を食う女たち――聞書・北米の黒人女性』晶文社,227p.→20181214 岩波書店(岩波現代文庫:文芸303),288p.
◇水俣病を「聞く」ということ
◆栗原彬編 20000218 『証言 水俣病』岩波書店(岩波新書新赤版658),216p.
◇水俣の歴史・環境・風土――を破壊したシステム
◇闘いの過程と個々の生活世界
◇「私」の潜在的加害者性――をどう認識するか
━━━
◆永野三智 20180912 『みな、やっとの思いで坂をのぼる――水俣病患者相談のいま』ころから,252p.
◇相談者・支援者(not 調査者・研究者)
◇闘争・支援の場/オルタナティブな場
◇患者:引き裂かれた立場/複層的な・交錯した背景――それを引き出せる/読み取れる立ち位置
◇「寝た子を起こし続ける」:役割/使命
◇石牟礼的なスタンス――継承と差異
◇「遅れてきた」世代――のアドバンテージ
◇「聞き手」が(語り手に)「(責任を)問う」ということ:その強度をもった活動の条件/ありかたとは――調査者・研究者はどう引き受けるのか
━━━
◆永野三智 201608 「水俣病患者ではない者が語り継ぐことの可能性を信じて」『まなぶ』714: 27-29〔特集=平和をつむぐ力〕
◆永野三智 201704 「[明日をかえる法人――新たな人権への取り組み:第20回]水俣病を通して社会に問いかける――水俣病センター相思社の取り組み」『ヒューマンライツ』349(2017-04): 42-47
◆永野三智 20171201 「水俣病事件の経緯・現状・課題と水俣病センター相思社」『同時代史研究』10: 92-98〔同時代史の現場――水俣病事件をめぐる同時代史〕
◆永野三智 20180530 「悶え加勢する」『[文藝別冊]石牟礼道子――さよなら、不知火海の言魂』河出書房新社(KAWADE夢ムック),pp.35-39
◆永野三智 201809 「[自著を語る]水俣病――何をもって終わりとするのか 「悶え加勢する」相思社でありたい(永野三智『みな、やっとの思いで坂をのぼる』)」『総合文化誌 KUMAMOTO』24: 168-174
◆旗野秀人×永野三智 20181207 「[連載:「佐藤真の不在」との対話 第3回]水俣病発生から【遅く来た若者】だからできること(後編)」里山社
◆旗野秀人×永野三智 20181214 「[連載:「佐藤真の不在」との対話 第4回]水俣病発生から【遅く来た若者】だからできること(後編)」里山社
………
◆井川加菜美 20160502 「水俣病60年/下 「相思社」で患者の相談役 永野三智さん」『毎日新聞』西部朝刊
今も終わらない水俣病被害語る 京都で出身者講演
 2018/01/27_23:50 『京都新聞』
水俣病“閉ざした思い”一冊に 相思社の永野さん、40人から聞き取り
 2018/09/11付 『西日本新聞』朝刊
◆荻上チキ Session-22 20181102 「【音声配信】特集「水俣病公害認定から50年。相談窓口となってきた相思社の永野三智さんに聞く、被害者たちのいま」永野三智×荻上チキ 2018年11月1日(木)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時〜)」TBSラジオ
◆石原真樹 20181109 「永野三智 水俣病センター相思社職員――タブーの扉開き 水俣の苦悩聞く」『中日新聞』**面《あの人に迫る》→20181110 『東京新聞』21面《あの人に迫る》
◆久米宏 ラジオなんですけど 20181215 「あなたは魚(いを)の骨になりなさい 水俣病センター相思社・永野三智さん」TBSラジオ
[ひと]永野三智さん 水俣病と認められていない人たちの言葉を本にした
 2018年12月22日『朝日新聞』東京朝刊2面(総合)
━━━
cf. ◇一般財団法人水俣病センター 相思社
・「水俣病センターキノコ工場相思社につとめる患者、坂本登さんと緒方正人さん、そして膨大な患者たちを世話している若者二人が、熊本県警に逮捕された事件の中に呼びもどされた時、わたしはしきりに遺言状の草稿と、死んだ直後に自分が見ている葬式について思いめぐらしていました。」(石牟礼 [1977] 2004: 168)
・「水俣病認定申請協議会は、このあたりの「水俣病センター相思社」に本拠を構えていて、熊本県当局および、熊本地方検察庁や熊本県警、そしてこれをあやつるものたちにとって、厄介な集団に育ちつつありました。」(石牟礼 [1977] 2004: 169)


>TOP

■参考

対象候補とした(が取り上げられなかった)もの

■第**回:「最首悟」[2018/**/**]
最首悟
◆最首悟 20130222 「「いのち」から医学・医療を考える」高草木光一編『思想としての「医学概論」――いま「いのち」とどう向き合うか』岩波書店,235-315
+「シンポジウム 「医学概論」の射程――一九六〇年代から三・一一後へ」高草木光一編『思想としての「医学概論」――いま「いのち」とどう向き合うか』岩波書店
◆最首悟・丹波博紀編 20071215 『水俣五〇年――ひろがる「水俣」の思い』作品社
◆立岩真也 20080801 「再掲・引用――最首悟とその時代から貰えるものを貰う」『情況』第3期9-9(2008-08): 59-76
cf. ◆立岩真也 20030725 「最首悟の本」(医療と社会ブックガイド・29)『看護教育』44-07(2003-07)
━━━
■第**回:「宇井純」[2018/**/**]
宇井純
◆宇井純 19680720 『公害の政治学――水俣病を追って』三省堂(三省堂新書30),216p.
◆宇井純編 19910215 『谷中村から水俣・三里塚へ――エコロジーの源流』(思想の海へ[解放と変革]24)社会評論社,328p.
━━━
■第**回:「栗原彬」[2018/**/**]
栗原彬
◆栗原彬編 20000218 『証言 水俣病』岩波書店(岩波新書新赤版658),216p.
◆栗原彬(聞き手:立岩真也・天田城介) 20080307 「歴史のなかにおける問い――栗原彬先生に聞く」立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点『時空から/へ――水俣/アフリカ…を語る栗原彬・稲場雅紀』(生存学研究センター報告2)立命館大学生存学研究センター,pp.13-49
━━━
◆石牟礼道子編 19730710 『不知火海――水俣・終りなきたたかい』創樹社,316p.
━━━
▼「反近代」と「女のからだ」――1970年前後
荻野美穂 20140320 『女のからだ――フェミニズム以後』岩波書店(岩波新書新赤版1476),248p.
米津〔知子〕がのちに大橋由香子との対談(『現代思想』一九九八年二月号)で述べているように、リブの「母性」重視には次のような側面もあった。|「当時は公害や薬害が噴出していた時代で、科学技術への根底的な批判も出てきて〈反近代〉が一つの理念になっていた。その〈反近代〉の拠り所として、月経のある女のからだ、子宮や産むからだを肯定するためには、ある意味で母性的な感覚を大事にしていた」。」(p.121)
━━━
◆関礼子ゼミナール編 20161220 『阿賀の記憶、阿賀からの語り――語り部たちの新潟水俣病』,新泉社,248p. ISBN-10: 4787716107 ISBN-13: 9784787716101 2000+ [amazon][kinokuniya]
◆姉歯暁 20180830 『農家女性の戦後史――日本農業新聞「女の階段」の五十年』こぶし書房,280p.


>TOP

関連する情報

石牟礼道子
━━━
◇立命館大学産業社会学部2017年度後期科目「質的調査論(SB)」(担当:村上潔)
‐ 第15回:「古典(3)石牟礼道子」[2018/01/19]
◇立命館大学産業社会学部2018年度前期科目「質的調査論(SA)」(担当:村上潔)
‐ 第7回:「記録と記憶――近いがゆえに捨て置かれる「歴史」」[2018/05/23]
‐ 第8回:「「感情」を記録する――価値づけられない言葉を集め・残すこと」[2018/05/30]
‐ 第9回:「言葉にできないこと/言葉をもたない人・もの――を言葉にする」[2018/06/06]
‐ 第15回:「語りを聞くこと、記録すること(5)――詩的叙述と「現場」実践の両立」[2018/07/21]
━━━
水俣病
水俣病 2018
水俣病 2019
━━━
◆五味洋治 20170120 「林えいだい 記録作家」『中日新聞』《あの人に迫る》
 “炭鉱で知られた福岡県・筑豊を拠点に活動する記録作家の林えいだいさん(83)が、昨年秋五十七冊目となる本を出版した。これまでも公害や炭鉱労働の実態、特攻隊員、朝鮮人強制労働など、歴史に巻き込まれ、犠牲となった人びとの証言や写真を丹念に集め、本にまとめてきた。林さんを歴史の記録に駆り立てる原点は、どこにあるのだろう。福岡の自宅を訪ねた。”
━━━
◆前山光則 20180929 「水俣病の人と悶え、加勢する――『みな、やっとの思いで坂をのぼる』永野三智著」『西日本新聞』朝刊書評面《読書館》
◆野矢茂樹 20181006 「(書評)『みな、やっとの思いで坂をのぼる 水俣病患者相談のいま』 永野三智〈著〉」『朝日新聞』東京版朝刊30面(読書2)
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13711598.html
◆『みな、やっとの思いで坂をのぼる』刊行記念トークイベント:
 「私たちの日常は近く、あるいは遠く水俣病と接している」
日時:2018年10月20日(土)14:00〜16:30(13:45開場)
話し手:永野三智(水俣病センター相思社職員)
聞き手:崎山敏也(TBSラジオ記者)
入場料:1500円(税込/ワンドリンク付き)
会場:エディトリ神保町(東京都千代田区神田神保町2-12-3 安富ビル2F)
━━━
◆熊本学園大学水俣学研究センター:第15期公開講座「負の歴史をどう語り継ぐのか――次世代による負の遺産の伝承とは」
期間:2018年10月2日から10月30日までの毎週火曜
時間:18:30〜20:30
会場:水俣市公民館第1研修室
後援:水俣市教育委員会
小説家・保坂和志 トークライブ in 京都
日時:2018年10月21日(日)14:00〜16:00(開場13:00)
於:徳正寺[京都市下京区]
参加費:1500円(定員70名・要予約)
cf. 立命館大学産業社会学部2017年度後期科目《質的調査論(SB)》(担当:村上潔):第8回「[時評/応答]『現代思想』11月号・エスノグラフィ特集と『すばる』12月号・保坂和志作品」[2017/11/14]
◆人文研アカデミー連携企画「石牟礼道子さんの世界にふれよう」
講師/コーディネーター:藤原辰史(京都大学准教授)
2018年10月19日(金)・20日(土)
於:熊本市立図書館集会室ほか
◆ETV特集「写真は小さな声である〜ユージン・スミスの水俣〜」
2018年11月10日(土)午後11時00分〜午前0時00分
NHK Eテレ1
“写真集「水俣」で知られるユージン・スミス。今年生誕100年を迎えた彼のプリントや撮影時の録音が公開された。水俣に住み込み、患者さんの姿を世界に伝えた素顔に迫る。
公害の原点・水俣を世界に伝えたアメリカの写真家ユージン・スミス。その膨大なプリントや取材時の録音テープが公開された。従軍カメラマンとして太平洋戦争の激戦地を撮影した彼は、沖縄で負傷。戦後、近代化の影で切り捨てられようとした弱者に目を向けていく。妻・アイリーンと水俣に住み込み、患者さんに向き合い続けた日々。初公開の資料や患者さんらの証言から、悩みながら水俣を撮り続けたユージン・スミスの素顔に迫る。”
 cf. ◇ユージン・スミス
いま石牟礼道子をよむ
出演:高橋睦郎×三浦しおん×伊藤比呂美
2018年11月10日(土)開演19:00(開場18:30)
於:Denkikan[熊本市中央区]
主催:熊本文学隊
社会運動史を学びほぐす――小杉亮子著『東大闘争の語り――社会運動の予示と戦略』を読む
2018年11月11日(日)14:00〜17:00
於:かぜのね(多目的カフェ)[京都市左京区]
コメンテーター:田村あずみ(滋賀大学)・原口剛(神戸大学)
主催:大野光明・小杉亮子・森啓輔
参加費:無料・カンパ制
第43回カライモ学校:『みな、やっとの思いで坂をのぼる――水俣病患者相談のいま』刊行記念トーク
日時:2018年12月22日(土)15:00〜17:00(14:30開場)
話し手:永野三智さん(水俣病センター相思社)
聞き手:奥田直美・奥田順平(カライモブックス)
場所:カライモブックス(京都市上京区社横町301 http://www.karaimobooks.com/)
定員:30名
入場料:1000円
ご予約ください karaimobooks@gmail.com / 075-203-1845 (カライモブックス)
 cf. 永野三智 201809** 『みな、やっとの思いで坂をのぼる――水俣病患者相談のいま』,ころから,256p.
大阪版『みな、やっとの思いで坂をのぼる』刊行記念トーク
日時:2018年12月23日(日)15:00〜17:00(14:30開場)
話し手:永野三智さん(水俣病センター相思社)
聞き手:牧口誠司さん
参加費:1,500円(1ドリンク付)*前売り・当日とも
会場:天劇キネマトロン朱雀ホール(地下鉄中崎町駅下車4番出口を北へ徒歩3分 セブンイレブンを通り過ぎて次の角を右へ http://amanto.jp/groups/tengeki)
主 催:永野三智トークショー大阪実行委員会
協 賛:サロン・ド・アマント天人
連絡先:maganoyatto@yahoo.co.jp
追悼シンポジウム「石牟礼道子 死者と魂」
開催日時:2018年12月23日(日)13:00〜17:30(受付12:00〜)
会場:上智大学四谷キャンパス10号館講堂
定員:500名
受講料:【一般】2,500円 【東京自由大学会員、上智大学グリーフケア人材養成講座受講生】1,500円 【学生】1,000円
主催:上智大学グリーフケア研究所/NPO法人東京自由大学
◆栗原康(政治学者)+森元斎(哲学者)+中里勇太(文芸評論)「半島のアクチュアリティ――島原、若松、石牟礼道子を巡って」(『半島論――文学とアートによる叛乱の地政学』(響文社)第三回刊行イベント)
日時:2019年1月26日(土)15:00〜17:00(開場14:30)
入場料:1000円
場所:長崎書店3Fリトルスターホール[熊本市]
◆平成30(2018)年度伊丹市立中央公民館市民講座「石牟礼道子の世界にふれる」
日時:2019年2月23日(土)13:30〜
於:伊丹市立中央公民館
講師:実川悠太(水俣フォーラム理事長)
第44回カライモ学校「カライモブックスで水俣と石牟礼道子さんのことを話す」
日時:2019年2月24日(日)14:00〜16:00(13:30開場)
場所:カライモブックス(京都市上京区社横町301)
話し手:奥田直美・奥田順平(カライモブックス
聞き手:実川悠太(水俣フォーラム
定員:20名
入場料:1000円
☆ご予約ください
karaimobooks@gmail.com / 075-203-1845(カライモブックス)


*作成:村上 潔MURAKAMI Kiyoshi
UP: 20181002 REV: 20181003, 06, 07, 09, 10, 11, 15, 16, 17, 20, 23, 24, 29, 31, 1105, 07, 12, 13, 14, 20, 22, 25, 28, 1204, 09, 11, 17, 19, 20, 23, 24, 26, 27, 20190110, 12, 14, 15, 22, 24
事項  ◇石牟礼道子  ◇水俣病  ◇水俣病 2018  ◇水俣病 2019 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)