*編集部でつけてくださった題は「後方からの情報提供――障老病異とともに」
*実際に掲載された文章とは少し異なります。
原発についての特集とのことですが、このことについてはより詳しくより的確なことを言っている人もたくさんいるし、私自身は無知というしかないので、書けませんとおことわりした上で、それでも許される、とのことでしたので、別のことを。
私自身はたぶん、じかに何かすること、体を動かして何かすることが嫌いではないと思います。そしてそういう必要は今、やまとあるのだとも思います。ただ、私は京都の大学(立命館)に務めていて、私が関係しているその大学(員)関係の「研究拠点」でホームページを運用しています。ご存じの方もいらっし<0029<ゃるかもしれません。「arsvi.com」(http://www.arsvi.com)。「生存学」とか「生存学創成拠点」で検索すると一番目に出てくるはずです。それはそれでやることがあるだろうと思いました。それで「情報提供」というのをやることにしました。もちろんそういうことをしているところはたくさんあります。こちらの場合、「障老病異と共に暮らす世界の創造」という副題の「拠点」ということもあり、とくに障害だとか病気だとかと震災(の後の生活)に関係する部分をやろうと思ったわけです。とにかく、3月11日の翌日あたりからいろんなところから大量の情報が入ってくるので、まずはそれをいくらかでも整理してと思って始めました。
そしたら、いろんな活動をしつつ今回のことの支援もしている以前より知っている団体、というか人から、そういう関係の新聞報道などを集めてみているけれど、それだけでずいぶんな時間がとられてしまって、より重要で今せざるをえないことができないからやってくれないかという依頼をいただきました。それは今やるべきことでもあるし、後で振り返る――というのも学問というのがやってよいことだろうと思ってもいます――時のためにも、やっといてよいだろうということで、私が、ではなく、こちらの予算も使い、関心のある大学院生にバイトしてもらったりして、その地味な仕事をしてもらってます。
もう一つ、とくに福島なんかで――これが阪<0030<神淡路の時よりさらに厄介なことで、もちろんそれに原発が絡んでるわけですが――住んでいる場所から(遠くに)移らなければならないけれど普通の避難所では難しいということがあり、するとよく知らない場所のよく知らない施設に「とりあえず」ということになり、それ自体もいやなことなのだけれども、へたすると、ずっとそこにということにもなりかねない、と。介助が必要なら介助を得ながら、さしあたり――そして本人が望むのであれば、ずっとでも――住めるところについて相談を受けたり、知らせたりする体制がいると。その「前線」で仕事する中心は、その辺りの「現実」を今まで身をもって体験してきた、そしてつながりを作ってきた「本人」たちで、福島や――それだけでは手勢が足りないので――その応援にかけつけた人たち。で、私もちょっとおつきあいのあるその人たちからやはり依頼されて、その(はるか)「後方」で「住む」ことに関係する情報をもらって集めて、整理してホームページに掲載するという仕事を始める(始めてもらう)ことにしました。
そんなこんなのことをやっておりますというお知らせだけさせてもらおうと思って、書かせてもらった次第です。他にもいろいろとあります。実は、原<0031<発関係のページ――これは私たち教員がというより、大学院生やらが自発的に始めたのですが――も、私が思うには、えらく充実しています。見ていただければと。そしてそんなこんなのいきさつやら説明していると長くなります。『そよ風のように街に出よう』等に書いたもうすこし長い私の文章なんかもやはりホームページでご覧になれます。そこには、阪神淡路以来、ずっとやってきて、今回も活躍している人・組織のこと――私はそういう人たちを尊敬しているわけで、せめてそういうことは記録しとこう、それぐらい学者はやれよ(やろうよ)という思いもあります――も少し書きました。
最後に一つ。おまけで言うようなことではないのですが、「原発事故で〈奇形児〉が、だから反対、ってどうなのよ」、という議論が、チェルノブイリの時から(じつはそれよりもっと前から)あるのです。このことをどう考えるか。これ以上書きませんけど(書けませんけど)、やはりそのホームページの「東日本大震災」→「原子力発電(所)と障害(者)」をご覧くださいませ。私がずいぶん前に書いた文章の一部も掲載されています。