last update:20131117
目次
1.研究目的 ――障害者教師に注目する理由
2.先行研究と本稿の射程
3.調査方法と実施手続き
3-1.方法/3-2.対象/3-3.インタビュー手続き/3-4.ライフストーリーの編集
TOP
序章 目的と方法 ――なぜ視覚障害教師のライフストーリーなのか
1.研究目的 ――障害者教師に注目する理由
「今日の教育から欠落しているものがここにはある!」。これは『心がみえてくる――普通校における視覚障害教師の実践記録』(全国視覚障害教師の会 1987)の表紙に書かれた言葉である。「今日の教育」とは、刊行された1987(昭和62)年当時の教育を指すことになるが、そこではどんな問題が起こっていたのだろうか。そして、その原因を指すと考えられる「欠落しているもの」とは何だったのだろうか。
1980年代の教育界は、青少年の問題行動、学校教育の画一化、学歴偏重などの様々な問題が噴出していた。教育改革の必要性が叫ばれる中で、内閣総理大臣の私的諮問機関として臨時教育審議会が設置され、1985年からの3年間に4次にわたる答申を出している。
当時、加茂仰星高等学校教師だった長井仁先生☆1も、同書の中で、「知(=点数)」の偏重による他の分野の欠落が教育荒廃の原因だと指摘している。そして、教育の全面性、多様性を取り戻すことが必要だと訴える。教師も多様で個性的な存在であるべきだとした上で、「障害を個性に転化し得たときに我々、盲人教師にとって『障害者でも出来る教育』の分野が開けてくるのではないだろうか。そして、それはおそらく今日の教育から欠落している部分を補う役割を持つのではないかと思う。」と述べている(長井 1987)。つまり、欠落しているのは教育の全面性、多様性であり、障害者教師はそれを補うことができるとするのである。「障害者でも(「でも」に傍点)出来る教育」という表現には、「障害者には(「には」に傍点)出来ない」とされた時代性を読み取れる。障害者には教師はできない、障害は教師にとってマイナス要因であるということが自明視されていた時代に、障害者教師に教育問題解決へのポジティブな意義を見出したことは、新たなパラダイムを提示したものだといえる。
それから10年後に刊行された『目は見えなくとも教師はできる――視覚障害教師たちはいま』(三宅 1997)で、長井先生はその論を更に次のように展開している。
(前略)教師の側のいわゆる「障害」は、決して教育実践の障害とはならないのです。それどころか、今日の学校の現状を考えるとき、私は障害を持つ教師の存在は、むしろプラスの役割を果たすのではないかと思っています。この点について、個人的な立場から一つの提案をしておきたいと思います。それは、障害を持つ教師を各学校に少なくとも一名は配置することを制度化することです。白杖を持つ教師や盲導犬を連れた教師、車いすの教師が学校で日常的に生徒と一緒に活動し、他の教師と対等に協力し合っている姿は、生徒の人間性の成長に大きな影響を与えるでしょう。また、障害を持つ教師を積極的に採用し、学校現場に配置することは、教員定数の改善にも連動し、教師集団の質向上にも寄与することができるでしょう。障害者の労働権の保障と教育荒廃の克服との両面から民主社会の発展に寄与できるのではないでしょうか。(長井 1997)
ここでは、はっきりと障害者教師が学校教育に果たすプラス面の指摘がなされている。生徒の人間性の成長を促すことに加えて、教師集団の質の向上にも寄与できるとする。子どもたちと教師たちとの双方によい効果をもたらす障害者教師の存在に、教育荒廃克服の可能性を見るのである。
21世紀に入った「今日の教育」にも、依然として多くの課題が残されているし、新たな課題も次々と現れている。複雑化する社会の中で、いじめ、暴力行為、不登校などの生徒指導上の課題もさらに複雑化、深刻化しているように見える。目覚ましい科学技術の進展と国際化の中で理数教育や外国語教育の充実など学習指導上の新たな課題への対応も急務である。2011(平成23)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に始まる東日本大震災と原子力災害は教育にも多大な影響を及ぼした。震災からの復興とこれを教訓とした新たな日本社会の建設に向けて、教育にも新たな要請がなされてきている。
このような教育課題に対応するために、様々な側面から学校教育の充実、発展、改革がはかられている。特に、学校教育の直接の担い手は教師であることから、教師の資質能力の向上は常に言われ続けてきたことであり、今日でも中心的なテーマである。教師の資質能力とは何かということについては様々な議論があろうが、『平成23年度文部科学白書』(文部科学省 2012a)では、教職に対する責任感、探究力、教職生活全体を通じて学び続ける力、専門職としての高度な知識・技能、総合的な人間力が挙げられている。これらが基本的な教師の資質能力だとすれば、障害者教師もこれらの資質能力を十分に満たすことができる。加えて、障害をもつことによって備わった資質能力は、従来の教師の資質能力の概念を超えたり、組み替えたりする可能性を内在している。
例えば、月並みだが、生徒指導上の課題に対しては、障害という経験から培われた人間力がより求められるかもしれない。些細な例ではあるが、理数教育に対しては、視覚障害者のグラフや図表を用いない思考方法が、晴眼者には発想しえない問題解決方法を提示するかもしれない。こじつけるわけではないが、外国語教育に対しては、一般に聴き取ったり、言語化したりすることに長けた視覚障害者の言語生活が、語学教育の方法に示唆をあたえるかもしれない。東日本大震災を受けて重要性が再認識された防災教育には、震災弱者としての障害者の視点はぜひ取り入れられなければならない。障害者は突発的な危険に対して、回避したり、持ち堪えたり、克服したりする力が弱い。しかし、危険が起こってしまったら被害を受けやすいからこそ、危険を敏感に察知し、平素から危機管理に注意を払っている。‘弱さ’からもたらされる‘強み’もあるのである。障害者教師は防災教育や安全教育に重要で特有な役割を果たすことができる。
既存の健常者文化やその価値観に納まらず、障害に由来する文化や価値観をもつ障害者教師の教育実践は、今まで見過ごされてきた教師の重要な資質能力を浮かび上がらせるかもしれない。また、効率主義、成果主義、能力主義の荒波に子どもたちや教師たちが飲み込まれそうになっている学校教育に、効率が悪く、成果を見せにくく、能力の一部に困難を示す障害者教師が投じる一石は新たな波紋を生み、既存の学校教育の在り方を根源から問い直す契機となるかもしれない。
教師個人の資質能力の向上だけに躍起になっても、それがすぐに学校教育の改善をもたらすわけではない。資質能力は指導力として発現される必要がある。指導力は教師個人の中に固定的に存在するものではなく、教師と環境との関係性において発現する。つまり、教師の指導力は、子どもとの関係、教師集団との関係、場所や状況によって、流動的に変化する。指導力の向上を求めるなら、教師個人の資質能力の向上だけでなく、それを指導力として十分に発揮できる環境整備にも目を向けなければならない。特に障害者教師は、障害によってその資質能力を指導力として発揮できない状況に置かれやすい。この場合、資質能力を指導力として発揮できるように環境を整えることが必要である。障害のない教師にも同じことは言える。障害者教師の存在は、指導力を個人の問題とせずに、環境調整の問題としてとらえ返す視点を鮮明にする。指導力は環境の調整によって引き出されるという視点が広く浸透すれば、教師個人に押し付けられ、故人で抱え込みがちだった指導力の問題を、職場全体の問題として共有することの必要性も認識される。これは教師集団全体としての指導力の向上につながる。
また、学校教育は個々の教師が単独で行っているわけではない。学校や学年を単位として、教師集団が組織され、集団として子どもたちの教育にあたっている。障害者教師もその一員として仕事をする。障害者教師は、できないことがあったり、効率が悪かったり、仕事の遂行に困難がつきまとう。個人の能力だけに着目した見方では、障害は教師にとって不利な条件に映るかもしれない。しかし、障害が教師集団の中に位置づけられるとき、必ずしも教師集団にとって不利な条件とはならない。障害者教師の存在が教師集団の指導力を高く発揮させる触媒となることもある。障害者教師の困難さを教師集団で共有し、助け合うことで、集団に一体感や帰属意識を醸成するかもしれない。障害者教師に障害特性に応じた仕事を配分する調整は、他の教師の特性を活かす校務分担にも波及し、教師たちの有用感や意欲を高め、職場の効率化にもつながるかもしれない。このようにして作り出された職場環境は、教師集団の指導力を最大限に引き出すための有利な条件となる。個々の成員の特性が集団の中に回収され、位置づけられるとき、それは異なった新たな意味をもって教師集団の指導力として発現する。
以上に述べてきたことは、障害者教師が教育に与えるかもしれないインパクトの仮説である。これらは検証されるべき重要な価値を内包した問いである。にもかかわらず、まだほとんど検証されていない。本稿でこの大きな問いのすべてに答えることは到底できない。それはできないにしても、障害者教師の実践から教育を照射することで、既存の教育に「欠落しているもの」を浮かび上がらせることはできる。障害に内在する力が、現代の教育の閉塞状況を打ち破り、これからのあるべき教育を切り拓く可能性を少しずつでも検証していきたい。
TOP
2.先行研究と本稿の射程
『平成24年度学校基本調査』(文部科学省 2012b)によると、全国の学校に勤務する教員数は、幼稚園、小学校・中学校・高等学校・中等教育学校・特別支援学校を合わせて111万608人、これに専修学校と大学などの高等教育機関とを加えると167万人を超えている(2012年5月1日現在)。それでは、この中に障害者教師はどれぐらいいるのだろうか。「障害者の雇用の促進等に関する法律」には事業主が雇用義務を負う障害者の雇用率(法定雇用率)が定められており、この法律に基づき、都道府県等の教育委員会の障害者雇用率が調査されている。『平成24年障害者雇用状況の集計結果』(厚生労働省,2012)によると、教育委員会等の雇用障害者数は1万2677.5人☆2、実雇用率は1.88%☆3である(2012年6月1日現在)。ただし、これには事務職員や技術職員などの教員以外の職種も含まれている。また、私立学校や大学など、教育委員会等の雇用でない障害者教師の数は含まれていない。教員として就業している障害者の数は、文部科学省からも厚生労働省からも統計調査は発表されていない。障害者教師は、その実数すら把握されていないのである。まして、障害者教師の障害種別や勤務校種・担当教科などは全く把握されていない。教育ではインクルーシブ教育の構築が進められ、労働では障害者雇用の促進が図られている。にもかかわらず、障害者教師は、教育における障害者問題の中でも、労働における障害者問題の中でもほとんど顧みられていないのである。
次に障害者教師に関する先行研究を見てみよう。学術論文としては、身体障害者の教員採用の現状を検証し、子どもたちや教師にアンケート調査を実施して身体障害のある教師をどう捉えているかを検討したもの(田中・船橋 2009)、聴覚障害学生の教育実習での情報保障の取り組みと授業運営についての報告(田中ほか 2005)、車椅子使用学生が教育実習を行うにあたって生じる困難とその解決方法を検討したもの(川田 2006)、盲学校に勤務する視覚障害のある教師を対象に、視覚障害のある教師が抱えるストレスを明らかにし、そのストレスに対してのサポートのあり方について検討したもの(坂田・菅 2009)がある。いずれも障害者教師という研究主題にとって重要な問題であり、数少ない貴重な研究である。しかし、これらは障害者教師の困難さをネガティブな要因として取り上げ、それを解決する方策を検討したものである。障害者教師の困難を解消することは本稿においても重要な課題である。だが、本研究は障害をポジティブな要因として捉え、教育を問い直そうとするものである。この点で、それらの先行研究とは着想と目的が全く異なる。日本において学術的な先行研究は他には見当たらず、障害者教師という主題はほとんど学術的に研究されていないといえる。
学術研究以外では、障害者教師自身によって書かれた自伝やエッセイなどがいくつか出版されている。発行年の古い順に並べると、全盲で上肢障害もある盲学校社会科教師によるもの(藤野 1978; 2007)、脳性まひの養護学校国語科教師によるもの(遠藤・芝本 1982a; 1982b)、中途失明の中学校音楽科教師によるもの(三宅 1993)、中途失明の高校社会科教師によるもの(栗川 1996; 2012)、全盲の中学校英語科教師によるもの(高田 1996)、全盲の中学校社会科教師によるもの(河合 2000; 2001; 2003; 2004)、中途失明の中学校国語科教師によるもの(小泉 2005,新井 2009)、四肢障害の小学校教師によるもの(乙武 2007)、下肢切断の小学校教師によるもの(鈴木・鈴木 2007)、上肢切断の中学校英語科教師によるもの(小島 2008)、脳性まひの中学校数学科教師によるもの(三戸 2008; 2010)、アスペルガー症候群の高校農業科実習助手によるもの(ゴトウ 2011)などがある。また、障害者教師に取材して書かれた書籍(沢井 1997,関原 2003,山城 2003)も刊行されている。いずれも障害者教師の生活と教育実践を詳細に伝える貴重な資料である。また、視覚障害をもつ教師の当事者団体である全国視覚障害教師の会からは3冊の教育実践集(三宅 1997,全国視覚障害教師の会 1987; 2007)が刊行されている。これらには、多くの視覚障害教師の教育実践が報告されているほか、視覚障害教師の現状と課題なども整理されている。
このように、障害者教師についての資料は個々の実践報告を中心にいくつか見られるものの、その実態や全体像を明らかにするにはあまりにも資料が不足している。障害者教師についての研究蓄積は極めて乏しく、障害者教師研究の端緒を開くつもりで本研究を始めたいと思う。本研究は、教育社会学における教師研究の中で、今まで着目されてこなかった障害者教師の研究として位置づけられる。また、障害者の労働に関する研究の中で、未だ着手されていない教師という職種についての研究として位置づけられる。教師研究においても、障害者労働の研究においても、研究蓄積がない領域を補完するものとなる。
研究蓄積の乏しい障害者教師研究を始めるにあたっては、まず障害者教師の実態を調査することが最初の課題となる。先に述べたように、障害者教師について書かれた資料は少ないなりにもあることはある。それらを網羅的に取集し、整理、分析することでも、障害者教師の実態はある程度明らかになるかもしれない。しかし、文献研究をするには、資料が個別的、散発的すぎるし、量の不足は否めない。また、この主題については、書かれていることより、未だ書かれず、埋もれていることのほうが圧倒的に多い。そして、今、掘り起こして書き残さなければ消え去ってしまいそうなこともある。そこで、ひとまず書かれた資料の調査は次の機会に譲ることにして、掘り起こして書き残すことからはじめることにする。つまり、それは障害者教師の実態を本人や関係者から聞き取って記録することである。
一口に障害者教師といってもその実態は多様で、障害種別、勤務校種、担当教科、勤務した時代や地域などによって、さまざまなカテゴリーに分類できる。どのカテゴリーの障害者教師を調査対象とするのが妥当かは、研究目的によって決まる。本研究は障害者教師の実践から教育を問い直すことを目指している。本稿ではその第一歩として、障害者教師の実践の事例を掘り起し、記録することに主眼を置く。この目的からすると、今のところ、調査対象とする障害者教師のカテゴリーを限定する必然性は低い。また、目的にかなう高い妥当性を備えた対象者を求めるにしても、現実的な制約を無視することはできない。誰にでも聞きに行けるわけではないし、聞きたいことを話してもらえるとも限らない。筆者の調査能力、問題関心、経済力などの諸条件ともすり合わせる必要がある。さらに、博士予備論文として提出する時間的な制約も勘案して、実施可能で妥当性も備えた調査をデザインしなければならない。
筆者はかつて視覚障害教師であった。全国視覚障害教師の会を通じて、多くの視覚障害教師と交流がある。そして、この視覚障害教師たちの実践を調査することは、本稿の目的に照らして十分に妥当性がある。筆者は彼/彼女らとの長年の交流により、調査を進めるために必要な背景知、共有経験、信頼関係をすでにもっている。このことは、筆者の調査能力の未熟さをいくらかでも補ってくれるだろう。また、一貫して障害者教師の存在意義を主張してきた全国視覚障害教師の会の会員なら、本研究の趣旨に理解と賛同を示し、積極的に協力してくれることが期待できる。まずは目の前にある宝の山を掘り起こすことから始めたい。
本稿では、障害者教師の実態調査として、視覚障害教師を取り上げ、その実践事例を聴き取り、それぞれの実態を明らかにしていく。具体的には、次のようなことを調査の射程に入れている。まず、視覚障害者が教師として働く場合に困難を生じる職務内容を確認する。様々な要素から構成される教師の職務の中で、視覚障害のために困難となる事項を確認することは、困難を解消するための手立てを講じるためには不可欠である。次に、それらの困難を解消するために、実際にどのような方法が取られているかを明らかにする。視覚障害教師が自身の努力と工夫で克服していることもあれば、サポートを受けることで解消していることもあるだろう。サポートの内容としては、設備・機器類などの物的サポート、アシスタントや同僚教師などからの人的サポート、授業や校務分掌の軽減などの職務配慮が考えられるが、これらの具体的な内容や方法を明らかにする。これにより、視覚障害教師が能力を十分に発揮し、教育効果を上げるために必要な環境の調整を提案することができる。
そして、最も注目したいのが視覚障害教師と子どもたちとのかかわりの実態である。子どもたちとの関係性において、教師の障害はどのような意味をもつのか。視覚障害教師の日々の教育実践を検討することで、その問いに答えることができるだろう。また、視覚障害教師たちは自らの障害をどのように捉え、意味づけているのかにも注目したい。
TOP
3.調査方法と実施手続き
3-1.方法
本稿は、視覚障害教師たちの経験を掘り起し、実態を明らかにしようとするものである。実態把握の方法としては、質問紙などを用いた量的調査と観察やインタビューなどによる質的調査がある。本研究では後者に含まれるインタビュー法を採用する。インタビュー法は広く豊かに人間の経験に迫る方法であり(やまだ 2007)、視覚障害教師の生きた教育実践の経験を全体的に把握するには最適な方法だと考えられるからである。インタビューによって個々の視覚障害教師の実践事例を丁寧に聴き取り、それを積み重ねていくことで、個人の主観的経験のみならず、視覚障害教師たちの客観的実態を明らかにしていくこともできる。
佐藤郁哉は、問いと仮説の設定について、質問紙法などのサーベイ調査とフィールドワークとを対比して、次のように指摘している。「サーベイの場合、特に仮説検証型とよぶことができるタイプのサーベイでは、実際に調査をおこなう前にかなりの時間をかけて、調べようとする項目や要因という点に関して十分に焦点をしぼりこんだ仮説をつくっておかなければなりません」(佐藤 2002)。本研究は、障害者教師の教育実践を明らかにし、そこから既存の教育を問い直すというかなり大雑把な目的で始められた。特定の問題について調査の焦点を絞り込んだ仮説を作るには、実際のところ、まだ十分に問いを明確化することができていない。研究を進める中で明確な問いが発見され、仮説検証型のサーベイの必要性が出てくれば、質問紙法などの量的調査も行いたい。一方、質的調査であるフィールドワークについては、「正しい答えを出すために有効なデータや資料を集めることができるだけでなく、調査を進めていくなかで問題そのものの輪郭や構造を明確にしていくことができる」という点を特徴として挙げ、問題発見をおこなう上で最も適した調査法だとしている(佐藤 2002)。このフィールドワークについての指摘は参与観察を念頭に置いたものだが、インタビューなど他の質的研究にもあてはまる(サトウ 2007)。桜井厚も、ライフストーリー・インタビューは「目的やテーマの絞り方が調査の進行過程と深く絡んで同時進行的に変わっていく」としている(桜井 2005)。本研究は、目的が大雑把で問いも十分に絞り込まれていない。勿論、開き直ってそれでよしとするつもりはないが、本研究の方法としては、量的調査よりも質的調査が馴染みやすいと考えられる。
質的調査の方法としては、大きく観察法とインタビュー法が挙げられる。観察法は、調査対象の現場に参与するなどして観察し、データを収集する。インタビュー法は、対象者と対面し、主に言語による相互作用を通してデータを収集する。本研究は視覚障害教師の教育実践を調査対象としているので、参与観察をする場合、対象現場は彼/彼女らが勤務する学校ということになる。学校現場に調査者が入り込むことは、実のところ容易ではない。視覚障害教師本人の負担、子どもたちや同僚教師への影響、学校や教育委員会の許可を得るための手続きの煩雑さなどを考えると、安易に参与観察法を選択することはできない。また、筆者が視覚による観察ができない障害者であることも調査方法の選択を制約する。インタビュー法であれば、対象者個人の協力があれば無理なく実施できる。限られた期間に多くの事例を収集できる点でも、参与観察法よりもインタビュー法のほうが本研究には適切である。このような理由で、本研究では調査方法としてインタビュー法を採用した。
インタビュー法は、構造化の程度によって、構造化(標準化)インタビュー、半構造化インタビュー、非構造化インタビューの3つに区分される(徳田 2007)。本研究では、視覚障害教師の職務についての困難とその解決方法、授業方法や子どもたちとの関わりなど、予めある程度の問題関心をもってインタビューを実施する。質問には問題関心に沿った構造化をほどこす必要があるが、語り手にはできるだけ自由に自らの教育実践を語っていただきたかった。そこで、本研究では、半構造化インタビューを行うことにした。半構造化インタビューは、質問項目や枠組みにある程度の構造化をほどこしつつ、実際のインタビュー場面では、興味深いトピックや語りについては適宜質問を加えたり、話題の展開に応じて問いの順序を変える等、語り手の反応やインタビュアーの関心に応じて、十分な柔軟性をもたせるインタビュー法である(徳田 2007)。
インタビューの結果はライフストーリーとして書き記した。ライフストーリーの「ライフ」は、生活や人生、一生、生涯、生命や生き方と訳されるが、ライフストーリーはそのような訳語で表現される多面的な「ライフ」を描くものである(小林 2010)。本研究も、視覚障害教師の「生活や人生、一生、生涯、生命や生き方」を描くことで、その実態に迫る手法を取る。
個人の生活しを描いた記録は古くからライフヒストリーと呼ばれてきた。ライフヒストリーは、調査の対象である語り手に照準し、語り手の語りを調査者がさまざまな補助データを補ったり、時系列的に順序を入れ替えるなどの編集をへて再構成したものである(桜井 2002)。本稿ではそれと区別してライフストーリーという用語を使う。その理由の第一は、本稿の語りの記録は口述されたものをほぼそのまま書き記したものだからである。他の資料でデータを補ったり、順序を入れ替えて編集するようなことはほとんどしていない。ライフストーリーは口述の語りそのものの記述を意味するだけではない。桜井厚は方法論的に、ライフストーリーをライフヒストリーから分かつ点として、調査者の位置づけが異なることを挙げている。ライフヒストリーは対象者の現実のみを描いて調査者を見えない「神の目」の位置におくのに対して、ライフストーリーは調査者の存在を語り手とおなじ位置におくものだとしている(桜井 2002)本稿も、インタビュー過程における語り手とインタビュアーの相互行為によってライフストーリーが〈いま-ここ〉で構築されるという立場を支持する。この点からも、本稿ではインタビューの結果を書き記した記録にライフストーリーという用語を使う。
桜井厚は、ライフヒストリー法の代表的なアプローチとして、実証主義、解釈的客観主義、対話的構築主義の3つを挙げている(桜井 2002)。本稿は、ライフヒストリーの語りが、かならずしも語り手があらかじめ保持していたものとしてインタビューの場に持ち出されたものではなく、語り手とインタビュアーとの相互行為を通して構築されるものであるとする対話的構築主義の見方を基本的には支持している。しかし、視覚障害教師の実態として明らかにしたいことの中には、経験の主観的意味を重視したいことと客観的な社会的現実を把握したいことが含まれている。前者には対話的構築主義のアプローチが有効であるが、後者には事実の検証に馴染みやすいアプローチを取らざるをえない。そこで、語りの真実性を他の外的データで担保しようとする実証主義や多数のライフストーリーを収集することによって語りが描き出す現実を客観化しようとする解釈的客観主義にも依拠している。一つの論文の中で、立場の異なるアプローチを使い分けることは‘ご都合主義アプローチ’との誹りを受けるかもしれない。体系化された方法論の一部だけを取り出して用いても方法論の意味をなさないかもしれないし、方法論間の相容れない齟齬に気づいていないかもしれない。このような危険性には十分に注意を払う必要があるだろう。その上で、主観的経験も客観的事実も境界線なく混在している語りを丁寧に切り分け、何に注目し、何を明らかにしたいかを見極め、その都度、目的にかなったアプローチを試みたい。
質的研究では、調査方法の妥当性・信頼性を客観的な外的基準との対応のみに求めることは適当ではない(サトウ 2007)。データ収集から分析にいたる基礎的な調査過程を示し、手続きを透明化することによって、ライフヒストリー法の妥当性・信頼性が確認される(桜井 2002; 2005,サトウ 2007)。そこで、以下に本研究の調査手続きを詳述する。
3-2.対象
インタビューは、全国視覚障害教師の会歴代代表5名と発起人1名の合計6名に行った。全員がインタビュアーである筆者とは全国視覚障害教師の会を通じてかなり以前から交流がある。歴代代表と発起人を対象としたのは、個人の教育実践とともに、同会の歴史的経緯や活動内容についても情報を収集したかったからである。全員が視覚障害教師としても長期にわたる豊かな経験をもっている方々である。5名は既に教職を退いており、教師生活の全体を振り返って語っていただくことができたし、あとの1名は定年退職を3年後に控え、30年にわたる教師生活を総括されている次期でもあった。この6名の簡単なプロフィールを次に記す。
《インタビュー対象者のプロフィール》
○楠敏雄先生
・全国視覚障害教師の会発起人の一人。
・1944(昭和19)年、北海道生まれ。
・結膜炎の治療ミスのため2歳で失明。
・1973(昭和48)年4月から1986(昭和61)年3月まで大阪府立天王寺高校定時制非常勤講師(英語科)。
・全盲の教師が高校に勤務した初めてのケースとされる。
○三宅勝先生
・全国視覚障害教師の会初代代表(1981~1992年)
・1929(昭和4)年、兵庫県生まれ。
・1977(昭和52)年3月、緑内障の手術後失明。
・1978(昭和53)年4月、川西市立多田中学校教諭(音楽科)に復職。
・中途失明後、教壇復帰した初めてのケースとされる。
・1989(平成元)年3月、多田中学校定年退職。
○長井仁先生
・全国視覚障害教師の会第2代代表(1992~1996年)
・1935(昭和10)年、新潟県生まれ。
・1981(昭和56)年7月、網膜はく離により失明。
・1983(昭和58)年4月、加茂暁星高校教諭(社会科)に復職。
・1996(平成8)年3月、加茂暁星高校定年退職。
○松田祥男先生
・全国視覚障害教師の会第3代代表(1996~2000年)
・1940(昭和15)年、韓国ソウル市生まれ。
・1980(昭和55)年4月、広島県立三次高校定時制(数学科)転任を機に弱視であることを公表。
・2001(平成13)年3月、三次高校定時制定年退職。
○有本圭希先生
・全国視覚障害教師の会第4代代表(2000~2002年)
・1954(昭和29)年、大阪府生まれ。
・緑内障による先天盲。
・1979(昭和54)年、大阪府教員採用試験に点字受験で合格。
・点字受験が正式に実施されてから初めての合格者とされる。
・1980(昭和55)年1月、大阪府立盲学校教諭(英語科)新規採用。
・1982(昭和57)年4月、大阪府立白菊高校に転任。
・全盲で高校の教諭となった初めてのけーす。
・1998(平成10)年4月、大阪府立今宮高校に転任。
・2009(平成21)年4月、大阪府立夕陽丘高校に転任。
○山口通先生
・全国視覚障害教師の会第5代代表(2002~2010年)
・1949(昭和24)年、千葉県生まれ。
・1991(平成3)年4月、視覚障害のため東京都立工芸高校(社会科)休職。
・1992(平成4)年4月、工芸高校に復職。
・2005(平成17)年4月、東京都立小平高校に転任。
・2010(平成22)年3月、小平高校定年退職。
インタビューの依頼は、電子メールか電話、もしくはその両方で行った。対象者は全員が墨字を直接目で読むことはできない。墨字の手紙による依頼は読むのに手間を強いることになるが、電子メールはパソコンの読み上げソフトにより独力でかなり自由に読み書きすることができる。ご自身の視覚障害教師としての教育実践と全国視覚障害教師の会について話を聞かせていただきたい旨を依頼し、お話は記録して全国視覚障害教師の会会員で共有するとともに、筆者の研究に使いたいことを伝えた。インタビューの目的を、視覚障害教師たちへの情報提供と筆者の研究への協力という2点から説明したわけだが、前者のほうを少々強調したきらいがある。それはインタビュー時点では本研究の具体的なイメージが固まっておらず、収集した情報をまずはそれを必要としている視覚障害教師に伝えたいという思いがあったからである。実際、インタビューのトランスクリプトを語り手の承諾を得て個別に提供したこともある。そうではあるが、筆者の研究という今のところかなり個人的な事情へのお付き合いを多忙な対象者にお願いするのに気が引けたことも確かだった。研究倫理では調査者の被調査者に対する暴力性が言われるが、全国視覚障害教師の会の仲間のためという大義名分は、無遠慮に対象者のフィールドに踏み込む後ろめたさをかなり軽減してくれることとなった。インタビュー記録の取り扱いには十分注意し、公表にあたっては必ず許可を得ることも誓約した。対象者は全員、インタビューの趣旨を好意的、協力的に受け止めてくださり、依頼を快諾してくださった。
3-3.インタビュー手続き
ライフストーリー研究では、調査者自身がライフストーリーが生み出される場の一端を担っており、聞き手であり調査研究をしている「自己」はライフストーリー研究の重要なツールにほかならない(桜井 2005)。インタビューの聞き手である筆者の「自己」は、語り手と同じ視覚障害教師であったという点だけでも、生み出されるライフストーリーに特有の影響を与えたに違いない。そこで、筆者の「自己」を明示しておく必要があるが、それは本稿の「はじめに」で表明したつもりなので、そちらを参照していただきたい。
インタビューは、1回2時間程度を目安に、対象者それぞれについて2回実施する計画を立てた。インタビューは2010年10月から2011年10月までの間に実施した。対象者6名のうち、4名には2回実施し、2名は日程の都合上1回の実施となった。インタビューでは、語り手としての対象者は自ら話題提供したり、積極的に語りを展開したりして、話が途切れることはほとんどなかった。インタビュアーとしての筆者も、授業を仕事としてきた語り手の話に引き込まれ、思わぬ話題に興味をそそられることが多くあった。結果、インタビュー時間は予定を大きく超過することになった。
インタビューの場所は、5名が語り手の自宅、1名が喫茶店であった。視覚障害者は移動に困難をかかえるため、外出の負担がなく、トイレなどにも自由に行ける自宅での実施が適当だと思われた。筆者が語り手の自宅での面接を希望したのだが、ただ単に調査者と面会するというのではなく、旧知の後輩を自宅に招くという気持ちで同意していただいたように思う。
インタビューは語り手とインタビュアーである筆者が対面して行い、一部語り手の家族からの声かけなどがあったが、基本的には他の参加者はいなかった。インタビュー内容は、語り手の承諾を得て、一部休憩などを除き全部をICレコーダーで録音した。
インタビュー項目としては、大きく語り手自身に関することと全国視覚障害教師の会に関することの二つの柱を立てた。語り手自身に関することとして、生い立ち、教師になる経緯、中途失明者の復職の経緯、職務上の困難とサポート体制、子どもたちとのかかわりなどのテーマに沿って質問した。全国視覚障害教師の会に関することとしては、会の歴史的経緯、活動内容、会と語り手とのかかわりなどについて尋ねた。語り手が自発的に語ってくださることを妨げないように注意しながら、予め具体的な質問項目も準備しておき、適宜、それらも差しはさんだ。
インタビューの日時、録音時間、場所、インタビュー全体を逐語的に書き起こしたトランスクリプトの文字数を次に示す。
《インタビューの日時・録音時間・場所・トランスクリプトの文字数》
○楠敏雄先生
(第1回)
・日時:2011年10月2日(日) 16時2分~17時53分
インタビュー録音時間:1時間40分
場所:楠先生自宅(大阪府東大阪市)
トランスクリプト:約31200字
○三宅勝先生
(第1回)
日時:2010年10月16日(土) 14時15分~16時30分
インタビュー録音時間:2時間15分
場所:三宅先生自宅(兵庫県西宮市)
トランスクリプト:約35700字
(第2回)
日時:2010年11月6日(土) 13時45分~16時15分
インタビュー録音時間:2時間30分
場所:三宅先生自宅(兵庫県西宮市)
トランスクリプト:約48100字
○長井仁先生
(第1回)
日時:2010年12月25日(土) 14時20分~17時40分
インタビュー録音時間:2時間42分
場所:長井先生自宅(新潟県加茂市)
トランスクリプト:約32700字
(第2回)
日時:2010年12月26日(日) 9時45分~12時5分
インタビュー録音時間:2時間10分
場所:長井先生自宅(新潟県加茂市)
トランスクリプト:約25400字
○松田祥男先生
(第1回)
日時:2010年11月27日(土) 13時40分~15時40分
インタビュー録音時間:2時間
場所:松田先生自宅(広島県三次市)
トランスクリプト:約25000字
(第2回)
日時:2010年12月11日(土) 13時~15時40分
インタビュー録音時間:2時間40分
場所:松田先生自宅(広島県三次市)
トランスクリプト:約33400字
○有本圭希先生
(第1回)
日時:2011年1月14日(金) 14時55分~18時3分
インタビュー録音時間:3時間8分
場所:有本先生自宅(大阪府大阪市住之江区)
トランスクリプト:約68600字
○山口通先生
(第1回)
日時:2011年2月1日(火) 13時53分~17時8分
インタビュー録音時間:3時間15分
場所:喫茶室「ルノアール」三鷹店(東京都三鷹市)
トランスクリプト:約62500字
(第2回)
日時:2011年2月2日(水) 13時25分~15時37分
インタビュー録音時間:2時間12分
場所:喫茶室「ルノアール」三鷹店(東京都三鷹市)
トランスクリプト:約41400字
録音したインタビューは、筆者が語り手とインタビュアーのすべての発話を逐語的に書き起こしてトランスクリプトを作成した。作成したトランスクリプトは、聞き違いや誤認がないかをそれぞれの語り手にチェックしていただいた。電子データ(テキストファイル)や音訳データ(音訳者朗読、コンピュータ合成音声読み上げ)、印刷物など、語り手が確認しやすい媒体で送付した。トランスクリプトについては、語り手からは特に指摘や異議はなかった。
3-4.ライフストーリーの編集
作成したトランスクリプトをもとに、それぞれの語り手のライフストーリーを編集した。まずトランスクリプトをひとまとまりのトピックごとに切片化し、内容を表すタイトルをつけてコーディングした。それぞれのトランスクリプトの切片の数は次のとおりである。楠先生33、三宅先生1回目16、2回目21、合計37、長井先生1回目37、2回目31、合計68、松田先生1回目18、2回目33、合計51、有本先生55、山口先生1回目41、2回目37、合計78である。
次に、これらの中から、他の全国視覚障害教師の会会員の個別事例についてのトピックを除外した。個別事例のトピックには個人情報が多く含まれており、例え匿名にしても当事者の特定は不可能ではないし、当事者の承諾を得たとしても、論文に記して公表したときの影響には危惧が拭い去れなかった。また、語り手の経験に着目するライフストーリーには、他の人の体験や情報についての語りを組み入れることが難しかった。話題に挙がった視覚障害教師には、今後、直接インタビューすることも検討したい。
全国視覚障害教師の会についてのトピックでは、語り手と同会とのかかわりに関することは取り上げたが、同会の歴史的経緯、活動内容に関することは除外した。これらは社会的現実の検証を重視したいトピックである。客観的事実を明らかにするには、実証主義や解釈的客観主義アプローチが有効であるが、信憑性を担保するための外的データや他のライフヒストリーを十分に集積することはまだできていない。同会の歴史的経緯と活動内容については、それだけで一つのテーマになると思うので、別稿で取り組むつもりである。
ライフストーリーの記述の仕方には、トランスクリプトの加工の程度やインタビュアーの発話の扱い、筆者の解釈や説明の加え方などによって様々なスタイルがある。本稿では、トピック単位で切片化したトランスクリプトを時系列とコードの関連性によって配列し直し、その前後に筆者のコメントを添えてライフストーリーを構成した。ただし、語りはほぼ時系列に従って関連あるトピックが順序よく語られていたので、トランスクリプトの順序を入れ替えることはほとんどしなかった。切片化したトランスクリプトは「tr.」という記号で表し、配列順序に従って数字を付した。例えば、「tr.1-1」は、第1章の1番目のトランスクリプトを示す。筆者のコメントは、トランスクリプトの要約、補足説明、若干の解釈などである。
トランスクリプトはできるだけ多くをライフストーリーの中にそのまま組み入れた。筆者の関心によるバイアスで、語りの本来の語り口を損なったり、貴重な語りを削除してしまったりすることを極力避けたかったからである。語られた世界をできるだけありのままに提示し、読者の解釈にも開かれたものとなるようにした。
トランスクリプトを附録資料として別に記載することも考えたが、本稿は視覚障害者の読者も想定している。視覚障害者が電子データ、音訳、点訳などで論文を読む場合、活字本のように本文と巻末の注釈や資料とを簡単に行き来して読み進めることはできない。今読んでいる箇所から参照したい箇所をすぐに見つけて移動し、2か所を見比べながら読み進めるのはかなり困難な作業である。前から順に読み進めていけば必要な情報が入手できる構成とするため、多量にはなるがトランスクリプトを本文中に組み入れることにした。
トランスクリプトには、インタビュアーである筆者の発話も記載してある。ライフストーリーは語り手とインタビュアーの相互行為によって構築されるという対話的構築主義の立場から、インタビュアーの発話を記載することで、どのような相互行為によってライフストーリーが生み出されたかの一端を示すことを意図している。インタビュアーの発話は、【中村:………】のように示した。語り手の発話の中で、意味理解のために語句を補った場合は( )でその語句を囲んだ。録音が聞き取れずトランスクリプトで文字化できなかった箇所は「(聞き取り不能)」と記した。
このようにして書き記したライフストーリーは、トランスクリプトと同様に語り手にチェックしていただいた。筆者の博士予備論文として公表する旨を伝え、誤認や不都合な点を指摘していただいた。結果、有本先生から、語りの内容の公表は差支えないが、トランスクリプトをそのまま掲載するのは抵抗があるとの連絡があった。有本先生の人柄が現れた魅力的な語り口を伝えられないことは残念だが、そのような事情で「第5章 有本圭希先生のライフストーリー」はトランスクリプトを掲載せずに構成した。他の5名のライフストーリーも、一部の固有名詞を匿名化したり、表現を改めたり、部分的な削除をしたりして最終稿を決定した。なお、ライフストーリーは実名で記し、登場する個人名や学校名などの固有名詞もできるだけ明示した。本稿では、視覚障害教師の歴史的・社会的事実を掘り起し、記録しておくことに意味を置いているからである。関係者、関係諸機関への影響には十分に配慮したつもりである。他ならぬその人固有の人生は、その人の名前で語られてこそ、本来の輝きを放って立ち現れるものだと筆者は考えている。
【注釈】
☆1:本稿のライフストーリーでは、各語り手の‘教師としてのライフ’を描き出すことを意図している。インタビューにおいて、聞き手である筆者は語り手を‘先生’と呼んでいるし、語り手も‘先生’としての立場で語っている。このことから、ライフストーリーにおける語り手の敬称は‘先生’とした。長井仁先生は第3章のライフストーリーの語り手である。ライフストーリーでは‘長井先生’としているので、統一性をもたせるためにここでも敬称は‘先生’とした。本稿では、教師の敬称はすべて‘先生’に統一した。
☆2:障害者数とは、身体障害者数、知的障害者数及び精神障害者数の計であり、短時間勤務職員以外の重度身体障害者及び重度知的障害者については、法律上、1人を2人に相当するものとしてダブルカウントとし、重度以外の身体障害者及び知的障害者並びに精神障害者である短時間障害者については、法律上、1人を0.5人に相当するものとして0.5カウントとしている。
☆3:都道府県等の教育委員会の法定雇用率は2.0%である。これを達成しているのは、都道府県教育委員会は47機関中24機関、市町村教育委員会は74機関中61機
関である。「はじめに」の☆5参照。
*作成:小川 浩史