なぜ書いたか、なぜ新版か
『弱くある自由へ』第二版に・結
立岩 真也 2020/01/01
『現代思想』47-15(2020-01):-
◆立岩 真也 2020/01/10 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』,青土社,536p. ISBN-10: 4791772261 ISBN-13: 978-4791772261 [amazon]/[kinokuniya]
□刊行にあたり+今回についての説明
このたび、『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』』の増補新版(第二版)を出してもらった。ここではこの増補新版の「はじめに」と第8章を再録し、読まれてよい本だとお知らせする。
二〇一九年、本誌に三回にわたって連載させてもらった文章に大幅に手を入れて第9章とした。この章は、一人の人について書いたものだが、それはとくに一九八〇年代以降の社会がどう捉えられるかを書いたものでもある。記録を集め使うことと思考することとがどう結ばれるかを示そうしたのでもある。
そして、二〇〇一年に『図書新聞』に掲載されたインタビューに注を加え第8章とした。私は「各論」が大切だと思い続けていて、それで第6章「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」なども書いた。読まれてもらいたいものだと思う。対して、このたインタビューは、やはり「自己決定とは?」といったように読まれたのだろうなと思うところもあり、各論への言及は少ないのだが、それはインタビューというものの性格からも仕方ないのだろう。その代わり、何が基本かは繰り返し確認されている。また進むために(も)遡るという基本的な姿勢が語られている。それで再録した。
■はじめに・二〇一九年版
最初の共著書の第三版(安積他[2012])、最初の単著の第二版([201305])が生活書院から文庫判で出ている。単著として二冊目の『弱くある自由へ』([200010])の増補新版(第二版)が本書になる。
初版の「あとがき」を読み返してみたら、冒頭は以下。
私は、思うとすれば、長く生きたい、痛いのはいやだといったぐらいのことしか思いつかない人で、つまり「いのち」や「ケア」といったものに対する感受性に乏しい人で、ただ、そういう不似合いな人もいてよいだろうとも思い、また、そういう不粋な人であるがゆえに不思議なこと、違和感を抱けてしまうことも多くて、それでものを書いているようなところがある。
そういうわけだから、「死を受容する」等々といったことがわからない。そんなことは少しもほめられたことでないことは承知しているが、それでもしかし、わかった気になるまではわからないと言うしかない。そして、なにかを死者に捧げるということも――そうしたことを行いたいその私達の側の気持ちはわかるけれども――わからない。なによりその人はもう死んでしまったのであって、その人になにも伝えることはできない、と私は思うから。([200010:305])
もう長く、同じことを言い、書いている。死ぬのと痛いのはいやだ。それを「病気」と括る。痛みを減らし死を遠ざけのはよい。だから、それをもたらす病を治すのは(そのために支払うものとの差し引きは考えるべきではあるが)よい。しかし、できないこと・異なること(としての「障害」)となれば話は別だ。そのことを『不如意の身体』で述べている([201811])――▼本書では、私が(単独で)書いたものについてだけ、便宜のために[201811]などと六桁で表示させてもらい、著者名を略す▲。
そして病や死を美しく語ることに慎重であること。それは倫理に関わることでもあるが、すくなくともまずは単純な事実・認識から発する。それは、方法的にというよりは、私がどうしてかそんな具合にできているからということなのだが、その単純さがそんなに普通のことでもないということさえわかっていれば、出発点としてはそれでよい。そのうえで何を引いたり、何を足したりした時にことは変わってくるのか。それを見ていこうというのだ。安楽死について本書に短文が一つ、インタビューが一つ収録されている。その後もずっと、そして近頃も関係するできごとが様々起こるので、やはり書き続けている。
その私は、二〇一八年の終わりに『不如意の身体――病障害とある社会』([201811])と『病者障害者の戦後――生政治史点描』([201812a])の二冊を刊行してもらった。それらは二〇〇五年に始まって一五三回続いた『現代思想』連載の数年分を用いて作られたのだが、その連載は、二〇一九年一月号掲載の「最終回」という、その連載と青土社からの本で何を書いてきたかを記した回([201901])をもって終わった。その後、その二冊はいくつか紹介・書評していただくことがあった。共同通信配信記事(竹端寛)、『朝日新聞』(椹木野衣)、『京都新聞』の記事(岡本晃明)があり、『週刊読書人』に掲載された天田城介との対談(立岩・天田[2019])もその全文を週刊読書人のサイト上で読める。その一つということでもあるが、三月末、天田との対談の前日に東京堂書店であった熊谷晋一郎との対談(立岩・熊谷[2019a])が『現代思想』の七月号に掲載された(立岩・熊谷[2019b])。
一つには、熊谷との対談を第二版にと思った。そういえば、痛いのをがまんしてできるようにといろいろされたが、痛いばかりでよいことはなかったことも熊谷も語った。そのことは熊谷の最初の本(熊谷[2009])に書かれている。ただもったいなくもなり、もし本に収録するなら短くしないままの版がよいのではないかと思った。そこで見送った。
「あとがき」は次のように続いていた。
けれども捧げるとするなら、この本は高橋修さんに捧げる。彼は一九九九年に突然亡くなった。([200010:305])△
高橋は一九四八年七月二五日に新潟県長岡市に生まれ、二〇〇〇年一〇月に『弱く』が出る前の年、九九年二月二七日に亡くなった。そして私は、本の出た翌年、その人について「高橋修――引けないな。引いたら、自分は何のために、一九八一年から」([200105])を書いた。それは『自立生活運動と障害文化』(全国自立生活センター協議会編[2001])に収録された。その本は貴重な本で今でも購入できるのだが、ほとんどが運動に関係した本人が書いた文章(いくつかは対談や座談)により構成されている。ただ高橋はその時にもう亡くなっていたから、彼については私が書くことになった。
彼の死後、とくに私がということではなく、まとまったものを作ろうという話はあった。ただそれはずっと実現することなく、約二〇年が経ち、今日に至った。十分なものを書こうとするとなかなか書けない。私はこのところ、ないよりよいものはよい、と思うことにしている。そこで[200105]を下敷きにしつつ、『現代思想』に三回書かせていただき、大きく手直しし――他方、※初版に収録された文章のすべては初出のまま収録されており、後で加えた部分は〔〕で囲っている※――第10章とした。大きく直しした結果、その章がこの本に置かれる意味が明確になったと思う。他の箇所を読む際にも有益なものになったと思う。他は第2版にするに際しての変更はしていない。「その時」に書いたものを残したいと思ったからだ。ただ、文献についての追加情報などは《》内に追記した。
もう一つは、「闘争と遡行――立岩真也氏に聞く 『弱くある自由へ』」([200101])。翌年に『図書新聞』に掲載されたもの。聞き手は米田綱路(米田編[2000][2006])。これを再掲し、註を加えて第9章とした。初はこの二〇〇〇年の本が後の後の仕事について知らせる文章を書くことも考えていたが、散漫になってしまい、自分が書いた文章の名前を列挙するといったものになってしまうのでやめた。そして情報・文献はこれからも増えていく。とすると紙の本に記すより、HPの索引などを使ってもらい、そちらを見ていただく方がよいと思った。
■第8章 闘争と遡行(二〇〇一年のインタビュー+注)
略→本読んでください
■注(文献表は略→本のほうでどうぞ・○頁も本での場所を示す)
★01 この題は『闘争と遡行・1――於:関西+』(立岩・定藤編[2005])で使った。「2」はまだない。[200003c]にもこの題が使われている。
★02 二〇〇四年ごろから(再度)尊厳死法法制化の動きがあり、清水昭美(本書22頁)――最初の著書が『生体実験――小児科看護婦の手記』(清水[1964])、その増補版が『増補 生体実験――安楽死法制化の危険』(清水[1979])――から誘われ、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の活動に関わることにもなった。実際に動いたのは清水たちだった。私はときどき話をしたりМLの運営に関わった。本を四冊書いた。単著として『良い死』([200809])、『唯の生』([200903])。理論的なことは前者でだいたい言うべきことを言った。後者には、ピーター・シンガーたちの「脱人間主義」がたいへん人間主義的であることを言っている第1章などじつは重要な章がある、と私は思っている。小松美彦の論を検討した[201010](本書50頁)も再録した。この二冊でだいたいのことを述べ、理論的には加えることはない。
それでもまだ本を作ったり文章を書いているのは、一つに毎年のようになにか「事件」は起こり、その都度、求められることもあり書いたり話すことがあったということだ。新たなことを書くわけでもないのになぜ手間がかかるのだろうといつも思い暗くなり消耗しながら、書いている。『希望について』([200607])には四つの短文を収録。二〇一九年には公立福生病院人工透析を停止した事件が報じられ、また短文([201903])を書くことになった。同年六月、NHKスペシャルで「彼女は安楽死を選んだ」が放映された。一二月の日本生命倫理学会の公募セッションに安楽死のテーマで応募し採択された。有馬斉・堀田義太郎も報告、NHKの番組に協力した宮下洋一も招いた。また私が会員をしている障害学会としてこうした主題について何かを言っていくべきだろうと考えている。
一つに、そうしたときどきのことの集積、言われ書かれなされたことを集めまとめていく作業が少なく、それはよくないと思うからだ。『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(立岩・有馬[2012])の私の担当した部分では、一つに法制化を進めようとした人たちやそれに反対した人たちの出した文書などを集めた。一つに関連して書かれた書籍を紹介し検討した。本の紹介の連載([200101-200912]、48頁)の一部を再掲・増補し、「別の機会に検討したい」(67頁)と述べた松田道雄の著作、そして清水昭美、斉藤義彦(注14・463頁)の本を紹介した。この本で功利主義による安楽死(肯定)論を紹介した有馬斉は、自らの論を有馬[2019]で展開している。
さらに、「良い死」や「私の死」について書かれた書籍を集め整理し紹介した『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』([201708])を作った。各々の書籍についての情報をHPに掲載していることもあり、電子書籍としてだけ提供している。一〇八七の文献があげられ、三〇〇〇超のリンクが張られている。
★03 ALSの人の書き物に言及したのはこの本がたぶん最初だ(55頁)。ただ一九九八年に日本ALS協会山梨県支部総会に呼んでいただき講演させてもらった([199805])。その記録は『障害学を語る』(倉本・長瀬編[2000])に掲載され(現在は品切れ)、その後『良い死』に収録されている。私はそこで障害者運動のこととそれが獲得してきた介助(介護)制度について話している。
その後、『現代思想』で長い連載をさせてもらい、その一部に大幅な加筆を加えて『ALS』([200411])になった。
★04 『自由の平等』([200401])第5章「機会の平等のリベラリズム」等。この本も現在では新本で入手できなくなっていることもあり、だいぶ前から第二版を出したいと思っているのだが、果たせていない。そして『人間の条件』([201008]、[201805])。中学生から読めるというのが謳い文句のシリーズの一冊でもあるので――実際の読者層はだいぶ異なるらしいのだが――「学校の先生の言うことは信じないほうがよい」ことを伝えたいという思いもあり、Ⅶ「「機会の平等」というお話がいけてない話」を書いている。
★05 市野川はずっと「優生手術に対する謝罪を求める会」に関わった。書籍として『優生保護法が犯した罪――子どもをもつことを奪われた人々の証言』(優生手術に対する謝罪を求める会編[2003])があり、そこに市野川は「ドイツはどう向き合ってきたのか――ナチスの強制不妊手術・安楽死計画被害者に対する戦後補償」(市野川[2003])を書いている。こうして謝罪を求める運動は長く続けられたが、なかなか進まなかった。それが、一つの提訴をきっかけに、ようやく知られるようになり、裁判が各地で始まり政治の動きも出ており、求められている。本も増補新版が出された(優生手術に対する謝罪を求める会編[2018])。
そして利光恵子(37頁)がこの活動に長く取り組んでいる。利光は私の勤め先の大学院(立命館大学先端総合学術研究科、二〇〇三年度開設)に入ってきた。その時は驚いたしうれしかった。博士論文とそれをもとにした書籍は受精卵診断についてのものだった(利光[2012])。現在は生存学研究所の客員協力研究員で、その研究所の刊行物として『戦後日本における女性障害者への強制的な不妊手術』(利光[2016])を書いている(松原洋子が監修)。調査・研究を続け、各地で講演等を行なっている。研究所のほうでは、このたびの裁判や報道を機に集められた資料・史料が再び散逸し、そしてまた忘却されてしまうことがないように、報道機関等とも協議し協力してもらい資料を保存・整理し公開可能な部分を公開していく必要があると考えている([201911])。
★06 本書初版が刊行された頃に武藤[2000]といった記事は見かけたが、そして長い時間が経ったが本格的な研究はあるのだろうか。検索して出てきた経済学者による書籍に曽我[2006]があった。多くの部分では私が述べていることと矛盾はしないことが書かれている。
私は(私も)この主題についての検討を続けることはなかった。ただ「保険の原理」がこの社会・時代において大きな位置を占めていることを捉え、それを検討し批判することは大切であると思い、そのことは繰り返し述べてきた。
★07 構図を提示する仕事は、学会報告としては[198910]以来、大切だと思ってきたがまとめるには至っていない。ただ、この章の構図を敷延したといった性格のものではないが、ある範囲の全体を書き出してみるという仕事は『自閉症連続体の時代』([201408])、『不如意の身体』([201811])等で行なってきた。
★08 本書ではこの主題について論じてはいない。記したように(66頁)、第2章になった文章の当初の依頼は出生前診断についてというものだった。この時期に書いたのは[200209](188頁)。二〇〇〇年二月に書きあげて送り、だいぶ時間がかかって刊行された『母体保護法とわたしたち』(齋藤有紀子編[2002])に収録された。優生保護法下での優生手術のことがようやく知られるようになったことがあって、その本の第二版が出版されることになっていて、原稿(内容はほとんど変わっていない)は送ってあるけれども([2020**])、まだ刊行はされていない(齋藤編[2020])。
★09 読み直してみて、第4章はその時期にあったことを記録するというより、そこにあった理屈を言う文章だと思った。その時期(以降)について書籍の再刊も含め、文献が出るのはその後のことになる。私も、運動やそれを担った人たちについて、いくつかのというよりは多い、文章を書くことになった。
一つ、生活書院が設立され、再刊をずっと考えていた社長の高橋の企画で横塚晃一『母よ!殺すな』([1975]、[1981])の二六年ぶりの新版と新版第二版([2007][2009])が出版され、解説のようなものを書いた([200709])。また吉見俊哉編『万博と沖縄返還――1970年前後』(ひとびとの精神史・5)(吉見編[2015])に[201511b]を書いた。横塚は私が高校を出て東京に来る前年に亡くなったから会ったことがないが、横田弘とは三度の対談をさせてもらい(横田・立岩[2002a][2002b][2008])、その二度めのものは横田の対談集(横田[2004])に収録された。横田は二〇一三年に亡くなった。横田と長いつきあいのあった臼井正樹と作った『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』(横田・立岩・臼井[2016])に三度めのものが収録された。『障害者殺しの思想』(横田[1979a])が、ほぼ中味はそのままで、再刊された(横田[2015])。そこに解説を書いた([201506])。こうしていくつかが再刊されたのだが、なかには既に入手困難なものもあるので、これらの幾つかを収録した『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』(立岩編[2016-])を作った。もう一人出てくるのは吉田おさみだ(113-114頁)。吉田については――他に出てくるのは医療者ばかりだが――『造反有理』([201312])で取り上げた。[200711-201709]に、そうした人々、人々の運動から私がもらったものについて記した。例えば横田弘、青い芝の会について荒井[2011][2017]等、ようやく現われた論文・書籍については、その『そよ風のように街に出よう』におけるその雑誌の終刊とともに終わった連載(なんらかの形でまとめるかもしれない)、また『生の技法』の第3版(安積他[2012])においてを含め、幾度か紹介しているので、ここでは略。
★10 『自由の平等』([200401])第3章「根拠について」第3節「普遍/権利/強制」に考えたことを書いた。
[表紙写真クリックで紹介頁へ]