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『障害をもつ子を産むということ――19人の経験』

野辺 明子・加部 一彦・横尾 京子 編 19990301 中央法規出版,299p.1800



野辺 明子・加部 一彦・横尾 京子 編 19990301 『障害をもつ子を産むということ――19人の経験』,中央法規出版,299p.ISBN:4-8058-1775-5 1800 〔amazon〕 ※ b

■著者紹介

ムカイ ユウコ
向井 裕子
19990301
「体験1「望まれて生きたい」と伝えたい 四肢全欠損など」
野辺・加部・横尾編[1999:10-25]

ムカイ ヒロシ
向井 宏
19990301
「体験2 死を願うほど娘は強くなっていく 四肢全欠損など」
野辺・加部・横尾編[1999:26-28]

スギモト トモコ

杉本 智子
19990301
「体験3 息子の死から学んだ生きるということ ダウン症」
野辺・加部・横尾編[1999:29-46]

イトウ ヨウコ
伊藤 洋子
19990301
「体験4 不妊治療の末に生まれた待望の娘に障害が ダウン症」
野辺・加部・横尾編[1999:47-55]

カタクラ ユウキ
片倉 優希
19990301
「体験5 心の中にある「差別観」を確認していく日々 EEC症候群」
野辺・加部・横尾編[1999:56-68]

カトウ ユミコ
加藤 裕美子
19990301
「体験6「障害」はきれいごとではすまされない 超未熟児」
野辺・加部・横尾編[1999:69-80]

ヤマモト フミコ
山本 文子
19990301
「体験7 長男の死から1年、同じ病の子をもって ファンコニー貧血」
野辺・加部・横尾編[1999:81-97]

ミサキ ユウ
三咲 優
19990301
「体験8 「おめでとう」と言ってほしい 口唇顎烈」
野辺・加部・横尾編[1999:98-113]

ミキ ノブコ
三木 伸子
19990301
「体験9 わが子を天使と呼べるまで 脳性マヒ」
野辺・加部・横尾編[1999:114-124]

タニザキ ミエ
谷崎 美恵
19990301
「体験10 産後1か月の「やっとあえたね」 胎児発達遅延」
野辺・加部・横尾編[1999:125-136]

タニザキ テツヤ
谷崎 徹也
19990301
「体験11 余裕をもって判断を下したかった 胎児発達遅延」
野辺・加部・横尾編[1999:137-139]

スズキ ハナコ
鈴木 華子
19990301
「体験12 失明の危機にも頼りない医師の対応 未熟児網膜症」
野辺・加部・横尾編[1999:140-149]

モリシタ ミヨ
森下 美代

19990301
「体験13 求めているのは人としての温かさ アペルト症候群」
野辺・加部・横尾編[1999:150-157]

モリシタ タツヤ
森下 達也
19990301
「体験14 動揺のなかで言った「後には引けない」アペルト症候群」
野辺・加部・横尾編[1999:158-161]

イシザワ ナナコ
石沢 奈々子
19990301
「体験15 子どもは「人質」。看護婦には強くは言えない 先天性心疾患」
野辺・加部・横尾編[1999:162-170]

モリ ユキエ
森 ゆき江
19990301
「体験16 強いとほめられるより世間話がしたかった 2分脊椎」
野辺・加部・横尾編[1999:171-182]

タナカ ハナコ
田中 花子
19990301
「体験17 奈落の底で身につけた母としての力」鎖肛など」
野辺・加部・横尾編[1999:183-192]

コタニ メグミ
小谷 恵
19990301
「体験18 「この娘は恥ずかしくない」と思えるまで」 脳性マヒ」
野辺・加部・横尾編[1999:193-203]

ハヤシ アキ
林 アキ
19990301
「体験19 障害をひとつずつ受けとめてきた2年間 ターナー症候群」
野辺・加部・横尾編[1999:204-217]

ノベ アキコ
野辺 明子
19990301
「障害をもつ子の親の立場から――さりげないやさしさが親・家族を励まし、力づける」
野辺・加部・横尾編[1999:220-245]

カベ カズヒコ
加部 一彦
19990301
「医師の立場から――医療者が「人を思いやる」ことの難しさ」
野辺・加部・横尾編[1999:246-267]

ヨコオ キョウコ
横尾 京子
19990301
「看護の立場から――親の目を通して見える看護の本質」
野辺・加部・横尾編[1999:268-291]

ヨコオ キョウコ
横尾 京子
19990301
「おわりに」
野辺・加部・横尾編[1999:292-293]


■言及

◆川上武 編, 20020325, 『戦後日本病人史』農村漁村文化協会.
(p206)
生まれついての障害をもって出生した児を前にして観たちは衝撃を受け、混乱する(*47)。できれば出生前にそうした障害がわからなかったかと誰しも思いたくなる。出生前診断を求める親の気持ちはそこにある。しかし、たとえ出生前に診断がついたとしてもどのような対応をするかには、おのおのの倫理観が影響する。その前に、そもそも障害とは何か、正常であるとはどういうことかという問いかけも必要である。毛利子来が山田真、野辺明子らとまとめた『障害をもつ子のいる暮らし』(筑摩書房、1995年)はそうした問いかけから始まる。また、未熟児・新生児.医療の進歩は乳児死亡の減少という成果をあげたものの、障害をもって生きる子どもを増やすことにつながっていることは否定できない。
(p210)
 (*47)野辺明子・加部一彦・横尾京子編『障害をもつ子を産むということ』(中央法規出版、1999年)は、障害をもつ子どもの親たちの手記を集めたもので、医療者に対しても忌揮ない意見がよせられている点で興味深い。


◆土屋葉, 20020615, 『障害者家族を生きる』勁草書房.
(pp155-156)
 母親が感じるショックは,子どもが自分とは異質な存在であるという認識からもたらされる.このショックは,子どもから直接に,というよりは,他の障害をもつ人/子どもとの接触からもたらされるものである.実際には障害をもった子どもが生まれるまで,障害に対して,漠然と否定的なイメージのみを持ち,個別具体的に想像できない母親が多い.そして,子どもが生まれて初めて病院や療育センターを訪れると,〈体が変形して〉いたり,〈チューブを鼻から入れてたり〉する人と出会う.次第に〈うちの子もこんなんなっちゃうの〉と,障害への否定的な意味づけがはっきりと示されることになる.ここにおいて〈かわいそう〉なのは子どもではなく,自分であると意味づけられ,子どもを抱く自分に注がれる周囲の目線を過度に意識するようになる(*3).
(p178)
 (*3)要田が親の「健全者の論理」について言及している(要田[1986]).健全者幻想については横塚[1975→1981]参照.また,障害をもつ人への嫌悪感が率直に語られることもある.ある手記には次のような記述がある.「障害者の人が野菜やクッキーを売ったりしていたのを見た時,とてもイヤな気持ちになった.もしかしたら娘も障害者になったりするのかしら….そう思うと不安で不安で,どうにかして確かめたくなった」.さらに,「ごめんね.かわいそうなことしたね」と思っていたあの時の気持ちは,今は自分がかわいそうという気持ちに変わってる.障害児の母親なんて絶対イヤだ.私は幸せな家庭にめぐまれるはずが,大きく人生狂ってしまった.」(野辺他編[1999:119-123]傍点引用者,以下同じ).健康な子どもへの希求は次のように語られる.「よく障害児を「天使だ」と表現する人がいるけど,私はケッという感じで聞いていた.五体満足,健康な子どもがいいにきまってるじゃない.悪いけど私はそんな神様みたいなことは言えないね,という気持ちでいっぱいだった.」(野辺他編[1999:122])
(p160)
 ここで重要なのは,母親に対しては選択の余地が与えられず,医療者によってこうした方向づけが行われることであろう.むろん直接的に「訓練を施すことに専心しなさい」,「障害児の母親としてふるまいなさい」という要請がなされることは少ない.しかし母親には,訓練のための日常的な通院,通園のつきそいに加えて,いく度かにわたる母子入園,訓練を目的とする長期入院,さらに自宅においても,一定時間をさいて毎日訓練を施すことが課せられる.ここには暗黙の前提として母親が,子どもの訓練にかかりきりになることが措定されているのである(*6).
(p179)
 (*6)また,手記にも脳性マヒの子どもを産んだ母親によって,次のように書かれた部分がある.「(医師には)Aちゃんは今後障害が出ます.でもどの程度とは言えません.(……)今後の関わり方などで軽くもなります.どうかいっぱい抱っこして愛情をかけてあげてください」と言われました」(野辺他編[1999:199]).ここには「愛情」と「世話をすること(訓練を施すこと)」を巧妙に結びつけるレトリックがみられる.障害者家族に対して愛情が強調されるという指摘を裏づけるものである.


◆土屋葉, 20030707, 「〈障害をもつ子どもの父親〉であること――母親が語る/子どもが語る/父親が語る」桜井厚編《ライフストーリーとジェンダー》せりか書房:119-140.
(pp121-122)
 障害をもつ子どもが誕生すると、子どもの障害は、医療従事者によって親に伝えられる。特徴的であるのは、こうした告知がまず父親に対してのみに行なわれることである。そして多くの父親は母親には黙っているように、と諭されるという。(略)
 告知に時間差を設けるという医師のやり方は、広く行なわれているようだ。野辺明子はこうした状況について、母親が受けるショックを配慮した医療側の対応であると一定の評価を下しつつも、「強いお父さん、がんばるお母さん」という幻想にもとづくものであると強く批判し、対応の仕方を検討する必要性を説く(野辺 1999: 226)。医師から父親へ示される「強いお父さん」という役割期待は、父親に関する役割規定のごく初期のものであるといえるだろう。

 ショックと受容
 障害児が産まれたショックは、母親のそれについては多くの指摘がある。父親の経験は、〈産む〉という体験をしないという意味で、母親とは異なるものであろう。しかし、父親がショックを受けないというわけではない。手記ではほとんどの父親が、その瞬間の動揺や衝撃を率直に綴っている。

 いざ生まれてきた赤ちゃんの姿を見るなり動揺してしまい、自分を失ってしまっていた。「なんでなんや?」、「夢を見ているんと違うやろか?」と信じがたい現実を受け入れようとしていなかった。生まれてしばらく夜一人で泣いていた。(野辺・加部・横尾編1999: 26)

 しかし父親は、自らが動揺する姿を他者に見せることはないようだ。ある父親は、誕生時のショックにつづけて次のように書く。

 琴美(註:娘)が障害をもって生まれたことを知ったのは、義母からの電語によってでした。その電話中は、あまりの衝撃に受話器を持つ手が震え、胸がはりさけそうな状態でした。次の日、妻の故郷へ着くまでがとても長くつらい時間に感じられました。妻へどういう態度で接したらよいのか、私が動揺して皆に悪影響を与えてはいけない、どうにかして落ち着こう、そして落ち込んじゃいけないと色々思考しながらの道程でした。(野辺・加部・横尾編 1999: 158)

 これは、一般的に男性に求められる、「感情的にならない」という規範が影響していると考えられる。また、先にみた医師からの母親を支える役割への期待とも、無関係ではないだろう。父親は子どもの誕生当初から、誰にも相談できず孤立を余儀なくされていく可能性が高いのである。
(p123)
 この要因として、子どもが成長していくにつれ、子どもの世話や訓練に関わるすべての責任が、母親のみに課せられていく構造が挙げられる。責任が、母親に偏ったかたちで委ねられていくため、父親と母親の間では経験も、思いも、もちろん子育てに関わる責任感も異なるものになっていくことは容易に想像できるだろう。もちろん一般的に、子育ての責任はもっぱら母親にあるとされることは多い。しかし、障害をもつ人に関しては、とりわけ母と子どもを一体視するような、特有の「母子一体」構造があることが指摘されている。ではなぜ、障害者家族において「母子一体」構造がつくられやすいのだろうか。この背後には、障害をもつ子どもの出産は、母親に原因があり、母親が責任をとるべきだとする考え方(母親責任説)がある(要田 1999: 64)。もちろんこの基礎をなすものとして、〈健常=幸せ〉という健常者思想が見え隠れする。母親は、子どもの障害の理由を自らの身体に帰されることにより、「健常でない子供を産んだ」という罪責感を抱き、その世話役割を当然のものとして引き受けていくのである(*3)(土屋 2002: 166)。
 母親は障害をもつ子どもを産んだ自らの責任について、「私のおなかで育てて、私から生まれてきたのだから、私のせいだと、自分を責めて、何度も子どもにあやまっていました」と語る(野辺・加部・横尾編 1999: 64)。しかし母親が抱くこうした罪責感を、父親が抱くことは少ない。母親の謝罪の言葉を黙って聞いていたり、慰めたりするのが関の山である(*4)(山ロ 1998: 15、水上 1980: 22)。
 母親責任説を基礎として、障害をもつ子どもが生まれた瞬間から、その養育の責任は母親に課せられていく。結果的に父親をその場から除去することを助けるこうした構造は、性別役割規範に基礎づけられたものであるといえる。つまり、「近代家族における女性役割が女性を子供へと釘づけにしたのとは対照的に、男性役割は、父親を子供から遠ざけ、子供に十分関わらないことに正当性を与えてきた」(石川 1995: 49-50)のである。


◆石橋涼子, 20050825, 「子ども・医療・ケア」川本隆史編《ケアの社会倫理学――医療・看護・介護・教育をつなぐ》有斐閣:49-79.
(pp58-59)
 一方、子どもの「生命予後」は必ずしもたやすく予測できるものではないにもかかわらず、死、あるいは重篤な後遺障害につながる可能性のある重症疾患では、親・家族が医療者に対して治療を打ち切るよう要請してくることもある。特に、共に生活した日々の経験がない新生児の場合、こうしたことは必ずしもまれでない。生命に関わらぬような「障害」や「異常」でさえ、治療しないよう求められる場合もある(疾患に対する知識や理解が欠けているという要因もあるが)。前述した、医療における意思決定の主体、という問題が、ここで大きく浮かび上がる。

 ここでもう一つ重要なのは、実際にそこにいる子どもに接し、世話をする経験の中で、このような拒否感は変化していくということである。子どもの死は受け容れがたいものであるがゆえに、目をそむける人もいる。重篤な疾患や障害という事実を受け容れがたい人もいる。しかし、その気もちは必ずしも固定的なものではないのだし、何よりもそこにいる子どもとのかかわりの中で変容していくものである(野辺・加部・横尾編、1999)。このことは、忘れてはならないことである。
(p60)
 実際、医療者はえてして疾患や障害に対して否定的なイメージで(治すべきもの、ないほうがよいものとして)とらえがちであり、語りにもそれがにじみでる。そのことが、子どもの疾患や障害を告知された親たちを深く傷つけたり、子どもの存在に対して否定的な感情を植えつけたりすることが少なくない、という問題も指摘されている(野辺・加部・横尾編、1999、玉井、2002)。医療者自身が、子どもの疾患や障害という事実をどのようにみるか、さらにいうならば、今ここに生きている子ども、という存在をどのようなまなざしでみているのか、そのことが、あらためて問われているのである。


◆好井裕明, 20070410, 《差別原論――〈わたし〉のなかの権力とつきあう》平凡社.
(p205)
野辺明子、加部一彦、横尾京子編『障害をもつ子を産むということ ― 19人の体験』(中央法規出版、一九九九年)。タイトルにあるように障害がある子を持つ母親、父親が体験を語る。さまざまな思いが率直な語りから伝わってくる。


◆旭洋一郎・吉本充賜編著, 20070525, 《社会福祉の新潮流B――障害者福祉論》学文社.
(pp32-33)
 また,障害を告知された,母親の多くは自分のせいではないかという罪悪感までもつ.

 どうして,どうして,私の子が.なぜ,何が原因なの? あの時飲んだお酒かな.つわりのひどい時,ご飯替わりに食べたパイナップルかな.……いやもしかしたらあの時,2回も続けて打った流産防止の注射かな.(野辺明子ほか編『障害をもつ子を産むということ――19人の体験』中央法規,1999年,p.61)

 なぜ他の人ではなく私が選ばれたのか,という受け入れがたい理不尽な運命への怒り,そんなことはあるはずはないという否定の気持ち,自責の念,そして慣れ親しんだ生活が崩壊してしまったという喪失感,これまで友だちだった人たちとは違う世界に一人でまぎれこんだという孤独感をもつ,などと親たちは手記を書いている.
(p34)
 先に手記の一部を紹介した母親は,出生前診断の是非が問われている今日の社会において,妊娠中の母親・両親学級などで,障害について触れることがないこと,触れてはいけないことのように避けていることに疑問を呈す.

 たとえば,母親教室において,「何万分の一という少ない確率とはいえ,一は一.もし,あなたの子に何らかの障害があったとしても,けっして一人で嘆かないで.障害の種類だけで,一冊の本になるほどたくさんあるが,そのほとんどに親の会があり,具体的な情報を得ることができる.そして,医療面では,我々が責任を持ってサポートしていくので,困難なこともあるだろうが,いっしょに育てていこう.だから大丈夫,安心して産んで」というところがあったなら,どんなに心強いことだろう.またいざという時,教室でそんなことを聞いていれば,孤独と絶望の渦巻く海に飛び込むこともなかったのでは,と思う.(野辺明子ほか編『障害をもつ子を産むということ――19人の体験』中央法規,1999年,p.66)

 ここで問われているのは医療や保健の専門機関の専門職の価値観や支援の方法にとどまらない.医療や保健の問題が,専門職の領域として,一般の社会から覆い隠されているということ,障害をもつ子どもをもつ親がみじめに孤立してしまう社会のありよう等,さまざまな問題が問われている.


*追加:植村 要
UP:20040610 REV:0611, 20080514, 1104
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