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西村 周三

にしむら・しゅうぞう

last update: 20100510

◆西村 周三 19830324 『「病院化社会」の経済学――現在医療システムはあなたの明日をどこまで保障できるか』 ,PHP研究所,PHP新書,194p. ASIN: 4569210104 525 [amazon][kinokuniya] ※, b m/e01
◆西村 周三 19970620 『医療と福祉の経済システム』,筑摩書房,ちくま新書,218p. ASIN: 4480057110 735 [amazon][kinokuniya] ※
◆西村 周三 20000220  『保険と年金の経済学』 ,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815803722 3360 [amazon][kinokuniya] ※, b m/e01
◆田尾 雅夫・西村 周三・藤田 綾子 編 20030410 『超高齢社会と向き合う』,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815804621 2940 [amazon][kinokuniya] ※, a06.
池上 直己・西村 周三 編 20051115 『医療技術・医薬品』(講座医療経済・政策学 4),勁草書房,192p. ISBN-10: 4326748346 ISBN-13: 978-4326748341 \2730 [amazon][kinokuniya] ※ t03

◆西村 周三 198811 「臓器移植の経済学――市場メカニズムと互酬制度」,『経セミ』406:56-58(特集:なんでも経済学)
◆西村 周三 19910525 「老人医療費をめぐる政策課題」,隅谷編[1991:159-175]
◆西村 周三 199106 「社会保障の新しい財源政策――医療費財源を中心に」,『季刊社会保障研究』27-01:011-018(第25回社会保障研究所シンポジウム――「社会保障の新しい財源政策」)
◆西村 周三 19960308 「産業としての医療――公益・私益・集団益のトリレンマ」,『病と医療の社会学』(岩波講座現代社会学14):109-126 ※
◆西村 周三 20020822 「医療保険」,市野川編[2002:168-175] ※
◆西村 周三・塙 正男 19880815 「病院化社会のエコノミー」,塙[8808:85-112]

中川 米造・西村 周三 198804 「医療経済からみた現代医療」,『Medical News』1988-4→中川[89:67-78]

◆漆 博雄 198906 「西村周三『医療の経済分析』」,『季刊社会保障研究』25-01:097-099

 ※は生存学資料室にあり


 
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◆西村 周三 19970620 『医療と福祉の経済システム』,筑摩書房,ちくま新書,218p. ASIN: 4480057110 735 [amazon][kinokuniya] ※ m/e01

第2章 高齢社会の見通し―経済社会の変貌と医療・福祉の将来
 「[…]「寝たきり老人」をゼロにするという高い理念がある[…]すなわちただ単に似要介護者のお世話が大変だから、介護福祉を充実するという<0063<ことにとどまらず、要介護者の自立を支援するということが目標とされている。
 筆者の知る限り、この理念が日本で重要な意味を持つようになったのは、八〇年代のはじめ頃からデンマークをはじめとする北欧諸国の実態を調査し、「寝たきりはゼロにできるのだ」というキャンペーンを展開した大熊一夫氏、大熊由紀子氏、岡本裕三氏らの努力によるところが大きい。彼らの啓蒙活動が次第に普及する手かで、スウェーデン大使館勤務の経験を持つ厚生省若手官僚たちがこれに呼応して、九四年に「高齢者介護・自立支援システム研究会」が設置された。同報告書はこのような彼・彼女らの長い努力の結実である。
 ただ介護保障の現状は、このような理念が掲げるところとはかなりかけ離れている。」 (西村[1997:63-64])

 「たとえばデンマークの国民医療費はイギリスや日本とともに、対GNP費でかなり低い。そしてそれにもかかわらず、介護福祉が充実しているために、国民の満足感は比較期高い。デンマークの現状は、介護福祉サービスの充実が、必要な医療費をかなり軽減する可能性を示唆している。
 そして各国はデンマークの実態を見習って、どのような介護福祉を充実させれば、医療費の抑制が可能かという視点を強く打ち出している。このような見解の歴史的変遷には、もちろん福祉についての考え方の変遷も作用している。心身に障害を有する人々に対するケアは、以前は施設中心の発想であったが、「ノーマライゼーション」の思想が普及すると共に、個々人の「生活」そのものを優先するなかで、必要なケアの提供を行うという発想に転換してきたために、病院中心のケアよりも、在宅ケアを重視するという発想が生ま<0066<れてきた。
 ところが、日本では[…]医療費と福祉費の比率は一〇対一近くになっている。高齢化のスピードと比べれば、その伸びは依然低いと言わざるをえない。」(西村[1997:65-66])

 「終末期の医療費が、一カ月一〇〇万円以上と群を抜いて他の時期の医療費より高いことはよく知られており、もし現在の趨勢でいわゆる「病院死」が増えれば、それだけで二〇<0066<一〇年には、さらに数千億円の余分の医療費を要することになる。またこれはフローの意味で余分に必要とされる額であるが、これだけの死亡者の増加に対処するためには、現状の病床数では、他の患者を追い出さない限り不十分であり、さらに多額の設備投資を必要とする。
 もちろん病院死が、国民の大多数の望むところであるというのなら、国民がそれだけの負担増をあえて甘んじて受けてでも、このような投資が必要と思われるが、はたしてそうであろうか。この種の問題は、一般の市場メカニズムによる解決と違って、大部分が公的資金によってまかなわれるために、真の国民の希望をとらえるのが難しい。たとえば決して「ホスピス」という施設が望ましくないというのではないが、ホスピスに入所している人々には、月間で約九〇万円の費用がかかっている。これに対していわゆる在宅ホスピスに用いられている公的資金は、ヘルパー、訪問看護婦の派遣、往診などを含めた外来医療費など、高く見積もっても月間一〇万円程度にしかならない。これでは、人々が家族介護の負担への考慮を含めて、施設を選ぶのは当然の帰結である。
 このような現状を踏まえるならば、どちらが真の国民の選ぶところかを知るためには、在宅終末期医療に月一〇〇万円程度かけたうえで、そのどちらを選択するかを問うてみる必要がある。したがって長期的視点からは、このような試みを政策的に実行してみることが必<<要なのではないかと思われる。
 ところが残念なことに、さまざまな制度的行き違いが、この種の試みの実現を困難にしている。」(西村[1997:67-68])
 *本では「月一〇〇円程度かけたうえで」となっているが、誤植であるので訂正。


 
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◆西村 周三 20000220 『保険と年金の経済学』,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815803722 3360 [amazon][kinokuniya] ※, b m/e01

 「日本において介護の重要性の認識が生まれたのは1980年代の中頃からである。それまで日本においては、1970年代はじめに実現した老人医療費の無料化以降[…]二つの問題を引き起こした。まず第一に、その後の経済成長の低下、高齢者数の伸び、医療技術の進歩などにより、老人医療費の財政負担が深刻化した。しかし問題はそれだけにとどまらなかった。第二に、急速な高齢者医療需要の増大が、その質の低下という現象を同時にもたらしたのである。すなわち、長期入院の増大が、かえって寝たきり老人を増加させることになった。
 […]<0204<[…]日本では、福祉サービスの提供が医療に比べてきわめて少なかったため、寝たきり者の増加を防げなかったと考えることもできる。[…]世界的に見て、高齢者とくに後期高齢者(75歳以上を指す)の増大にともなって、医療から介護へのサービスのシフトが要請されてきたのである。
 […]高齢者のQOLを高めるという視点から、主として北欧諸国で打ち出されてきた政策は、「寝たきり」をなくすために高齢者の自立を支援するような介護のあり方を模索するという方向で<0204<あった。そして日本でも、このような方向を強く打ち出すべきことが、94年に厚生省に設けられた私的諮問組織「高齢者介護・自立支援システム研究会」によって報告されたのである。このころの厚生省の政策の理念は、すでに1990年のゴールドプランとして具体化されていたが、さらに「21世紀福祉ビジョン」が示され、今後の施策の重点を医療から介護に移すことがうたわれた。」(pp.204-205)

 「現実には、いわゆる家族による虐待だけでなく、一見したところの家族介護の「優しさ」に隠れて高齢者の自立を妨げるような介護もある。そもそも家族介護の質の評価は、社会的介護の評価に比べてより困難が伴うから、単純な家族介護擁護論は、将来に向けて禍根を残す可能性もあるのであ<0215<る。家族介護に給付を行うことを決めたとたんに、それまで私的なことにとどまっていたものが、社会的なものとなる。私的な問題にとどまる限りは、高齢者個々の生き方にまで社会が干渉すべきではないであろうが、社会的なことからになれば、たとえば「可能な限り自立を求める」といった方向性を決めることも重要となる。」(pp.215-216)

 
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◆田尾 雅夫・西村 周三・ 藤田 綾子 編 20030410 『超高齢社会と向き合う』,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815804621 2940 [amazon][kinokuniya] ※, b fm/a01

III 政策・制度・組織
  2 保険・年金・医療・介護制度 西村 周三 168-188
 「「どちらかと言えば」どちらを望むのかの意向を、必ずしも本人から聞き出しにくいという事情がある。なぜなら、家族に対する遠慮や配慮によって、本音が語られにくいからである。極端に言えば、日本人にとっては、老人の身体や心が、本人だけのものではなく、家族のものではないかとはさえ思わざるを得ない状況がある。そういった思いやりの精神は、確かに日本のよく伝統ではあるが、同時に問題の解決を難しくしている。
 一例をあげれば、一定の介護を要する期間を終え、いよいよ終末に近い状態を迎えたとき、いわゆる「死に場所」としてどこを選ぶか、という問題である。どちらかと言うと、本人は、自宅でのあまり過度な医療行為が行われ<0187<ない状況を選びがちであるが、家族の方は、少しでも長い延命を願って、病院への入院を望むことが多い。もちろん、この背後には、純粋な延命の期待と家族での介護の負担の忌避とが相混ざっている。しかもこの際、本人も、家族への思いやりから、本音を語ることをしない。結果的には、より医療機器などが整備した(ママ)施設が選ばれることになるのである。
 厄介なのは、国民の中に、医師が「終末の時期」をある程度的確に予測できるという期待と誤解がある点が、より問題を複雑にする。その結果、医療費も介護費用も、やや過大と思われる程度にまで費消されることが多いのである。」(西村[2003:187-188])

終章 変化に対する適応力 西村 周三 223-231

 「北欧が、かつて超高齢社会を迎えるに際して経験した次のような例が参考になる。いわゆる後期高齢者を大量に抱えることを最初に経験したのは北欧諸国であるが、この時期に、北欧は、いわゆる「寝たきり老人」を最小限にすることに成功した。それは医学の発展の成果を受け入れることで成功したのではなく、それまで医学分野ではいわばマイナーな技術であった「リハビリテーション」に政策の力点をおくことで成功した。80年代頃から、スウェーデンは、後期高齢者を大規模病院に「収容」することで、社会保障を充実することから、在宅ケアを重視し、生活の場でのリハビリに力点をおくことで、意外にも寝たきりの高齢者を減少させることに成功したのである。
 このような試みは、いまでは世界の主要先進諸国では当たり前のことになっているが、政策が打ち出された当初は、多くの偏見と不満があったことが想像できる。いまでは、多くの研究者は、この変化を「健康変換(health transition)と呼び、高く評価しているが、この転換は、研究室や病院での<0230<医学の技術進歩から生まれたのではなく、まさに「変化に対する、社会制度の柔軟な適応力」から生まれたと言ってよい。」(西村[2003:230-231]


UP:20061202 REV:20061204, 06, 20100510
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