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書評:米沢慧『病院化社会をいきる――医療の位相学』

立岩 真也 2006 『東京新聞』『中日新聞』
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2006081304.html



  ここ数年、医療に何が起こってきたかを知るのに役立つ三三の文章が並ぶ。「患者学」「在宅ホスピス」等々。またよい本が多く紹介されていて読書案内としても使える。
  しかし、筆者は様々を深く考えてきた人のはずだが、肝心なところがよくわからない。たとえば患者の人工呼吸器を止めて死なせた医師への判決を紹介した後、「回復の望みのない患者に、医学的に無益な延命治療をずるずると続けることは「医療倫理に反する」という認識で、すでにアメリカでは「呼吸器外し」は一般化しているという」と書いて、すぐ次のようにつなぐ(一八六頁)。「わが国もその段階に近づいたといえよう。そうなら、終末期医療に自然の死を迎え入れる「看取り」図絵を描くためには「患者(の自己決定権)」と「医師(治療義務の限界)」に、もうひとつ「家族」の姿・意思の参加こそが不可欠になるだろう。」
  単純にわからない。「近づいた」とは事実を述べているのか、よいと考えているのか。一般化しているからよい、とつないでいるのか。ただむろん両者は別だ。また回復をもたらさない治療が回復に無益なことは自明だが、その場合「延命」は無益で、その反対は「自然な死」か。
  筆者はさらに「そうなら」と続け「家族」を出す。なぜか。紹介されている判決は、本人が望んでも医師が不要と判断することがあるとしている。本人・医療者・家族の三者はどう関係するのか。わからない。
  使われる単語はすべてよく知られるようになった言葉である。だがそれらを並べても何もわからない。わからないまま、人生には「往き」と「還り」があるから「還りの医療」をという、情感に訴え、また正しくもある大括りな話をしていくと、結果、本意でなかった乱暴な論になってしまう。社会の全体がそんな流れになっている。「寄り添う」ことが大切だと、著者のように正しく考えるなら、すべきことはやはり、きちんと論ずべきことを論ずることだ。

◇米沢 慧 20060610 『病院化社会をいきる――医療の位相学』,雲母書房,193p. ASIN: 487672203X 1785 [amazon][kinokuniya] ※,


UP:20060803
  ◇書評・本の紹介 by 立岩  ◇立岩 真也
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