桑名敦子氏インタビュー
2018/12/02 聞き手:田中恵美子 於:東京
◇桑名 敦子
◇聞き手:田中 恵美子
◇文字起こし:ココペリ121 【12上01】20181202 桑名敦子氏 39分
※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、聞き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss) としております。
※これらのインタビューをもとに以下の本ができました。ありがとうございました。
◆青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 2019/09/10 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
田中:はい。すいません、こないだはたくさんお話聞かせていただいたんですけど、一番、何か肝心なところだったのかもしれないところをちょっと、よくお伺いしてなくて。
桑名:あ、そうですか、はい。
田中:ていうかまあ、最初のほうのところも私はすごく大事だったんですけど。ほかに研究者と色々関わってやっていて、私もここはちょっと気になってたんですが、「何でこんなに福島にたくさん自立生活センターができたのかなあ?」と思った時に、桑名さんが95年に訪ねてきた知事とお会いして、ちょっとお話をしたことに何かきっかけがあるようなんですけど。
桑名:うん、まあ、それはそうでしょうね。たぶん、何か、私も【くわしら】(00:00:50)、あのー、福島県の実際やってる白石さんたちにお聞きすればはっきり分かると思いますけども。あの、バークレーのCILに見学に来られたんですよね、あの、知事が。
田中:うん。
桑名:うん。で、まあそれは、そもそも何で来たかって…、やっぱりまあ、
田中:そうですよね、そこ。
桑名:私ですよね。私、私ですよね。あの、福島県の県人会ていうのが、カリフォルニアの色んなところにありまして、で、まずそれがメインだったと思うんですね。カリフォルニアの、その県人会で、あの福島県人会を訪ねるっていうのが、まあ、あの、その時の県知事の目的だったんじゃないのかなあ、って私思うんですけども。
田中:ああ、じゃ、その時まであんまりこう、来るっていうことで連絡はなかったんですか? 前々から。
桑名:あ、私ですか? 前々からありました。前々からありました。だから、向こうから、もちろんあの、もう何ヶ月も前から、そんな突然ではなく、「訪問したい」という。だからやっぱり公式な訪問になりますよね。知事さんですから、やっぱりこう、本当にタスク…、もう分刻みのたぶん、スケジュールで色々回られてたと思うんですけども。福島県も、あの、福島県じゃない、自立生活センターもその中に入っていて。まあたぶんそれは、私が福島県出身だったからってのがあると思いますね。はいはい。それで、あの、まああの知事さんは、あの当時の知事さんは佐藤知事っていって、あの、国の陰謀で失脚させられてしまったんですけども(笑)。たぶん。
田中:国の陰謀なんですか?
桑名:うん、たぶん検察、そうだと思いますよ。やっぱり彼は、あの、まず第一に原発反対派。うん。だからたぶんそれ政治的なものがあって、嵌められた、嵌められましたね。嵌められて、でその汚職とか何か、たぶんしてないと思うけど、嵌められたと私は思ってますけども。それはいいんですけども、まあとにかく、たぶん、彼、その県知事さんはすごくあの、何て言うんだろうな、あの、福島県にしては結構あの、革新的な知事さんだったと私思うんですよね。で、それは別に障害者だけではなく、色々な部分において。で、その時それは、えっとね、ちょっとどっちだっけ、どっちが早かった、たぶん、そのあとに私が、福島県の何か特別アドバイザーに指名されたんですよね、2年ぐらいの。それがその…、[00:03:38]
田中:何か、県庁で働かれたのがそのあと、ってなってます。
桑名:そうです。それです、それです。それで、だから、それで、それが先だったのか、バークレーが先だったのか、ちょっと私覚えてないんですけど。
田中:何かね、年表で見ると、こっちの作った年表ですけど(笑)。えっと、まず知事が95年に訪問して、96年に県庁で臨時で働いた、なんていう記録でした。
桑名:ああ。分かりました、分かりました、はい。だからやっぱり、「福島県にゆかりのある人たちに会いたい。」ってのも一つ、あったんでしょうね、アメリカで。で、それで、まあ私がバークレーにいるっていうことで、であとは自立生活センターっていうことで、そのどうして自立生活センターを、彼がその、知ったのか、その辺もちょっと何だったかなあ…。何かずいぶん昔のことで。
田中:そうですね(笑)。
桑名:はい。でもとにかく、あの、うん、すごくそういうことに興味のある知事さんで、大体バークレーで、バークレーに来て、えっと、マイケルとか、地域の中に行って自立している障害者とかに会うようにセッティングをしたんですよね、マイケルがね。
田中:あー、はいはいはい。
桑名:たぶん、それがすごくその知事さんにとっては、佐藤知事にとっては、すごいこう、何だろう、感動というか感激というか。あの、こう、何かこう、きっかけというか、こういう障害者がね、こんなふうに地域の中で、自立して一市民として生活してるっていうことがすごくこう、印象付けられたんではないのかなあ、と私は思いますね。
田中:うんうん。お話しされた時、何かそういうことおっしゃってなかったんですか?「感動した」とか何か、「すごい」とか。
桑名:その時点ではね、まあそれは、あの、まあその時点では、まあやっぱり、あの、まあ来て、こうやって実際に拝見できてよかったっていうことはね、お話はしてましたけども。それが、その実際にどういうふうにその、日本に行って繋がるか、なんてことは、もちろん私たちは知らなかったですけども。あとから思えば、まあ、あれがきっかけだったのかなあ、と思いますよね。たぶん、たぶん、あの、自治体っていうか、まあその、えっと、…としては、福島県がもちろんそんな大金って、大きなお金ではないですけども、その県からの補助っていうのは日本では初めてだったんじゃないのかなあ。
田中:そうです、そうです。うん。はい。
桑名:ですかね、ですよね、うん。だから、やはり彼にとってはこう、何か一つのこう、大きな、何だろねえ、あの、この目を開かされるというか。元々あったんでしょうけども、そういうものがね。だけども、あの、やっぱりいい経験だったんじゃないんですかね。[00:06:32]
田中:うーん、なるほど。何か覚えてるエピソードみたいな、あります? お会いした時。あんまり?
桑名:うーん、どうかな。もうずいぶん、ほんとずいぶん昔のことなんで、
田中:結構じゃあ、短い時間だったんですか、訪問は。
桑名:もちろんそうですね。まあ、まあ1時間とか、まあそんな感じですよね。
田中:あー、なるほど。かなり、何かじゃあ、タイトなスケジュールの中で来た感じなんですかね。
桑名:そうですね、そうですよね、そうですね。うんうんうんうんうん。
田中:で、そのあと、県のお仕事っていうのには、また連絡が来たんですか?
桑名:そうですね。たぶんそれがきっかけで、あの、私に指名がかかったんじゃないのかなあ、と私は思ってるんですね。だから、その、実際にバークレーにいて生活をしてるわけなので、その声を、その、当事者ね、まあ当事者で、まあバークレーに住んでるっていう、それは私ですけど、その人間の声を、ちょっとこう、県にも反映してもらいたいな、っていう、まあ彼の、まあすごい、ある意味こう、何だろ、私を指名してきた、っていうのもすごくこう、何だろ、「福島県にしては結構やるじゃない」って。やってない、っていうか、あの、すごくね、あの、何つったらいいかな、あの、県職員はそうでもない…、かったですね、正直ね。***(00:07:48)。ま、「しょうがない」みたいな感じもありました。あの、私の働いてた課は違いますよ。私が働いてた課の職員の方は一所懸命でしたけども。
例えば、例えば何て言うのかな、そういったその、委員会、ね、県のやってる委員会とかに出(で)さしてもらいますよね。そうすると、やはり、何かやっぱり、県の職員っていうのは、どうしたってその、やっぱりその、中央を見る。県知事っていうか、やっぱり福島県なんてお金がないわけですから、ほんで副知事にしたって、東京のそういった役所からこうね、来て、あの、何て言うのかな、縁もゆかりもない福島県に、まあ縁もゆかりもないような人が出されて、福島県の副知事になったりするわけですよね。やっぱり福島県としては、その、色んな予算を国からもらうにして…、やっぱり国のね、国をこう、その時私が思ったのは、やっぱりその、佐藤知事はすごく自分でこう、色んな「県としてやりたい」っていうことが沢山、あの何て言うの、イメージっていうか、希望…、夢はあるんだけど。そのほかの職員の人たちっていうのはそもそも、県知事、県知事…、あ、県の職員ていうのはその、やっぱり知事というよりも、トップの知事じゃなくてやっぱりこの、中央を向いて色んなことをやってるんだなあ、っていうのがその時分かったんですね、分かったていうか。やっぱそこで顔を見ないと、やっぱり、顔色伺わないと、やっぱり色んな予算とかもらえないですよね。
田中:そうですね。[00:09:23]
桑名:うんうん。だから、ちょっとその何か、そういう感じでは、あの当時、その、「県知事と県職員との間には何かあったんじゃないか?」って、私の勝手な想像ですけどね。だから結構県知事が、何かこう、何だろ、独断でできることはやったんじゃないのかなあ、と思いますよ。だからその、あの自立生活センターに対する支援にしたって、それは彼の、佐藤県知事の、その個人的な思いっていうものがものすごく入ってたんじゃないのかなあ、っていうふうに私は思いますね。
田中:うんうんうん、なるほど。それで、県で臨時で働かれたのって、これ、どれくらいの…、2年間?
桑名:2年間の契約でしたね、はい。
田中:ふーん。これは、行ったり来たりしながら、っていう感じなんですか。
桑名:そうですね、行ったり来たりですね。年に2回ぐらい。まあ夏は2ヶ月…、2、3ヶ月いましたし、あとはもう1回ぐらい。2回。だから、まあ1年の半分ってことはなかったですけども、あのまあ、行ったり来たりしながら、あの、アメリカにいる時はアメリカの情報を送ったり。あとは日本にいた時にはその、日本の実際その、私は、ね、日本に住んでる、福島県に住んでるわけじゃなかったので、やはり福島県の状況っていうのもきちっと把握しないといけないんで、色んなところに連れてってもらって。ま、だから、それは障害者だけにかかわらず、あの、女性の問題だとか高齢者の問題だとか、そういったその、あの、何でしょうね、過疎地まではいかないけど、やっぱり田舎の方のね。***(00:10:51)やっぱりその、やっぱりその、それぞれの各地域で、どういった、その、何ですかね、問題点というか、あるのかな、っていうのも私も実際、勉強しなくてはいけなかったので。はい。色んな方のお話を伺いましたね、はい。
田中:ふうん。で、こう、アドバイザー的な、というか、そういう感じですか? 仕事としては。
桑名:まあ、そうですね。アドバイザーというか、まあ、「アメリカではこんな感じですよ。」っていうようなことを、色々情報としてお伝えしたりとか。はい。
田中:その時にじゃあ何か、例えば、白石さんとかに会ったりとか、そういうのもあったんですか?
桑名:その時は、ま、個人的には【し】(00:11:34)したかなあ。でも、特に仕事どうのこうのっていうことではなかったような気がしますね。はいはいはいはい。 田中:ああ、そうなんですね。うんうん、なるほど。じゃあ、何かもう、佐藤さんに結構、影響は与えてたけど、あの、その最初の政策300万だか何かこう、一つ一つの自立生活センターにこう落ちてったっていう、その助成金みたいなのを作る時は、あんまりそのことについてコミットしたっていう記憶はない、って感じですかね?
桑名:えっとー、
田中:1時間ぐらいこう、会って、自立生活センター紹介して、「素敵ですよ」っていうのはアピールして、
桑名:うんうん。まあ、もうだって、時間がそれしかないんですからね。
田中:ないんですもんね(笑)。でそのあ…、[00:12:17]
桑名:本当にもう、自立生活に対してのその、ちょっとしたレクチャー、マイケルがやったりとか。あと色んな、そういう障害者で、地域の中で活躍してる人をCILに呼んで、そういう人たちのその、交流会っていうかね。まあほんとに、そんな感じで。もうほんとに、もう短いものでしたよ。そんな長いものではない。
田中:うん、なるほど。
桑名:もうほんとに、普通の、まあ「見学」っちゅう感じですよね、はい。
田中:ああ。じゃあすごくそれで、やっぱりこう、感銘を、やっぱり受けたんでしょうかね、きっとね。そりゃ佐藤さんに聞かなきゃ分かんないけど(笑)、ねえ。
桑名:そう、私はそう、うんまあ、そうはそう、そう思いたいし、そう、じゃないかな。だからこそ、そういう、うん、こともあったし、私のことも、あの、何て言うんですかね、選んでくれて、あの、そういうことになったのかな、っていうふうには、想像はしていますけども、はい。
田中:そうですよね、こう行ったり来たりしてるっていう時もやっぱり、変な話、旅費も含めてこう、「呼ばれる」っていう感じですよね?
桑名:そうですね、そうですね、その通りです、はい。ですから、はい。だからお金もかかるわけだし。
田中:そうですよね。でもやっぱり、まあ「桑名さんにぜひ。」っていう感じで、これ、お願いの、何か手紙とかが来たんですか?
桑名:来ましたね、はい。突然来ました。ある日、ある日突然、はい。
田中:ああ、そうなんだ(笑)。えー。じゃあそれ、ご覧になった時、最初はどう思われたんですか?
桑名:え、びっくり、びっくりしましたよ、「えー、何これ?」って。「何でしょうか?」みたいな。はい。びっくりしましたね、びっくりしましたよ、はい。
田中:え、それはもう、「この期間任命する」的な、お手紙だった?
桑名:そうですね、そうですね、そういうことですね。
田中:え、じゃあ、お返事を聞く前にもう任命されてるみたいな。
桑名:いや、まだそこまではいかないけども、でも、まあ、もうほんとに、結構具体的に、この、この、これ、この時期、時期も2年、2年という契約でお願いできないか、みたいな感じで。はいはいはいはい。だから、すごい私は、ねえ、ありがたいし光栄にも思ったし。うん。けどもやっぱりすごく、何だろうな、私の中では、ちょっと何か、うーん、やっぱりその、何だろうな、やっぱり地域、実際地域の中で、私、福島県の地域の中で何もやってませんからね。
田中:まあ、早めに出ちゃいましたもんね。
桑名:うん。ですから、まあそういう感じでは、ちょっとその、今、まあこうやって話(はなし)してて思い出したのは、やっぱり、ちょっと何だろうな、こう、「え、私に?」みたいな何かこう、ちょっと何か、地域で頑張ってる人たちにたい…、悪い、申し訳ないなっていう気持ちがあったのは事実ですね。うん。何かもう、うん、そうですね、はい。
田中:でもまあ、知事としては、アメリカのことも知りたかったから、もちろん。そうなると桑名さんが一番適任、っていうことだったんでしょうね。
桑名:そうでしょうね、はいはい。
田中:で、ご家族では、何か、もちろんマイケルさんにも相談して、[00:15:20]
桑名:うん、もちろん、はいはい。だから、最初は、あの、もう2年間別れ…、別れっていうか、私はね、あの時子どもがまだ小学校1年生か2年生だか、低学年だったんですね。だから私としては、もう日本に私はもう引っ越して、その2年間は。んで、まあ、もともとはそういう感じでしたから。「日本に来て仕事してください」っていうような感じで。で、でも子どもも小さかったんで、子どもも連れて、子どもと私とで日本に行って、で、当然子どもはまだ小学生だから小学校に入れるし、「これは子どもにとってもちょっといいチャンスかなあ。」なんて、ちょっと思ったんですね。でももちろんマイケルは来れないわけだから、まあそこで別居っていうことになるわけですけども。
最初はそれ、「いい」ってマイケルは言ったんですよね、まあすごい、素晴らしいことなんでね。***(00:16:11)だったんですけど、突然やっぱりマイケルは、何か、「うーん、やっぱそれはちょっと困る。」みたいなね。すごく、何か「困る」というふうに正直に言ってくれたので。はいはい。だからそれはじゃあ、あの、何だろう、それは、なぜ困るか、っていうと、別にその、彼の、その身の回りの世話とかごはんとかそういう問題ではなくって、やっぱり「家族が別れてしまう」っていうことが彼にとっては非常に、あの、大きな問題。
田中:そうですねえ。
桑名:私が思う以上に、彼にとっては、非常に大きな問題。しかもまだ子どもが、まだ小さいし。だから子どもとも別れなくてはいけない、っていうことに。だから、本当にもう、「どうしても行きたいんなら子ども置いてけ。」ぐらいまで言われたので。はい、はい。だから、まあ、あんまりそういうことは言わない人だったんですね。私が結構「やりたい」って思うことは、ホイホイってやらせてくれるような人だったんですけども。これに関しては、「もちろんやるのはいい。やってはいけないとは言わないし、どうぞやりなさい。」っていう感じではあったんですけど。だからやっぱり、家族が、家族っていうもので考えると、やっぱり非常に、それは彼にとっては大変だと。その、精神的な部分がね、大変だっていうことですよね、はい。
田中:うーん。まあ、日本人て何か、単身赴任とかすぐしちゃうけど、あちらの方(かた)はそういう考え方ないんじゃないんですかね、きっとね。
桑名:たぶんね。たぶんないでしょうね。単身赴任ていうのは、うーん、ないんじゃない? ちょっとやっぱり、なかなか難しいんじゃないのかな。
田中:うん、でもまあそういうふうにおっしゃって、家族としての、「一緒にいるっていうことが大事だから」っていうなかで、じゃあ、行ったり来たり。[00:17:58]
桑名:そうですね。そうですね、そうですね、はい、はい、はい。ただ仕事は、「仕事はするな。」とは一言も言われなかったし。だから仕事をやり…、「どうぞ、せっかくのチャンスなんだからやりなさい。」ってすごくこう、それはサポートはしてくれましたけども。でも、だから、でも子ども置いて…、行って、やるんなら、子ども置いてね、「2年間いなくなるなら、子ども置いてってくれ。」って。まあ、それもね、すごく現実的ではないんですよ、そんなことできるはずなかったけども。でもそれくらいまで彼が言うってことはやっぱり、相当だな、っていうふうに思ったので、はい、私はじゃあ、まあ、ね。で、県のほうにもそういうふうにこう、「じゃあ行ったり来たりしながら、お願いできないか?」って言ったら、まあ「じゃあいいですよ。」ってことになったので、はい。
田中:うんうん、なるほど。そういうやりとりはじゃあ、電話ですか? 電話かけて、結構どうだろう、その頃ネットとかないもんね。
桑名:そうですね、電話とか。でもメールとかもやってたかな? はい。
田中:ああ、もうそうか、メールは大丈夫だったんだ。じゃあそういうやりとりをしながら調整して、行くことになったっていう。なるほど。
桑名:そうですね、はい、はい。
田中:はあー。2年間て、どうでした? やってみて。[00:19:06]
桑名:うーん、やってみて? やってみて、まあ福島県のことを色々、実情を学びましたし。学びましたけど、やっぱりすごく、さっきも言ったように、その、何て言うんだろ、その、県ってやつ、この、行政っていうのは、やっぱりその、県知事っていうのは、まあ、ね、一般の県民に選ばれたわけだけども、やっぱり県知事と、何だろう、あの、公務員、働いてる人たちっていうのは、やっぱりこう、一体じゃないな、っていうの、一体じゃないんだな、っていうのがよく分かった。だからすごくその、彼が、県知事が、こう、けっ、けっ、けっ…、だから県知事さんとしてはもう、先進んじゃってるわけですよね、色んなことがね、彼は。周りがそれについてけないような状況。だからすごく、何だろ、その、県の中で働いていても、何かすごく私の中では、何つったらいいのかなあ、県知事に私選ばれたわけだけれども、一般の職員に選ばれたわけではないんで、やっぱり一般の職員の人からすれば、「何なの、この人?」みたいにね、思われた部分もあったのかなあ、っていうような、ちょっと居心地が悪いというか。まあでも、それまでそういう、その行政の中身って、そういう関係とか、全く私知らなかったので、あの、当然知事が一番トップに立って、県職員は全部それにこう、行くのかなと、行くのかな、って思っていたら、そうではなかった、そうではなかった。で、うん、たぶん煙たかったんじゃないかな、と思いますよ、県知事のこと、職員は、やっぱり。だって、県知事の頭ん中では色んなことが先に先に進んでるんだけど、福島県てそもそもそんな、そんな、少なくとも一般のね、お金もちろんないし、だからお金がないから、やっぱり中央にこう、お伺い立てながら、中央が、中央がやってほしいことをやらなくちゃいけない、みたいなね。中央がはん…、やらないことはこう…。だから、うーん、その時に思ったのは、ある県職員が、まあ私がやっぱり色々アドバイスするわ…、アドバイスっていうかね、「これはどうですか?」とか、「これ、こういう【ふう】(00:21:17)にしたら、これはこう」とか言うと、うーん、まず、「前例がない」とかね。あとは、あの、「福島県が日本の中の一番最初になるわけにはいかない」みたいなね。うん。で、すごい消極的なわけですよ、やっぱり。だから責任が持てない。まあ、あるじゃないですか、その、役人の…、
田中:役人らしいですね、実に。[00:21:38]
桑名:役人らしい、ね。うんうんうんうん。そう。だからそういう感じで、何か、すごく何か、何だろうな、県知事に選ばれて、県知事はすごくこの「やりたい」っていうこの、「福島県を何とかしたい」ってね、障害者だけではなく、そういう女性の問題とか、子どもの問題とか、高齢者の問題とか、ありとあらゆる、要するにいわゆるこう、弱者って言われているような立場の人たちに対して、こう、何て言うのかな、知事として、県の中でそういう人たちに活躍してもらいたい、っていうのが彼にはすごくあったわけだけども、この思いが、職員には、ほぼ多くの、ほぼ、ほぼ、ほぼ多くの、ほとんどの職員にはそれはいってないっていうのがよく分かって。「いってないんだなー。」っていうか、何かやっぱり、「ああ、知事が何か、先走ってやってるな。」って、ちょっと。そういうだから知事の、知事の手綱を、ちょっとこう、何だろうな、コントロールしなくちゃいけないんだ、って、職員がね、「そういう部分もあるんですよ」みたいなこと聞いたことがあったりして。そん時に「あー、何かこう、一体になってないんだな。」っていう思いはありましたね。
田中:うーん。実際に知事とは、結構お会いしたりとかはあったんですか?
桑名:ま、そう、何回かありましたね。だから知事は一所懸命ですよ、もちろん知事は。うんうん。でも、やっぱり知事が一所懸命でも、実際ことを進ますってのは役人だからね。
田中:ああ、そうかあ。なかなか、進まない。
桑名:うーん、その、知事と、その一般公務員、職員との、何だろうね、ギャップというか、何か、それは相反するものなんだなあ、っていうのをその時初めて知りました(笑)。知り知ったというか、「こういうことなんだ」っていう、その、あの、行政っていうのはね。
田中:うーん、なるほど。そうするとまあ、2年ぐらいでちょうどよかったかな、っていう感じですかね。
桑名:まあ、そうですね。
田中:(笑) そんなに長くいてもね、ストレスですよね。
桑名:うん。うん。まあ、あとはやっぱりこう、何だろう、まあ、その当時の日本と、その当時のやっぱりバークレーとかとはすごいギャップがね、色んな意味で、ありましたから。「そのギャップを埋めるっていうのは非常に難しいなー。」って。ねえ。何十、あれから何、まあ20年ぐらい経って、やっと今、この状況ですから、その当時はやっぱり、「ああ、まだまだだなあ。」っていうか、「大変なことだ、これは。」っていうか、「こんな、私の力では負えないわ。」っていうのが正直なとこでしたね。[00:24:15]
田中:うーん、なるほどー。まあ2年が終わって、じゃあ福島での仕事っていうのは、ある意味それで完結というか、 桑名:そうですね、そうですね。まあでもそのあと、だからそうやって県知事嵌められてさ、逮捕までされちゃったわけですから。うーん、まあだから何か、「ああ、やっぱり色々あるんだろうなあ。」っていうか、特にその、原発に関してかなあ、あの時の色々、話題は。うんうんうんうん。
田中:原発に関わって…、
桑名:やっぱり福島県は、福島県は原発がないと、やっぱり、何て言うかな、サバイバルできなかったような、経済的にね、そういう状況の県なわけでしょ、色んな意味で。うん。でも、あの、県知事はそれに対してこう、上の、中央の言うことを聞かないで、色んなことに反発をしていって、で結局嵌められてしまって。で結局そのあと地震が来て、こういう問題が出て、って何か、「すごく皮肉だなあ。」っちゅうか。何かこう、ある意味結構、先見の明があったような知事、そういうのあったんじゃないのかな。今思うとね。
田中:そうですねえ。なるほど。 桑名:うんうんうんうん。だから、うん、すごくあの、何だろうなあ、私としては、うん、あの、まあ、どうしてその、やっぱり、私も聞きたいですよね、知事にね。
田中:本当ですよね。
桑名:***(00:25:38)か。こういうことを知事は考えていたのかっていうことを、すごく私も今、今頃になってっていうか、今この話をしてて、「うん、そうだよね。何だったんだろうな、***(00:25:50)」みたいなね。うん。
田中:(笑) なるほど。それを問うような時もなかなか訪れず、終わってしまった、っていう感じですかね、その2年の間でもね。
桑名:そうですね、そうですね、うんうん。
田中:確かにもう表舞台にはね、出てきておられないから。なかなかね。うん。考えていた理想像の中にこう、やっぱり自立生活センターっていうのがあって、「何とか進めたい」っていう気持ちはすごい強かったんでしょうかね。
桑名:うんうん、あったのじゃないのかなあ、***(00:26:19)と思いますよ、私は、はい。
田中:うん、うん、なるほど。いやー、でもやっぱりこう、中のこう、何て言うか、不思議な構造っていうか、権力構造っていうか、そういうとこで、やっぱり現実的にはなかなか進まないっていう。
桑名:ですね。やっぱりすごくこう、***(00:26:38)ことですよね。あのまあ、アメリカの障害者運動もそうだけども、やっぱり何か運動をするっていうのは、お金も必要だし、サポートも必要だし、で、やっぱり何だかんだ言っても、すごくこう、政治的なことなので。何だろうなあ、すごくこう、難しいですよね。[00:26:59]
田中:ある意味政治的なとこって言うと、マイケルさんのまさにやっておられる、おられたところの接点と、ちょうど近いところにいった感じですよね、でもね、桑名さんも。
桑名:まあ、そうですね。やっぱり、マイケル自身も実際ワシントンに行ったのは、やっぱワシントンじゃないと、やっぱ中央じゃないと、その、色んなことが、その、何だろうな、色んなことが動かない、その、地域でやっててはね。地域でやってたらものすごく、やっぱり地域っていうのは、その、やっぱりトップがあって、っていうかね、トップというか、その国全体、まあマイケルの場合は。うん。でも、その時も感じましたよね。
でもやっぱり、まあアメリカなんかは特に大統領が変わるごとに、その、流れも変わってきますしね。周りのその、状況ももう変わってくるんで。あの、やっぱり、その、何だろうな、マイケルが求めていたものが、その、クリントンなんかの時は良かったけれども、クリントンのあとにブッシュになったんですね、***(00:28:10)に。その時に、マイケルは痛い目に遭いまして、あまりにも調子に乗って色々やったもんだから(笑)。そう、だから、まさか政府で、政府の役人だから、マイケルも、首にはされないんですね。首にはされなかったんですけども、やっぱりこう主要なポストから突然こう、何て言うのかな、この、あの、
田中:外されちゃうみたいな、
桑名:外されたんですね、外されたんです、そうです、その通り、外されてしまったんですね。で、それも、まさしくその、ポリティカルな、【政治】(00:28:40)的な意味合いを持ってるわけだから。ほんでもってやっぱり、その、政治的な、そうですね、中央に反抗すると、マイケルは一応そのことはあの、訴えたんですよね、裁判所に、裁判にね。あの、ロースーツ(lawsuit、訴訟)しようと思ったんですよね。ま、したのかな。要するにその、「不当な扱いを受けた」っていうことで。
田中:うーん、ああ、ポジションを変えられたことに対して、ってことですね。[00:29:11]
桑名:そうそうそうそう、そうそうそうそう、そうそうそうそう。で、国に対して、そのまあ、ね、「国に対して訴訟を起こそう」というふうに思って、色んな準備をしてったんですけども、まあやっぱりそれは無理ですよ、無理です、それは。あの、訴訟、国に対して訴訟なんて、絶対に不可能。アメリカ、ま、もちろん日本だって難しい、アメリカだってそれだけの弁護士がいっぱいいるわけですからね。でその時も、でもマイケルが、結局マイケルは仕事は失わなかった、でお給料だってちゃんとあるわけだし、だから生活には困らないわけですね。うん。だから私なんかはすごく、そのことに関しては「良かったじゃない。」と。ね。別にその、ポジションは違うことになっちゃったけども、その何だろな、その、実際生活、妻として、母親として、生活は安定してるわけだから、「まあ、それはしょうがないんじゃない?」っていうようなことを言った時に、あの、すごく彼が、その、今でもよく覚えているんですけども、「これはもう、自分の」その、何だろうな、あの、信念、「信念だから、だからお給料がもらってるからとか、まだね、仕事があるからってそういう問題ではない。」と。自分が目指してた、自分が信じていたことを、正しい、全然間違ってはいない、ことをやっていったのにもかかわらず、やっぱりトップが、デモクラティックからリパブリカンに変わったということで、彼がやってることが目障りになった。うん、だから別に彼が悪いわけではない。政治が変わったわけだから。でも彼の中では、だから自分は何も、何一つ間違ったことではないから、自分はもう、これはもう、やる、と。絶対にまちが…、あの、勝ち負けの問題ではなく、自分の気持ちの問題。「自分は正しかったんだ、っていうことを、認めてもらわなくても、それを少なくともアピールしなくちゃ。」っていう彼の信念だったんですね。だから私はそれを聞いた時に、もちろんそれは分かる、分かりますよ。それは、ほんとにその通りだと思うし。だから、それはもう、私はその日から一切、そのことに関しては、何だろうね、私のその、くだらない意見は述べなかった(笑)。もう彼は、だって、彼の信念はよく分かってるし、その通りだと思うから。
田中:うーん、なるほど。まあ。え、でも、実際訴えたんですか?
桑名:訴えてましたね、訴えましたけど、何もならないです、何もならなかった。で結局亡くなったし。だから亡くなってから、国から、こういう訴訟を起こす手続き、どうのこうのだけども、本人がもう亡くなったので、これはもう、あんなに、この訴訟はもうクローズします、みたいなね、そういうのが来ましたから。[00:32:20]
田中:あ、そんなずーっと、やっておられたんだ。
桑名:ずっとやってましたよ、やってましたよ。だって、だって、だから、お金がかかるから、弁護士を雇うと。だから弁護士、随所随所では弁護士に、ね、自分の弁護士に相談してやってましたけども、基本的には全部自分で、彼はね、やってたから。その、ペーパー、書類の、あの、そういう証拠というか、そういうものを準備したりとか、そういうことをね。うんうん。だからお金もかかったと思いますよ。私は、そのことに関しても、「じゃあ分かりました。」と、「あなたがやりたいように気の済むまでおやりください。」と。「ただ、いくらかかったかだけは言わないでください。」と(笑)。いくらかかったか、って聞くとこっちもね、***(00:32:54)、むかっときたり色々するでしょ。だから、お金のことはもう、どんなふうに何、どんなふうに使っても全然いいけども、いちいち私にそのことに関しては、その、お金の、ね、その金額に関しては、伝える、伝えないで、あえて、伝えてもらっては困りますと(笑)。
田中:じゃあ「必要な生活費は渡して、それ以外のだけは使ってもいいよ。」みたいな感じで。
桑名:そうそうそうそうそうそう。
田中:そうじゃないとね。
桑名:だから、この生活はもう、これはね、これを全部投げうってまでじゃない、そういう問題ではなく、これは、生活はあるんだから、子どもまだ小さいし。はいはい。ま、でも彼らしいな、と思いますよね、すごく、はい。
田中:なるほど、そういうとこはやっぱり理解できる、より理解できる、っていう感じだったのかな、そういう色んな経験をされてたし。
桑名:まあ、そうですね。それはだから、やっぱりその、うん、あの、何だろなあ。うん、やっぱ政治的なものに巻き込まれると、まあどうしようもないですよね、まあそこに巻き込まれ、巻き込まれた方がやりやすかったりもするわけだから。だから私なんかはマイケルなんか見てると、「あー、下手…」、下手というか、その、思いは分かるんですよ、「思いは分かるんだけど、なぜにここで敵を作らなくてはいけないのか?」なんて思うこともありましたし。まあでも、それはだから、彼の信念があるわけだから。ね。うん、その、うん、そう。
田中:なるほどねー。うんうん。
桑名:でもそこはやっぱり、彼のいいとこだったですよね。とにかくどんなに周りが変わっても自分の信じるものは、もうそこに突き進んで行くっていうか。ぶれない、ぶれなかったね。そういうことに関しては。
田中:うーん、なるほど。いやー。うん。何か(笑)、そうですね、そういうぶれないところが大事ですよねえ。
桑名:うーん、でも家族は大迷惑ですけど(笑)。
田中:(笑) 確かに大変ですよね。[00:34:50]
桑名:うん。でもそれは、それに限らず、もうずーっと、もうCILの、あの、ディレクターの時からもう、そういうことはたくさんあったので。ま、そういうもんですよね。やっぱり、何かの上に立ったり、リーダーとしてやるっていうことは、やっぱりそういうことでしょう、何かを犠牲にしなくてはできない。
田中:うん、なるほど。分かりました、ありがとうございました。何となくそのあたりの経緯がわかって。はい、よかったです。
桑名:だけども、でもなぜに福島県でって、そんなふうに思ったこともあまりなかったし。そのことに関しては何か、何か答えが見つかりそうですか? なぜ福島県って。
田中:まあ、佐藤さんに聞けないけど、やっぱり彼の中にあった理想像、それこそマイケルさんじゃないけど、「これはやらなきゃ」っていうのはあったんでしょうね。
桑名:うん、まあね、そうでしょうね。
田中:完成までいかなかったかも。
桑名:***(00:35:43)、さっき言ったようにその、このインタビューの大きなアレだったと思うんですけども、その、なぜに福島県からこう、そういったリーダーというか、何かこう、出てきたのか、っていう問いがありますよ、問いっていうかね、疑問があるわけですよね。
田中:はい。
桑名:それに関しての何か、ヒントみたいなのは、もう、あの、あるんで…、あの、出てきましたか? 何か。
田中:いやあ、なかなか難しいんだけど、でも、前回録音する前に、桑名さん、ごはん食べてる時かなあ、おっしゃってたの、福島県のことを、何て言うか、すごく閉鎖的なところもあると。
桑名:うん、閉鎖的なとこばかりでしょうね。
田中:「それの反動もあるんじゃないか?」っておっしゃってたような気がするんだけど、やっぱりそういうのってありますか?
桑名:でしょうね、私はそう思いますよね。うん。だから、その、佐藤知事もそれですよね、やっぱりね。その閉鎖的なところに、彼のような革新的な、っていうかそういった、バーンと来ると、それで潰されるっていうか。ま、そういう県なんですよ、やっぱ、そもそもが。たぶん、たぶん、未だにそうだと思うんですね。うん。その、原発のこの、地震のことなんかも聞いても、私はもちろんいなかったけど色々、未だにやっぱりねえ。私の友人なんかで、こう、もう、もう、何かこう、何だろうなあ、そお、怒りがまだおさまらない人がやっぱり山のようにいるわけだから、***(00:37:08)状況、国の状況ってか、国とまあ福島県のやり方っていうことに対して、非常に不満というか、何だ、すごい県民を無視したようなね。何か、色んな状況だったらしいのでね。だから、その、「まあ、そうだろうな。」って私も予想はつきますよ、予想はつきます。うん。だから、まあ、うーん、私もよくは分からないけども、ま、少なくとも私なんかは、うん、まあ「福島県にはもういられないな。」っていう。今でも福島県には住みたくないです、正直、私は。
田中:(笑)
桑名:(笑) 残念ですけども、残念ですけども。うん。そうですね、はい。 [00:37:56] 田中:うん、なるほどね。でも割とその、人の繋がりっていうとこでは強いですよね、県の人どうしの。
桑名:うーん。まあ…、
田中:まあ、でもそれは福島に限らないのかもしれないんですけど、何かその、同郷であるとか、っていうことの強さはすっごくありますね。
桑名:まあ、そういうのはね、そういうのはね、あるんじゃな…、あるかもしれないですよね。うんうんうん。でも、うーん、「なぜに福島県だったのか?」なんていうのは、よく私も分からない。うーん、偶然だったのかなあ。まあでも、あまりにもひどいから、そこでこう、何て言うかこう、怒りが、怒りとなって、怒りというか、その、ねえ、力がそういうふうに働いたのかな、と思うかなあ。
田中:なあ(笑)。はっきりとは分からないけど、おぼろげには、まあ、そういうこともあるのかなあ、っていうことですかねえ。 桑名:うーん、どうなんでしょうねえ。 田中:うーん。まあ、色々と考えてみます。
桑名:はい。(笑)
田中:ありがとうございました。
桑名:いいえ、とんでも、何かすいません、何かまとまらない話まって。
[音声終了]