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ALSを取り巻く壁と今伝えたいこと

岡部 宏生 2010/12/16
東京大学教養課程自主ゼミナール 於:東京大学・駒場


  こんにちは。 東京・江東区で在宅療養中の岡部と申します。
  本日はこのような機会を頂いてありがとうございます。
  ALSの明確な発症は2006年春、確定は同年9月でした。
  2007年7月より在宅療養開始、2009年2月胃ろう造設、9月に気管切開、人工呼吸器を使用しています。
  先ほど吉本事務局長からの説明でALSの概要についてご理解頂いたと思います。
  患者にとってこの病気の過酷なところは病状だけではなく、生死を自分で選ばなければならないことです。
  気管切開をして、人工呼吸器をつけて全身不随となって生きるか、それとも着けずに死んでいくか。
  患者の約7割が呼吸器を着けずに死んでいきます。
  呼吸器を着ければ生きていけるのに、なぜそれを選ぶ患者が少ないのでしょう?
  過酷な病状以外にも、24時間の介護を要するため、家族の介護負担や経済的負担を考えて生きることを諦める患者も多いのです。
  我々患者はこれを「自死」と呼びます。
  生きることを選択した患者には、文字通り365日24時間の介護が必要となり、膨大な介護と、医療・看護を始めとしたたくさんの専門職やボランティアの支援を頂いて日々生きることが成り立っていくわけです。
  さて本日私にご依頼頂いたテーマは、ALSという病気は「患者や家族にどのような影響があるのか」、「生活支援や医療支援を行っていく上での壁はどこにあるのか、どういった取り組みをしているか」などですが、生死の選択を迫られるような病気ですので、患者本人にも家族にも影響は計り知れません。存在が無くなってしまえば影響云々とは言えませんし、個人差も非常に大きいので、必ずしもテーマに直球でお応え出来ませんがご容赦ください。

■患者が受ける影響・家族が受ける影響

  病気の告知は、あいまいな場合と明確な場合があるが、いずれにしても患者が受けるショックだけは共通で、おそらく当事者以外には想像もできないほどの衝撃だろう。告知後の患者は身体が動くうちにと自殺も考えるし、実際に自殺をする患者もいる。
  本当かどうかわからないが、医師の間で、最も罹患したくない病気だと言われていると聞いたことがある。また、医学部の学生の中には、「この病気に罹患したと思いこむ症候群」があると言われているほど過酷な症状の病気である。
  患者は自分がこの病気だとわかった時から、反応はさまざまに分かれる。
  この病気を自分で出来る限り調べる人もいる(このタイプは、その後病気と共に生きる人が多いようである)が、あまり詳しく知ろうとしない人も少なくない。
  自分の身体が日に日に動かなくなる恐怖、現状を受け容れて暮らそうとしても、しばらくするとその現状がまた悪化するということの繰り返し。
  生きていく上でとても重要かつ便利な「慣れる」という根源的な特性さえこの病気では発揮出来ない。
  そして食べることも喋ることも困難になり、呼吸することさえ苦しくなっていくのである。
  特に進行が早いタイプの患者の場合は、病気を受け容れることは肉体的にも精神的にも極めて困難である。
  そもそもこの病気を「受け容れる」という表現自体不適切かもしれない。
  個人の性格、家族の状態など環境にも大きく左右されるが、患者に与える影響とは・・・生活・人生のすべてを根本的に変えてしまうというものである。
  
  家族に与える影響も計り知れない。家族の誰が罹患したかによって、また、それぞれの家族によってさまざまな違いはあるにしろ、精神的にも肉体的にも経済的にも大変な負担が発生する。
  人工呼吸器を付けた患者のケアは365日24時間必要であり、一時も一人にはできないため介護負担は膨大で、家族がそれを負担する場合はその家族もまたALSの当事者ということになる。
  ALSの患者もうつ状態になるが、家族にもうつ状態の人が出るのは普通のことである。
  ALSの残酷なところは、様々な原因(患者本人の状態や苛烈ともいえる介護負担など)により家族を壊すというところでもある。もちろん家族の絆や夫婦の絆が強くなり、ALS患者の生を支えることに生きがいを見出して人生をそれに費やし、幸せに過ごしている家族もいるが、全体の中で見れば極めて少ないだろうことは容易に推測される。
  私は患者なので、ひとつ、家族(ご遺族)サイドのお話しをご紹介しよう。
  

■家族として――68歳で発症し人工呼吸器を選択せず亡くなった女性のご家族(長女・会社員)の例

  『父(75歳)の定年退職後、故郷の九州に戻り夫婦でのんびり暮らしているところでの、母(68歳)の発病でした。
  国立病院に入院し検査を受けたのち、診断、告知され、自宅に帰ることを勧められました。
  すでに母は食事はとろみ食で、介助なしでは歩けない状態でしたので、高齢の父が在宅介護しきれるはずもなく、恐ろしい病気になってしまったショックと同時に「行く所がない」という恐怖に襲われました。今後について私が主治医や病院のソーシャルワーカーと話をした時には、これ以上治療できることはないので入院は続けられない、入院できる別の病院を探すことはできるが時間がかかるし遠いところになるかもしれない、家で過ごすのが幸せだ、と言われるのみで、目の前が真っ暗になりました。
  家族で話し合い、あと2年の命(一般的に2年、と主治医から説明されました)であるならと、東京に来てもらい3人で暮らすことにしました。この4カ月後に母は亡くなりましたが、もしこの時に余命が短いことがわかっていれば、私が介護休暇をとり、九州で死ぬことができたかもしれません。
  九州の病院からの紹介状を持ち、東京で最初にかかろうとした最寄りの大学病院では、神経内科の新患予約は2週間先でした。初診時に1か月分の投薬を受け、家に帰された時にも、不安でいっぱいでした。この頃には、母も父も私も精神安定剤を服用していました。
  ALSの専門医がいるクリニックがある、と患者の会で教えてもらい行ったところ、人工呼吸器を付けないなら余命は1か月と言われ、苦しみをとるためにモルヒネ投与を勧められました。家族で泣きながら家に帰りましたが、初めてちゃんと予後を教えてくれる先生に診てもらったという気がしました。
  母は人工呼吸器を付けないことを初めから自身で決めていましたので、あとはいかに苦しまずに死ねるかということだけでした。しかし、モルヒネと睡眠薬で眠らせたALS患者の終末を受け入れてくれる病院がなかなか見つからず、ようやく見つかったのが、療養型病床をもつ個人病院の1日5万円の特別室で、それでも23区内に見つかったのは運が良かったらしいのです。
  インターネットで難病情報センターのホームページなどを見ると、「支援は整っています、大丈夫、あとは大船に乗った気持で・・・」と思わせられるようなことが書いてあります。しかし実際はひとつひとつ自分で探して区役所や保健所に足を運び、手続きしていかなければなりません。母がどうなっていくのか、医師は教科書的なことしか教えてくれません。難病申請、介護申請、障害者申請など、申請から認定まで月単位で時間がかかり、途中で県を越えて引っ越してしまうとさらに時間がかかります。認定を待つ間に母の症状はどんどん進みます。九州で入院中に出した介護申請が東京に引っ越し後に認定され、要支援2でした。すぐに東京で再申請し、その認定は要介護5でした。
  さまざまな調査と手続きに忙殺され、病気の恐ろしさについて母と共有できなかったことが心残りです。』

  この原稿書いてくださった方は、実は私の原稿も口文字を取りながら膨大な時間を費やして書き起こしてくれた方なのです。
  「母が生きていれば介護に使っていた時間を、今自分は自由に使っている。これは母がくれた時間なので何か患者の役立つことに使いたい。」ということで、彼女は月に数回、休日を使って活動支援ボランティアをしてくれています。
  頂いた原稿を読んで私は彼女に、経過と共にその時の気持ちを詳しく書いて欲しいとお願いしました。
  彼女もそれを試みてくれたのですが、お母様を亡くされて約2年、まだそれは無理だったようです。
  彼女のお母様は明確な意志を持って人工呼吸器を着けないと決めていましたが、そういうケースではなく、介護負担が問題となり、呼吸器を諦めたような患者の遺族の中には、その後自分を加害者と位置づけ、ずっと自分を責め続けるような方もいます。
  患者も家族もこの病気の被害者だと思いますが如何でしょうか。
  ALSは患者本人が逝った後も家族を苦しめています。

■生活支援や医療支援を行っていく上での壁はどこにあるのか

  生活支援の実態は、地域間格差がとても大きく、ひとくくりにはできない。
  東京が最も充実した生活支援制度を整備していると言われているし、ALSで呼吸器を着けている患者が、在宅独居の生活をしている(社会活動も盛んに行っている)例は世界でも稀なことである。
  その東京でさえ、地域による格差は大きいのが現状である。
  家族に頼らない、または頼れない患者はひと月に720(744)時間の支援が必要となるわけだが、実際にそれが実現されている自治体は全国で100程度しかない。
  また、高齢で発症した場合は、支援をしないと内規で定めている自治体が問題となった例もある。
  若いみなさんはご存じないかもしれませんが、フランス文学者の篠沢秀夫という教授がいらっしゃいます。この篠沢教授がALSを発症し、最近、在住の区で支援を断られたことが、テレビなどでずいぶん取り上げられました。これは障害者自立支援法に反した独自の内規であり、区長みずからお詫びをして制度を見直したという例がありました。
  つまり、患者が生きていくのには、家族で介護体制が構築出来るか、家族の人生を犠牲にするか、支援がとても充実した地域に住むしかないのである。
  また別の大きな壁は、制度のわかりにくさである。
  (参考資料・制度一覧表・・・佐々木さんという先輩患者の研究資料より抜粋)
  例えば、必要な手続きや利用が可能な制度を、一括して教えられる介護や福祉の専門家や行政の担当者は存在しないのである。患者や家族は、他の患者や家族との交流を通して情報を得ながら、療養体制を手探りで築いていくのである。
  難病患者や障害者に用意された制度は、まるで使えないようにしてあるかのようである。
  医療においては、病気の特性(原因不明・治療法なし)からか、神経内科医でさえ病気の機序のことを知っている程度で、(原因の究明など研究は盛んに行われているが)熱心に臨床に取り組んでくれているドクターは極めて少ない。
  患者は次々に自分に降りかかってくる症状に苦しみながら何も説明を受けることもできずにただ不安と焦燥感にさいなまれるのである。詳しいドクターに巡り合えば、今後の経過やそれに対する対処の方法が示されるのであるが、そういう幸運な患者は一握りである。
  看護については、地域格差の問題もあるが、慢性的に不足の状態が続いており、医療保険で利用できる範囲の看護を十分に使えている患者はごく一部である。
  このように病気を理解してくれる医療従業者の極端な不足と、訪問看護師の慢性的な不足は患者にとって大きな壁であろう。
  また介護者(ヘルパーさん)・看護・医療など患者を支える多くの専門職が連携し、総合的に療養体制を整備、維持出来るようなコーディネーターがほとんど存在しないことも療養生活のハードルを大きく引き上げている。
  

■制度の壁以外のさまざまな壁

  ALSの療養生活には、医療や制度以外にも壁がある。
  まず、長期入院が可能な病床が極めて少ないこと、また、療養施設も少ないことから、在宅療養が実現できないと生存の選択が実質的には不可能に近いである。
  次に、家族の介護負担を軽減することが必須であるにもかかわらず、ALSのケアをできるヘルパーさんがとても少ないという現状がある。介護事業所も介護保険対象のケアのみ提供している事業所が多く、自立支援法の重度訪問介護のケアを引き受けてくれる事業所は少ない。
  ALS患者の多くは常にヘルパーさんの確保に苦労している。20ヵ所ぐらいに問い合わせてもALSというだけで相談にさえ乗ってくれない事業所がほとんどであり80ヵ所に断られた例もある。
  考えられる理由としては、介護保険に比べて報酬が低いので、経営上の理由で受けないということ。また、ケアも難しいと思われているためにヘルパーさんが受けてくれないことや、受けても続かずに辞めてしまうのである。
  
  ケアの難しさ
  ALSに対するケアは、全身が動かないだけのケアにプラスして医療的なケアが必要となるという特性がある。人工呼吸器の取り扱いや、痰の吸引、経管栄養の注入などが不可欠となる。また、症状が進むと、喋ることができなくなり、意思疎通の手段は特殊な方法に限られてくる(パソコンなどの機械類や、今日使っている口文字や文字盤など)。これらが使えないと患者と介護者でコミュニケーションがとれず、ケアをとても難しくする原因となる。
  さらに、ALSの症状は運動神経の障害が代表的なものであるが、副次的に自律神経の障害や情動障害(感情失禁となり、泣き、笑い、怒りなどがコントロール困難となる症状)があるので、介護者は患者のことを大変気難しい人と思ってしまうことが多く、ケアを続けるのが嫌になったり、理解不能と思い辞めてしまうのである。患者は、自分の感情がコントロールできないことに焦燥や不安を抱え、介助者に対して取ってしまった態度にしばしば後悔するこのだが、それは伝わらないので、すぐに人間関係が壊れてしまうのである。
  このようないろいろな壁を越えてALSのケアを続けていける介助者(ヘルパーさん)は全体の数%であろう。従って慢性的な介護者不足は続いているである。
  
  今まで話してきたように、ALSによる本人への影響や家族への影響、そしてさまざまな壁により、ALS患者が生きていくのには極めて大きな困難が立ちはだかっていると思う。
  多くの患者が気管切開しないで亡くなっていくし、人工呼吸器をつけて生きている患者もほとんど寝たきりで、苦痛に耐えながら治療薬の開発を待っている状態の人も多く存在する。一方で、自分なりに活動や交流をしている患者が全国にいて、周囲が驚くほどの生命力やたくましさを発揮している患者もまた多いのである。
  私の場合、ここに昨年の気管切開手術後、退院してからの主な外出の記録があるが、自分でも想像していなかったほど活動的な生活となっている。(添付資料)
  もちろん周囲の支えによるものであるが、決して最初から用意されたものではなく、活動を望むことによってサポートをしてくれる人たちが少しずつ増えた結果である。
  困難や壁は大きく多いが、支援者がいてくれることによりこのような病気でもある意味において豊かな人生を送ることが可能となるのである。


  さて、ここからは、今日のテーマからはずれて、個人的なお話をさせていただきます。
  人はいつか必ず死ぬことは誰でも知っていることですが、普通それを意識して生きている人はいないと思います。私の場合は身体で死ぬということを知っています。また、病気の告知後、まだ体が動くときには自殺も可能でしたし、気管切開をするかどうかの判断は、生死の選択をすることだったので、精神的にも生死は身近なことなのです。
  「一期一会」がまさに実感されているので、せっかくみなさんにお会いできたこの機会に一番お伝えしたいことをお話します。
  それは価値観は無限であるということ、また人間は多面性を有しているということです。
  欧米(アメリカやイギリスなど)では日本に比べて人工呼吸器をつけて生きている患者は極めて少ないのです。なぜそんな身体になってまで生きていくのかという考えと、宗教上の理由で人工呼吸器は不自然な生であり、自然に神に召されるのが一般的な考えだからだと聞いています。
  前者は、日本人でも同様の疑問を持つと思います。
  みなさんは生きる意味はなんだと思いますか?
  私は最初から生きる意味など無いと思っています。生きることも死ぬことも病気も自然現象の一部であると思います。
  生きる意味は自分で見つけるものではないでしょうか。
  少なくとも、この世の中に正解などというものは存在しないことは明白ですよね。もし、正解があれば、世の中の悲劇はずいぶん減るでしょう。

  みなさんはいわゆるエリート(日本語では『選良』でしょうか)という人たちとしてこれから社会で活躍していくことと思います。
  論理というものはひとつの価値観であり、物事の一面をある共通の枠組みにあてはめたものですね。それは一方には正しくても、もう一方には別の理屈があるということです。つまり人間の論理とは、ある言い分であるわけです。
  もちろん世の中は、そういう論理を共通の枠組みとしてルールを定めて動いているわけですが、それは決して正解なわけではないことを忘れないでください。私のようになっても生きる意味があるかどうかは、論理ではわかりません。
  
  まず最初に大事なことは事実の認識だと思います。
  解釈は無限ですが事実はひとつです。今日みなさんと私がお会いしたのは事実であり、これを楽しい時間だと感じることや、つまらないと感じることは、事実と解釈が入り混じった領域で、私の話の内容についてどのような意見を持ったりするかは、解釈の問題です。どんな解釈も自由であり正解があるわけでもありません。
  
  さらに人間は多面的な生き物だと思います。
  ほかの生物には、生きる意味を考えるものなどいません。みんな生きることイコール100%です。ですから、私のような病気でも意味があるとかないとかは考えないでしょう。もっとも、全身不随となって生きられる方法があるのは人間だけですが。
  人工呼吸器をメガネや入れ歯と同じように解釈すればよいという人たちもいますし、それは不自然なことだという人もいるのです。まさに解釈の問題です。そしてその解釈も同一の人間でも、その置かれた環境や立場によって変化します。
  障害者にとって生きることが可能な社会は、健康な人たちに支えられている部分がたくさんあります。それを負担と感じるか、達成感や人を支える幸福感と思うか、さまざまでしょう。たぶん誰でも両方の側面を有していて、場面場面や立場によってさまざまに表出してくるのだと思います。
  
  発病してからは、人のとてもやさしい部分と触れ合う機会が増えました。それは私の考えに変化をもたらしました。
  当初私は、人工呼吸器をつける意思は強くありませんでしたが、自分のやりたいことが見つかり、呼吸器をつけて生きたいと思うようになりました。
  何をやりたいかは、何をできるかと必ずしも一致するものではありませんが、私の場合は、ただ生きることだけでもやりたいことに直結することがありました。
  ひとつは、患者や患者家族の役に立ちたいということ。これには患者としての経験が役にたちます。
  また、福祉などにまったく縁の無い人たち(発病前の私はまさにこれです。)に、さまざまな価値観を知ってもらえるよう、そういう方達となるべく多くの接点を持つこと。その人たちにとって生きることについて考える機会を少しでも提供出来ればと思います。
  そして、障害者に限らず、いわゆる弱者といわれる人たちが生きていける社会がいいか、そういうことは目指さないのかを意識して考えてもらう機会にして欲しいと思っています。
  弱者が生きられる社会が正解かどうかはわかりません。ただ、私はそういう社会のほうがどんな人にとっても生きやすい社会だと思うのです。
  
  このゼミナールの主題は、「日本の医療の光と影〜医療と福祉の現場から見る現代社会」ですが、何が「光」で何が「陰」なのでしょう?
  光と陰は解釈の問題でしょうか?
  私はそう思いません。多面性を有している人間の中に光と陰が存在し、それが反映されて社会に光と陰が生じるのだと思うのです。
  そしてそれは解釈でも論理でもなく、本能ではないでしょうか。
  その光の中の一部が、障害者や難病患者に無意識に向けられるやさしい心のように思えるのです。
  
  そんなことがお伝えしたくて、みなさんにお会いしに来ました。もしも今日が、何かを感じたり考えるきっかけになればとても嬉しく思います。
  
  本日は貴重なお時間をいただき本当にありがとうございました。このあと、質疑応答の時間があるそうです。どうぞ遠慮なくどんなことでも質問してください。意思疎通に時間がかかりますので、お答えできないときは持ち帰ってお答えします。どうぞよろしくお願い致します。

2010年12月16日  岡部宏生


UP:20101227 REV:
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