映画『アイ・ラブ・ユー』をご覧になった読者はどれくらいいらっしゃるだろうか。昨年10月に公開以来、5月1日までに全国で少なくとも19万人以上が既にこの映画を見ている。公開形態を考えると快調である。もし、まだご覧になっていないなら是非、上映会に足を運ばれることをお勧めする。
日本の商業映画で初めて、忍足亜希子、高野幸子、砂田アトムなど、ろう者俳優がろう者役を演じ、ろう者の世界を聴者に見せてくれている。評価は高い。作品は日本アカデミー賞特別賞等を受賞し、主演の忍足亜希子(注1)は第54回毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞等を受賞している。受賞の記録、上映情報などはhttp://member.nifty.ne.jp/kobushi-pro/index.html で見ることができる。
「世界で初めてろう者と聴者の監督二人が共同演出した」とうたわれているこの映画は、ある意味で、「メディアが果たす役割とは何か」というテーマを考える好材料である。映画が描く真実、特に少数派の真実とは何かと言っても良い。
劇映画をはじめとする商業メディアで少数派を取り上げる場合、(1)多数派による少数派の理解促進、(2)商業的採算、この二つが課題となる。そして、前者と後者は大部分重なるだろう。
前者は、この映画の場合、聴者によるろう者の理解である。そして、後者の商業的採算のためには圧倒的多数派である聴者が身銭を切って劇場に、上映会に足を運ぶ必要がある。ロケ地となった静岡県豊田町が出資した3千万円を含め、製作費は1億5千万円と企画書にはある。これだけの資金を投入し、もし回収できなかった場合には、ろう者をテーマとした映画は当たらないという前例を作ってしまうことになる。それは特に、ろう者であり本作品がデビューの米内山明宏監督の今後の取り組みにも当然、悪影響を与えるにちがいない。
映画『アイ・ラヴ・ユー』は十分にろう者の姿を描いていないという批判をろう者から耳にし、目にしている。私自身は聴者なので、それがどの程度真実なのか判断する立場にはない。しかし、例えばろう者との会話で聴者が手話と共にわざわざ声を出しているシーンや、手話が見づらいアングルなどがあり、やはり聴者の視点が優先したのではと思わせる。
そもそも共同監督という形自体が微妙であり、最終的に決定するのは誰かという課題がある。そのうえ、実績のあるベテラン大澤豊監督と新人の米内山明宏監督という組み合わせでは、最終的な判断は大澤監督が下したケースが多かっただろうと推測される。「大澤監督はいつも聴者の視点でみておもしろいか、ということが頭の中にあります」と米内山監督は述べている(『いくおーる』32号、99年8月、38頁)。
少数派の真実をそのまま描くことが多数派の理解に容易につながらないことがある。それは一種のパラドックスである。結果として手話への社会的理解を促進し、「手話ができることはかっこ良い」ことだと多くの人を思わせるようになった、連続ドラマ『星の金貨』、『愛していると言ってくれ』ではろう者を聴者が演じ、基本的に聴者の視点からのろう者像であったことでも分かる。
『アイ・ラヴ・ユー』でも当然、聴者によるろう者理解の促進、興業的成功のための配慮、妥協があっただろう。「良薬は口に苦し」と豪速球で勝負することがいつもできる訳でもない。その意味で、『アイ・ラブ・ユー』で、ろう者はろう者が演じるという本来の姿が実現されたこと、ろう者を描く映画の作り手側に川崎多津也プロデューサー、米内山明宏監督というろう者が回り、その成果としてろう者コミュニティ、ろう文化を日本映画のスクリーンに登場させ、聴者のろう者理解を前進させたことは大きな功績であり、評価されるべきである。
米内山監督は次回作の候補として二つをあげている。一つは監督自身が演出、出演している『終着駅への軌跡』という芝居の映画化である。これは40から50ほどあるのろう者の歴史のエピソードをその度に7、8本を選んで演じるもので「ろう者の本音をすべて社会に打ち出しているような芝居だ」と米内山監督は今年、2月に出版された著書『プライド』法研(注2)で述べている。この芝居は現在まで日本手話だけで演じられ、通訳はついていない。これはまさしく、ろう者によるろう者のための取り組みである。映画ができあがれば、それはろう者の真髄の一面を描ききるものになり、字幕の助けで、ろう者でない者にろう者の世界の深奥を見せてくれるだろう。ただし、興業的な面での困難を予感させる。
もう一つは山本おさむ(注3)の『わが指のオーケストラ』秋田書店(全4巻)の映画化である(『いくおーる』32号、99年8月、87頁)。これは漫画で、昭和初期に日本の聾教育が口話法一色に染まろうとした時代に、大阪市立聾学校の高橋潔校長が口話法が適する者には口話法を、手話法が適する者には手話法をと訴え、手話を守ろうとした姿を中心に描いた傑作である。(このようなシリアスな社会的テーマを漫画というメディアで取りあげるというのは日本の文化の特色の一つにあげられる。日本語が読める恵みである)。
こちらは主役が高橋校長という聴者となり、多数派の聴者の関心も比較的、獲得しやすい。既に原作の知名度が聴者にある。
両作品とも是非、実現してほしいが、米内山監督自身の意欲、そしてプロデュースの現実的可能性からどうなるのか。聴者としての自分としては、読んで感銘を受けた『わが指のオーケストラ』をろう、聴の豪華キャストで実現し、米内山監督で大ヒットさせてほしい。
いずれにしても、米内山監督の次回作が今から、本当に待ち遠しい。