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「代理決定議論における文化的バイアス――ゲイ・レズビアンの直面する困難を例として」

片山知哉 2010/11/20 日本生命倫理学会第22回年次大会報告

last update:20101120

「代理決定議論における文化的バイアス――ゲイ・レズビアンの直面する困難を例として」
横浜市浜市総合リハビリテーションセンター/立命館大学先端総合学術研究科
片山知哉(かたやまともや)



1.問題の所在

1)問題の所在
 医療における代理決定は、あらゆる人間の利害に関わる普遍的論点である。それは医療が、ひとがその自律性を維持しがたい場の代表であるからであり、また代理決定が、ひとの潜在的・顕在的脆弱性への手立てとして不可避であるからである。そのため諸個人の属性によるバイアスを排した、公正な議論が求められるべきであるのだが、残念なことに現状はこの点において不徹底である。
 ゲイ・レズビアンが指摘する医療における諸困難は、その問題を鋭く照射している。急な病気や事故で倒れた時に、彼らは歴然と存在する血縁家族重視という慣習の壁に阻まれ、パートナーや親しい友人による面会さえままならない事態に直面する。こうした耐え難い苦痛を、医療における代理決定議論はほぼ等閑視してきた。本報告はこの議論の不在の意味を理論的に検討することで、代理決定を巡る議論の深化を企図するものである。
 本来その目的のためには、医療における代理決定の諸制度とそれをめぐる諸議論、そして代理決定に関してゲイ・レズビアンが行ってきた主張、というこの両者を広く射程として検討すべきである。だが残念ながら時間的制約のため、本報告においてはこれらの諸点を網羅的には扱わず、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(厚生労働省, 2007年)を巡ってゲイ・レズビアンが行った批判・要請について中心的に検討する。何故ならそれは、日本のゲイ・レズビアンが医療における代理決定に関して運動した現在のところ唯一の事例であり、ゆえに彼らの主張をそこに凝縮して読み取ることができるからである。

2)医療における代理決定の諸制度・諸議論
 日本のゲイ・レズビアンが医療における代理決定に関して行った主張とその意味を巡って検討する前に、医療における代理決定の諸制度・諸議論を簡単に振り返っておくことは有益だろう。
 医療における代理決定は、周知の通り日本においては制度化が為されていないが、国際的趨勢としては制度化とその充実の方向にあると言っていい。無論そこでもたとえば、ドイツの世話法とアメリカのヘルスケア代理とでは細かく見ると内容が異なるのだが、大局的に見ると「何を」代理できる/してよいのかについてと、「誰が」代理できる/してよいのかについて、組み合わせて規定されていることがわかる(註1)。
 したがって医療倫理学的にもこのふたつの論点、すなわち「何を」代理できる/してよいのかという問題と、「誰が」代理できる/してよいのかという問題とが、議論され検討されることになる。ところで前者の、「何が」問題に関しては周知の通り、一定の医療倫理学的議論の蓄積がある。また後者の「誰が」問題については、本人にとって物理的・心理的に身近な人間が代理決定することの問題性に注目した議論がある(註2)。
 だが、後者の「誰が」問題についてはもうひとつ、そもそも本人にとって物理的・心理的に身近な人間とは誰のことかという論点があるはずである。ところが奇妙なことに、この点についてはこれまでほとんど語られることがなかった。そしてまさにこの論点こそ、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を巡って、ゲイ・レズビアンが行った主張の中核に位置する論点であったのだ。
 したがって彼らの主張とは、医療における代理決定をめぐる議論にあらたな視点を導入するものであると言えるだろう。その確認の上で、次にその主張の背景として、日本のゲイ・レズビアンが終末期医療において直面する諸困難を整理してみたい。

2.日本のゲイ・レズビアンが終末期医療において直面する諸困難

 日本のゲイ・レズビアンが終末期医療において直面する困難には、同性パートナーとの関係について制度的保障がないことと、ゲイ・レズビアンの友人との関係について制度的保障がないこと、の二つを挙げることができる。順に検討していこう。
 同性パートナーとの関係について制度的保障がない、とは何を意味するか。ゲイ・レズビアンは終末期医療の場で、パートナーが何の権利も保障されないという困難に直面し続けてきた。歴然と存在する血縁家族重視の慣習の壁に阻まれ(註3)、面会さえままならない事態は、本人・パートナーの双方に耐え難い苦痛をもたらした。こうした事態の法制度的背景として第一に、同性婚やシビルユニオン、ドメスティック・パートナー制度など同性間パートナーシップ法の欠如が挙げられるだろう。だが第二に、医療における代理決定を定めた法制度の不在という日本固有の状況もまた要因となっていることを見逃すことはできない(註4)。
 日本のゲイ・レズビアンが、パートナーが入院した際の面会・監護権、医療情報を得る権利や医療同意代理権に抱く関心は突出している(註5)。たしかに日本のゲイ・レズビアンも他国と同様に、同性間パートナーシップ法に強い関心を抱き続けているが(Chauncey, 2004)、それが得られるまでの現実的代替手段としての養子縁組、公正証書や成年後見制度、個人情報保護法などの活用も行われてきた(註6)。そしてその大きな動機の一つが、医療におけるパートナーの諸権利を保障することにあったのだ。
 次に、ゲイ・レズビアンの友人との関係について制度的保障がないこと、とは何を意味するか。ゲイ・レズビアンは、互いに親族kinshipにも喩えられる親密な友人ネットワークを形成し(Nardi, 1999;Garner, 2005)、独自の文化を共有している。しかし同性愛嫌悪症homophobiaを背景に、ゲイ・レズビアンのネットワークは一般社会において不可視化され、両者は情報論的に断絶している。従って、ゲイ・レズビアン本人が自身の支持者として友人たちを招き入れることを、医療スタッフおよび法的親族に説得し切れない限り、掛け替えのない友人ネットワークから疎外されてしまうのだがそれは、多くの場合に困難であった。
 このふたつの困難の帰結として、第一に本人に心理的支持を与える人間の欠如、第二にゲイ・レズビアンの文化を医療スタッフに伝えることができる人間の欠如、そして第三にパートナー・友人が抱える承認を剥奪された悲嘆disenfranchised grief(Smolinski and Colon[2006])、を挙げることができる。以上が、日本のゲイ・レズビアンが終末期医療において直面する困難である。

3.厚生労働省の終末期医療ガイドラインを巡るゲイ・レズビアンの動きと検討会の反応

 ここまで述べてきた諸困難を背景として、2006年9月15日に厚生労働省から出された「終末期医療に関するガイドライン(たたき台)」に日本のゲイ・レズビアンは注目した。従来厚生労働省(旧厚生省)は、医師会や研究班へのガイドライン作成支援に留まり、自らガイドライン作成には着手してこなかった。その厚生労働省がガイドライン作成に着手すると聞き、もしかしたらそのガイドラインに自らのニーズを反映させることができればとゲイ・レズビアンたちは期待したのだ。
 検討会委員へのロビーイング、パブリックコメントの送付、厚生労働省担当部署に宛てた署名活動が行われた。パブリックコメント作成の呼びかけに限らず、多くのウェブサイトではこの問題について情報発信が為された。それらに目を通してみると、ゲイ・レズビアンが終末期医療ガイドラインのどこに課題を見出していたかが理解できる。彼らの多くは「同性パートナーの権利」という文脈でこれを理解した。そしてガイドライン「2.終末期医療及びケアの方針の決定手続き (2)患者の意思の確認ができない場合」に記されている、「家族等の話等から患者の意思が推定できる場合には、その推定意思を尊重し」「患者の意思が推定できない場合には、家族等の助言を参考にして」の、「家族等」に同性パートナーは含まれるのかという点が、注目され議論されたのである。
 つまり彼らは、「家族の定義」問題を照準として運動を行った。彼らの主張を要約すると次のようになる。本人にとって物理的・心理的に身近な人がいるのに、そうではない血縁家族が医療判断において重視されるとは、次のような問題が生じるだろう。例えば本人の意思・意向、最善の利益を知らず、代弁もしない/できない危険性が高いのではないか。本人が傍にいて欲しいと望むだろう人間を不当に排除する結果にならないか。つまりゲイやレズビアンは、血縁家族よりもパートナーの方が身近であり、パートナーの方が本人の利益に適った行動もでき、本人もそれを望んでいるのだ、と主張する。端的に言うなら、彼らは「家族の定義」を問題とし、どちらがより本人にとって良い家族であるかを争ったのだ(註7)。
 日本のゲイ・レズビアンが初めて終末期医療に注目して展開したこの運動は、厚生労働省が2007年5月21日に公示した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン解説編」の「注10 家族とは、患者が信頼を寄せ、終末期の患者を支える存在であるという趣旨ですから、法的な意味での親族関係のみを意味せず、より広い範囲の人を含みます(このガイドラインの他の箇所で使われている意味も同様です)」という記述を見る限り、一定の成果があったというべきだろう(註8)。だが、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン検討会」およびそれを引き継ぐ形で発足した「終末期医療のあり方に関する懇談会」の議事録を見ると、実は「家族の定義」問題を巡ってはほとんど議論されていないことに気付かされる(註9)。
 また、家族の定義問題と並んでゲイ・レズビアンの主張に親和的と思われる「ヘルスケア代理人の設定」という論点についても、慶応大学医学部の池上直己委員によって問題提起が為されているにもかかわらず実質的な議論は生起しないままであった(註10)。東京大学法学部の樋口範雄委員は、射水市民病院における呼吸器外し事件を念頭に、終末期医療の問題を法律の問題として処理しようとする趨勢を批判して次のように述べているが、この発言は制度的解決を避けようとする懇談会に一貫して流れる基底音を象徴している。

――いま我が国では法律が非常に不明確なので問題だということを言う人がたくさんいるのですが、こうして見ると、実は明確なメッセージを伝えているのではないかと私は思うのです。生き方・死に方というのは個人の自由の問題で、画一的なものは嫌だということです。つまり、こういう状態になったら死になさいと言われたら、たまったものではない。また、こういう状態になっても生きなさいということを押しつけられるのも嫌だ。実はこれまでの法もそういうことを支持している。だから安易な法は作らないという態度でそういうことを表しているのではないか。これまでの検察、警察、裁判所の態度は、私が楽観的なのかもしれませんが、法を過剰に恐れる必要はない。こういう問題は法律の問題ではないと言っているのです。――
(第4回終末期医療のあり方に関する懇談会議事録)

4.結論:文化的バイアスの存在

 終末期医療における困難は法制度的に規定するのではなく、現場の人間の話し合いによって解決すべきだとする樋口の発言は、一見すると慎重で思慮に満ちたもののように思われる。だが、リビングウィルにせよヘルスケア代理人の設定にせよ法制度的規定を採用しないことは、単に「何も決めない」ということを意味するわけではない。それは現実的には、現場を規定する多様なポリティクスを黙認するという決定を意味している。
 既に確認した通り、ゲイ・レズビアンは医療現場において非常に大きな困難に直面し続けているが、終末期医療における法制度的規定の有無や内容によってその困難は変化しうる。以上の議論から理解できることは、ヘルスケア代理をめぐって為される医療倫理学的検討は、たとえ表面上あらゆる人間に妥当する中立的な議論を行っているように見えようとも、実際上の効果としては特定の人間に対して利益や不利益をもたらすものである――つまり、文化的なバイアスを有しているということだ。
 したがって我々は、時に意識されないこともある法制度やそれに関する議論の文化的バイアスを同定し、評価し、必要に応じて修正しなければならない責任を持っている、と言えるだろう。では、それはどのようにして達成され得るだろうか。  少なくとも本報告の論点に限れば、検討会や懇談会の議論に認められたこの文化的バイアスは、その場の委員だけにあるというよりもむしろ、より広い社会というコンテクストに存する同性愛嫌悪症の反映であろう。ならばその解決は、医療現場におけるミクロなポリティクスを、政策というマクロなポリティクスによって矯正するという方向になる。しかし本報告では残念ながらこれ以上の検討はできず、議論は別の場で継続することとしたい。

(註1)たとえば、日本において成年後見制度が策定される際に参照したとされるドイツ世話法を見てみよう。そこでは本人が医療における判断能力を欠く場合に、代理人が医療同意を代行することができるのだが、代理人が医療行為を代行できるのは、事前にその旨書面にて代理権授与が為された場合を除き、基本的には重大な侵襲を伴わない医療行為についてである。重大な侵襲を伴う医療行為は後見裁判所の許可が必要であり、臓器提供・安楽死については対象外である。つまり、代理人が代理決定できるもの、後見裁判所でないと判断できないもの、後見裁判所でも代理決定できないものとあり、「何を」と「誰が」が段階的に組み合わされて規定されている。なお代理人は、同意能力を欠く以前に本人によって事前配慮代理権授与されたもの、もしくは裁判所が選定したものがなるが、選任されるのは個人的接触のある親族・市民が割合として多い。

(註2)本人にとって物理的・心理的に身近な人間が、本人の医療判断を代行することそれ自体の問題性に注目する議論には、たとえば以下のようなものが挙げられる。第一に、身近な人は本人と利害関係を有し、しばしばその利害は対立するが、その時そうした者の判断は妥当なのだろうかという問い。介護をめぐる身体的・心理的負担や、経済的負担、更にそこに血縁家族であれば遺産問題が絡むだろう。また第二に、負担を抱えた人間の判断は歪みやすく、そのためその言葉を信頼して良いのだろうかという問い。こうした問題圏については、たとえば川口[2009]や立岩[2004]などを参照せよ。

(註3)後述するが、日本の法制度上は、一身専属性の高い医療行為に関して代理決定できる権限を持つ人間は存在しない。にもかかわらず医療現場においては、不可避的に本人以外の人間が代理判断せざるを得ない。この法制度的真空を慣習的に、配偶者や親・子などの家族が埋めてきたのである。しかしこの真空は、徐々に制度によって埋められていくかもしれない。2009年7月13日に成立した改正臓器移植法は、親族に対する臓器の優先提供が可能となっていたり、本人の明示的拒否がなければ家族の判断で臓器提供が可能となっていたりするのだが、こうした動きはその具体的表れなのかもしれない。

(註4)たとえばアメリカにおいても、多くの地域で同性間パートナーシップ法は未整備であるし、血縁家族重視の慣習は根強いが、それにもかかわらずヘルスケア代理の制度が存在することで、同性パートナーは医療における諸権利をある程度確保することができる。ただしヘルスケア代理など医療における代理決定を定めた法制度があればよい、とは実は言い切れない。ドメスティック・パートナーとして登録していても、ヘルスケア代理人として登録していても、同性パートナーを医療現場から排除する事例はアメリカにおいても存在している。これに関連して、Human Rights CampaignによるHealthcare Equality Indexを参照せよ。

(註5)2004年に「血縁と婚姻を越えた関係に関する政策提言研究会」が行った「同性間パートナーシップの法的保障に関する当事者ニーズ調査」がある(血縁と婚姻を越えた関係に関する政策提言研究会[2004])。それによれば、第一に、同性間パートナーシップを保障する制度が将来出来たら利用したいかどうか、との問いに対して72.6%が「利用したい」と答えており、同性間パートナー制度に高いニーズがあることが示された。第二に、同性間パートナーシップにおいて必要な制度について問うた設問では、「一方が入院した時の看護・面会権」・「一方が病気になった際の医療上の同意権」が必要性についても、利用したいという希望についても、全項目中最多であり、医療における諸権利のニーズが高いことが示された(必要性について5段階評価する設問では最も高い評価である「非常に必要」とした割合がそれぞれ86.4%と81.1%、利用したいかどうかという問いについて「利用したい」とした割合がそれぞれ87.4%と83.2%)。

(註6)これらについて簡単に触れておきたい。第一に養子縁組制度であるが、北米・西欧諸国と異なり日本は養子縁組が容易であるため、配偶者としてではなく親子としてではあるが家族法に基づく諸保障を得る手段として活用されてきた。しかし最近法務省が、「養親と養子に年齢差がない」など「不審なケース」について自治体に報告を求め、「不正な目的」で養子縁組が利用されていないか調査を行うとしており、(このことが同性パートナー関係に直接どう影響するかはまだ予測が難しいものの)今後活用が難しくなっていく可能性は否定できない。第二に公正証書については、パートナー間の権利義務関係を規定する文書を作成することで婚姻に類似した保障を得ようとする試みであるが、公正証書での契約は二者間の権利義務について規定したものであるため、第三者(医療者や血縁家族)の行動を拘束する力はなく、結局のところ医療判断代理は範囲外であることに気付かれ試みは終息した。第三に個人情報保護法であるが、『医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン』(厚生労働省[2004])によると、「本人以外の者に病状説明を行う場合は、本人に対し、あらかじめ病状説明を行う家族等の対象者を確認し、同意を得ることが望ましい。この際、本人から申出がある場合には、[……]現実に患者(利用者)の世話をしている親族及びこれに準ずる者を説明を行う対象に加えたり、家族の特定の人を限定するなどの取扱いとすることができる」とある。この規定に基づき本人の意思が明示されればパートナーへの医療情報提供も可能だと考え、交通事故など緊急事態に備えてパートナーの連絡先を記入できる「緊急連絡先カード」配布のアクションは現在も続けられている。

(註7)無論、同性パートナーであれば良い家族であるなどというのは実にナイーブな認識である。同性パートナー間であっても、他の親密圏と同様に、葛藤も暴力も存在する。しかし、同性パートナーと一緒に住むことがごく自然な選択であるような状況には(この時点における日本は)なかったことを考えれば、ゲイ・レズビアンたちの多くにとって、パートナー間のコンフリクトよりも医療におけるパートナーの諸権利のほうが、ずっと切実に感じられたのはむしろ当然であろう。

(註8)なお、2007年8月22日に公示された日本医師会による終末期医療ガイドラインもほぼこれを踏襲しているが、2007年11月16日に公示された日本救急医学会によるガイドラインでは家族の定義については触れられず、「家族や関係者」という曖昧な表現になっている。

(註9)委員からの問題提起はあった。第二回検討会に際して出された日本看護協会からの意見書には、「2」患者の家族の範囲には、患者にとって最も身近で重要な者を含めること :患者の意思の確認ができない場合、患者がその人らしい終末期を過ごすためには、患者にとって最も身近で、患者のことを十分に理解している者が患者の意思を推定することが必要である。近年では、夫婦別居生活や婚姻関係のないままの共同生活など、多様な家族形態が存在している。そこで、ガイドラインにおける「家族」には、婚姻関係等に縛られない、患者にとって最も身近で重要な者を含めるということを明記する。」とあるし、第二回検討会の議事録には社団法人日本医療法人協会副会長日野頌三委員より「この前いただいたパブコメの中にあったのですが、チームケアのときに患者・家族と出てきますね。特異な例かもしれませんが、同性愛者で一緒に暮らしていたけれど、いざとなると、はじき者にされたとかいうことがあります。患者を支援している人は家族という言葉には含まれないと思うのですが、それを一言を付け加えていただきたいと思います。結構パブコメに出てくるのです。」という発言もある。またそれ以外の委員からも、家族といっても多様であり定義は難しいという趣旨の発言は再三みられる。しかしこうした問題提起が、取り上げられ議論されることはなかった。

(註10)ただし、ヘルスケア代理人を設定するという論点は明白に法的次元を含んでおり、ヘルスケア代理法が存在しない日本においてはそもそも検討しようがない、とも考えられる。なお、日本の成年後見制度は経済行為代理に限られており、ヘルスケア代理については起草担当者によって次のように明確に否定されている。「成年後見の場面における医的侵襲に関する決定・同意という問題は、一時的に意識を失った患者または未成年者等に対する医的侵襲に関する決定・同意と共通する問題であるところ、それら一般の場合における決定・同意権者、決定・同意の根拠・限界等について社会一般のコンセンサスが得られているとは到底言い難い現在の状況で、本人の自己決定および基本的人権との抵触等の問題についての検討も未解決なまま、今回の民法改正に際して成年後見の場面についてのみ医的侵襲に関する同意・決定権、同意に関する規定を導入することは時期尚早である」。

5.主要参照文献

<厚生労働省ウェブサイト>
終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/dl/s0521-11a.pdf
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/dl/s0521-11b.pdf(解説編)

終末期医療の決定プロセスに関する検討会
第一回:
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/01/s0111-2.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/01/txt/s0111-1.txt
第二回:
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/03/s0305-6.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/03/txt/s0305-3.txt
第三回:
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/04/s0409-4.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/04/txt/s0409-2.txt

終末期医療のあり方に関する懇談会
第一回:
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/s1027-12.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/txt/s1027-3.txt
第二回:
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/12/s1215-12.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/12/txt/s1215-1.txt
第三回:
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/02/s0224-13.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/02/txt/s0224-2.txt
第四回:
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/04/s0414-7.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/04/txt/s0414-1.txt
第五回:
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/12/s1224-14.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/12/txt/s1224-19.txt

<書籍>
新井誠編, 2007, 『成年後見と医療行為』日本評論社
Boeum, Horst, Herbert Lerch, Annemarie Roeslmeier and Karl Weiss, 1999, Handbuch fuer Betreuer, Organisations-und Arbeithilfe fuer das Betreuungsrecht und Sozialrecht.(=2000, 新井誠監訳『ドイツ成年後見ハンドブック――ドイツ世話法の概説』勁草書房)
Chauncey, George, 2004, Why Marriage?: The History Shaping Today’s Debate Over Gay Equality, Basic Books.(=2006, 上杉富之・村上隆則訳『同性婚――ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史』明石書店)
Garner, Abigail, 2005, Families Like Mine: Children of Gay Parents Tell It Like It Is, Perennial Currents.
Human Rights Campaign, 2010, Healthcare Equality Index, Human Rights Campaign Foundation.
http://www.hrc.org/documents/HRC-Healthcare-Equality-Index-2010.pdf[PDF/外部サイト]
飯田亘之・甲斐克則編, 2008, 『終末期医療と生命倫理』太陽出版
片山知哉, 2007, 「問題なのは「家族の定義」か?――厚生労働省の終末期医療ガイドラインへのゲイ・レズビアンの反応を読む」『Birth?Body and Society』立命館大学先端総合学術研究科Birth編集委員会(→http://www.arsvi.com/2000/0703kt.htmに転載)
川口有美子, 2009, 『逝かない身体――ALS的日常を生きる』医学書院
血縁と婚姻を越えた関係に関する政策提言研究会, 2004, 「同性間パートナーシップの法的保障に関する当事者ニーズ調査」http://www.geocities.jp/seisakuken2003/
Kymlicka, Will, 1995, Multicultural Citizenship: A Liberal Theory of Minority Rights, Oxford University Press.(=1998, 角田猛之・石山文彦・山崎康仕監訳『多文化時代の市民権』晃洋書房)
Kymlicka, Will, 2001, Politics in the Vernacular: Nationalism, Multiculturalism, and Citizenship, Oxford University Press.
永易至文, 2009, 『同性パートナー生活読本――同居・税金・保険から介護・死別・相続まで』緑風出版
Nardi, Peter, 1999, Gay Men’s Friendships: Invisible Communities, The University of Chicago Press.
リーガルサポート, 2006, 『実践成年後見 No.16 特集 医療行為と成年後見』民事法研究会
Smolinski, Kathryn M. and Colon, Yvette, 2006, Silent Voices and Invisible Walls: Exploring End of Life Care with Lesbian and Gay Men, Journal of Psychosocial Oncology, Vol.24(1)
杉浦郁子・野宮亜紀・大江千束編, 2007, 『パートナーシップ・生活と制度――結婚、事実婚、同性婚』緑風出版
立岩真也, 2004, 『ALS――不動の身体と息する機械』医学書院
Walker, Brian, 1996, “Social Movements as Nationalisms: or, On the Very Idea of a Queer Nation,” Canadian Journal of Philosophy, Supplementary Vol.22.

<付記>
本報告はこれ以外に、多くの文献・ウェブサイトに基づいている。片山[2007]に挙げたリストも参照。





*作成:片山知哉
UP: 20101120 REV:
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